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やっと冬を終えた。といっても今冬は恒例の厳冬季カナディアン・ロッキー縦走とも極北の自転車旅とも無縁。連続七回におよんだ冬のカナダの旅を整理すべく執筆に精出していた。
●「冬のカナダでやった内容はたしかに評価するが、ではそれをうまく表現することができるか」。この言葉を聞くたびに私は燃えてきた。あらかじめできるとわかりきっていることを再現しても価値はない、と日ごろから思っている。できるかどうかわからないからこそトライする価値がある。そう自分に言い聞かせるように今冬は、これまでの冬のカナダの旅の整理をはじめた。
●昼間は図書館の自習室へ。図書館が閉まると、こんどはマクドナルドへ移動。この店はなぜかコーヒーお代わり自由なので、189円(税込)で何杯でも飲める。閉店まで数時間ねばる。つづきは部屋で明け方まで行う。冬の間は仕事がらみで海外へ一度と雪山に数回行ったのと某出版社の仕事を少し手伝う以外は、ほぼ毎日この生活をつづけた。
●先日ようやく原稿用紙400枚ほど書き終えたきには、図書館で顔なじみの受験生の姿はすっかり見かけなくなった。マクドナルドでも、とうとうコーヒーのお代わり自由サービスは廃止された(私が原因かどうかは不明)。すっかり周囲から取り残された気分だ。それに文章などこれまで無縁の生活を送っていた私にとって、一冬集中したところで書きあがったものは、たかが知れているだろう。
●それでもこの冬は私にとって実り多かったようにも思う。文章を書くにあたり、ひたすら考えつづけたからである。書くのと考えるのとでは1:99くらい。問いパソコンに向かいながら「自分はなぜ何度冬のカナダに行っても満たされないのか?」、これまで曖昧にしていた問題に向き合ってみた。「自分が感動するための条件とは」「自分が迷っているときの原因は何なのか」「これからどう生きるべきなのか」。これまでの人生を含めて総括してみた。
●これまで意気揚々と旅を終えことは一度もない。予定どおりに行かないときは自己の弱さをつきつけられる一方で、成功したときには計画が甘かったからできてしまったのではないか悔いが残る。旅を終えた喜びよりも、また生き長らえてしまったなという思いの方が、常に勝っていた。しかし、私は無意識のうちに旅の余韻を掻き消してしまっているようにも思う。
●ひとつの自信を手にした時を境に、上昇する人と堕落する人がいる。成功の余韻に浸っているうちに自分を見失ってしまうのだろうか。それとも満たされた瞬間、欲がなくなってしまうのだろうか。いずれにしても次の段階に通じることなしに、成功したと、あるいは達成したとは言えるないだろう。現在および未来に通じてこそ、過去の実績と呼べるであろう。飲んだ席の自慢話にとどまるサクセス・ストーリーならば、とっとと忘れてしまいたい。そんな暇があったら、次なるテーマを模索したほうがましだ。
●私のこれまでの経験ではやればやるほど自信をなくした。考えれば考えるほど迷いは深まった。旅立ち前にはきまって恐怖に怯える。そして迷う。自分がほんとうに求めているのは何なのか。意を決して動き出したところで、迷いはさらに別の迷いを生み出す。だが、迷いが新たなる可能性を導いているのではないかとも思う。満たされぬ思いはつねに強烈な感動と裏表一体になっていたのもまたたしかなことだ。満たされぬ思いを生かすも殺すも自分しだい。
●私は生きているかぎり迷いつづけるだろう。行動しているかぎり自信をなくしつづけるであろう。もし、これからの私の人生で迷いが吹っきれ自信を得る瞬間に出会ったならば……。そのときはきっと、私のなかの精神が死ぬのだろう……。[田中幹也]
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滝野澤優子・荒木健一郎 |
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〒173-0023 東京都板橋区大山町33-6 三輪主彦方 〒160-0007 東京都新宿区荒木町3-23-303 江本嘉伸方 E-mail : / Fax: 03-3359-7907(江本) |
●前田あるみさんから…2004.4.2…京都発《E-mail》…念願の『木のおもちゃ・アトリエ』が!!
◆江本サン。その節もあの節も、ようするにいつもお世話になってます。帰国後4ヶ月目にしてやっとのことでオープンしたアトリエでわたくしは毎日が楽しくてしかたがないっ!! 桜並木をドライブしながらせっせと通っています。まだ改装中のところもありますが、仕事は十分できます。
◆もともとは倉庫ですから、多くは望めませんが、中二階がカフェスペースになる日はそう遠くないはずです。もちろん自分でやりますとも。今、壁作ってます。遊びに来た友人達は、夏の暑さを心配してくれたけど、私は、冬に、薪ストーブをおいてその上でスープを煮込むことが今から楽しみだ! というと、「その前に、夏がやって来る」とやや呆れておりました。
◆肝心のおもちゃ達も、問題なく作られています。ドイツ以来何もやっていなかったので、忘れちゃったかも‥!と心配したりしましたが、新しい技を編出したりと、体に染みこんでしまっているようです。手が勝手に動くことをいいことに、先日、歌を歌いながらノリノリで制作に励んでいたら、組み立てて置いておいたフスフス(注・ふくろうのおもちゃの名前。かわいい)にコーヒーを浴びせてしまいました。しかたがないので、彼は私のアウトレットコレクションにいれました。名前は「コーヒー」。
◆アウトレットと言えば、制作中にどうしても「ワケアリ」の子が出来てしまいます。それらをすべてコレクションしている場合ではないので格安でお譲りしようと思います(「コーヒー」はだめ)。アトリエに遊びに来て、ついでに掘り出してみてはいかかですか!? というほど簡単に来られる場所でもないですが‥。地平線に貢献できるスベがあるなら、それも大いにアリですね。ちなみに、今一番の傑作ワケアリは「やたら目の離れたフスフスふくろう」です。しかも2匹もいるっ!!(正直これは久しぶりの制作すぎて、感覚を忘れてしまっていた…)。こんなレアモノに会いたいなら、遊びに来るしかないでしょ! 近くまで来たなんて一言でも言ってもらえれば、即お迎えにあがりますので。
◆改装が完了した暁には皆様大歓迎です。急いでやりますから。見せたい人はいっぱいいるのに、ちょっと待って!を連発するばかり…。5月にはボス夫婦(注・ドイツでの師匠のこと)が遊びに来るので、手伝ってもらおかな。いやいや、急ぎます。アトリエで会いましょお! それでは。(www.arumitoy.net)
追伸・5月8日、9日と京都梅小路公園のアートクラフトフェスタに出品します。各分野の作家ばかりが集まるのもすごく面白い場です。ゼヒいかかですか。感動しますよ。
●滝野澤優子さんから江本嘉伸さんへ…2004.3.30…千葉発《E-mail》
◆地平線報告会では、本当にお世話さまでした。 あの日はなんと、24年ぶりに懐かしい人に会えました。富樫清美さんという広島の人で、現在はひたちなか市で教習所の教官の指導をしているのですが、バイクとの最初の出会いを作ってくれた人なんです。高校1年生のときに友達4人と京都旅行へ行き、ユースホステルで偶然泊まり合わせたのが富樫さん。彼はホンダCB750で来ていて、北海道に行った話などをしてくれました。バイクでそんな遠いところへ行けるなんて、と感動して「私もやりたい!」と思ったのでした。
◆まさに、あの出会いがバイクで旅をしよう、と思った最初のきっかけだったんだなあ、と女子高生だった頃を懐かしく思い出しました。先日、神長氏にも会ってお酒をごちそうになりました。連日のご接待(?)やモロモロでかなり疲れましたが、やっぱり長旅の途中で一度日本に戻ってくるとリセットされていいですね。実家の犬たちにも会えるし。これでまた新鮮な気持ちで旅が続けられそうです。今度は9ヵ月後くらいに戻ってきます。そのときは犬倶楽部のほうの活動も再開(活動したことがあるのか?)したいので、ご協力ください。それでは、みなさんによろしく。行ってきます!
●河村安彦さんから…2004.3.18…つくば発…地平線会議発足当時、独協大学探検部
◆渡辺さんの文章(注・前号「そういえば、こんなことも…」の原稿)を読んで思い出しました。屋根裏をごそごそと探っていたら出てきました…1979年の朝日グラフ、表紙に“未知への挑戦・全国7大学の調査レポート”というタイトルが書かれています。第2回学生探検会議の紹介記事です。
◆実はうちの親父は親戚に配るため町中の本屋を回ってかなりの部数を手に入れたそうです。かなりの親バカですね。今手元にあるのは2部、復刻版の材料にになるかもしれません。次の会議にお伺いできたら持って行きます。
◆ところで私の江本さんのイメージは、決して入れ歯をいじっていませんでしたよ。
地平線はみだし情報 「先月の報告会から」を書いてくれた古山里美さん、節約モードを増々パワーアップ。「先月から夜10時頃に消灯し、以降は太陽光で充電させた電池を使ったヘッドランプで生活、という方式(ダンナが発案)も取り入れました!」(284号参照)
地平線はみだし情報 「先月の報告会から」を書いてくれた古山里美さん、節約モードを増々パワーアップ。「先月から夜10時頃に消灯し、以降は太陽光で充電させた電池を使ったヘッドランプで生活、という方式(ダンナが発案)も取り入れました!」(284号参照)
地平線新刊情報 [中山孫悟空の本、ついに刊行!]シルクロードを走りとおし第6回植村直己冒険賞を受賞した中山嘉太郎さんの本「シルクロード9400km走り旅−ランニングシューズをはいた孫悟空」(1600円+税)が、4月10日、山と溪谷社から出版された。地平線報告会では語られなかった事実を含め、ミステリアスな走り旅の日々が克明に記録されている、必読の世界的奇書。
そういえば、こんなことも…。地平線会議1/4世紀こぼれ話 |
◆先月の報告会ではびっくりした。報告者の滝野澤優子さんの出で立ちが、報告会のお知らせに描いた絵とそっくりだったのだ。タイミングが合わず事前には会えなかったので、髪型も服も適当に描いたのだ。彼女とは以前からの知り合いだから、顔はもちろん分かっている。でも髪型や服を絵に合わせてくれるとは…って、たまたま?
◆僕がイラストレーターになったのは地平線会議のせいだ。イヤ、おかげか。20年前、一年だけ勤めた編集プロダクションで、ガイドブックのカットなどは描かされたことがあった。クビ後、自主的に初めて人に見せる絵を描いたのが、地平線通信だ。どうしてこちらに通信を描く順番が回ってきたのかは、覚えていない。たぶん、「入れ歯の具合を試してでもいるかのようにもごもごしゃべるおじさん(前号参照)」から指令がでたのだろう。
◆1984年12月の第62号。台湾のヤミ族が使う漁船の絵は良く覚えている。ハガキ一枚の小さなスペースだけど、全く制約無しの無法地帯。それでも確実に大勢が見てくれるギャラリーだった。それは今も変わらない。反応が直接返ってこなくても、読んでいる人の顔が見えるというのは、発信する側にとってすごく心強い。みんな暖かく見てくれてるという気分が分かってからは、通信は僕の修行と実験の場になった。
◆当時のハガキ通信の絵をみると、毎月ちょっとずついろんな事を試しているのが分かる。62号ではオーソドックスに、モノクロで船の絵を真ん中に描く。次は諧調のある薄墨を使ってみる。丸山純さんの報告会には丸ペンで精密描写を試み、それが評判悪くなければ、次の賀曽利さんには、同じ技術でも過激な表現(ふんどし男の絵)をしてみるとか。いろいろと遊ばせてもらった。
◆そうこうしているうちにぼちぼち絵の仕事が舞い込んでくる。仕事では怖くて試せない様な技法も、通信では思いきって試すことが出来た。B5版になってから今に続く「読めないタイトル」はその象徴。商業的な紙面では、タイトルが読めないなんて、たぶんあり得ない。そんなことも笑って許してくれる地平線通信があるから、僕のような邪道な絵描きでも、イラストレーターなどという看板を掲げ続けて来ちゃった…というか、来られたのだろう。[長野亮之介]
その楽しみ方 |
2月末から本格化した「地平線通信全号復刻プロジェクト」。全国から名乗りを挙げてくれたみなさんの手で、現在、43号分のスキャニングが終了し、17号分のテキスト入力が完了したところです。といっても、いまは葉書時代をやっているだけなので、超1000ページの本の全貌が見えてくるのは、まだまだ先になりますが……。でも、業者任せにせずに、しこしことみんなで手分けしてスキャンやテキスト入力をしていると、車に乗らずにあえて徒歩旅行をしているような新しい発見があるんです。復刻プロジェクト参加者が味わっているそんな醍醐味の一端を、みなさんからいただいたメールを中心に、日記風に紹介してみたいと思います。
●1月20日…「復刻プロジェクト参加への呼びかけ」の載った地平線通信290の印刷・発送。
●1月21日…シニアライダーの村田さん(東京・調布市在住)から、復刻プロジェクトを手伝ってくださるという、さっそくのメール。
▽「昨晩、地平線通信の発送手続きで榎木町地域センターに出向き、久し振りに江本・三輪両御大を含む参加者10名と歓談しました。(略)さて今回企画の『総集編』刊行の件ですが、技術不足の私が下記内容につきましてご協力できるようでしたらご指示ください」
●1月後半〜……「呼びかけ」を読んで、続々と名乗りを上げてくれる人が出てくる。東京以外からの参加が、やっぱり目立つ。
▽「ぜひお手伝いさせてください。あまり力にはなれないと思いますが、『DAS』への参加呼びかけがきっかけで今ここにいる私なので、また一緒に何かをしたい気持ちだけはあります」(山形の飯野さん)
▽「私たちも何かお手伝いできることがあれば参加させていただきたいと思います。スキャナーは1台しかなく、しかもパソコンの知識がみなさんに比べて乏しいのが不安ですが、人数は2人(パソコン2台)いるので、何とか単純作業なら少しはお役に立てるのでは……。離れていても何か参加できることがあるかと思うと、ちょっとうれしいです」(西宮の岸本さん夫妻)
▽「地平線通信復刻プロジェクトのお手伝いが出来れば嬉しく思います。いつか発送作業のお手伝いができればと思っていましたが、遠方ゆえなかなか叶わず、この機会に何かお返しができれば……」(大阪の中島さん)
▽「先日届いた通信でまだまだ手が……というのを読み、こんな状況でもお役に立つのかどうかと思いつつメールさせて頂きました。何かお手伝いできることがあるでしょうか? 是非何かで参加したいです」(大阪の村松さん)
●1月29日……昨年11月の報告者の多胡君からも。
▽「地平線通信をチラチラと目を通していると面白い企画が。『復刻プロジェクト』是非とも参加させて下さい。スキャン、消しゴムなどの作業はお手のものです、是非とも。6月の出国までとなりますが、スキャナぶっ壊れるまでお手伝い致します」
●2月25日…参加表明をしてくれた28名の方たちへの連絡網として、メーリングリストを立ち上げる。
●2月27日…報告会の二次会の席で、昨年8月の報告者の田中さん夫妻や、何度も報告者として登場している樫田君からも参加の表明があった。植村賞受賞の安東さんからはメールで。
▽「すっかり忘れてたのですが、ぜひとも協力したいと思います。いろいろお世話になっている地平線ですので、ぜひ参加させてくださいませ! スキャナー等は一式そろっております」。メーリングリストに加わった田中さんからも。▽「過去のお宝、地平線通信の数々を読むのが今から楽しみです。頑張って、すばらしい本を作りましょう!」
●3月10日…みなさんに葉書を2枚ずつ送付し、スキャンを開始してもらう。以下は到着した葉書を見て。
▽「貴重なハガキが届きました。私などはずいぶん後から参加なので、最初の頃の通信がハガキだったことを、今頃知っているような状態です。キレイにスキャンするとこの少し年月を経た感じがもったいないなぁと思いますが、いろいろやってみたいと思います」(熊本の井上さん)
▽「はがき2枚受領しました。48号、49号です。1983年江本さんと遭遇しない前のもの。私のようなものがさわるのは冒涜なのではないかと思えるようなお宝です。母校の三輪先生のお名前を発見しました」(97年2月の報告者の花田さん)
▽「山本千夏@モンゴルです。葉書、日本にいる間に到着したので、モンゴルまで持ってきています。手書き文字がいとおしく、自分が地元の公園で、船のマストによじ登り、『アメリカが見えるぞー』とかやっていた時に、大冒険していた先輩たちがいたことや、小さなスペースにぎっしりと情報をつめこんでいた編集人の意気込みを手にし、感動しつつ、そのまま大事に持ってきちゃいました」(ウランバートルの千夏さん)
▽「はがき受け取りました。今日は雨で寒くてアトリエに行く気になれなかったので、はがきにやっと手をつけることにしました。私が高速で通り過ぎてしまった年代の方達のものでした。あの年で、既にヒトに語って聞かせる経験をしているのか……と、当時の自分に「ちょっとアンタ……」と言いたくなってしまいました」(京都のあるみさん)
●3月26日…スキャンしたデータを、大阪ガスの提供する送信サービスを利用してそろそろ送ってもらうことに。4月からバフィン島に行く安東さんが一番乗り。三輪さんの“年長の教え子”関根さんからも。
▽「尻に火が付いても動かず……炎が上がってやっと動き出しました。38号、39号、ドキドキしながら『宅ふぁいる便』にて送りました。いかがなものでしょうか?」。
▽「私もB型で締め切りがない仕事はほぼやりませんので、とにかく復刻サイトに整理してあったスキャン手順を復習してやってみました。途中経過という意味でも見てもらおうとアップした次第です。あまり画像ソフトは扱ったことないのでいい勉強になります」(熊本の川本さん)
●4月6日…そして、一人取り残されまいと、ついに江本さんも。
▽「パソコンは初歩、スキャンなんてやったことないが、なぜかキヤノンのスキャン機器だけは持っている不肖私、このMLのやりとりの、あまりに難し気な展開にすっかり自信喪失状態となっていたが、そこはそこ、老獪というか、秘めたる実力が最後には滲み出てくる、というか。本日ついにスキャンして送れたぞい!! それも、何号か知っておるか? 通信0号、1号、それに加えて、どうしてもやりたかった名作、ふんどし姿の賀曽利隆の67号をやってしまったのだ。あわせて3号分、文句あっか?……実は、多忙な丸山君が我が家まで駆けつけてくれ、手取り足取りの賜物だったなんてことは、皆さん忘れましょうね」
(構成・文責: )
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ワニーは何故道草をくったの 「歩く旅はね、視界が360°なんですよ!! どこに立ち止まるのも自由なんです」と、つぶらな瞳を輝かせるのは鰐渕渉さん。30才になるのを機に会社を止め、日本の最西端(長崎県神崎鼻)から最東端(北海道納沙布岬)へ、徒歩の旅を決行しました。 |
先月号の発送請負人:三輪主彦/関根晧博/森井祐介/金井シゲ/丸山純/村田忠彦/安東浩正/坪井伸吾/落合大祐/江本嘉伸/白根全/瀬口聡
郵便振替 00100-5-115188/加入者名 地平線会議(手数料が70円 かかります) |
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