2004年3月の地平線通信



■3月の地平線通信・292号のフロント(1ページ目にある巻頭記事)

地平線通信表紙 沈丁花の香る1日、地平線通信復刻プロジェクトの打ち合わせで、首謀者の丸山純、助っ人の大学生、松尾直樹君とふるい通信を引っ張り出しながら、ついつい読みふけってしまった。

◆当初は、はがきの手書き通信なのだが、時々、私も含めて“にわか画家”が登場し、隅っこに小さなイラストを配している。字だけでは味が出ないのだ。

◆1982年3月の報告会に「ユーコン河中古イカダの旅」のテーマで報告した北大生の登場で、地平線通信は雰囲気を変えた。仲間2人とおんぼろイカダでユーコン3000キロを下った林学専攻の大学生 (この時弱冠23才) は、たいした絵師だったのである。

◆84年12月、杉並区で保母をしていた高野久恵さんの「蘭嶼島の旅」を伝える62回のはがき通信から、大学を終えて東京に帰ってきたその地平線絵師、長野亮之介のイラストが通信のメイン・ディッシュとなった。高野さんは報告会や年報など地平線会議を一時期支え続けた汗かき人でもある。この時は、台湾のヤミ族が漁に使う美しいカヌーの絵だったが、以後、次回の報告内容を亮之介風タッチで表現するようになる。

◆たとえば65号の、「快走ゴンドアナ大陸(南米+アフリカ)14万キロ」のライダー、西野始の素晴らしい笑顔。(西野さんはのち航空機事故で亡くなり、2代目年報編集長の白根全が追悼本「文集・西野始」をつくった)。66号は、純氏と結婚したばかりの丸山令子さんの「カフィリスタン・音からのアプローチ」。弦を奏でる樂師の静かなイラストが印象的だった。そして、67号に“不朽の名作”と(勝手に)称されるヘルメットふんどし姿の男が登場する。背中に南米大陸の地図を背負った男は賀曽利隆、ありし日の夏目雅子のように鮮烈な登場だった(ウソ)。

◆ナゾナゾひとつ。73回、吉岡嶺二さんの「海抜60センチからの奥の細道」には、絵師の「仕掛け」が施されている。ひっくり返すと、ある人物が見えてくるのだが、さて誰か?。(解答は復刻版に)

◆いまのB5サイズになってからは、さらに遊びの要素も加わり、いろいろな情報が盛り込まれるようになった。地平線通信ひとつとっても、25年の歴史がつまっている。その面白さは合本になってわかるだろう。

◆半年あまりの準備期間のあと、1979年8月17日、新宿区荒木町の江本の家で夜を徹しての議論の後、「地平線会議」という名のネットワークが誕生したことは、あちこちで書いているので、ご存知と思う。宮本千晴、向後元彦、森田靖郎、伊藤幸司、賀曽利隆、岡村隆、それに関野吉晴がいたと記憶するが、別の機会だったかもしれない。伊藤のアイデアで留守番電話を利用した「地平線放送」が始まり、賀曽利隆の提案で9月にトルコから帰国したばかりの三輪主彦を"栄光の第1回報告者"として地平線報告会が開かれ、同時に冒険・探検年報「地平線から1979」の制作が、関学探検部OBの森田靖郎を編集長に始まった。

◆報告会は毎月きちんと開かれ、次回の報告会を告知するはがきの「地平線通信」も、皆で宛名書きしながら発行し続けた。それから1年あまり、ついに最初の年報が完成した時の嬉しさは、忘れられない。サハラをラクダを曳いて進む冒険者(同志社大生)の表紙に感激し、最高の本が出来た、と思った。

◆その発刊を記念して大集会「いま地平線に旅立つ◯旅と冒険を語る二日間」を1980年11月24、25日、池袋西武デパートの「スタジオ200」(いまはない)で開いた。ふり返って、随分欲張ったプログラムだった。

◆4つのパートのすべてを詳しく書く紙数はないが、たとえば「パート1」は「体験報告・地平線を見た男たち」として、日大隊の北極点犬橇行を指揮した池田錦重、アマゾン源流通い10年、インカの新遺跡を発見した関野吉晴、世界で初めて南北からエヴェレストに登頂した登山家の加藤保男が登場した。(加藤は82年冬、3度目のエヴェレストに登頂しながら、「頑張るぞ!」の声を最後に帰らなかった。)

◆のんびりやっているようで地平線会議はこのように、時に気合いを入れながら、走りつづけてきた。1年であれほど感激したのだ。25年もやったのだから、思い切り祝おうではないか。私にとっては、それは、地平線会議を支えてくれた故人を含む冒険者たち、汗かき人たちへのお礼を兼ねた報告でもある。(江本嘉伸)



先月の報告会から(報告会レポート・294)
ハワイの引力
金井シゲ
2004.2.27(金) 新宿榎町地域センター

ワイキキの沖に夕陽が沈むと、ビーチにフラの時間が訪れる。バイアンの木を背景に砂でこしらえた舞台にかがり火が焚かれ、フラ・ダンスショーのはじまり、はじまり。

◆こうした見せものとしてのフラ・ダンスのイメージが先行し、典型的な“リゾート地”のレッテルが貼られてきたハワイではあるが、本来のフラは人前では行わない、神に捧げる聖なる踊りだ。踊りに換言されたその詩には自然への讃歌が謳われているという。

◆そう、しげさんの旅のきっかけは、フラ(=ハワイ語で「踊り」)だった。グリーンランドで見たイヌイットの踊りも、ボルネオで見たサラワクの踊りも自然に対する感謝を現すものだった。「いいスピリットというものは身体感覚でとらえ、体で表現するもの」。(なるほど踊りに魅せられたしげさんが、報告会の前に野村万之丞のワークショップに参加してきたのだというのもうなずける)続いて行ったジャマイカのレゲエは「ビートが弾(はじ)けて、わんさわんさの重労働」で、ドキドキ緊張の連続。先住民族の死に絶えた島だからか、どこか落ち着かない。それらの旅を経てのハワイであり、フラであった。

◆オアフ島でのしげさんの毎日は、泳ぎに明け、フラにウクレレの練習と「もちろんシエスタ」、そしてフラ・ダンスショーに暮れた。ハワイは「観光客も自然に優しくなってしまう」島々だった。

◆しかし、そのハワイに群れをなしてやってくる人々を見て、しげさんは思う。「今は世界中の人がくたびれてるのね」。マウイ島で会ったある日本人女性は、空港から高級なホテルに送迎され、ホテルのプールで泳ぎ、ホテルのレストランで食事をとり、「(外に出ないことが)もったいないけれど、リラックスできればいいの」と言って帰っていった。それが悪いというのではない。リフレッシュすることはとても大事なことだ。むしろしげさんが可哀相に思うのは、旅に「癒し」を求めなくてはならないほど日常に緊張を強いられていること。「本当に癒すってどういうこと? そういう方法でなきゃダメなの? 癒されなきゃ明日からやっていけないの? 日常生活の中にそれは見つけられないの?…」投げかけはそう、続く。

◆ユーモアたっぷりの“しげ節”だが、時折するりと疑問符を挟みこむ。「こんなに疲れる社会はどうしてでき上がっちゃったの?」 くたびれる社会を作ったのは、大量生産、大量消費という「欲しがらせるグローバリズム」というのが持論。人間は環境に支配される動物だからその人間を癒されなきゃならないほどに病ませた社会環境をリアルに見つめなくてはいけない。そのメッセージを「場のエネルギー」という言葉に置きかえる。“場”はエネルギーを持つ。だから、自然の中で人間が癒されるように、いいエネルギーは場から人へ、また人から人へと伝染する。邪(よこしま)な考えもまた然り。「場のエネルギー」を感じに彼女は旅に出る。

◆それにしても、と思う。120カ国も行くと、海外旅行そのものに倦んでくるのでは? 「いんや。そら、日本にだってスピリチュアルな場所はあるんだから、わざわざ行くこともないんだけどねーえ。私の旅は無駄なことなのよ。無駄。あっはっは〜」。しげさんの旅には、こうしなければならない、という切り詰めた考えはない。無駄を許容するゆとりが精神のしなやかさを生むのかな、などと、ついつい生き急ぐ私は考えるのだった。「フラフラ専門家」のしげさんの旅はまだまだ続きそうである。

◆頬がすっかり緩んだところで一転、気球の旅に挑戦していた石川直樹さんが登場。海に不時着後の恐怖の9時間を静かに語り出すと、会場の空気はたちまち引き締まった。死ぬかもしれないという場面に現実に直面したときに人は何を思うのだろう。それはこれからの彼の文章や報告で語られることだろうと期待している。続いて植村冒険賞受賞を紹介された安東浩正さん。表情はまたうってかわって本当に嬉しそうで、まさにこちらにまでいいエネルギーが伝染してくるよう。耳に障害を持ちながら次のパリダカに挑戦しようとしている田村聡さんや、「フラダンス発祥の地・モロカイ島に行っていないなんて」と憤慨するモロカイ島100キロ遠足主催者、海宝道義さんも飛び入り参加した盛りだくさんの会だった。(菊地由美子)




そういえば、こんなことも…。地平線会議1/4世紀こぼれ話

最近久々に京子夫人ともども報告会に現れた日大探検部OBの渡辺久樹兄に、近況か地平線会議誕生の頃の話を書いて、と頼んだら、以下のようなメールを寄せてくれた。25年といえばいろいろな話の種がころがっている。地平線会議の足取りを知ってもらうために渡辺君の一文にヒントを得て、しばらくコラム『そういえば、こんなことも』を連載してみたい。それにしても、颯爽としていたはずの30代の新聞記者を「入れ歯の具合を試してでもいるかのようにモゴモゴしゃべるおじさん」は、ないよなあ。(EMO)

●地平線が生まれる前のことを少し書く。1976年12月、法政大学の白馬山荘において17校におよぶ大学探検部員が集まり、「全国学生探検会議」が開かれた。3日間にわたる会議の席上、全国の探検部の拠点となるような場を作れないだろうか、との提案を受け、「探検情報センター設立準備委員会」を発足させた。まあ私をふくめた何校かの探検部員が法政大学の周辺で、しょっちゅう大酒を飲んでいました、というのが実態に近い。浅野哲哉、吉田敏浩、山田高司、河村安彦などがいた。

◆毎回、情熱と混沌の議論がつづいたが、「情報センター」はいっこうに形にならず、結局、活動のひとくぎりとして大学探検部の海外遠征報告集会を大規模にやろう、同時に各大学のこれまでの海外活動を記録にまとめよう(当時のことだからガリ版だ)ということになった。で、集会を一般にもアピールすべく、Y新聞の記者に会いに行った。山岳部OBで海外登山や極地取材経験豊富な人、というので、日焼けした精悍な人をイメージしていたのだが、現れたのは、ぼさぼさ髪の、入れ歯の具合を試してでもいるかのようにモゴモゴ喋るおじさんだった。江本さんである。江本さんは私たちの動きに興味をもつと同時に、これは学生レベルで手に負えるものではないし、探検部などという枠を取り払って取り組むべき事だ、と考えたようだ。

そこで山岳部や探検部のOBたちに声をかけ、集会に来てくれた。これが地平線会議誕生のきっかけのひとつである。ところで、先に述べた「全国学生探検会議」は実は第2回目にあたる。1回目はその10年ほど前に開かれており、それを組織したのが向後元彦、宮本千晴といった人たちで、すなわち地平線会議の創立メンバーである。なにか出会いのエネルギーが螺旋の渦をなしてずっとつながっている気がする。

◆それにしても考えてみれば、初めて会ったときの江本さんは、今の私より10も年下だったのだ。それを考えると、時の流れに暴力的なすさまじさを感じる。(3月5日、渡辺久樹)


地平線通信全号復刻プロジェクト
いよいよスタート!

●1月の地平線通信で参加を呼びかけた「地平線通信全号復刻プロジェクト」が、いよいよ本格的に動き出しました。あのあと、江本・三輪両御大をはじめ、全国の33名の方が次々と手を挙げてくださり、2月後半に専用のメーリングリストを開設。まずは85年12月の74号まで続いた葉書通信時代のものをやっつけようと、担当分を決めて、みなさんにオリジナルの葉書をお配りしたところです。久しぶりに古い地平線通信を引っ張り出してみましたが、黄ばみやシミが目立つものが多くて、あらためて25年の歳月を感じさせられました。

●手持ちのスキャナーを活用して、人海戦術で地平線通信300号分をまるごとデータ化してしまおうという、この復刻プロジェクト。まだまだ手が必要です。興味のある方は、丸山( )までご連絡ください。軌道に乗ってきたら、メールを使っていない方にもなんらかの方法で手伝っていただけるようにしたいと思っています。

●それから、この復刻プロジェクトの立ち上げに追われて、2月号でお知らせした「地平線大年表」のほうは、まだほとんど進展していません。コンタクトしてくださったみなさん、ゴメンナサイ。来月には、かなり具体的なかたちで見えてくると思います。よろしくお願いします。[丸山純]

【現在の復刻プロジェクト参加者】新井由己/安東浩正/飯野昭司/井上智/江本嘉伸/田中明美/落合大祐/尾浜良太/樫田秀樹/川本正道/菊地千恵/岸本実千代/岸本佳則/北川文夫/新垣亜美/関根晧博/武田力/多胡光純/田中勝之/中島菊代/長野亮之介/花田麿公/福井慶則/藤田光明/藤原和枝/前田歩未/松尾直樹/松田仁志/丸山純/丸山富美/三輪主彦/村田忠彦/山本千夏


〈地平線チーム211キロ走破!!〉

お台場の「船の科学館」周辺1.5kmコースをまわる海宝道義さん主催の「24時間チャリティー・ラン・ウォーク」(3月6日15時〜7日15時)に、地平線会議チームが「25周年を勝手に記念して」参加した。リレー・チームとして4人(藤岡啓、菊地由美子、尾崎理子、江本嘉伸)が、松尾直樹君が「12時間個人の部」に出走した。

◆所定の参加費を出し、1キロ走るごとに5円が小児ガンの治療に寄付される仕組み。地平線チームは1時間交代で走ったが、皆トレーニング不足といいつつ大健闘、141周(211.5km)と、昨年(191km)を20kmも上まわる成果を上げた。松尾も実に75kmを走り、当初の目標を堂々達成した。

◆以下、ひとことずつ。

「それにつけても、今日の己の姿の情けない事よ。階段が拷問機具に見えました」(翌日の松尾)

「同上。階段が…」(藤岡。60 km走った)

「私は29周だから、自分で走った分は33 kmか。実質4時間半だから去年とほとんど同じペース。でも今年の方がずいぶん楽しんで走れました。耐久レースのおかげかな」(菊地由美子。遅刻した1時間分は三輪さんが代走)

「なんだかんだ言って楽しみました。お菓子は食べ放題、寝袋でゴロゴロ最後は銭湯で締めくくり。ああ、このパターン癖になりそう(笑)寝袋買おうっと」(尾崎理子 2回目の途中から歩いたが、大変な早足!)

「わんわんのためながら、散歩が大変だった」(今回も途中2回ふたりの犬のために抜け出し、食事、散歩と世話しては、大急ぎで戻り走った江本。67.5km)

なお、高校の教え子でつくる三輪主彦チームも204kmを走る大健闘だった。


地平線ポストから
地平線ポストではみなさんからのお便りをお待ちしています。旅先でみたこと聞いたこと、最近感じたこと…、何でも結構です。Fax、E-mailでも受け付けています。
地平線ポスト宛先
〒173-0023 東京都板橋区大山町33-6 三輪主彦方
〒160-0007 東京都新宿区荒木町3-23-303 江本嘉伸方
E-mail :
Fax: 03-3359-7907(江本)

■白根全さんから『ついに、悲惨な目に・・』…2月26日 カハマルカ(ペルー)発

えもとさま江

●もしもし、ごきげんよう。日本はまだ寒いのでしょうか。今回は電話しそこね(注・例年カーニバル会場から直接電話くれるのが慣習化している)につき、メールにて実況報告。

◆今年はペルー北部のカハマルカという街のカーニバルに出撃しましたが、どうもはずしてしまったようです。まあ、アンデスらしい素朴なカーニバルというべきか、ブラジルなどと較べてはいけないというべきか、微妙なところ。すごい水かけ祭り状態で、水を入れた風船をぶつけあったり、超高圧水鉄砲で狙い撃ちしているうちはかわいいものですが、興奮してくると車の荷台や屋上から通りがかりの誰かれかまわず、ざぶざぶとバケツで水をぶちまける始末。最後はペンキまでぶっかけあうという乱チキ状態で、カメラを守るのが大変でした。

◆あげくに、カーニバル終了後に盗っ人のグループに囲まれて、金目のモノすべてむしり取られるという悲惨なめに遭ってしまいました。必死に暴れて何とかカメラバッグと撮影済みフィルムだけは守りましたが、最後は美女の婦人警官に助けられたという情けないおはなしで、なんともトホホなカーニバルでしたね。

◆このカハマルカという街は前インカ時代から温泉が有名な場所で、わずか186人のスペイン人征服者部隊が湯治に来ていたインカ帝国最後の皇帝アタワルパを謀略で捕らえ、処刑した歴史の舞台でもあります。

◆カーニバルの汗と疲れを、由緒ある温泉につかってゆっくり流すという企画でしたが、どうも企画倒れというやつだったようです。この借りはブラジルで、というわけで、これからリオの優勝パレードに憂さ晴らしをしに移動します。まあ、カーニバル人生にもいろいろあるわさーー?

◆てなわけで、戦の途中ゆえこれにて失礼。いざ、リオへ!! ZZZ-全 (新刊「カーニバルの誘惑」が評判のカーニバル評論家)


■河田真智子さんから「夏帆の写真展、いよいよ16日からです!」3月1日、案内の手紙から。

●思いがけず、夏帆を撮った写真展を3回も開催させていただくことになりました。

◆2年くらい前から、「写真展をやりたい」と思っていましたが車イスの転倒事故、誤飲による呼吸困難とアクシデントが続きました。とにかく夏帆が元気なうちに、生きてきた記録を並べてみようと思いました。もし夏帆が死んでしまったら、とても辛くて写真を見ることもできないと思ったからです。

◆写真展会場がなかなかみつからず、キャンセルの出た区民ギャラリーに急いで申し込みました。そして、ニコンサロンの審査にも応募してみました。さらに、大阪ニコンサロンでのアンコール展も決まりました。

◆とても、緊張しています。先週、夏帆が学校で高熱を出し、救急外来にかかりました。何とか入院せずにすみました。会期中、私は全時間会場にいるつもりですが、夏帆が入院になると私も病院にいます。「会場にいる」情報は、「河田真智子」のホームページでお知らせいたします。

◆去年からの夏帆の体調不良と、私の心臓検査結果の数値の高いことから無理ができず、失礼をしていることも多々あろうかと思います。どうぞ、お許しください。何とか無事、写真展開催の日を迎えたいと思っております。暖かくなりましたが、みなさまもお体に気をつけられ写真展会場でお会いできるのをお待ちしております。どうぞ、お出かけください。

★河田真智子さんの写真展「生きる喜び」は、3月16日(火)〜29日(月)の2週間、毎日10:00-18:00(最終日は16:00)、新宿ニコンサロンで。〒163-1528 新宿区西新宿1-6-1、新宿エルタワー28階(地下鉄A17出口)ニコンプラザ新宿内。TEL03-3344-0565です。(5月20日から25日にかけて、ニコンサロン大阪でも開催されることが決まりました。詳細は後に)


■藤原和枝さん インド経由東京発…「我が家は5つ星!」3月13日付けメール

●終盤に入り受難続きでしたが、3月10日無事Back to the future の飛行機にて我が家に戻って来ています。62日間約40ヶ所は結果やはりかなりハードなものでした。夜行や長時間バス (トイレ無し) 等の無理も重なり、帰途の2日前にはデリーで最大の受難血尿になってしまい、慌ててメディカル・ショップにて膀胱炎薬を処方してもらいました。幸いインドは薬屋が充実していて街には数多くあり、ドクター並みの知識を持つ薬剤師が常駐しており、今回の旅では実に3回も適切な処方薬に助けられたのです。

◆今インドの旅をあらためて振り返ってみると、何かもう一所懸命戦っていたような。安宿で眠りに落ちる時は、翌日からの新たな戦闘に備えていたような、そんな常に張り詰めた気持ちで居た自分を感じます。旅先のあちこちで道連れになった日本人は勿論、ドイツ人、カナダ人、イギリス人、トルコ人、フランス人、韓国人、香港人、アメリカ人、オーストラリア人達は皆戦友のごとき連帯感でした。

◆それに対し、経済的には勿論の事、技術的にも、情報的にも、あらゆる意味で劣勢であろうと思われるインド人達は乞食でさえも実に明るく、堂々としていて、臆する事無く知りたい事に前向きで、はたまた頼めばいつでもお世話してくれる余裕には今更ながら驚異です。正直、心のどこかに最大の経済援助国などという自負があったのですが、あの真っ直ぐな子供達の目や見詰め合った後の歓迎の気持ち溢れる笑顔など、精神的には重い問題を抱える先進国からの私は恥ずかしくなる事度々でした。物質的に恵まれている事にある意味優越感を持っている事など悠久の人間の基準からはあまりにちっぽけなのでは…なんて考えさせられています。

◆衝撃で始まった今回のインドは終わってもなお衝撃です。"アイスクリームが怖い"後遺症が抜ける頃には、また違ったインドが見えてくるかもとも思います。夜中にいきなり携帯を鳴らしたり、ご迷惑も多かったと思います。道中、旅先輩の体験談や数々のコメント等、遠く離れていても交信で繋がる友の手が暖かかったです。皆さん、ありがとうございました。(生涯バックパッカー)



■滝野沢優子さんから「アフリカ一周ばんざーい!」
 ピラミッドの前でふたりがバンザイしているイラスト入り絵葉書 3月8日、江本宅着

お元気ですか?エチオピアからスーダンの砂漠を越えてようやくエジプトのカイロに到着しました。ここは物価が安くて居心地いいです。今は日本人の溜まり場、サファリホテル(1泊120円)でのんびりすごしています。このあとは中東→インドと走り、今年中には旅を終える予定です。88000km・2年7か月・68か国、アフリカ一周ばんざーい!(3月3〜31日は日本に一時帰国しています。地平線会議の皆さんによろしくお伝えください)


■徒歩で日本最東端の納沙布岬に近づいている鰐淵歩さんから。

●おはようございます、江本さん。昨日は猛吹雪の1日となり、結局狩勝峠にて連泊となりました。でも僅かな天候回復時に見えた一面の樹氷と、眼下に広がる十勝平野の白い眺めは、冬の北海道の厳しさを知ると共に、心にいつまでも焼き付くほどの素晴らしい景色でした。(2月24日・ケータイメール)

◆こんにちは!釧路に到着しました!納沙布岬まであと146キロ。春分の日に到着目指して、もう一息です!(3月12日14時)


■中畑朋子さんから『ネパール布作りへ!』 3月10日付けメール、高山発

●こんにちは。ご無沙汰しています。啓蟄も過ぎたというのに、高山は雪です。でも、気分はもう春。冬の服はそろそろ片付けてしまいたくなります。ところで、この四月より八ヶ月間、高山を留守にします。カトマンズで染織の仕事をすることになりました。思いもかけない話が向こうからやってきたのは、ナカハタミラクルかな?

◆ネパールは養蚕の歴史が約三十年と浅く、要請があって日本から専門家が指導に行っています。蚕から糸は作れてもそれを布にすることが、またまた難しい問題。で、布にするところをネパールの方々といっしょに考えてみないかという仕事が私のもとにやってきたわけです。NGOではなくて、ガバメント系の仕事。

◆染織は、いままで一人でやってきたので、組織にかかわりながら働くことに不安もありますが、できることを精一杯やるつもり。わからないことは周りを頼ればいいんですよね。カトマンズは三度訪れています。でも、「旅」と「暮らし」とはすっごく違うだろうな。楽しみです。

◆いつもと違った町で会えるのは面白いと思うので、ぜひ遊びにいらしてください。 四月のカトマンズはもう30度を越す暑さ。今年は春を味わうことなく過ぎていくことになりそうです。(染織家)



■「関野吉晴探検資料室」がオープン!!

関野さんの故郷、墨田区文花1-3-9の「すみだ環境ふれあい館」に、グレートジャーニーで使った装備品、出会った人々のパネル写真を展示した「関野吉晴探検資料室」が開設され、2月28日、開所式が開かれた。2階の長さ50Mほどの廊下がそのまま展示場となっていて、左右の壁は、グレートジャーニー世界がぎっしり。その迫力たるや、必見の価値あり。

東部亀戸線「小村井駅」下車徒歩10分。毎日10時〜16時。入場無料。休館は月、水曜日と祝日、年末年始。詳しいことは、03-5608-6209 墨田区環境保全環境啓発担当係まで。(関野さんは3月5日からドルポに向かった)

通信費振込みのお願い

地平線通信は、皆さんの通信費で支えられています(NHK風!)。1年2000円です。きちんと継続して振り込んでくださる方もいますが、うっかり忘れたまま2、3年を過ごしてしまう方もいるようです。どうか、つましい地平線財政の負担を軽くするため継続してお支払いくださるようお願いします。万一、不要の方は一言お知らせください。振込みは、下記の郵便振替口座でよろしく。
〈郵便振替・口座番号:00100-5-115188 加入者名:地平線会議〉



国際山岳年公式報告書 山の読本『我ら皆 山の民』発刊
ヤマ・ネット・ジャパン(YNJ)発足記念フォーラム
「アジアの山の民」
日時 : 平成16年4月17日(土) 午後1時〜5時半
場所 : 日本大学文理学部百周年記念館
   156-8550 世田谷区桜上水3‐25‐40(京王線下高井戸駅から徒歩10分)
参加申し込み : 葉書で、上記所在地の「日本大学文理学部地理学科教授 水嶋一雄」までお申し込みください。(締め切り 4月9日)
電話 : 文理学部代表 03-3329-1151 地理学科 03-5317-9721
資料代 : 1000円(当日受付でお支払いください)

◆プログラム
講演「ミャンマー山岳民族〜ケシから蕎麦への転作支援〜」氏原暉男 信州大学名誉教授
講演「パキスタン山岳民族の生活・文化の変容」日本大学文理学部研究班
映像と特別講演「ネパール・ドルボの山の民を追って」大谷映芳

注・資料代で、非売品の『我ら皆、山の民』(エドモンド・ヒラリー、梅棹忠夫氏のユニークな講演、マタギの田口洋美、サバイバル登山の服部文祥ほか多彩な書き手たちが「山」をめぐって論じている貴重本)を入手できる。(ここだけの話、かなり得だと思う)



■今月の地平線報告会の案内(絵と文:長野亮之介)
地平線通信裏表紙

キルギスのプライド(MAYBE)

3月26日(金曜日) 18:30〜21:00
 \500
 新宿区榎町地域センター(03-3202-8585)

「ロシア、中央アジアは面白いよ! 観光客が少ないから、人々が旅人ズレしていなくて、ピュアなの」と滝野澤優子さん。2001年7月にスタートしたバイクでの世界ツアー。最初の目標がシベリア横断して中央アジアに抜けるルートでした。

キルギス共和国では印象的なエピソードが。キャンプ中に荷物の盗難に遭った彼女、近くの小さな町に届けました。日本人とわかると、市長の号令下、警察、KGBによる捜索隊が編成されます。5日後、キルギスの名誉にかけて見事犯人がわかり、荷が戻ってきました。「こっちがいかなければ、でき心をさそうこともなったと思うと、フクザツだけど…」。

パートナーの荒木健一郎さんとの2人旅は続き、ヨーロッパを通って現在アフリカ走行中。カルネ(無税通関手帳)更新のため一時帰国中の2人に、ロシア、中央アジア中心に旅の報告をして頂きます。

(絵師注)バイクの絵はテキトーです。実際の旅はタンデムではありません。


先月号の発送請負人:三輪主彦、丸山純、関根皓博、河田真智子、森井祐介、山本千夏、大西香奈子、松尾直樹、久島弘、江本嘉伸


通信費(2000円)払い込みは郵便振替または報告会の受付でどうぞ
郵便振替 00100-5-115188/加入者名 地平線会議(手数料が70円 かかります)


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