その先の地平線
地平線会議300か月フォーラム
前 夜 祭
2004年11月6日(土)17:00〜21:00 アジア会館

   前文
第1部 作戦会議・地平線報告会大脱出
第2部 地平線大オークション炸裂
    −−伝説のセリ人コンビ・帰ってきたぜ!アジア会館−−

●地平線報告会の“ふるさと”、新装なったアジア会館のレストランで賑やかに300か月記念フォーラム・前夜祭が開かれた。参加は、全国各地から82名。多彩な参加者が目立つ中で河田真智子さんの長女、17才になった夏帆さんが父の榊原宣芳さん、真智子さんと参加、見事な花束を代表世話人の江本嘉伸に贈ってくれ、盛大な拍手を浴びた。恒例のオークションを含め山形、モンゴルから駆けつけた、ふたりに報告していただいた。



第1部
作戦会議・地平線報告会大脱出

◆前夜祭の会場は、新装なったアジア会館。1979年9月の第1回以来、地平線報告会は毎月欠かすことなくこのアジア会館で開催されてきた。改装のため3年前に報告会の会場は牛込箪笥町区民センターに移ったが、会員制をとらず事務所もない地平線会議が25年も続いてきた要因のひとつに、アジア会館という変わらない場所の存在があったように思う。

◆前夜祭は、落合実行委員長の司会で、東京を離れて開催された報告会を語るリレートークから始まった。私事で恐縮だが、今年6月の大阪報告会に参加した後で「飯野さん、地方報告会は皆勤賞じゃない?」と聞かれた。植村直己冒険館には行けなかったので残念ながら皆勤賞は逃したが、江本さんを別にすれば地方報告会の最多参加者かもしれない。各地での報告会を思い出しながら、リレートークに耳を傾けた。

◆地平線報告会がアジア会館を飛び出して、はじめて東京以外で開催されたのは1996年8月の第201回「拡大神戸集会」。最初の報告会から200か月後のことだった。神戸集会を企画したのは、当時尼崎に住んでいた岸本佳則さん。東京にいた頃は毎月のように報告会に通っていた岸本さんは、大阪へ転勤となり報告会から離れてしまう。報告会に行けない寂しい日々を救ったのが、丸山純さんを中心にして始まったパソコン通信「地平線HARAPPA」だった。

◆HARAPPAを通じてやりとりするうちに、岸本さんのなかで「関西でも報告会を開けないか」という思いがしだいに大きくなる。ちょうどその頃、阪神淡路大震災が発生した。地平線の仲間に震災後の神戸を見て何かを感じてほしいと考えた岸本さんは、神戸でのささやかな集会を企画し東京へ説明に出向く。その結果、内輪の集まりではなく正式な報告会として開催することが決まり、東京を飛び出す最初の報告会が実現したのだった。

◆神戸集会は、200回記念大集会に間に合わなかった『DAS』の完成披露と、その製作に関わったHARAPPAのメンバーがはじめて顔を合わせた場にもなった。「東京を出るきっかけを作れたこと、電子ネットワークを使って一つのことをはじめて成し遂げたことが画期的だった」と岸本さんは笑顔で締めくくった。

◆神戸集会から3年後の1999年8月、兵庫県日高町で開かれた写真展「地平線発」に合わせて、第237回報告会が植村直己冒険館で開催された。都会から遠く離れた場所が会場で、しかも地平線通信以外ではほとんど宣伝もしなかったのに40人以上が参加した。そのなかには神戸集会のなつかしい顔もあった。

◆岡山からバイクで駆けつけた北川文夫さんは、報告会や写真展はもちろんよかったが、冒険館の芝生に寝ころんで星を見ながら夜更けまで語り合ったことや、神戸集会で地平線デビューした世界一周ライダーの坪井伸吾さん(第288回報告者)と帰り道をバイクで併走したことが印象に残っているとなつかしむ。

◆この報告会がほかの地方報告会と違っているのは、個人による企画ではなく植村直己冒険館というシステムを使ったこと、そのせいか町の人たちの盛り上がりがいまひとつ少なかったな、と仕掛け人の江本さんが後から補足した。

◆それから半年後の2000年1月、「出羽庄内ミレニアム集会」と命名された第243回報告会が山形県鶴岡市で行われた。神戸集会に参加して以来、いつか山形でも報告会をやりたいとひそかに思っていた私(飯野)が、写真展「地平線発」の開催を考えたのはその1年ほど前。はじめは写真展だけのつもりが、いつしか報告会も一緒に開催することになり、うれしさと同時に不安も大きくなったことを思い出す。

◆会場は、当時勤めていた職場の目の前にあった出羽庄内国際村。ここに併設されているアマゾン民族館館長の山口吉彦さんと、朝日村に住む鷹匠の松原英俊さんに報告者をお願いして、「狩りをめぐる地球体験」をテーマに報告とリレートークを行った。二次会は再開前のつるおかユースホステルに会場を移し、参加者それぞれが自身の旅のスタイルを語り、その後は恒例のオークション…。

◆あれから5年近く経ち記憶もだいぶ薄れたが、準備を進めていくなかで多くの人と出会い助けられたことは今でも忘れられない。先日、久しぶりに山口さんを訪ねたら、外国から来た客人を見送りそのままインドへ行くために旅立った直後だった。鷹匠の松原さんはこの夏一か月ほど南米を気ままに旅してきたらしい。初対面だったにも関わらず写真展の受付を引き受けてくれた木村喜代志さんとは、木村さん自身の写真展の会場で5年ぶりに再会した。

◆そして、松原さんとイヌワシのコンロンの送迎役を申し出てくれた山形市の網谷さん、写真展と報告会を支えてくれた池田さんとは、今回一緒に前夜祭に参加することができた。また、つるおかユースホステルの菊池良麿さんは、2年前に結婚しこの夏に星麿(せいま)くんの父親になった。あの場所を拠点として森づくりや環境教育の活動を着実に広げていることをつけ加えたい。

◆同じ2000年9月には、福島県伊南村で第251回報告会が開催された。この報告会を企画した丸山ふみさんが前夜祭に来られなかったため、司会をつとめた長野亮之介さんが登場した。「伊南村での報告会は20世紀の話で、だいぶ記憶も薄れている…」と話し始めた長野さんだったが、古い農民歌舞伎の舞台(大桃の舞台)で夜から始まった報告会は、何よりも雰囲気が面白かったと語る。

◆伊南村では青年団を中心に実行委員会を組織し、村で予算も確保するという力の入れようだった。その結果、人口1900人の村に300人もの人が集まり、しかも半数は村人たちという大盛況。「川に流れて川を喰う」をテーマにした、地元の川漁師の星さんや川と深く関わってきた地平線のメンバーの話は、会場の雰囲気と相まって自然とみんなの気持ちをひとつにさせた。

◆村営のキャンプ場に移動しての二次会では、村のお母さんたちの手作りの御馳走に感激した。その土地でとれたものを料理した人と一緒に食べるという、日頃なかなか体験できない贅沢な食事に身も心も満たされた。旨い地酒を飲みながらのオークションはいやがうえにも盛り上がり、焚き火を囲んで朝まで飲んでいた強者もいたという。そして、翌朝には前夜の報告会を伝える「河原版」が村の全戸に配布されるという早業。これにはみんな驚いた。

◆前夜祭の会場にも置いてあったが、報告会の様子はその後すばらしい報告書にまとめられた。「ふみちゃんが来ていればもっと雰囲気を伝えられたのに…」と長野さんは惜しむが、あの雰囲気だけはその場にいなくては味わえないものだと思う。

◆昨年3月の第283回「地平線報告会in四万十」はまだ記憶に新しい。この報告会は高知県中村市在住の山田高司さんたちが企画した「四万十・黒潮エコライフフェア」に招かれる形で開催したもの。山田さんも前夜祭に来ていないため、落合さんが四万十集会の様子を語った。

◆広い四万十川の河原に設置された小さなドームの中にプロジェクターを置いて、山田さんがこれまでに地球規模で行ってきた活動を報告した。その後、三輪さん、賀曽利さん、江本さん、石川さんによる掛け合いのような水談義。夜は河原に張ったスクリーンに映写をしながらのリレートークとなった。夜が更けるにつれて寒さが増していったことを思い出す。

◆この様子を落合さんがインターネットを使って同時中継。参加できなかった人からリアルタイムで反応があったことも時代の変化を感じさせた。その後、山田さんたちの活動拠点である四万十楽舎に移動。時間切れのため河原ではできなかったオークションが始まったのはかなり遅い時間になった。

◆落合さんが言うように、四国(土佐中村)は遠かった。しかし、全国各地の参加者が思い思いの手段で四万十へ向かったドキュメントを読むと、それ自体がひとつのドラマのようだ。参加するだけでなく、そこにたどり着くまでの“旅”を楽しむことのできた報告会だった。

◆四万十集会に熊本からジムニーを運転してやってきた川本さんは、「地平線会議・熊本」のメンバー。地平線会議・熊本は、地球を一周した旅人のバイクの展示会がきっかけで設立され、旅の情報交換を行う場として10数年の歴史を持つ。「地平線会議」という名前が持つスピリットへのあこがれから地平線会議を名乗っていると聞いた。

◆地方での報告会に初めて参加した川本さんは、四万十集会で地平線会議の企画力と実行する底力を感じたと言う。熊本でも写真展や報告会をやりたいと考えたがまだ実現していない、今日の雰囲気を仲間にも伝えたいという川本さん。いつか熊本で会えることを楽しみにしたい。

◆リレートークの締めは、今年6月に開催された第298回「大阪報告会」の影の主役であり、E本さんの監視役とも囁かれている岸本実千代さん。実千代さんによると、大阪報告会は目的があって始めたわけではなく、江本さんや地平線の仲間が大阪に来たときにやっていた飲み会が発展したものだと言う。

◆「『しまなみ海道100キロ遠足』の後で大阪に寄るからまた飲もう、いつもと同じでは面白くないから何か工夫して」という江本さんの要望を受けて、ミニ報告会を企画。会場もしっかりと押さえたが、南米の旅から帰ったばかりの永瀬忠志さんを報告者に迎えることになり、たび重なる江本さんの要請でもっと広い会場を探すことに…。「ぼそぼそといつまでもわがままを言ってくるので、しょうがなく会場も変えました」と実千代さんが江本さんを一睨みすると、会場は爆笑の渦。

◆大阪組のスタッフはほとんどが「復刻プロジェクト」のメンバーでもあった。2か月という短い期間にもかかわらず、東京組と連携して準備を進められたのは、復刻プロジェクトのメーリングリストをフルに活用したことが大きい。当日は、100人分用意された資料(この資料がじつによかった)が無くなるほどの大入り。地平線会議を知らずにやってきたおじちゃんおばちゃんも惹きつけた、笑いあり涙ありの永瀬さんの報告会だった。

◆準備に一年かかった神戸集会やほかの地方報告会に比べると、大阪報告会はじつに軽やかな印象を受ける。岸本夫妻を中心とする大阪組の団結力が成し遂げた技であるが、神戸集会を原点とする地方報告会がまたひとつ進歩したように感じられた。

◆最後に江本さんが話したように、地平線報告会はもっと東京を飛び出してほしい。遠いからという理由で参加しない人はいないと思うが、四万十集会がそうであったように、遠ければ遠いほど“旅”を楽しめる。各地での報告会の話を聞いているうちに、いつかまた山形でも…という気になってきた^_^;。でもその前に、九州や北海道でも誰か報告会をやってください。どこでも駆けつけます![飯野昭司 山形県酒田市]



第2部
地平線大オークション炸裂
−−伝説のセリ人コンビ・帰ってきたぜ!アジア会館−−

◆前夜祭のために日本に帰ると決断したのは、10月28日のことだった。11月5日にウランバートルで旅行業セミナーがあり、ライバル業者が参加するから欠席=営業上のダメージがあるかなぁ、とセコイ計算が働き、飛行機の便数も少ないし、チケット代も高いなぁ、300ヶ月記念フォーラムに行くのをあきらめようか、とモンモンとすること2週間。

◆モンゴルにスキャン用のハガキを持ち込み、活発なメーリングリストのやりとりで数限りなくサーバーダウンに泣いた復刻版『大雲海』編集プロジェクトを思うと、なんともやるせない。皆の力を結集して成し遂げた『大雲海』発刊記念集会をかねたこの前夜祭への「思い入れ」と「仕事」の天秤ばかりの日々。我が家には「仕事は何者にも優先する」という掟がある。事実、私は仕事で出られなかった親族の葬式は4回、弟の結婚式も欠席。んが、しかし、前夜祭に一族の掟に背いてでも出たい、出なきゃ、出るんだー!!!

◆いてもたってもいられない衝動に突き動かされたのは、地平線通信のとある情報。「伝説のセリ人 恵谷治×岡村隆が登場!」の一行。この伝説の地平線オークションを見逃せば、自分の人生は一気に負け犬道に転落だ!

◆「伝説のセリ人」というフレーズが、私の迷いをズバッと一刀両断にしてくれた。旅行業セミナーは代理出席人を見つけ、無事、むしあつーい日本に11月5日夜9時に到着。空港内で半袖着用者は私だけだった。

◆そして、翌11月6日。待ちに待ったホヤホヤの『大雲海』を手にし、制作メンバーと顔を合わせ、大いに盛り上がる。旅への情熱やピュアな感動が新生/アジア会館のレストラン会場に充満し、フェトンチッドのように私を清め、潤してくれる。むふーん。ええなぁ、地平線会議のこの雰囲気。

◆オークション出品の品揃えも豪華絢爛。♪小さなものから大きなものまで、動かす力だ地平線会議ぃ!♪目玉商品目白押し!えー、本当にいいの?日本を誇る冒険者、関野吉晴、賀曽利隆、石川直樹、安東浩正などテレビや雑誌でおなじみの面々の使用済み装備がドドーンと登場。ドイツ木工おもちゃ職人/前田あるみのオリジナル作品、東京に集結した地方メンバーの地元名産の数々。北村節子さんからは高級衣類大供出!地平線会議の行動者が足で集めた旅のお土産グッズ。岡村隆、恵谷治、向後元彦ら地平線会議創設メンバーの名著など、地平線会議でしかありえないユニークグッズオンパレードでした。さらに、アイランダー/河田真智子一家が家族そろってご参加。夏帆ちゃんの「開運!占い無料サービス」というまさにご利益満点のオマケもありました。

◆私はモンゴル西部の岩塩と、今モンゴルでブレイク中のモンゴル国産スナック「スモウ」を供出。モンゴル岩塩は近年日本でもヒソカにブレイク中のシロモノ。でも、まさか1000円以上の値でセリが白熱するとは!帰ってきた甲斐がありました。さらに、クイズ/ミリオネアにも登場し、みのもんたさんと対決した安東浩正氏のGPS(シベリア横断の軌跡記録入り!)を気合で競り落としたのも自分としては大満足。帰りの電車賃すら吐き出していたことに、財布を見て気づき、メトロカードがなければ冷や汗ものだったけど。

◆わずか2時間弱という短時間に、60点以上もの商品をセリさばいた岡村さんと恵谷さんの手際のよさと盛り上げ方は、まさに「伝説のオークショニア」の称号がふさわしい。ひとつひとつの品物に敬意を払いつつ、しかるべく値段からスタートし、着実に誰もが納得、という形でセリを盛り上げ、納めていく。時間がないからといって、投売りをすることもなく、焦ってガツガツすることもない。岡村氏の華麗な口上と恵谷氏の手際よい品物ラインアップというナイスコンビネーションの賜物である。

◆なによりも素晴らしい、と感激したのは、大阪から上京してきたシール夫妻のグッズをとても丁寧にひとつひとつ扱ってくださったこと。笑みこさんにとっては、どれも旅の思い出がしみこんだ大事なコレクション。15年以上使い込んだ夫婦コーヒーカップや10歳の誕生日から大事にしてきた宝箱などのような年代モノ、それらをきっちり心得てのセリでした。カエル帽子をかぶった岡村さんはとってもチャーミングでした。

◆素晴らしいパワーが結集した記念すべき前夜祭にふさわしいオークションは無事終了。あの興奮の坩堝の中でも恵谷さんがきっちりと記録をつけてくださっていたおかげで、その後の集計もキッチリと明朗会計であったことも特筆せねば。伝説のオークショニアのお二人、ご苦労様でした。

◆記録つけや会計にご協力いただいた岸本美千代さんと前田あるみちゃんの大阪チームと集金人の松尾君にも大感謝です。総売り上げは、143,200円なり。

◆ユニークな品々/思い出深い品々を気前良く提供してくださった皆様に感謝感激。たくさんの品々を高値で落札していただいた方々も本当にありがとうございました。[山本千夏 モンゴル住民]

オークション供出品と供出者
■川本正道/熊本ラーメン■岸本佳則&実千代/江本しばき棒(韓国製)、アイルランドのタイコ、阪神タイガースレインコート■村松直美/阪神タイガースヘルメット型ラジオ■中島菊代/石垣島特製ラー油■網谷由美子/ロシアのイヌワシの羽■飯野昭司/雑誌「北の山形」地元限定ティッシュ付き■山本千夏/モンゴル産岩塩&スモウスナック■石川直樹/もう落ちない!太平洋横断挑戦中に着用していたTシャツ、衣類■北川文夫/中国南部テーブルクロス、岡山名産きびだんご■前田歩未/あるみオリジナル手作りおもちゃクォーター3点&オリジナル携帯ストラップ■安東浩正/シベリア横断地点記録付きGPS、上海美人レトロポスターセット■金井重/サウジアラビアのコーラン目覚まし時計、秘密兵器1号■北村節子/高級スキーウェア上下セット、ショートコート、スカート、レインコート、他多数■江本嘉伸/モンゴル産馬の汗こき、カシミアベスト、ハーネス■丸山純・令子/チトラル女性グッズ、イスラム原理主義者の帽子、パキスタンのスナックと灰皿■関野吉晴/グレートジャーニー ユーラシア大陸使用のフリース上下セット、ウィンドブレーカー、オーバーズボン2点■岡村隆提供/恵谷治氏衝撃の処女作(岡村隆編集)「国境の世界」、岡村隆著「モルディブ漂流」■白根全/アンデス織物、アルパカ製布、駐日アフガニスタン臨時代理大使寄贈の一輪ざしセット■大西夏奈子/モンゴル産フェルトスリッパ■河田真智子/バリの布、コースター&ブレスレット、夏帆ちゃん開運占い(無料/大放出!)■向後元彦/「緑の冒険」オマケにビルマの卓上屏風、タクラマカン砂漠の砂と干しぶどう、国連マングローブ保全バッグ付き■賀曽利隆/中国東北ツーリング使用済みヘルメット■森田靖郎/ボリビア産サンポーニャ、ケーナ、国産尺アユ■シール・笑みこ/帽子コレクション大供出!夫婦スプーンセット、ラブラブコーヒーカップ(15年余使用!)、ビンゴであたった開運バッグ、吉野スギのコースター、10歳の誕生日プレゼントガラスの宝箱■服部文祥/パキスタンのギルギット服、インドのマドラス産ルンギ■松本榮一/インド産ショール■長野亮之介/チベット産バッグとストラップ■恵谷治/チェ・ゲバラ関連グッズ等■西澤栄里子「オーロラの写真集」■樫田秀樹/プナン族のバスケット(マレーシア産)(順不同)



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