■8月の地平線通信・285号のフロント(1ページ目にある巻頭記事)
この7月末から8月にかけて、後輩たちが次々とスリランカへ出発していった。法政大学探検部の第7次スリランカ密林遺跡探査隊(隊長=執行一利・立教大学講師)の面々だ。今年は、私がこのプロジェクトを企画して第1次隊を率いてから、ちょうど30年目になる。スリランカ中央東部のマハウェリ川の流域に、密林に埋もれて眠る未知の仏教遺跡がいくつもある。滞在していたコロンボでそう聞かされて、最初に偵察に入ったのが1969年。それから本格的に研究を進め、隊を組織して、1回だけのつもりで最初の探査を実行したのが1973年のことだった。
●それが、いざ現場に入ってジャングルを歩き始めると、遺跡はあるどころの話ではない。未発見の遺跡が次から次へと現れて、一つひとつを測量し、規模と形状を記録していくと、とても半年足らずの滞在では全貌をおさえることはできなかった。現地政府の考古局や新聞社に調査継続の必要性を説かれ、帰ってくれば、報告書作りを支援してもらった宮本千晴さんや伊藤幸司さんにけしかけられて、2年後には2次隊を、その翌年には3次隊をと出しているうちに、いつの間にか7次隊、気がつけば30年が経過していたというわけだ。
●周知のように、1983年以降のスリランカは少数民族タミル人の武装勢力による独立要求闘争で内戦状態となり、私たちも停戦期間を狙っての数年おきの活動しかできなくなった。第5次隊は調査地を島の南東部ルフナ地方のジャングルに移して6年ぶりに、6次隊はそれからさらに8年ぶりに、そして今年の7次隊は内戦終結が伝えられるなか、実に10年ぶりに現地考古局との合同探査が実現する運びとなったのだった。だがその間も、和英文並記の大部の報告書を出し、考古局との連絡をとり続け、地図上で探査方法を研究してきたことで、私たちには期間の断絶感はほとんどなかった。私自身はこの春スリランカを訪れ、本隊には参加しないが、個人的にもこの活動をずっとやり続けているという感覚でいる。
●30年。この年月が長いか短いかは、実は私にはわからない。探検の現地に行けば、10年前が昨日のことに思えるのは実感だし、10年しゃべらなかった現地語が自然と口をついて出る。だが、今年の学生隊員は、私がこれを始めてから10年後に生まれたのだと思うと空恐ろしくもなる。たかが一つの大学の課外団体に過ぎない探検部の活動を、そのままの形で30年も続けている OBがいるというのも特異かもしれないし、海外の同じ地域で同じテーマを30年も世代を継いで追い続けている探検部があるというのも他では聞いたことがない。そして、それだけやっても、まだまだ先が見えない未知のフィールドがあるということも。
●いったいこの先、私たちは何をどうすれば良いのだろう。未発見遺跡はまだまだ多く、それらを見つけてデータを集め、発掘や保存、仏教史研究のための基礎資料とする作業は確かに必要である。現地の政府や研究機関にその力がなく、国際協力が欠かせないのも事実だし、その作業が厳しい自然の中での「探検」そのものであることも事実だ。であればこそ、これからはこの事業を一大学の探検部などという狭い母体から解放して、もっと広い人材や組織で行う形に切り替えるべきではないのかとも思うのだ。
●くそ忙しい月刊誌の編集長稼業のおかげで今年の隊に参加できず、来年こそはと思う一方、秋からは某大学で「探検学」の講座を受け持つことになって、あれこれ迷いつつ想を練り始めたところである。地平線諸兄のご意見やアドバイスも欲しいところだ。[岡村隆]
地平線新刊情報(訂正) 先月号の新刊情報でお知らせした吉岡嶺二さんのメールアドレスが間違っていました。お詫びして訂正いたします。
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◆尺取り虫方式の日本五大島9600キロ周航の記録、ついに7冊目で完結
先月の報告会から(報告会レポート・287)
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サハリンの鳥居
西牟田靖
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2003.7.29(火) 榎町地域センター
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◆スーパーカブ(50ccバイク。法律用語では「原動機付き自転車」)の荷台に、一般家庭によくある半透明プラスチック製の衣装ケースがくくりつけてある。報告の冒頭に示された西牟田さん出発時の装備を写した写真だが、撮り方のせいもあってか、何だか頼りない。雪道対策でタイヤにはチェーンを巻いたらしい。これを聞いた、ある北海道出身の友人はこう言ったそうである。「北海道なめんなよ」
◆そんなわけで、今回報告された西牟田靖さんの旅は2000年1月、厳冬の北海道カブ旅行として始まった。何のための旅か? かつての恋人に会うためである。よりを戻すためにカブに跨り、一路北を目指したのである。北海道の冬は厳しい。路面は凍結している。いくらチェーンを巻いたとはいえ普通タイヤでは限界がある。西牟田さんはコケるのである。日に幾度もコケるのである。後にはトラック。轢かれれば一巻の終わりなのである。文字通り七転八倒。そしてついに、件の女性の働く牧場にたどり着いた! しかし牧場に滞在する西牟田氏に、女性は言ったものである。「はっきり言うけど出てけ」
◆「ちょっと待て、ホントにそれが始まりなのか?」江本御大のツッコミが入る。が、ホントにそれが始まりなのである。西牟田さんは泣きそうになって北海道一周に飛び出した。そして七転八倒、春まで北海道を回る間に、北方領土・サハリンという土地に興味をもつようになった。しばらく後ビジネスビザでサハリンに渡り、ここで今回のメインテーマ、戦前日本の遺構と出会う。草原にそびえ立つ鳥居。当時を知る人は、その草原にかつて繁華な日本人街があったと語る。
◆サハリンから帰ると、2001年に台湾へ。台湾では日本の足跡が土地の人によって保存されていた。一方次に向かった韓国では、神社は全て破壊され、わずかに残った鳥居の残骸は壁に塗り込められていた。それでも駅には東京駅を模した日本統治時代の建築様式が残っている。北朝鮮ではガイドという名の監視役が「旧日本の作ったものなどありませんっ!」と断言。建物は全て党が建てた、ということか。それでも往時の写真と見比べると、ちゃんと旧日本政府が架けた橋が。
◆2002年。中国満州へ。当時世界最速を誇った「特急あじあ」が風雨に曝され錆びの固まりと化しつつあった。故郷を一目見たいと泣く残留孤児の女性には、帰国後に必要な手続きを調べ書き送った。一連の旅で最も衝撃を受けたという大石橋の「万人坑」にも、このとき寄った。日本企業に酷使された中国人苦力の遺骨が累々と重なっていた。
◆2003年1月からは南洋諸島を回った。日本とまったく違う風土の中に、戦跡は溶け去ろうとしていた。うち捨てられた戦車も建物跡も、落書がひどい。旅の途中で出会った人々の「戦前日本」に対する反応は様々だったが、最も印象に残っているのはトラック諸島の夏島(デュブロン島)で出会ったルーカスさんだという。終戦時19 歳。彼にとって日本時代は若き日々のまぶしい思い出らしい。柔和な表情で戦艦大和に乗った体験など丸1日当時のことを話してくれた。
◆彼女と会うための旅が、走り続けるうちに傷心旅行から戦前日本の足跡を辿る旅へと変わっていった。旅先で何処へ行き何を見るかも、動きながら決めていった。すべて予定で決められた日常の延長で、旅に出てもつい自分を計画で縛ってしまったりしていると、西牟田さんの今回の旅が持つ自由なダイナミズムには憧れを感じる。10月に国後島を回って一連の旅に終止符を打つ予定だというが、北の島々で、こんどは何処へ行き、何を見るのだろうか。[松尾直樹]
みわかずひこの「東京の富士山登頂記」
全文は実におもしろい。「みわかずひこのホームページ」
(http://members.aol.com/kazmiwa/)で読むことができます。
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◆7月1日は富士山の山開き。この日にあわせて都内の富士山も山開きをする。「都内の富士山ってなんだ?」と言われるかもしれませんが、江戸の時代には八百八講と言われるほどたくさんの富士講があった。講の人たちは、本物の富士山に行けない人たちのために、ミニ富士山をつくって、そこへお参りをしたのだ。現在、都内に残っているミニ富士あるいは富士塚は60個ほどであるが、大きなもので標高10m、小さなものは1mにも満たない。大きなものは昔は子どもの遊び場だったが、いまは柵で囲んで入れないようになっている。豊島区の長崎富士などは重要文化財に指定されており、厳重に囲われており、山開きの日でも入れないが、江古田の浅間神社などの富士塚は山開きの日にだけはお参りができる。
◆日本百名山に全部登るのそれほど難しくないが、都内富士山に登るのはなかなか大変だ。1年に1回、7月1日しか登れないのだから、その日をのがすと翌年まで待たなければならない。それと高田富士のように1日ではなく23日が登山の日と決められている富士山もあるから、事前に十分情報を仕入れてから行かなければならない。私は6月の30日の宵宮から自転車で懸命に駆け回って、24カ所の富士山をめぐった。超忙しい登山だ。そのうちの半数以上は講が廃れているのでなんの行事も行われていなかった。しかしはじめて登って、感激した富士山もあった。以下におすすめ富士山ベスト5。
▲西向天神富士塚 新宿文化センターの裏手にある西向天神にある塚である。
▲千駄ヶ谷富士 JR線代々木から国立競技場へ行く途中の鳩森八幡にある大きな富士塚。
▲駒込富士 これは本富士という場所、不忍通りと本郷通りの交差点にちかい場所にある。
▲十条富士 お富士さんと言ったら、ここが一番人気で、縁日は脇の道路はすべて閉鎖され、屋台はズラーと並び、埼京線の線路をこえて十条銀座まで続く。…中略…
◆この他にも、江古田、小野照、品川、成子、練馬中里、などいい富士山があるのだが、それはまたの機会にして、今日の報告を終えます。都内くまなく富士登山はなかなか大変です。[三輪主彦]
◆「私がインドの美しさに触れたのは、サタジット・レイ監督の『大地の歌』を新宿の映画館で観たのが、最初だった。今から30数年前のこと、私はまだ大学生だった。…中略… インドは自分にとって『わが師』であった。今日までインドによって自分は育てられてきたと思う。私はいま病を得て、化学療法研究所の東病棟に入院している。病名は結核である」(写真家、松本栄一著「ホテル・ガンジスビュー」(現代書館 1900円+税)「あとがき」から)
◆結核!? 驚いて電話すると、7月はじめ退院していた。5ヶ月半入院、その中でまとめた本だという。20年ぶりに聖地バナーラスを訪れ、10部屋の小さなホテルに滞在して「死を待つ家」などを訪ねた時の心の記録。「はじめて時間をかけて本をつくることができました」と、入院を喜んでいる口調に安心。お大事に。[E]
地平線ポストから
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地平線ポストではみなさんからのお便りをお待ちしています。旅先でみたこと聞いたこと、最近感じたこと…、何でも結構です。Fax、E-mailでも受け付けています。
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地平線ポスト宛先
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●金井重さんから藤原和枝さんへ…2003.8.1…クロアチア発《Fax》
◆いやー、暑い暑い。アイスランドからくると、この暑さにボーッとなります。イタリーのベニスから船でクロアチアに入りました。ポレチという欧州の人には有名な観光地。海がいい街にはユネスコ御指名の教会も。この町からリイカに。隣町のオパティアもすごく名高い避暑地。しかもこの町のビーチは10数キロもすべてパブリック。よその国では一番いいところはプライベート(ホテルに泊まらないと泳げない)。
◆バスでザグレブに着いたら「日本人ですね」と声かけられました。51才、学校の用務員さん。日本に帰ってすぐハワイに行くと、ちょうど100回になるそうです。働いているから1回の旅が長く出来ないといいながら数ヶ国駆け走っています。「日本人を見たら声かけるのがエチケット」と、さすが中高年です。ガイドブックを見せてもらうことにしました。そしてまた年をきかれました。宿で鏡を見たら、なるほどとうなずきました。
「大腹小腹 ヘソ出しルックや 夏の船」
◆夕方から地平線会議の通信を印刷し発送作業をした。今年の4月から場所を新宿区の榎町区民センターの会議室を借りて、作業をしている。それまで20数年間は、あまり大きな声では言えないが、別の施設を借用していた。
◆この区民センターには立派なリソグラフの印刷機や折り機、カッターも完備している。使う人はほとんどいないので地平線会議専用みたいだ。近くには紙の問屋や封筒の問屋もある。一番いいのは作業が終わったあとに安くておいしい飲み会の場所(E本さんお気に入りの「北京亭」)。
◆いままではおじさん2、3人がシコシコと作業をしていたが、4月からは助っ人がたくさん来てくれるようになり、ワイワイ言いながら楽しく素早く作業が進むようになった。F原さん、S根さんたちのおかげだ。
◆さらに今回はE本さんが笑みこさんをよんできてくれた。彼女は世界を11年間も自転車で旅を続けてきた人だ。彼女が来るとなればすぐにすっ飛んでくるのが冒険王 Kそりさんだ。彼が来ると一気に盛り上がる。私が知り合って35年くらいになるが、その間ずーっと盛り上がり放しだ。この活力を維持するのは並大抵のことではない。さらに彼女と旅の途中で出会ったT井ご夫妻やN野画伯、ひげのT君、小田原からのY子さん、職場が近いS口君、E本さんから悪の道に引き込まれそうになっている大学生M尾くん、K地さん。
◆またまた今日も楽しい1日であった。(イニシャルの人をあてた人に何かあげます――編集長)
「障害者イズム〜このままじゃ終われない〜」
劇場公開のお知らせ |
◆ポレポレ東中野(旧BOX東中野)の新劇場オープニング番組として9月6日から10月3日まで公開されます。好評であれば公開期間を延長して上映されます。また、11月以降に大阪の第七藝術劇場にて公開です。是非、多くの方に観ていただきたいと願っています。[山田和也]
◇上映期間:9月6日〜10月3日◇開演時刻:午前10時50分
◇入場料:当日1500円 前売1300円(チケットピアで入手可能)
◇場所:ポレポレ東中野 東京都中野区東中野4-4-1
ポレポレ座地下(JR東中野駅西口北側出口より徒歩1分・駅ホーム北側正面)
◇お問合せ先:ポレポレ東中野 03-3362-0081(9月6日以降は 03-3371-0088)
◇劇場は、障害者用トイレ、エレベータ完備です。また、劇場では車いすの方の予約を受け付けています(車いす用のスペースが限られていますので、予約されることをお勧めしています)。障害者割引はありません。ただし、車いす介助者は1名様に限って無料です。
■今月の地平線報告会の案内(絵と文:長野亮之介)
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0からの旅へ
8/25(月) 18:30〜21:00
Aug. 2003
¥500
牛込箪笥区民センター(03-3260-3677)
都営地下鉄大江戸線牛込神楽坂駅真上
92年。9月から行動予定のアマゾン川筏下りを前に、坪井伸吾さんは断食をはじめた。宿便を出して体調を調えよう、くらいの気持ちだった。サンパウロにアパートを借り、パンと水だけに。やがて水のみへと進む。
「毎日1キロずつ減りましたね。水だけで10日目に、これはヤバイと思ってひと口パンを食べたら、歩けるようになった。人間の体は結構タフです!」
結局、この「準備」で自信をつけた彼は、裸一貫でアマゾン川5000キロを楽しみました。思いつくと、とことんやらないと気がすまない。常識的な情報にはまどわされない。「ひらめき」を指針に、ゼロからスタートする旅が、坪井さんのスタイルです。その原点は、大学4年の時に決行した、「人力車による東海道53次走破」でした。
以後、バイクを足に世界一周に挑戦。傍ら、各地の魚釣りに挑戦。もちろん川下りにも余力を残し……と休みなく旅を続けてきました。
今月は坪井さんに、坪井流ゼロからの旅の醍醐味を語って頂きます。乞御期待!
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郵便振替 00100-5-115188/加入者名 地平線会議(手数料が70円 かかります)
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