2003年04月の地平線通信・四万十編



ムシメガネのご用意を
書きたいことが、多すぎる!
地平線会議 in 四万十黒潮エコライフフェア
―レイアウト・松尾直樹―
文字の大きさ御容赦を

※エコライフフェア側の案内チラシなどでは「地平線会議 in 四万十黒潮エコライフフェア」となっていますが、地平線会議にとっては「地平線報告会 in 四万十黒潮エコライフフェア」です。ここではタイトルとして大きく印刷されているので、そのままにしておきます。

※写真入りの報告は、四万十特設ページに今後用意するつもりです。

[四万十川観戦記]

29日朝10時。既に広い会場に多くの人が来場している。テントは40か50もあろうか。何団体参加しているのか正確にはよく分からない。前日丸一日、山田さんらスタッフと、中学生からお年寄りまでのボランティアに支えられ整えられた会場は、好天に恵まれどこも人で賑わっている。

★三々五々地平線の仲間達が集まってくる。山田高司さんの講演が始まる午後1時までは、出展ブースを見て回ったり、食品販売コーナー「エコキッチン」で昼食を調達したり、のんびり過ごす。鰹と文旦がうまいというのが皆の共通見解だ。文旦(1個20円)ばかり大量に仕入れ、テントの下でパクつく。一応地平線の受付テントなんだから、受付の仕事もしなさいってば! ちなみに鰹を食べた食器は100円払って借り、洗って返すと100円戻ってくる(いわゆるデポジット制)さすがエコライフ。ブースは販売あり実演あり体験あり、実に多様で面白い。活気がある。

★午後1時、ドームに駆けつけると既に満員で立ち見も入りきらない盛況ぶりだ。まずは江本さんが山田さんを紹介する。登場したのは東京農大探検部時代の山田さんが江本さんに南米から書き送った1981年5月30日付けの手紙。内容は何と強盗にあって身ぐるみ剥がれた話。パンツ一丁になって皆に笑われた、以降人間に気をつけるようになった、20歳そこそこで良い経験だった、とのことである。パンチの効いた始まりだ。恐いのは人間だけではなく、ピラニアの川で釣りをし、ワニの寝床で夜を明かし、という旅であったらしい。「おまえはばかだと思っていたけど、そこまでばかと思わなかったと、ずいぶん言われましたけどね」山田さんは笑いながら話す。

★四万十黒潮エコライフフェアという事で、山田さん若き日の大冒険だけでなく、環境問題に関するスライドも織り込まれている。山田さん自身が撮った写真だが、よくこんな良い写真がと思うほど、話に対応した分かりやすい写真がある。熱帯雨林では木種が多様で、100メートル四方で同じ木を見つけるのは難しいんです。そう言って示したスライドには、お行儀良く4種類の木が並んで生えているという調子である。ある川を渡ろうとしたら、雪解けで増水した川に橋が流され、冷たい川を泳ぎ渡ったら体が固まってもうダメかと思った、これが山田さんの地球温暖化体験。「川は地球の血管。川を調べろ、地球の血液検査だ」そう言われて世界中の川に行き始めたと言うが、行き続けた理由は、鏡のような川面に空が映りこんで、上も下も空、舟に乗って空中散歩という状態が楽しかったからだという。

★「青い地球の川を旅」するのが先で、「木を植え」るのはついでだそうだ。途中「アマゾン流域は女性人口が多いから、男が行けば嫁のなり手に恵まれる。でも今日は若い人が少ないから言っても無駄か」そう言った瞬間、二十歳の私と目が合った。ボクにアマゾンへ婿入りしろって言うんですか?

★午後2時、今度は賀曽利隆さんと石川直樹さんがスライドを使って講演風の話をする。ここからは地平線会議のWebサイトで同時中継されたので、ご覧になった方もあるだろうか。賀曽利さんは一足先に四国入りし、バイクで四国を一周してきた、その成果のご披露。地元でもあまり認知されていない峠を見つけましたよ〜!といつもの調子で語りまくる。地図もメモも見ずに四国の地名がポンポン飛びだすのを見て、隣に座る三輪さんが耳打ちする。やはり賀曽利隆はすごい。

★石川さんのスライドは、Pole to Poleや七大陸最高峰、それにスターナビゲーションの写真など。今でこそ世界の石川だが、始めての1人旅は奇遇にも中学生時、坂本龍馬に会うための四国行だったそうだ。(高知県桂浜にいるのは龍馬の銅像だけで、墓は京都にあり、石川少年はガックリ来たそうだが)それから数年。今は七大陸最高峰も制覇し、ニューヨークやアフガンといった世界の最前線を旅しつつスターナビゲーションを学びつづけているとのこと。江本さんに問われて「自然と対峙して生きる力・知恵を持った人々に惹かれる」と語る様は鮮烈だ。

★講演が終わり、すし詰めの会場から出る。次は全国から集まった地平線の仲間達を紹介するリレートークだ。ドーム前広場に集まり、湿った地面にマットやビニル袋を敷いて座り込む。そこに玄米を使ったおむすびが振る舞われる。これがうまい!うまいうまいと皆パクつきながら話を聞いた。地平線の仲間は、北は山形から南は熊本まで、日本中から集まった。その詳細は地平線ドキュメントに譲るが、丸山さんの司会のもと、それぞれの出身、四万十までの経路、普段の活動などが語られ、みな思い思いの格好で聞き、和やかな雰囲気になる。いままで名前だけだった人の顔を見て、肉声を聞き、言葉を交わせた。陳腐な話だが、直接会うことは大切だ。四万十側の人の紹介もあったが、カヌー遊びを四万十に広めたという人、はた日本で唯一水泳の国際競技でのスターター資格を持つ人が登場したりした。さあこの人は誰でしょう?イアンソープもこの人がいなければ何もできないよ!そう言われて何だろうと頭をひねったが、個性的な人もいたものだ。

★一通り紹介が済んだ後、登場したのが四万十沿いに住む音楽家のATASAさん。シタールの響きが日の沈んだ河原に拡がり、女性ヴォーカル木戸さんの張りのある澄んだ声が、星の輝き始めた空を満たす。そこに篝火が持ち込まれる。放射冷却で気温が下がり、上着がある人は上着を着込み、寝袋がある人は足を突っ込み、中には就寝用スポンジマットを風よけにして、2人必死に寄り添って寒さをしのいでいる人もいるという状況だったが、篝火はかなり暖かい。皆が火の回りに集まる。暗くなるにつれ、お祭り騒ぎの気分から、ゆったりした気分に変わってくる。三輪さんが星を指さす。あれがオリオン座。大星雲が見えるかな? あっちに北斗七星。そこから左に北極星。北極星の反対側にカシオペア……

★コンサート後のリレートーク第二段はスライドを映しながら。大久保由美子さんのマナスルでの体験、北川文夫さんのザンビアでのエコツアー、飯野昭司さんは地元・山形の月光川の写真。熊本の川本正道さんは「地平線会議・熊本」創設以来の水絡みの活動を報告した。さらに賀曽利さんにも再登場していただき、石川直樹さんはチョモランマ映像を披露するはずだったが、時間がずれ込んでいたので食事をしながら、という事になる。四万十黒潮大交流会の始まりだ。みな思い思いの食べ物を取っては、篝火の周りで食べる。人気は温かい汁物だが、その他の料理も山のようにあり、美味しい。「ウマイからっておにぎり食い過ぎて失敗したよ」とボヤいたのはどなた? どれも美味しくて、量も食べきれないほどあって、同じ事を考えている人は沢山いたのでは。

★賀曽利さんは昼過ぎの講演会のスライドをもう一度。昼は周りが明るすぎてよく見えなかったし、賀曽利さんの話は一回でお終いでは勿体ない。石川さんの映像には、石川さんより1つ年下のフランス人スノーボーダー、マルコ・シフレディのチョモランマ北壁挑戦の姿が。彼はこのとき滑降に成功し、しかし満足できず、もう一度同所に挑んで帰らぬ人となった。白一色の画面に、スルスルと様子を見るようにボードを走らせては止まる若者の後ろ姿が映っている。

★かくして四万十の河原での1日は終わった。山田さんの挨拶をもって撤収に入り、今晩の宿、四万十楽舎へ移動する。時間が押している。距離は遠い。人数は多い。声を掛け合いながらの移動作戦だ。四万十楽舎の新玉さん、地平線の丸山さん、落合さんという映像スタッフ3名に下っ端アシスタントの私が最後となり、イベントに使った機材を片づけ楽舎へ移動した。

★新玉さんの車で楽舎に到着。1階入口脇の食堂では1日が無事終わった勢いで、もう大騒ぎが始まっている。ビールが配られ、ツマミの刺身が山と盛られ、河原では時間が無かったオークションが始まった! 詳細は菊地さんのレポートに譲ろう。江本さん・石川さんの名コンビに賀曽利さんやシゲさんの合いの手が入り、競りの調子に合わせてATASAさんの太鼓が場を盛り上げる。オークションが終わると1人、また1人と部屋に引き取っていったが、それでもかなりの人数が残って話に打ち興じ、最終的には朝の5時まで続いたそうだ。

★翌日ご飯ですよとの呼び声に飛び起きる。朝は慌ただしい。まず早朝出立し東京に戻る石川さんが楽舎を出る。次いで早めに会場入りしたい人、近くのトンボ自然公園に地平線写真展を見に行く人が出発。最後に残った一団は、楽舎の目玉の1つ、カヌーを体験しに行く。賀曽利さんはとっくの昔に出発したあとだ。江本さんによれば、トンボ公園組はトンボの羽化を見るという幸運に恵まれたらしい。カヌー組の菊地さんは、楽しかったよと清々しい様子で戻ってきた。かく言う私は甚だ地味ながら部屋で旅の記録を纏めていた。今でないと書けない事がある。静かな楽舎に、同じくカヌーに乗らなかったシゲさんが楽舎内を案内してもらっている声が響く。

★四万十楽舎は廃校になった小学校を改修した宿泊施設だが、敢えて小学校らしさを残してある。部屋の名前は「1年教室」「4年教室」「保健室」といった具合で、江本さんが泊まったのは「校長室」他の部屋は見なかったが、私の部屋には二段ベッドが3つとロッカーがあった。昨夜は丸山さん、落合さん、川本さんの持ち込んだ機材がコンセントを占領していた。事務所は職員室。階段には卒業生が残していったに違いない似顔絵が飾ってある。部屋の隅に置いてあった、宿泊客が書き込めるノートをパラパラとめくる。四万十楽舎は、ゆっくり何泊かすれば、また貴重な体験ができるに違いない。

★会場へ向かう時間となる。車での移動はほぼ楽舎スタッフの方に頼った。ドームに入ると、昨日とうって変わって大分すいている。これはどうした事か。今日は参加できない人が多いのか、はた昨日の話が比較的真面目でピンと来なかったか、とにかく当方としては有難い。自分用と荷物用、イスを2つ占拠できる。こんな面白い話、勿体ないゾー!

★山田さんが昨日と同様プロローグを務め、江本さん・賀曽利さん・三輪さんに繋ぐ。江本さん曰く「人間、つましくなっちゃいけないんじゃないか、もっと自分は強いんだ、賢いんだと自慢した方が良いんじゃないか」ということで、水「自慢」バトルだ。その題名の調子に相応しく雰囲気の硬さはほぐれ、愉快かつ有意義なやりあいが展開された。2人別々に自己紹介する間はスローペースだが、2人の掛け合いが始まった途端、俄然リズムは軽快になり、話は縦横に展開される。川の流れを真剣に語ったかと思えば、賀曽利さんのムチャクチャな冒険談で会場を湧かせる。江本さんと三輪さんが旅の食事についてやり合うと、それが食文化探求の話題へ繋がる。「厳密に川の源流はどこかという問題はあまり重要ではない。源流と呼ばれる場所には、そこを源流と呼ぶ人々の誇りとなるような風格が求められる」という話には、なるほど、と手を打ちたい気持ちになった。

★最後に江本さんは「四万十川は日本最後の清流と言うに相応しいか」という疑問を2人にぶつけた。2人の答えは「否」だ。四万十川は清流としては十指にも入らないという。四万十流域の方々の前でだ。会場の軽い緊張。が、賀曽利さんは続けて言う。「でもね、ここまで日本最後の清流で有名になったんだから、ボクァもっともっとその名前を宣伝すべきだと思いますよ!」清流の名を宣伝し、その名に相応しい川にしていけばよい。他の川だってそれに負けず、清流を競い合うようになればいい!四万十川へのエールを送り、地平線会議in四万十エコライフフェアは幕を閉じたのであった。(松尾直樹)


[恒例、地平線オークションin四万十川]

四万十楽舎に場所を移して、恒例の地平線オークションが幕を明けた。今回は皆さん高額の交通費を出しての参加なので、セリは少額でという前提であったが、酒が回るにつれ(?)会場のボルテージも次第に上がり、最終的な合計金額は42100円となった。私はオークションに参加するのははじめてだった。

● その雰囲気に酔い・・、いやいや、目の前にどど〜んと聳え立つ日本酒一升瓶「土佐鶴」のユーワクに勝てるはずもない私は、まともな思考回路をすっかり破壊されてしまった脳で、しかしこの極めて人間的な舞台を存分に味わわせてもらった。

●オークションは海宝さん提供の「幻のニューヨークマラソン大会参加Tシャツ」から始まり、田部井淳子さんの新刊とブランドシャツ、いよいよ残僅少!エモシャツ、と次々と進む。セリ役は江本嘉伸氏、石川直樹氏。この二人が噛み合ってたまるものか、という私の真剣なる懸念をよそに、絶妙のコンビネーションが発揮された。

●名セリ人・江本さんの一番のお目当ては、丸山さんがパキスタンで手に入れたラビスラズリの美しいナイフ。そのデザインと実用性にいきなり白熱した闘いが繰りひろげられると、獲り損なって悔しい江本さん、ビールをぐびり。さらなる激戦の様を呈したのは関野さんのグレートジャーニーグッズだろう。何かある度にウェアやらを提供してくれるという関野さんのもとに残っていたのは、最後の一枚・アンダーシャツ。そのうえ写真集5冊も。(うち2冊は四万十楽舎へ寄贈。)よき友とは「物くるる友」なり?

●一方、確信犯的に「オークションなんて知らなかった」賀曽利さんは請われてグローブを。これは正しくカソリック教徒の方の手に渡った。

●地平線の逼迫した財政のために、1円たりとも逃さず集金をしてくれた大久保さんは、カメラケースを「握手つき」で。見事、大久保ファンが競り落とす。ちょっぴり本気で欲しそうだった江本さんがさらに金を積もうが、これはきっと彼の手に渡ったんだろうな。「抱擁つき」とかいったらもっと値が上がるのかしらん。いやぁ、竹中平蔵さんも教えてくれない本当の市場経済。経済ってそういうことだったのね。

●さらにもう一品は男性ものの白いTシャツ。「通勤のスーツの下に着られる!」これはうまいことを言ったと、したり顔の直樹さんに丸山さんがぴしゃり。「会社勤めしてない人に言われても説得力ないよ!」‥まったくだ。その直樹さんは自著と解説を書いた文庫本、写真展のパンフレットをセットで。これも握手つき。「中村では買えないよ」が決め手となったか、中村在住で直樹ファンの女性がささっと手を挙げる。満面の笑みで受け取る彼女。見せつけられて、心なしか名セリ人の声が一層高まったような・・吠えるエモトにとぼけるナオキ。この二人、案外これでバランスとっているんだから。

●一瞬、会場が色めき立ったのは、岸本さんのマンチェスターユナイテッド・ボールペン。な、なんと、イングランドの貴公子・ベッカム様の生写真付き!ワールドカップよりずっと前、他の選手の誰もが出待ちのファンを無視して行ってしまったというのに、ベッカムだけはひとりひとりに真摯に付き合ってくれたそうな。このエピソードが披露されると、会場の女性陣からは思わずため息が漏れる。例に漏れず、「ベッカムってば、なんて胸キュン?」なーんて浸る私の淡いムードを一瞬にしてぶち破ったのは賀曽利さんの一声だった。あっさり落札。そりゃないぜ。賀曽利さん、その写真いったい何に使うっていうの?

●イーノさんは山形国際ドキュメンタリー映画祭のバンダナとハチミツローソクを、北川さんはザンビアで購入した「世界一お粗末なマウスパッド」を、夕暮れ時の四万十河原に美しい調べを響かせてくれたATASAさんは自らのCDをそれぞれ提供してくれた。それからそれから、しげさんのここで一句@イラク、「高知みやげに」岡山きびだんご・ようかん、熊本の海苔に『水水水こぼれ話』・・。秩序などというものはまるでない。オークションは果てしなく続くかのように思われ、夜はどんどん更けてゆくのだった。

●それぞれの戦利品を手に、宴会は明け方まで続いた。あれよという間に姿を消した三輪さんは大方の予想通り、翌朝、走って会場に姿を現した。最後まで響いたのは、この夜一番の老獪さを見せつけた賀曽利氏の高笑いだったとか。その戦果がはっきり明暗を分かつのは、日が昇って判断能力を回復してからだったりして・・。オークションというのも、これはこれで悲喜こもごもなのですなぁ。(菊地由美子)

[オークション出展一覧](すいません。記録忘れで一部のみ)
◆大久保由美子カメラケース+握手
◆関野吉晴シベリア極寒地の温かい下着+ミトン
◆関野吉晴サイン本5冊
◆丸山純ラピスラズリのナイフ/サンダルウッドのナイフ/スワート地方の刺繍入りクッションカバー
◆三輪主彦「水水水こぼれ話」
◆田部井淳子サイン入り新書
◆田部井淳子ブランドシャツ
◆海宝さん米大陸横断Tシャツ+新品Tシャツ
◆岡山きび団子・羊羹(北川)
◆ザンビアのマウスパット(北川)
◆岸本夫妻のベッカム様お宝写真+阪神グッズ
◆賀曽利ミトン
◆石川直樹サイン本+握手
◆オーロラ・ビデオテープ2本(西澤)
◆球磨川産の青海苔(川本)
◆薄型ナイフ(関根)
◆シタール奏者ATASA氏のCD
◆木戸さんのアメリカ先住民の羽飾り
◆たまごからひょっくり・キウィ(以下江本)
◆キウィ蜂蜜
◆別の蜂蜜
◆エモシャツ(わんわん絵入りランシャツ)
◆ニュージーランドの羊さん


[ドキュメント・四万十へ!!]

 遠い四万十川にどうやって、たどり着いたか。参加者たちに書いてもらった。連絡とれていない方もあり、百%というわけにはいかなかったが、40人を越える仲間たちがそれぞれの方法で中村市ににじり寄って行く過程が浮かび上がらせる世界は、地平線ならではのおもしろさである。スペースに限りがあるため、ここでは“編集長独断ドキュメント”とさせてもらうが、全文は相当膨大で、巡礼や山登りなど実はエコフェア終了後の行動も、興味深いのだ。近く地平線会議のHPに掲載させていただく予定なので、是非読んでほしい。


[3/20 (木)]
松尾直樹 飲食店バイトを終え、青春18切符で23:55の臨時の夜行列車で品川出発。タッチの差で座れず、狭い通路に座り込む。本を読んだり、ノートを読み返したり、仮眠をとったり。幾度か乗り換える。日が昇ってからはラッシュアワーの電車に苦しむ。岡山からは空いて快適な旅。瀬戸内海の島々を見つめる。ウトウトする。


[21(金)]
午後 松尾 友人の住む香川県仲南町到着。


[22(土)]
08:00雨の中、塩入駅近くの友人宅を見送りの友人と2人出発。国道32号で猪ノ鼻峠を抜け讃岐山脈を越える予定だったが、車の交通多く歩道はなく、危険なため迂回を決定。薬師峠を目指し山道に突入。体力早くも消耗。昼、雨上がる。夕方、山中で日暮れが迫る中、国道に合流。目処がついた安堵と、未だ駅に着かぬ焦りと。と、そこに犬がまとわりついてくる。その犬が、間もなく車に轢き殺される。耳の奥に呆気なく死んでいった犬の悲しげな最後の声が染みつく。次に轢かれるのは自分か、友人か。友人は国道を離れ坪尻駅より帰宅。いよいよ1人の旅路に。事故の危険から進退窮まり、国道脇の廃墟跡で野営。一時間ごとに目が覚める夜。


[23(日)]
02:30寝袋に降りた夜露が凍結。足もこわばり睡眠を断念。前進開始。06:30足が痛み意識は朦朧。池田町を抜け、三縄駅で3時間ほど仮眠。起きると国道32号は歩道もあり、快調に飛ばす。午前小歩危突破。午後大歩危突破。景勝地の景観も、あまりピンと来ない。冷めた気分で観光船を見下ろす。進むことが重要である。歩道があるかどうかが問題である。タイミング悪く栄養補給したい時に店はない。カロリーメイト。日が完全に暮れ、集落はあれど投宿できる小屋は無し。民家に助け求める。泊めるわけには行かないが、国道まで車で送ると言ってくれ、19:00車で土佐岩原駅到着。

◆石川直樹 この日、飛行機で米子へ。「せっかく高知に行くのだから、週末に滞在するだけではもったいない。以前から行きたかったいくつかの美術館をめぐってから、四万十川へ向かおうと思った」。


[24(月)]
松尾03:00起床。「22日昼からここまで、コンビニ弁当一回を除き栄養補給は全て携帯食。水ぶくれ4箇所」昼、雨降り出す。筋肉痛・靴擦れ激しく速度は時速3kmに。足の痛み激しく、温泉宿での投宿を決定。若宮温泉目指し山道へ。途中より車が載せてくれ、若宮温泉着。満室なるも、「二十歳の孫がいる」女将さんの好意で、古い離れに無料投宿。食事の面倒も見ていただく。入浴。洗濯。


[25(火)]
松尾、眠ること10時間。起床。体力・気力回復。13:00車で送られ土佐山田駅前に到着。暖かさに感動。14:00市街・田畑の間道を通り南国市に突入。四国山脈突破を実感。15:00土地の人に強く勧められ、お遍路宿に投宿。

◆早大大学院で心理学を専攻している大久保由美子、新横浜から「のぞみ」で兵庫・西宮の妹(2つ下)宅へ「2歳のかわいい甥っこにキスしまくる」

◆小田原に住む菊地由美子、日付をまたいで旅支度。なんとか準備が整ったのは出発の実に3分前。小田原発26日01:06の「ムーンライトながら」に飛び乗る。


[26(水)]
松尾05:00起床、国道195号を西進。今のペースでは中村に間に合わぬと判断、徒歩での目標を「四国縦断」桂浜到達へ変更。11:00高知市の巨大さに圧倒されつつ市街地中心に到達。県道を桂浜へ行く途中足が痛み出し時速3kmにダウン。15:30桂浜到達。日射病を自覚。16:30県道を戻り、目星をつけていた店で自転車購入。1500円也。歩いて中村まではムリとわかるが、あくまで人力にこだわった。21:00過ぎ、歩道なく危険と判断し吾桑駅に泊まろうとするも、国道を降りた直後、野犬が気配を抑え接近してくるのを感じる。距離10m以内。明確な襲撃の意図を感じる。国道に戻り、スピードを上げ追跡を振り切る。前進を決意。22:30道の駅須崎到着。23:30寒く、寝る場所もなし。駅を目指し再度前進を決意。国道はまもなく獣の気配に満ちた山道に変ず。登りで速度出ず。近くで茂みが鳴り、遠くで犬が唸る。

◆菊地、09:00前に京都駅に降り立つ。旅の計画などまるで立てず、「敢えて言うなら、朝、コーヒーでも飲みながらその日一日の予定を立てる、というのが唯一の計画」。が、半日で寺巡りに飽きる。夜は泉涌寺の宿坊に泊まる。

◆この日大久保は初めて「学会」というものを見物。神戸国際会議場で「日本発達心理学会」。同級生(双子のお母さん)の双子の研究のポスター発表を聞く。

◆15:10古山里美、会社勤めのだんなを置いてオフロードバイクのヤマハXT250で厚木市の自宅を出発。東名の厚木ICから東京ICまで高速を使い、そこからは国道246、環七、国道357を走り、17:15には東京港フェリー埠頭ターミナルに辿り着く。賀曽利隆、17:45到着。偶然にも同じオーシャン東九フェリーに。19:30出航。まもなくレストランが開くと、まずは生ビールで乾杯!

◆明治大学入学目前、探検部に行くべきか、はた山岳部か、と悩み続けている宮田昭彦「ムーンライトながら」で横浜を出発。


[27(木)]
03:00前日来ただひとり四国の荒野を行く松尾のライトが切れる。電池を替えても点かず、自転車のダイナモ灯のみが頼りに。04:30影野駅着。ライトが消えてしまったことで前進を断念。ここで寝る。しかし、08:30には起床。国道56号を西進。09:30道の駅あぐり窪川着。16:00土佐入野駅着。宿泊。丸山氏他に経過報告。

◆宮田、京都着。京大周辺でファイルを手にした怪しい二人組みが「新入生の方ですか?」と声をかけてきた。「いや違います、探検部の部室はどこですか?」と言ったら、どうも知らなかったらしく(実は不動産屋であった)この時彼らも宮田を怪しい奴と思ったに違いない。何とか自力で探検部部室を見つけ、誰もいないので書いてある番号に電話すると今日はちょうど部会で、しかも泊まらせてもらえるとのことであった。このあと国立民族学博物館へ。「結論から言うと思ったほど面白い場所ではなかった、時間がなくてあまり見ることができなかったというのもあるが、まず一番印象的であったのはビデオライブラリーに一本だけあったエスキモーのビデオであった。<文明が入り込みつつあり10年後にはどうなるかわからない>という解説をしていたが、そのビデオが撮影されたのは30年以上前であった。エスキモーを知るにはここにくるより植村直己さんの本でも読んだ方がいいだろう。俺が行ってやるという気持ちにもなってくる。山岳部か探検部で悩んでいるがますます悩む」そんなわけで夜は、なぜか京大探検部の部室に泊まり。

◆大久保由美子学会で、自分の研究テーマ「フロー理論」の提唱者、チクセントミハイのシカゴ大学での教え子、現在法政大学教授の浅川氏のポスター発表を聞く。午後は所属している「Social Motivation研究分科会」のラウンドテーブルを拝聴(先輩たちが企画)日本心理学会理事長の東氏も聞きに来て、大成功!

◆賀曽利、古山里美のフェリー、13:30徳島に着岸。賀曽利は、徳島を出発点にして「四国一周」を開始。里美は特別な予定を決めていなかったため、賀曽利の取材(バイク雑誌の企画)に同行することに。「いつもの私ののんびりペースと違ってガンガン走りまくる賀曽利さんのペースは、新鮮で楽しいツーリングとなったのです。時々、賀曽利さんがポイントの解説をしてくれるのですが、その知識には舌を巻きます。特に峠と川の水系を絡めた見方には、目からウロコでした」。途中鷲敷温泉と別府峡温泉に浸かり、18:00高知県物部村の大栃に到着。「ライダーズイン奥物部」に泊まる。(1泊3150円。走行距離151.8km)

◆寺の朝が早いことを忘れ、前夜遅くまで友人の電話に付き合った菊地由美子、早朝起こされ寝ぼけ眼で勤行に臨む。「徳ある話も、釈迦に説法‥いや、馬に念仏だった。坊さんは江本さん以上に時間を無視して話す達人だ」と学ぶ。イラク情勢が気になって買った新聞で、攻撃がバクダッドに及び、恐怖の面持ちで逃げ惑う人々の姿を見る。「なんだか気が萎えて」早々と東山のユースホステルにチェックイン。

◆三輪主彦、20:30川崎浮島港(羽田空港の対岸)からマリンエキスプレスのフェリーに乗船、高知へ。(高知便は木曜日と土曜日の2便低気圧の通過で少々ゆれたが、快適。30数年の教師生活をやめ、いよいよ自由人となる4月からの日々について考える。11420円。

◆青春18切符でつつましく愉しく四万十川をめざす決意の埼玉大生の新垣亜美、23:43品川発の「ムーンライトながら」の臨時便に乗車。一緒に行く筈だった藤原和枝が急な所用で参加できなくなり、少し心細い。品川ー中村まで、3650円。今回の参加者で最もエコノミーな手段を実行した。


[28(金)]
◆賀曽利、古山里美 05:30出発。高知へ。高知からは国道32号で大豊へ。「日本一の大杉」を見たあと、「与作国道」で知られる国道439号を行く。矢筈峠を越えて四万十川の水系に入る。全部で5本の林道を走り、18:10西土佐村の「四万十楽舎」に到着。(走行距離354kmダート49.8km「実は、この日は私の誕生日。25歳を過ぎた頃から自分の年齢なんて覚えていませんでしたが、賀曽利さんはすかさず「26歳のお誕生日おめでとう!」と素晴らしい記憶力を発揮(注:実際はこれにプラス10歳ですけど)してくれました。そして、スーパーでボージョレヌーボーとケーキを買ってお祝をしてくれました」

◆青春18切符の新垣は05:55大垣着。乗り換え時間には余裕があるのに周りはみんなDASH !  勢いあまってコケる人まで。「!?」と思いながらも、新垣もDASH ! どうやら席取りDASHだったらしい。ぎりぎり座れた。06:01大垣発。隣に座った男の子2人組と話をすると、なんと自宅(埼玉)の最寄り駅が同じ!「ここまで来たのに…世界って狭い」。2人は京都で降りる。09:28姫路着。朝飯を食べに改札を通ると、18切符にはじめてハンコが押された。10:04姫路発。11:26岡山着。11:41岡山発。快速マリンライナー25号。窓側に座り、瀬戸内海を堪能。12:22坂出着。半年ぶりに四国上陸!立ち読みした「るるぶ」に載っていた『手打ちうどん こむぎや』へ。地元の人たちで混んでいる。釜上げうどんとおでん1串食べる。「うどんはもちもちしていておいしい♪」13:27坂出発。発車時の音楽が『瀬戸の花嫁』。車窓から、瓦屋根の家が沢山見える。16:04大歩危着。大歩危峡へ歩いて向かう。途中「歩危マート」「歩危パーマ」といった看板を見る。「歩危病院」や「歩危役場」はないか探しながら歩く。なかった。大歩危峡の船乗り場まで降りてみる。こいのぼりがジャマ。吉野川のグリーンの淀みも造山運動で押しつぶされた礫岩の地層も、長い時間こうしているんだなぁ。地球は動いているんだなぁ。いつかカヌーで下ってみたい。見てるだけじゃおもしろくない。☆18:13大歩危発。藤原さんとメール。一緒に来たかったなぁ…。20:19高知着。20:58高知発。夜の海が見える。23:08終電で窪川着。疲れてすっかり寝込んでいて、駅員さんに起こされる。急いで動こうにも、足がしびれて階段が登れない。駅員さんにあきれられる。藤原さんが予約してくれた旅館へ。あまりに遅かったので、心配をかけてしまった。風呂に入って寝る。

◆松尾、06:00起床。07:00中村市到着。08:00フェア会場の位置を確認。まだ人はいない。09:00宿泊施設「四万十荘」位置確認。荷物を預ける。10:30会場に戻る。テント設営・地平線写真搬入・展示制作など手伝う。17:00宿泊施設へ。20:00疲労激しく洗濯もせぬうち寝入る。

◆09:00町田駅東口に 田中進、軽部孝治、原口祐範の69~70歳の熟年トリオ集結。3人は、世田谷工業高校時代の同級生。妻と世界一周したことのある田中のランクルで四万十川に向けて出発。東名横浜インターへ入り、浜名湖で昼食。名神高速道路より阪神高速道路へ。芦屋、明石付近で迷うも、なんとか神戸淡路鳴門自動車道路で四国鳴門市へ。「やっと讃岐うどんが食べられた」この日は、高松を経て丸亀市の民宿で泊まる。

◆三輪の乗船するフェリー、1時間遅れて13:30高知新港到着。交通の便がなく、歩いて30分で桂浜へ。そこで坂本龍馬博物館の前に置かれている竹内静夫さんの手作り潜水艦「荒天号」に対面。あとは黒潮ラインを走って中村に向かう。中村まで105kmの表示。宇佐を通って浦の内まで走り、ヒッチハイクで須崎市へ。そこからJR線で窪川へ行き、泊。

◆地平線会議初参加の西澤栄里子 長野から19:31発の電車で名古屋へ。名古屋23:00発のJR高速バス高知駅行きに無事乗車。

◆金井重 浦和駅-大阪駅-大阪港と一万円で移動(ジパング会員のため、新幹線も3割引)し、21:20発 大部屋の3等船室 ラーメン食べる人多し。好きなところへリュックを下ろし、貸毛布(1枚50円)で安らかな夢路。大人5000円のところシルバー割引で4000円。

◆3月20日に人事異動の内示が出て、120km離れた山形市へ転勤することになった飯野昭司、家さがしは弟にまかせ、この日で退職する人を見送った後、職場から車で山形空港へ。17:20に新庄を出て1時間後に空港へ着き、18:55発の大阪(伊丹)行きで定刻の20:10に伊丹空港着。空港から新大阪駅行きのバスに乗り、新大阪駅に着いたのは21:00頃。山陽新幹線に飛び乗り、22:00過ぎに岡山駅着。新庄を出てから約5時間で岡山まで来られたのだから、早い。この日は、岡山駅前のホテル泊。

◆菊地、しばらく地図とにらめっこして、嵐山方面へ。阪急嵐山駅から電車に乗って梅田、お好み焼きを食べてフェリー乗り場へ。船に乗ると、すぐにシャワーを浴びてごろんとなった。

◆迷える明大1年、宮田は、ムーンライト高知で高知へ。高知城などを少し観光し窪川のYHに泊まるつもりだったが満員。仕方なく中村の4000円のビジネスホテルに宿泊。

◆石川、賀曽利ら講演者のスライドをパワーポイント化する作業を令子夫人の協力で終えた丸山純、19:45新宿小田急ハルク前のバス停へ。上映用データをCD-Rに焼き、もしもの場合にそなえて、外付けハードディスクにもコピーして持っていくことにしたため、いつもパキスタンで使っているカメラバッグは、たった2日の滞在なのに、パキスタンに行くのと、ほとんど変わりないふくらみようだ。(※丸山注…パワーポイントではなく、QuickTimeムービーのスライドショーです)

◆すでに関根皓博(あきひろ)・五千子(いちこ)夫妻、村田忠彦、山田和也、本所稚佳江夫妻もいる。出発間際、江本嘉伸が息せききってやってきて、「ビールがない!ビールはどこだ!」。和也すっ飛び、やがてビールを調達してくる。農大探検部OBで地元出身の和也は、実は今回の黒潮エコフェアの事務局長、川村祐子の夫君と高校同級生だ。当然駆けつけるべきところ、今回は四万十には行けず、本所がかわりに参加するという。ビールの差し入れは、その気持ちだ。

◆定刻通り20:00出発。車内では映画が流れているが、江本、丸山はずっと打ち合わせとおしゃべり。ビールを飲み、おにぎりを食べる。実はもうひとり、長崎知子も江本のすぐ前の座席にすわっていた。ふと気づくと、バスが山梨県を走っているのにびっくり。てっきり東名を行くのだとばかり思っていたのに、中央高速なのだ。21:40頃、甲府盆地の北の双葉サービスエリアで停車。20分のトイレ休憩。車に戻ると、すでにカーテンが引かれていた。走り出してすぐに消灯。真っ暗になる。

◆岸本実千代、オークション用の阪神タイガーズ・グッズを買うのに20分待たされ、夫の佳則とともに、梅田に向かい、高知駅行き夜行バスに乗る。

◆京都の加藤秀と、大阪の遊上陽子は、阪急梅田発23:10の夜行バスで高知駅へ。(岸本夫妻と同じバス便か)

◆地平線報告会に“通勤”し続けている中村易世は、「人生54年目にして初の四国上陸を果たす絶好のチャンス」と、参加を決定、限られた時間をいかに有効に生かして楽しむか、いろいろ検討した結果、特急B寝台の「個室」の存在に着目。「寝台車といえば学生の頃、帰省の度に乗った二等寝台のカーテンで仕切っただけの三段ベッドしか経験がなく」行く前からワクワク状態。東京駅発22:00「サンライズ瀬戸」(岡山で出雲行きと高松行きに分かれる)に乗車。→29日坂出着07:08 坂出発08:03「しまんと3号」→中村着11:53という予定だ。ところが、前日に風邪をひいてしまい、寝台車ではゲホゲホでほとんど眠れず、坂出に着いた時はフラフラ。待望の讃岐うどんも食欲ゼロでパス。中村までの約4時間の列車の旅も、高熱で朦朧として、車窓の景色を楽しむ余裕もあらばこそ。

◆2日前に妻を四万十に向けて送り出した古山隆行は、17:30から20:00までその年に退職する人のための送別会に参加。2次会の誘いを断り、新宿から東京駅へ。22:00発高松行き夜行列車”サンライズ瀬戸”に乗る。特急券だけで乗れ、横になれる席があるのがいい。乗り込んだら、すぐ横になり快適のあまりあっという間に寝てしまった。


[29(土)]
“熊野古道案内人”として知られる超長距離ランナー、小森茂之は、和歌山県田辺市の自宅を00:00、車で出発、約2時間で和歌山港に到着。港に車を置いてフェリーに乗り2時間で徳島港に着く。そこから徳島駅まで歩いて1時間。後は徳島線、土讃線、土佐くろしお鉄道を乗り継いで正午ころ中村に着き、歩いて12:30ごろ会場入りした。兵庫県日高町での地平線報告会以来の参加だ。

◆14:30「地平線会議熊本」の川本正道、愛車のジムニーで熊本の自宅を出発、阿蘇から波野村を経由して大分に抜ける国道57号線をひたすら東へ向かう。ここは10年前、地平線九州横断平和マラソンでリレーマラソンした道路。事前にインターネットで調べていた時刻表をみて臼杵に向かい、ぎりぎり間に合ったと思ったら、出航まで2時間もある。さらに北上して佐賀関へ向かい、20:00すぎ、四国西端の港、三崎港へ。そこから四国の西海岸を南下。途中坂道でアクセルを踏んでも車がなかなか進まず苦労する。国道56号線に沿う形で八幡浜、宇和島、宿毛を経由し、150kmほどで中村市へ。

◆岡山の藤田光明は02:00起床。急いで福山港のフェリーターミナルまでバイクを走らせる。04:00福山港を出港。1時間45分の船旅。1時間半は寝られるはずだったが、船に酔ってしまって全くだめ。バスや鉄道を避けたのも、実は、乗り物に弱いためだ。05:45ヘロヘロになりながら多度津に上陸。善通寺ICから高速。豊浜SAでとりあえず朝食。讃岐といえばうどんということで、370円のきつねうどんを食べる。南国SA08:00頃到着。須崎東ICまで50kmほど。最終の須崎で降りると、後はR56をひたすら走る。'91年に日本一周した際、四国を通ったが、その時と比べると「歩きお遍路さん」が非常に多い。

◆高知駅行きバスの中で丸山純は、2時間ほど寝た。3時近くに江本がトイレへ。まるで飛行機のトイレみたいな、小さなアルミ製の便器。江本はラジオでイラク情勢を聞く。フセイン大統領の演説が予定されているのだ。ゆっくり夜が明けてくる。05:30過ぎにアナウンスがあって、香川県の豊浜サービスエリアに到着。ようやく足を伸ばせた。小さな谷をいくつも貫く道を走って高知市内に入り、19:00高知駅に到着。江本、丸山、関根夫妻、村田、本所、は駅ビルの喫茶店に入り、コーヒーを飲む。JRの指定席を買ったりしてすごし、関根夫妻以外は20:19の特急あしずり1号に乗る。3両編成で、指定席はわずか20席。乗車するとすでに、大阪からのバスで着いた岸本夫妻が座っていた。

◆大阪発夜行長距離バスの岸本佳則・実千代は、06:00過ぎ、高知駅到着。特急の乗車時間まで約2時間観光を楽しむ。はりまや橋付近は、06:30頃にも関わらず観光客や掃除のおばさんで賑やか。天気はよいし桜は満開で散歩には最高。はりまや橋は昔は欄干しかなかったはずが、今はきれいな公園に整備されて人工の水路もある。「ぼんさん、かんざし買うを見た」の石碑の前で記念撮影。心地よい散歩の後、特急に乗ると何と江本、丸山がいた。しばしの談笑のあと、丸山は夕方の部から担当する司会のための材料を用意、ついでに高知に到着したことを、地平線HPにメールで伝える。途中の駅で本所の義母(山田和也の実母)が乗車。「山田高司のファン」と紹介される。10:00中村駅着。石川直樹が同じ列車から降りて来た。美術館めぐりを思い立った石川は、島根県立美術館の森山大道展、その次に鳥取の植田正治美術館、さらに香川県直島にあるベネッセミュージアム、最後に丸亀の猪熊玄一郎美術館に立ち寄り、この日高知駅で江本たちと同じ列車の自由席に乗り合わせていた。四万十楽舎のスタッフの平野三智らが2台の車で駅まで迎えに来てくれ、そろって会場へ行く。河原に下る坂道の上で、長い杖を持ち、おんぼろ自転車を押して歩く憔悴しきった若者がひとり。あれっ?あいつどこかで見た事あるぞ、ええと、ええと、あっ、松尾ではないか!

◆関根晧博、五千子は江本たちと別れ、高知駅でレンタカーを借りて巡礼開始。清滝寺、岩本寺を経て、昼食を東京より持参したパンで済ませ、14:00会場着。(帰路は、22寺を巡礼した)

◆加藤、遊上は、高知駅06:35発四国土讃線で窪川へ。ここで土佐くろしお鉄道に乗り換え、11:13中村駅着。13:00会場へ。

◆東京・町田からランクルを飛ばしてきた田中進、軽部孝治、原口祐範の3人は、この日丸亀城見学してから、高松自動車道路、高知自動車道路を経て14:00ころ中村市の会場に着く。

◆時間があれば、つっ走るか、温泉に浸かっている賀曽利隆。この日も古山里美とともに四万十樂舎を06:00出発。四万十川の支流、黒尊川沿いに走り、源流の峠へ。そこで折り返し、西谷林道を往復したあと、玖木山林道で宿毛へ。国道56号で中村に着くと、四万十川の河口の下田港と対岸の初崎港を見る。11:30中村に到着。四万十温泉の「サンリバー四万十」の湯に入り、中村駅近くの食堂で昼食を食べ、会場入り。(走行距離210km、ダート32.7km)

◆フェリーひとり旅の金井重は、06:30高知港着。目の前にバスが待っていた。06:50発の中村駅行きバスに乗る。乗客10人。10:20中村駅着 バス代2510円

◆青春ひとり旅の新垣は08:00起床、09:20旅館発。岩本寺へ。お遍路さんが大勢いる。8分咲きの桜がキレイだ。10:13窪川発。四万十川と穏やかな海を眺めつつ11:13中村着。「早くもおみやげの栗焼酎を買う」。12:30会場着!

◆窪川泊まりだった三輪主彦は、まずJR線で大正駅へ。そこから四万十川沿いに昭和を通り、十川橋まで走る。時間をみてヒッチで江川橋まで行き、そこから四万十楽舎まで走り、ヒッチで中村の会場まで。健脚と車の助けで開会になんとか間に合った。(丸山注…江川橋は江本さんのミスタイプ。正しくは江川崎です)

◆落合大祐は05:00起床。あわてて熱湯をポットに入れて、歯を磨いて家を出て、出発5分前に東京駅に着く。「のぞみ」は満席。「週末なのに出張、どうにかしてくれ、と目が訴えているサラリーマンばかりで、殺伐としている。とても四万十へ遊びに行くと言えるような雰囲気ではない・・」岡山で高知行きの「南風」号に乗り換え。車体や車内の天井にアンパンマンとその仲間たちの絵が描かれた行楽列車で、子供連れも多く、ようやく気分が解放される。途中高知で「あしずり」号に乗り換えて中村駅に着くと、そこは陽光の降り注ぐ南国だった。駅前で道を聞いているバックパッカーに「地平線の方ですか?」と声をかけられ。一緒に赤鉄橋の河原へ。脇目も振らずに相当早足で歩いたのに同じペースで一緒に来たのが大久保由美子であることを後で知った。

◆大田区立郷土博物館に勤務する北村敏は、28日夜岡山で旧友と邂逅、29日07:20の特急「しおかぜ」に乗車、多度津で「しまんと」に乗り換え、12:00直前に中村に到着。3月23日(日)に6週間の会期で担当していた勤務先の企画展示「六郷用水・歴史探訪」を終えたばかりの北村は、今回のテーマ「水」に強い関心を持っている。中村は3回目だ。

◆連日仕事に追われ、睡眠不足気味の友人同士、尾崎理子、橋本記代は、羽田発08:30 - 高知空港09:50着の全日空機内で爆睡しつつ高知空港着。バスで高知駅に出、「あしずり3号」11:59-13:36中村着。「確か、今から思うと、列車には大久保由美子さんも前のに・・」。2人でタクシーを飛ばし、14:00には会場へ。

◆大久保由美子、千里丘から大阪へ移動。岡山まで「のぞみ1号」そこから「南風1号」で高知まで。中村までは「あしずり3号」中村から会場まで地平線会議人とわかる元気青年と、てくてく歩いていく。落合大祐だった。

◆サンライズ瀬戸内の古山は、06:00には起き、瀬戸大橋から眺める瀬戸内海を楽しみ、高松で中村に行く特急に乗り換え、12:00前にようやく中村に到着、賀曽利隆と走りまわっていた妻里美と駅前で再会した。中村市内を歩いて、12:00過ぎ、会場に到着した。

◆岡山のホテルで一泊した飯野は、06:15フロントで岡山大学の北川文夫と合流。駅前のコンビニで朝食用のパンなどを買い込み、駅のロッカーに荷物(スーツ)を預けて出発。岡山駅発07:04の列車に乗り、坂出駅で特急「しまんと3号」に乗り換える。瀬戸大橋を渡りながら、巨大な構造物を造り上げた技術力の高さについて、しばし北川と話す。13:24に中村駅へ着き、駅から歩いて会場に向かう。途中聞き覚えのある声がした。金井重だった。

◆ひとり気まま旅実行中の菊地由美子は、29日06:30高知着。目の前から出ているバスに乗って中村へ。「途中の雄大な山々の風景に癒される」。中村に着いたのは10:30頃。「会場までの道は、歩き出すと思ったより長く、途中でうどんを食べた」

◆西澤栄里子は08:40に高知駅に到着。「多分皆さんも入られた高知駅内のあの喫茶店で」朝食を摂って時間をつぶし、10:11発「四万十10号」で中村へ。車中、もう何回も歩いて四国遍路の旅をしている岡山在住の50代の婦人と話をかわす。病院の痴呆病棟で介護ヘルパーの仕事をしており、教えられるもの多かった。11:53に中村駅に着き、そこからタクシーで赤鉄橋下河敷まで向かい、昼過ぎ会場に無事到着、今回の件でメール交換していた江本、丸山と初対面。

◆横浜市内で会社勤めをする長田乾は、28日夜、横浜から寝台特急で坂出まで行き、特急で29日朝、高知へ。町を見物し、昼食も取ったあと、特急で中村に到着。「周遊きっぷ、特急乗り継ぎ割り引きを利用したので少し安くなった」。

◆そのほか、“小賀曽利”を自認するライダー、三重県の北川直樹、今回は車で参じた大阪の藤原延興、さらにHP「カソリ・オン・ライン」を制作している高藤惇は2日目に参加、南国市から駆けつけた佐々木健二、山地真一といった「カソリック教徒」の現場参加が目立った。

◆古山夫妻の知人、福岡の吉川綾子も飛び入り参加。「誰かに誘われたわけでなく、久しぶりに週末の天気予報が晴れだということでバイクで遠出したくなったこと+高知県の桜が見頃+賀曽利さんのHP上でエコライフイベントに出るとあったことというように条件が揃って」顔を出したという。

◆わずか1時間の参加のため、わざわざ大阪からとんぼ帰りした者もいる。賀曽利隆の冬のキャンプの常連、大阪在住の鰐淵渉は、土曜日の仕事を終えたあと21:20大阪南港発の『高知特急フェリー』に乗船。30日(日)06:30に高知到着。高知港から県道34〜県道36〜国道56経由で08:51に中村駅前に到着。しばらく近辺をツーリングした後、11:00頃会場入りし河原で仮眠。12:00頃から会場の探索を始め、賀曽利と再会。「賀曽利さんの花粉症対策にと持ってきたナツメも無事渡すことができました」。賀曽利三輪のバトルを聞いた後、15:40に会場発。国道56〜国道32〜国道192経由で、徳島到着は20:55!徳島ラーメンを食べてから21:45の和歌山行きフェリーに乗船。23:45和歌山到着。そこから国道26を一気走りして、31日01:12に無事帰宅した。「そのまま曝睡して、06:30いつも通りに起床して、いつものように会社に出勤したのでした」脱帽。


◆30日朝、一足先に帰京した石川直樹がこんな感想を書いた。「中村では、尊敬する地平線の大先輩・山田高司さんとはじめて会うことができた。山田さんのスライドショーに先駆けて、山田さんが今のぼくと同じくらいの年齢のときに書いた手紙を、江本さんが読み上げたときには、なんだかこみ上げてくるものがあった。爽やかで気持ちのいい文面だった。賀曽利さんを交えてのトークショーから夜のオークションまで目一杯楽しませてもらい、次の日の朝、ぼくは後ろ髪をひかれながら、東京に戻ることになる。2日目が終わるまで参加していたかったのだが、新宿で開催していた写真展が30日に終わるため、撤収を手伝わなくてはいけなかったのだ。四万十川沿いのあちこちに咲く美しい桜を眺めながら、山田さんの御兄さんに駅まで送ってもらった。車中で四万十川に住むアカメという魚の話を聞き、その大魚が悠然と泳ぐ姿を想像していると、途端に川に表情が現れてくるから不思議だ。いつか、伝説のアカメが住むこの川を源流から河口まで旅してみたいと心底思う。高知から新宿に着いたのは夕方5時ごろで、最終日の写真展会場には駆け込みのお客さんが大勢来ていた。1日の終わりが近づき、帰宅途中に近くの夜桜を見ながら、四万十川の水面に写った揺れる桜を思い出した。春の始まりはいつの年も、少しせつなく、そして何かを後押ししてくれるような清々しさに溢れている。夜風にあたりながら、ぼくは家路を急いだ。」


(文責 江本嘉伸)



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