2003年03月の地平線通信



■3月の地平線通信・280号のフロント(1ページ目にある巻頭記事)

地平線通信表紙2月末、中村市に行ってきた。飛行機で高知空港に降り立ち、バスで高知駅まで小1時間走り、ここで時間をつぶして特急「南風3号」に乗る。特急といっても、3両連結ののどかなものだ。指定をとったが、座席数は20ぐらいしかないのではないか。ちょうど1時間で窪川という駅に着く。中村まであと2時間あまりあるが、ここで山田高司が待っていてくれたのだ。上流の窪川から四万十川を見つつ、道中ゆっくり話しながら行こう、というわけだ。

◆地平線会議をはじめた頃、東京農大探検部員だった山田からは、地球のあちこちから便りをもらった。発信地は、オリノコ、アマゾン、ラプラタの南米三大河川であったり、アフリカのセネガル、ニジェール、シャリ、コンゴ川の流域であったりした。

◆その後、西アフリカのチャドに住みこんで、5年間も木を植えつづけ、いま、故郷に帰って、四万十川のほとりで仕事をしている。一昨年秋、山仕事を通じて知り合った栃木県出身の女性と結婚し、いまではやがて4ヶ月になる長男、龍樹君の父親である。

◆長男の命名に山田高司の思いが出ている。龍というと、すぐ土佐の英傑、坂本龍馬を連想しそうだが、川の主の龍、樹はもちろん、山田が植え続けてきた木のことなのだ。龍の存在に象徴される「のびのびした遊び心」が好きだ、と昔から山田は言っていた。チャドの砂漠の植林の現場から一時帰国した際には、地球環境のために‥なんて大それた気持ちじゃないです、楽しいからやってる、とよく口にした。

◆サッカーを楽しんでもらおう、とバイリという村で、村人たちのチームを結成したことがある。でもボールも、靴もないんですよ、と東京に帰った山田から聞き、「ヴェルディ(「緑」の意味だ)川崎」というサッカー・チームに頼んでみた。そしたら、ボールだけでなくユニフォームを2チーム分もらえることになり、大喜びしてアフリカに帰った。やがて、「ヴェルディ川崎」のユニフォームを着たバイリ村の人々写真がアルバム1冊分送られてきたが、あの時の山田の笑顔をよく思い出す。

◆四万十川流域14市町村が連携してエコライフォーラム計画が持ちあがった時、中心となる地域の人たちは、環境問題、エコロジーといった真面目なテーマを中心に据え、実行しよう、といろいろ苦労されたらしい。流域が香川県の面積を持つのだから、連絡を密にとることも大変だったようだ。

◆やがて山田高司に実行委員長の役まわりがまわってきた時、普段は温厚な山田は、まず、そういう目的のためにも、遊び心が必要なのではないか、と熱をこめて語ったらしい。〈地球の風を四万十川に〉というキャッチフレーズで、地平線会議に是非来てほしい、と呼びかけがあったのは、その後のことである。「四万十川の森と川と海の暮らしは、まわる地球につながる」と、山田は書き、四万十川で是非、地平線報告会をやろうよ、とけしかけていた私は、即座に行くべし、と決心した。

◆地平線報告会は、これまで震災後の神戸、山形県の鶴岡、兵庫の植村直己冒険館、会津の伊南村などでも開いてきた。こういう活動は、東京だけのものではない、できるだけ動くことがいいのではないか――ある時期からそういう思いが強まっている。ただし、そこに炎を持つ人が少なくともひとりいれば、の話である。

◆地球はもちろん、四万十川に限らず、日本のあちこちに、こんなに多くの知らない世界があり、人々の暮らしがあることに驚くことがいまでも多い。知らない世界との出会いは、いくつになってもどきどきして楽しい。

◆3月29、30日、四万十川のほとりで何を知るか、夜、新顔を含め地平線会議の面々とどんな話が飛び出すのかー思いきって、出かけることもまた冒険なのだ、と思う。では、四万十川で!![江本嘉伸]



先月の報告会から(報告会レポート・280)
虹の向こうに異郷が見える
野々山富雄
2003.2.28(金) 牛込箪笥区民センター

◆元気な男の子なら、誰でも一度は夢に見たことがあるだろう冒険の旅。それも、昼なお暗い密林に奥深く分け入り、神秘の湖にすむという怪獣を探し出そうというのだ。そんな危機迫る探検を、本当にやってしまったのが、ノノさんこと野々山富雄さんである。大学卒業を控えた1986年のことだ。

◆会場に現れたノノさんはアフリカの民族衣装姿。彼のDNAは間違いなくモンゴロイドであるはずだが、その違和感のなさに、会場の皆は一瞬にして新宿区民センターからアフリカ中央部コンゴ(現ザイール)の密林の奥地へ、幻の怪獣探検の旅へ、と連れ出されてしまったのである。

◆そもそも、ノノさんの目指した怪獣とは、コンゴ奥地に何万年も前に隕石が落ちてできたらしい円形の湖レテパ湖に住むという「モケーレ・ムベンベ」だ。現地の目撃者によれば、中生代の恐竜の代表格、あの首長竜らしき姿をした動物であるらしい。モケーレ・ムベンベとは「虹と共に現れるもの」という意味だそうだ。

◆駒大探検部のノノさんと早稲田探検部10人からなる11名の探検隊は、36名のポーター達に1ヵ月分の食糧を分散し、マラリヤ、ツエツエバエなど毒虫に脅え、腰まで浸かる湿地帯を半日がかりで抜ける苦難の旅を開始した。しかし、最大の苦難は、どうやら終始「食べもの」の問題であった。せっかく用意した食糧の数々は、道程の先々でポーターたちによって少しずつ消えていってしまい、それを補うべくポーター達が槍や鉄砲で取った猿、野豚、カワウソ、鰐、大蛇ボアまでを「燻製にして」食べざるを 得なかったのである。

◆湖の畔の見晴らしの良い場所に設営されたキャンプからは、常に望遠カメラが向けられて、隊員が片時も離れることなく交替で見張る毎日。しかし、ムベンベは一ヶ月の間ついに姿を見せる事はなかった。

◆ノノさんの人生は、この後も、次々と数多くのユニークな冒険をつないでゆく。農大探検部との中国長江下りや象使いの弟子になってみたりなど少年の頃の夢を実現する日々を送ってきた。とりわけNGOスタッフとして参加した、アフリカ・チャドのサハラ砂漠南部の地、サヘルでは急速に砂漠化する現状を目の当たりにして、緑化運動の必要性に強く心を動かされたという。

◆砂漠化の大きな原因である地元民による燃料用樹木の大量消費。熱効率を考えた「改良かまど」の普及が当面の仕事だったが、緑化には、子供達の世代から意識改革をしなければならない、と思いついたのが、紙芝居だった。自分で絵を描いた“ムベンベの母子物語”を、この日特別披露してくれたが、野々山富雄という人間の優しさが一枚一枚の紙芝居からにじみ出ているようだった。

◆ノノさんは現在、屋久島に居を構え、プロのガイドとして日本の誇る屋久島の自然を観光客に案内している。住まいは、6000m2に及ぶ彼所有の斜面の土地に建てられた手作りの家だ。もう食べたりはしないだろうが、屋久島には猿や鹿、ネズミ、モグラ、イタチなどの動物が生息し、樹齢7200年を誇る(ノノさんの説では多分3000年弱)縄文杉に代表される屋久杉や、亜熱帯のガジュマルなど、幅広い生態系が展開する。自然が満喫できる島のトレールはノノさん特有のユーモアたっぷりガイドによって、違った時間が流れる世界を体験できるかもしれない。そのうち、ここに子供達を集め冒険教室をオープンする予定があるとか。

◆破天荒な冒険人生を送ってきたノノさん、メガネの後ろにあるその目は、自然の動植物をこよなく愛しかつ見守っている何とも温かい優しさに満ちた瞳なのである。[元祖バックパッカー、現地平線受けつけ専門官 藤原和枝]



地平線ポストから
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●森田靖郎さんから…2003.2.18…東京都目黒区発《E-mail》

◆パソコンを初期化しすべてのデータを失って筆?無精になっていました。このたび、ホームページを開きましたので、見てください。 http://home.catv.ne.jp/kk/ymorita/です。 新刊情報(「スネーク・シャドウ」朝日新聞社、「TOKYO犯罪公司」講談社)や新聞報道など単純なものです。

昨年、秋に国連で「人間密輸(ヒューマントラフィック)」の講演し、28カ国の代表とシンポジウムをしました。その後、合気道で国際有段者の資格を得て、海外師範の道が開けました。バンブーのロッド(釣り棹)とバンブーのケーナ(フォルクローレ)で地球ドサ回り中で、フィッシャーマンズワーフでは路上コンサートに参加し、22ドルのチップを得た代わりに「みかじめ料」40ドルを土地のヤクザに取られました。合気道も二人の大男には通じず、海外師範の道は遠いようです。いま、初めての「小説」に取り組んでいます。


●鈴木博子さんから…2003.3.5…クェッタ発

◆フンザには行けなかった…。結局ペシャワールからどうしてもフンザに行こうと、不通のカラコルムハイウェイを諦め、ミンゴーラ、ベシャームとパキ人の「問題なく行ける」を信じてギルギット(フンザまでの道の途中の街)へのもう一つの道をトライしてみた。しかし、いざベシャームに行ってみると、「行けない」「ギルギット?行ける。行ける。崖が崩れてるけどね」「1時間後に行ける」「明日、明日」10人に聞けば10通りの答えが返ってくる。明日を待ち続けて何日になるのだろうか。パキに着いて何回「フンザに行けるか」聞いた事か。何人の人にこの道の状況について聞いただろうか。英語が通じない田舎町ミンゴーラやベシャームで苦労して「ギルギット!」という単語を何度叫んだことか。その度に私は喜び、そして落胆し、完全にパキ人に振り回されていた。

(中略)しかし結局のところはっきり言って、途中の街まで行ったのにも関わらず“開いているのかわからない”のだった。人によって言うことが全く違う為だ。本当に疲れた。空喜びし、ピンディに帰ってくる途中には「今ギルギットからきたんだ」というパキ人に会うし、もう何がなんだかわからなくなった。明日は結局来なかった。(中略)フンザがなんだ!ともう北を諦め、南はクエッタに来たというわけだ。

◆それにしてもクエッタは寒い。乾燥している。列車に乗っている途中から、長いこと砂の大地が続いていたのだった。岩がゴツゴツした荒野というか、風と砂の砂漠というか、うまい言葉で表現できない。自分の中に感じている感情を、目の中に思い浮かばれる光景を伝えたいのに表現に乏しくてできない。もどかしい。言葉が体の中から出てこればと願うばかりである。

自分の手の皺の一本一本が白く浮き立ち私の手を硬直させている。砂漠からくる空っ風が街全体を埃っぽくさせている。独りという状況も重なって、寂しさをどうしても否定できない。パキスタン最後の街としてはちょっと感傷しすぎる。少しおいしいものでも食べて元気を出そうと思うのだが、やはり今日もカレーになるのであろう。


●田中雄次郎さんから…2003.3.7…「あおそら牧場(北海道天塩郡豊富町)」発《Fax》
…東京農大卒業後北の大地に移り住み20年以上酪農と戦い続ける三輪主彦さんの教え子

◆江本さん、大変ご無沙汰しています。お元気ですか。三輪先生の弟子、田中雄次郎です。毎月の地平線通信、気合をいれて読んでいます。〈三輪主彦氏の卒業を東京の海辺で祝う会〉のこと、何としてでも出席、参加したかったのですが、年中無休の酪農の仕事に都合つけられず残念です。ただ、8月に出来たら弟子仲間数人とお祝い会う実現したいと北海道で企画しています。三輪先生に「祝電ファックス」をここにひと言。お願いして申し訳ありません。『先生、ご苦労様でした。高校を卒業してひたすら肉体労働に励むうち本当に体力がつき,そして知力も確かについて来ました。ありがとうございます。脚力は必ずいつか先生がまだ元気なうちに再逆転します。8月お待ちしています。』

◆江本さんのご活躍、多方面から伺い、いつも驚いています。すばらしいエネルギーですね。まだまだ若輩、浅学な自分に力を頂いています。此の頃の私は悩み病める日本の近代酪農と戦っているつもりでいますが、まだまだもがいてもいます。宮本常一先生から「日本型酪農を考えろ」と言われたことをしきりに忘れまいとしています。いつか江本さんも気晴らしになるかわかりませんがいらして下さい。お元気で。


●川村祐子さんから…2003.3.7…高知県中村市発《E-mail》
…四万十・黒潮エコライフフェア事務局長。文中「この人」とはもちろん山田高司さんのこと


◆今から1年3ヶ月前この計画が私のところにまわってきた。「実施主体は県」だという大いなる思い込みととんでもない勘違い、そこからスタートした。

◆ほとんど途方に暮れる中、ある会でその人を見つけた。このフェアの基本理念にしようと考えていた今では手垢にまみれた言葉、でも私は信じている「Think globally, Act locally」という言葉。心の中で「この人、この人だよ」と叫んだ。しかし、彼は開口一番、「俺はエコはきらいだ!」。そうだよねぇ、アフリカの生死をみてきた人にとって、“何がこの能天気な日本でエコだ”と私は勝手に解釈し、このことを心に留めておいた。

◆そして1年が経ち、年明けととともに突然、ローカルの回路もこの流域でつながりはじめ、グローバルの回路も「地平線会議」とつながった。

◆私達、この流域の民は、森、木、川と共に、ローカルにこの地にふんばって生きている。でも、私達は日常本当にはそれらを見ようとはしていない。だからこそ、私達もあなたがたも宇宙からこの地を見るまなざしで、196kmの蛇行をくり返す四万十川のもとにお互いつどいあい、一緒にこのエコフェアをつくりあげていきませんか?


●安東浩正さんから…2003.2.20/24…家族に届いた英文メールから一部を抜粋

◆凍ったバイカル湖の南端から北端まで自転車での縦断を達成、北のセーベロバイカルスクに到着しました。バイカル湖上のサイクリングは、ただただ素晴らしかった。ここは小さな町ですが、郵便局、インターネットカフェ、写真屋などがあります。偉大な自然だけでなく湖畔の人々との交流が素晴らしい。

セーベロバイカルスクでは、テレビ局の取材を受けました。それが放映されたらしく、走り出したら、途中で皆が車を止め、私の写真を撮りたがる。テレビで見たのだという。テレビ局にテープをくれないか、お願いに村に自転車を置いていったん、列車で町に戻りました。これからレナ河沿いにヤクーツクを目指します。



【速報】〈三輪主彦氏の卒業を春の海辺で祝う会〉

前日にスタートして三輪さんも教え子と参加した「24時間チャリティラン・ウォーク」終了後の3月9日夕方、船の科学館で開催されました。参加したみなさんからの“お祝い”スピーチや、北海道の田中雄次郎さん、岡山の北川文夫さんからの祝電、山形の飯野昭司さんから送られてきた日本酒の贈呈などで、おおいに盛り上がりました。出席者(⇒)は三輪ファミリーを含め50人にのぼりました。

海宝道義/津川芳巳/原健次/田口幸子/中山嘉太郎/下島伸介/宇都宮貴吉/城定睦/香川澄雄/成田耕一/中原道高/武田力/井口亘/張替純二/関根皓博/桜井恭比古/永井淳/高島愛文/池田なみ/太幡圭吾/岡田慎太郎/宮本千晴/向後元彦/向後紀代美/江本嘉伸/関野吉晴/野地耕治/賀曽利隆/神長幹雄/久保田賢次/金井重/丸山純/丸山令子/花岡正明/杉田晴美/丸山富美/落合大祐/村田忠彦/相川弘之/水野麻子/菊地由美子/和田真貴子/松尾直樹/山田研也・涼子/三輪恒平・知子/三輪倫子/三輪主彦

「地平線報告会 in 四万十」の案内は、こちらへ。




■今月の地平線報告会の案内(絵と文:長野亮之介)
地平線通信裏表紙

我武者羅西遊記
ヤル・ツァンポーに挑むの巻

3/24(月) 18:30〜21:00
 Mar. 2003
 ¥500
 牛込箪笥区民センター(03-3260-3677)
 都営地下鉄大江戸線牛込神楽坂駅真上

「一度やると決めたから、途中で投げたくなかった。最後の方は意地でしたね」とハードな旅を語るのは、早大探検部OBの角幡唯介(かくはた・ゆうすけ)さん。東チベットに位置するヤル・ツァンポー大峡谷は、19世紀半ばからヒマラヤ探検史に登場します。その核心未踏査部に単独で挑み、トラバースに成功しました。

在学中の98年に偵察行をして以来、念願の旅でしたが、現地入り後も波乱つづき。コミュニケーションがとれるのは片言の中国語がわかるポーター一人。大雪に降られたり、10メートル滑落して立木に激突したり。それでもめげすにじりじりと目標に迫る気力には目を見張らされます。

この4月から朝日新聞記者になる角幡さんに、今月は登場してもらいます。

角幡さんのHPアドレス
http://www.ne.jp/asahi/marukaku/expedition/


通信費(2000円)払い込みは郵便振替または報告会の受付でどうぞ
郵便振替 00100-5-115188/加入者名 地平線会議(手数料が70円 かかります)


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