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ナイル川の南の最源流点は、ブルンジにある。ユーカリ林の目立つ丘陵状の山並みを見下ろす尾根に、場違いの石積みの小さなピラミッドが作られ、その下部に穴があり、水が湧き出していた。と遠い記憶の中にその風景がある。
●「I'll come back to here for Nile」と紙に書いて、フィルムケースに入れてその穴の石の隙間に置いた。1987年の12月のことだった。もう随分前の話になってしまった。
●'85年に「青い地球一周河川行」の第一弾「アフリカ河川行」をセネガル川河口から始めて、ニジェール川、シャリ川、コンゴ川とカヌーで航行して来て、タンガニーカ湖ブルンジ対岸までたどり着いた。その後のナイル川は、当時ウガンダ、スーダンが内戦中で一旦中断した。それは長い長い中断になった。アフリカでは、パワフルな自然とエネルギッシュな人々に圧倒され力をもらった。と同時に「飢えるアフリカ」と呼ばれる飢餓地帯、森林破壊、砂漠化の進行する現状も見た。
●話は飛ぶが、かつて高校野球児だった頃、練習、試合の前後には必ずグランド整備をした。地球を庭のように遊ばしてもらうにも、庭掃除くらいしておかんといかんやろ、と考えた。ややこしい事は考えたくもやりたくもない。森が減っている。木を植えることは単純。サヘル植林一直線の高橋一馬大先輩と出会い、'91年から5年間チャドで土地の人達と木を植え続けた。住んでみたアフリカは川からは見えなかった奥の深さの光も闇も見せてくれた。
●よし、次はナイル。源流で木を植えながらいずれカヌーを進めようと思いたったのが1986年。アフリカに最初に旅出た時は、計画が終わらないまで日本に帰らないつもりでいた。しかし何をやるにもベースがいるようだと鈍い頭も気がついた。いい森と川と海と暮らしが繋がっている所にしよう、と日本全国見てまわったら四万十川になってしまった。故郷に近かった。
●ナイル源流通いを続けながら四万十川で山仕事がベースになった。2001年からは(社)四万十楽舎と言う体験宿泊施設の副楽長になってしまった。過疎高齢少子化の日本の田舎では、40代はまだ若手、いろいろな役職がまわってくる。目が回りそうだ。のんびり田舎暮らしなんてもんじゃない。男の子まで作ってしまった。名前は川と森の力と癒しに恵まれるように龍樹とつけた。
●ナイル源流で中断して以降、迷走混迷の中と移るかも知れない、自分でもそう思うときも多い五里霧中だ。ここ四万十川で日々、森と川と海に遊び、接し、案内しながら想いはいつも宇宙から見た地球にはせている。
●つねづね暮らすように旅したい、旅するように暮らしたいと願っている。その時その場で出会う人と自然に情は移る。森羅万象に多情多恨だ。痛む自然があれば何とかしたい、傷ついた人がいれば助けたい、とできないのに思ってしまう。尊敬するジャーナリスト恵谷治さんと同席した時、「取材対象に情は移さない」と言われた。その意を誤解しているのかもしれないが、プロだと思った。そして自分には無理だとも思った。
●そんなこんなで、四万十・黒潮エコライフフェア(3/29、30)の実行委員長に祭り上げられてしまいました。高知の特性か人間とはそうしたものか、エコでなくてエゴではないかと思うくらいやる気のある人々の中にも激しい綱引きがあります。そんな中での調整役のような役回りで、昨年末はつかれはててダウンして地平線の江本さんにはすっかり迷惑をかけました。四万十川でおもしろ楽しい暮らしをしている人たちの集うフェアになればと思っていますが、何しろ寄せ鍋状態であけてみなければ分からない状態です。「地平線会議in四万十」としてこのフェアの目玉にと考えております。パネリストは賀曽利隆さん、石川直樹さん、ほか、です。
●私自身、一番興味があるのは、命と生きること、環境はその一部としてあるだけです。ですから環境を前面に出して片意地はって活動している人より、地球の隅々まで体験し、その楽しさ美しさを元気に伝えていただきたい、とお二人にお願いしました。地球の風を四万十川に吹かせて下さい。[四万十・黒潮エコライフフェア実行委員長 山田高司]
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長田幸康 |
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◆チベットの専門家と言われる長田さん。本人曰く本業はライターで仕事に占めるチベットの割合はわずかとのことだが、自己紹介では5冊のチベットに関する著作が紹介された。地平線報告会ではチベットの辺境に関する報告はあったが、区都ラサに関する話はなかったという。この日は渡辺一枝さんを始め100人近い聴衆が集まった。
◆長田さんは'87年からチベットに行き始め、4年前からは夏の間ラサに滞在して観光客を案内している。'99年の中国の統計ではチベットを訪れた外国人旅行者は約11万人、その内日本人は1万人程度だ。実質は5千人とも言われ統計自体があやしいのだが、とにかく外国語としての日本語の需要は多くない。そんな中日本語を話せるチベット人ガイドが2人誕生した。通称「かずえ」と「やすお」。しかし語学力や勤勉さの点で漢人のガイドに引けを取るという。
◆'97年に「セブンイヤーズ・イン・チベット」が公開されてから、若い観光客が増えた。しかし「セブンイヤーズ」や「クンドゥン」は、長田さんに言わせればチベットらしくない映画だ。今年1月から上映中の「チベットの女」は、チベットで撮影されただけあって違和感が少ないらしい。それでも細かい部分はいろいろ気になるので、もう一度見てあら探しをしたいと笑っていた。長田さんの話を聞くのは初めてだが、わかりやすい語り口と謙虚な姿勢に好感を持った。
◆スライドは「チベットらしい」写真から始まった。放牧用の黒テント、丘の上のゴンパ、立ち並ぶ僧坊…。一見昔から変わらないように見えても寺院のほとんどは文革後の再建だし、僧坊は現代の事情に合わせて造り方が変わっている。そしてラサの写真。ピカピカのホテルに隠れてポタラ宮が小さく見える。車の往来が激しい道路や、何十棟も連なる箱型の集合住宅。ポタラ宮が写っている以外は中国の他の都市と変わらない。街路には椰子の木のイミテーションが立っている。黄色く塗られて夜になると光るらしい。この街の都市計画はどうなっているのかと長田さんは嘆くが、チベット人が自慢げにここへ案内してくれることもあるという。以前より派手な看板が目に付くのは、広告代理店が台頭しているから。ポタラ宮の前では中国国旗を掲揚して武装警察官のためのお祭り行事が開かれる。そういえば以前、ポタラ宮の階段で水着女性のコンテストをやっている写真を見て度肝を抜いたことがある。
◆このように急速に変わるチベットを見ていると、外国人として哀しい思いにかられることがある。中国はひどいと思う。しかし話はそう単純ではない。チベット人自身の問題もあるだろう。そして何より突き付けられるのは、僕たち自身の問題だ。今の日本は河口慧海が生きた頃と比べてどれくらい変わったのだろうか。日本人は自国の文化や伝統をどれだけ切り捨てて、新しいものに変えていっただろう。その自覚と反省なくしてチベットの変化を哀れむのは滑稽だ。長田さんの写真と話はそんなことを考えさせてくれる。
◆'92年に千人程度だった漢人のチベット旅行者は、'99年には34万人に膨れ上がった。沿海部の裕福な漢人は、日本人や欧米人より豪快に買い物をしてゆくという。そのため漢人が好む派手な土産物が増えている。チベットの商売人たちは、外国人より漢人を相手にし始めている。チベット自治区に滞在する漢人の人口は、チベット人の人口を上回るという統計さえある。漢語のチベットガイドブックが多数出回り、漢人の旅行者の中にはチベット文化を尊重する人も増えている。様々な意味で漢人のいないチベットは考えにくくなっている。
◆スライドの最後に河口慧海の修学塔と、西川一三のデプン寺僧坊が写されて第二部の対談へ続く。江本さんからチベットを目指した十人の説明があり、最近出版された「チベットと日本の百年」の話しが入る。この本は長田・田中夫妻がレイアウト・装丁まで手掛けた2人の作品でもあるのだ。第二部は時間が30分しかなかったため、十分なやり取りを聞けなかったのが残念だった。また全体を通してチベット初心者を対象にしていたので、ディープな話を期待していた人はもっと聞きたいという感想を持ったかも知れない。2回目を期待したい。
◆地平線のよさは講演会だけでは終わらない。二次会では「旅行人ノート チベット」の裏話や、長田さんがプー太郎から現在に至るまでの軌跡、早すぎた(?)結婚の話などお聞きすることができた。日本ではチベットが元気になっていることを感じた一夜であった。[梅里雪山を愛する写真家 小林尚礼]
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〒173-0023 東京都板橋区大山町33-6 三輪主彦方 〒160-0007 東京都新宿区荒木町3-23-303 江本嘉伸方 E-mail : / Fax: 03-3359-7907(江本) |
●金井重さんから…イラク(11月27日〜12月8日)、インド(12月12日〜1月13日)と、相変わらず自由奔放の旅に明け暮れる女流マルコ・ポーロ
◆イラクは個人ビザを出しません。5人以上の団体ビザだけ。参加者が7人集まり(女は私ひとり)、通訳、ガイドなど総勢12人がバクダッドを中心にチグリスを渡り、ユーフラテスに沿って南から北を走りました。ホテルの食事は朝だけ。昼と夜は街の中で。ラマダン中でしたが、探すと必ずあいている店があり人々でいっぱい。人々はヒゲ面ですが、おだやか。とこまで行っても食料品は店でも食堂でも豊富です。この平和いつまで。祈るのみです。
◆しんしんと フセイン空港 月の下/空っ風 カメ棺の鳴る ウル王墓/朝霧の チグリス渡る 町も霧
●大沢茂男さんから…長野県松川発
◆第24回初泳と奉仕の旅、悪天候とシェルパの体調悪化に依り、無念の涙と感謝の涙で決断し4200mの地点より撤退しました。我が人生の遙かなる夢、八拾路の春をヒマラヤで迎える事が出来ましただけでも珠峯の女神、そして心温かい皆様のの応援の賜と衷心より厚く御礼申し上げます。政治情勢も世界で一番素晴らしい国と信じて24年、今日の激変に只々驚き、言葉になりません。只々一日も早く元のネパールにもどることを祈るばかりです。そんな中、心温かい奨学支援に邑子が大変喜んでくれたことを御報告申しあげます。今後も残余の人生を邑子に捧げて燃え尽きます。一層のご指導のほどお願い申し上げ、御礼の言葉にかえさせて頂きます。
大沢さんはご存知のとおり、地平線会議が発足したころから毎年元旦にエベレストの5400mにあるゴラクシェップ湖の氷を割って初泳ぎを続けている。冬の時期にここまで登るのも、また氷を割るのも、気合いもろとも飛び込むこともものすごい。80歳の今冬も松川の自宅プールで泳ぎ、毎日135kgもの荷を背負って訓練を続けている。自宅のリンゴ畑は珠峯公園に衣替えした。エベレスト街道のリンゴの街路樹は大沢さんのお手植え。ネパールの子どもたちのために奨学金を送り続けている。[三輪]
●角幡唯介さんから…2003.1.19…チベット発《E-mail》
◆12月の15日に東チベットのヤルツァンポ峡谷探検に出てから、約一ヶ月間現地に滞在し、探検してました。当初の目的である峡谷部未踏査地域の単独探検を行うべく、ガンランという村を出発し、僕は単独で世界でもっとも険しく、そして謎に満ちた峡谷に潜り込みました。初日に淵を高巻き中、滑落したり、ビバークしたりと散々な滑り出し。4日目に突破不可能なゴルジュに到達し、2日間困難なブッシュの急斜面の登攀で高巻こうと努力しましたが、結局荷揚げがうまく行かず、一度ガンランに敗走しました。
◆今度はポーターを雇い、98年にアメリカ人探検家イアンベーカーにより到達されたヒドゥンフォールから下流の未踏査地域の探検に出発しました。途中でポーターと別れ単独で峡谷を踏査中に対岸に洞穴群を発見。この辺りは外国人はおろか、地元の猟師もほとんど足を踏み入れない峡谷の心臓部。この洞穴群はひょっとして、イアンベーカー氏が血眼になって探しているチベットの伝説にあるペマコへの入り口ではないかと思い、対岸からこの洞穴群に到達すべく急いで雪山を超え、ガンランに帰って来ました。ポーター代が払えなくなったので一度ラサに戻り、明後日再び大峡谷に向います。ペマコとは東チベットの峡谷地帯のどこかにあるといわれる伝説の桃源郷で、ジェームズヒルトンの「失われた地平線」はこのヤルツァンポ峡谷を舞台に書かれたとイアンベーカー氏は考えています。
◆なんか、インディジョーンズみたいなことになってきてとても楽しいです。洞穴に2000歳くらいの老人がいて「待ってたぞ、選ばれし者よ」なんて言われたらどうしましょ。
●原健次さん…宇都宮発/武石雄二さん…札幌発
◆4月中旬からポルトガルのリスボンからパリ、ベルリン、ワルシャワ、ミンスクを通ってモスクワまで、ヨーロッパ8カ国、5230
kmを64日間で走る国際ウルトラランニングレース、「トランス ヨーロッパ フット レース」に参加します。1日80kmを64日間、1日も休みなく走るレースです。レースに参加中に自分が着用するランニングシャツを作成中です。素材はフェニックス社の最高級品で、着心地、洗濯後の乾燥は抜群です。多めに作成しますので、ご希望の方にはお頒け致します。2月25日までに申し込んでください。宇都宮市清原台6-31-26 原健次
大原さんは世界的な大メーカーの超エライ技術者さんですが、このレースを走るために2月で退職します。昨年はアメリカ横断走で武石雄二さん、下島伸介さんが退職しました。草分けは海宝道義さんで、10年前大手企業を退職しアメリカを横断しました。超長距離を走るというのは職をなげうつほど魅力的な行動なのでしょうか。私など凡人には解らないのですが…ちなみに全員私と同年代のおじさんです。[三輪]
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「四万十・黒潮エコライフフェア」に来たれ!! |
四万十川流域の人たちが企画した「四万十・黒潮エコライフフェア」に、地平線会議が参加する。エコフェアは、高知県四万十川流域の14市町村にまたがり、香川県に相当する面積に広がる地域の人々が声をかけあいながら、準備を進めている壮大な計画だ。
流域の人々がさまざまなパートに分かれて意欲的な企画を準備中で、地平線報告会は、その中核イベントとなる。3月29日14時〜16時、賀曽利隆、石川直樹、江本嘉伸が登場する予定だが、それだけではない。東京から、大阪から、さらに多彩な顔ぶれが参集し、夕方から四万十川の川原で、おいしいものを頂きつつ、地平線会議メンバーと地元・四万十の民との大交流会が開かれる計画だ。テント泊も可。3月30日14時〜16時も、地平線会議メンバー総出場の、あっ、と驚く企画が‥。
また、久々に、写真展「地平線の旅人たち」が公開される予定。アクセスなど詳しいことは、さらに次号の通信で。
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◆前号フロントでご本人が宣言した通り、三輪主彦氏が、3月いよいよ教職を卒業、本邦初の「科学ランニング・しゃべり家ライター」になります。「体力をつければ知力はついて来る」と、高校生たちを騙し続け、地平線会議を支えて四半世紀の、異能教師の晴れの卒業を祝い、意表をついて山ではなく、初春の海辺に、賑やかに集まろうと思います。
■日時3月9日16時〜18時
■場所品川区東八潮3-1、船の科学館内ホール
■会費 3000円(予定)
■申し込み2月末日までに、ファクス 03-3359-7907、または、メールで江本あて
◆三輪氏は、前日の8日から海宝道義さん主催の「24時間チャリティラン・ウォーク」に教え子たちと参加、9日15時まで、1キロの周回コースを、交代でぐるぐる走りつづける予定です。時間がある方は、早めに来て応援してあげてください。どんなお祝いの会になるのか、想像もつかないが、お楽しみに。
虹の向こうに異郷が見える 屋久島でプロのネイチャーガイドをしている野々山富雄さん(40)は、駒沢大学探検部出身。ガイドとして年間1000人以上を島の自然に案内する傍ら、6000平米の土地に自力で家を建てました。ここを拠点に環境教育の実践をするのが夢です。 |
郵便振替 00100-5-115188/加入者名 地平線会議(手数料が70円 かかります) |
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