2003年01月の地平線通信



■1月の地平線通信・278号のフロント(1ページ目にある巻頭記事)

地平線通信表紙アケオメー、コトヨロ! これが今年の高校生たちの新年メール。わかりますか? 改めて、地平線会議のみなさま、あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

◆関東地方は快晴と報じているのに、ここ尾瀬岩鞍スキー場は猛吹雪。強風でゴンドラ、リフトも止まった。横殴りの雪が氷の塊のように顔をたたき、痛い。ゴーグルも凍り付き前が見えない。生徒たちはまだ滑りたい様子だがこんな時は宿に帰って温泉に入るのが正解。ゲレンデではまだスキーヤーがウロウロしている。スキー場だから安全管理がされているだろうと勘違いしている。テレビは白骨温泉の近くで多数の車が雪崩に埋まったと伝えている。ケガ人がでたかと思ったが、皆無事だった。

ふつうは雪崩に巻き込まれたら車は流されて押しつぶされる。このニュースで雪崩にあっても車の中にいれば安全などと思う人が出たら困る。今回は奇跡的に運がよかっただけだ。気象状況をみて、どう行動したらよいか判断する力が弱い。通行止めになっていないから大丈夫と人任せにしてはいけない。スキー場でも同じことだ。自然に対する状況判断が甘い。

◆4月からアメリカの高校生が我が家にホームステイすることになっていた。その高校では日本の修学旅行のような形でやってきて、日本人家庭に数日間泊まって異文化交流をするという。これはなかなかいい企画だ。日本の修学旅行は、団体でディズニーランドやハウステンボス、USJ見学で終わりというのが多い。これじゃあんまり教育にはならない。アメリカの高校がうらやましいと思っていた。

ところが、まもなく戦争が始まるので、そのプログラムは中止になったとの連絡が入った。どうやらアメリカはすでに臨戦態勢に入っているらしい。日本政府はノー天気にイージス艦など派遣したが、本当に戦争が始まったらどうするのか。だれも本気でアメリカに協力する気はないくせに、一応ポーズだけは示している状況だ。このままではまた湾岸戦争の二の舞になる。何らかの覚悟が必要なときなのに。国際情勢への状況判断が甘い!

◆昨年は2人の日本人がノーベル賞を受賞した。すなおに日本の教育の成果だと喜んでいい。小柴さんと田中さんは親子ほど年齢の差がある。それぞれ違った教育制度のもとで学んだ人たちだ。学校制度なんてどのように変えても、できの悪い奴、よい奴は出てくる。文部省は詰め込み教育より「ゆとり」が大事と考え、反対の声が多かったにもかかわらず教育改革を実行に移した。その結果土曜日は休みになったが、総合学習、情報など必修の新科目が増え、1日の授業時間数を7時間にしても国語、数学、理科の時間は減った。当然従来の学科の学力は低下する。そんなことは学校にいれば分かり切っている。良いということではじめた改革だが、もう新改革を言い始めている。

理念も何もなく場当たり的に制度をいじっても何の解決にもならない。大人の皆さん、もっと子どもたちに向きあってくれ。机上の報告書や数字を見ても、子どもたちの考えが分かるはずはない。山や海など自然の中へ連れて行き、同じ釜の飯を食えば少しは、彼らのことが分かる。子どもたちに対する大人の状況判断はきわめて悪い。

◆私も状況判断の狂いはじめている中高年の一員だ。しかし自分がちょっとおかしいぞということは自覚している。このままでいるととんでもない状況がやって来そうな気がする。大それた考えだが、大人の状況判断力低下に歯止めをかけるために、大人のための講座を開くことにした。題目は「文化としての科学」(ここはどこ!私はだれ!――宇宙と地球と人間の歴史――)。月1回で1年間を企画している。私が長年高校生に対し説き続けてきた言質をもっと広げようというものだ。

といっても一人で始めるので誰も寄りつかないかも知れない。しかし本人は楽天的で、すでに講座第2弾「足で考える日本列島」を企画している。忙しくなりそうなので、学校の先生は今年度限りで引退することにした。状況判断が甘いかも知れないが、今後ともよろしく。[三輪主彦]



先月の報告会から(報告会レポート・278)
東北アジアの森の民
田口洋美
2002.12.27(金) 牛込箪笥区民センター

◆前日まで諦めていたのだが、深夜になって、ふいに東京行きを決意、仙台の職場から報告会に直行した。20分遅れで会場に入れた。地下鉄の階段を一段飛ばしに来た身に、暑すぎる暖房。汗が吹き出すけれど、スライドに映し出されているのは、厳寒の世界だ。

◆北緯70〜65、凍てつく大地。凍った川にいくつもの穴を開け、網を入れて魚を獲る。大変な労力をかけた割に、ほんの少しの魚しか得られないが、生の魚からビタミンをとるためなのだという。北緯50〜45の沿海州。そして日本へと、北方民族の狩の文化は「のどちんこがたれるように」のびているという。トナカイを使った猟や、各地の罠がスライドで紹介されていく。罠の作りは、遠く離れた地でありながら、驚くほど共通している。

◆日本のマタギ文化の紹介に入ると、山形出身,在住の私になじみの山の写真、なじみの地名が出て来て、なんだか単純に喜んでしまう。各地にマタギ集団がいたのは知っていたが、秋田のマタギが新潟県秋山郷まで出稼ぎに行っていたというのは知らなかった。そのルートにある山里に罠などの文化も伝わったのだろう。

◆休憩をはさみ、第二部は賀曾利隆さんも加わり、二人の熱弁の応酬。クマ猟について熱く語る田口さんに、賀曽利さんから「なんで西のイノシシもやらないのか」とつっこみが入った。西は遠いだの、西は荒くて閉鎖的などと田口さんが理由を挙げるが、賀曽利さんは納得しない。さらなるつっこみに田口さんは「イノシシはおもしろくない」と。正解! 当人がなにをおもしろく思い、なにに惹かれるか、それは当人以外にわからない。どんなに過酷な世界でも、惹かれればどこまでも追いかけてゆく人に見える田口さんですから、先にあげた理由は理由になってませんね。

◆ああ、それにしても時間が足りない。ロシア狩猟採集民だけでも一回、日本のマタギの話だけでも三回くらい、それぞれにまとまった時間がほしいところ。毛皮は売れなくなり、猟師たちの高齢化も進んでいる。狩猟圧が減り、東北ではクマが増えている。しかし、山は自然林が伐採された後に餌がとれない杉が植林され、しかも手入れがされていないところが多い。餌が不足するから、クマはうろつく。そして、人は自然志向で山に入りこむ。事故が増えて当然か…

◆ロシアの狩猟採集民は、生計の道を断たれ、どうなってゆくのだろう。森にいれば,知恵と経験と技術で必要な物を手に入れることができるのに。そして、誰のものでもない森や大地は、誰が守るのだろう? 日本ではとっくに山での狩猟採集で暮しをたてることはできなくなっているが、季節ごとの山菜採り、山を駆けて獣を狩る楽しみは、お金を出しても買えないものではないかと思う。日本の山や海も、今後、面倒を見る人がいなくなることが大きな脅威になっていくという、田口さんの言葉をどう受けとめるか。開発と言う名の破壊と、自然保護という名の囲い込み。そんなものではなく、もともと日本人はもっと賢く自然を利用し、自然とともに生きてきたはずなのに…と思った。[月山依存症のOLで不良主婦?の 網谷由美子]



●冬季シベリア横断中の安東浩正さんから
1月10日夜、長いメールが届いた。
予定していた原稿は急遽、
次回以降にさせてもらい、
稀有な2輪の旅の報告全文を掲載する!

あけましておめでとうございます。シベリアの真珠と呼ばれるバイカル湖近くのイルクーツクにたどり着きました。旅を大きく2ステージに分ける中間の街にやっと行きつくことができました。

◆ご無沙汰したままで申し訳ありませんが、ここでモスクワにもなかった日本語の打てるコンピュータのあるインターネットカフェを見つけることができ、ちょうど旅の区切りでもあるこの街から中間報告を送らせていただきます。ちょっと大袈裟すぎるかなあ。

◆[−42度]9月1日にヨーロッパロシア、北極海沿岸のムールマンスクを出発し、4ヶ月8700キロを走行してきました。シベリアの冬は予想通りの厳しさで、トムスクの近くでは零下42度を経験しました。冬のチベットでもアラスカでもここまで下がったことはなく、経験したことのある最低温度です。いつもより寒いなあと思いつつ、テントをたたんでいざ出発するときに温度計を見てびっくりしました。ここまで下がると寒いというより、ほとんど痛いといった感じです。

◆マイナス35度以下の日々が続くと、寝袋もテントもダウンジャケットも日に日に凍ってゆきます。体が発散する水分はすべてゴアテックスの生地を透過することができず凍り付いてしまいます。走行中は顔や手足の指先が冷たく、凍傷にならないようにつねに動かしながら気をつけて走っていますが、体自体は自分の運動量で結構暖かく、零下40度でもあまり寒さも問題になりません。ただ夜が少し恐いと言えます。テント内もシュラフもちっとも暖かくありません。凍った寝袋で夜中ふと寒さで目覚めると、このまま凍ってしまうのではないかと思ってしまいます。

◆[斧で薪づくり]ガソリンストーブが完全に壊れてしまい、しばらく固形メタノールでビバークのような夜を過ごしました。ビバーク5日目の夜はすっかりまいってしまいましたが、小さな町でアックス(斧)を購入し、しばらく焚き火で夜の暖を取ったり、雪を溶かして飲み水を作ったりしました。どんどん自分もシベリアの中でワイルドになってゆくようです。

◆また車輪のハブのグリースが凍ってしまうのか、ペダリングも極端に重くなります。日照時間も短いために夜間も数時間走るのですが、なかなか距離は伸びず一日にやっと40キロということもままあります。走りはじめのヨーロッパではまだ雪もなく一日150キロ近く走り、距離を稼いできましたが、12月に入って本格的冬に突入してから極端にペースが遅くなっております。

◆路面は圧雪状態でスパイクタイヤで走行していますが、ここまでの道路そのものはしっかり整備されており、車の通行もぼちぼち多く、ドライバー相手の食堂なども見受けられます。かつてシベリアの道は中国から茶をはこぶティーロードでしたが、今はウラジオストックから上陸した日本の中古車を運ぶ道といえます。そんな日本車を多く見かけます。ロシア人は大変親切であり、その家にお世話になることもあります。大きな町では必ず友達ができてしまいます。新聞に取材されることもあります。昨日はロシア科学アカデミーのドクターの家にお邪魔しました。かつて200年前にこの町に滞在した大黒屋光太夫もたしか科学アカデミーのラックスマンに助けられてサンクトペテルブルグまで訪れ、エカテリーナ二世に謁見できたのだったと思います。運命を感じてやみません。

◆[いよいよ、広大な荒野へ]しかし旅はこれからが本番となります。ここから本当の荒野が始まります。ここまでは前哨戦にすぎませんでした。はっきり言って私は満足していません。ここイルクーツクでモスクワと日本から、自転車のパーツや装備などを無事受け取ることができ、マシンのリフレッシュや補修を行っています。今が一番寒い時期であり、暖かい街や部屋に滞在しているのは大変にもったいなく、とっとと凍ったタイガの中へと、シベリアの荒野へと出発したい気分なのですが、ここを出発してしまうと、本当のシベリアへ突入することになり、準備を万端にしなければなりません。2、3ヶ月はWWWにもアクセスできない可能性もあります。街にいる間は結構やることがたくさんあります。

◆今後の予定ですが、イルクーツクよりブリヤート共和国の首都ウランウデを目指し、ここでダライラマも幾度か訪れているチベット仏教の寺を訪問します。なんといってもチベット文化は私の専門でもあり避けては通れないところであります。そして当初の計画書とは異なるルートですが、一月末より凍結したバイカル湖を南端から北端まで約700キロ湖上を走ります。1月10日現在まだ湖は凍結していません。3月であれば問題無く氷のハイウェイとなるはずですが、後の日程もあり1月末に敢行したいと考えています。氷も薄く少し危険が伴いますが、早く凍結することを祈るばかりです。

◆その後、バイカルを囲む山脈を越えて、シベリア屈指の大河レナ川に入り、その凍結した川面を2000キロ走り、ヤクーツクを目指します。本来道のないところですが、冬の間だけ走れる自転車によるちょっと変わった川旅です。多分行けると思うのですが不安もいっぱいです。だからこそぼくが当初の計画を変更して挑むことにした理由でもあります。ヤクーツク付近は南極を除いてこの地球上でもっとも寒くなる寒極が存在しますが、私が通過する3月はそれほど寒くはならないと思います。

◆ヤクーツクよりコリマ街道と呼ばれる山岳ルートをとって太平洋岸のマガダンを目指します。予定より少し遅れ太平洋着は5月に入るのではないかと思います。これをもってシベリア横断は完遂されますが、できればカムチャッカやサハリンに飛び、私の横断という名の作品に色を添えて帰国したいと考えています。

◆イルクーツクの街の中を流れるアンガラ川は凍っていません。200年前の光太夫のころはこの川も凍っていたようですが、外気温が零下30度近くなると、水面との温度差のため、まるで温泉ででもあるかのように河全体が湯気を放ち、その霧で対岸もみえなくなります。そして川辺りの木々は樹氷で美しく真っ白に彩られてゆきます。また人々の顔もぼくらと同じモンゴロイドが多くなってきます。時に日本人ではないかと思うくらい似ている人たちも見かけます。日本人はハイブリットですが、もっとも濃い祖先の血はここバイカル周辺にいた人々だったといわれている所以でしょうか。

◆[美しき樹氷の森]寒さはこれからが本番でしょうが、太陽はすでに味方にまわってくれました。すでに冬至を過ぎ日照時間は日に日に長くなってゆきます。午前10時ごろになってようやく朝日が森の彼方から昇りはじめ、真っ青な空に樹氷と化した森があまりに美しく、常にダイヤモンドダスト現象で大気そのものがきらきらと輝いています。しかしいくばくもしないうちに夕方の雰囲気が漂ってきます。タイガへと沈む夕陽は地平線近くをいつまでも低く漂い、深い森を赤く染めています。夜の帳が下りると、どこよりも空高く北極星が輝いています。

◆長くなりました。旅のほんの一部を報告できたにすぎませんが、この続きはいつかまた。ではみなさん、寒さでかぜなどひかれませんように。ぼくも凍ってしまわないように、シベリアの荒野へと走り続けます。今年もよろしくお願いいたします。[荒野のサイクリスト 安東浩正]


地平線はみだし情報 3月29日(土)30日(日)の「四万十・黒潮エコフェア」の詳細は来月掲載します。



『チベットと日本の百年』購入方法決まる。
(日本人チベット行百年記念フォーラム実行委員会・編
/A5判/240頁/定価◎本体2,000円+税)

◆新宿書房発行ですが、書店に並ぶのは、2月末以降、先行販売として。購入ご希望の方は、下記の郵便振替口座に代金をお振り込み下さい。振込用紙は郵便局にあります。代金は本体2,000円+税100円+送料300円=合計2,400円です

◆振込用紙の通信欄に、ご住所(本の送り先)とお名前、および「『チベットと日本の百年』購入希望」とご記入下さい

◆口座番号 00190−9−582468

◆口座名 チベットフォーラム実行委員会

◆代金のお振り込みが確認でき次第、ご記入いただいた宛先に書籍小包にて郵送いたします。


EARTH VISION 第11回地球環境映像祭《無料上映》

■2003年1月23日(木)・24日(金)新宿パーク・タワー

■問い合わせ:アース・ビジョン事務局 宇津/浅岡 TEL 03-3585-8957

■23日◇金糸猴を追え[中国/2002年/41分]◇小さなハンターたち[韓国/2002年/45分]◇ジャルダハール・ダイアリー[インド/2002年/29分]◇緑色包囲[中国・日本/2002年/65分]◇砂丘の秘密[韓国/2002年/50分]◇余震−村は何処へ行くのか[インド/2002年/66分]◇大気の売買がはじまった[日本/2002年/49分]

■24日◇雪豹 Snow Leopard[日本/2002年/80分]◇きのこの世界[日本/2001年/47分]◇カユプテの森[ベトナム/2002/20分]◇地球交響曲(ガイアシンフォニー)第四番[日本/2001/135分]




■今月の地平線報告会の案内(絵と文:長野亮之介)
地平線通信裏表紙

イマドキのチベット

1/28(火) 18:30〜21:00
 Jan. 2003
 ¥500
 牛込箪笥区民センター(03-3260-3677)
 都営地下鉄大江戸線牛込神楽坂駅真上

「チベット人って、外から見ると抑圧されてきた民族なのに、当の本人達はなんだか悠然としてるんですよ。楽観的で、明るくて。それがすごく魅力的ですね」と話すのは、長田幸康(おさだゆきやす)さん。インド通いをしていた'89念にダラムサラでチベット語を学び、チベットに魅かれていきます。この5〜6年は毎夏2ヵ月、ラサでガイドをするのが恒例です。

今や急速に変化しつつあるチベット。ラサにはインターネットカフェがあり、ついにインスタントバター茶まで登場したとか。今月報告会の第一部は長田さんに来ていただき、チベットの変わっていくところ、変わらない点を独自の視点で語っていただきましょう。

後半第二部は、ジャーナリストの江本嘉伸さんに加わっていただきます。日本人がチベットに行ってから100年。この1世紀の歴史をテーマに対談となります。


通信費(2000円)払い込みは郵便振替または報告会の受付でどうぞ
郵便振替 00100-5-115188/加入者名 地平線会議(手数料が70円 かかります)


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