2002年12月の地平線通信



■12月の地平線通信・277号のフロント(1ページ目にある巻頭記事)

地平線通信表紙屋久島の谷にはいったのは、10月下旬だった。はじめての訪問だが、縄文杉も宮之浦岳も関心はなく、人の行かない森か谷にもっといいところがあるに違いない、そういう方面に行ってみたい、と島に詳しい師匠に頼んであった。

◆サルやシカが右往左往する、ひと気のない道を走り、谷に下る。豊かな水量の流れが、あった。とりあえず、水に漬かってみてください、と師匠に言われて、ざんぶりと水にはいる。うわ、いきなり腰までじゃないか。なんというか、じゃぶじゃぶ行くしかないんだな、これは、と開き直って、苔むした滑りやすい岩を伝いながら数十メートルほど遡行したところで、つるり足をとられた。

◆ありゃりゃ、もしかして……と思う間もなく、そのもしかして、が現実になった。ビニール袋にしまうつもりだったイオス・キスとケータイ電話が、おいどんの身体とともに、剥き出しのままざんぶりと水に沈みつつある。イオス・キスは、旅人に人気の、軽くて使いやすい一眼レフだ。ケータイは自慢ではないが先月、洗濯機にいれてまわしてしまい、買ったばかりのピカピカだ。走馬灯のように、水に沈むカメラたちの喜びの顔がかけめぐる。

◆文明とは、はかないものだ。水ぐらい泳ぎきるカメラやケータイはないものか、と憤慨した途端、ふっきれた。もうこわいものはない。じゃぶじゃぶ行こうではないか。滑りやすい苔だらけの岩も渓谷シューズでなんとか乗り越えつつ、谷の遡行が始まった。美しいが少々こわい、滝あり、滑(なめ)あり、淵あり、瀬あり。ええっ?これ、どうやって乗っ越すの?という場所が次々に出てくる。つるつるで危ないところでは師匠のザイルにつかまって、えいやっ! 背が立たない深みはザックごと泳ぐ。

◆川音とシカの鳴声以外は何も聞こえない、静かな山。何よりも、誰にも知られていない縄文杉級の巨木が次々にあらわれるのが願った通りでよかった。夕方近く長大な杉、栂(つが)たちに囲まれたやわらかな草地でビバーク。枯れ枝を集めて小さな火を焚き、衣類を乾かす。その火がしみじみ嬉しかった。学生時代から山に打ちこんで、楽しみのひとつは焚き火だった。禁止だらけの昨今ではなかなか許されないが、燃え跡に注意し、痕跡を残さないようにすれば、火ほど素晴らしいものはない。

◆「道のない山に惹かれますね」火を見ながら、師匠は言う。そういう道なき道をたどって山を何日か彷徨っていると、自分がシカになったかのように感じられてくるのだそうだ。そう言えば、谷を高捲きする個所ではあちこちに走るけもの道が頼りになった。

◆師匠は、戸高雅史。K2を無酸素単独で登り、チョモランマ北壁を8500メートルまでひとりで攀じた高名なクライマーで、私ごときが師匠と呼ぶのも気がひける。最近は、日本の山、とりわけ北海道の大雪山、九州の屋久島にいれこんでいて、今回、いきなり屋久島の最深部に入れたのも、家族で島に滞在していた彼のおかげである。

◆ことし2002年は、「国際山岳年」。日本委員会事務局長という、何とも責任の重そうな仕事を引き受けたこともあって、「山」について考えることの多い1年だった。東京、富士山、大阪などあちこちでフォーラムを開き、地理学、植物、自然生態など専門分野の学者たちのほか、山野井泰史、服部文祥、石川直樹、山田淳、戸高雅史など、友人の登山家たちにも「山」を見るさまざまな視点、ということで協力してもらった。

◆山岳年の世界共通スローガンは「We are all mountain people(我ら皆、山の民)」だ。この言葉を2003年以降もずっと生き続けさせたい、と思い、「山の日」を提唱している。日本は山の国。我らは山の民なのだから。

◆そんなわけで、2002年最後の地平線報告会は滅多に聞けない「山の民」の話になる。乞うご期待!!(江本嘉伸)



先月の報告会から(報告会レポート・278)
アフガニスタンちゃいはな旅日記
石川直樹
2002.11.29(金) 箪笥町区民センター

◆会場は200人以上の聴衆で埋め尽くされ、そのほとんどが20代から30代の若い客たちだ。報告が始まってもひっきりなしに若者は訪れ、入り口に立つ代表世話人がその整理に追われる。報告終了後には若い女性にサインをせがまれる石川の姿があった。

P2Pやセブンサミッツといった行動の軌跡から、彼を冒険家の範疇で論じがちな大人たちと異なり、若者は石川の中に同時代の個性や気風といったものを認め、それに惹かれる。一体、彼らは石川の何と共鳴するのか、彼の行動や文章だけをなぞるではなく、生きた報告会にこそ、その個性はもっとも現れるのかもしれない。僕は彼の報告を生で聞くのは初めてだった。

◆アフガニスタンに行ったということを聞いた時、正直、なぜいまさらアフガンかと思った。あまりにも多くの意見と解釈が加えられたため、多くの者はアフガンにウンザリしてしまったではないか、と。しかし、時代に敏感に反応する彼の今までの行動を振りかえれば、当然行くべき場所であったのかもしれない。ニューヨークを訪れた時、9・11とそれに続くあの一連の悲惨な出来事の何かを、彼は自分の中に取り込んでしまったのだろう。

◆石川の語るアフガニスタンは、我々の想定していたアフガニスタン報告とはまったく異なる新鮮なものであった。9・11、アルカイダ、米軍進攻、カブール陥落、タリバン政権崩壊、対テロ戦争、有事法制、アフガニスタンとそれに関わる大なり小なりの政治的事項の日常的羅列は、知らず知らずのうちに、我々から正常な感覚でアフガニスタンを見る目を奪っていた。アフガニスタンを語るすべての者は、政治絡みの報告と解釈を加えることを期待された。

しかし、石川は見事にその期待を裏切った。石川の語るアフガニスタンはあくまで、ブルカの女性であり、ジュース屋のオヤジであり、道路事情の悪さであり、肩身の狭いウズベク人のことであった。それは我々、素人にも理解できる程度の日常生活の実際であり、逆に言えば解釈を排した圧倒的な事実の重みでもあった。

◆アフガニスタン報告を終えるにあたり、石川は次のように語った。「世の中の価値は複雑多様であり、自分の価値が正しいとは思われない」と。そこに彼の旅や人に対する姿勢が現れていた。バーミヤンからカブールへ向かう途上、バスの他の客に一緒にお祈りをするよう勧められたとき、形だけ真似をしてもウソになるからと、それを断り横で傍観していたという。そのエピソードがまた、憎らしいほど厭味っぽくないのが不思議だ。

◆あくまで相手に共感しようとする彼の姿勢、その結果のアフガニスタン報告はある種の“暑苦しさ”とは無縁であった。あらゆる視点からの正義が交錯し、その矛盾が悲惨な形となって表出してしまったアフガニスタンを、石川はただのアフガニスタンとして表現する。

我々のまわりでは日常的に、押しつけがましい価値や解釈が飛び交っている。まったくもってウザッたい世の中だ。そのような押しつけがましさやウザさとは対極に位置する石川直樹という行動体に、多くの若者達が共感するのも容易に理解することができる。

◆新しい旅の地平を切り拓いた石川直樹は次に何をするのか、周囲からの期待は行動体としての、ある種の宿命であろう。しかし、そのようなプレッシャーはまったく歯牙にもかけない。「やりたいことが次から次へと出てきて、困ってしまう」発想の柔軟さとスケールの大きさが、自分の価値を絶対視しない姿勢の柔軟さに由来することは疑いあるまい。[角幡唯介 早稲田大探検部OB・来春新聞記者予定]



地平線ポストから
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●安東浩正さんから丸山純さんへ…2002.11.16
 
…冬のシベリア14000キロを単独で自転車横断挑戦中
◆丸山さん! シベリア横断中の安東です。ちょっと早いかもしれませんが、2003年あけましておめでとうございます。シベリアからのエアメールは2〜3ヶ月かかることもザラだとか、着くだけマシらしいので、早めのごあいさつです。パキスタンの旅はどうでしたか? いろいろと複雑な事になってそうですが、みなさん達者でいられれば何よりなんですが……。

◆シベリアでも大きな街ならたまにインターネットが見られますが、日本語のフォントはまず見れません。でも短波ラジオがよく入るので、日本の様子はよくわかりますよ。今ぼくは西シベリア低地帯を走行中で、ノボシビルスクの手前数百キロの雪原キャンプでこの手紙を書いています。

◆毎日単調な景色ですが、天気によってシベリアはいろんな姿を見せてくれます。タイガの森も雪にうもれ、白銀の世界が広がってます。静寂の中、スパイクタイヤが凍結した路面にザクザクささりながら走る音を聞くのは何とも心地よい限りです。

◆正月は凍結したバイカル湖で迎えそうです。そこから凍ったレナ川を走り、世界最寒の地ヤクーツクを目指します。みなさんによろしく。健康におすごしください。


●前田歩未さんから…ドイツ発
 
…クリスマスに追われるドイツ在住のおもちゃ作家「たまご」改め「かえりたてヒナ」から
◆江本サン。お元気ですよね? 新作の感想でも言ってくれるかと思ってメールしたのに、いつの間にか通信に載ってるし。最近江本サンがかまってくれないから、ちょっと「おおぉ!」と言わせてやろう計画を立てていました。「arumitoy」が世の中にデビューしました。サイトからも注文できるようにしました。なので、これからはおもちゃ作家ヒナです。

◆今週末は、この町のクリスマスマーケットだったんですが、ボスの奥さんの計らいで(彼女はおもちゃ屋さん)、スタンドを一つ我等の木のおもちゃ用に提供してくれました。マーケット特集の新聞に載ったことも手伝って、なんだこれは!? と多くの人の目に留まってくれたようです。奥さんの店に、これからもボスの作品と共に並べてもらえるんですよ!

◆新聞を読んで、本当に興味をもって買いに来てくれた人がいて、飛んで日本に帰れるぐらい嬉しかったですよ。まだまだ、何も落着してないけどとりあえず立ち上がったところで、一息ついています。ちょっとでも、まゆ毛がピクってしたら、ぜひ、「ぎゃふん」ってメールに書いてください。そりでは。
http://members.aol.com/arumitoy/



チベットフォーラム本、いよいよ刊行!
『チベットと日本の百年』
(日本人チベット行百年記念フォーラム実行委員会・編)

1年前、日本人がチベットに潜入して百年になるのを記念して行なわれた「チベット・フォーラム」の全容を伝えるユニークな本がついに完成! 内容は、以下のようになります。

口絵 ドキュメント「百年フォーラム」はこうして行なわれた(長田幸康)

1 秘史 チベットを目指した日本人たち
もうひとつの近代史――チベットに向かった十人の日本人(江本嘉伸)/(コラム)「大正の玉手箱」事件(江本嘉伸)/チベットと日本の百年――山口瑞鳳・東大名誉教授に聞く/(コラム)チベット大蔵経(小野田俊蔵)

2 証言 私のチベット「潜行」
私のチベット「潜行」――野元甚蔵氏と西川一三氏に聞く/(コラム)野元甚蔵と山川ニンジン(江本嘉伸)/(コラム)西川一三と盛岡(江本嘉伸)/(コラム)デプン寺に西川一三の面影を求めて(長田幸康)

3 激論 なぜ「チベット」だったのか?
フォーラム「日本人チベット行百年の背景」(小野田俊蔵×貞兼綾子×金子民雄)/(コラム)学問寺の学習課程(小野田俊蔵)/(コラム)慧海の恋(江本嘉伸)/チベット仏教、活仏制度、そしてダライ・ラマ――言い残したこと、言いたかったこと(山口瑞鳳)/(コラム)「河口慧海師修学塔」(長田幸康)/大谷光瑞とチベット(金子民雄)

4 発掘 激動の現代史の中で
シェーファー隊が見た1930年代のチベット(ケルサン・タウワ)/ドイツ=チベット遠征隊(金子民雄)/ミセス・タリンが語る日本との縁――最後のインタビューから(ケルサン・タウワ)/タリン夫人、そして貴族ツァロン家と日本人(三浦順子)

5 報告 百年目のチベットの姿
百年目のチベット見聞録抄(渡辺一枝)/チベット観光へようこそ!(長田幸康)

「百年フォーラム」に寄せて
空気頭が叩かれた(椎名誠)/雷鳴、冷雨の暗いチベットから――フォーラムへの期待(色川大吉)/あとがき(江本嘉伸)


《訃報》 戸谷洋さん逝く

我が恩師で、地平線にも何回も来てくださっていた戸谷洋さんが昨日(6日)なくなりました。78歳。都立大学の地理学科を作ったような人です。第一次の南極観測隊の隊員でした。南極の後はアフリカの調査をされていました。その縁で賀曽利くんとも親しい間柄でした。都立大学を退職されたあと、杖を手にしてひょっこりアジア会館の報告会に来てくださったことが思い出されます。2年前に貝塚爽平先生、こんど戸谷先生と日本の地理学者の大物が亡くなりました。残念なことです。[三輪]


「アレクセイと泉」
アンコール・モーニングショーのお知らせ

本橋成一監督の「アレクセイと泉」が東中野の「BOX東中野」で12月21日(土)〜2003年1月17日まで、モーニング上映される。午前11時からの1回のみ。22日(日)には本橋監督のトークショーも。詳しくは、サスナ・フィルム(03-3227-1870)まで。


「地平線報告会 in 四万十エコフェア」に
今から参加予定を!!

2003年3月29日(土)30日(日)の二日間、四万十川で「四万十・黒潮エコフェア」の開催が本決まりとなりました。実行委員長は、どうやら男の子の父になったばかりの“地平線会議の星”山田高司氏が引きうけるらしい。山田さんは、この企画の目玉に地平線会議をひっぱり出すことを考えているようです。詳しいことは、次号以降に紹介しますが、「地平線写真展」もやる方針です。




■今月の地平線報告会の案内(絵と文:長野亮之介)
地平線通信裏表紙

東北アジアの森の民

12/27(金) 18:30〜21:00
 Dec. 2002
 ¥500
 牛込箪笥区民センター(03-3260-3677)
 都営地下鉄大江戸線牛込神楽坂駅真上

「アイヌ民族やマタギのような狩猟採集民というのは、日本では特殊な存在。でも、東北アジア圏では一般的ですよ」と言うのは、狩猟文化研究所を主宰する田口洋美さん。主にクマ猟と農耕で暮らすマタギの旅のシステムを研究しています。

「彼等のような森の民が森を守ってきた。それが『動物保護』のせいで森を追われると、森が消えるんだ」と田口さん。毛皮の不買運動などで生計の道を断たれた少数民族が森を離れ、その結果森が伐採される例がロシアで見られます。田口さんはロシアの狩猟採集民、ウデヘや、トナカイ牧畜民のエベン、ユカギール、ヤクート、エベンキなどの民族に接し、持続可能な狩猟文化のありようを探っています。

観文研や民映研などでもマタギ文化の記録に重要な仕事をしている田口さんに、今年の地平線のトリを務めて頂きます。山と森を考える、必聴必見の2時間半!!


通信費(2000円)払い込みは郵便振替または報告会の受付でどうぞ
郵便振替 00100-5-115188/加入者名 地平線会議(手数料が70円 かかります)


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