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今、私の父の癌の手術が取りあえず終わり、付き添いの病室で書いています。久しぶりの病院の付き添いです。
●重篤な脳障害を持って生まれた娘を家庭で育てながら島への旅を続けて15年になります。娘の夏帆(なつほ)は、(一重瞼の涼しげな顔は母親には似ず)匂い立つような美しい娘に育ちました。夏帆という名前は南の島から島へ渉る海洋の民の乗る舟の白い帆のこと、それは私が旅のなかで見てきた美しい風景であり、たくましく育って欲しい願いでもありました。幾度も死にそうになった1歳の頃まで、私はもう旅立つことは不可能のように思えました。24時間体制の介護の生活が予想されたからです。
●そして15年、夏帆はもう20回以上、島へも10回以上旅しています。バリ島の先住民族の住む村へも行きました。歩くことも座ることも、形のあるものを食べることもできない、話すことも知らない娘は「座位保持装置」という特別注文の車イスに乗り、ミキサー持参で旅立ちます。ただ運ばれてゆくだけの夏帆にとって旅は苦痛ではないか、連れて行きたいと思うのは母親のエゴではないかと迷ったこともありました。15歳になった夏帆は、新天地を拓り開き、人と出会い、友達をつくり、喜び、まさに人生を謳歌しています。
●世間では「障害を乗り越えて」などと言いますが、そんな生やさしいものではありません!自分がハンディを持っているなんて思ってない夏帆は、自分自身が「ノーマル」、確かに愛されているという自信を土台に生きています。
●私はというと、夏帆が元気でいてくれるから旅立つことができるのです。学校に通う夏帆の放課後はヘルパーさんと過ごし、夕方から父親が帰って来るまでを私の友人達が「ちいママ」としてシフトを組んで一緒にいてくれます。母親の代わりの人が夏帆と一緒にいてくれるだけの時間が私の旅時間でもあります。もう、二度と旅立つことができないかもしれないと思った島へ、夏帆が生まれたあと100島以上、訪れています…!
●「人は何故、旅に出るのか」、そんなにも障害の重い子を人に託してまで、世界の地の果てまで旅立つのは何故なのだろう。
●今、79歳の父はベッドの上で幻覚症状が出ていて、術後のお腹の中からつないでいる管を引き抜いては一大事なので見張っています。今日か、明日か、あさってが命の峠だそうです。あさって死んだとしたら、その1週間後には瀬戸内の島での講演があって、穴があけられない…夏帆が死ぬ時には一生に一度だけ仕事に穴をあけさせてもらうつもりですが、今まで一度も母親を旅から連れ戻したことのない子です。じっと、自分自身の心を見つめ「何故、旅立つのだろう」と問うてみますが明確な答えは見つかりません。「好きだから」「行きたいから」、旅の途上で、海の向こうに雲のように見える島、あの向こうへ、あの向こうへ行ってみたいと心が震える時、確かに生きているという喜びを実感するから----なのだと思います。
●これからも旅を続けていきたいと思います。島には「難路」という言葉があるそうです。たやすくはないからこそ見える奥深い世界、それをじっと見つめて言葉にすることがあなたの仕事だと言われます。夏帆という土台があるからそれができるはずだし、使命なのだと島の人に言われます。
●夏帆の来年の高校進学を控えて福祉の体制はますます厳しくなりそうです。病院への通院のヘルプをしてくれる力持ちのお兄さん、おじさん、ちいママになってくれる女性、広くボランティアを求めています。力になっていただけそうな方、声をかけてください。[河田真智子(9月4日)]
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賀曽利隆 |
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◆話の中にいきなり「カシダ君(私のこと)なんか、もう20年も前から、いつユーラシア横断をするんですかとチクチク聞いていましたから」と我が名を出されて、そう言えばと思い出した。
◆賀曽利さんは、この夏、長年の夢だったユーラシア大陸をバイクで横断した。20年前というのは、私が賀曽利さんと知り合った頃だが、その夢はもっと前からだった。
◆70年代、賀曽利さんは数冊の本を出版している。その1冊、世界一周記録の「極限の旅」(山と渓谷社)は強く心を突き上げる名作(!)だ。その最後にある計画が書かれてある――「‥ソ連当局からの許可を得て、オートバイでシベリアを横断し、ソ連から北欧に入りヨーロッパをイタリア半島まで南下‥」。
◆賀曽利さんは、30年も前、つまり当時冷戦真っ只中のソ連を走る夢を描いていたのだ。そんなのできんのか。だから、私はチクチク言っていたのかもしれない。だが思い続けてみるものだ。本当に実現してしまうのだから。
◆今回の旅は、旅行会社「道祖神」企画の「賀曽利隆と走るユーラシア大陸横断」で、賀曽利さんを含め17人が、自宅前をバイクで出発して日本海を船で渡ってシベリアを横断し、ヨーロッパ最西端のロカ岬にまで到達した。途中、道路のない約1000キロだけは鉄道に乗ったが、賀曽利さんのバイクの走行計は1万4001キロを指していた。
◆スケールの大きな旅がスライドで映し出される。海だ!と思ったバイカル湖、2000キロも内陸にあるのに2キロ以上の川幅を誇るオビ川、お花畑と化す夏のシベリア、夢にまで見たウラル山脈、50日ぶりに見た海。だが、最も嬉しそうに話してくれたのは、やはり人との出会いだ。水着美女の撮影は当然として、吉田茂さんとの出会いは運命的な話だった。
◆シベリア街道で、「あ、賀曽利さん!」と叫んだのが、1300ccのバイクで旅行中の吉田さんだった。吉田さんは、賀曽利さんのアフリカ一周(68年出発)以前に世界一周を果たし、当時、賀曽利さんの訪問を受けると丁寧なアドバイスを与えた人である。そして、世界一周後ヤマハに入社したが、いつかまたと夢を諦めず、30数年後の定年退職後すぐに2度目の世界一周の旅に出て、シベリアで賀曽利さんと偶然の再会を果たしたのだ。「人間の抱く夢の究極を見ました!」
◆シベリアと世界一周を、それぞれ30年も思い続けてきた賀曽利さんと吉田さん。どちらも素敵だ。とはいえ、今回のツアーの同行者によると、「賀曽利さんは洗濯をしない」そうだ‥。これは素敵と言えない。
◆ちなみに、報告会の4日後の9 月1日、賀曽利さんは55歳になった。さあ、いよいよ、賀曽利隆「四捨五入して還暦ツアー」の10年が始まる。今後も、一生をかけて世界と日本を走り尽くしてください。[樫田秀樹]
地平線ポストから |
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●神谷夏実さんから…2002.7.29…厳冬のキャンベラより
◆キャンベラに来て一年。こちらの社会に溶け込むためにボランティアを始めました。手始めに、知り合いを通じてこちらのロータリークラブに入会。日本で「ロータリー」というと特殊な集まりで、ちょっと敷居が高 いような印象ですが、こちらではボランティア精神旺盛な普通の勤人、公務員や年金生活者等で構成されています。このロータリーでは、僕は最若年ですが、こちらの社会に溶け込むにはいい方法です。
◆昨日の日曜日は、「Driver, Reviver」のサポートでした。キャンベラは、コシオスコ山(豪州最高峰)周辺のスキー場とシドニーの中間(両者の距離は400km)に位置しており、この季節はシドニーのスキーヤーが週末を中心に行き来している。そこで、街道の途中で、ドライバーが休める場所を提供し、眠気を覚ましてもらうためのサポートです。日曜日のシドニー方面の上りは、渋滞こそしないものの、車が数珠繋ぎに走っていました。(広大な豪州のカントリーサイドでの数珠繋ぎの車の列は異様な光景です)
◆道路沿いにある地元の公民館で、コーヒー、紅茶、トースト、ソーセージ、クッキーを用意して待ちます。こうした支援は恒常的に行われているので、沿道には「Drive & Survive」の標識が常設されており、ドライバーもその存在を認知しています。用意する食品は、メーカーからの寄付が主体となっており、こうしたボランティアが定着しているのです。利用者は、食べて飲んで一息ついた後、多少の寄付金を置いていきます。
◆昨日のデューティーは、日曜の午後3時から9時までの6時間。利用者約200人。一人当たり1ドル(約65円)を置いていった勘定でした。多いか少ないか、ご想像にお任せします。(ロータリーとしては損はしませんでした)
◆ただ、利用者から「日本も同じようなことやっているのか」という質問があり、これには返答に困りました。日本では高速のサービスを料金を払って利用したことはありましたが、こうしたボランティアがあるのでしょうか。どなたか教えてください。
◆また、日本で高速沿いでこんなことしたら、(偏見を持って言うと)態度の悪い、キレてる、ムカついてる若者、ムスっとして愛想の悪い大人が多いと思うのですが、昨日の200人のオージーは老若男女、全員が、ほんとに「表情が豊かで穏やかな」人たちでした。お金持ちそうで着こなしもリッチな人も、質素で貧相な人も、皆「笑顔」がすばらしいんです。別れ際に「Safe drive」と声をかけると、誰もが「Thank you」と笑顔で答える。無表情が主体の日本人の顔と大きな違いです。そして、こうした利用者とのつかの間の会話も、この社会を知るための大きな手助けになりました。
●丸山純・令子夫妻から…2002.9.12…パキスタン発〈E-mail〉
…「9・11」一周年を前に、今年も子どもたちの遊具つくりのボランティア活動でパキスタン・チトラル入りした。
◆昨日(11日)の昼過ぎに建築家たちの一行が無事に到着。今日からプレイグラウンドの改修作業が始まりました。幸いお天気もよく、昨年の経験から選り抜きの職人たちを手配したので、驚くほど作業がはかどって、花壇がほとんど完成。柱から柱へと新しく渡したロープに、子どもたちがさっそく群がっています。令子の音楽の授業も大好評。子どもたちはもう気もそぞろになってしまい、あまり勉強に力が入らないようです。昨日は、子どもたちが自分の家や野山から集めてきた花の種をまとめ、最後にみんなで蒔くための準備をしました。国際ニュースはわかりませんが、パキスタンではやはり9/11はなにも起こらずに終わったようです。緊張感はまるでなく、チトラルは平和です。
●前田歩未さんから…2002.9.11…ドイツ発〈E-mail〉
…ドイツのおもちゃ職人のもとで修行を続けている、おもちゃ作家たまごから元気な近況。
◆あるみです。お元気ですか。やっと新作をwebにupしました。とうにできあがっていたのに、ボスの奥さんの店のオープンなどでかなりバタバタと過ごしていたら、 1ヶ月ぐらいたってしまいました。(その内2週間は夏休みでフラフラしてましたが‥)それでも、最後の3日間は1日12時間以上稼動してました。疲れた。
◆そして、新作ができたはいいけど、いつまでもこのままじゃいかんなと思っていままでのおもちゃ達を世に送り出そう!という計画をたててるんですけど、どうすればいいのか という肝心なところが良く分からないんですね。でもなるようになろうと思います。
◆あるみ氏、新聞に載りました。このヒトこんなこと考えてこんなことやってマスって。なんとかしてwebにupするつもりですが、その前に新作をみてみてくださいな。
http://members.aol.com/arumitoy
それでは。最近ビザの延長方法をひっそりと考えているあゆみ。
第9回小学館ノンフィクション大賞 授賞式
──埜口保男「みかん畑に帰りたかった」── |
◆13日の金曜日に、皇居前の東京會舘で、埜口保男くんの「第9回小学館ノンフィクション大賞」の授賞式がありました。会場は猪瀬直樹、船戸与一、井沢元彦、櫻井よし子の選考委員の諸氏をはじめ、多くの人たちで超満員でした。ふだんとは違ってネクタイ姿の埜口くんはかなり緊張気味でしたが堂々と受賞の挨拶をしました。
◆受賞作の「みかん畑に帰りたかった」は、昨年北極点から故郷まで徒歩とカヤックで帰還する「リーチングホーム」計画の途中、北極海で遭難した河野兵市さんとの交流をとおし、彼の素顔を描いたものです。単行本の発行は来年だそうです。
◆選考委員の話では、今作品がぶっちぎりの一位だったそうです。猪瀬評「埜口は必ずしもプロの書き手とはいえないが、テーマが痛快でありながら孤独の影を帯び、けれん味のない文体とあいまってスピード感がよく出ている。」船戸評「埜口保男は冒険家河野兵市の墓碑名のしたにくっきりとした肖像を刻み込んだ。その友情の質の高さ。これは第一級のルポルタージュである。」
◆これだけ誉められることはめったにない。埜口くんおめでとう。第10回も地平線の仲間で受賞しよう。新しくオープンした丸ビルの展望台で熊沢、白根、長野、芳井は決意を新たにした。[三輪主彦]
江本嘉伸原作・初のマンガ本完成! |
1世紀前、日本人として初めてチベットにはいったものの、雲南省奥地で行方を絶った島根県の悲劇の青年僧、能海寛(のうみ・ゆたか)を主人公にしたマンガ「西蔵(チベット)探検家 能海寛」が8月末、生まれ故郷の波佐文化協会から刊行された。シナリオ・原作は江本嘉伸氏。マンガは南一平氏。河口慧海はじめ明治のあの時代、なぜ何人もの日本の青年たちがチベットに向かったか、難解なテーマがわかりやすく活き活きと描かれている、と評判。一冊2000円+税+送料(2410円)。希望者は、〒697-0211 島根県那珂郡金城町波佐イ394、波佐文化協会へ。郵便振替01490-9-285 面倒な人は、03-3359-7907(江本ファクス)でも。
長倉洋海写真展 2連発! |
◆「少女ヘスース エル・サルバドル内戦を生きて」20年前、エル・サルバドル内戦取材で出会った3才の少女ヘスースは、いま母になった。9月20日(金)〜26日(木)10:00-20:00 中央区銀座5-1 銀座ファイブ2F(旧数寄屋橋センター)富士フォトサロン 無料
◆「獅子よ眠れ−アフガンの大地に−」自爆テロに倒れたアフガニスタン抵抗運動の指導者・マスードとの長い親交。勇敢な獅子への哀悼をこめて。10月1日(火)〜21日(月)10:30-19:00 新宿区新宿3-26-11 新宿高野ビル4F・コニカプラザ 無料 会期中の土日、祝日にあたる5、6、12、13、14、19、20各日14時からトークショーあり。先着60名のみ。
中央公園まで3100マイル
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郵便振替 00100-5-115188/加入者名 地平線会議(手数料が70円 かかります) |
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