2002年7月の地平線通信


■7月の地平線通信・272号のフロント(1ページ目にある巻頭記事)

地平線通信表紙かつて大黒屋光太夫という男がいた。シベリアを横断した不屈の男だ。1790年前後の話だから江戸時代になる。千石船が難破しロシア領に漂流、女帝エカテリーナ2世に帰国を乞いにシベリアを横断したというのだから驚きだ。シベリアといえば寒気団で知られる極寒の地。南極をのぞいては世界で最も寒くなるらしい。人口だって少ないし、まだまだ辺境の地であり、未知の世界が広がっている。この冬そんなシベリアを自分の体力だけで横断しようとする輩がいる。全行程14000キロ。そこをたった一人で自転車で走りぬけようというのだ。しかも冬に横断するのだと粋がっている大バカ者である。何を隠そうぼくである。

●95年に冬のチベット高原を自転車で横断した。とくに西チベットは壮絶なる世界だった。96年冬にも日本人が挑戦し道半ばにして積雪多くあきらめ、97年冬も他のサイクリストが挑戦したが雪の中でルートを見失い遭難して亡くなってしまった。その後冬に走破した人の話は聞かない。そんな厳しいルートであったが、厳しいこそに最高に美しいルートだった。極寒の中のカイラス北壁を見上げた瞬間は、ぼくの今人生の頂点にある。そんなルートを走ってしまうと、残された道は過去の道だった。その後もあちこち世界へ出かけていったが、それはすでに後ろに続く道でしかなかった。

●今回のシベリアはそんな西チベット以来の本格的挑戦になると考えている。だが当初はなかなか糸口がつかめなかった。昔シベリア鉄道で横断した時、車窓の外は一週間いつも吹雪いていた。欧州便の飛行機はシベリア上空を飛ぶが、見下ろすと凍てついた世界が広がっているばかりである。日照時間も極端に短いだろう。だいたい道なんてあるのだろうか? これはやっぱり無理かもしれない。

●そんな時である。シベリアを冬に自動二輪で横断した人が地平線で報告するという。クルト&ハルミ・マイヤー夫妻だった。冬は凍結した沼地や河川を車両が走っているらしい。なるほど、これなら行けるかもしれない。話が具体的になりはじめたのはこの時である。これこそ地平線会議の醍醐味だ。

●先月の関野さんの報告会、ちょうどぼくがアラスカから帰国した日で成田から会場に直行した。極東シベリアを自転車で走った関野さんから直接話が聞けるのは心強い。話しぶりから言葉以上に伝わってくるものがある。おかげで懸念していたシベリアの治安がぼくの理解の範囲内である事がわかった。これもまた地平線あってのことである。

●自転車初横断は89年夏にアメリカロシア合同チームが成功しているが、日本人で人力だけで横断した者はどうやらいないようだ。犬そりなどで横断しようとした記録では、千キロも進めず挫折したり、一部で飛行機を使わざるをえなかったりしたところに、動力なしで挑戦するにはあまりに広大すぎるシベリアの厳しさを感じさせる。それでも夏場のシベリアなら自転車で横断を達成できるだろう確信がある。

●だが、それではぼく自身おもしろくない。冬でなければならないのだ。達成できるかどうかわからないからこそ、挑戦に値するのだ。冬の走行は夏とはまるで違う。様々な試練が待ちうけているだろう。凍結した河川の走行で氷が割れてしまうかもしれない。積雪にルートを見失うかもしれない。その凍結河川道も地図に載ってはいない。これこそエクストリーム系長距離サイクリストにとって、横断と名のつくユーラシア大陸最後の課題なのだ。好奇心をそそる反面、毎日とてもしんどいだろうことは、ぼく自身が誰よりも知っている。まったく厄介な趣味を持ったものである。走りきったからといって何がどうなるという事もないだろう。だけれどそこにはロマンがある。それはそれが無償の行動だからかもしれない。

●ルートは欧州側から日本へと向かう。故郷アジアへ向かうということは、200年前に日本へ帰りたい一心で横断した光太夫の想いにも重なる。8月末にモスクワに飛ぶ。日本につくのは5月くらいかな。また来年報告会場でお会いしましょう。よろしくごきげんよう![安東浩正]



先月の報告会から・その1(報告会レポート・272)
奇跡のゴール
グレートジャーニー・ファイナル
関野吉晴
2002.6.25(火) 箪笥町区民センター

「いやあ、ほんと関野もしゃべりがうまくなったな」「あちこちで講演馴れしてきたからね」。99年の1月、シベリア踏破の報告が終わって拍手が贈られている最中、グレートジャーニー応援団のメンバーからこんな声があがった。中盤の質疑応答が長引き、このままでは膨大なスライドが余ってしまうと誰もが思ったのに、なんと1枚残らず上映して、どんぴしゃ時間内に収めてしまったのだ。

◆ところが今年の4月の報告会で上映できたスライドは、たった5枚だった。1枚の写真をきっかけに、93年12月以来の長い旅の記憶が次々と浮かんできて、話が踏破ルートのあちこちに飛んでしまう。現地でシャッターを押した瞬間からすでに、関野さんの頭のなかにはこうした過去の旅のシーンが幾つも去来していたに違いない。どこか夢見るような表情で写真を見つめながら、旅の手応えをひとつひとつ確かめていく。そんな生々しい体験を、間近で関野さんと共有させてもらうことができた。

◆5月の2回目の報告は、前回“ゴールにたどり着けなかった”という思いからか、前半はいきなりラエトリの足跡に話が及んだ。しかし、西アジアでは出会えなかった採集狩猟民と過ごした熱い体験談でたっぷり時間を使ってしまったりして、後半のスライドは遅々として進まず、またまたゴールには届かなかった。関野さんの心はまだ半分、旅の途上にあったのだろう。

◆今回、3回目の報告会では、またぜひ訪れたい場所として挙げたエチオピア高地が、世界3大高地の残りの2つ、チベット高地やアンデス高地といかに共通項が多いかという、比較文化論的な話から始まった。原始キリスト教の面影を残すエチオピア正教とチベット仏教との類似点が語られ、そしていつもの脱線だなと思って、西・中央アジアと南米の平坦さの違いやヒマラヤ奥地の交易の話を聞いているうちに、ゴビ砂漠のラクダのキャラバンやモンゴルの遊牧民が登場。やがて、ソ連崩壊後もたくましく生きる極東シベリアの人々の姿が……。

◆そうなのだ。今回はやけに解説がクールで回想シーンのスライドが混じるなと思っていたら、とんでもない。自身の旅路を逆に、つまり本来のグレードジャーニーの道筋を順にたどる、粋な演出がなされていたのだ。それから先は新大陸に渡り、北極圏から北米、中米を駆け抜けて古巣の南米へ。これまで写真展や写真集を飾ってきた傑作が、惜し気もなく立て続けに披露される。そしてビーグル水道を臨む写真で「ここがゴールです」。またもや、どんぴしゃ。

◆「グレートジャーニーが奇跡なのではなくて、40億年前に始まった生命の歴史の果てに自分たちがこうして生きていること自体がもう奇跡なのだと実感させられた」と、関野さんは今回の旅を振り返る。より長大で過酷な自転車の旅をしたサイクリストも大勢いるし、より深く諸民族と接した研究者もいることだろう。しかし、ここまで発見と思索の旅を深めることができた人は、ほかにはいない。人力と獣力だけで各地の少数民族を訪ねながら人類の足跡をたどるという企画のユニークさと共に、学生時代から南米で積み重ねてきた濃密な体験が、サポートに奔走した友人たちの努力が、そしてなによりも人間の営みを温かな目で見守ることができる関野さんの資質が、グレートジャーニーの旅をより普遍的なレベルに押し上げて、私たちがその一端を共有できる財産にしてくれたのだと思う。

◆グレートジャーニーの進行をリアルタイムで体験するという、幸せな時間を持てたことに心から感謝したい。[丸山純]



先月の報告会から・その2(報告会レポート・273)
エベレストの握り方

山田淳/斎藤豊・真理

2002.6.27(木) 箪笥町区民センター

世界7大陸最高峰登頂最年少記録を持つ山田淳とはどんな人物だろうかと胸を躍らせて雨の中、牛込神楽坂の会場に向かった。さぞ人を寄せ付けないオーラを放つ人だろうと予想しつつ。そして、登山経験もなくノースコルに登ってしまった斎藤夫婦とはどんなつわものだろうか、と。

◆山田君が関西弁で口早に話し始めた内容は、現在のメディアから伝わっているエベレスト登頂の見方についてだった。公募登山隊だから楽だ、という見方は全く間違っている、と熱をこめて話す。マスコミからの安易な情報で先入観を植え付けられてしまった聞き手たちの誤解を解こうとしたようだ。

◆斎藤夫婦の報告は、私が一番知りたかった“なぜノースコルに登ることになったのか”を説明することから始まった。弁当で始まったノースコルへの道。謙虚さの中に隠された熱い熱、やり終えた充実感が節々から伝わってきた。夫婦の連係プレイは絶妙で、豊さんが話していたとおもえば、途中から真理さんにバトンタッチされ、流れるようにスライドと話は進んでいった。

◆この話を聞き逃したら損をしただろうと思うくらい、私の体にエネルギーが湧き出てきた。お弁当コンテストに優勝したら、「ノースコルへ割り引き招待」という「運」ではあったけど、斎藤夫婦の「やりたい」という熱意が無かったら確実にできないことであったと思う。

◆だって、いくらコンテストの賞品といっても$5000が$3000になっただけで、依然として大金を必要としていたし、カトマンズまでの旅費、装備費、訓練も必要であったことには変わりなかったから。挑戦するには会社の休暇許可の問題もあり、さぞ勇気と決断力を要しただろう。

◆休憩の後、山田君は、強烈な匂いとともに再登場した。「チベットでは常にこの匂いがする」と言いながら、なんと分厚い羊の毛皮を着込んでいたのだ。しかも、毛皮から強烈に発する獣の匂いを一人一人嗅がせて、嫌がらせとも(笑)思える行為で客をグッと自分に引き付けた。かなりの悪臭の中、スライドと共にチョモランマ登頂の話が進められた。ネパール到着早々大事なパソコンがなくなってしまい、「落ち込んで、最初のニ週間は毎日枕を濡らしていた…」と語るが、その話し方からは全く落ち込んだようには見えなかった。

◆パワーポイントを使って一枚一枚写真を見せながら語る彼の横顔には自信が窺え、山田淳が持っている不思議な世界にひきずりこまれていった。高所登山のことはわからないが、高度順応がとてもよかったらしく、シェルパと相当なスピードで登り、頂上へは一番乗り、次ぎの人が登頂するまで3時間近くも差があった、という。そして、なんと頂上でパソコンを開いているショット。よくも、まあ‥。

◆写真といえば、「ファーストステップ」「セカンドステップ」と呼ばれる高所の岩場の写真は、日本に数枚と言うレベルのものであるらしい。江本さんがしきりにうなづいていたが、この高所になると、普通はシャッターを押す余裕なんてないのだろう。彼の限りない努力が自信を生み、それが行動力となり成功に繋がるのだろう。チョモランマ登頂のすごさよりも彼の人間的な追及心に感動し、胸が騒いだ。

◆報告会の後の二次会で山田君に「一緒に山に登りたい!」と申し出たら、気さくにオーケーしてくれた。人を寄せ付けないオーラなどなく、親しみやすさにあふれた人だった。斎藤夫婦と個人で話をしてみたら、報告会では見えなかった強さが感じられ、限りない冒険心を持っている人たちであることがわかった。二次会に参加することも新たなる発見の一ページであり、意味あることに思えたのでした。[鈴木博子=最近、地平線報告会に皆勤賞並み出席率の新人]


地平線ポストから
地平線ポスト宛先
〒173-0023 東京都板橋区大山町33-6 三輪主彦方
〒160-0007 東京都新宿区荒木町3-23-303 江本嘉伸方
E-mail :
Fax: 03-3359-7907(江本)

●田中幹也さんから…2002.6.16…バンクーバー発

◆ごぶさたしております。今回の計画(山スキーによるカナディアン・ロッキー山脈2200キロ縦走)ですが、踏破距離1100キロ+ちょっとの地点であっけなく断念しました。季節が春になり、積雪量が極端に減ったこと、両ひざの炎症がひどくなったこと、そして最大の理由は、もうこれ以上歩けない、という心境に達したことです。今回は自分でも納得のいかないところが多く、できるならば来冬に再度のトライを考えております。今月の地平線報告会には出席できると思います(江本注・実際に来た)。

◆追記・関野吉晴さんの7年がかりのグレートジャーニーは、つくづくすごいと思いました。7年間モチベーションを維持することの大変さというものに…。今回の計画を断念した日にそう思いました。


◆アメリカ大陸5000kmを71日間で走って横断する「Run Across America」に出場中の地平線仲間の下島伸介、武石雄二さんはコロラド州のデンバー付近(ほぼ2000km)を快調に走っています。ここ一ヶ月間、一日の休みもなく、毎日フルマラソンを2回やっているのだからすごい。ニューヨークまであと3000km、がんばれ!


●古山里見さんから…
◆今私は富山県の雨晴海岸に来ています。明日からシベリア横断ツーリングに伏木港から出発する賀曽利隆さんの見送りに来ているのです。賀曽利さんのメッセージです。(以下、ミミズ文字で「三輪さ〜ん、明日、ロシアに出発だというのに、飲み過ぎで、バイクに乗れましぇ〜ん」と、書いてありました。)


◆青森、岩崎村、白神山地の名物教師の鹿内善三さんが3月退職。4月から漁師になるために八戸の県立海洋学院に入学し、太平洋でマグロ延縄実習をしているそうです。季刊「森のクラス会」No.4、に「漁師の卵は60歳」として紹介されています。



特別報告会
「河野兵市を思い出し、互いに叱咤激励する会」の
ご案内

 河野兵市さんが北極海で還らぬ人となって、1年あまり。パワフルな行動者であり、いまは天空にいる河野さんに、地平線会議として長いつきあいを感謝し、早過ぎた別れを叱咤し、短かったけれど、変化に満ちた43年の生涯に激励されよう、という集まりを開きます。いつもの地平線報告会と同じスタイルで、同じ場所で、本人以外はみんないる、というような会にしたいので、河野さんを知らないという人を含めて是非是非ご参集下さるよう。なお、この日は、遭難3日前、補給フライトで氷上の河野さんと出会ったサポート隊員が撮った元気な河野さんの姿を皆さんに公開するつもりです。また、これまで東京ではあまり知られていない、貴重な河野兵市の映像も準備する予定です。最近、夫・河野兵市との物語「絆(きずな)」を書かれた順子夫人も参加します。

 日 時 2002年7月30日(火)18:30〜21:00
 場 所 牛込箪笥町区民センター
 参加費 500円




■今月の地平線報告会の案内(絵と文:長野亮之介)
地平線通信裏表紙

聖山56周行

7/26(金) 18:30〜21:00
 Jul. 2002
 ¥500
 牛込箪笥区民センター(03-3260-3677)
 都営地下鉄大江戸線牛込神楽坂駅真上


わけもなくチベットが好きで好きで、子供の頃ついたアダ名が「チベット」という渡辺一枝(いちえ)さん。はじめてあこがれの地を踏んだ87年以来、故郷に帰省するみたいにチベットに通い続けてきました。92年に第1回目のカイラス巡礼を果たし、95年、96年、99年、そして今年5月と、これまで5回、聖山を歩いています。

特にうま年の今年は、1周が13周に相当すると言われます。5月13日から22日までに4周回った一枝さんは、今回だけで52周歩いたことに。始点4550m、最高地点5630mのコースをチベット人と同じように1周1日で歩きました。この秋も6回目の巡礼にいく予定という一枝さんに、チベットの魅力をお話しいただきます。


通信費(2000円)払い込みは郵便振替または報告会の受付でどうぞ
郵便振替 00100-5-115188/加入者名 地平線会議(手数料が70円 かかります)


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