|
■3月の地平線通信・268号のフロント(1ページ目にある巻頭記事)
鎖国状態のチベットに潜入した日本人は10人いるが、そのうち鹿児島の開聞岳の麓に暮らす野元甚蔵さんと、盛岡市に住む西川一三さんのお二人は健在だ。「西蔵漂泊ーチベットに魅せられた十人の日本人」というタイトルで10 人の旅を追う本を書いたことがきっかけで、お二人とはいまも「家族に近い」感覚のおつきあいがある。1 年前、地平線会議や山仲間、チベット、モンゴル仲間が不肖私の「独立を祝う会」なるものを開いていただいた時は、西川さんが盛岡から駆けつけてくれ、野元さんのご長男が愛知県から、ご長女夫妻が千葉から参加してくれたのは、心底うれしかった。
◆84才になるお二人を特別ゲストに、12 月に開いた「日本人チベット行百年記念フォーラム」は、そのお二人に会いたい、という人たちが多かったせいだろう、立ち見が出る盛況であったことは、以前簡単に書いた。
◆チベット仏教では活仏(かつぶつ)という非常にユニークとしか言いようのない制度がある。正しくは「転生者」と言うべきか、簡単に言えば、徳の高い高僧の「生まれ変わり」を認めるシステムだ。関東軍の研究生として内モンゴルの草原で暮していた野元さんは、ある日関東軍幹部から「チベットに行かんか」と言われる。青年の使命感と好奇心からチベット行きを引きうけた野元さんは、アンチン・フトクト(フトクトは、モンゴル語で「活仏」のこと)と呼ばれるシガツェのタシルンポ大僧院の活仏が北京から帰る際、モンゴル人になりすましてその一行にまぎれ、チベット入りを果たす。弱冠22 才だった。その詳しい経緯は、昨年8 月野元さんの初めての著書「チベット潜行1939 」(悠々社)という本にまとめられたので是非是非読んでほしい。
◆つい最近のことだ。チベット学者の貞兼綾子さん(259 回報告者)を通して、インドのチベット人学者から、「野元さんを探している人がいるが、住所がわかるだろうか」という趣旨の問い合わせがあった。探しているのは、ンガクチェン・リンポチェと呼ばれる若い活仏。なんと63 年前、野元さんがお世話になったアンチン・フトクトの二代後の生まれ変わりの青年だった。
◆現在のダライ・ラマ14世が先代であるダライ・ラマ13世の生まれかわりであるように、活仏は現世では亡くなった人がまさに蘇るのである。周辺の人々から昔、日本人が一緒にシガツェに来た、ということを若い活仏は知り、貞兼さんの友人の学者を通して野元さんが健在であることを知ったのだろう。
◆鹿児島の野元さんは、実はこの冬、体調がすぐれず、病院通いをしている。でも、インドからのメッセージを伝えると「ほんとうに嬉しいですねえ。いまも私のことを知っているチベット人がいるということは・・」と、元気な声で驚きと喜びを語った。
◆西川一三さんとは、ある雑誌の対談で二月にも盛岡でお会いした。「姫髪」という小さな理美容材卸しの店を経営しておられるのだが、1 年のうち休むのは元日1 日だけ。あとの364 日は朝8 時から午後5 時まで毎日仕事をしている。「人間、死ぬまで仕事し、自分で生きなけりゃ」が信念で、私は午後5 時以前に会えたことがない。
◆今回は、12月のフォーラムで詳しく聞けなかった、「西北行」の動機、帰国後の待遇、盛岡移住のいきさつ、結婚のこと、などやや立ち入ってあれこれ聞かせてもらった。インドの乞食の人々はじめ「底辺の人々」とだけつきあってきた西川さんは「底辺こそ平和、安全」と、言う。雪道を自転車に乗って通う84 才。青年の気概をいまなお、持ちつづけていることに、うたれる。[江本嘉伸]
|
和田晶子 |
|
◆「これは行かなくちゃ!」と決意した。いつも楽しみに見ている「地平線通信」にカラーシャ族と結婚したわだ晶子さんが、援助について語ると予告されていたのだ。実は今、私達夫婦は仙台に住んでいる。600kmという距離と2 万円という汽車賃は地平線への道を阻んでいた。でも、今回は・・。受付には、三輪さんと武田さんの懐かしい顔。すでに数十人の人がわださんの話に聞き入っていた。
◆アレキサンダー大王東征軍の末裔ともいわれるカラーシャ族は、パキスタン北西部に住む人口3000 人弱の少数民族。周囲をイスラム社会に囲まれながらも、長い時代にわたって独自の多神教を信仰し、禁酒の掟のあるイスラムとちがってワインをつくり、女性もベールを被っていない。
◆わださんは、ゆったりとしたペースでカラーシャ族の日常の食べ物や貴重な風習の話、苦労したヴィザ取得の話しなどを語っていく。私には一言一言が興味深々でおもしろかった。美しい飾りをつけた被りものと黒い民族衣装にネックレスという独特の服装やチョウモス祭などの宗教儀礼や女性不浄の風習は基本的に変わっていないようだ。しかし、現在は自動車も入るようになり、多くの外国人観光客も訪れ、大きく様変わりしたという。
◆わださんは、最初はイランに行く途中にちょっと立ち寄ろうかという軽い気持ちだったそうだが、しだいにカラーシャの魅力にはまりこんでいく。丸山純・令子夫妻も何度も通われているし、私達も、昨年の冬には、そのルーツは本当に「アレキサンダー」なのだろうかと確かめたくて、ギリシヤを訪れる程、何か不思議な力があるカラーシャなのだ。アジアの辺境の地にありながら、金髪に青い目の人々もいるという点に、私は「東は東、西は西」ではなくて、人類は「ホモサピエンス」というひとつの種なのだということを思い出す。
◆カラーシャ族の住む谷を夫の元彦と私が訪れたのは、1968 年。日本でカラーシャ族に最も詳しく、かつ愛している? 丸 山夫妻によれば、私達は日本人で2 番目にこの地を訪れたことになるそうだ。当時、私達は、東京農大探検部OB を中心とした登山隊のメンバーとして、ヒンドゥクシユ山脈の未踏峰エクタゾム(6000m)に初登頂した直後だった。何か月にもわたってイスラム世界に暮らした後だったので、よけいに興味をそそられたのだ。
◆30年後のわださんの話に戻ろう。日本の大使もこの地を訪れ、外務省の援助で電気がつくようになった話や、女性たちのために外から見えない衛生的な水浴場をつくるなど、単なる旅人でなく、この地の人々のことを考えて、実行に移すわださんに本当に良い援助のあり方をみて、感心してしまった。夫の元彦が代表をしているNGO 「マングローブ植林行動計画」の一員としてエクアドルやベトナムの村に通っている私には、その苦労が何千キロも離れた地なのに、共通点があって、手に取るようにわかる気がした。ギリシヤの人々は同じ仲間として、善意のNGO 活動をしているのだが、実際には色々問題があることも、わださんの口から語られた。同じ事を私達日本人もしていないだろうか?反省させられる話だった。
◆久々の地平線。高山に住む中畑さんの便りにもあったが、地方で人を集めるのは大変で、苦労している身としては、こんなに 長期間、コンスタントに人が集まるのは、本当にスゴイことだと思う。江本さんにそのヒミツを聞かなくちゃ。地平線会議は、継続しているだけでなく、内容も楽しくかつ社会的に貢献するよう進化していると感じた夜だった。[向後紀代美]
|
|
|
〒173-0023 東京都板橋区大山町33-6 三輪主彦方 〒160-0007 東京都新宿区荒木町3-23-303 江本嘉伸方 E-mail : / Fax: 03-3359-7907(江本) |
●前田歩未さんから<今月のショック>
◆えもとサン。ドイツから、このショックが届きますでしょうか??地平線通信の1 ・2月号をようやく読むことができたんですが、関野氏がムサビの教授って・・・・なんで、なんで今なんですかぁ。もっともっと早くなっててくれないとぉー!!私だって講義とりたかったですよー!!!読んだ瞬間“はぁ!?・・ムサビ?関野さん??え!”ってショックでくっそぉーって。誰に当たればいいのか考えたらやっぱり江本サンでしょ。だってだって知らなかったらホトケでいられたのに。あーあ、しばらくショックがぬけないな。江本サンのせいで!
◆ところで1月号、めっちゃくちゃ面白かったです。三輪氏の奈良の話は地元なのに、そうなのか・・と学ばせていただきました。大御所が勢揃いだったようで、そんなスゴイ現場にいたかったと・・日本を離れるのも、すごくいいけど、やっぱり日本もいいなぁと最近思います。
◆修行は順調に進んでおります。お仕事のある日は、1 日10 時間ぐらい作業をしていますが、休みもちゃんとあるので、体力的にはきつくないです。さらに力持ちになった気がします。ちなみに、今回来る時のスーツケース、35kg でした。帰りはそんなの軽々と持てたりするんでしょうか。
◆ボス一家はとてもいい人達で、アユミは興味があるだろうからと他の工房を見に連れていってくれたりします。
◆あるみ流に、今を生きています。大きくなった時、“生きてきた道が、魅力として身についていてほしい”と思います。今日は、うさぎの肉を食べました。順化していますが、最近向上しない語学力がストレスです。そういうわけで元気なんですが、今日のショックは、江本サンのメールが全部消えてしまったショックよりもデカイ!と断言できます。そりでは。(独で修行中の木のおもちゃ作家志望人)
●森田靖郎さんから<毛ばりの日々>
◆二月は、釣りにいくこともなく、毛ばりをたくさん結びました。機会があれば、いちど私の芸術的?な作品をお目にかけます。五月には、朝日新聞社から単行本が出る予定で、最後の校正などをやっております。地球規模で進む、安価良品の仕掛け人とは誰か。そして、安価を生み出す安い労働者とそれを運ぶ地下組織とは、がテーマです。メード・イン・チャイナがメード・イン・チャイナタウンを脅かす。この影でマフィアといわれる幇と、蛇頭が暗躍する。どこかの映画のようなストーリーですが、私がこの十年追いつづけた、三人の影のボスたちの実像です。お暇な時に、話だけでも聞いてください。
●網谷由美子さんから<乗鞍から月山へ>
◆ご無沙汰してます。いつものように月山で楽しんでいたら、山田君から電話があり驚きました。彼の掲示板関係者が乗鞍の山小屋で壮行会をしていて、参加できない私は酒を送ったところ、これから飲みますと。こういうの嬉しいですね。斉藤さんのノースコル、山田君のエベレストどちらも成功しますように!(注 山 田淳は第261回報告者、七大陸最高峰最後のチョモランマめざして3月30日出発する。斉藤氏は昨年7月、美ヶ原エコ弁当コンクールで優勝したことをきっかけにチョモランマ・ノースコルまで参加することになってしまった青年)
[今月のお知らせ]
国際山岳年日本委員会主催フォーラム |
「我ら皆、山の民−私たちは、なぜ山にひかれるのか」 −日本の山をめぐる文化的挑戦−
■「国際山岳年」を記念して、日本人にとって「山」とは何か?日本の文化の中で山の果たす役割を考える。登山家の体験と、学者の視点を混在させた新しいスタイルのフォーラム。
★日 時:2002 年4 月7 日午前10 時〜17 時
★場 所:東京・青山 東京ウィメンズ・プラザ・ホール
★主 催:国際山岳年日本委員会
★参加費:(資料代)1000円
第1部◆田部井淳子「世界の山、日本の山」
◆小泉武栄「美しく、そして世界的にも特異な日本の山」
第2部◆多田多恵子「日本の山の花のマル秘私生活」
第3部◆立体フォーラム「登山の現場から日本の山を語る」
◆山野井泰史「ヒマラヤ・そして日本」
◆ 服部文祥「修験の山・サバイバルの山から見た日本の自然」
◆石川直樹「21 世紀の海、そして山・・」
◆小泉武栄「美しく、そして世界的にも特異な日本の山」
◆聞き手・江本嘉伸 ◆コメンテーター・岩田修二
●問い合わせ先03-3357-7704 江本
■河野兵市君を送る高尾山半日ハイキングに参加していただいた、三歳から還暦のまでのみなさん方、ご足労まことにありがとうございました。故人もかつての自分のフィールドで見送られて、さぞや感謝していることと思います。河野夫人の話によれば、近日中に河野君のとの日々が活字になるとか。かくいう私も河野君と肩で風をきり闊歩した南米の日々を、いずれ活字にするつもりでいます。
地平線会議+JACC 埜口保男
しげさん、イスラム圏に迷いこむ 3/26(火) 18:30〜21:00
|
郵便振替 00100-5-115188/加入者名 地平線会議(手数料が70円 かかります) |
|
|
|
|