2002年1月の地平線通信



■1月の地平線通信・266号のフロント(1ページ目にある巻頭記事)

地平線通信表紙明けましておめでとうございます。

●新年になって何がめでたいんだなどとヤボな事は言いませんが、でも流れる時に刻み目を入れ、それにさも深い意味があるように見せかけることには、ちょっとだけ異議を唱えたくなります。元旦は世界中の人々がめでたいのかといえば、それは違います。日本だって旧の正月(2月12日)を祝う人々もいるし、中国やイスラム圏の人たちは特別に盛り上がったりはしません。それぞれに時の流れに対する意義づけは異なっており、それが文化というものだったのです。

昨年は、そのローカル文化に対して巨大なグローバル化の強要への反動があらわになった年だった気がします。世界のみんながおなじ時間を共有しているという錯覚が多くの誤解を生むのです。アフガンにはアフガンの時間の流れがあり、日本には日本の時間的感覚が存在しているのです。それを全部ひっくるめて一緒にしようという雑な考えでは、この時代をリードしていくことはできません。

●話は変わり暮れの22日、奈良の大和にいってきました。すでに新年の準備が整い、近鉄電車には「うま年の開運飛躍は三輪さんへ」の中吊り広告がありました。関東では「三輪」といっても反応は少ないのですが、こちらでは日本で最も古く由緒ある神社として知られています。ついでに言うと「大神神社」と書いて「おおみわ」神社と読むのです。すなわち三輪=神なのです。私の名前は三輪主彦、すなわち三輪の主、なのです。どうだ、参ったか!!

ここは日本の古い形式をもつ神社で、拝殿の背後の三輪山自体がご神体になっています。ご神体の山は長い間禁足地でしたが、近年許可を得て登ることができるようになりました。大和盆地には、自然の山や谷を神聖化して創られた文化があることを見聞きしてきました。見聞の中から私は、三輪山の中腹にある磐座(いわくら)から見ると、畝傍山の背後に冬至の日が沈むという説を立てました。しかし地図上での話で、実際にはその日没を見たことはありません。昨年やっと念願が叶って、その場に立つことができました。

しかし日没まで三輪山の中にいることは許されないので、だいたいの方角しか確認できません。その感じではどうも私の説には不利だったのですが、まあ現実だから仕方がありません。翌日は大和三山の耳成、畝傍、天香久山に登ってきました。天香久山は10分ほどで上れますが、なかなか意味深い山で、この山頂を通る南北線が大和盆地の中ツ道です。ここから藤原京の大極殿と多武峰が一直線上にあることがわかりました。この線と天体運行上の何らかの線とが一致するのではないかというのが私の新たな仮説です。

●翌23日の天皇誕生日に「桓武天皇の生母は韓国人であった」との天皇自身の談話がなされました。新聞テレビでは小さな扱でしたが、これは日本の歴史を揺るがすほどの大事でした。歴史家は誰でも知っていますが、天皇家自らが認めることはタブーだったからです。

三輪山の麓にいると巨大な古代天皇陵がいくつもあり、卑弥呼の墓と称される古墳もあります。三輪山は崇神天皇が流行病、疫病などの祟りを鎮めるために大物主を祀った場所だそうです。ここらではほとんどが神話の世界、昔の天皇がどこからきたかなど問題ではないのです。歴史と神話がごちゃ混ぜになっても、権力と結託さえしなければ一向にかまいません。豊かな神話を受け継いだ人々は豊かな想像力を持っているのです。すべての歴史を合理的に説明することなどできっこないのです。

●私は昨年のテロに象徴される一連のできごとは神話と歴史という時間の蓄積を持たない未熟なアメリカという国の独りよがりに、大きな原因があると見ています。彼らがアメリカという大地のもつ時間と神話をネイティブの人たちと共有することができれば、彼らにも他の文化が見えてくるのではないかと思います。今年はアメリカに行って、彼らに歴史と神話の教育を施してこようと考えています。(三輪の主)



最前線の
メカニズム
ありがとう22年間
さよならアジア会館報告会
恵谷治 他
2001.12.28
アジア会館

前線より
アフガニスタンと
戦場のこれから

28日、地平線報告会の開会より90分も早くアジア会館に到着した。長野画伯と丸山純氏が製作した地平線特製カレンダーを即売可能な状態にするためだ。そのカレンダーの梱包作業をしている所へ、今回の報告者、恵谷治氏がやってきた。帽子を取ったその顔に、まず圧倒される。報告を聴く前に、顔に刻まれた深い皺が、時間と共に降り積もった経験と魅力を訴えかけてくるのだ。思わず「veteran」という単語を想起する。英語の「veteran」の第一義は「古参兵」であって、単なる経験者というよりは戦士のイメージが強い。その意味でも実際に世界の戦場を追いかけてきた氏にこそ、「veteran」という言葉は似つかわしいように思われる。

◆マイクをとった氏は、まず報道者として現地入りする際の手順を語り始める。ラフな口調で気負いもないが、語られているのが氏の実際の経験だからか、「地名は把握せよ」「ゲリラの足手まといになってはならない」といった個々の言葉に、戦場の緊迫が重量感を伴って滲み出す。それに比べ、世に氾濫する戦場を仰々しく書き立てた描写の何と空虚なことか。

◆続いてアフガンに関する現地での経験と軍事に関する該博な知識が披露されるが、一つの事を語り終える先から別の事が溢れ出てくる。氏の裡にある語るべき事が多すぎるのだ。アフガンの現状についての分析も、アメリカを中心とする今後のハイテク戦争の行方も、兵器一つ一つについての知識とタリバンをめぐるエピソードに裏付けられて生々しく説得力がある。

◆その様な氏の言葉であればこそ、「報道を鵜呑みにするな」という言葉も重々しく響く。前線の様子や戦闘の状況、あるいはイスラム原理主義やタリバンの行動についての予想に至るまで報道は間違いだらけであり、米軍がトラボラで使用した気化爆弾の恐ろしさや、その爆風の下に存在したはずの犠牲者、アフガンをめぐり今もうごめく大国の利害、華々しく宣伝される援助の実態など、報道されてすらいない事もあると氏は指摘する。

◆報告の内容は氏の姿をそのまま写したような圧倒的な迫力に満ち溢れていた。その迫力は、一つには戦場というものを直接知っているところから来るのであろう。地平線に旅人多しとはいえ、近代兵器が猛威をふるう前線に自ら飛びこむというタイプの人は、そう多くはない。
そしてもう一つには、その経験の中で積み上げられた氏の人間性そのものによるのだと私は思う。人間40を過ぎたら自分の顔にも責任を持たねばならぬというが、氏の容貌ならば責任も恐れる必要はない。

◆若いうちは誰でも美しい。その美しさを失った時に、別の魅力を身につけているかどうか、それがその人の生きてきた道を明白に照らしだしているのだ。恵谷氏の場合、行動者として戦場という対象を追い続けるなかでいつの間にか醸成された魅力が、外面に滲み出ている。このveteranの言葉をもっと聴くために、書店へ行って、再版されたという氏の本を探してみようか。

地平線に
刻まれた
足跡

◆前半の興奮さめやらぬままに突入した後半は、地平線会議草創期以来のメンバーが次々とマイクをにぎり、会場を埋める人の多さもあって大変な熱気だった。録音テープや二十数年前の地平線運営をめぐる議事録など、中心メンバーさえどこにあったかと驚く品が続々登場し、当時と今で声を比べられて照れる鉄人ランナー三輪氏の姿がある。

かと思うと、シルクロードを東から西へランニングで走破するという大偉業を成し遂げた中村嘉太郎氏(12/30日に帰国。一月の報告会にて報告予定)をはじめ、現在の活躍がいくつも語られ、ますます盛んな行動者達の姿が浮かび上がる。恵谷氏はせがまれて東シナ海の不審船事件をめぐる詳細な解説を披露し、釣り師の森田靖郎氏はみずから釣った堂々たる尺アユを披露する。地方からの人も顔を覗かせ、伊南村の丸山富美氏からは村の米で作った自慢の酒が届く。会場は和やかな空気でいっぱいだ。

◆人も物も集まった。『地平線から』全巻と『地平線データブック・DAS』が勢揃いし、地平線放送のテープが披露される。地平線会議発足に際して様々な哲学を語った宮本千晴氏や、地平線報告会の発起人である賀曽利隆氏、地平線放送を提案した伊藤幸司氏、さらには地平線放送第一回で愛らしい声を聞かせてくれた菅井玲子氏まで登場した。

聞くところでは、地平線会議の趣意書に「呼びかけ世話人」として名を記した伊藤、江本、賀曽利、宮本、森田、そして岡村隆の各氏が一堂に会したのは、恐らく初めてのことだという。司会を務める丸山氏の声にも深い感慨がにじむ。二次会は席に座りきれないという人数もさることながら、盛り上がった勢いで大変賑やかな宴となった。食べ納めのアジア会館名物バングラカレーがアッという間に売り切れたのは、言うまでもない。

知的安定性
Intellectual Stability

今回の報告会はアジア会館にしばし別れを告げるという事で地平線の過去を顧みる事になったのだが、私のように通い始めて一年にならない者にとっても貴重な場となったと思う。地平線に関して不思議に思っていたことが、少し腑に落ちたような気がするのだ。その辺に触れつつ、地平線について私の思うところを書いてみたい。

◆会の中で第一回報告会後なされた討議の記録が読み上げられたのだが、それを聞いて少なからず驚いた。私が新人として何となく持っていたイメージと比べ、相当に激しい印象を持ったのだ。早口で読み上げられる議事録の中では鋭い意見が飛び交い、互いにぶつかり合い、理想を求める真摯な姿勢が伝わってくる。

趣意書にはその理想が盛り込まれているわけだが、当時の生の記録には、体裁良くまとまった書面には無い鮮やかさがある。さきに「地平線会議発足に際して様々な哲学を語った宮本千晴氏」と書いたが、地平線の目指す姿については、誰もが強い意見を持っていたのだ。否、持っていると言うべきだろう。今でも地平線には各々の信条を持った人々がいる。中心メンバーでさえ、その信条・考えは各様なのだ。

◆私は前々から「知の安定性」という事を考えてきた。「知」などと言うと難しく思う方もおられるかも知れないが、何のことはない。人間誰でも、毎日頭を使って何事か考えている。民族問題云々から、隣の奥さんがドウシタとかまで、誰だって何かを考え、判断を下して生きている。その知の働き・ものの考え方が、不安定な人というのが存在するのだ。物事を型にはめて考えようとする傾向・何でも対立構図で理解したがる傾向は、他人に対する極端な態度や、無理解・即断・偏見につながっていく。私はいま大学生だが、残念ながら大学のお勉強では、知の安定性は向上しない。

◆それに引き替え不思議なのは地平線だ。私は常々、地平線のおおらかさを不思議に思ってきた。根幹には強い思想がありながら、同時に様々なスタンスで活動する人々を包含する広さがある。冒険家から学者まで、思想家肌から感動派まで、これが本当に多様なのだ。思想が開放的で、多様なものを認めあえる安定性をもっている。安定した知には、形ばかり整った屁理屈にはない、人としての魅力がある。

◆この知的安定性は、例の議事録の激論を聴くに、どうやら発足以来のものらしい。マスコミでは不十分な、地平線の彼方にあるものについての充分な認識を確立するための「パイプのジョイント役(第1回報告会での宮本氏挨拶より・地平線放送収録)」たることを一つの目標として発足した地平線会議の、それが心なのだと思う。そもそも安定した知性を指向する人々が集まって発足したプロジェクトが「地平線会議」であり、宮本氏がパイプをつないで世界を身近に体験しようと述べたのも、結局は知の安定性を高める試みであったと私には思われる。

地平線と
私の
これから

今回の報告会で生身の三輪氏とテープ中の22年前の三輪氏が比較され、氏がかつて自ら語った通り、22年間地平線にどっかと腰を据えて少しも変わっていない事が証明された。(地平線通信237号トップ参照)それと比べて私は、なんと三輪氏が初めて伝説の「1万円(地平線放送収録)」を語った時、この地上のどこにも、片鱗すら存在しなかったのだ。少なくとも遺伝情報から私であると同定できるモノがこの世に発生したのは、1981年7月1日の前後1ヶ月ほどのことである。それが、三輪氏が22年目に同じ「1万円」を語った時には、こんな堅苦しい文章を書いて読者の方々を苦しめるようになっていた。そんな新人の視点から、いまと今後の地平線を考えてみたい。

◆まず、今のところ私は探検も冒険もせず、民族学に進むでもなければNGO活動を展開する予定もない。にも関わらず、私は地平線に通い続けるだろう。私は地平線が確かに当初の目的を果たしていると思うし、そうであれば自分が山に登るかどうかは関係ないはずだ。また先述の通りここには魅力のある多様な人が集まっており、それらの話を聞くだけでも意味があると思う。人と人が出会うとき、そこには変化が起き、可能性が生じる。地平線は我々若い世代にとって、有意義であり続けている。

◆ひとつ、地平線の今後について提案をしてみたい。江本氏が口にした事を拾ってきて勝手に発表してしまうだけなのだが、地平線も先進国のこと、都市のことを採り上げても良いと思う。確かに我々はアメリカ型の消費生活を受け入れているが、ではニューヨーカーの心が分かるかと言えば疑問だ。アメリカについて、またロシアについて、安定した思考を積み上げられるようにする。それは地平線の目指すものに合致すると思うのだが。[マックをモバイルする東大生 松尾直樹]



地平線ポストから
地平線ポストでは、みなさんからのお便りをお待ちしています。旅先からのひとこと、日常でふと感じたこと、知人・友人たちの活躍ぶりの紹介など、何でも結構です。E-mail、Faxでも受け付けています。
地平線ポスト宛先
〒173-0023 東京都板橋区大山町33-6 三輪主彦方
〒160-0007 東京都新宿区荒木町3-23-303 江本嘉伸方
E-mail :
Fax: 03-3359-7907(江本)

●中西純一さんから…ベトナム発
◆明けましておめでとうございます! 本年もよろしくお願い申し上げます。私は正月をベトナムで迎えております。クリスマス直前に日本を出国したため、慌ただしい出発で年賀状を出し忘れており、お詫びとともに新年の挨拶に代えさせて頂きます。近況を報告いたしますと、今年3月中旬より約1ヶ月半、東チベットの仏教経典印刷所(デルゲパルカン)に調査に入ることになります。長年の希望であった本格調査がようやく今年実現出来る運びとなり、昨年後半から様々な準備をしております。

調査では日本から自然・建築・言語・仏教の研究者と共に現地に入ります。私は経典印刷所とそれを取り巻く人々の生活をビデオで撮影して、作品としてまとめる意気込みです。まだ、どこでどう発表するかは決めていませんが、あまりTV番組という意識ではなく、記録映像という視点で撮影を進めようと思っています。TV番組としては恒例の食材探検や、アジアのデザート、中国の社会問題等取材を進行させている案件はあるのですが、何せ一人で動いているので、昨年と同様に持ち越してしまう企画も多々でてくるでしょう。余り欲張らずに、今年はチベット・デルゲパルカンの調査を無事やり終えると、何か新しい展望が見えてきそうな気がしています。叱咤激励をよろしくお願い申し上げます。[映像作家]


●ケルサン・タウワさん、加世田光子さんから
◆おめでとうございます。昨年、6月22日(夫婦の日)に結婚し、結婚後初めてのお正月を迎えています。昨年はチベット語集中講座や、レギューラークラス開講、カワチェン・チベット・ニューズレター「まるめ」刊行の他、NHKのチベット舞台芸術団に関する番組のインドでの取材に同行したり、12月15日の「日本人チベット行百年記念フォーラム」で、ダライラマ法王や、「チベットの娘」著者のタリン夫人インタビュー・ビデオ、チベットの古いフィルムなどを紹介することができました。これからも、チベットの文化を日本に紹介する活動をしていきたいと思います。今年もよろしくお願いいたします。


●安東浩正さんから
◆「チベット百年記念フォーラム」はどうでした? オールスター揃い、ぼくも是非行きたかったのですが残念ながら日本におりませんでした。今は中国、チベットとアメリカを行ったり来たりしていて日本になかなかおらず、地平線会議にも顔を出せずにいますが、忘れないでください。チベットでは10月にジェクンド→ラサまで自転車で走りましたが、結構怖い思いもしました。あの辺のカンパは西川一三さんが行かれた時みたいにまだまだ凶暴かも! 今年もよろしくお願いします。


●丸山富美さんから…伊南村在住、帰省中の徳島発
◆明けましておめでとうございます。本年もどうぞ宜しくお願いします。一昨日(元旦)に雪の伊南村から、四国の徳島へ帰省しました。こちらは、毎日すこぶる快晴、しかし風が強く、外にいると伊南村とは違う寒さを感じます。母親たちは『これがしばれるっていう寒さかいな』とか言っていますが、それは大袈裟です。

しかし、昨日は朝7時から観光バスにゆられ、兵庫県の日本海側、浜坂温泉まで正月ツアーというものに初めて行きました(母親の付き合いで、松葉ガニを食べに)。鳴門大橋、明石海峡大橋をわたり、山陽道を走っていくと日本海側は大雪! バスの中のおば様、おじさま連中からガイドまで悲鳴をあげて感動しまくっていました。うちの母親は山に5センチくらい降った雪を見て『積もっとる、積もっとる』と超興奮。『除雪車が走っとる…』と、見たことない作業を見て、また感動。そんな雪は伊南村では積もってるって言わないんだよっと思いながらも…四国では、なかなか見られない光景だったようです。

◆前置きが長くなりました。今年は、色々な地域で地平線を開催することになりそうですね。どこかで協力させてください。今年もどうぞよろしくお願いします。

●前田歩未さんから
◆あけましておめでとうございます。12月半ば過ぎにやっと帰国し結局約5ヶ月のドイツ滞在になりました。そして、今月半ばにはまたドイツへ行くことになりました。今度は、おもちゃ修行編です。今回のドイツは語学編だったわけですが、4ヶ月のガクセイ生活を終え、多国籍の仲間達とあんなに深く仲良くなれるとは思っていませんでした。そして、最後の1ヶ月で、習得したてのドイツ語を駆使し、ドイツのおもちゃ巡りをしてきました。おもちゃ巡りの目的は、おもちゃの偵察と修行先を見つけること。“おもちゃの工房に入り、おもちゃを創る”が夢の1歩手前であり、その場所を見つけるのが今回の仕事でありました。

◆最後に訪問した、ビラーベックというドイツの北西の小さな街の工房のボスが、とてもいい人で話しを聞いてくれ、そこで修行させてもらえることになりました。その上、嬉しいことに、長年行きたいと思っていた、ニュルンベルクのおもちゃメッセにも連れていってもらえるというおまけつき。なので、その出品の製作に忙しい1月半ばから修行が始まります。

◆今回ドイツにいる間、“今までで、一番いいこと経験してる”と思いました。予想外で予定外の出来事や結果にとても満足です。今、また新しいおもちゃのアイディアを抱えており、修行の合間を縫って、製作に励もうと思っています。今回はメイキングをホームページで公開しながら創ってみようかと思っています。でも、いつのことになるのやら…。[新進おもちゃ作家]


●滝野澤優子さんから…2001.12.24…イスタンブール発[E-mail]
◆まだイスタンブールです。大雪のためにギリシャへの道路が積雪で通れません。 2度ほどトライしたけれど、バイクでは無理。明日鉄道で運ぶ予定です。今年は雪が早いようです。…そんなわけで、イスタンブールに停滞しているうちに、私たちの泊まっているコンヤぺんしょんに中山さんがやってきました。てっきり体力派の若者だと思っていたのに、びっくり。とっても元気そうです。1日だけでしたが会えてよかったです。


●中山嘉太郎さんから…山梨発
◆12月23日の12時19分にシルクロード走り旅を終え今回のゴール地点トプカプ宮殿に着きました。ボスポラス海峡をゆっくり船で渡り…ジーンと来ました。詳しくは報告会で。

◆さて、私はバイクで走っている滝野澤優子さんがイスタンブール辺りをうろついていることは知っていた。実は、12月13日に三輪さんに電話した時に滝野澤さんがイスタンブールのコンヤホテルに15日までいるとの情報を得るが、日程が合わず会えないだろう、と三輪さんには伝えたんです。でも、イスタンブール到着後一応コンヤホテルに行ってみると、「満員」と断わられた。その時私があっさり諦めると滝野澤さんには会えなかったでしょう。しかしシルクロードを2本の足でコンヤホテル目指して来たと言うと、日本人の管理人が「歩いている人の噂は聞いてました」と言い、なんとかソファーベッドをあけてくれたんです。そして管理人と話をするうちに、まだ滝野澤さんがコンヤホテルにいることを知り、1時間後には釣りから戻ってきた荒木ご夫妻(滝野澤さん)に会ったわけです。

◆彼女は「三輪さんからも聞いてました。中山さんて、えーーー、もっと若い運動系の人かと思っていたんですよー。」との会話からはじまりました。実はこの言葉ちょいとショックでした、どういう美男子を想像していたのでしょうか? 彼女はギリシャ方面に抜けたいが、イスタンより西方部の雪で1回目40km、2回目160kmの地点から、2度Uターンして引き返してきたとのこと。この冬イスタンブールはかなり雪が降り、道路交通は雪で混乱したらしい。

◆彼女と話したことはなかったが、お互いの知人が共通(地平線のこと)なので色々話しに花が咲きました。その後も彼女等は少しイスタンブールに留まらざるを得なかったのか24日にも会いましたが、年越しはどこでしたのでしょうか?


●エミコ&スティーブ・シールさんから
あけましておめでとうございます。昨年はいろいろありました。ありスギました。去年の今日、パキスタンでガンの告知を受けました。「早く手術しないと死ぬ」といわれ、頭の中が真っ白になりました。抗ガン剤治療、放射線治療、摘出手術を終え、体はまだ思いどうりにいかないけれど、春にむけ、じっくり療養中です。お正月は、久々に実家でゆっくり過ごしました。今年もどうぞ、よろしくお願いいたします。『ガンを越え、めざせ地平線!!』[鹿砦社]定価1260円(税込み)


●江本嘉伸さんから
◆ああ、恐ろしい目にあった。あるメイリング・リストにウィルスが紛れこんできて、ガードは機能したものの、その悪者メールを削除する作業をしていたら、ごっそりすべてのメールが消えてしまった。 パソコンの師匠とあおぐ新聞社の若い友人に来てもらって半日格闘したのですが、どうやら全文隔離された形のまま削除されてしまったようで、救出できませんでした。

必要な情報、原稿のたぐいは、その都度ファイルしておいてあり、それらは生きていたのでなんとか最悪の事態は免れましたが、ちょっとショックです。海外も含めて2001年に届いた3000通のメール−不要なものは削除済みだったのでなおさら−が、一瞬にしてなくなってしまったのだから‥。メールのバックアップを手抜きしていた結果なんだけど、私あてに送ってくださったメール、そんなわけでどこかへ行っちまったことをこの場を借りて報告します。すんません、トホホホホ‥。



地平線カレンダー2002
ついに完成!!!

お待たせしました。ご好評をいただいた97年版に続いて、長野亮之介画伯による「地平線カレンダー2002」が完成しました。タイトルは「いただきます界隈」(上の巻)。チベットからエクアドルまで、各地の“食の風景”を独特のタッチで描いています(もちろんカラー。素晴らしい出来です)。A6サイズ(葉書とほぼ同じ)の6枚構成(7月分以降は5月頃完成予定)。頒布価格は1部700円(送料込み)。地平線のウェブサイトに見本があります。お申し込みは、丸山(東京都杉並区南荻窪2-22-24-201 〒167-0052)まで。




今月の地平線報告会の案内(絵:長野亮之介)
地平線通信裏表紙

荒野壁抜走抜始末

1/24(木) 18:30〜21:00
 January 2002
 ¥500
 牛込箪笥区民センター(03-3260-3677)


「中央アジアは荒れ地ばかりで、食料の心配がつきまといました」というのは、走る旅人・中山嘉太郎さん(44)。昨年後半はウルムチ(中国)からイスタンブール(トルコ)間6700kmを152日で走行。これまでの中国、東南アジア、南米に較べて、国境を感じる旅でした。

7ヶ国を走る間に、ビザ待ち停滞や、国境付近の危険地帯回避も。公用語だけでも、中国語、ロシア語、ペルシャ語と変化。「それがメリハリになって面白かったな」と中山さん。アンカラからゴールまでは雪の中を長靴で走ったそうです。

一昨年スタートした「シルクロード走り旅」は、12/23のゴールで完結。西安〜イスタンブールの総走行距離は9400km、走り実数は205日。新年初の福袋報告会を、お楽しみに!

〈今月は木曜日〉
場所 牛込箪笥区民センター(3260-3677)
大江戸線牛込神楽坂駅真上 徒歩0分です!
\500


通信費(2000円)払い込みは郵便振替または報告会の受付でどうぞ
郵便振替 00100-5-115188/加入者名 地平線会議(手数料が70円 かかります)


to Home
to Tsushin index
Jump to Home
Top of this Section