2001年12月の地平線通信



■12月の地平線通信・265号のフロント(1ページ目にある巻頭記事)

地平線通信表紙[12月28日、アジア会館で!]
◆こんにちは。15日の土曜日、この通信でもお伝えした“チベット・フォーラム”を盛会のうちに終え(会場の東京ウィメンズ・プラザ・ホールは、補助席含め300席しかないのですが、450人もの人たちが来た)、ほっとしています。鹿児島から野元甚蔵、盛岡から西川一三と、ふたりのチベット潜行旅人をお迎えし、延々6時間に及んだフォーラムでしたが、参加者のほとんど全員が最後まで席を立たず、盛大な拍手とともに終演し、ありがたかった。地平線の仲間たち10数人も裏方で手伝ってくれて感謝。それにしても、83才になった西川さんが「チベットの乞食のご詠歌」を歌い出した時は、感動したなあ……。

◆以下、すでに小さな「歴史」になりかけている話に――1979年9月26日、初々しい女性の声が電話の向こうではじけた。「こんにちは! ダイヤルして頂いてありがとう。こちらは地平線放送です…『地平線会議』っていう名前の会が今月からスタートするんです」。声は、1ヶ月あまり前に地平線会議という「探検や旅に夢をえがく仲間たちの参加自由の集まり」が誕生したことと、第1回の「地平線報告会」を2日後の9月28日にアジア会館でやることを、伝えた。

◆地平線会議では、発足当初、受信専用留守番電話を利用した「地平線放送」という試みをはじめていた。毎月の報告会の事前告知、さまざまな旅の電話報告など結構盛り沢山の内容を盛りこんだ2分30秒の「放送」である。(1年余り続いた放送は、ある日NHKの朝の番組で紹介され、利用者の殺到で周辺の電話回線がパンクする事態を招いたことを機に惜しまれつつ閉局しました)

◆晴れの地平線報告会第1回報告者は、トルコ留学から帰ったばかりの高校教師、三輪主彦、35才。第1回放送の声は、実は三輪の教え子である菅井玲子だった。読売新聞に地平線会議の発足と報告会が報道されたこともあって、当日アジア会館2A室は99人の参加者であふれた。「1万円だぞ、と言われて喜んで引き受けたら、しばらくして、おい、早く1万円払え!と……。カンパ払えばしゃべらせてやるっていうことだったんですね」と切り出し、2A室は笑いにつつまれた。地平線会議は、百人を越す人たちからの1万円カンパで発足したのだが、1万円払わないと報告者になれない、という誤った伝説がこの時できてしまった。

◆毎月1度の地平線報告会を「やりましょうよ!」と大声で提案したのは、呼びかけ世話人のひとり、賀曽利隆である。地球のありとあらゆる地域をオートバイで走りまわっていたこの旅人は、場所としてアジア会館を推薦し、以後、今月までたまに特別集会を都内の他の会場や兵庫、神戸、山形、福島など他県でやったほかは、1年12回、毎月第4金曜日をアジア会館2A室で皆さんとお会いしてきた。

◆1階レストラン名物のバングラディシュ・カレーとともにすっかりお馴染みとなったこのアジア会館が、すでにお知らせした通り、改築されることとなり、来年1月から1年余り使えなくなる。22年間お世話になった2A室にお別れを言う趣旨も含めて今月は「地平線報告会特別版兼21世紀最初の忘年会」とし、にぎやかにやってみたい。

◆地平線会議誕生直後の1979年12月、ソ連のアフガニスタン侵攻があった。三輪主彦に次いで第2回報告者となった(この時はエリトリア解放戦線などアフリカがテーマ)探検ジャーナリスト、惠谷治はアフガンに潜入取材を果たし、17回報告会でその模様を詳しく報告した。あれから20年、いまアフガンで起きていることを、どう見たらいいのか。今回はその惠谷治に特別報告をお願いした。後半は、古き顔、新しき顔入り乱れての特別交流会としたい。一般の方は3000円、学生は1000円ぐらいのつもりです。ぜひ28日、お会いしましょう。[江本嘉伸]


2002年1月の報告会は26日の木曜日、新宿区内の地下鉄大江戸線駅真上にある新たなる場所で、ほぼ決定。詳細は次号で。



先月の報告会から(報告会レポート・265)
遥かなるブラーフィーの調べ
村山和之
2001.11.30(金) アジア会館

◆「音楽と聖者信仰、その聖者を愛している人々に関心を持ちました」。ブラーフィー文化の研究をしている村山和之さんの報告会は、大学でヒンドゥ語を学んでいた彼が、パキスタン南部のイスラム世界に深入りしていった経緯から始まった。きっかけとなったのは、TVで見たインド特集番組のワンシーン。そこでは、ヒンドゥ教徒やシーク教徒だけでなく、対立しているはずのイスラム教徒までがコーラスに加わり、一つの歌を歌っていた。

衝撃を受けた村山さんは、この『ラール・メーリー・パトゥ』の内容が気になり、偶然見つけたレコードをテープに落して、パキスタン人に頼んで紙に書き取ってもらう。そしてそれを手掛かりに、留学先のクエッタで本格的に歌詞の解釈と研究が始まった。

◆『ラール・メーリー・パトゥ』は、スーフィズム(イスラム神秘主義)の世界で人気の高い聖者、シャハバーズ・カランダルを称える歌だ。元来、ヒンドゥの土地だったシンド州にイスラムを広めた彼は、同州セフワーンの廟に祀られ、毎年、イスラムのシャーマン月の15〜18日に盛大なお祭り『ウルス』が催される。

◆一般的に、イスラム教は個人や偶像の崇拝を認めない。しかし、この祭りは何もかも異例ずくめだった。歌手の絵姿が売られ、廟では女性の参詣も許される。迫力に圧倒されたのか遠慮がちに撮られた村山さんのビデオにも、群衆の輪の中で踊り廻るトランス状態の女の姿があった。スンニ派を始めとするあらゆる宗派、そしてヒンドゥ教徒たちが国中から集まり、さまざまな楽器が演奏され、廟の中では人々が聖者の棺に殺到する。喧騒と混沌の「何でもあり」の4日間だ。

しかし、一神教と多神教の相反する両者の間で、どうして融合が可能なのか。研究者として2者の違いをキチンと色分けしたい村山さんも、人々の『ご利益があればどちらに詣でても構わない』というアバウトさには当惑しているらしい。祭りビデオの後は、大学の先生らしく黒板を使い、スーフィズムの歴史、その導師と弟子の関係、そして一般のイスラム教との比較説明が簡潔に行われた。

◆今回の報告会は、10月の丸山さん夫妻の北部篇に続く、緊急パキスタンシリーズ第2弾。その9月11日、滞在先のクエッタで、村山さんは世界貿易ビルのテロとマスード暗殺のニュースを同時に知った。「もし彼が犯人なら、裁かれて当然だ」。ビンラディンが英雄の土地でも、それが地元の人の意見だった。パシュトゥーン族は個人の自由を重んじる民族だという。だから、一口にタリバン支持といっても理由は人それぞれで、決して頑迷な一元論者ではない。

◆村山さんが95年まで留学したクエッタは、パシュトゥーン族を中心に、イランにかけて居住地が広がるバローチ族、ドラヴィダ語系の言葉を話すブラーフィー族、ジンギス汗軍の末裔のハザラ人、さらには西に向かったジプシーの名残りとされるインド起源のローリーなどが混在して住む多様な土地だ。

パキスタンの何に惹かれるのかと訊かれ、「人です!」と力を込めて答えた村山さん。報告会を通して、一連のアフガン報道で固定化しかけていたイメージが、また解きほぐされた。そんな手応えの報告会だった。[久島弘]



地平線ポストから
地平線ポストでは、みなさんからのお便りをお待ちしています。旅先からのひとこと、日常でふと感じたこと、知人・友人たちの活躍ぶりの紹介など、何でも結構です。E-mailでも受け付けています。
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E-mail :
Fax: 03-3359-7907(江本)
★8月から江本のメールアドレスを変更しました

●滝野澤優子さんから
 2001.12.1…トルコ発〔E-mail〕

◆地平線のみなさん、お元気でしょうか? 2001年7月から旅を初めて4ヶ月半、新潟からフェリーに乗ってウラジオストックに渡り、シベリアの大地を走り、中央アジア、コーカサス経由でトルコまでやってきました。

◆旧ソ連の国々をずっと旅してきた疲れか、黒海沿いのトラブゾンという町で停滞中です。ほっとして脱力状態ですが、もう誰もバイクの私たちに注目してくれず、さみしい限りです。今までずっと、いつでもどこでも人に囲まれていたのに。今回は1人ではなく、ダンナと2人でのバイクツーリングです。

◆同時多発テロ事件の頃はカザフスタンにいましたが、その後、キルギス、ウズベキスタン、トルクメニスタンとあまり旅人に出会いませんでした。やっぱり事件の影響もあるようですね。

◆さすがに寒くなってきたのでバイクにはつらいですが、これからイスタンブールに向かい、ヨーロッパの南をかすめてアフリカへ行きます。旅は2年間の予定です。以下のURLにレポートと写真を発表しているので、興味のある方はぜひ見てください。それでは、また。(無事イスタンブール到着したと、12/15付でWebの掲示板に書き込みがありました)

http://www.mapple.net/touring/05special/world/
http://www.finepix.com/finetraveler/



今月の青年たちの自慢

●ああ、ついに、ついに、尺アユを!
 [森田靖郎]

尺アユに興奮気味の森田さんから、11月21日着。この尺アユ、あまりにも立派なので、冷凍したまま28日の報告会に持って行くつもりです。[江本]

◆ついにというかやっというか、尺アユを釣り上げました。禁釣にはいった10月の数日、熊本県球磨川漁協の許しを得て、数日竿を入れました。水温が下がり、産卵に下る落ちアユをとり込みました。30センチ級、腹に卵を貯め込み黄金色の尺アユは最後の抵抗を試みました。時期はずれのオトリにかかり、数十メートル、竿を引きずり釣師の私を川の中流の荒瀬に引き込み、デス・バトルに持ち込みました。オトリは限界、尺アユもわずかに背にハリがかかったスレ状態でそこから逃れようと水中で回転、そのたびに激流に揉まれる私は竿をたて、尺アユの頭をたてて、バレルのを凌いだのです。激闘3分、4年越しの尺アユを、江本さんに届けます。

◆ついでに、私の新刊書を紹介させていただきます。「カネと自由と中国人」(PHP新書)。天安門事件後の新生中国人が求める、カネ、自由、そして性とは。中国人を借りて、じつは人間の本質に迫りたかったのです。いつか、この問題で議論できればと思います。


●いひひ…私のデータが
 最強中高年のモデルに[三輪主彦]

◆12月1日、江本氏に誘われて、日本山岳会の晩餐会前の講演会に行って来ました。鹿屋体育大の山本正嘉先生が秩父記念宮山岳賞というすばらしい賞を受けた記念講演でしたが、その話の中で、中高年代表として私のデータが紹介されました。

◆若者よりもはるかに最大酸素摂取量や筋力は劣るが、山を走ると圧倒的に強い。超長距離や山登りは、年齢や性差は関係ない。これからの中高年が活躍できるのはそういう分野だ。中高年の未来は明るいのだ! 骨密度を上げるように 小魚を食べよう。



●ついに100島走ったぞおおお![賀曽利隆]
アジア会館での地平線報告会のそもそもの企画者

◆こんにちは。今年3月に始めた50ccバイクを走らせての「島めぐり日本一周」、北海道、本州、四国とまわり終え、四国の興居島でついに100島に、あとは九州と沖縄残すのみとなりました。

◆北海道では礼文、利尻、焼尻、天売、奥尻の5島をめぐりましたが、残念だったのは北方四島には行けなかったこと。小笠原諸島では母島の南端、南崎に立ちましたが、そこは北緯26度。東京都に北緯26度の世界があることが驚きでした。日本の多島海、瀬戸内海では40余の島々をめぐり、自分の頭のなかに詳細な瀬戸内海マップができあがりました。

◆小さな島々をめぐっておもしろいのは、どんどん自分の世界が広がっていくこと。狭い世界にこだわることによって広い世界が見えてくるのです。10日のフェリーで九州に渡ります。28日は勿論行きますよ、アジア会館に![12月7日、賀曽利隆]



驚異の旅人ランナー・中山嘉太郎さん、
まもなくゴール

[12月2日出の手紙]ウルムチを出て134日目、6039キロ、西安から8714キロになりました。イラン国境の130キロを残しているので、明日イランに戻って未走区間を走ります。前回とは違う色の服に変えて行きます。(注・前回は危険な状況だったので、その区間をパスしたらしい)

[11月13日出の手紙]トルコに入国して13日目。エルシンジャンを出発して55キロ進み、とある村に暗くなりかけて着きました。村人に泊まらせてくれと頼むと『いいよ』と言われたもののトラクターで20分も山の方へ……。いきなりうまい食事、チャイが出てお腹はいっぱいです。…東アナトリア地方は寒いです。氷点下に近い朝もあり、薄氷が2回程張りました。今日も2160mの峠を越え、泊まっている村は標高1650mです。今まで2000m以上の峠が2回ありましたが、あと残りは1回で明後日に越えます。それを過ぎると標高もだいぶ下がり(1600m以下)、楽になります。一昨晩は野宿で、あるものを全部着込んでシュラフにもぐり何とかしのぎました。温度計は4℃でした。日が短いのは走り旅には不利です。毎日50キロを目標にしていますが、なかなかうまくいきません。

◆トルコ人は基本的に親切な人が多いです。町なかで人に郵便局は何処だ?と聞くと、腕を引っ張って連れて行ってくれるし……。こういう親切に慣れていない私には少々うっとうしいのですが。まあイランの人と同じ様なものです。決定的に違うのは、私の持物にあまり興味を示さないことでしょうか。カメラ、時計、ザックの中身を、イランでは見せてくれ見せてくれと云われましたが、ここでは殆んどありません。…トルコ語は少しずつ覚えていますが、まだ良く分りません。アルファベットに近い文字なので読みは少し出来ます。女の人はスカーフを被っている人が多いですが、町なかでは被っていない人もいて、新鮮に思いました。物資は非常に豊かでスーパーマーケットもあり、嬉しくて2度も入りました。あまり買うものも無いのですが。…ここの家の若者が私の服を見てセーターは無いのかと聞きましたので無いと答えると、カーデガンを呉れました。とても有難く頂きましたが重たくて……。あと300〜400キロの寒い区間は着ようかと思います。

[12月2日出の手紙]トルコは寒く、寂しいっす。一気に雪の原になり、びっくりしています。2〜3日は我慢したのですが、足が冷たくてブーツを買ってしまいました。−7℃から−10℃で、首や腕が動かないくらい寒い。あるもの全部着込んでいます。今はラマダンの最中で、私には不利になっています。田舎道ではロカンタは閉まっており、食料を一日分持って歩いています。(このあとに前出のイランへの計画が書いてありました)

●12月13日に、「イランの未走区間を終え、アンカラを越え、あと10日ほどで目的地のイスタンブール・トプカプ宮殿付近に到着予定」との電話がありました。21世紀最初の大偉業を見に行こうと考えていたのですが、本人はのんびり、気分のままにゴールしたいとのこと。素晴らしいことだ。(三輪)



待ってました!!!
シール・エミコさんの著書、ついに刊行!

シール・エミコさんより。「ご予約して下さった方々、お待たせして大変申し訳ありませんでした。いよいよ……というか、やっと(!)本が出版されます。オートバイで駆けた日本やオーストラリア、自転車世界一周などなど14年間の放浪人生と、そして闘病記……。遺作になると思ってつづった『ガンを越え、めざせ地平線!!』。版元は鹿砦社(ろくさいしゃ)。めでたくこの日を迎えることができ、感無量です。お届けはクリスマス辺りの予定です。…



今月の知られざる表彰

●アメリカ大陸を2度も走って横断した経験を持つ、海宝道義さんが、今年度の「ランナーズ賞」に決まり、12月15日、表彰された。表彰理由は「特別な人が行うスポーツから誰もが行えるスポーツへ―ウルトラマラソンの普及に努める」。国内外で 10を越えるウルトラマラソンを、制限時間を大幅に緩和した内容で企画、実行してきた地道な努力に対してのものだ。

●石川直樹君が12月1日、日本山岳会から「会長特別表彰」を受けた。「Pole to Pole 2000」での活躍と7大陸最高峰最年少登頂の成果に対して。表彰会場は日本山岳会高齢、いや恒例の晩餐会。例によってシャツ姿で会場のホテルに行ったら、人々は驚愕し、無理やり貸衣装の背広と山岳会のネクタイをしめる結果となった。この日本山岳会、百周年を目前についに会員数は6000人を越したが、平均年齢もついに60才になった。




今月の地平線報告会の案内(絵:長野亮之介)
地平線通信裏表紙

最前線のメカニズム

12/28(金) 18:30〜21:00
 December 2001
 ¥500
 アジア会館(03-3402-6111)

惠谷治さんがはじめてアフガニスタンに入ったのは、1980年2月。ソ連軍侵攻の2ヶ月後でした。ゲリラ組織に従軍し、最前線を歩いた3ヶ月間の体験は、ジャーナリスト惠谷治のテーマに影響を与えました。現場には強烈な人の生き様がある。その背景には、争いを誘発するメカニズムが横たわる。「マクロなものほど見えづらいけどな、ジャーナリストは両方の視点を持たないとアカン」と惠谷さん。

アフリカ、ソ連東欧、北朝鮮など常に紛争地に飛び込んできた記録は、地平線会議でもこれまで5回報告していただきました。今月1日に緊急出版された「アフガン山岳戦従軍記」では、同時多発テロを見る惠谷さんのミクロとマクロの視点がまとめられています。

20年来ウォッチングしてきたアフガン情勢に向ける視点と、同じく20数年かかわってきた地平線会議への思いを、今月は惠谷さんに語っていただきます。

なお周知の通り、これまでのアジア会館の姿は今月で見納め。23年に渡って地平線会議の最前線だった会場に敬意を表し、後半は歴代地平線を支えてきたゲストを交えてのフリートークの予定です。ふるって御参加下さい!!
(二次会は21:00から。同会館1F食堂にて。¥ワリカン)


通信費(2000円)払い込みは郵便振替または報告会の受付でどうぞ
郵便振替 00100-5-115188/加入者名 地平線会議(手数料が70円 かかります)


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