2001年11月の地平線通信



■11月の地平線通信・264号のフロント(1ページ目にある巻頭記事)

地平線通信表紙今年9月から11月にかけてぼくはめまぐるしく移動した。ニューヨークでの同時多発テロが起こって2週間後の9月26日、まず取材でニューヨークに向かった。10日ほどの滞在だったが、このときに得たインスピレーションや瞼に焼きついた光景はこれから終生ぼくにつきまとうものかもしれない。間違いなくあの事件は、ぼくのこれからの生き方に少なからず影響を及ぼしていくことになるだろう。

◆今回のテロは世界観が異なる人々に自分達のモノサシを押し付けてきたアメリカへの鬱積が一気に吹き出したものだ。にも関わらず、怒りに駆られて報復戦争を正当化するアメリカの姿には、大国の奢りを未だに捨てきれない病理を感じてしまう。長いあいだアメリカに追随し、自らそのグローバリズムの仕組みにどっぷり浸ってきたぼくたちもまた自身を省みるときがきているのかもしれない。

◆現場を目の当たりにして、犠牲者を悼むと同時に救助活動を続ける人々への敬意を強くもった。日々状況が変わっていく百家争鳴の中で、そうした当然すぎる思いを伝えつつ、他方ではより冷静に深く考えた上で発言していくことが大切だと思っている。

◆今回のニューヨークに向かったいきさつは12月15日発売の「SWITCH」という雑誌に多少長めに書く。興味のある方は書店で手にとってみてほしい。

◆ニューヨークでの取材を終え10月に入ってから今度は沖縄に向かった。竹富島で遊び、石垣島にある八重山高校で講演を行なった。すごいすごいと書いているとなんと大袈裟な、と言われそうだが、生まれてはじめて沖縄に行ってこれまたえらく感動した。ぼくが高校生の頃から興味をもっていた海上の人類の移動を調べていく上で、琉球から台湾へと伸びていくヤポネシア地域は絶対にはずせない。

◆そして今月13日からぼくはミクロネシアのウォレアイ島へと向かう。以前、地平線でも報告させてもらったが、海図やコンパスなどの近代計器を一切使わず、星や風を頼りに舟を導く伝統航海術の勉強の続きをするためだ。ぼくが弟子入りしている師匠によれば、この技術を本当に体得するためには20年以上かかるという。今回はたった1ヶ月の滞在だが、たとえ短くとも感覚を養うために通い続けることが大切だと思っている。

◆地平線関係者はいろいろなテーマの旅を虎視眈々と狙っているので、先を越されないようにこの場で先に言っておくが、ぼくは来年から海上の人類の移動をたどる旅にでようと考えている。わかりやすくいうならば、関野さんのグレートジャーニーの海版である。ルートはチベットのあたりから中国の雲南省をとおり、東南アジアに抜けて、インドネシアからパプアニューギニアのあたりに寄り道しつつミクロネシア、メラネシア、ポリネシアへ。ハワイなどにも足を伸ばしてイースター島から南米大陸に向かう。4年計画で一年の半分を旅に費やし、もう半分を執筆にあてる計画だ。

◆海図もなかった時代、まだ見ぬ島を求めて人類は西から東へと移動した。遠く水平線しか見えないのに、なぜ人類は命のリスクを冒しながら海に漕ぎ出していけたのだろう。台風などで畑が壊滅したのかもしれないし、漂流物をみて見えない島を心に描くことができたのかもしれない。いずれにせよ、この渡海の謎は学者がいくら机上で推論をたててもわからないことだ。実際に島の渚に立って海を見ながらそれらを探っていきたいと思っている。

◆チョモランマに登頂して5ヶ月、ぼくはまた新しい旅に出る。一応、大学は来年3月に卒業予定です。「予定」を強調するとともに「6割がた」と付け加えておこう。最近、聞かれることが多いんだよなあ……。[石川直樹 早稲田大学4年生]


【急告!! 12月全員集合すべし!】現在のアジア会館での地平線報告会、この12月が最後となります。会館の建て直しのためですが、1979年9月以来260余回お世話になった会館に敬意を表して、12月は特別集会とします。普段会いにくくなっている古顔にも多数来てもらう予定です。年齢関係なく是非参加ください。詳しくは次号の通信で。



先月の報告会から(報告会レポート・264)
パキスタンの子供の庭
丸山純・令子
2001.10.26(金) アジア会館

●おそろいの黒の衣装に現地で作った羊の毛のベスト(材料・刺繍込みで850Rs―約1700円!)を着た丸山純・令子夫妻。23年間の積み重ねが報告された。北西辺境州の説明、ドローシュ町のプレイグラウンドプロジェクトの背景報告、援助がもたらす弊害―なぜ23年通っているカラーシャ村ではなく、違う地域でこのプロジェクトをすすめたのか、と3部に構成され、より分かりやすく考慮されていた。

●江本氏に水を向けられ、お二人がパキスタンを通して出会った歴史から淡々と始まる。「通いつづけてやっと録音できた」という鷹匠の朗々とした貴重な唄が披露される。160枚のスライドが繰り広げられる。熱を帯びてくる。休憩の合間もマイクを離すことはない。「堰を切ったよう」とはこのことである。

●スライドを拝見している最中、唐突に私(片山)は87年に訪れたオシビエンチム(アウシュビッツ)収容所博物館が眼前に浮かんだ。報告と共通するのは「膨大な事実の惜しげもない開陳」だ。ちょうど今ごろの季節、シベリア経由でまだ壁のあった「東欧」を3ヶ月歩いていた。博物館の通路になだれ落ちるかのように陳列された髪の毛の束、眼鏡の山、義足の山。寒さと孤独とあまりの衝撃にしばらくひとりふさぎこんでいたことを思い出す。しかし今、報告されているのはもっと明るい話のはず。なのになぜ?

●綿密に構成された報告が同じ「気づき」をくれたのだ。粗雑な援助がいかに現地を破壊するか。カラーシャ族の村の古色蒼然とした木造建築物の写真がある。その直後に「これはギリシャのNGOが作りました」と見せるなんとも無機質な集会広場。「83年に出会ったジョシの祭りです」と舞い上がる埃も躍動する青空の下の踊りの輪に見惚れる。対比して「暑いと踊らない、といって、これが作られました」。無粋な四角い柱の屋根の下に集まる人々の写真。珊瑚色のネックレスも綺麗な衣装も巨大な屋根の影に押しつぶされている。

●以前の「ヤギか羊か」報告会で「これが僕のヤギです」とカラーシャ村にいる4頭を顔をほころばせて話されていたことを思い出す。思い入れのある土地と長年お付き合いできる人徳は羨ましい。がさつな旅人には決してできないことだ。

●しかしそこを援助が蝕んでいる現実も冷徹に見ている。数年の準備期間を置き、ふさわしい候補地を別に選び出した。寂しい選択だったろう。「NYテロ事件の影響で3時間しかカラーシャを訪れることはできなかったが、かえってほっとした」という言葉にそれはほろりと漏れる。退避勧告が出、責任がある立場、帰らねばならない。そんな状況下だろうがたとえ数分でも訪れたい、というほど愛惜のある場所、にもかかわらず……というジリジリとした想いが伝わってくる。

●2次会で令子さんからJamal校長の素晴らしさを聞いた。女史の存在がなかったら、また関わった方の一人欠けても、7日間・10人の職人・7つの遊具を完成させる、という奇跡にもちかい仕事はできなかったであろう、という。令子さんが長年培っていらした人の輪、その中で見据えてきた人々。イスラム社会の中でしっかりと場を与えられている女性たちの姿や、貴重な音楽の話など令子さんのモノガタリも尽きることがない。令子さんと純さんの複眼の報告、これも今回の報告会の宝だった。パートナーっていいなあ……。

●さらにこの報告会では江本氏のはからいで石川直樹氏がテロ直後のNYで撮影したスライドを上映。安物のウェディングシューズのように白く埃で変貌した店頭の靴を接写するカメラマンの横顔。射光の町の中を不気味に進む軍隊。「もっと根本的なことは何なのか、を知らなくてはいけない」と石川氏は言う。現場に行く、という行動をした人の言葉は「聞ける」。

●報告会の場にいることができた51人の方も2次会でもっと詳しく話が聞けた方も、ともにラッキーである。「場」には力がある。

●新参者の私だが、地平線報告会ってやっぱりスゴイ!と確信した夜だった。[長距離馬ライダー・片山忍]



地平線ポストから
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E-mail :
Fax: 03-3359-7907(江本)
★8月から江本のメールアドレスを変更しました

中山嘉太郎さんから香川澄雄さんへの
第7便(11月7日配達)…イラン発
信じ難い地球ソロ・ランナー、中山嘉太郎氏
各国語を習得しつつ、ただいまイランひた走り

◆香川様 お元気ですか? 連絡が遅くなりました。テヘランへ10/10に入り、その日のうちに抜けました。テヘランは車の排ガスがひどく、とても長居するような都市ではありません。イランは車の排ガスがすごく、私の通った国道も臭くて……。さてイランに入って10日位は砂漠地帯、その後カスピ海沿岸に入ると山々は緑が多く、また雨にも降られ、すごい変化でした。テヘランに行く途中2700m峠があり、その近くからダマバンド山というイランで一番高い山(5700m)が綺麗でした。

今はテヘランを過ぎて約300kmのZanjan(ザンジャーン)と言う町の近くまで来て、イランビザの延長願いをしているところです(30日経ったので追加の20日間を申請している)。テヘランは暑かったのにどんどん寒くなってきます。今日は風が冷たく雨も少し降って寒い一日でしたが、これからトルコ方面はもっと寒いようなので……どうしましょうか?

◆日もだんだん短くなって夕方になると宿探しで喉もカラカラになります。宿が見付かるかどうか不安とあせりで心拍数も上がります(これ本当!!)。イランに入って30日、2回だけホテルに泊まりましたが他は食堂やモスクや普通の家、消防署、守衛所等々に泊まっています。本当にみんな親切です。時には親切にされすぎて困ることもあります。また時々ヨーデゴリー(記念品とか想い出の品のことらしい)として何かくれと言われ、何も余分なものを持っていない私ですから渡せなくて、悪いなーと思っています。

ところがしつこく欲しい欲しいと言われ、頭にくることもあります。時には持物が無くなったり……。疑いたくありませんが盗られたのかなーなんて思っています。まあたいしたものではないし、親切にしてくれているので無くしたと思うことにしています。

◆体調は良く、食べられるせいもあってか、不調なところはありません。イランの食事は旧ソ連とは比べものにならないくらい私に合っていて、毎日毎日ガツガツ食べています。ご飯(米)やナンがうまくて少し太ってしまったかなと思います。物価も思ったよりだいぶ安く助かります。アメリカとアフガンの戦争のことはテレビ等で見ますが、内容が分りません。イラン人は殆んどの人が他人事のように思っているようです。

言葉は少しずつ覚えて今夜泊まる工場の守衛さんには“ペルシャ語がうまいなー”と褒められてしまいました。“いいえ少しですよ”と言ったものの内心嬉しいですね。ところがこれから先すぐにトルコ語になってしまうのでまたまた覚えなければ。トルコ語はウズベキスタンやトルクメニスタン語と似ているらしいですが。国が変わると色々大変です。近いうちにまた連絡します。[10/17 7:02PM 工場の守衛所にて(Zanjanまで30km地点)中山嘉太郎]

追伸 日本山岳耐久レースは如何でしたか。
体調 内臓は全く問題なしですが荷物を毎日担いでいるせいか首が少し痛いです。
走った距離 95日で4432km(西安より6870km)

【続報】11/10配達の第8便によると、中山さんはいよいよ10/30に国境の町に到着、翌日トルコに入った模様です。朝の気温は2〜4度とか。さらに標高が上がるアナトリア高原を走る旅、どうなるのでしょうか。



25歳の誕生日をチチカカ湖で迎えた
後田聡子さんから
11月2日・メールで…ボリビア発

◆ボリビアのラパスに来ました。雪を頂く山に囲まれて、標高3600mの山間の町にいます。10月24日が25歳の誕生日でしたが、ペルーのクスコからプーノというチチカカ湖のほとりにある町に移動しました。ペルー鉄道でです。さすがは「世界の車窓から」。

◆アンデス山脈も、乾燥した草原も、放牧されている動物たちも、どれもこれも雄大で感動しました。空と雲が近すぎます。翌日から1泊2日で、チチカカ湖に浮かぶ3つの島を巡るツアーに参加しました。チチカカ湖は、世界最高所の湖で、標高3800mほどあり、そこにある島々は標高4000m前後です。

◆1つ目は湖に生える葦のようなトトラという植物を丹念に積み重ねて、浮島を作り、そこで生活するインディヘナの生活を見学。ウロス島。私が見たのは10家族くらいが住む小さな島だったけど、上陸すると微妙に沈んで、ちょっとスリリングです。

◆2つ目はアマンタニ島。ここにはホテルが無いので、島のインディヘナの家庭にホームステイさせてもらいます。豚とロバを飼って、じゃがいもを育てているノルマという女性の家に泊めてもらいました。水道も電気も無いので、バケツに溜めておいた水で顔を洗い、夜はろうそく1本で食事しました。質素ながら、親切な家庭でした。島の頂上から、チチカカ湖を見下ろし、日の沈むのを見ました。何だか、見るのがもったいないくらい、キレイな景色。地球って、広い。でも人は、行きたいと思ったところ、どこでも行くことが出来るんだ。どこへでも行ける、と思ったらとても楽しくなって、次はどこに行こうかなと考えてしまいました。(以下略)


地平線報告会近過去常連世話人
中畑朋子さんから・11月4日
江本あて初メール…飛騨高山発

◆こんにちはご無沙汰しています。お元気ですか。とうとうやっと、パソコンを導入となりました。メール人となれます。地平線通信でしか皆さんの様子はわかりませんが、読むたびに、「あ、知らない人だ! 誰だろう?」っていうことがあって、報告会も変化してるんだろうなって想像しています。もう、2年以上でていません。あんなに毎月行っていたのにね。

◆地平線の写真集、売れています。絵本屋さんにおいてもらっているのですが、20冊以上売れました。手渡しの分を入れると40冊以上。人口6万の街としては売れてるほうだと思います。こうやって、地平線を宣伝して、いつか、こちらで報告会が開けたらいいのだけれど。報告会だけでなくて、なにかプラスアルファがないと地方では人は集められないかも?と思っています。待っててくださいね。

◆5月からまた養護学校で産休補助の講師をしています。来年の夏まで。染織業のほうは、飛騨のクラフト協会に入ってみました。来年は少し大きな場所で展示会ができそうです。今月は、高山市内のギャラリーでグループ展をする予定です。案内は近いうちにお出しします。



日本人チベット行百年記念フォーラム
「日本人は、なぜチベットをめざしたか」

【緊急案内!】滅多にお会いすることができない60年前のチベット潜入旅人、野元甚蔵、西川一三さんが鹿児島、岩手からやって来ます。地平線会議の皆さんに参加してほしいのでお知らせします(問い合わせは江本まで)。

「日本人は、なぜチベットをめざしたか」
河口慧海、成田安輝のラサ入り(1901年3月21日、12月8日)、能海寛の最後の書簡発信(同4月18日)から100年。知られざる日本とチベットの近代交流史を探り、日本人のチベット行の動機、当時のチベットの状況を、講演と発掘映像を通して知る。
 日時 12月15日(土)午後2時〜7時
 場所 東京・青山 ウィメンズプラザ(国連大学隣り)
    TEL 03-5467-1711/入場料 1000円

●第一部
ビデオ上映「ダライ・ラマ十四世が語る日本とチベット」
「日本とチベットの百年―山口瑞鳳・東大名誉教授に聞く」
「特別ゲスト紹介」野元甚蔵氏:『チベット潜行1939』(悠々社)を8月上梓/西川一三氏:「秘境西域8年の潜行」のダイジェスト文庫版10月発刊(両氏の紹介と挨拶。チベットの思い出話と近況 著書出版の裏話など)

●第二部
フォーラム「日本人はなぜチベットをめざしたか―その舞台裏と現代への意味」(金子民雄・貞兼綾子ほか)
フィルム上映「チベットの高原」「チベットの神々」「チベットの工芸」(1930年代の貴重なモノクロフィルム。訳と解説:ケルサン・タウア)

●第三部
ビデオ上映「リンチン・ドルマ・タリン夫人の語る激動期のチベット」(解説:貞兼綾子・ケルサン・タウア)
その他現代チベット報告、在日チベット人との交流など




今月の地平線報告会の案内(絵:長野亮之介)
地平線通信裏表紙

遥かなるブラーフィの調べ

11/30(金) 18:30〜21:00
 November 2001
 ¥500
 アジア会館(03-3402-6111)

村山和之さん(37)がはじめてその歌を聴いたのは、日本のTV番組でした。イスラム神秘主義といわれるスーフィーの祭りで紹介された「ラール・メーリー・パトゥ」。60年代に全インドで大流行した曲です。そのにぎやかで魅力的な音楽の源が、パキスタン南西部のバローチスタン地方。叙事詩に魅かれてインド通いをしていた村山さんの耳は、このインダス河西部の地域に向かいました。

89年、バローチスタンの中心地、クエッタ訪問。ここで出会ったのがブラーフィ民族です。パキスタン独立(1947)以前はカラート王国を築いていた遊牧の民。彼等の男気と、豊かな音楽性に惚れた村山さんは、彼等の民謡曲からブラーフィの世界観を探ることをテーマに、フィールドワークを続けています。

クエッタ留学中(92〜95)は、民謡のカセットを聞きまくる「夢のような時間を過ごしました」という村山さんに、イスラム世界の多様な側面を語って頂きます!(※村山さんは現在和光大学非常勤講師)


通信費(2000円)払い込みは郵便振替または報告会の受付でどうぞ
郵便振替 00100-5-115188/加入者名 地平線会議(手数料が70円 かかります)


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