2001年10月の地平線通信



■10月の地平線通信・263号のフロント(1ページ目にある巻頭記事)

地平線通信表紙9月11日の夕方、ちょうどパキスタンに来て1週間が過ぎ、疲れが出て寝ていた私を、「早く、早く。アメリカがすごいことになってる」と、令子が起こしにきた。あわてて庭に出てみるとベランダにテレビが置かれていて、この家の主のサルダルさんをはじめとするみんなが、ビルに突っ込んでいく飛行機の映像を食い入るように見つめている。それが資本主義の象徴といえる世界貿易センタービルとハイジャックされた民間の旅客機だとわかったとたん、全身の血がサーッと足に向けて降りていくのを感じた。

●一瞬ののち、こんどはアドレナリンが一気に放出されて、さまざまな思いがすさまじい勢いでぐるぐると頭のなかを駆けめぐる。真っ先に浮かんだのは、このチトラルからほど近いアフガン北東部で起こったばかりの、マスード元国防相暗殺事件との関連だ。タリバン側からいち早く、アメリカとパキスタンによる陰謀説が発表されて、これはきっとなにかあるぞと感じていたのだが、まさかアメリカ本土を襲うとは。ついに人類は、テロと隣り合わせで生きねばならない新しい時代に突入してしまったのかと、暗澹たる気持ちになる。

●と同時に、今回の旅に同行してくれた二人の建築家にどうやって無事に日本へ帰ってもらうかにも、思いが及んだ。私たち夫婦は自分たちの意志でここに来ているし、覚悟はできている。しかし彼らは、「チトラル、よいとこ」という私たちの言葉を信じてNGOのプロジェクトのためにわざわざ来てくれたわけで、もしものことがあったりしたら、悔やんでも悔やみきれない。

アメリカはいつ、どうアクションを起こすか→パキスタン政府の対応は→民衆の反米感情は→国際世論は→タリバンの動きは→難民はどこから来るか→危険はどこで発生するか→いつチトラルを離れたらいいのか……。これらの事項を最悪のケースまで含めて次々と検討し終えるのにほんの数秒で済んだのには、我ながら驚いた。当面このチトラルにいるのがいちばん安全だし、帰路に通るペシャワールも、あと最低10日ぐらいはそうひどいことにならないだろう。

●しばらくして、サルダルさんの夫人のジャマールさんが庭に出てきた。カナダとイギリスにいる娘たちと、国際電話で話をしていたのだそうだ。早くも街にはムスリムへの反感が渦巻いていて、外出するのが怖いという。

●目の前に迫りくるビル。一気に突っ込んでくる飛行機。犠牲者たちが最後に見たはずの光景が何度も浮かんで、この夜の眠りは浅く、短かった。

●翌12日から、ジャマール夫人が校長をつとめる小学校にプレイグラウンドを建設する作業に取りかかり、地元の大工や人夫たちを指導しながら6日間で7つのアスレチック遊具を完成させたが、あと2日で完成となった15日、イスラマバードの日本大使館からメールとFAXで、ただちに戻ってほしいという要請が届いてしまった。

これは「退避勧告」であって強制力はないのだが、このままチトラルに居座ると、大使をはじめ各方面に迷惑がかかる。家族の心配も増していたので、17日に生徒と父母へのお披露目をしたあと、2ヵ月の予定を打ち切って帰国の途につき、21日の昼には成田に到着した。プレイグラウンド建設を終え、いよいよ私たち自身の旅が始まる矢先だったのだが。

●飛行場のあるチトラルのバザールに向かう途中、非イスラームの少数民族であるカラーシャ族の村に立ち寄った。2年ぶりにやってきたのに3時間だけ滞在して帰るというので、みんなびっくり。事情を説明すると、タリバンがここまで来たら、アメリカの爆撃があったらどうすればいいのかと、不安の輪が広がる。国境から20kmたらずの村。自分たちだけ逃げていくことに、後ろめたさがつのった。

●帰国してみると案の定、週刊誌や夕刊紙を中心に、表層的な論評とイスラーム教徒すべてが過激な原理主義者とみなすような報道が踊っている。そしてついに、米英軍による空爆も始まってしまった。これに反対を唱えたくても、テロ撲滅に向けてお前になにができるのかと問われると、情けないことに答えに窮してしまう。しかし、憎悪と恐怖をあおってもなにも解決しない。草の根の交流を各地で深めていく――こんな平凡な答えしか、いまは思いつかないのだが。[丸山純]



先月の報告会から(報告会レポート・263)
雲の上の夏休み
田端桂子
2001.9.25(火) アジア会館

◆暗い室内で本原稿のためキーボードに指を走らせながら、内心焦った。田端桂子さんという人を短い文章で表現する、その骨組みとすべき一貫した物語が思い描けないのだ。と、考えあぐねた挙げ句に気がついた。田端さんの旅に私が思い描くような物語など無いのだ。物語などの枠に囚われない、そこに田端さんの魅力はあった。中学=創作ダンス 高校=バスケットボール 大学=探検部 ここに如何なる物語が見出せようか。

一貫するものがあるとすれば、それは精神のフットワークの軽さであろう。田端さんは一つ所に留まることはない。たびたび海外に出る理由を「何でも新しいものを目指したいですね」と語るその精神は、サークル遍歴の中に既に見られるようだ。そしてアジア会館に現れて、一度会ったきりの私にも気さくに声をかける軽やかな立居にも、それは現れている。

◆幼い頃にインディ・ジョーンズを見て冒険に憧れ、京都博物館に展示された「楼蘭の美女」を見ては、大して美しくないのにがっかりしながらも砂漠への憧れを育んだという田端さん。新入生歓迎行事でのボロボロの身なりにピンときて入ったという探検部で、幼い頃の淡い憧れを現実のものとした。国内の川下り・登山に励み、東南アジアで一人旅をしたり、偵察隊に加わって憧れの楼蘭にも行った。

◆報告会は前半が99年の雲南省怒江・濁龍江偵察、後半は今年のパキスタン・コーセルガン南峰登頂が中心を占め、ほとんど全編がスライドで構成された。次々と映し出される写真は秀作が多い。筆者にはコーセルガンのクレバスが縦横に走った頂上や、光の降り注ぐキャンプ・ワン、山中の丘でメッカを拝するポーターなどの写真が印象に深いが、皆さんはどの写真に惹かれたであろうか。新疆の子供達や雲南のガイド、パキスタンでのパーティーメンバ?ポーターの日常風景も、語りと相まって楽しいものだった。

◆その写真の合間に、普段の軽快さとは別な一面が顔をのぞかせる。98年に訪ねた波照間島では楽園伝説にロマンを感じ、延々と続く道を凝視するような写真を見せてくれる。山スキーでは「まっさらな雪の斜面を登るうちにトランス状態になり、無の境地に達しそうに思える。こまごまとしたことを何も考えずにいられる瞬間があるのは幸福だ」と語り、幼い頃には手塚治虫や江戸川乱歩、『はだしのゲン』など「生命の神秘・生きる意味を問うような」作品に惹かれたという。

また一方で雲南省とパキスタンでは食に対する姿勢や衛生観念を比較し、雲南省で進む開発が自然や村々に何をもたらすのか、パキスタンの女性の地位がどうなのかを、立ち止まって考える。どこか瞑想的な感性がひかり、考え深げな横顔も見せてくれるのだ。田端さんという人は23 歳という若さの内に、未だ混沌とした部分を多く残している。これからどのような展開を見せてくれるのか、写真も含めて、再びマイクを握ってくれる日が楽しみだ。

◆さらに今回はもう二人、丸山純さんと片山忍さんというパキスタン帰りの旅人がマイクを握った。話という程の事もない短かいものだったが、米国同時多発テロ後のパキスタンを直接見た二人の話には真剣に聞き入らずにはいられない。我々はともすると情報源としてのマスメディアに無批判に頼ってしまうが、その報道内容は政治的な要求を持って報道機関を支配する資本の意向から己の掴んだ事実を誇大広告しようとする一報道者の功名心に至るまで、その内に数え切れない多くの要素を含んでいることだろう。そしてそれらがフィルターとなって、事実に恣意的な着色を施している事は想像に難くない。

その点、田端さんが伝えてくれた現地の人々の様子や丸山さんの政治を含む解説、片山さんが見た国境での経済活動の話など、マスメディアには載ることのない現地で活動する人々の生の声を直接聞けることは、地平線報告会がもつ魅力の一つであるはずだ。そういう意味で今回は、地平線報告会という場の持つ価値が示された会となったようにも思われる。[マックをモバイルする東大生 松尾直樹]



地平線ポストから
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E-mail :
Fax: 03-3359-7907(江本)
★8月から江本のメールアドレスを変更しました

大久保由美子さんから…マナスル隊の大久保さんからのメール日記。すでに7500メートルまで登り、いったんベースキャンプまで下って来て書いた。ほとんど同時進行で8000メートル峰登山の様子が報告されている驚異のヒマラヤ・レポートだ。詳しくはウエブサイトhttp://climbery.comの「DIARY」、もしくは「NEWS!」でメールマガジンの登録ができる。

10月5日(金)
いよいよ明日から1次隊のアタックです。順調にいけば、6日C1泊、7日C2泊、8日C3泊、9日頂上アタック後C3泊となり、2日遅れで2次隊のアタックとなる予定です。 1次隊のメンバーは、倉橋・大久保・齋藤・ラハール・パルデン、2次隊が近藤・上野・栗原・フィンジョー・ティカを予定しています。正直言って、緊張してます。でも、登れる時はどうしたって登れるし、登れない時はどうしたって登れないのだから、なにより無事に戻ること第一義に、細心の注意を払って行ってきますので、どうぞみなさん好運を祈っていてくださいね!


中山嘉太郎さんから香川澄雄さんへ…2001.9.24…イラン発

◆お元気ですか。今日ポジヌルドというところに着きました。予定より1日遅れです。一昨日ポリスに連れて行かれ遅れました。アメリカのことは9月15日頃に知りましたが、何時事件が起きたのか未だ知りません。イランでは、東部のアフガニスタン寄りに軍隊が待機していると現地の人は言っていますが、全く無事平穏なのでひと安心です。電話で初めて軍隊が動いていると知りました。トルクメニスタンと比べとても寒いです。トルクメニスタンで27km、イランで3km、合計30kmバスで移動させられました。少しがっかりです。国境では色々と思うようにならないことが多いです。

私は元気です。心配して下さっている方々に元気だと伝えて下さい。これからテヘランに向かいますので、アフガニスタンからは遠のきます。大丈夫だと思います。一昨日は気温が2度まで下がり、寒くて手がかじかんでしまいました。今日は暖かいです。[9月24日11:10 ポジヌルド郵便局にて]

10月3日、中山さんの山梨の自宅に電話あり。
『ゴルガンで消防署へ泊めて頂いているそうです。イランはとても静かでアフガニスタンから一日一日離れるので大丈夫だといっておりました。テヘランまではあと一週間位かかると言っておりました。予定より少し遅れたようです。元気なので皆様に宜しく伝えて下さいと言っておりました。』と母上から。

なお、当面の走り旅日程は以下の通り。
ゴルガン着 9月30日
テヘラン着 10月7日
ガスビーン着 10月11日 イランのビザ延長
マク−着、イラン出国トルコ入国 10月28日
トーバヤズット着 10月29日
エルムルズ着 11月5日
シクス着 11月16日
アンカラ着 11月27日
イスタンブール着 12月7日

後田聡子さんから…リマ発 〔E-mailより抜粋〕

◆ようやく、ペルーの首都リマに着きました。リマは海岸沿いの町ですが、標高2800メートルのエクアドルのキトよりまだ寒く、驚いています。これから目指すボリビアはさらに寒いとのこと。どうしたらいいんでしょうね。

◆南米は、とっても広く、アンデス山脈は果てしなく美しく、くねくね道は私をバス酔いへと導きます。本気で酔いました。運転手の横の低いステップにちょこんと座らせてもらい、おじちゃんとポツポツ会話して、何とか乗り切りました。あー遠かった。

◆エクアドルの車窓から 山は働き者のインディヘナによって、ジャガイモ畑が土色の肌を見せているか、緑の牧草地が広がるかにキレイに分かれています。茶色と緑のグラデーションがどこまでも続き、すぐ側にある雲の片端が、隣の山との境に吸い込まれるように落ちてゆきます。雲と同じ高さか、少し上をバスは走ります。感動的です。

◆ペルーの車窓から 山は岩山に変わり、わずかな土の部分には、元気よくサボテンが生えてます。家々は、赤茶色の日干し煉瓦で作られ、それが白茶けてきたりもしています。なんだか砂漠のように乾燥していて、西部劇の舞台のような感じがします。日系移民が入ってから伝わったという水田が、所々でさわやかな緑を見せています。

◆多分週明けには、クスコという街に行き、空中都市マチュピチュを見に行く準備に入るでしょう。また、高山病対策をするときが来たのです。がんばろうっと。バス酔いもがんばろうっと。マチュピチュの隣町には、また温泉があるので入ってきます。アンデスで温泉三昧だ。その後、チチカカ湖へ抜け、10月最終週にボリビアに入る予定です。

◆予定は未定でございます。なにぶん刺激的な南米の旅、またレポートさせていただきます。第3次世界大戦、日本の方がこちらより危険なのではと話しております。基地周辺の方、空港等重要施設周辺の方、くれぐれもお気を付け下さいますよう。こちらは、特に危険はありませんのでご安心下さいませ。



地平線TOPICS

奥多摩一周24時間山岳耐久レースに地平線ランナー出走
◆10月7〜8日、恒例の「奥多摩一周24時間山岳耐久レース」(71.5キロ)に、地平線会議おなじみの面々、香川澄雄、江本嘉伸、三輪主彦、下島伸介が出走した。今回は鹿屋国立体育大学の要請で胸に心拍計のバンドをつけ、出走前後には採血、食事チェックなども受けるものものしさ。大学からも担当の山本正嘉助教授以下体力派 3人が参加、老若対決となった。さて、結果は…?

【続報】結局、鹿児島組も健闘して全員完走する成果を上げたが、記録的には協調精神にあふれる江本を除いて爺さんグループが断然強く、21世紀の明日を象徴した。江本は、夜降り出した雨を避けるため急遽ほぼ50キロ地点にある御前山避難小屋で3時間も仮眠をとるという老獪な作戦に出て、鹿児島組に花をもたせた。おまけに地平線会議にも時折顔を出す大阪の宮部りえさんとばったり遭遇、「楽しい山岳耐久」を実践した。


62年前のチベット潜行記録、ついに出版!
◆1939年から40年にかけて関東軍の命でチベットに潜入した野元甚蔵さんの手記「チベット潜行 1939」が夏の終わり、悠々社から出版された。当時の極秘報告書をもとにあらためて書き下ろした、360ページの力作。解説は江本嘉伸が担当している。問い合わせは、悠々社(03-5261-0052)へ。




今月の地平線報告会の案内(絵:長野亮之介)
地平線通信裏表紙

パキスタンの子供の庭

10/26(金) 18:30〜21:00
 OCtober 2001
 ¥500
 アジア会館(03-3402-6111)

丸山純・令子夫妻は、パキスタンのチトラル県に通うこと23年になります。かつて秘境と呼ばれたこの地も、近年は援助漬けで様相が変わりつつあります。「ささやかで、金がムダに使われず、皆が喜ぶ援助とは何か」という命題に対し、一つの答えとして丸山夫妻が今秋試みたのが「学校にプレイグラウンドを作る」プロジェクトでした。

現地の熱心な教育者の協力を得て、7日間で遊具が完成。子供たちの歓声があがったのですが、ここでテロ事件がおこり、帰国を余儀なくされました。なぜこういう仕事が可能だったのか、その経緯と共に、丸山さんをここまで魅きつけるパキスタンという国について、入門編から中級編までじっくり語って頂きます。チトラル地方の民謡の紹介も予定しています。お楽しみに!


通信費(2000円)払い込みは郵便振替または報告会の受付でどうぞ
郵便振替 00100-5-115188/加入者名 地平線会議(手数料が70円 かかります)


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