2001年9月の地平線通信



■9月の地平線通信・262号のフロント(1ページ目にある巻頭記事)

地平線通信表紙21世紀は病院のベッドで迎えた。昨年の暮れからこの春にかけて、左膝骨折のため入院していたのだ。私は展示会やイベントなどの大工をしている。昨年11月、作業中の事故で骨折し、1か月以上もギブスをしていた。ようやくギブスがはずれ、曲がらない脚でリハビリを兼ねて、そろりそろり歩いているときに転倒し、くっつきかけた骨がまた離れてしまったのだ。内出血でたちまち脚がラグビーボールくらいにふくれあがり、もはやギブスではおっつかず、入院、手術、リハビリ、ということになったのだ。肉体渡世にとっては大事件である。まあ、いざそうなってしまえば、人間、脚が片方動かなくてもなんとかならあ、という気になるものだ。

●しゃくにさわるのは江本氏の存在だ。骨密度が常人よりはるかに高い、ということを自慢の種にしている江本氏にとって、私は絶好のエジキである。なにかというと「2度も骨折するなんて、骨密度が低いんだなあ」とふくみ笑いしながら言う。くやしいのだ。しかし、今のところ、江本氏に勝てるのは子供の数くらいのものなので、涙をのんで屈辱に耐えている。

●さて、膝の骨はまだワイヤーでぐるぐる巻きのままだが、私はもうすっかり元気だ。今年の夏は、借りた車にキャンプ道具を積み、3人の子供たちと新潟からフェリーに乗って北海道を旅した。エゾシカやキタキツネに出会い、羊の毛刈りをし、山に登り、毎日温泉に入り、とても楽しい24日間をすごした。

●それにしても、自分に3人も子供がいる、ということが不思議でならない。大学を出てから就職もせず、行商や現場作業で金をためては、旅をしていた。結婚してからも夫婦で旅に出かけていたが、ふたりともはじめは子供なんて欲しくなかった。子供を作るなんて考えもしなかった。ところが、なぜか、旅をつづけるうちに子供が欲しくなった。ヒマラヤやアンデスの山麓、インドの路地裏、アジアの市場、などを夫婦で歩き廻るうち、子供を育て、ふつうに日常の生活をすること、それこそが大切だ、それこそすごいことだ、と思うようになったのだ。

だからといって、旅をやめたわけではない。子供もいっしょに旅をするようになった。1才になったばかりの長女を連れてボルネオのキナバル山へ登った。翌年はエアーズ・ロック、その翌年には妊娠8ヶ月のデカ腹かかえたかあちゃんとベトナムへ行き、子供が2人になってからも中国、ラオス、ケニアなどへ出かけていた(このあたりの子連れ旅のようすは山と渓谷社の「地球とにらめっこ」という本にまとめました。読んでね)。

この数年は、夏にキャンプをしながら一家で日本を旅しており、おととしは東北、昨年は四国・山陰にでかけた。日本を見直し、自然の中で眠り、旅人たちがこの日本の地でどのように暮らしているのかを探る、というのが建て前だが、よーするに、一家で海外へ出る金がなく、宿泊費もないのでテントに寝て、おまけに行った先々で友人の家に泊めてもらう、というのが本音である。

●今回の北海道も、砂川市で有機農業と養鶏を営む吉野徹さんの家にお世話になった。吉野さんとは15年前、サハラの真ん中で出会った。私たち夫婦がドイツで買った中古車の車の中で寝泊まりしながら旅したいたときだ。

遊牧民になろうと風のようにさすらっていた吉野さんだが、長い長いアフリカの旅をつづけるうち、考えが一変した。農業をやろう、百姓となってひとつの土地に根をはろう、と決心し、ひとり北海道に渡り、農業修行にうちこむことになる。ながらく独身だったが、近頃、きれいな嫁さんをもらい、1才になるかわいい一人息子がいた。今は土地を借りているが、来年には自分の土地を手にいれる予定だ。土地にはった根を、どっしりと深いものにする覚悟だ。どうやら、旅には人の生き方を大きく変えてしまう力があるようだ。[渡辺久樹]



先月の報告会から(報告会レポート・262)
キョーフの一瞬
森田靖郎+熊沢正子+安東浩正
2001.8.31(金) アジア会館

◆8月の報告会は、毎年参加者が少なめでさみしい。でも、今回、会場設営から参加して発見しました。8月の報告会は、報告者も内容もとってもゴージャス! これは見逃せないゾ。

◆今回のテーマは「恐怖」。スペシャルゲストは、優秀な編集者でちゃりんこ族の熊沢正子さん、さわやかサイクリスト安東浩正さん、裏社会に潜入するハードな作家・釣り師の森田靖郎さん。会場には画伯・長野亮之介氏が材料費500円・製作時間1時間をかけて演出した行燈が灯され、もりあがる恐怖に会場も思わずひんやり。

◆前半は、出席者から恐怖の体験談をかるーく披露していただいてから、森田さんがアンカー役を務め、スペシャルゲスト3人の恐怖体験に突入。

◆まずは、治安の悪いインドの山奥で、地元の屈強な男達にリンチされた安東さん。地元の男達を山賊だと信じ込んだ安東さんの対応が、村人たちに怪しい外国人テロリスト侵入という恐怖の種をまいてしまった。危険分子は排除しろ、と村人たちは安東さんを棒で殴りつけ、ジープに押し込む。疾走するジープから転げ落ちてあわやの脱出。昨今のアクション映画よりずっとリアルな恐怖体験です。

◆続いて紅一点の熊沢さん。フランス田園風景の中で花摘み(トイレ)最中に、お尻丸出しで、猟銃を突きつけられるという乙女のピンチなど、後をひく恐怖を語ってくれました。非日常のスリルを求め、見知らぬ土地を行くのが旅人。地元の人との接触はギャンブルに似ています。この場合、危機回避の防衛本能を磨くしかないのかなぁ。

◆大御所森田さんは、ハードなネタを追う取材者ならではのエピソードを披露。天安門事件を取材した森田さんは、数年後、ある集会のために、学生運動を指揮した中国人留学生と共に北京経由パリ行きの飛行機に搭乗した。中国公安のブラックリストに名を連ねる2人。入国が発覚したら、留学生は投獄され、森田さんも2度と中国に入れないという状況下で厳しいパスポートチェックに遭遇。森田さんの機転とパイロットの勇気によって、その場は突破できたものの、同行していた留学生は数年後、中国で消息を絶った。

とっさの機転で嘘をついたことがトラウマとなり、国境越えをするたび恐怖感がよみがえるという森田さん。十年以上も中国裏社会の取材を続ける森田さんが発見した危機回避の3か条は、スチールカメラよりもビデオ。小型カメラより大型カメラ。取材は大物ボスに直撃。裏社会を取材し、生き延びてきたノンフィクション作家の言葉は含蓄があります。

◆後半は、飛び入りで、ビッグな報告者が次々にとっておきの恐怖体験を語りました。江本さんは若き日の東京湾ナイトダイブで沈船内部での九死一生の体験談をしみじみと、賀曽利さんはさわやかな笑顔で、温泉取材での心霊写真撮影や峠越えで幽霊遭遇を話す。私はあんなに怪談を快活に話す人を見たことがない…。賀曽利さんの怪談が発端となり、三輪先生のおじさん幽霊との出会い・森田さんはTV取材で同行した女性キャスターの霊感体験と怖い話がぽんぽん飛び出る。しかも皆、どこか嬉しそう。これぞ危機回避の必殺技「笑う門には福来る」?

◆人生哲学を感じたのは、森田さんの釣人魂が打ち勝った恐怖体験談です。鮎釣り選手権全国大会を勝ち抜き、九州・球磨川での決勝戦に出場した森田さん。釣り人にとって、未知の川を進む一歩が死につながることもある。森田さんの恐怖心克服法、は日々の筋力トレーニングと合気道の修行、そして鮎釣りへの情熱。飽くなきチャレンジャー精神こそが恐怖を克服し、危険をかわす極意なのだと私は思いました。

◆充実しすぎて内容がまとまらない8月納涼報告会。こぼれたエピソードもたくさんあるけれど、会場に来た人だけの秘密なの。気になる方は来年の納涼報告会にご参加下さいませ。[山本千夏]



地平線ポスト
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★8月から江本のメールアドレスを変更しました

大久保由美子さんから…8000メートル峰のマナスルに行っている大久保さんの日記から。詳しくはウエブサイトhttp://climbery.comの「DIARY」、もしくは「NEWS!」でメールマガジンの登録ができる。

9月2日(注 高度順化のための小ピーク登頂の日)


◆世界は白い大気に包まれ、雪面との境さえ定かではないなかを、ゆっくりと登っていく。すでに気圧は平地の半分以下。少しでも楽に登るために、一歩に合わせて2〜3回鼻だけで深呼吸し、100歩数えたら足を止めて15〜20回深呼吸するというリズムを守る。深呼吸しながら歩くというのはコツがいるが、両脇腹の呼吸筋を意識するとうまくいく。口呼吸しないのは乾燥した大気から喉を守るためだ。

◆昨日から間断なく降り続けている雨は、標高が上がるにつれてみぞれに変わりやがて雪となる。上部になると膝までの積雪となり、前を行くハイポーター3人、そしてほとんどシェルパ並の強さの倉橋登攀隊長が交代でラッセルをしてルートを延ばしていく。私はラッセルに参加するどころか、どうしてもあと100メートルが追いつかない。斜面は所々きつくなるが、雪に粘り気があり、雪崩の心配は今のところなさそうだ。

◆視界はないが、高度計からそろそろ頂上であることがわかる。斜度が落ちついていつのまにか稜線となったようで、歩いている右側が雪庇になっている。サングラス越しにようく目を凝らすと、前方数10メートル上にスカイライン(と言っても上下とも微妙な違いの乳白色だが)がおぼろげながら見えた。さらによく目を凝らすと、そのスカイラインの手前側は、まるで迫り来る大波のような形でずうっと雪庇になっている。

◆スカイラインまでの斜度はきつく、中央あたりに真一文字にヒドンクレバスらしきラインが走っているのが確認できる。粘り気があるとはいえ新雪を切るのはとても勇気のいることだが、ハイポーターたちはロープで確保して、腰まである雪を踏み固めながらクレバスを迂回して空に向かって進んでゆく。こともなげに仕事をこなしていくハイポーターたちの果敢な姿に感動を覚えずにはいられない。かっこよすぎる!

◆後ろからすごい勢いで近藤隊長とコック頭のティカが追いついてきた。今朝早くベースキャンプを出発した近藤隊長はもともと高所に強いうえ(8000メートル峰無酸素登頂、世界最年長記録保持者なのだ)、ムスターグ・アタで順応ができているため、まるで平地のようにとんとん登ってくる。

◆曖昧なスカイラインに、先行した4人がこちらを向いて横一列に並んでいる。それもそのはず、スカイラインはまさに5846メートルのナヤ・カンガの頂上で、人が横に2人と並べないナイフリッジとなっていたのだ。その向こうはすっぱりと切れ落ちており、落ちたら当然イチコロである。晴れていれば360度の大展望を望むべくもないが、この悪天の中、登頂できただけでも儲けもんである。そう快適な場所でもないので、しばらく写真などを撮ったあと下り始める。

◆斉藤さんは頂上までもう少しだったので、近藤隊長はハイポーター1人を残して登頂を許可したが、栗原さんには出会ったら折り返すように指示する。残念だろうが、あさってまた来る予定なのだし、そのとききっと上野さんとともに登頂できるだろう。全員予定どおりベースキャンプまで下り、おいし〜いティカの日本食に舌鼓を打って、濡れたシュラフにくるまるもすぐに入眠。


滝野澤優子さんから伊南村の丸山富美さんへ…2001.9.5…シベリア発

◆伊南村は平和ですか? 私は今、ロシアをバイクで旅しています。ウラジオストクから上陸して早1ヶ月。シベリアの大地を6500キロ余り走ってもうすぐカザフスタンです。ロシアの人はとても親切で、あちこちで家に泊めてもらったり食事をごちそうになったり、お世話になっています。思ったよりモノも豊富ですが、ホテルが少ないのか満室(ホントかどうか疑わしい)で断られることが多く、キャンプもしています。これから、中央アジア→ヨーロッパ→アフリカ→アジアと、旅は続きます。地平線の方々にもよろしく。


恩田真砂美さんから…マッシャーブルム2峰という難しい山に行った恩田さん。
なんと帰路の途中であのソロ旅行家、空港で金井しげさんとばったり遭遇した、とのこと。

◆今日9月3日、帰国いたしました。マッシャーブルム2峰は、ABC〜C1間のルートの悪さに手間取り(落石の嵐)、リスキーなルート工作と荷揚げでC1、さらに最終キャンプとなるC2を設営したものの、頂上アタックを前に連日の降雪に見舞われ、下山いたしました。C2から見上げた頂上は、手が届きそうで、リーチがかかっていただけに、残念です。

それでも、C1プラトーからのカラコルムの山並みは素晴らしく、マッシャ-ブルム1峰、ガッシャーブルム、K7と、また、戻ってきたいと思わせるのに十分な迫力でした。私だけなら、ABC〜C1の時点で既に撤退宣言していたようなルートでしたので、よきメンバーに恵まれ、C1からの展望を楽しめただけでも幸運といえるかもしれません。

◆とり急ぎ、帰国のご連絡とさせていただきます。改めて、ご報告させていただきます。


丸山純さん・令子さんから…2001.9.8…パキスタン・チトラル発
地平線Webサイトの開設者でもある丸山さんは、現地からWebの更新にトライしていますが...。

◆予定通り、おととい(9/6)無事にチトラルに到着しました。お世話になっているぺシャワールの人がどうしても自分が送るといって聞かないので、彼の車(スズキの軽ジープ)でレワライ峠を越えたのですが、エンジンがいかれたうえ、ルーフキャリアが壊れて、さんざんな旅でした。令子は助手席に座れたのだけど、こちらは後部座席に押し込められ、荷物に埋もれてしまって、ひどい車酔いになり、ぼろぼろになって16時間の旅を終えました。こんなつらい体験をしたのは、初めてです。

◆イスラマバードで、予備に持っていったオアシスポケットが壊れてショックを受けていたのに、さらにこのレワライ越えで、予備のシステムやバックアップデータを入れていた外付けディスクが認識できなくなってしまいました。次々と装備が壊れていくようで、いつ本体がいかれるか、はらはらしています。前回はまったく問題がなかったんですが……。

◆昨日はまる一日休み、今日はアスレチックを作る学校に下見に出かけて、いろいろ打ち合わせをしてきました。明日、日本から建築家がくるので合流し、明後日からしばらく、ドローシュというところに滞在します。

◆チトラルにもインターネットカフェが数件できているみたいで、市内通話でつながるのはいいのだけれど、24000bpsがせいいっぱい。しかも、お話中の嵐で、メールの受信もやっとこさです。




今月の地平線報告会の案内(絵:長野亮之介)
地平線通信裏表紙

雲の上の夏休み

9/25(火) 18:30〜21:00
 Septmber 2001
 ¥500
 アジア会館(03-3402-6111)

フツーの女子大生、田端桂子さんの今年の夏休みは、パキスタンのコーセルガン山サウスピーク(5971m)登頂から始まりました。HGC(ヒマラヤ・グリーン・クラブ)の植林プロジェクトにも参加。多彩な旅の中でも特に印象が強かったのは、プロジェクト後、一人残ったスカルドゥーという町で触れたイスラム文化でした。

早稲田大学探検部に属し、これまでも中国の独龍江調査、ロバ車の旅など様々な旅を経験してきた田端さん。物理的な遠さより、精神的な距離を感じる旅に興味を感じています。

今月は、田端さんの夏休みの報告と、これまでの旅の軌跡を話していただきます。


通信費(2000円)払い込みは郵便振替または報告会の受付でどうぞ
郵便振替 00100-5-115188/加入者名 地平線会議(手数料が70円 かかります)


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