2001年8月の地平線通信



■8月の地平線通信・261号のフロント(1ページ目にある巻頭記事)

地平線通信表紙『ヒマラヤ、旅の今昔』

●ヒマラヤの旅の仕方にも色々あるけれど、できれば訪ねた所をもう一度かニ度は訪ね直すことをお勧めしたい。最初の訪問はきっと「ああ、何てすてきな人たち!」かもしれないけれど、二度目が同じとは決して言えない。もしかすれば「ああ、来なければよかった」と思うかもしれない。逆の場合だってあり得る。最初は「景色は美しいのに、汚いやつらだ」が、二度目には「来て良かったな」かも知れない。

そういう場合でも、もう一度トライしてみると、「おや、みんなこんなうまそうなものを食べていたんだ」と新しい興味がわいてくるはず。それに三度ともなれば、向こうから「おっ、おまえ来たな。寄ってけよ」と三人に一人は言うだろう。そうなるとあなたはもう、言葉も覚えたいし、彼等の生活ぶりももっと知りたいし、できれば何日間か泊めてもらって彼等の流儀も教わっておきたいと思うに違いない。

もし、既に予備知識をいくらか持ち合わせていれば、それの確認もしておくべきだろう。あまた情報の氾濫する今日、知識として得たものを知っていると思いがちであるけれども、自分の目で確かめ、空気に触れ、耳にした真実以上のものはあり得ない。それに旅には偶然や予測できない愉快なことが満ち満ちている。もちろん同等に危険なことも隣り合わせにある。

●序でながら、少し昔の、苦くて素敵な旅のことをお話したい。私の生死を分けた旅の確認とでも言おうか。

十年ぶりにシャルパ族が多く住むソル=クンブ地方の南を再訪した帰り、私はその場所で竹の小屋を捜した。再訪したその十年前、ソル地方を訪問する道のどこかで毒を盛られたらしく、宿を発って数十分後にいわれのない激痛が襲い、這うようにして辿りついたのが放牧の為の竹でこしらえた小屋だった。丸一昼夜、背中から心臓を突き刺すような痛みが続いた。痛みのなかでノートに遺書までしたためた。

明け方、痛みが幾分和らいだ。私の傍には犬や鶏、子牛もいた。みな眠れなかったのに違いない。犬のクイーンという悲し気な泣き声がずっと聞こえていた。竹の小屋はみつからなかったけれど、同じ場所に本造りの茶店が建っている。もしか、と覗いてみた。

ああ、あの時のご夫婦!「覚えていますか?」「おまえはアユコか?!」多分、別れ際に名前と住所を言い置いたのだろう。この夫婦は、一晩中「ニンチェー、ニンチェー(かわいそうに)」と言い続けてくれたのだった。ソル=クンブへの入り口、ラムジュ・ラという峠での出来事だった。

●毒などと、と言うかもしれない。シャルパ、タマンといったエスニックグループが雑居するこの辺りでは、無色無臭の殺鼠剤を使った毒を盛るという風習があり、さじ加減をみたりもするらしい。首尾よく死にいたらしめると、その旅人の幸運が自分に加えられるという迷信に因っている。

ターゲットは旅人(よそ者)。未だ外国人が毒にやられて死んだという話も、殺人犯がつかまったという話しも聞かない。裸足の荷物持ちが一人とよれよれの装備の私。その時私は旅人ではあったけれど、外国人ではなかったのかも知れない。

●最後に私が関係するランタンプランというNGOの若者たちについて。初期のころ日本から毎年一人か二人、若者を現地へ派遣した。みなネパールは初めて。代替エネルギーの可能性の調査、極小規模の水力発電の設置とテスト、データ収集などが課題だから、これは彼等にとっては旅とは呼べない種類のものだ。

私のやり方は、まず「ペンチがなくても針金が切れる」人が第一条件、現地では最低必要な言葉を集中的にインプット。そうでしょう?「これは何ですか?」も言えなければ、仕事はできません。あとはお好きに。但しレポートは提出してね。結果、若者達は適応性の潜在能力を見事に開花させてみせてくれた。

あれから十年以上、かの若者達はこの経験を大きく育んで新しい世界に踏み出して行った。今ランタン村で公民館活動に従事する村の若者たちも捨てたものじゃない。残念ながら、この通信がお手元に届くころには放映が終わっているけれど、もし見て下さった方があれば、彼等の新しいプランにご協力ください。できれば現地で。[貞兼綾子(ランタンプラン代表)]



先月の報告会から(報告会レポート・261)
7s'sトレンド化計画
山田淳(あつし)
2001.7.30(月) アジア会館

◆灘中・灘高を卒業し、東大文(経済学部)に籍を置く学生、それも金融関係のベンチャー企業でアルバイトをしている、というとどんな人間を想像するだろうか。セブンサミッツ(以下7s's)に王手を掛けた今回の報告者、山田淳の履歴である。

それが、報告会に現れた彼はといえば「隅田川花火大会のために借りてきました」という白い浴衣をまとった小柄な身に、なんとも愛嬌のある表情をたたえた金髪頭を乗っけている。その風貌を一見するや、強烈な個性の匂いがプンプンしてくる。

◆山田君は幼い頃、小児喘息で随分悩まされたという。「夜中に咳き込んでは呼吸ができない、酸素が足りない!」という辛い状態もあったらしい。そんな身体の弱さから、「頭で生きるしかない」と小4で決心、「死ぬ気で勉強」し、見事灘中に合格した。小4でそこまで悟るとはなんとも可愛げのないガキなのだが…実に可愛いのだ。というのは、山に“ハマる”きっかけとなった中1のときの屋久島での写真。本人も「幻想的な」と言う通り、縄文杉に寄り添うようにして映るあどけない表情の少年からは、今の経歴は想像に難い。

もう少しで未熟児という小さな体と共にこの世に生をうけ、体育の成績だけ「2」というコンプレックスから山登りをはじめた少年が、今や世界で一番高い場所に手を伸ばそうとしている。人間の可能性というのは計り知れない。

◆さて、山田淳の7s's。99年9月のキリマンジャロ登頂を皮切りに、2000年 1月にアコンカグア、6月マッキンリー、9月エルブルース、11月にはコジウスコと次々に片付け、新世紀の幕開けと同時に南極のビンソンマシフに登頂。さらには、この4月にカルステンツピラミッドに登り、残すは王者・エベレストのみ。

その勢いもさることながら、南極より以前は資金もすべて自分で工面したのだという。聞くところによると、富士山ガイドや家庭教師のバイトで200万以上も稼いだというのだから、何かをするのにお金がないなどと言い訳をしている場合じゃないよなぁと改めて思う。私が聞いたどの地平線報告者も飛び抜けた個性の持ち主ばかりで、ひとくくりになど到底できないが、共通するものがあるとすれば、目標にかける情熱というか、周囲を圧倒するバイタリティーにあると思う。

◆前半、カルステンツピラミッド登山のビデオは圧巻であった。ロープがはずれたらまっさかさまという高所からの映像、頂上へ向かって一歩一歩踏みしめる瓦礫道の画には荒い息遣いが重なる。せっかく喘息がよくなったというのに、何も自分から「酸素がない!」状態を求めて行かなくても‥などと、こちらまで息苦しくなってきたところに、「ビデオ撮っている場合じゃないだろ」と、いとも楽しげに本人のつっこみが入る。

報告中終始笑顔で、とにかく口が達者で飽きさせない。次から次へと出てくる言葉、度々会場を沸かせるユーモアに、頭の回転の早さをうかがわせる。かと思うと、「インドネシアの空港でキレイなお姉さんに囲まれ」て、にやにやしたカオを見せる。「人が好き」で、単独の極地探検などより「人と楽しく登りたい」と最近つくづく思うのだと真っ直ぐな視線で語る姿は、やはり愛すべきキャラクターなのだ。

◆次の日に試験を控え、「頭の中フランス語でいっぱい」といいながら語ってくれた彼の、「もっと多くの人に7s'sに登ってほしい」との思いが伝わってくる会であった。例えテストのヤマははずしたとしても、今秋チョーオユー、来春エベレストの頂上へ向け、着実に歩みを進めること、確信させる。[地平線会議新人・菊地由美子(法政大学4年)]



決意表明宣言その一 飛行機野郎への挑戦

◆飛行機を初めて操縦したのは高校三年の時。いわゆる受験生だったぼくの第一志望は航空自衛隊航空学生、パイロット養成のスペシャルスクール、倍率百倍の超難関である。ちょっとした方程式を解くなど朝飯前だった理系のぼくは軽く一次試験の学科を突破。二次試験の身体検査は視力のテストだけで5〜6種類。ケツの穴まで調べられる厳格なるテストもクリア。

この時点で倍率は四倍ちょっとに絞られる。最後のテストは飛行機を教官と共に実際に操縦するという飛行機ファンにはたまらない試験。旅客機にも乗ったことのなかったぼくが初めて乗る機体がアクロバット飛行も軽くこなす二人乗りの練習機だ。

◆滑走路上で離陸態勢に入った機体がいっきに加速すると、前方の視界が後ろにぶっ飛んでゆく。座席に体が押し付けられる感覚がたまらない。すっと機体が地面を離れる。キャノピー越しに地面から離れてゆく主翼が見える。航空力学の基礎は知っているが、見えない空気に持ち上げられてゆく自分が不思議でならない。

◆上昇を続け、ふいに雲の上に出る。雲、雲、雲!前後左右のキャノピー越し下一面に雲の真っ白な絨毯が地平線の彼方まで続いている。見上げれば透き通り鮮やかなほどの蒼い冬空が広がる。バンクやレベルオフの試験をやったあと、教官は軽く機体をスパイラルさせ、宙返りをやってのけた。世界はくるりと回転し、下から上へ太陽光線が強くまぶしく照りつけ、雲の絨毯に機影が写る。空の上には自由がある。速く高く空を飛ぶことは何よりも素晴らしく美しい。今のぼくにとってもそのフライトの情景は、厳冬のカイラス北面の圧倒的な迫力や、ガンジス河の対岸から上る朝日の荘厳さにならぶほどの記憶だ。

◆その試験には落ちたが大学に行き流体力学を専攻し、仕事はラジオコントロールの飛行機模型を中国で作らせ欧米に売りさばくという三角貿易をしていたが、それもやめる時がきた。ぼくの旅と自転車とチベットという一面とは異なり、地平線会議の世界とは少し違うかもしれない。だけど飛行機のライセンス取得はぼくの人生の義務みたいなものだ。中国の未踏峰登山計画や、ぼくの第二の故郷中国雲南省に帰りたいという計画もある。けれどその前にちょっとアメリカ(できればアラスカ)に行ってライセンスを取ってくるので、よろしく[荒野のサイクリスト 安東浩正]



地平線ポスト
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Fax: 03-3359-7907(江本)

★今月から江本のメールアドレスを変更しました

シルクロードを走っている中山嘉太郎さんから香川澄雄さんへ
 …2001.7.12…カザフ発

第2便(7月19日配達)
◆お元気でしょうか? 日本も暑いまっ盛りですね。さて走り始めて13日目、予定通りカザフ国境に7/7に着きました。1日待って、7/9にカザフ入国。すぐ車でアルマトイに移動し、外国人登録や他国のビザ取り等をしています。中央アジアはこのような事務手続きが面倒です。

◆また思ってもいなかったのですが、中国との国境からアルマトイまで国境の軍事緩衝地帯で、単独で走るのは無理なようです。下手をすると撃たれるぞと脅かされています。どうにかしてこの区間を走りたいと作戦を練っていますが…どうなることやら分りません? 伴走車付きになるかも知れません。今その交渉もしています。勿論その結果はすぐには出ないので、明日からはビシュケク・タラス、シムケント方面を走り始めます。

◆うまく交渉が進めば、その後戻って来て、この緩衝地帯を走ることになるでしょう。早くも私の予定が狂い始めましたが、この調子だと先々でも、もっと大幅な変更があるかもしれません。走ること以外に色々悩まされておりますが気長にやります。体調は良いです。
7/12 11:03 アルマトイの安宿カズコントラクト・ホテルにて 中山嘉太郎


●森田靖郎さんから…2001.8.3…東京都目黒区発

◆お届けしたアユ(注・江本がおいしく食べた)は小ぶりですので、いちど焼いてからだしじるでお米と共に炊きあげる「アユ飯」が適当かと思います。4年目に入った尺アユへの挑戦に、球磨川に行きますので、9月には30センチ級のアユを届けられると思います。

ところで、釣りの合間に仕事をしているわけでありませんが、新刊が出ましたのでご報告しておきます。集英社新書「蛇頭と人蛇(ヤンセ)」。90年代最大の闇のビジネスとFBIが恐れている「人間密輸」について、この10年の動きをようやく集大成することが出来ました。「安価良品」という世界的な市場の流れを作った出稼ぎ密航者とその陰で操る華僑社会のボスと配下の蛇頭の実態です。

原稿まで半年。執筆が3ヶ月でしたが、その後裏付けをとるのに1年もかかりました。犯人を逮捕して、起訴出来るかどうかの責め誼合いをしている警察と検察のような気分で、ようやく出るところに出たという心境です。なぜ、100円ショップが林立するのか、ユニクロが流行するのか。激安に喜ぶ日本人社会の一枚皮を剥ぐと、「メード・イン・チャイナ」の社会があることをこの一冊で知ってほしいと思います。


後田聡子さんから…2001.7.1…グアテマラ・アンティグア市発
 (報告会受付など地平線会議を支えた若手のひとり)

◆拝啓 日本は梅雨の頃かと思いますが、お元気でお過ごしのこととお喜び申し上げます。私がグアテマラのアンティグア市に来て、早くも1ヶ月経ちました。月〜金まで1日 6時間、先生と1対1でスペイン語を勉強しています。日常会話は何とか分かるようになってきましたが、もう1ヶ月弱ここに滞在する予定です。先生は22才と若いながら、とても熱心で、毎週手作りのテストはあるし、宿題の量もうろたえる程です。先週あたりから「頭の中で思いつく日本語を全部スペイン語に訳さないと気が済まない」という病気にかかり、少々疲れ気味です。

◆スクールに入学すると同時に、ファミリアを紹介され、ホームステイしています。中庭のある平屋造りで、私の部屋も10畳くらいあり、快適です。庭にレモンとオレンジの木があって、その実をたたきおとしてフレッシュジュースをとくってくれますが、そのためだけでもここに来て良かったと思う程美味です。

◆アンティグアは、中南米を旅するturistaのたまり場です。同じファミリアにスイス人の女の子も住んでます。スクールでは、イギリス、デンマーク、ベルギー、オランダ、アメリカ、オーストラリア、韓国、イスラエルetc、何故こんなに外国人が?と自分を差し置いて楽しんでいます。アメリカ、オーストラリア人は結局英語で話してしまうし、休み時間に英語を使うと、頭の中がスペイン語と混ざってぐちゃぐちゃになってしまうので、“常にスペイン語”がモットーです。その点ヨーロッパ出身は強い。5ヶ国語出来ると言われてももはや驚かなくなりました。これだけ色んな国の人といっぺんに話しをすると、世界は狭いが言葉は多し。

◆今日は日曜です。午前中は近所のサウナとマッサージに行ってしまいました。ファミリアのママにしてあげる私の自己流マッサージは大変好評で、地元民御用達の穴場を教えてくれたのです。

◆インターネットカフェも沢山あるし、日本語ソフトの入ってる店も知ってますが、初回くらい手紙にしてみたかったので。

◆ここでは、アジア系のturistaは、まずchino-中国人と言われてしまいます。日本は援助額No.1なので、人気です。グアテマラは内戦終了後、食にあぶれた元ゲリラや貧しいインディヘナの存在が社会問題になっていて、特にcapitralには宗教系や各国の若者が立ち上げたサポート組織が沢山あります。各スペイン語スクールを回って寄付をつのる団体もあるし。大事なことだと思うけど、グアテマラはいつ自立するんでしょう。どうやったら一人で食べていける国になるんだろう。スクールの先生たちが、子供たちへの寄付をお願いーと言う度、本当にこれでいいのかしらと考えてしまいます。

◆8月はコスタリカに行くつもりです。9月にパナマ→南米へ。

◆今のところ、ごはんもおいしいし、一人で来たのに多くの人に親切にしてもらって毎日幸せです。来年まで資金がもつよう一緒に祈って下さいませ。




今月の地平線報告会の案内(絵:長野亮之介)
地平線通信裏表紙

キョーフの一瞬!!

8/31(金) 18:30〜21:00
 August 2001
 ¥500
 アジア会館(03-3402-6111)

暑中御見舞申上候。いつもよりたくさん暑い夏、やってまいりました、8月恒例「納涼報告会」! さて、今年のテーマは「恐怖」です。旅を続けていると、一度ならずコワイ思いをしたことは、誰でもあるハズ。事故、遭難、病気、ケガ、強盗、戦争、猛獣、ユーレイ。UFO。ケーサツのローヤ体験も恐かったよね、K君。熊にビビッた美人登山家Oさん。etc。

スペシャルゲストにはお三方を迎え、口火を切って頂きます。天安門事件のさなか、銃弾とびかう結婚式に参列した、森田靖郎さん。フランスで猟銃に向き合うハメになった熊沢正子さん。テロリストに間違われて、あわや!の安東浩正さん。

経験豊富(?)な3人のキョーフ体験にまじえ、会場にマイクを回してヒャッとした一瞬を皆さんにも語って欲しい。ちょっとコワイ話をたずさえて起こし下さい!


通信費(2000円)払い込みは郵便振替または報告会の受付でどうぞ
郵便振替 00100-5-115188/加入者名 地平線会議(手数料が70円 かかります)


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