2001年4月の地平線通信



■4月の地平線通信・257号のフロント(1ページ目にある巻頭記事)

地平線通信表紙「人間はなぜ、ガンになるのでしょうか?」。それは、専門家にも即答できないそうです。人間のからだには約60兆個もの細胞があり、ガンはその中のたった1個の正常細胞がガン化することからはじまるんだそうです。では「なぜ、正常な細胞がガン細胞になるのでしょうか?」。それは、細胞が刺激物質による刺激をうけ、徐々にガン細胞になるということのようです。

●つまり、ガンって何の前ぶれもなく突然にやってくるものではありません。必ず要因があります。実は、人間だれしもその可能性を持っているのです。なる人とならない人の違いは、人間が本来もつ、ガン細胞を殺すカの差だとききました。つまり、私の場合「自己治癒力」が弱っていたってことです。ガンは他人ごとじゃないってこともこれでわかりました。「なんで、私が?」おちこんだりもしましたが、認識カと抵抗カをきちんと働かせていたなら、なかなか病気にはかからないといいます。

●22歳の自分への誕生日プレゼント、それがこの『世界一周旅行』でした。最初はオートバイでスタートし、途中主人(オーストラリア人のスティーヴ)と出会ってから自転車の旅に変わりました。主人とは、11年半もいっしょにいるのに子供には恵まれず、不妊治療を考えていた矢先の発病。ガンにおかされた場所は子宮でした。走りながら、子供の名前も考えていたのに…。

●旅が中断したのも納得がいきませんでした。あっと言う間の緊急帰国、そして即入院。気がつけば闘病生活という新しい冒険がはじまっていました。抗ガン剤治療、放射線治療、摘出手術。すべてが新しい世界。なのに入院生活は、旅行気分を味あわせてくれます。治療の副作用には耐えられませんが、ここには患者という仲間がいます。8人部屋は、まるで安宿(ここは高い)のドミトリー!?「どの国、まわってきたの?」「次は、どちらへ?」ではなく「なんの病気ですか?」「手術はいつ?」会話の内容はかわっても、ここでもたくさんの仲間と出会い、励ましあえることがうれしいです。

●「人生は長さじゃなく、中味よ」なんて言ってたくせにいざ、死と背中合わせになってしまうと、ロには出せなくなってしまいました。進行期分類は4段階まである内の3b。かなり進んでおり、入院時の5年生存率はわずか20%でした。とにかく今は、前向きに進むしかありません。手術は今月26日です。「人間は、死を意識してはじめて生の価値を知る」。感謝できる日々は神様からの特別休暇です。そして、病気がなおったら、旅が中断したパキスタンヘ戻り、また再開いたします。したいことはまだまだ山ほどあります。

●婦人科507号室のべッドから眺める桜の木が、先週の日曜日、満開になりました。入院した日からこの日をずっと楽しみにしてきたので心が浮き立ちます。宿泊先を病院に変え早、3ヵ月。べッドの横には世界地図や地球儀もあります。21世紀早々「も〜、ぐちゃぐちゃ!!」状態の人生でしたが、私の二の舞いはしてほしくない!! と皆さんに向けて書いています。「ガン検診に行ってほしい」主人と私からのお願いはそれだけです。同じ病棟にもひどくなって駆け込んでくる人がたえません。本人だけでなく、その家族や友人たちも苦しいのです。早期発見なら生命にも別状はなく、子宮ガンの場合であっても出産の可能性は残ります。北里大学病院の女医、上坊敏子先生は「細胞診はピアスをあけるよりも痛くないです」と言っています。とにかく、25才を過ぎたら子宮ガン検診にいって下さい。妊娠してからでは遅いのです。

●今年36歳。年女。誕生日を前に今まで14年間の旅のお話、そして、今回の闘病生活を加えたものが一冊の本になることになりました。体調を見計らい、毎日スローペースでまとめました。本のタイトルは『ガンを越え、めざせ地平線!』。落ち込んだとき、賀曽利隆さんからおくられた言葉からつけました。発売は5月中旬ごろ。印税の一部は子宮・卵巣ガンをサポートする団体に寄付されますので、みなさんもよろしくお願いいたします。ホームページでも発売前に予約を受けつけております。

●最後にしつこいほどのお願いです!!! 「ガンは他人ごとではありません。早期発見で治るのです。子宮ガンだけに限らず男性もいますぐ、ガン検診に行って下さい!!」[シール・エミコ]


エミコのガン闘病ホームページは http://www.ny.airnet.ne.jp/kanami/emi.htm



先月の報告会から(報告会レポート・257)
乱れた織り目
松本栄一
2001.3.30(金) アジア会館

■報告会の開始直前の会場で、松本栄一さんと平尾和雄さんが、「やあ、どうも」とにこやかに言葉を交わした。いかにも「先日は〜」みたいなノリだったが、「30年ぶりかな」の一言に、思わず周囲がどよめいた。

■この日の報告会は2部構成。ビデオを使った前半は、さる1月26日にグジャラート州で起きた大地震の現地報告。被災地一帯は織り物を始め、焼き物などの伝統工芸が盛んな土地で、ここ5年ばかりインドの布地にのめり込んでいる松本さんも、その縁で現地を訪れたのだった。

■後半は、写真家松本栄一のインド亜大陸遍歴30年史。「70年安保の頃、仲間がどんどんマルキストになり、心がプッツリ切れてゆく。それで、ブッダの世界が持つ多様性の中ならマルキシズムと違うものがあるんじゃないか、と思ってインドへ行った」 今は大家の風格の松本さんも、当時は痩身長髪の青年だったに違いない。インドでは、日本の仏教界がブッダガヤに建てた寺の寺男として住み込んだ。落成式に鶏をシメて食べ、村が大騒ぎになるという門出だったけれど、日々の食事は質素なベジタリアン食。禅寺特有の厳格な食事作法も手伝って、22、3歳の松本青年には、「生涯で只一度の給与生活者」の暮らしも結構キツかった。

■しかし、滞在すればするほど、ますますインドは見えなくなってきた。「ここはぼくの歯が立つ国ではない」という思いもあったという。そして、その頃出会ったダライ・ラマの周辺の人々の国を背負った凄みや、チベット難民の支えとなっている強烈な信仰心に、松本さんの関心はチベットへ向かう。30歳の時、6万円近いインドの超豪華写真集が完成。それを区切りに、写真家として80年代は計6回チベットに通い、本人いわく『チベット三昧』の時期を過ごす。

■けれども90年代に入り、雲上の国から、松本さんは再びインドに降りてくる。「チベット仏教は確かに優れているが、その炎の元はインドだ。文明を生み出すエネルギーの本体を見ないことには‥」との思いがそうさせたという。そして、どうせインドは判らないんだから、と1000枚の写真を100ページに収めた『インドおもしろ不思議図鑑』を作り、一方では、「インドの柔肌に触れた」というベナレスで、『死を待つ家』を撮った。「ここは来世への別れの言葉のある町です。見送る言葉のないのが日本の文化。死にゆく人たちに今生の労をねぎらい、来世への心構えを教えることは大切です」と語る松本さんにとって、ベナレスは『インド文明とは?』をカメラで問う、またとない覗き窓となっているようだ。

■「22歳で得たインドの断片と、53歳で得た断片がハモってくれれば‥」という素敵な言葉で、30年を1時間で駆け抜けた第2部は締め括られた。しんどいインド的不条理混沌に疲労困憊し、チベットの清浄明快な条理に憧れる。なのに人は、やっぱりカオスが恋しくなる。それは何故か。報告会の後も、つらつらそんな事を考えた。[久島弘]



石川直樹 チョモランマに挑戦!!

石川直樹さんが、チョモランマに向かっている。カトマンズ―ラサ経由ですでにベースキャンプ入りし、高度順化トレーニングにはいっている。「Pole to Pole 2000」の時と同じくチベットの奥地から日々日記を自分のウェブサイト(http://straightree.com/)に送り続けている。最新の日記を紹介しよう。

●選ばれしシェルパ族 [2001年04月12日(木)]

◆朝起きると、昨日洗ってテント内に干していた靴下がばりばりに凍っていた。テントの内側も蒸気が凍って霜がおりたようになっており、吐く息が白かった。

◆今日から荷揚げのために少しのヤクとシェルパが上部キャンプに向けて出発する。 BCから中間キャンプ、ABC(前進ベースキャンプ)、C1(ノースコル)と徐々に高度をあげてキャンプを張っていくわけだが、これだけの隊が入っていると、場所取りもおろそかにできない。ラッセルは中間キャンプに一人のヤク使いを送り場所をとらせ、ABCにはアン・リタ・シェルパの息子カサンがすでに入っている。

◆朝食後、メンバー、シェルパを含めて全員で写真を撮った。これから皆が揃うことはあまりなくなる。シェルパは荷揚げなどでキャンプを行ったり着たりするし、ぼくらは中間キャンプがせまいことから第一陣と第二陣にわかれてABCへと向かう。昨日お祈りをした祭壇をバックに全員が集まった。その写真はもうすぐウエブにもアップされるだろう。

◆昨日の儀式のあいだ、後ろの方で大胆にも寝そべり頬杖をついて退屈そうにしていた若いシェルパがいた。スザーン(アメリカからの参加者オーウェンの彼女)がそのシェルパの姿を見てぼくに囁いた。「あの態度はまるっきりアメリカ人ね」。気になったので話しかけてみた。サングラスをとると、ただのガキンチョではないか。そのシェルパはパサンといい、最年少の16歳だった。頭の良さそうな顔をしている。ちょっとジャニーズ系でもある。ネパールのマカルー地方に住み、今回エクスペディションに参加するのははじめてだという。

◆ラッセルにシェルパの選択基準を聞いてみると、興味深い答えが返ってきた。基本的にラッセルがシェルパを選ぶのでなく、ロプサンなどの熟練シェルパが自分の村や家族、兄弟などから芽のある若いシェルパをピックアップしてくるという。ラッセルの元にはシェルパから「雇って欲しい」という手紙やメールが腐るほど送られてくるがすべて断っているそうだ。

◆ラッセルは言った「若い少年シェルパに期待はしてないんだ。今回彼らは頂上には立てないだろうが、その過程で年上のシェルパからロープやアイゼンの使い方を習い、エクスペディションがどういうものかを学ばせるのさ。そして次にチョオユー遠征に連れて行って8000mを経験させ、やっと一人前の仕事ができるシェルパとしてエベレストに連れて行くんだよ。」16歳のパサンは供え物のクッキーをつまみ食いして、年上のシェルパに殴られていた。彼には世界最高峰への気負いも悲壮感も何もない。ロプサンに見込まれ今回のエベレスト遠征に参加したパサンは、そう遠くない将来、一人前のシェルパとして世界中のクライマーをヒマラヤの峰に導くことになるだろう。山を生業とするネパールのシェルパ族、地球上には多様な人間が暮らしている。

◆話は飛ぶが、ラッセル・ブライスをはじめとする高所登山のガイド、という仕事もかなり興味深い。登頂を信じて疑わないクライアントを頂上に立たせること。8000m を越えると人間のあらゆる機能は低下し、自らの生命のみならず何人もの生命を危険にさらすことになる。自分のことだけで精一杯であるぼくらには、彼が背負うリスクの大きさについて想像することすらできない。

◆9?年にあったエベレストでの大量遭難に関してはジョン・クラカワーが「INTO THIN AIR」(邦題「空へ」)というルポを書き、世界的なベストセラーとなった。難波康子さんらが登頂後に亡くなったあの遭難についての話である。昨晩夕食後にその話題がでると、ラッセルはジョン・クラカワーへの痛烈な批判をはじめた。まだ彼とつきあって間もないが、あまり感情を表にださない彼がめずらしくエキサイトしている姿を見て少し驚いた。ラッセルはスコット・フィッシャーもロブ・ホールもよく知っている。それは現場を知っている者の生の叫びだった。生半可な情報では書きにくい話なので、詳述は避ける。ラッセルは世界最高峰をガイドする者としての誇りをもっていた。

◆昼になるとラッセルの新しいクライアントがBCに入ってきた。アメリカ人4人組は2週間ほど滞在してノースコルまで向かうという。もう一人のスコットランド人は登頂を目指す新しいメンバーだった。去年チョモランマに挑戦し失敗、今回は2度目の参加となる。名前は忘れた。遠征メンバーはお互いすでに親密になっているので途中からの参加は少しつらいものがあるだろう。

◆猛烈な太陽の光を浴びて、テントの中は暑い。Tシャツ一枚で寝っ転がっていてもまだ暑苦しいくらいだ。それに比べて夜はとてつもなく冷える。朝になると水筒の水はかちかちに凍っている。こんなにも昼夜の寒暖差が大きい場所ははじめて経験する。体調管理に気をつけなくてはならない。ぼくらは少なくとも16日までBCに滞在し、順応を続ける。



地平線ポスト
地平線ポストでは、みなさんからのお便りをお待ちしています。旅先からのひとこと、日常でふと感じたこと、知人・友人たちの活躍ぶりの紹介など、何でも結構です。E-mailでも受け付けています。
地平線ポスト宛先
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E-mail :
Fax: 03-3359-7907(江本)

●飯野昭司さんから…山形発
伊南村の丸山富美さんから『地平線報告会 in 伊南村』の報告書が届きました。単なる記録にとどまらない豊富な内容(フルカラー48ページ+付録付き)で、会場では公開されなかった報告者の秘蔵の写真、福田るみさん(報告会の翌朝「河原版」を届けて参加者を驚嘆させた伊南村専属イラストレーター)のイラストや写真を満載した構成に、報告会と同じようなぬくもりを感じました。伊南村の報告会は本当に楽しかった。これを開くとあの日のことが鮮やかによみがえってきます。あのすばらしい報告会の感動をこうしてきちんと記録に残した富美さんはえらい! 伊南村は私にとっても特別な場所になりました。またいつか伊南村で皆さんと再会したいです。できれば、あの「しだれ桜」の下で。



地平線新刊情報

「ピリカモシリ・カヌー膝栗毛」吉岡嶺二著[私家本 2000円(送料込み)]
◆あの吉岡さんが7冊目のカヌー旅の本を出しました。私は1982年の第1巻から全部大事に持っています。この本を読まなければサラリーマン冒険家は語れない。5巻以降は私家本になっており、なかなか手に入りません。三輪の責任で失礼を承知で何人かの方に送りつけました。ぜひお読みの上、代金を振り込んでいただければありがたいのですが。手に入れたい方は《郵便振替00230-5-65563 吉岡嶺二 2000円》です。


「山小舎日記 3000mの青春賦」宮崎拓著[文芸社 1200円]
◆宮崎さんは地平線の仲間、1986〜1988年の間、南ア北岳肩の小屋、北ア槍ヶ岳山荘、北八ガ岳黒百合ヒュッテで従業員をしていて出逢った人々、山のドラマなどを語った青春エッセイ。《郵便振替00190-8-728265 文芸社 1200円》



伊南村での報告会の報告書が出来上がりました

★ようやく早春の声が聞こえ始めた奥会津からこんにちは。昨秋、村で開催された地平線報告会の報告書が完成しました(地平線からのパネラーは賀曽利隆さん、森田靖郎さん、山田高司さん)。オールカラーで写真とイラストをふんだんに使い、会場へ来られなかった人たちにも現場の雰囲気が伝わることを考えながら作成致しました。大好評の特別付録は、地平線でもおなじみの長野画伯作の『双六』です。

★村内からは、『また、やりたいねえ』とか『ところで次の(伊南村での)地平線はいつなの?』『今度は(伊南村の)どこで地平線やるの?』などの声が聞こえてきているそうです。[丸山富美]

★また、地平線報告会を記念して伊南川沿いに植樹された『しだれ桜』が5月中旬に咲く予定です。5月12〜13日にかけて、気ままなお花見をやってみたいと思っています。どんな方法できていただいてもかまいませんが、12日中に伊南村への参上を希望される方は、丸山富美までご連絡ください(前日までに)。食べもの、呑みもの持参大歓迎! 宿泊はキャンプ場あり、民宿も紹介します。会費は食材と飲み物の実費(2000円くらい)です。

※お花見の申し込みは丸山富美まで...

E-mail


●伊南村報告会の報告書をご希望の方は、郵便振替(地平線会議・プロダクトハウス)でお申し込みください。送料込みで600円です。今月の報告会にも何部か持参する予定です。

・口座番号:00120-1-730508
・加入者名:地平線会議・プロダクトハウス
・金額:600円(料金が70円かかります)
※通信欄には必ず『伊南村報告書○部希望』と明記してください。




今月の地平線報告会の案内(絵:長野亮之介)
地平線通信裏表紙

水の住処(すみか)を求めて

4/27(金) 18:30〜21:00
 April 2001
 ¥500
 アジア会館(3402-6111)

「食べることって大事でしょ。おいしく食べるために欠かせないのが、おいしい水。水の環境が豊かな土地は、人の生き方も豊かな気がする」

というのは丸山富美さん。徳島市出身の富美さんは、「海の向こうを見たくて」東京に10年、オーストラリアに1年、さらにNGO「エコクラブ」スタッフとしてミクロネシアなど様々な土地に関わってきました。

水と人の縁にひかれて巡る旅は、まだ途上という彼女ですが、いまは福島県伊南村の水になじんでいます。昨秋の250回記念報告会をつくりあげた立役者でもあります。

今月は富美さんに、いい水のある環境って何なのか、語って頂きます。後半は、250回伊南村報告会の報告をしてもらいます。村のおいしい水でつくった地酒つきです。

※富美さんの友人で内モンゴル出身の田中美恵さんと、入矢あまなさん(日本人)の、歌とケーナのプチライブあります。


通信費(2000円)払い込みは郵便振替または報告会の受付でどうぞ
郵便振替 00100-5-115188/加入者名 地平線会議(手数料が70円 かかります)


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