2001年3月の地平線通信



■3月の地平線通信・256号のフロント(1ページ目にある巻頭記事)

地平線通信表紙●屋久島へ行ってきた。この島が世界遺産に選ばれて以来、来島者はものすごく増えた。もっと早く来て「いやー昔は人気はなくてねえ」などと言えたらよかったんだけど、今回はミーハーツアー。有名な縄文杉までは雪が深くて行けなかったが、弥生杉は見ることができた。杉の森はもちろんすごいが、それ以上に照葉樹の森は美しく輝いていた。この森にはサルもいれば鹿もいる。島民はサル害に悩んでいるが、多くの動物が住める森があることはすばらしい。

▼この島に来たのは、古代杉や照葉樹見物だけではなく、地平線の怪人「nono」こと野々山君に会いたかったからだ。5年前から屋久島に移り、土地を手に入れ、自力で住居を立てた。電気、ガス、水道なしという超原始的生活を始めたというウワサを聞いていた。最近電気、電話が通じ、ちょっと文明化してきたら、やたらとメールが入るようになった。

一湊(いっそ)集落で彼の家を訊ねたら、山の奥を指した。白川(しらこ)集落で聞くと、家まで連れていってくれるという。「自分でいきます」と言っても、「初めての人はムリ」と案内してくれる。確かに日が暮れたらとても行けないような、谷間に「nono屋敷」が立っていた。材木はすべて自力で担ぎ上げたという。すごい。えらい。これ以上緑に包まれた生活はないだろう。役場もよくここまで電気を引いてくれたもんだ。ガイドとして生きていくという。屋久島にお越しの時には、ガイド「ノノ」をよろしく。

●2月には教科書にものる有名な照葉樹林の町、宮崎県の綾町に行った。同行者は走るために永年勤めた会社を辞めた下島伸介さん。クマタカが棲むという森はすばらしかった。この町にはやはり会社を辞めて移り住んだ小川渉さん一家がパン工房を開いている。彼の話は地平線通信254号で岡村隆君が書いている。

この森の上を高圧送電線が通る計画がでてきた。高圧線の先には当然発電所がある。巨大な揚水型発電所、原子力発電所計画がセットになっている。意識して守ってきた照葉樹の森を壊してはいけない。小川さんはパン作りの合間に、豊かな自然を守る運動にかけまわっている。及ばずながら我々も役場や教育委員会に行って、「森だけを見にくる人もいるんですよ」とアピールしてきた。

▼屋久島でも聞いたが、「昔は、森や木を見てるだけでは食っていけなかったが、今は森や木があるだけで食っていけるんだ」と意識が変わってきた。しかしまだ目先の金に目がくらんで、大事な遺産を食いつぶそうとする輩もいる。長い目で見た時、何が価値があるものなのかを見極める目が必要だ。

●話は変わって3月13目、もしかするとミールが落ちてくるかもしれないと心配された目にわが御大将江本嘉伸の「独立を祝う会」が開かれた。今更何が独立かという声も聞かれたが、200人もの仲間が集まり、一生に一回のことだからと誉め上げた。

「世界遺産」もすばらしいが、私たちにとっては屋久島や綾町などに仲間がいることがすばらしい。江本独立の会に参加してくれた人々、地平線会議の仲間たちみんな、我々にとっての世界遺産なのだ。ちょっととってっけたような締めになったが、かなりの本心だ。(三輪主彦)



先月の報告会から(報告会レポート・256)
求(究)極の人力旅団
石川直樹
2001.2.23(金) アジア会館

◆「いつも7時ぐらいから始まるから、6時半に行けばまず座れるよ」 石川君の不思議な魅力を見てもらおうと、フィールドには無縁のだんなを引っ張ってきたのだが、甘かった!座れるどころか、すでに立ち見の人があふれている。腰が悪いだんなには悪いことをした。しかもみんなの熱気で異様に暑かったし。

◆とはいっても、ある程度は予想していた。人気番組「情熱大陸」を見て、石川君のHPを探し、そこで「地平線会議」のことを知った若者たちが押し掛けたのだ。

◆2000年12月10日、番組の最中から、石川君に共感したおそらく石川君と同世代の若者たちが、彼のHPの掲示板にアクセスし始めた。番組の感想は年内いっぱい続き、その数は170件にものぼった。その場に居合わせた者は誰もが興奮したことだろう。「こんなにも同じ価値感を抱く仲間(若者)が存在するのか!」と。そして年初から2月末までの書き込みは300件を超えている。

◆結局、この日の入場者数は147人。いつもは常連を中心に多くても100名程度であるのにだ。1979年9月に始まって以来、地平線報告会として最高の入場者数だった。これは主観だが、男性のうち3〜4割が普通の人(コア層じゃないという意味で)、女性にいたっては8割以上に思えた。特に女性の中には「ナマ石川君が見てみたいっ!」という普通感覚の女の子も来ていたように思う。最後の質問コーナーで確信した。質問が出ない(出来ない)ことが普通の人が来ている証である。異様な熱気は、コアな人と普通の人が交じり合う妙な緊張から生じていたかもしれない。

◆なんでこんな発想になるかというと、普通のOLだった私がひょんなことからヒマラヤ登山を始め、それをおもしろがった江本さんに「地平線会議」の報告を頼まれたことから縁を持たせていただいたという経緯があるからだ。「地平線会議」に接した時の第一印象を正直に告白すると、「コアな人たちの集まり」だ。例えるなら、ミーハーな気持ちで山登りを始め、初めて通(経営を支えてたりもする)好みの山小屋に投宿してしまった時に感じる、あの独特の入りにくさ。

◆で、本題。発表の内容は期待以上。思ったよりずっとトークがうまいし、笑いを取るツボも押さえているし、何より写真がすばらしかった! 個人的にはコスタリカにビビッときた。さっそく出かけてみることにしよう。印象的だったのは「どういう時に幸せを感じるか」という質問に対する石川君の答え。「山できわどいところを登っている時、あ、今ココで足を滑らせたら死ぬと思った時」。私は「集中して無心である時」と受け取った。

◆誰もが感じていると思うが、今の石川君には勢いがある。「P2P」の最中、体力を酷使しながら毎日HPの日記を更新するなど常人にできる技ではない。掲示板では石川君の環境をうらやましがる書き込みが見られたが、すべて棚ぼたではない。彼の好奇心とリンクした行動力が今の環境を築いたのだ。今、彼のそばにいるだけで、そのエネルギーが伝染してこっちまで元気になってくる。そういう彼にはこれからさらに多くの人が集まってくることだろう。

◆春には、「ここまでやったら気持ち悪いから」と7大陸最高峰を目指してエベレスト遠征への参加が決まっている。あとは簡単に登れるオーストラリアの最高峰コジウスコに行こうか、それとも年後半に始まる自称「本当は海の男」の「スターナビゲーション」プロジェクトに掛け合わせてニューギニアの最高峰カルステンツ・ピラミッドに登ろうか、そして北極、南極、グリーンランドへ、、、。もちろん最大の夢は、それらの経験を踏まえて文章でアウトプットしていくことだろう。今年少なくとも2冊、大手出版社から彼の本が出るということなので、今から非常に楽しみにしている。[大久保由美子]



河野兵市さん、再び北極へ!

 98年に北極点徒歩到達をやった河野兵市さんが、2月28日、再び長い旅に出発した。以前から計画をあたためていた「北極点からおうちに帰る」壮大な旅で、北極点まで飛行機で飛んだあと、歩いてカナダ北極圏を渡り、ベーリング海峡を越えてロシア入り、さらにロシア沿岸を通り、愛媛県の故郷の町までたどり着く計画。カナダ北極圏のレゾリュートで橇を試した後、3月26日頃、極点に向かい、そこから橇を曳いて歩き出す予定だ。「リーチング・ホーム」と名づけられたこの計画、少なくとも6年はかかるとのこと。出発前日に東京で開かれた壮行会では「地平線会議の皆さんによろしく」との伝言があった。



◆11年半も相棒のスティーブと自転車世界旅を続けている、あの元気な阪口エミコさんが、ガンとわかりパキスタンから緊急帰国、現在、大阪の病院で治療を受けています。けして軽くはない病状にも関わらず、持ち前の明るさで仲間たちにメッセージを送り続けている。ご本人の了解を得てホームページから、経緯を紹介します。

●中国〜パキスタン標高4700mのクンジュラブ峠を越える。貧血で走れない。スティーヴが100m進んでは私のところに戻り、結局2台の自転車を、交互に乗っては進むといった過酷な登りとなった。私の方は歩くだけで精一杯、フラフラでまっすぐ歩けない、呼吸困難で今にも倒れそうだった。「病気じゃない?」心配そうにステーヴが聞く。「ただの高山病だと思う。低地についたら大丈夫よ。」そう信じるしかなかった。今は日一日が大切で、病気とか言ってる時間の余裕はなかった。

フンザで休養。半年ぶりくらいの休養。ウクライナもロシアもカザフスタンも「2週間ぶっとうしで走り、1日休み」というパターンできた。休みの日は洗濯買物、日記書き、やはり体を休める時間なんてなかった。高熱が出て、激しい腹痛もきたけれど、「風邪と生理痛が重なった」ぐらいにしか思ってなかった。今までの痛みや苦痛は、何でも他のことにあてはめてきた。まさか自分がガンだなんて、そんなこと、夢にも思っていなかった。ただの悪夢だ・・・。

◆以下は、2001年1月18日から19日にかけて、第1回目の手術(血管造影)の前に、エミコさん自身が記したものです。

『まさか、まさか自分が?!』 ガンを宣告された人は、皆こう思うに違いない。そして私も、やはりそう叫んだ。

今までの旅、これからの生活、もうみんなぐちゃぐちゃ・・・。泣きたいけど、泣いてる時間もない。私には時間があまり残されてないかもしれない。先ず、何をしたらいいのか、何をしないといけないのか。残そう、記録を残そう。旅の記録、そしてこれから始まる闘病生活についても記録を残していこう。同じガン患者の人たちに勇気と希望と夢を、そして「一緒に頑張っていこう」、と伝えよう。もともと楽天家だ。それもかなりの・・・。

進行ガンですでに期のbに入ってる。今日、主治医の話だと、左骨盤は全面的に広がっているらしい。「もし、このまま旅を続けていたら、いつまでもちましたか?」 私が主治医の先生に聞くと「ウーン」という答え。「1年?」と聞き返した。「いーや」、「じゃ、半年ももたなかった?」、「ウ〜ン、そうね・・・」

そうか、今回パキスタンで緊急帰国帰国していなかったら、私はインドを通り、ネパール、チベットの5000m級の雪山で力尽きて死んでいたかもしれない。パートナーのスティーヴに見守られながら。

「ガンです」と宣告され、私が涙を流した訳は、旅が中断する不納得さ(悔しいけど)、自分がもしかしたらしぬかもしれない(怖いけど)からでもなかった。私がほんとうに悲しかったのは、今まで11年半、1日24時間いつも一緒にいたスティーブと別れるのがいやだった。それだけはどうしても耐えられないと思ったから涙が出たのである。「この旅が終わったら、オーストラリアでのんびり過ごそうねー」 今年の日本ゴールを目指し、出産も考えていた矢先だった。ああ、なんて、なんて、アンラッキーなの、私の人生。

しかし、そんな不幸からでも、こうして生きて帰れたのは幸いである。万が一事故で、それも遺体だけ帰国なんてなったら大変だ。もし、そうなった場合、自分のお葬式に来てくれるだろう人達がいま、こうして会いに来てくれる。仕事を休んできてくれる人、子供を預けて顔を出してくれる人、病院宛に手紙や小包を送ってくれる友人もいる。電話やファクシミリも来るので、よく看護婦さんにお呼びがかかる。こういった人たちに見守られ、私は世界一の幸せ者だと実感する。ガンバる。ガンばって、ガン細胞をやっつけるゾ!


エミコさんの闘病の記録が本になります。『雨にも負けず、ガンにも負けず』(仮題)予価1,200円。4月末頃に鹿砦社(ろくさいしゃ)という出版社から出る予定です。1冊でも多く売って印税をエミコさんの入院費用に充てたいので、予約募集するそうです。ご希望の方は、彼女のH.P. に届け先を明記の上お申し込みください。(賀曽利/江本)



南アメリカ大陸走り旅中の中山嘉太郎さんからの便り

●アタカマ砂漠をやっと越え、アントファーガスタに着きました。ブエノスアイレスを出て54日目2753kmです。チリ入国後はほとんど野宿です。草木一本も無く,勿論家などの人工物も全く無い地域が100km以上続いた時もありました。そんな時、トラックやバスの運転手が差し出す食料・飲物に涙ぐんだ(実はワーワー泣いた)こと数度。夜は南十字星、明け方冷えて朝露でシュラフがびっしょり濡れて寒くて寒くて。

さて今後はカラマ経由のボリビア高原でなく、北上を続けIQUIQUE(イキケ)まで500km行ってボリビアへ入るつもり。ボリビアでは寒さと高度(4000mで0℃位)が課題です。水入りのザックは時に13〜15kgになっています。更に防寒具など・・・

●2月25日 体調が思わしくなく車を拾ってアリカの町にいます。ここ1週間は悪いことが重なり大変でした。寝違えて首が回らなくなり、腰と背中まで痛くなり、15kgの荷物に何度も立ち止まりました。胃の調子も悪く食事も受け付けません。

アタカマ砂漠には日陰というものが全くなく日の出から日の入りまで休める場所はありません。私の実力を改めて思い知らされました。一日寝て、やっと動けるようになりました。体重は62kgまで落ちてガリガリ状態です。前回イキケ〜コルチャネ(国境)〜オールカ−ラパスのルートと言いましたが、雨期の今はボリビア側がグチャグチャなので、アリカ〜チュンガラ(国境)〜ラパスにします。こちらは舗装道路です。気合いはまだあるのですが、体が動くかどうか心配です。連続して毎日行動する大変さが身にしみて分かります。{3月20日頃ゴール予定}(香川宛、三輪宛を合併)



地平線新刊情報

◆平尾和雄さんの新刊、「スルジェ/ネパールと日本で生きた女性」遂に刊行決定! 一人の日本人青年がヒマラヤでネパール人女性と恋に落ち、そして結婚する。二人は、ヒマラヤの麓で「スルジェ館」という名前の宿を建設し、ネパールでの生活が始まった。スルジェ館元主人・平尾和雄と、ネパール人女性スルジェが共に歩んだ、鮮烈で温かい人生が感動の本になりました。

「僕が初めて彼女に会ったタトパニの、村はずれの橋のたもとの茶店は村人のたまり場になっていたし、ポカラのスルジェ館建設現場の掘っ建て小屋にも、大勢の日本人が集まってきた。手術後の相部屋の病室にも、居候していたマイケルの家の4畳半の部屋でも、宿や食堂を開いていなくても、スルジェのまわりにはいつも人が集まっていた。スルジェのいる所はどこでも<スルジェ館>なのだった。」

〜本文より〜

発行:旅行人/2100円。注文は「旅行人」03-5999-1777 FAX:03-3557-6880へ。
http://www.ryokojin.co.jp/




今月の地平線報告会の案内(絵:長野亮之介)
地平線通信裏表紙

乱れた織り目

3/30(金) 18:30〜21:00
 March 2001
 ¥500

 アジア会館(3402-6111)

今年1月26日、インド西部グジャラート州を襲った地震の被害はおおきいものでした。M7.9、死者は確認されただけでも18000人にのぼっています。震源地のカッチ地方はパキスタンと境を接し、国内でも陸の孤島のような立地。ジプシーの源流地という説も。

しかし一方で昔から良質な布工芸品で知られています。しぼり染め、カスリ織り、刺しゅう…。近年ではグルジャリという手工芸品輸出公社の成功で、経済的にも恵まれていました。

30年来インドに通い続けているカメラマンの松本栄一さんは、グルジャリの仕掛け人のバシン氏と旧知の間柄。バシン氏の呼びかけに応じて、この3月にカッチ地方の工芸家の復興を考える被災状況調査団に参加しています。今月は報告会日程をずらし、帰国直後の松本さんから、現地の様子を報告して頂きます。


通信費(2000円)払い込みは郵便振替または報告会の受付でどうぞ
郵便振替 00100-5-115188/加入者名 地平線会議(手数料が70円 かかります)


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