2000年12月の地平線通信



■12月の地平線通信・253号のフロント(1ページ目にある巻頭記事)

地平線通信表紙◆こんにちは。ほんとにほんとの世紀末、皆あっちこっちを動いている。私も11月末、久々にネパールに行って来た。25年前、エヴェレストを共にした懐かしきシェルパたちに会うのが目的で、トレッキング・ビジネスで成功した者、狭い農地で細々と生計をたてている者、病気になり娘さんの介護でどうにか生きている者などなど、ひとりひとりのその後の人生は、まさにドラマを聞いているようであった。当時のシェルパの孫にあたる若者もやって来て、彼は昨年、日本人の野口健と共にチョモランマに登頂したのだという。世代交代はどんどん進んでいる。シェルパたちの話、長くなるのでいずれどこかで。

◆カトマンドゥで日本の北海道大とトリバブン大の共催でヒマラヤ環境シンポが開かれたのでのぞいてみた。内容も興味あるものだったが、とりわけ進行役の日本の若手女性大学院生の歯切れのいい英語の司会ぶりに感動した。JICAの専門家として2年ネパールで仕事してきた人で、聞いてみるとインド暮らしが長い。「日本の若い人は何かひとつ技術を持つことだと思います。どんなものでも、これだけは負けない、というものを。そうでないと、国際社会の現場では相手にされない」。彼女自身は地すべりを大規模防壁工事ではなくて地域住民の創意工夫でどう防ぐか、というようなテーマを専門としているらしかった。

◆帰りのネパール航空機内では、日本の熟年世代の現実を見せつけられた。前の席に座ったおっさんがスチュワデスに大声で「ユー・スモーク・イン ザ・トイレット?」と詰問されている。そういえば、トイレから帰ったばかりだった。帽子を目深にかぶり、聞こえないふりして一生懸命眠るおっさんが気の毒というより、いじましかった。ひげ面、いかにも山男っぽい風体からするとおそらくヒマラヤ・トレッキングの帰りなのだろう。トイレに篭城してタバコを吸い続けたどこぞの新聞社の社員のせいで、飛行機が舞い戻った出来事がつい最近あっただけに、内心ヒヤリとした。翌日外せない用があるのだ。

◆飛行機といえば、8月カザフスタンからの帰路、ちょっとした出来事があった。無事乗りこんだまではよかったが、二時間たっても飛ばない。なんでも16 人分のオーバー・ブッキングがあって、その人たちの荷物も積み込んでしまっているらしい。週一便しかない定期便で、どうしても乗せろ、という16人との間に延々とやりとりがあった挙句、結論は「全員乗せる」。

◆といっても席数は決まっている。 16人は、満員電車内のつり革ぶら下がり状態となった。離着陸の時は2人がけの場所を3人がけにしてベルト締めたり、乗務員席に座らせたり、はみ出した乗務員の中にはトイレ内で踏ん張る者もいたらしい。この出来事はさすがに後で問題となり、カザフ航空は、今後このような定員オーバーはやりません、としっかりお灸をすえられた、と聞く。私はなんとなく、ユーモラスに思ったのだが。

◆ネパール話に戻って、急速な大気汚染で知られるカトマンズの街中を毎日ジョギングしたら、ビールスをいっぱいに吸い込んだ成果か、帰国近く風邪にかかり、多分それが原因で治療中の歯が帰国後腫れてしまった。右頬がぷっくり膨れて子どものようになった我がかんばせを診ながら、知り合いの医師は「歯が腫れるというのは身体が弱くなっている信号だから、ムリしちゃいけませんよ、もう年なんだから」だって。結局12月2週の学生たちとの恒例の冬富士山行をドクター・ストップされてしまった。

◆12月10日夜、テレビ「情熱大陸」で30分にわたり石川直樹が登場した。南米最南端を自転車でひた走る彼のメッセージは、多くの若者たちの心をとらえたらしい。「感動!」のメッセージがどっと彼のウェブサイトに殺到した。詳しくは別ページに。

◆では、来世紀にまた![江本嘉伸]



先月の報告会から(報告会レポート・253)
絹之路走旅異聞
中山嘉太郎
2000.11.24(金) アジア会館

先月の報告会から
絹之路走旅異聞
中山嘉太郎 2000.11.24 アジア会館

◆地平線会議の魅力の一つに、様々なジャンルの行動者達の報告を聞けるってことがある。世の中こんなことしている奴らがいるのだ、なんて、意外な旅のあり方に気付かせてくれたりする。今回もそんなちょっと異色な旅の方法として、シルクロード2700キロと昆明からバンコクへとランニングで走りぬけたウルトラランナー、中山さんの走り旅の報告です。

◆今まで自転車や徒歩でシルクロードを走破した人はいるけれども、走って旅した人は初めてでは? 第一部はシルクロード砂漠編。西安を6月にスタートしウルムチを目指します。最初は不安とプレッシャーの中で旅は始まり、2日目からいきなり下痢!

◆地元の人には日本人とは信じてもらえず、女の子には逃げられ、風に翻弄されながら走り続けます。よっぽど怪しい風体だったのか? 星を眺めながらの野宿、道路工事の飯場におっちゃんに飯をおごってもらい、小学校にのこのこ出かけて授業参観し、路上靴修理屋でフルタイヤを靴底に貼り付けてもらったりと、生きる術を獲得しながらの旅は続く。

◆万里の長城を越え、灼熱の火焔山の麓を走り、世界で2番目に低い海抜下のトルファンを過ぎ、時として3500メートルの峠を寒さに震えながら越えなければならない。中国の幹線道路には1キロごとに距離ポストが立っており、その数字が増えてゆくのを生きがいに走り続けたという。わかるなあその気持ち。ぼくも自転車で距離感がつかめないほど広大で何もないチベットの大地を走った時は、その距離ポストの数値がキロごとに増えていくのを心の拠り所にしていたから。砂漠の中を行く過酷な道には村もめったにない。時として5〜7リットルもの水を担ぎ、ヒッチハイクみたいにダンボールに“水”と書いて、通り過ぎるトラックを止めてお茶をゲット。運のいい時は砂漠のメロン、ハミ瓜をゲットし、その甘さに舌を打つ。

◆時として怪しい生水を飲まなければならないことも。砂漠の世界では贅沢ばかり言ってられない。だけどそれが原因なのか正体不明の下痢にやられ、病院で点滴を受けるはめに。それでも点滴が終わるやすぐに出発。ハードな旅は53日かかってついにウルムチにたどり着いた。今までこんな旅など早く終わってしまえと思いつつ、実際にゴールを目前にした前日、旅が終わってしまうことがなんだかさびしくなって、もっとどこか遠くに行きたくなる。その気持ちもわかるなあ。ちなみに費用は28000円、食費は1日平均11元。

◆第2部は砂漠の旅からテーマも変わって、今度は雲南から東南アジアの山岳民族の世界へ。列車で昆明に移動。そこからベトナムの国境までランニング走破。ベトナムからラオスへは一転して自転車の旅へ。現地に溶け込むにはやはり変速機のない人民自転車に限る、と中古の自転車を購入し、自作ハンドルでエアロタイプに改造。雨季の森林の道は泥だらけ。高床式の家に住む貧しいけれども素朴で素敵な人々に出会う。タイでは毎晩お寺に泊めてもらいながら、仏教とはなんぞやを教えられ、托鉢についてゆく。出会ったポリスにご馳走になったキングコブラの料理で精をつけ、バンコクにたどり着いた。

◆なぜランニングなのですか? サイクリストのぼくはふとそんな疑問をぶつけてみた。どうして自転車なんですか? とすかさず問い返され、軽くカウンターパンチを食らったがごとくぼくは少しうろたえた。走りつづけるのに理屈などいらない。ただ走りたいから走るのだ。そこに道があるから走るのだ。山があるから登るのだ。自転車では通りすぎてしまう。歩くには遅すぎる。人それぞれに旅のリズムがあり、中山さんにとってはたまたまランニングのスピードがよかっただけなのかもしれない。見たい、聞きたい、話したい、走りたい。現地の人たちに触れ合うのに最も適した速度だったに違いない。

◆会場では中山さんが次に目指すのはどこなのかが話題になった。南米か? それとも地平線の仲間の期待を背負ってウルムチの先のシルクロードを目指すのか? 後で飲み会で話した時にはチベットも走りたいという。どうやら中山さんは走りたい所、走らなければならない所があちこちにあるようだ。遠慮はいりませんよ中山さん。どうぞ好きなだけ世界を走り回ってください。チベットもいいですよ。平地の半分しか空気のない海抜五千メートルのチベットをどこまで走りつづけることが出来るか? これは一種の人類の体力の限界への挑戦ですね。

◆ランナーズハイという言葉がある。極限に達した精神が恍惚の世界へと人を誘うという。それはヘッセの言うところの魔法の劇場への入り口なのかもしれない。中山さんがそれを経験したことがあるかは聴きそびれたけれど、ぼくもまたいつかその扉を開いてみたいものだ。[安東浩正]


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宣伝:来年中国の未踏峰を目指す鳥取大学山岳部の2001年度CDサイズカレンダー MILIMAを作成中です。来年は青海省チベットにある聖山アムネマチン特集。遊牧の世界、幻の青いケシ、秘峰の山並みと素晴らしい出来栄えです。送料込みで600円。50部以上の場合、お店や会社名のラベルをケースにはらさせていただきます。希望者は600円分の切手を同封して安東浩正まで。〒251-0011 藤沢市渡内3-10-12



野々山富雄の「明日できるコトは今日やらない」
ノノの奇妙な冒険
第8回 アフリカの日々、これ飲んだくれ

◆暑い中、仕事が終わった後の楽しみは、何と言っても冷たいビール!灯油式冷蔵庫(気化熱を利用して冷やすのだ)というのがあり、田舎の村でも冷えたビールが楽しめる。それは毒ヘビの血清を冷蔵するという名目のもと購入。実際は従業員慰労用ビールの冷蔵が、主目的であった。チャドのビールは「ガラ」といって、ちょっと濃くて、すこぶるウマイ。「緑のサヘル」では昼夜で1日2本のガラ飲用が許可されていた。時効と思うので白状するが、体が慣れてきた2年目、いっぺんに9本飲んだ事もある。むろん、私一人の時。そんなコトしてるから、飲み潰れてて、サソリに刺されるはめになった。天罰というべきか。

◆村にはまた、ローカルビールというべき物もある。「ビリビリ」と呼ばれるそれは、ヒエやアワを煮立たせ、醗酵させた物だ。茶色で、ちょっと甘く、文字通りビリッっとして、アルコール度はさほど高くないが、これもウマイ。週末になると、村の辻にいくつもの居酒屋が店開きし、飲み、ダベリ、1週間の疲れを癒す。大きな鍋に入ったビリビリを、椰子の実やヒョウタンのお椀で、飲み回す。村人たちの憩いの場だ。当然ながら、イスラム教徒はいないが。言葉がわからず、会話に入れなくても、そこは私の大のお気に入りの場で、毎週出かけていったものだ。

◆様々な日常の中で、チャドでの日々は過ぎていった。
-雇っていたガードマンに子供が生まれ、ノノと名づけられた事。
-内容も理解してないのに、安易に「ウイ」と言ってしまい、役人との余計なトラブルを招いてしまった事。
-毎晩、星を眺め、星座を60個は覚えた事。乾期は毎日晴れだし。
-改良カマドの公開比較実験で、従来型の方がいい結果を出し、「そういうこともあるさ」と、村人に慰められた事。
-畑で採れたトマトをかじり、休憩の時は揚げパンを食べた事。
-そして、最後に花開き、無残に散ったロマンス。

◆振り返ってみると、数え切れない思い出があり、忘れ得ない充実した、2年間であった。いつか、また訪れる、いや、帰って行く地なのだろう。[野々山富雄]


見えない地平線
続・のぐちやすおの刑務所レポート
その4 受刑者1級

◆世の中にはいろいろな1級資格が存在しますが、その取得難易度はさまざまで、柔剣道のように始めれば1級で、もっとも難しいのが通訳技能検定1級といわれているようです。しかし私はそれよりも難しい1級資格を塀の中で発見しました。それが受刑者1級です。

以前、刑務所内での労働にわずかとはいえ報酬があり、それが経験年月によって12段階に分かれていることはすでにお話しましたが、これとは別に受刑者何級という呼ばれかたをする、待遇ともいえるべき4段階資格が存在します。これでいくと刑が確定した受刑者は入所時に4級という資格が与えられ、懲罰による罰則もなく入院による懲役欠勤もせずに、刑期を順調に経過できれば、ほぼ半年で3級に、さらに2年で2級に、さらに10年で1級へと昇格することになってます。

おのおのがどのように逢うかというと、手紙の発信を例にすれば、4級は月1通ですが、3級で2週間ごと、2級で1週間ごと、1級で随時出せるという具合です。ただし1級を手にするには、すでにお分かりのとおり、最低でも10年はかかるわけですからたいへんです。ふつう懲役刑とは、一般的な殺人でさえ8年ですから、ただの殺人事件では受刑者1級に届きません。もう少し凶悪事項を積み重ねる必要があります。またあまりまじめすぎると、1級に到達する前に仮釈放となってしまうので、少なくとも15年の刑を確保せねばなりません。

しからばその15年を手にするには。これは自分より明らかに弱い立場の人の計画的、あるいは営利誘拐がらみか複数者の殺害事件で、ようやく届く年数です。まあ、少女誘拐殺人死体遺棄あたりが無難といったところでしょうか。そして塀の中でまじめに服せば、あなたも10年ではれて、通訳技能検定よりも取得が難しいと思われる受刑者1級資格があるのだと自慢できます。[埜口保男]


「村社講平氏とザトペックご夫妻のサイン入の本」との奇遇

●地平線報告会の前日、11月23日に「人間機関車」と称されたエミール・ザトペック(78歳)の訃報が伝えられた。ヘルシンキオリンピックで長距離(1万m、5千m、マラソン)三冠王になった人である。ランナーの参加が多い報告会だったので関心は深かった。現役最強ウルトラランナーである原健次さんからザトペックに関する興味深い話が披露された。その後、次のような文を寄せてもらった。


◆11月の初め、ある古書展でマラソンランナーの村社講平著「長距離を走りつづけて」を見つけた。「エミール・ザトペック君」と記されている。この本は村社氏がザトペック氏に送ったものだったのだ。さらに扉の裏ページには、英語ではない横文字が書かれていた。それに「ヤリを持った女性が男性を追っかけている絵」も描かれている。サインは何となくエミール・ザトペックと読めそうだった。

彼がチェコ人だったことを思い出し、チェコ大使館に連絡し、回答を得た。それは「親愛なる私たちのササキカズコさん、すばらしい東京滞在を記念して、エミール・ザトペック、ダナ・ザトコバ、1981.4.26東京」であった。ダナ・ザトコバとは奥様の名前だ。

この時まではこの「絵」の意味は分からなかった。ザトペック氏が1981年に来日し東京に滞在した事は、村社氏の追悼記事(平成10年7月15日)に、最大の思い出は、「1981年に東京のある市民マラソン大会でザトペック氏と一緒に走ったこと」との記載からも確認できた。この本はどの様な経緯かは分からないが、村社氏→ザトペック氏→ササキカズコさん→古書店→小生と持ち主が変わったものだ。

その晩のBBCテレビの追悼ニュースで「ヤリを持った女性が男性を追っかけている絵」の意味がわかった。ダナ・ザトコバ夫人はヘルシンキ・オリンピックの槍投げのゴールド・メダリストで、晩年は夫婦で一緒に走るとザトペック氏より奥様の方が速く、何時も追いかけられているとザトペック氏はうれしそうに語っていた。この絵は多分、ザトペック氏がサインを頼まれるとご愛嬌に描いていたものではないかと想像される。ほほえましき夫婦愛である。エミール・ザトペック氏のご冥福をお祈りする。下記がご夫婦のサインとその絵である。[栃木CRC 原 健次、2000.11.30記]


>>> Pole to Pole 2000 >>>
石川直樹 現地報告 《石川直樹ついに南極へ!》

飛行機が遅れなかったらこれが南極前最後の日記になります[2000年12月03日(日)]

◆朝起きると、だいぶ咳が少なくなっていることに気づいた。それでもまだ完全に止まったわけではないので、用心に越したことはない。

◆朝10時、市内のホテルでANIによる南極前説明会のようなものが行われた。スライドを使ってANIの歴史やパトリオットヒルズについての説明を受けた。パトリオットヒルズには風力とソーラーパネルによる電源供給が行われており、ゴミやし尿類は当然のことながらすべてプンタアレナスに運ばれることになっている。例えば小便は全てドラム缶によって飛行機に積まれ南極には何も残さないとことが原則となっている。パトリオットヒルズのキャンプは10月末から1月末まで開いており、ドクターやスタッフが常駐している。

◆説明会で日本人に出会った。南極点まで飛行機で行くという夫妻、ビンソンに公募登山隊で行くという年輩の登山者だった。他にも各国からのクライアントがたくさんいたが、皆得てして年輩の方が多い。

◆出発は明日12月4日である。しかしもちろん天候によって遅れることも多々ある。昨日イギリスに戻ったアンがぼやいていた。忙しい仕事の合間を縫い大金を払って南極行きを決めた人々は、飛行機が飛ばずスケジュールが遅れると仕事に支障をきたすので、きついクレームをANIに向けてくるという。しかし、北極でも同じことだが、極地のフライトは水物だ。とにかく待つしかないのである。

◆この日記が今年送ることができる最後の日記かもしれない。時間をかけてゆっくり最後をまとめたいところだが、あまり余裕が無い。

◆P2Pは1月1日に南極点で解散するが、ぼくはそのまま南極に少し居残り、ビンソンマシフという山に登りに行く。プンタアレナスに戻ってくるのは来年1月15日の予定だ。その飛行機もまた遅れることが多々ある。その後の予定は、プンタアレナスからチリの首都サンチアゴへ向かい、国境を越えてアルゼンチンに入ってメンドーサという町に行く。メンドーサで食料やガソリンなどを買い、南米で一番高い山・アコンカグアに登りにいく予定だ。1月20日くらいから2月の頭までを予定している。日本に帰るのは2月中旬になりそうだ。

◆南極からプンタに到着後、このウエブサイトにも何らかの報告ができると思う。今までこのウエブサイトを訪ねて下さった皆様、ぼくの書き流した私的な日記を読んでくださった皆様には本当に感謝したい。「ありがとうございました!」いざ南極へ‥‥!

石川直樹ホームページ ナオキドットコム http://p2pnaoki.com/


今月の地平線報告会の案内(絵:長野亮之介)

地平線通信裏表紙 スコッチの民俗学

12/22(金) 18:30〜21:00
 December 2000
 ¥500

 アジア会館(3402-6111)

「スコッチを知れば、スコットランドの風土が見えてくる。イギリスという国も、ケルト文化も浮かびあがる。ひいてはヨーロッパ文明がわかってくる。スコッチは、僕のフィールドワークの道具なんだ」というのは、土屋守さん(45)。スコッチウィスキーの研究では世界屈指のジャーナリスト。

学習院大学探検部時代はザンスカールをフィールドにしていた土屋さんは、地平線第7回報告者でもあります。87年、33歳で、絶好調期の『フォーカス』誌記者の地位を捨て、新天地を求めて渡英。ロンドンで情報誌の編集長をしていた時に、取材対象としてスコッチと出会います。

意外にもロンドンのパブでは、ほとんどウィスキーが飲まれていません。本場スコットランドではじめて知ったシングルモルトウィスキーの味は、土屋さんの知的好奇心を直撃しました。「スコッチは、職人の技+環境から生まれる酒。自然環境のバロメーターといってもいい」と土屋さん。

今世紀最後の地平線は、土屋さんにスコッチの魅力をたっぷり語っていただきます。なんとシングルモルト3種のテイスティング講座あり。乞御期待!


通信費(2000円)払い込みは郵便振替または報告会の受付でどうぞ
郵便振替 00100-5-115188/加入者名 地平線会議(手数料が70円 かかります)



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