2000年9月の地平線通信



■9月の地平線通信・250号のフロント(1ページ目にある巻頭記事)

地平線通信238表紙《旅師と世間師の狭間で》

●峠を越えるサカナをご存知だろうか。渓流の貴婦人といわれるアマゴが分水嶺の峠を越えて長良川から北飛騨のアマゴ谷に棲みついたのが十八世紀中頃らしい。まさか、サカナが峠を越えて旅するわけではない。平家落人が山中生活を維持するためにアマゴを移殖したという伝説が残されている。山の漂白民が木で編んだ弁当箱に入れてアマゴを運んだという。

その後のアマゴは移殖地に適応するために、姿カタチを変化させ、性格や生活習慣まで変えて、場所によってはヤマベ、タナビラなどと名前まで変わる。魚名は地元民とサカナとの交渉の結果、成立した社会的所産なのである。これが風土なのである。生物が、生きるための適応力というのはすごい。アマゴの分布は箱根以西から東海・近畿そして九州の国東半島までの範囲に広がるから、アマゴはとんでもない旅師である。

●私事であるが、この春、蛇頭(密航ブローカー)の頭目の里帰りに付き合った。十数年の不法滞在、不法就労を日本人と結婚することで清算した蛇頭は、晴れて正規のパスポートを手にして里帰りした。スネーク(出稼ぎ密航者)の里帰りを村では「金山の客」という。十九世紀半ばゴールドラッシュに沸いたアメリカ西海岸へ出稼ぎにでた村人が里帰りする時に、土産物の山を持ち帰ったことから生まれたことばである。

蛇頭はトランク一杯の手土産を持って村人の歓迎を受けた。しかし、里帰りして十日あまりで蛇頭は、もう日本に帰りたいと言い出した。社会主義で育った蛇頭が、資本主義の日本で得た「カネ」と「自由」の密の味。もはや中国には彼の居場所が存在しなくなっていた。移殖されたアマゴのように、新種の中国人に生まれ変わってしまったのだろうか。

私は天安門事件後、日本に出稼ぎ目的で流れ込んだ中国人を「東京チャイニーズ」と名づけた。台湾チャイニーズ、香港チャイニーズ、そしてレッド・チャイニーズ(大陸の中国人)とは違う。また、海外の華僑・華人のオーバーシーズ・チャイニーズとも違う。天安門事件後、カネと自由を求めて海を越えたポスト天安門世代の中国人は、海を越えて文明、人、情報を結びつけるネットワークを持つ。そしてグローバルな中華社会におけるコネクションづくり、いわゆる「関係」が人生を豊に生きる潤滑油と割り切る第五世代の新中国人である。

彼らはもとより旅人ではない。ましてや冒険者でもない、ただの出稼ぎ目的の越境者である。しかし生きるために日本に居着いた出稼ぎたちは早々に日本社会に適応する能力を発揮した。安い労働者の彼らが日本社会に起こした価格破壊という社会現象は日本人の価値観そのものを揺るがした。

考えてみれば、私の世代では、旅をしながらカネがなくなれば農家の臨時雇いをしながら全国を歩いたものだ。通りすがりの農家に入って畑仕事を手伝った。「焼酎代と宿賃を稼いだら、止めた」と、必要分だけカネを得て旅路に戻ったものだ。農家にしても農機具のローンを払うより人件費のほうが安かった。日雇いをしながら全国を渡り歩く、この種の人間を「世間師」といった。

世間師といえばアメリカでは放浪労働者ホーボーと言う人たちが旅から旅へと開拓を請け負った。世間師は、足で歩いた時代から列車で移動する季節労働者に移り、いまでは密航船で運ばれる時代である。海を越え、情報と関係をネットで結び、密航、仕事から住まいの手配まで総てを仕切る手配師がその利権を握っている。

その昔、3Kとは、きつい、汚い、危険であったが、いまの時代の3Kとは、国際的世間師のおかげで価格破壊、空洞化、雇用の不安と置き換えられて、日本経済の重荷となっているのである。ああ、旅師の特権であったはずの世間師までも出稼ぎ外国人に奪われてしまったのか。旅師たちの報告会が250回を越えたと聞いて、私なりにこんなことを考えていた。[森田靖郎]



報告会レポート・250
死ぬまで踊れ!!!  死んでも踊れ!! カルナバル
白根全
2000.8.25(金) アジア会館

◆地平線報告会初?!異例の2ヶ月連続報告となった白根全さんの今回の報告テーマも、先月に続きカーニバル。ラテンの真髄、娯楽の殿堂、そこには南米のすべてが凝縮されているといいます。ぼくら素人にはリオのカーニバルくらいしか頭に浮かびませんが、なにもブラジルだけがカーニバルではありません。もはやそれは南米各地でそれぞれの土地柄のリズムが織り込まれた風物詩となっています。カーニバル評論家(世界に二人しかいないらしい)の白根さん、今回はあまり知られていないそれでいて魅力一杯の様々な土地のカーニバルを紹介してもらいました。

◆黒人が90%を占める街でのカーニバルはアフリカルーツのリズムと融合して、まさにアフリカそのものの雰囲気。アフリカまで足を運んで先祖達のリズムを発掘してきて自分たちのチームに取り入れたという本格派から、女装オカマ集団の練り歩くチーム。はたまた非暴力主義をテーマにガンジーのそっくりさんに率いられるチームは、全身白のピュアな衣装を纏った数千人が練り歩き、その様子はまるで白き大河のように流れてゆきます。彼等はかつて新大陸での強制労働のためにむりやり奴隷船で運んでこられました。だけれど今のカーニバルはそんな悲壮を感じさせません。確かに普段の生活はまだ貧しさの中を漂っていますが、子供達が非行に走りやすいそんな環境の中でそれを防ぐ役割をすら、この一大イベントはもっているといいます。

◆白根さんの報告は南米各地に移ってゆきます。お次はアンデス。先程のアフリカ的世界から今度はモンゴロイド的インディオの世界です。そのハデハデ衣装もなんとなくアジアの伝統文化に共通する雰囲気が感じられます。傘のような頭飾りに刺繍の衣装の写真では、中国南西部の山岳少数民族の文化を専門とするぼくに「おっあれは雲南のミャオ族の民族衣装にそっくりではないか!」と思わせましたし、それに続く悪魔払いをテーマにした衣装の写真では、某代表世話人より「チベットみたいだ」との発言も聞かれます。さすがは新大陸。民族の多様さを見せ付けてくれます。

◆カーニバルの奥深さは文化的なものだけに留まりません。南米といえばぼくには「革命」といったイメージが強いですが、カストロやゲバラも報告の中に登場してきます。キューバ革命はカーニバルのどんちゃん騒ぎの混乱に乗じて始まったといいます。

◆その他各地の独特なカーニバル、ボディペイントは衣装を作るお金がない貧しさに始まったとか、重量百キロの衣装を身につけた超ドハデ爆発パフォーマンス、どことなくしらけた観光収入をもくろんだ商業的カーニバル、政府主催の…。いろいろありすぎてここで記すには紙面が足りません。カーニバル開催の裏に潜むマフィアの謎やら土建屋の癒着など、裏の世界まで知り尽くした報告に、南米のカーニバルといえば「胸も出してほとんど全裸に近いねえちゃんがボディペイントだけで踊り狂っている、これは見にゆかねば!」というまちがった動機しかもっていなかったぼくを、う〜んと唸らせて正しいカーニバル理解への道に導いてくれました。

◆カーニバルの目玉といえばその華麗な衣装と、欠かせないのがラテンのリズム。報告はスライドでのきらびやかな映像に留まらず、各地域ごとにそこを代表する音楽をラジカセで流してくれました。2回にわたる報告でも、そのラテンの真髄を語り尽くすことなどとても出来なかったようです。その真髄は一言では表せない、と白根さんは最後に語りました。

◆さて余談ですが、報告会の途中でスライドプロジェクタが壊れるというアクシデントが発生。20年以上ほとんど地平線始まって以来活躍してきた代物です。懸命の修理のおかげで何とか続きのスライドを見ることが出来ましたが、大切なスライドの一枚がダメージを受けてしまったようです。もう二度と同じ写真を撮ることは出来ません。お金で買うことのできない貴重な資料を惜しいことをしてしまいました。もはやこの機械は寿命をまっとうしました。世界中のあらゆるシーンでの報告者達の視線を、スライドを通してぼくらに映し続けてくれました。次回250回記念大集会in伊南村でのオークションの売上で新しいプロジェクタを購入するとのこと。来たるべく 21世紀、これからどんな映像をぼくらに見せてくれるのでしょうか。[安東浩正]


民族文化映像研究所「奥三面へ行こう」委員会より...
奥三面・東京シンポジウムのご案内

◆今年10月に予定されております新潟県営奥三面ダムの試験湛水に伴い、奥三面の自然、歴史、生活文化を見直そうということで、下記の通り、シンポジウムと記録映画上映の集いを開催いたします。

東京シンポジウム「山と川、人の源郷 越後奥三面」――その歴史・思想・未来を語り合う

【とき】2000年9月2日(土)〜3日(日)
【ところ】江戸東京博物館 1階ホール(JR総武線「両国」駅下車)
【会費】前売1日券2500円/2日券4000円/当日1日券3500円
【お問い合わせ】「奥三面へ行こう」委員会事務局
         担当・吉野 Tel 03-3341-2865 Fax 03-3341-3420
         E-mail
         詳しくは、 http://www.asahi-net.or.jp/~rx9n-ysn/


地平線ポスト
地平線ポストでは、みなさんからのお便りをお待ちしています。旅先からのひとこと、日常でふと感じたこと、知人・友人たちの活躍ぶりの紹介など、何でも結構です。E-mailでも受け付けています。
地平線ポスト宛先
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●クルト・メイヤー+東はるみさんから…2000.8.21…スイス発
《スイス・自宅前でサイドカーに乗って撮った写真―z「2000年7月中旬帰宅」―とともに》

◆残暑御見舞い申し上げます。その後お変わりなくお元気でしょうか?旅先からあまり書くことができずに申し訳ございませんでした。道中はあんなに元気だった私は家に戻って来ると全く元気がなくなってしまいました。まるでバッテリーがなくなったような‥。

◆今は旅ボケとでもいうのでしょうか、毎日ボーッとしていますが、それでも一年ぶりのスイス夏を楽しんでいます。

◆クルトは8月から以前の仕事に戻り、バリバリ働いている様子。旅でバッテリーを充電てきた彼と、使い切ってしまった私。この違いはどこから来るのか不思議です。次の旅の夢を見ている彼。そして、まだ前回の旅が消化できずに旅の余韻に浸っている私。この違いは個人差なのでしょうか、それとも国民性なのでしょうか??

◆月末になると、地平線会議のことを思うようになりました。今月はどなたがどんな事をお話しなさっているんだうか、と。日本ではいろいろお世話になりました。お蔭様で一味違う楽しい思い出ができました。これからも、ますますご活躍ください。スタッフの方々によろしくお伝え下さい。


●中山嘉太郎さんから…2000.8.16.…昆明発

◆「走り旅」第2弾・昆明-ベトナムを走るために8月10日に昆明に来ました。今は昆明から南90キロの町にいます。この辺りは少数民族の宝庫で、彼らに会いたくてこちらに来ました。

中国西部の第1弾と異なり、水、緑、木、家が豊かですが、雨が多そうです。昨日もいきなり夕立。1時間くらい足止めをくらいました。まあこの旅はどうなるか分かりませんが一応500〜600キロくらいあります。ビザはあと15日しかありません。

昆明は意外に大きな町で、高層ビルや町並みは西安以上に大きいと思います。人口は少ないようですが。ここまで来ると茶店(カフェ)などがあり日本と似ています。バスや車も西部よりきれいで、ボロ車はありません。盆栽や花もあり、びっくりしています。

言葉は昆明語があると現地の人は言っていますが、よく聞き取れません。標準語とはだいぶ異なるようです。やはり外国へ行ったらその土地の言葉は大切です。しゃべれないとコミニケーションが希薄になってしまいます。


●大井田ひろみさんから…2000.8.26…奈良発

◆4月から奈良で新聞記者をしています大井田ひろみです。毎日毎日とにかく忙しく、この5カ月を振り返ると、「まだ5カ月しかたっていないんだ」という思いと「あっという間にもう5カ月」という思いが混在しています。奈良にこの4月に配属された1年生記者は2人。新人はサツまわり(警察署をまわり、事件・事故担当)が基本なのですが、私はいきなり遊軍でした。要するに何でも屋で、お祭り、イベント、見ごろを迎えた花、事件の応援、とにかく「行け」といわれたらいつでもどこでも行くのです。今まで強烈に印象に残っている仕事は、総選挙、中学生の飛び降り自殺、准看護婦による長女薬殺未遂事件の3つです。本当は薬殺未遂事件について書きたいのですが、まだ続いている事件なのでまたの機会にします。

◆ゴールデンウイーク明けからは総選挙の担当で、共産党の担当になりました。選挙ましてや政党担当なんて新人にはありえないらしいのですが、何せ人手不足。選挙も共産党も全くわからず、他社のベテランと張り合うのがつらかったです。党幹部と話しても、何が常識で何が重要情報なのかがわからない。記者というより「おねえちゃん」扱いしかされていない気がして、「ナメられないように、でも老けないように髪切ってください!」と突然美容院にかけこみ、肩まであった髪をばっさりショートカットにしたのでした。選挙連載の1回を受け持ち、連載の最後に「この連載は○○、……大井田ひろみが担当しました」と先輩たちに混じって自分の名前が載ったときは、おそれ多かったけれどうれしくて、紙面をずっと見つめてしまいました。

◆選挙が終わったら休む間もなく、高校野球の取材が始まりました。新人の地区大会での仕事は、写真を撮ってスコアブックをつけて選手のコメントを取ること。雪印の食中毒事件の取材から戻り、夜中に野球のルールを先輩に教わりました。「やるぞ」と張り切っていた地区大会2日目、例の薬殺未遂事件が起こり、球場から記者会見場の病院に直行。事件中は朝の5時から次の日の2時まで仕事をする毎日で、1日の食事3食ともコンビニ弁当をタクシーの中で移動中に食べたときはさすがに悲しくなりました。

◆とにかく忙しいし休みもなく、休みでも常に携帯電話とポケベルを持っている生活ですが、まだやめようと思ったことはありません。毎日自分のキャパシティぎりぎりまでやって、突っ走るしかないので、五月病になる暇もありませんでした。早く私も一人前に書けるようになりたいと思います。ただ、支局の人以外で食事に行ったりゆっくり話したりが時間的にできないので、家に帰って「地平線通信」が届いているととてもうれしいです。9月から「サツまわり」になることが決まり、どういう生活になるのかわかりませんが、今のところ周りの方々に助けられながら何とかやっています。それでは。


>>> Pole to Pole 2000 >>>
石川直樹 現地報告 《8月23日 夜道に光る二つの眼》

◆夜明け前というと、一日の中では気温が一番下がる時間だが、メキシコの海沿いはそれでも汗がだらだらと流れ暑い。ぼくは「早く終われ」と念じながら自転車をこいでいた。と、そのときだ。かなり前方に二つの点が光っている。経験からいうと、光に照らされた犬か何かの動物の目だった。それまでも野良犬がヘッドランプの明かりに照らされ、目だけぎらぎらしていたのを何度か見ている。しかし、その瞬間に見ている二つの点は明らかに異常だった。何かというと、人間の背丈と同じ位のところで光り動くのだ。こんな大きい犬がいるわけない。しかも道の真中、両側は森で人の気配はない。

ぼくは真剣に化け物か何かかと思った。一気に鳥肌がたち、急ブレーキをかけて、様子を窺った。ぼくが止まると「それ」はゆっくりとぼくの方に歩き出した。30メートルくらいだろうか。ヘッドランプで必死に照らそうとするが、光が届かず目と思われる2つの点だけがぎらぎらしている。ぼくはあとずさりしながら、「それ」を凝視した。

◆馬、のようだった。野生の馬がメキシコにいるわけないので、どこかで飼われていた馬が何かの折に逃げ出したのだろう。例え昼間あったとしても、道幅の狭い道路で、放し飼いの馬のそばを自転車で通りすぎるのは少し躊躇する。今は朝 5時前の暗闇の中、人気の無い道の真中を馬が歩いてくるというシチュエーションは普通ではない。

ぼくは一気に馬の横を通りぬけようかと思ったが、明らかに馬の方はぼくに興味をもっているようで、ぶつかったり追いかけられても困ってしまう。そんなことを考えている間にも、二つの目は容赦無く近づいてきた。ぼくは仕方なく少し道を戻り、たまに通るトラックが来るのを待った。馬が車を恐れて道の脇の森へと逃げることを期待したのだ。しかし、そのとき車が来る気配は全くなかった。為す術もなく、しばらくライトを消して様子を見ることにした。

1分ほどして再びライトをつけると、あの二つの点がない。少なくとも道路上には姿は無かったのだが、遠くにいったとは思えない。視界の利かない状況だったが、長いこと立ち往生してもいられないので、思いきって一気に自転車で走りぬけることにした。深呼吸をしてペダルをこぎだし、しばらくして妙な気配を感じて左を見ると、道の脇の小さな空き地に、自転車よりも大きな馬がこちらを凝視していた。ぼくはさらにペダルをこぐ足を速め、一心不乱に自転車を走らせた。冷や汗がでる。

◆その後、何匹もの犬に追いかけられ吠え立てられ、火事場の馬鹿力のような勢いで犬から逃げた。こちらの犬はかなり利口で、不信なものには怯えもせず躊躇無く襲いかかってくる。ぼくはその度に「これから日の出前に自転車をこぐのは絶対やめよう」と心の中で何度も唱え、60キロ走った。道を一度間違えたこともあり、4時間かかってしまった。7時過ぎまで日が昇らず、60キロを走り終える30分ほど前にようやく辺りが明るく鳴り出した。やれやれ。


河田真智子さんから
ボランティア募集!

◆暑いですね。娘の夏帆も13歳の中学生になりました。魔女の宅急便(アニメ)を見ながら、魔女も13歳で自立して旅に出るのだから!夏帆にもリハビリ単独入院というのを考えてみたのですが、去年から申し込んでいるのに、予約とれず。働く母にとっての「恐怖の夏休み」です。

◆障害児のための区のホームヘルパーさんは、週に24時間まで。その週24時間こそ、私の労働時間なのですが・・・・足りない・・・イライラしてもしかたないので、のべえええーーーと、夏帆と一緒に朝寝坊を楽しんでいます。

◆どうしてこうなったのか、単行本の書き下ろしを3冊も抱えることになったのです。娘が生まれてから10年で1冊をやっと書いたペースだと言うのに・・・ 4冊目のお誘いは恐くてお断りしましたら、「鉄人カソリ」から、メールが来て「神の声と思って、断ってはいけない。3冊やれば、次は6冊できますよ」と言い捨てて、賀曽利さんはサハリンに旅立ってしまいました。私は「カソリの声と思って、原稿を書く」のです。早くスタートさせなくては。

◆夏帆のボランティアを募集です。通院ヘルプや、介護ボランティアを「年1回ならできる人」、「定期的にできる人」求めます。ご連絡ください。[河田真智子]
 FAX 03-5729-1392


見えない地平線
続・のぐちやすおの刑務所レポート
その2 宮城刑務所医務部

◆宮城刑務所医務部の役割は、健康な状態で満期出所を迎えられるよう、全収容者に万全の医療を寄与することでした。そのために集められた看護スタッフ14名が、病棟、外来、職員診療所、歯科、分類、拘置支所と配置され、さらに各曜日ごとに東北大の各科から派遣される医師5人と、歯科医、薬剤師ふたり、レントゲン技師、臨床検査技師、そして事務的に医務スタッフを統括するために、医療のことなどさっぱりわからない係長看守(警察の警部補に相当)がでーんと医務室の中央に座り、その上に医務部長(医師)が控えて、医務部のスタッフ勢ぞろいです。ちなみに私の役遇も、どうでもいいこの役職付看守と同じ警部補でした。この人数で900人の収容者の医療に携わっていたのです。

◆この役付がくせものでした。医療に関しては唯一素人なんだから、現場はスタッフに任せてくれりゃいいものを、上司から質問されたら知らないとはいえないガチガチの階級世界がそれを許しません。そのためかなりトンチンカンな会話が登場します。

◆狭心症発作時に服用する舌下錠にニトログリセリン系の錠剤があります。何の変哲もない極ふつうの錠剤ですが、あるとき、これを落としたらどの程度の爆発が起きるのかと尋ねてきたことがありました。爆発するような薬が使えるか。◆またあるときは、なんで絶食中の人間がナマショクを500ccも食うのかクレームをつけてきた。それはナマショクじゃなくて、セイショク、生理食塩水のこと。生食を500cc点滴したの。

◆この手の質問が往々にして飛び出すのです。その元が所長だったらもう大変。所長、総務部長、保安課長、南部区長、医務係長と階級式に下ってくるからまるで伝言ゲーム。性格になんか伝わりやしない。それどころか改良を求めても、批判が批評、評判、好評にまで曲がっていく。

◆肝癌患者が、まる二日の昏睡の末死亡したときなど、人工呼吸をしろなどといいだしたこともありました。肝癌末期で死んだ老人に人工呼吸してどうするんだ、おぼれて死んだんじゃねえぞ。[埜口保男]


野々山富雄の「明日できるコトは今日やらない」
ノノの奇妙な冒険―第7回
改良カマドってナニ?

◆アフリカでの、沙漠化の原因はいろいろと、考えられる。ひとつは、焼畑などによる過剰耕作。自然の回復力を超えた耕作は、森を焼き、開き、また地力を奪っていく。それから、多くの家畜を養うための過剰放牧。増えすぎたヤギや羊が、種や根まで、根こそぎ喰い尽くしていく。そして、マキや炭を得るための過剰伐採。これも大きな問題だ。現地で調査したところ、平均的1家庭(人数10人程度。子供が多いから)で、1ヶ月なんと1トンにも及ぶマキを使う!そりゃ木無くなるよなあ。しかし、貧しい彼らに電気や、ガスがあるわけもなく、煮炊きはマキでやらざるを得ない。

◆現地のカマドは通称三つ石カマドといって、石を3つ置いただけのシンプルなものが、一般的だ。これは横から火が逃げて、熱効率が非常に悪い。そこで、私は試行錯誤しながらも、何種類かのカマドを考案した。そのなかで最も効率のいいものは、ドラム缶を利用した金属製のカマドだった。回りを囲って火を逃がさず、金属による熱反射の良さも利用した。また吸気、排気もスムーズに行くようにしたのだ。まあ工夫といってもそんなもの。極めてシンプルの作りである。でもこれで結構は性能いいんですよ。三つ石カマドとの比較実験でも、湯を沸かす時間は、半分ほど。つまりマキの使用量が半分になるというワケだ。

◆だが、この改良カマド。ものが良ければ、すぐ普及するかというと、そんな単純な訳にはいかない。三つ石カマドが昔から使われてきたのは、当然それなりの理由がある。まず、どこでも、誰でも、すぐ作れる。出てきた炎は照明の替わりになり、煙は虫よけだ。アフリカといえど、夜寒い時期もあり、そんな時は暖も取れる。伝統的に使われてきたモノには、様々な意味があるのだ。例え合理的、効率的であったとしても、こちらの考えを押し付けるだけでは、なかなか受け入れて貰えず、かえってトラブルの元になることもある。

◆だいたい、沙漠化の原因とされる、過剰な耕作や放牧、伐採の背景には、人口の増加、貧困があるが、それらは、むろんのことアフリカに住む人々だけの責任では、有り得ない。

◆国際協力と一言でいうが、一筋縄ではいかない様々な問題がある。永く、かの地の人達と付き合い、地道に、でも継続していくこと。それが、結局、1番の近道なのかもしれない。[野々山富雄]


〜 伊南村だより 〜

◆残暑厳しい奥会津・伊南村から丸山富美です。とうとう9月の地平線報告会まで1ヶ月足らずとなりました。村の実行委員会の仲間たち、そして報告会の舞台となる「大桃区」の人たちとも具体的な話し合いを来週あたりから進めることになります。今回は舞台準備から交流会でのお料理まで、全て村の人たちの手作りによって皆様をお迎えします。

◆私自身、この村で暮らしはじめて10ヶ月が過ぎますが、とにかく季節によって食べるものが変わります。なんてたって旬を食べているから。春の山菜、夏は取れたての野菜、岩魚、山女…。ちょうど来月の報告会の時は、時期の早い天然キノコがあちこちで出始めているかもしれません。交流会でのお料理は、地元の特産でもある舞茸料理から春に採って保存してある山菜など、山の幸をふんだんに使った田舎(伊南家)料理で皆様に喜んでもらえることと思います。

◆もちろん美味しい米と水で作られた『地酒』も待っています。現在、すでに大阪で暮らす女性から仙台のOL、神奈川の湯河原で暮らす高校生など数名からの申し込みが届いています…なんだか高校生は家から歩いてくるとか?皆様のご参加お待ちしています。[伊南村 丸山富美]

※そうそう、当日はかなり冷え込みますので、防寒具は必ず持って来てください。寝袋は冬用をお勧めします。



今月の地平線報告会の案内(絵:長野亮之介/文:白根全)

地平線通信裏表紙 川に流れて 川を喰う

9/23(土)・24(日)
 September 2000


〈地平線報告会 in 伊南村〉
 報告会+交流会
 オークションもあり!

宇宙から見ると、川は地球の血管みたいに見えます。川は地球という生命体に、「気」をめぐらせている脈、ライフラインです。この秋、地平線会議はこの水脈の一つの岸辺で、川について思いをめぐらせたい。所は福島県伊南村。只見川水系の上流部。かつて冬は陸の孤島に近かった地域。地元のサンショウウオ採り名人と地平線の川男達が登るのは、国指定重要文化財の農民歌舞伎舞台という豪華版! さて話はローカルからグローバルへ、どこまでも流れます!

◆パネラー
星寛(hoshi yutaka):
  漁師(山椒魚採り)・曲師(曲輪職人)
森田靖郎(morita yasuro):
  ノンフィクション作家・源流釣り人
賀曽利隆(kasori takashi):
  食文化研究家・バイクジャーナリスト
山田高司(yamada takashi):
  四万十ナイルの会代表・四万十中央森林組合

◆進行
長野亮之介(nagano ryonosuke):
  イラストライター


通信費(2000円)払い込みは郵便振替または報告会の受付でどうぞ
郵便振替 00100-5-115188/加入者名 地平線会議(手数料が70円 かかります)



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