2000年8月の地平線通信



■8月の地平線通信・249号のフロント(1ページ目にある巻頭記事)

地平線通信表紙●三輪が登場するとマラソンの話かと思われるかもしれませんが、今回はもっと大きな地球規模の話です。

●私の専門は「体験的地球学」。30年前、賀曽利君と地球の大きさを自分の身体で確かめようという話をしたことがありました。鉄人カソリは既に数十万キロ、地球を20周以上走り回っています。私も遅ればせながら走行距離が地球一周に近づきつつあります。地球の赤道から極までの距離は1万km、その1千万分の1が1mです。フランスの学士院は地球の緯度1°の長さを測るために測量隊をラップランドとエクアドルに派遣しました。「そんな金にもならないこと・・・・」いやいやこれぞまさに壮大な探検行為でした。その結果地球は横に広がった卵形であることが分かったのです。緯度や経度を決めるのはまさに探検行為でした。イギリスでは正確な経度を決めるための計器を作った人に国王の収入と同じ賞金を出すという法律ができたぐらいです。

●緯度の基準は赤道、経度の基準は旧グリニッジ天文台の子午環です。日本では明石をとおる135°の子午線(経度線)が基準です。その北の西脇市には北緯35°、東経135°の交点があり、日本のへそとして売り出しています。JR線の駅名も「日本へそ公園」。体験的地球学専攻者の私としては人一倍、緯度経度を大切にし、赤道やグリニッジ詣でをし、「東経135°線走り旅」を行い、今夏は北緯40°線マラソンを計画していました。その矢先、「日本の緯度経度は間違っていたので移動させる」というとんでもないニュースが飛び込んできました。なんと日本の緯度経度はGPSの世界標準から450mズレているというのです(国土地理院のHPに詳しい)。これから数年かけて25000分の1の地形図は変更していくそうです。今後GPSによる航行をするヒコーキや船に対応するためです。

●何だそれは、私のよって立つべき自分の位置が間違っていたというのか。明石の天文科学館や西脇市の緯度経度の記念碑はどうなるのか。西表島に作られた東経123度45分56秒の記念館は海に没してしまう。どうしてくれるのだ。戦前満州国を測量した技術者達は日本から測った測量線と400m違っていることに気付いていました。しかし日本は島国で他国と国境を接していないので「放っておけ」とそのままにしました。指導者たちは大局が見えていなかったのです。そのツケが今ごろまわってきたのだ。

●8月15日という日を前にして、この国のその場限りの対処療法が気がかりです。モーニング娘ではないが「日本の未来は・・・・」と心配になります。今夏の北緯40°線マラソンを計画している私にとって、日本独自の北緯40°線を行くか、世界標準GPSの40°を行くか、世界的大問題を前にして悩んでいる。…最後はやっぱりマラソンの話題になった。[三輪主彦]


地平線はみだし情報〔ネパール語会話を勉強する会(講師:平尾和雄)〕

9月9日から土曜日午前のクラスを開講します。主な対象は全くの初心者。話すことと聞くことを中心に、文字の読み書きも学んでいきます。これからネパールへ行く予定のある人、いつか行ってみたいと思っている人、ネパール人との交流の場で、バザールで、トレッキング中の村で、現地の人とネパールごでコミュニケーションできるようになって頂くことを目指しています。

言葉が通じると旅の楽しさは何倍にも広がります。ネパール語を話すと相手の対応がすっかり変わり、見えてくるものがグンと深まります。皆様の参加を歓迎します。

日時:第2・4土曜日 午前10時〜12時/定員:10名くらい/参加費:1回2,500円/場所(問い合わせ、申し込みも):平尾和雄宅(練馬区田柄2-7-11-2F)(※平尾さんの電話番号を知りたい方は、にメールしてください)



報告会レポート・249
カーニバルの異境空間へ!!
白根全
2000.7.28(金) アジア会館

◆真夏日が続く7月の報告者は、白根全さん。グレートジャーニーのコーディネーターや、編集者、写真家、中南米大好き〈特にキューバ中毒〉、飛行機のパイロット免許取得者、登山家など多彩なマルチタレントだ。

◆報告のテーマであるカーニバルとの出会いは1982年。初めてのカーニバルで3日間金縛りにあい、一気にはまった。それ以来、カーニバルに行けないと1年間身体の調子が悪くなる、重度のカーニバル中毒患者である。報告は、カーニバルの歴史から始まった。カーニバルとは、キリスト教の復活祭の前に肉好きキリスト教信者が日常生活から肉を取り去る、その直前の4日間のドンチャン騒ぎの事。古代ギリシャの豊穣祈願の祭りまでさかのぼり、やがて各地の民間祭祀がキリスト教と合体して、ヨーロッパから新大陸まで発展したのだった。教会が認めた無礼講の4日間、人々は身分の差も、貧富の差も、男女の差も、全ての境界線をとっぱらい異境空間に突入する。南米のカーニバルの特徴はアフリカの要素が強いこと。特に昔の奴隷港町ではその傾向が強く、実にパワフル。その代表格のブラジルとキューバでは、「異常な発展」を遂げ、国家を揺るがす大イベントとなっている。

◆白根さんのカーニバルに対する思いは、単なるお祭り好きを超えて、「カーニバルの生き字引」、「カーニバル百科」の域に達している。カーニバルの基礎知識を仕入れた後は、いきなりスパンコールがきらめくお尻のアップからスライドはスタート。男性陣が身を乗り出していたのを私は見逃さなかった。時折、カーニバルの音楽をBGM に、白根さんの話もエキサイトしてくる。

◆今回は、中南米のカーニバルクルージングであったが、リオのカーニバルが中心だった。4日間のパレードがメインのお祭りだが、その面白さの真髄は、カーニバルが終わった直後からすでに次回にむけてじわじわと盛り上がっている人々のライフサイクルだと感じた。パレードは、1チーム5千人ほどで構成され、決められたテーマを中心に、演出、音楽、ダンス、衣装、山車、ストーリーなどが緻密にデザインされ、絶妙のバランスを醸し出す総合芸術、壮大なオペラだ。1キロ弱の会場を制限時間80分で練り歩き、厳密な審査が行われる。パレードの主な参加者は、リオでも最貧困層のファベーラの住民。彼らの1年はすべてこの80分間に継ぎこまれているといっても過言ではない。無法地帯の貧民屈、マフィアのボスが牛耳るダークサイドがパレードの核だ。本番はおろか、準備段階でも死人が出るのは当たり前。準備は半年前から秘密裏に、かつ綿密に積み上げられていく。人々は、カーニバルのパレード優勝者で歴史を記憶する。パレードへの参加は、リオの歴史に刻まれるというものすごい名誉なのだ。

◆次々と紹介されるスライドは、「これって人なの?」というくらい人間がきらびやかにひしめき合っている。自分の人生の全てをかけた老若男女の命の熱気がむんむん。その場にいる観客も参加者もすべてがカーニバルの構成要素であり、会場は生命の坩堝と化す。「これで死んでもいい」という刹那的な生命力が全開のパレードは、花火大会、阿波踊り、岸和田だんじり、ねぷた祭り、北朝鮮のマスゲームが束になってかかってもかなわないド迫力。2月3月の南米各地では、命がはじけるカーニバルがあちこちでひらかれる。紅白歌合戦の派手派手衣装のために毎年通っているデザイナーもいるらしい。内容が奥深く、筆舌尽くし難い報告会であったが、大興奮のカーニバル報告は来月まで暑気払をかねて続きます。乞うご期待!![山本千夏]


地平線ポスト
地平線ポスト宛先:〒173-0023
東京都板橋区大山町33-6 三輪主彦方
東京都新宿区荒木町3-23-303 江本嘉伸方
E-mail :
Fax: 03-3359-7907(江本)
地平線ポストでは、みなさんからのお便りをお待ちしています。旅先からのひとこと、日常でふと感じたこと、知人・友人たちの活躍ぶりの紹介など、何でも結構です。E-mailでも受け付けています。

●遊友裕さんから…石垣島発

◆石垣島に移住して2年9ヶ月目に「sunガーデン」(私の農地2100坪)に移りました。農業用水が予定より1年早まったので、プレハブハウス(8坪)を立てて、電気を引いて住むことにしました。「sunガーデン」は石垣港から15キロで、標高20m、西に名蔵湾を望み、東に山という私にとっては理想的な場所です。おそらくここが私の「終の住処」になるでしょう。自然の中の生活はまことにすばらしく、充実した毎日です。3月から再開したジョギングは、毎日10キロ以上の目標が今日まで続いています。機会があったらぜひ来て下さい。


●クルト&はるみ・メイヤーさんから

◆イスタンブールより暑中御見舞い申し上げます。私たちは中央アジア、イランを無事に通り抜け、イスタンブールにあるアジアとヨーロッパをつなぐ橋を渡ってヨーロッパ入りしました。イランでは思いもかけなかったイランの人々の暖かいもてなしに感激し、二人ともすっかりイラン・ファンになってしまいました。今日、ギリシアへ入国し、その後イタリア、スイスへと。スタッフの方々よろしくお伝え下さい。


●渡辺久樹・京子さんから…2000.8.6…広島発

◆家族でどっと広島の岸本さんのお宅に乱入しています。レンタカーにキャンプ道具を詰め込んで7月29日に川崎の自宅を出発。淡路島から徳島に入り、室戸岬から高知、四万十川へと走り、山田高司君に会ってきました。◆ふだんは四万十川中流で山仕事、冬にはルワンダへ植林指導、という暮らしぶりで、今もなお旅の途上にある男の顔をしていました。私たちが行ったときにはちょうど1週間にわたる子供のアウトドアスクールの講師を引きうけていた時期で、山仕事や炭焼きなどのふだんの生活ぶりを見ることはできませんでしたが、私たちはそのスクールに混ざって、四万十でイカダ遊びなどを楽しむことができました。◆松山からフェリーで広島に渡って、こうして岸本さんのお宅にやっかいになっているというわけです。他人に寄生しながら旅をつづける渡辺パラサイト一家の近況報告でした。


シルクロード
単独ジャーニーラン
中山嘉太郎さん走行中!!

●中山嘉太郎さんは日本人初の十倍トライアスロンの完走者で、昨年9月(第238回)の地平線報告者です。彼はジャーニーランナーとして、これまでモロッコ、ベトナム、韓国、アメリカデスバレーなど世界の各地を走ってきました。今年の5月、永年勤めた会社を辞め、シルクロードの起点、西安からただ一人で、荷物を全部背負って西に向かって走り始めました。私の知る限りでは、サポートもつけずただ一人でシルクロードを走った人はいないはずです。彼からの手紙で、状況を想像して頂きたいものです。[三輪主彦]

◆第1便…西安…6月1日
本日は6月1日です。やっと中国の西安に入れました。昨夕も安い宿探しで時間をくいましたが、これからも安宿探しで大変そうです(地方都市の方が簡単に見つかるような気もしますが…)。シルクロードの起点のラクダを連れた隊商の石像を走りの起点にしようと思っています。明日からまず600〜700キロ先の蘭州をめざします。地図のいいのがなかなか見つかりません。本屋で立ち読みしながら行くつもりです。

◆第2便…蘭州…6月15日
蘭州に到着しました。距離は732キロで、1日平均50キロです。毎日12時間以上動いていますが、なかなか進みません。体調は初期はゲリ、今は足痛くらいでまずまずです。天水市では新聞社に取材されましたが、掲載されたかどうかわかりません。今日(16日)初めて出発を遅らせ、ハガキを書いています。何やかやで毎日4〜6時間しか眠れません。もちろん体の手当など、水がなくてできません。中国は適度に刺激もありますので、まずまずです。ただし土ぼこり目、ノドが痛いです。また連絡をします。

◆第3便…ハミの東…7月9日
ご無沙汰しました。やっと2000キロ突破です。(7月9日、38日目)ハミの東方50キロの砂漠の中の町におります。今日16時6分に2000キロになりました。いろいろありましたがまだまだ続きます。荷物を軽くしようとしましたが、その後水を持たなければならず遂に重くなってしまいました。最大600ccペットボトル12本(7.2リットル)も水を背負いこんで、とても走れません。おまけに軽くするつもりがなかったカメラ、懐中電気を盗まれ大変でした。ここ1週間は野宿5回、宿1回、工事現場1回と大変安くあがっています。なぜか今日も宿が無料で食事付だそうです。よくわかりませんが…。
最高気温は40度になっているそうで熱風がすごいです。体重はおかげさまで6〜7キロ軽くなったと思います。今マラソンを走れば3時間を切れるのではないかと思っています。ウルムチには7月の21日〜22日になりそうです。野宿の日には宿の心配がないので、距離は伸びます。とは言っても食料を持たなければならないので、これも大変です。
という具合におもしろおかしくやっています。3日前に砂漠に入ってから水をもらったトラックの運転手に話しかけました。中山「中国人とたくさん話したい」運転手「これから200キロ、中国人なんかいないぞ!」そりゃそうだ。砂漠だもんなー。

◆第4便…ウルムチ…7月24日
やっと、やっとウルムチに到着しました。日本で立てた計画よりは速いのですが、現地で立て直した予定よりは少し遅れました。西安からウルムチまでなんとか自分の足で移動しました。新彊に入ってからは45℃の暑さ、風、宿なし、食堂なし、悪路200キロ(車は通れないが、人は苦労すれば通れる)それに体調不良で距離は伸びません。最後の1週間は日に10回もの下痢で、歩く気力もなくつらい思いでした。自分の非力さを改めて知った思いです。22日は病院で点滴をしてもらいながら歩いたのですが、全くききめなしで、飲むもの、食べるものは直通状態でした。それでも24日は20キロを歩かず全て走りました。なにせ「中国走り旅」ですから。ウルムチでは新彊医科大学病院で検診を受けました。旅の途中で出会った人やその友人等に親切にしてもらって食事付の病院に入ることができました。ここで少し休養をします。西安−ウルムチ2675キロを52.5日(1日平均51キロ)でした。


片山忍の
エンデュランス・ライド
100マイル騎乗レース

こんにちは。東京もすごい暑さですね。日中温度40度を超えるカリフォルニアでの長距離騎乗競技(エンデュランス・ライド)に参加してきました。

◆エンデュランス・ライドとは全長160キロ(100マイル)を1頭の馬、一人のライダーで24時間以内に駈け抜ける、というもの。途中数回の獣医チェックがあり、馬の体調(心拍数や脱水症状など)をかなり厳しくチェックします。それを通過しないといけないため、馬にハートレートモニターをつけたりして走ります。体力だけではない、頭脳レースでも(実は)あるのです(強調)。

◆今回参加した「テビスカップ」というレースはカリフォルニア州の北東部、レイクタホなどを見下ろすシエラネバダ山中で行われ、今年で開催46回目をかぞえる全米でも歴史のあるレースです。スタート地点の高度2600メートルからゴール地点の高度700メートルまで山あり谷あり河あり雪あり岩ありのコース。3つの大きなキャニオンを駆け下り、駆け上る。95年には練習中ジョギングしていた女性がクーガー(マウンテンライオン)に食べられて死んじゃったし、ガラガラヘビはいるし、ブラックベアはいるし、毒虫も毒草もあるし、暑いし、埃だらけだし、もーたいへん!ってところです。

◆このコースその名も「アメリカンリバー」という河にそっているのですが、この河はゴールドラッシュを巻き起こした張本人です。この河で金が発見され、何万という幌馬車が東から押し寄せました。金鉱を見つけると登記するわけですが、それをかってでたのが「早馬業屋さん」。「何日以内登記請け負います」というように契約を結んで山中闇夜とわず馬をはしらせたようです。もちろん途中で馬が死んでしまっては元も子もないわけでそこはきちんとメンテナンスをして…その「金鉱堀りたちの夢の後」の道を走ってきたのでした。もーいまだにアル中はいるわ、ヘビースモーカーはいるわ、ベトナム帰り・朝鮮戦争帰りはうざうざいるわ、日本人強制収容所の話をしだすばーさまはいるわ、なんともカラフルなところであります。

◆私は97年に日本人ではじめてこのコースを完走しました。今回は同じコースを2度目の挑戦だったのですが、36マイル地点・スタート後5時間後で馬が脱水症状を起こし、獣医チェックにひっかかって棄権しました。心拍数のリミット(1分間に64回)があるのですが、それを下回らせることができなかったのです。その後8時間山の中で点滴をうってやり、(立ち木に点滴袋をつりさげて、馬の首に注射針を打ち、ずうと馬の頭をもちあげてやっておくのです)スタート18時間後の真夜中に厩舎につれて帰ったときはぴんぴんしていました。

◆こうこうと満月が照る中(コマンチムーンといいます)、ふかふかにおがくずを敷いた厩舎で作ってやったニンジン入り馬用お粥をもりもりと食べている横にずっと寄り添ってしばらく腸の音や皮膚の様子などを診てました。ひろーい牧場の中、月光をあびながら白い馬がもくもくと、ときどきこちらに耳や目線を向けながら健康に食事をしているそのすぐそばに佇んでいる、というのはなんとも幸せな時間でした。「いまからでも走れるなあ」という気持ちもちらと掠めましたが。

◆走行中は順調だっただけに、さらに勉強しなくちゃいかんなー‥という思いでいっぱいです。心拍計の数値も順調、水ものませた、ペース配分もオーナーの言うとおり(今回も馬はリースしてます。とても日本から運べませんので)…でも3週間の最終調整じゃあやっぱり馬の本当の状態を知るにはまだまだ力不足だった。反省しきり、なのですが、来年の馬をオファーしてくれる大会役員の出現もあって、「よっしゃーまたがんばるか」という気持ちで大会を終えてきました。その後オレゴンのマウントフッド(標高 3000メートル!の万年雪)で夏スキーをしたり、ポートランドで狂言の舞台の手伝いをしたり、ワイオミングでロッククライミングをしたりして帰ってきました。[「活きているバイク」アラブ馬にのる女・片山忍。36歳独身 すこし痩せて67キロ。99年2月の報告者]


グレートジャーニー・ニュース
関野吉晴、あわただしく帰国、すぐ出発

◆8月5日、一時帰国していた関野吉晴さんがあわただしくカトマンズに戻った。中国の残したルートをたどった後、ネパールのドルポ地方に入り、本格的な長期滞在をする予定。いよいよ大詰めのグレートジャーニーだが、最終コース、アフリカのオルドバイ渓谷到達は、そんなわけで2002年初頭になる見こみ。超多忙関野さんだが、9月、会津での記念集会のオークション用に、貴重な装備の一部を残していってくれた。感謝!


見えない地平線
続・のぐちやすおの刑務所レポート
好評につき再開!!

◆見えない地平線シリーズ、再開です。まさかあれほど反響があるとは思わなかった、しばらく続けますので、収監時マニュアルとして活用して下さい。

◆で、再開することにして、私のツトメ先は受刑者には地獄の宮城と恐れられる宮城刑務所でしたが、受刑者としてではなく職員としてであることは何度もくり返しているとおり。「法務省矯正局東北管区宮城刑務所医務部医療科技師」という、実にものものしい肩書きを確保してでの勤務なのに、いまだに疑っているやつがいる。

◆そこで私が何をしていたかというと、ひとくちにいえば収容者の健康管理でした。何しろ刑務所ですから風邪をひいたからといって、それでは薬局まで感冒薬を、とはいきません。病気になっても、あの病院は嫌だから別の病院へ、もできません。塀の中に与えられた条件下ですべてを満足しなければならないのです。しかし刑務所の中というのは、おせじにも最先端の医療が整っているとはいえません。したがって一般社会ではもっとも難しいとされる、予防、および悪化防止に全力を注ぐことになります。ではどうすれば病気が予防できるのかというと、これはとても簡単なことで、規則正しい生活と適度な運動、たったそれだけです。このことに関しては刑務所ほど理想的な環境はないですね。

◆もうひとつの悪化防止について、風邪を例にすると、動かずにじっとしていれば簡単に治ると分かっていても、現実には難しいものがあります。でも刑務所では感染防止早期回復が先決と判断すると、それが可能になるのです。三日安静の指示がでて、本も読めずにひたすら寝るしかありません。安静と定められた時間に立ち上がろうものなら、たちまち懲罰です。このようなことから塀の中の人々は一般社会人にくらべて、驚くべき健康体が維持できるというわけです。

◆では次回より、私が宮城刑務所でどのような仕事に携わってきたかを綴っていきます。[埜口保男]


>>> Pole to Pole 2000 >>>
石川直樹 現地報告

●北極から南極に向かうPole to Pole 2000プロジェクトに参加している
 石川直樹さんから…

◆日本を発って5ヶ月が過ぎた。全行程の半分を終えたことになる。4月、北磁極から始まった旅も7月5日にカナダ横断を終え、ケベックからアメリカのメーン州に入った。ボストン、ニューヨーク、ワシントンDCを通り、現在はコロラド州・デンバー郊外のキャンプ場に滞在している。これからさらに西へ向かい、サンタフェ、グランドキャニオンなどを通って8月上旬にロサンゼルスに到着する予定だ。そこからフェニックスまで南下して、いよいよメキシコに入る。

◆最近はかなり気温が高くなってきて、北極の凍てつく大地や厚い手袋とフリースを身につけて走っていたカナダ北部を懐かしく思う。北米の自転車旅では肉体的なつらさを感じることはあまりなく、むしろ各地で行うプレゼンテーションや色々なプロジェクトに参加することに、より一層努力を強いられている。ただでさえ人前で話すのは不得意なのに、環境問題やこの旅に伴うリスクの話などを英語で話さなくてはならないのだ。毎回、緊張の連続で慣れるということがない。

◆ボストンではブラウン大学とハーバード大学でプレゼンを行った。同い年くらいの大学生に向かって、一体ぼくに何がいえるのだろう。悩んだが、今までの経験から感じていることを素直に話すことしかぼくにはできない。北極や得意分野であるミクロネシアの話を交えて、なんとかプレゼンを終えた。終了後にたくさんの学生が、わざわざ感想を言いに来てくれるのが嬉しい。今まであまり考えなかったが、経験を人にシェアすることは、様々な出会いにつながり、自分自身の理解を助けてくれる。

◆今まで各地で行ってきたプレゼンテーションで出会った人の数は5000人を超えた。ニューヨークやワシントンDCなどの大都市ではホームレスの人に食事を配りにいったり、比較的貧しい地区の家作りを手伝ったり、自然保護団体を訪ねてローカルな環境問題について話を聞いたりと、様々なプロジェクトに関わっている。

◆ただ、そのような各地のプロジェクトにアピール的に参加するだけ参加して、立ち去ってしまうというこの旅のやり方には、時折納得がいかないこともある。一度関わった以上、コンタクトを取り続けるなどして、何らかの責任をもつことが大切なのではないかと思うのだ。

◆何はともあれ色々なことを考え、旅を続けている。これから入る中米、南米ではさらに何が起こるかわからずさらに楽しみだ。それではまたいつか!


地平線新刊情報

賀曽利隆著「旅の鉄人 カソリの激走30年」[JTB発行 1500円(税別)]好評発売中!!


〜 伊南村だより 〜

◆はじめまして。伊南村青年会会長の佐藤です。9月の『地平線報告会250回記念大集会in伊南村』の実行委員長を務めることになりましたので、よろしくお願いします。

◆伊南村は人口が約1,900人、面積の約94%が山林の村です。そして村の中心を南北に我らが『伊南川』が流れ、渓流釣りやアユ釣りで賑わっています。また夏には釣り客にまじって、地元の子供たちが魚突きに夢中になっている光景をよく目にします。私も小、中学生の頃は毎日伊南川や沢へ行き、必死に魚を追いかけていました。時には熱中するあまり昼飯も忘れて朝から暗くなるまで魚突きをしていたこともありました。

◆今では魚突きは卒業し、渓流釣りに本気です。餌釣りにテンカラ、ルアーと様々な釣りを楽しんでます(ルアーは全くの初心者ですが)。最近川の汚れが気になり始めてきました。今のうちに何とかしなければとは思います。

◆一人旅が好きで学生時代はお金を貯めては旅に出ていました。見知らぬ土地に一人で居ると自分自身の様々な部分がみえたり、物事をいろいろな角度からとらえられるような気がします。今でも初めて旅に出たときの自分の余裕のなさを思い出すと恥ずかしい限りです。社会人になってからは思うように時間がとれず、一回しか旅に出れずにうずうずしていましたが、今回地平線報告会が伊南村で開かれることになり、とても楽しみです。伊南村らしさを出しながら、楽しく有意義な報告会になればと思います。みなさん、どんどん遊びに来てください。[佐藤隆士 27歳]



今月の地平線報告会の案内(絵:長野亮之介/文:白根全)

地平線通信裏表紙 8/25(金)
Friday
6:30〜9:00 P.M.
アジア会館(03-3402-6111)
\500

 

死ぬまで踊れ!!! 死んでも踊れ!! カルナバル!
白根全(カーニバル評論家)
「だんだん空気の微粒子のカドが立ってきて、肌に突き刺さってくる。そのカンジがたまんないんだよ」。カーニバルが始まる直前、場が盛りあがっていく様を、白根全さんはこう表現します。キリスト教文化と、土俗的な祭り、そしてアフリカルーツのリズムが融合した南米のカルナバル(カーニバル)は、国や地域によって全く違う顔をみせてくれます。

例えばリオのカーニバルは、壮大なオペラ。パワフルな狂乱の裏には演出があり、組織力や金に支えられています。同じブラジルでも、サルバドールで、音楽が街を支配します。「最大瞬間踊り狂い人口」が250万円という、驚異的な数字すら囁かれるほど。耳センが耳にめり込む大音響の中では、死人も踊り出すとか。

今月はカーニバル評論家(世界初)の白根全さん連続登場(地平線初)で、ブラジルをはじめ、ハバナ、サンチアゴ(キューバ)、バランキーヤ(コロンビア)、オルロー(ボリビア)、ベラクルス(メキシコ)、トリニダードトバゴなど、各地のカドが立った空気を音楽と共にお届けします!

後半は恒例の納涼フリートークに突入か!!


通信費カンパ(2000円)などのお支払いは郵便振替または報告会の受付でお願いします
郵便振替 00100-5-115188/加入者名 地平線会議(手数料が70円 かかります)



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