■関野 吉晴 【SEKINO
Yoshiharu】
1949年、東京生まれ。医師・探検家。一橋大学・横浜市立大卒。一橋大学探検部創設者。1980年4月の第8回「地平線報告会」で、71年に初めてアマゾンに出かけ、カンパ族、マチゲンガ族などインディオ達と寝食を共にした。アマゾンへは、25年間に計32回4000日以上滞在。70年代後半からはインカのルーツを求めて、アンデスへと行動半径が広がるなど、世界的レベルの探検活動の最初の報告をした。第47回(83年9月)報告会では、81年7月ペルーアマゾンのパンチャコーヤ遺跡調査の後、「インカの伝統を今でも守っている村」ケロ村を訪問し、82年4月再訪、83年4月再々訪、5万人の人が集まる星と雪の祭り、コイユリティの巡礼祭を訪れた様子などを報告した。ケロ村への最後の訪問は95年の7月。第167回(93年9月)では、アマゾン流域でも最も文明から遠い地とされるギアナ高地を訪れ、78年の初訪問以来、誇り高き少数民族ヤノマミ族とのつき合いを深める様子を語る。また、モンゴロイドの起源に思いを馳せ7年構想の「グレートジャーニー」へ旅立つことになる。93年12月5日、南米最南端ナバリーノ島を出発、人力でマゼラン海峡と2つの氷床を踏破、最大の難所の一つ「嵐の大地」を無事クリア。その「グレートジャーニー」パタゴニア編の様子は、第176回(94年6月)で発表。その後96年4月ダリエン地峡をカヤック、徒歩で縦断。97年春、アラスカ西部を犬ぞりで新大陸最西端のウェールズに到着。夏にはベーリング海峡をウミアック(セイウチの皮を張ったボート)で渡ってユーラシア大陸へ、「グレートジャーニー」は2001年東アフリカまで続く。
- 180 アメリカ モニュメントヴァレー[1996年6〜7月]
よく西部劇の舞台となるモニュメントヴァレーだが、ここはナバホ族の居留地で、この地は自然公園となっているがナバホ族が管理、保全、経営している。
- 210 ペルー ペルーアンデス・ケロ村[1995年8月]
トウモロコシを運ぶリャマのキャラバン。ケロ村では、標高1500mから4500mの間の土地を有効に利用している。低地は熱帯林だが、そこでトウモロコシの栽培をしている。
- 211 ベネズエラ ヤーノス[1989年10月]
世界最大の蛇アナコンダがワニを捕らえた。ワニは締め上げられ、血を吐き絶命し、その後の飲み込まれた。
- 212 ボリビア ウユニ塩湖[1994年11月]
四国ほどの広さを持つ、世界最大の塩湖を自転車で走った。平坦のようで結構ゴツゴツしていて、小さな穴も多かったが、軽快に走れた。
- 213 ペルー ペルーアマゾン タンポパタ自然保護区[1995年6月]
鮮やかな色彩のコンゴウインコは、乾期になると特定の場所に集まってくる。土を食べるためだが、それには森の果実には含まれないミネラルが含まれているからだという。
- 214 ベネズエラ ギアナ高地[1995年5月]
世界最大の落差をもつエンゼルフォール(979m)。その高さのため滝壷はなく、滝の下のほうはしぶきになる。テーブルマウンテン最大のアウヤンテブイから流れ出る。
- 215 ボリビア ポーポ湖[1989年]
ボリビア高地ポーポ湖のアンデス・フラミンゴ。
- 216 ベネズエラ ブラジル国境の森[1996年6月]
ヤノマミ族は、仲のよい村どうしで同盟関係を結ぶ。彼らはお互いに交易をしたり、祭りに招待し合って、その関係を強化していく。隣村のレアホ(祭り)に向かうヤノマミ族。
- 217 コスタリカ ラセルバ自然保護区[1996年11月]
シロヘラコウモリ。森の中のヘリコニアの葉の裏をテントのようにして、昼間は数匹が寝ている。めったにお目にかかれないコウモリだ。
- 218 グアテマラ [1996年10月]
グアテマラは先住民が過半数を占める。大半はマヤの末裔たちで、最近まで内戦状態にあったが、政府とゲリラの間で和平合意書が取り交わされた。マヤ末裔の子供たちと。
- 219 ペルー ペルーアマゾン・マヌー国立公園[1988年8月]
マヌー国立公園は広大なアマゾン流域の中でも自然がそのままの形で残っている。チャラパという名の水亀は、肉が美味で卵も食用のために乱獲され数が減っている。
- 220 ペルー チチカカ湖[1994年12月]
チチカカ湖を折り畳み式のカヤックで縦断した。その北部、プーノに近いところでは水が汚染され、そのため小さな浮き草が絨毯じゅうたんのように覆っていた。
- 221 コスタリカ ラセルバ自然保護区[1996年11月]
ストロベリー・ヤドクガエル。一見、果物のイチゴに見える。体長は約2cmで毒を持っている。
- 222 チリ・アルゼンチン パタゴニア南緯48°〜51゜[1994年2月]
パタゴニア南部氷床を歩き始めた時は、クレバスが多く、スキーもはけなかった。登山靴にアイゼンをつけ、2、3人で引っ張って歩いた。
- 223 ペルー クスコ近郊のマラス[1995年7月]
ここでは塩分を含んだ水が山から流れ出てくる。この水をせき止め塩田を作っている。乾燥期になると5000あるこの塩田から食塩をとる。