The Chiheisen News 96-5



■011 冒険王・賀曽利隆、オーストラリア5万キロ踏破へ出発
まずオンロードで豪大陸一周後、オフロードでも一周。スズキDJEBEL250XCを使用。

コアラを抱く賀曽利さん
 最近は“冒険王”というより、“温泉評論家”として知られている賀曽利隆さんが、膨大な量の原稿をようやく書き上げて、5月25日、晴れてオーストラリアに向けて出発しました。オーストラリア大陸全域を本格的に走りまわるのは、1971年に次いで2度目。今回は、まずオンロードで大陸一周を果たしたあと、さらにオフロード主体でもう一周を狙うそうです。以下、賀曽利さんの「オーストラリア50000」と題した計画書を紹介します。(丸山純)



●計画の趣旨

豪州の砂漠でパンク修理  オーストラリアは今、日本人ライダーにとっては、一番人気の、海外ツーリングのフィールドになっている。そのオーストラリアをバイクで徹底的に走りつくそうというのが、本計画の「オーストラリア50000」である。
 オーストラリア最大の都市、シドニーを出発点にし、まず、オンロード主体のコースで大陸を一周する。全行程3万キロを予定している。
 次に、同じくシドニーを出発点にし、オフロード主体のコースで大陸を一周する。トータルで5万キロを走破しようという「オーストラリア50000」計画である。  私は今から20数年前の1971年に、やはりオーストラリアを2周し、4万5000キロを走破したことがあるが、そのときとの比較もぜひしたいと思っている。



●計画の期間

 1996年5月15日〜9月15日までの120日間。



●コースの概要

 別紙のルート図のように、まず、オンロード主体の第1回目の大陸一周では、シドニーを出発点にして時計まわりに走り、国道1号でアデレード、パース、ブルームと通り、北部オーストラリアの中心地ダーウィンへ。そこからアリススプリングス経由で大陸を縦断し、アデレードへ。途中、世界最大の一枚岩のエアーズロックに立ち寄る。アデレードから同じコースでダーウィンに戻り、大陸の往復の縦断をなしとげる。ダーウィンからは、太平洋岸のケアンズに出、太平洋岸を南下し、ブリスベーン経由でシドニーに戻る。
 次に、オフロード主体の第2回目の大陸一周では、シドニーから、まずブリスベーンに行き、そこから内陸へ。バーズビル・トラックやオーダナタッタ・トラックといったロングのダートコースを走り、内陸部の中心地アリススプリングスヘ。そこからエアーズロック経由でギブソン砂漠横断のルートで西オーストラリアの中心地パースに向かう。パースから北へ。1600キロ間無給油のダートコース、カニング・ストックルートに挑戦し、北部オーストラリアの中心地ダーウィンヘ。そこからは、熱帯の密林地帯や湿地帯を突破し、太平洋岸のケアンズヘ。オーストラリアでも一番のアドベンチャーランドといわれるヨーク岬半島に入り、大陸最北端のヨーク岬に立ち、ケアンズに戻る。ケアンズからは、大分水嶺山脈のダートを走り、ブリスベーン経由でシドニーに戻る。
豪州地図
 ↑賀曽利ファン必見の自筆地図。編集者泣かせのこの字にしびれる。



●計画に使用するバイク

DJEBEL250XC 1996年4月発売のニューモデル、スズキDJEBEL250XC。
 250cc4サイクルのオフロードバイクだが、オン&オフ両用のデュアルパーパスの色彩を強く持っている。17リッター大容量タンクを搭載し、大光量のヘッドライト、各種機能を備えたデジタルメーターを装備している。まさに、大陸縦横断にはぴったりのツーリングマシンである。
 DJEBEL250XCの性能を最大限に引き出して、「オーストラリア50000」をなしとげたい。



●賀曽利隆のプロフィール

 1947年、東京都中野区に生まれる。1968年から2年間をかけてアフリカ大陸を一周したのを皮切りに、アジア、ヨーロッパ、オーストラリア、北アメリカ、南アメリカと、バイクで世界の6大陸を駆けめぐる。
 1971年から翌72年にかけては、日本人としては初めてバイクでサハラ砂漠を縦断。1982年には、同じく、日本人としては初めてバイクで「パリ→ダカール・ラリー」に参戦。
 1984年から翌85年にかけては「南米大陸一周」。1987年から翌88年にかけては「サハラ砂往復縦断」。1989年には、2度目の「50ccバイク日本一周」。1990年には、3度目の「世界一周」。
 1992年から翌93年にかけては、世界初のバイクでの「インドシナ一周」を成しとげる。1994年には、子供のころからの夢であった「タクラマカン砂漠一周」を成しとげる。
 今までに、バイクで世界の123カ国、40余万キロを駆ける。「世界を駆区けるゾ!」が口グセだ。
 日本国内では、1975年以降、「峠越え」をつづけているが、1994年11月に1000峠を達成。また、同じく1975年以降、「温泉踏破行」をつづけているが、1995年6月に1000湯を達成。1996年5月1日現在、越えた峠は1178峠、入った温泉は1161湯におよぶ。
 神奈川県伊勢原市に在住。



●賀曽利隆の海外ツーリング歴

01.「アフリカ大陸一周」
1968年4月12日〜1969年12月3日(601日)
スズキTC250
オートバイ60000キロ、ヒッチハイク25000キロ(85000キロ)
アジア、アフリカ、ヨーロッパ(55カ国)
02.「サハラ縦断&世界一周」
1971年8月2日〜1972年9月10日(405日)
スズキTS250、スズキGT380
オートバイ72000キロ、ヒッチハイク28000キロ(100000キロ)
アジア、アフリカ、ヨーロッパ、北アメリカ(27カ国)
03.「六大陸周遊」
1973年8月15日〜1974年11月13日(456日)
スズキTS250、スズキGT550
オートバイ30000キロ、ヒッチハイク100000キロ(130000キロ)
アジア、オセアニア、アフリカ、ヨーロッパ、北アメリカ、南アメリカ(58カ国)
04.「キリマンジャロ」
1980年2月16日〜3月14日(28日)
ホンダXR200
オートバイ1000キロ
アフリカ(2カ国)
05.「パリ→ダカール」
1981年12月22日〜1982年1月31日(40日)
スズキDR500
オートバイ5000キロ
ヨーロッパ、アフリカ(3カ国)
06.「南米一周」
1984年10月20日〜1985年4月7日(168日)
スズキDR250S
オートバイ43000キロ、列車・バス3000キロ(46000キロ)
南アメリカ(10カ国)
07.「サハラ往復縦断」
1987年11月18日〜1988年4月2日(137日)
スズキSX200R
オートバイ23000キロ
ヨーロッパ、アフリカ(12カ国)
08.「50ccバイク世界一周」
1990年7月14日〜11月15日(128日)
スズキハスラーTS50
オートバイ25000キロ
北アメリカ、ヨーロッパ、アジア(19カ国)
09.「東京→サハリン」
1991年8月7日〜8月21日(15日)
スズキDR250SH
オートバイ5000キロ
アジア(1カ国)
10.「インドシナ一周」
1992年8月25日〜1993年5月19日(130日)
スズキRMX250S
オートバイ10000キロ、列車・バス6000キロ(16000キロ)
アジア(7カ国)
11.「エアーズロック」
1993年7月5日〜7月15日(11日)
スズキDR350
オートバイ4000キロ
オセアニア(1カ国)
12.「タクラマカン砂漠一周」
1994年9月21日〜10月6日(16日)
ホンダCR250
オートバイ2500キロ、車500キロ(3000キロ)
アジア(1カ国)
13.「オーストラリア大分水嶺山脈」
1995年4月29日〜5月7日(9日)
スズキDR350
オートバイ1800キロ
オセアニア(1カ国)
合計 2144日 44万4800キロ 123カ国



■賀曽利隆の著書

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■012 ガラパゴスに遊んだ金井シゲさんから絵葉書
イグアナとアホウドリとイルカと戯れながらめぐらす、シゲ流・共生の思想。

南米旅行中の金井重さんから、絵葉書が届きました。どこにも差出人の名前が書いてなくて、最初はオヤッと思ったけど、本文中にありました。だいたい、余白に俳句を書いてくる人は、シゲさんしかいない。シゲさんは労働運動が長いので、ストにも思いやりがあるようです(^^;。“斗争”も、らしいですね。
生まれたてのビクーニャ(リャマ?)を抱いたインディオの子供たちの写真です。解読するのが、ほーんとたいへんでしたが、たぶんこれで間違いないはず(^^;。いちばんわからなかったのが「ベッドが動かない」というところ。我ながらほれぼれしました(^^;。ここは、揺れる船のベッドのほうがよく眠れるってことでしょうね。(丸山純)



夏の雲 イルカのむれと 泳ぎけり
人族に 戻る我はむ イルカあり
人族を 忘れてイルカと 泳ぎけり


ガラパゴスは想像以上でした。毎日泳ぎました。熱い溶岩、白い砂浜、ゴツゴツしたサボテン。そしてイグアナ。青足かつおどりがせっせと孵化した赤ちゃんどりと、赤道直下の太陽を浴びてきました。グアヤキルに戻ってこの夜、なかなか眠れません。ベッドが動かないので。

シゲ絵葉書船は10人乗り。欧米の彼女たちは全員20歳代。高い船のヘサキからダイビング。シゲは船の後からドボン。欲張って最後まで泳いでいたら、イルカにかまれて大騒ぎ。どこにもキズあとなし。散々遊んであげたから、最後にちょっとイタズラ?

とにかく人間にだけ特別じゃない。とりも魚も植物も人間も皆同じですね。あたり前ですが、でも彼らと同居し共生した実感です。

ベネズエラではエンゼル・フォーレスに行くはずでした。空港に着いて、リック重し。航空ストにどっと汗。突然のストは迫力がありますね(やるぞやるぞというスケジュール斗争と違います)。ほんとにあわてました。でも仕方ないよ、ストなんだから。

では、またね。

読めますか? 地平線によろしく。5/25

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■013 賀曽利隆さん、メルボルンからタスマニアへ
シドニーで無事バイクを受け取り、オーストラリア一周に向けて走りだす

ようやく計画書をHTML化したと思ったら、賀曽利隆さんから、今日(6/7)さっそく絵葉書が届きました。なんか、賀曽利さんの雰囲気とはずれているような気もしますが、やっぱりオーストラリアもあのへんになると、南極が近いんですね。6月3日付ですから、速い。まるで国内並み。まずは順調に走り出したようです。(丸山)



賀曽利さん絵葉書 丸山さん、こんにちは。
おかげさまでシドニーではスムーズにバイクを引き取ることができ、オーストラリア一周に出発。
23年ぶりのオーストラリア一周ということになり、その間のモロモロの変化を見るのは、すごく楽しみです。
最初は、オーストラリアの最高峰Mt.クシオスコ*周辺のスノラィー山地**を走ったのですが、明け方にはマイナス8度まで下がった寒さにやられ、さんざんでした。
シドニーから3500キロを走り、メルボルンに到着。
今日、夕方の船でタスマニアに渡ります。

6/3 賀曽利隆

*:コシウスコ、コジウスコとも呼ばれるらしい。標高2230m。
**:賀曽利さんの字では、スノラィーと読めますが、スノウィーかも? 地図や事典などで調べても、 「オートスラリア・アルプス」としか載っていません。

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