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最近は“冒険王”というより、“温泉評論家”として知られている賀曽利隆さんが、膨大な量の原稿をようやく書き上げて、5月25日、晴れてオーストラリアに向けて出発しました。オーストラリア大陸全域を本格的に走りまわるのは、1971年に次いで2度目。今回は、まずオンロードで大陸一周を果たしたあと、さらにオフロード主体でもう一周を狙うそうです。以下、賀曽利さんの「オーストラリア50000」と題した計画書を紹介します。(丸山純)
オーストラリアは今、日本人ライダーにとっては、一番人気の、海外ツーリングのフィールドになっている。そのオーストラリアをバイクで徹底的に走りつくそうというのが、本計画の「オーストラリア50000」である。
オーストラリア最大の都市、シドニーを出発点にし、まず、オンロード主体のコースで大陸を一周する。全行程3万キロを予定している。
次に、同じくシドニーを出発点にし、オフロード主体のコースで大陸を一周する。トータルで5万キロを走破しようという「オーストラリア50000」計画である。 私は今から20数年前の1971年に、やはりオーストラリアを2周し、4万5000キロを走破したことがあるが、そのときとの比較もぜひしたいと思っている。
1996年5月15日〜9月15日までの120日間。
別紙のルート図のように、まず、オンロード主体の第1回目の大陸一周では、シドニーを出発点にして時計まわりに走り、国道1号でアデレード、パース、ブルームと通り、北部オーストラリアの中心地ダーウィンへ。そこからアリススプリングス経由で大陸を縦断し、アデレードへ。途中、世界最大の一枚岩のエアーズロックに立ち寄る。アデレードから同じコースでダーウィンに戻り、大陸の往復の縦断をなしとげる。ダーウィンからは、太平洋岸のケアンズに出、太平洋岸を南下し、ブリスベーン経由でシドニーに戻る。
次に、オフロード主体の第2回目の大陸一周では、シドニーから、まずブリスベーンに行き、そこから内陸へ。バーズビル・トラックやオーダナタッタ・トラックといったロングのダートコースを走り、内陸部の中心地アリススプリングスヘ。そこからエアーズロック経由でギブソン砂漠横断のルートで西オーストラリアの中心地パースに向かう。パースから北へ。1600キロ間無給油のダートコース、カニング・ストックルートに挑戦し、北部オーストラリアの中心地ダーウィンヘ。そこからは、熱帯の密林地帯や湿地帯を突破し、太平洋岸のケアンズヘ。オーストラリアでも一番のアドベンチャーランドといわれるヨーク岬半島に入り、大陸最北端のヨーク岬に立ち、ケアンズに戻る。ケアンズからは、大分水嶺山脈のダートを走り、ブリスベーン経由でシドニーに戻る。
↑賀曽利ファン必見の自筆地図。編集者泣かせのこの字にしびれる。
1996年4月発売のニューモデル、スズキDJEBEL250XC。
250cc4サイクルのオフロードバイクだが、オン&オフ両用のデュアルパーパスの色彩を強く持っている。17リッター大容量タンクを搭載し、大光量のヘッドライト、各種機能を備えたデジタルメーターを装備している。まさに、大陸縦横断にはぴったりのツーリングマシンである。
DJEBEL250XCの性能を最大限に引き出して、「オーストラリア50000」をなしとげたい。
1947年、東京都中野区に生まれる。1968年から2年間をかけてアフリカ大陸を一周したのを皮切りに、アジア、ヨーロッパ、オーストラリア、北アメリカ、南アメリカと、バイクで世界の6大陸を駆けめぐる。
1971年から翌72年にかけては、日本人としては初めてバイクでサハラ砂漠を縦断。1982年には、同じく、日本人としては初めてバイクで「パリ→ダカール・ラリー」に参戦。
1984年から翌85年にかけては「南米大陸一周」。1987年から翌88年にかけては「サハラ砂往復縦断」。1989年には、2度目の「50ccバイク日本一周」。1990年には、3度目の「世界一周」。
1992年から翌93年にかけては、世界初のバイクでの「インドシナ一周」を成しとげる。1994年には、子供のころからの夢であった「タクラマカン砂漠一周」を成しとげる。
今までに、バイクで世界の123カ国、40余万キロを駆ける。「世界を駆区けるゾ!」が口グセだ。
日本国内では、1975年以降、「峠越え」をつづけているが、1994年11月に1000峠を達成。また、同じく1975年以降、「温泉踏破行」をつづけているが、1995年6月に1000湯を達成。1996年5月1日現在、越えた峠は1178峠、入った温泉は1161湯におよぶ。
神奈川県伊勢原市に在住。
南米旅行中の金井重さんから、絵葉書が届きました。どこにも差出人の名前が書いてなくて、最初はオヤッと思ったけど、本文中にありました。だいたい、余白に俳句を書いてくる人は、シゲさんしかいない。シゲさんは労働運動が長いので、ストにも思いやりがあるようです(^^;。“斗争”も、らしいですね。
生まれたてのビクーニャ(リャマ?)を抱いたインディオの子供たちの写真です。解読するのが、ほーんとたいへんでしたが、たぶんこれで間違いないはず(^^;。いちばんわからなかったのが「ベッドが動かない」というところ。我ながらほれぼれしました(^^;。ここは、揺れる船のベッドのほうがよく眠れるってことでしょうね。(丸山純)
夏の雲 イルカのむれと 泳ぎけり
人族に 戻る我はむ イルカあり
人族を 忘れてイルカと 泳ぎけり
ガラパゴスは想像以上でした。毎日泳ぎました。熱い溶岩、白い砂浜、ゴツゴツしたサボテン。そしてイグアナ。青足かつおどりがせっせと孵化した赤ちゃんどりと、赤道直下の太陽を浴びてきました。グアヤキルに戻ってこの夜、なかなか眠れません。ベッドが動かないので。
船は10人乗り。欧米の彼女たちは全員20歳代。高い船のヘサキからダイビング。シゲは船の後からドボン。欲張って最後まで泳いでいたら、イルカにかまれて大騒ぎ。どこにもキズあとなし。散々遊んであげたから、最後にちょっとイタズラ?
とにかく人間にだけ特別じゃない。とりも魚も植物も人間も皆同じですね。あたり前ですが、でも彼らと同居し共生した実感です。
ベネズエラではエンゼル・フォーレスに行くはずでした。空港に着いて、リック重し。航空ストにどっと汗。突然のストは迫力がありますね(やるぞやるぞというスケジュール斗争と違います)。ほんとにあわてました。でも仕方ないよ、ストなんだから。
では、またね。
読めますか? 地平線によろしく。5/25
ようやく計画書をHTML化したと思ったら、賀曽利隆さんから、今日(6/7)さっそく絵葉書が届きました。なんか、賀曽利さんの雰囲気とはずれているような気もしますが、やっぱりオーストラリアもあのへんになると、南極が近いんですね。6月3日付ですから、速い。まるで国内並み。まずは順調に走り出したようです。(丸山)
丸山さん、こんにちは。 おかげさまでシドニーではスムーズにバイクを引き取ることができ、オーストラリア一周に出発。 23年ぶりのオーストラリア一周ということになり、その間のモロモロの変化を見るのは、すごく楽しみです。 最初は、オーストラリアの最高峰Mt.クシオスコ*周辺のスノラィー山地**を走ったのですが、明け方にはマイナス8度まで下がった寒さにやられ、さんざんでした。 シドニーから3500キロを走り、メルボルンに到着。 今日、夕方の船でタスマニアに渡ります。 6/3 賀曽利隆 |
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