95年 南アルプス縦走報告


三輪 主彦(みわ かずひこ)

都立竹早高校教諭

日本ウルトラランニングクラブ所属

地平線会議世話人




1995年7月23日〜28日(5泊6日)

23日 朝 東京発、夜叉神峠〜鳳凰三山〜広河原
24日 広河原〜大樺沢〜北岳〜間ノ岳〜熊の平小屋
25日 熊の平〜塩見岳〜三伏峠〜小河内岳〜高山裏小屋
26日 高山裏小屋〜荒川岳〜大聖寺平〜赤石岳〜百間洞小屋
27日 百間洞小屋〜兎岳〜聖岳〜上河内岳〜茶臼小屋
28日 茶臼小屋〜易老岳〜光岳〜易老岳〜易老渡、平岡経由東京



■縦走とは縦に走ること

 「縦走」という言葉がいつごろから使われたのだろうか。もの心がついたばかりのころは、何でも素直に受け入れやすい性格だったので、読んで字のごとく縦に走るものだと考えていた。山岳雑誌に「南アルプス大縦走」などという記事が出ると「山を走るなんてすごい人もいるものだ」と感心したものだった。もちろんその後は、山を走るのは邪道だという山岳界の掟を忠実に守り、山岳部ご用達の「二葉」の重たい山靴で重たいキスリングを背負って、ゆっくりカタツムリのごとく山々をはいずり回っていた。

 山から遠ざかったある日、東京の西郊の陣馬山に星の観測のために登ったら、山の上から短パンランニング姿の数人が軽やかに走ってきた。何と山を走っているのだ。これは山の掟に背くものだ、山を冒涜している。私は見てはならないものを見てしまった。
 その背徳の姿はしばらく私の目に焼きついていた。密かに友人を誘って、私も高尾山から陣馬山を走ってみた。山岳界の掟を破っても、山の神からは何のおとがめもなかったどころか、それがとてつもなく甘い蜜のように思えた。私は重たい登山靴を捨てて、ジョギングシューズを履いて山に戻った。

 最初は奥武蔵や奥多摩の山で走ってみた。そして1986年4月から3年がかりで、東海自然歩道1343kmの走り旅に出発した。山を走ることはそれほど危険ではなく、速度が増すだけ、安全も増す場合もある。早く到着すれば、夏山では必ず出くわす午後の夕立や雷に会わないですむ。

 「南アルプスの山小屋は昔に比べて格段によくなった」という話を2、3年前から聞くようになった。それなら寝具や食料、コンロももたないで、縦走ができるのではないかと考えた。東海自然歩道のときは3キロ程度の重さのザックだったが、今回は5キロ程度の重さに抑えられるのではないかと考えた。南アルプスの縦走をこんな小さなザックで行ったら、山岳界の人には怒られること必至である。しかし今までの経験から考えて、それほど危険は感じなかった。

 最初は1週間で南アルプス全山縦走の計画をつくった。1日の行動時間は12時間。ガイドブックの所要時間は平均18時間。実際にはうまい位置に山小屋がないので、大幅にコースを変更して、表記のような、軟弱な結果になった。
 しかしかつては南アルプスの縦走コースをこんなに気楽に行くことはできなかったはずだ。発想と靴を変えれば、これだけ楽に、安全に縦走を楽しむことができるのだという参考になればと思い、報告書をつくった。

 ちなみに下島渓の「ランニング登山」によればこのコースの最短記録は1967
年につくられた、2泊3日であるという。



■第1日目、7月23日

東京発朝 5:30
夜叉神峠 8:50
夜叉神峠小屋 9:30
杖立峠 10:20
苺平 11:20
薬師岳 12:50
観音岳 13:45
地蔵岳 14:10
白鳳峠 15:20
広河原 16:20

 白馬へ行く車に便乗して、夜叉神峠に寄り道してもらう。お陰で9時前には、夜叉神トンネルの手前の登山口に立つことができた。気持ちよいカラマツの林の中を汗をかきながら上ると、40分程で小屋の前にでる。ここからは白峰三山の大パノラマが見えるはずなのだが、まだ梅雨がすっかり上がっていないので、7合目以上は雲の中。写真は1枚も撮れない。
 ここから鳳凰三山をめざし、ひたすら樹林帯をのぼる。道は大変よいのでスピードが上がる。途中中年の女性グループを4組追い越す。山は今、おばさん軍団に占領された感じだ。

 苺平から25分で南御室小屋へくだる。いかにも南アルプスの小屋らしい小屋で、水も豊富だ。次の薬師小屋に泊まる人はここで連絡をするように、管理人さんが説明している。小屋でも食事の支度などのために事前に情報が欲しいのだろう。「今日は下におりるから小屋には泊まらない」といったら、「今から下山するのは大変だよ」と忠告される。

 鳳凰三山は花こう岩の白い岩肌が、雪のように見える。気分は良いが、雲が低く垂れ込めてきて寒い。薬師岳から観音岳の稜線では吹き飛ばされそうな風が吹いてきた。観音岳を越えたとき、カメラのキャップがはずれ風に飛ばされた。5m程の岩壁の下に転がっているのが見えるのだが、今回は独り旅。こんな所でけがでもしたらだれも同情をしてくれないだろうから、あきらめる。
 地蔵岳のオベリスクは中央線の車窓からもみえるが、地蔵岳の頂上から見るとたいしたことはない。以前登ったことがあるので、今回は省略。
午後2時、遅いお昼。おにぎりとカロリーメイト。いつもながら貧しい食事だ。 大分寒くなってきた。最初は早川尾根まで行こうと考えていたが、やはり無理だ。早川尾根の小屋まで泊まるところもないので、広河原にくだることにした。 最初の日から大縦走の予定を変更してしまった。実は最初から、全山しらみつぶし縦走は無理だろうと、自分でわかっていたのだ。

 高嶺から一気に300m下って、白鳳峠におりる。広いガレ場にでると急に日があたってきた。梅雨が明けたような、夏の日差しがまぶしかった。先ほどまでの寒さはどこかへ消え、湿気を充分に含んだ南アルプスの大気につつまれた。コメツガの樹林帯を転がり落ちるように広河原にくだった。峠から1時間でつり橋についた。
 明日、北岳に登り、そこから一般縦走路を光岳にむかうという計画に変更する。



■第2日目 7月24日

広河原発 5:30
大樺沢二俣 7:15
八本歯のコル 9:10
北岳山頂 10:00
北岳山荘 11:10
間の岳 12:50
熊の平小屋 14:10

 広河原は北アルプスで言えば上高地。朝早くから賑わっている。夏のシーズン中は甲府発3時というバスがあるので、東京から夜行組が続々登っていく。梅雨は完全に明けたらしく、上空は青空が広がっている。
 大樺沢は井戸の底のような場所なので、日がさすのはまだだいぶ先のことだ。私の計画は、昨日のうちに北岳から光岳までというごくまともなコースに変更されていた。それでも速度は維持しようと考えていたのだが、登り始めるにつれ、私には往年の脚力はなくなっていることに気付き、目標は「完走」に変わってい
った。

 2時間近くかかってやっと雪渓の末端にたどり着く。昨年は雪がなくてガラガラの岩場だったという。北岳に雪渓がないのは似合わない。今回はカメラマンも兼ねているので、雪渓、花、鳥の写真をとりまくる。それを口実に歩みはカメになってきた。
 八本歯のコルからバットレスが大きく見える。若き頃の思いでの場所だ。落石に当たって、甲府まで気憶なく運ばれたのも、あの4尾根だ。ガラガラの岩場を夏の日差しに焦がされながら、頂上へ向かう。途中でキタダケソウをみつけた。ここにだけしかない珍しい花だ。
「こんなのたいしたことない。上のほうがもっとキタダケソウ立派だ」と物知り顔のおじさんがアドバイスをしてくれるが、よけいなお世話だ。私は自分で発見して喜んでいるのだから。

 北岳は富士山に次いで日本第二の高峰で、3192mある。さすが人気の山で頂上は足の踏み場もないくらいの人人人。甲斐駒、仙丈、それに昨日とおった鳳凰三山の写真を撮りまくる。大樺沢を登っているときには鳳凰山は高く見えたのだが、ここから見ると目の下に連なっているだけで、迫力がない。朝のうちに撮っておけば良かったのにと反省しても、もう遅い。ふだんカメラをもって山登りをしていないので、撮影のタイミングがわからない。どうせたいした写真は撮れそうにもない。

 頂上でゆっくりして、北岳山荘にくだる。「水のくみ上げ装置が故障したので今夜の食事は弁当です」という掲示があった。ここから間の岳方面に進む人は少ない。熊の平に進む人はさらに少ない。
 まったく木陰のない稜線を快適に進む。昨年はウルトラランニングクラブの仲間と一緒だったので、両俣小屋から北岳まで駆け登り、この稜線は本当にかなりの速度で走った。さらに農鳥岳を経て大門沢を下り、奈良田の温泉で汗を流して東京に9時についていたのだから、すごいスピードだった。今年はそんな速度は出ない。
 間の岳をへて三峰岳をこえる。この山は2999m、首から上は3000mになっているはずだ。岩場を越えて樹林帯にある熊の平小屋に2時につく。北岳小屋から3時間だかかっている。昨年のメンバーなら1時間半だろう。
 熊の平小屋の主人はふだんはアメリカに住んでいるが、夏になると奥さんのエリザベスさんと二人の子どもと一緒にこの小屋に上がってくる。奥さん手作りパンが有名で、それを楽しみにして上がってくる人もいるという。南アルプスの山小屋も変わったものだ。昔はイワナ釣りのおやじがただひとり小屋番をしているというイメージだったのに。
 熊の平の小屋のテラスからの西農鳥岳の景色はすばらしい。西農鳥岳のほうが農鳥岳より25mたかい。



■第3日目 7月25日

熊の平小屋 4:30
新蛇抜岳 5:20
北荒川岳 6:10
北俣分岐 7:10
塩見岳 7:30
本谷山 9:10
三伏峠 10:00
小河内岳 12:00
板屋岳 13:10
高山裏小屋 14:20

 熊の平小屋から三伏峠までがふつうの1日コースだという。それではあまりにも短い。どこまで行けるかわからないが、ともかくがんばってみようという気持ちで4時半に歩き出した。それより早く出た人たちもいたが、それでは足元は見えない。4時半頃から電灯がいらなくなる。
 きのうは山の中でこんな豪華な食事をしていいのかというごちそうだった。しかし元気は回復せず、のろのろした歩みだった。それでも新蛇抜山で、3時半に熊の平小屋を出た人を追い越した。

 北荒川を越えるといいテント場がある。さらにその先の雪投沢分岐のテント場もいい。そこで泊まった高校生が塩見の登りに差しかかっているのが見える。北俣岳分岐まで登ると、あとは緩やかに頂上に向かっている。北俣岳の先には近年人気のある蝙蝠岳への稜線が続く。縦走路から外れるがいい山だ。塩見の頂上は二つある。5分ほどで行けるが東峰の方が6m高い。これでも3000m峰を2つ登ったことになるのだろうか。そんなわけにはいかない。
 塩見岳のくだりはなかなか厳しい。浮き石がおおく、急傾斜なので落石が多く緊張する。こちらからは登りたくない。というが過去二回はいずれもこの道を登っている。

 塩見の小屋は這い松の尾根の途中にある。景色はよいのだが、ここまでどうやって荷揚げするのだろう。一休みしただけで三伏峠に向かう。小屋を過ぎると一気に樹林帯にくだる。最低所には湧き出したばかりの水がある。うまい。

 樹林帯をのんびり歩いて10時ちょうどに三伏峠にでる。小屋にはバイトの女子高生が2人いるだけ。この先の小屋の状況を聞いても「わかりません」との返事。お金を使わないので愛想が悪いのかと思って、缶ジュースを買ったら「缶は自分で持ち帰ってください」と言われる。自分で もってきたなら当然だが、売っておいて空き缶は持って行けというのは納得できない。わかっていれば最初から買わないのに。
 缶ジュースには何のご利益もなく、これから先のコースの状況はわからなかった。つぶした缶はこれからくだる高校生のグループのごみ係にたのんで持って行ってもらった。さもなければ、腹をたててその辺に投げ捨てたかもしれない。先の状態がわからないまま、烏帽子岳から小河シナノキンバイ内岳に向かう。振りかえると三伏峠の西側の崩壊はものすごい。西側を日本最大の断層である中央構造線が通っているので崩れやすくなっているのだ。

 烏帽子から小河内岳への稜線は森林限界をこえているので風当たりが強い。下界は30℃を越えているらしいが、ここでは半袖、短パンでは寒い。今回新しく買った長袖のラガーシャツを取り出す。小河内岳の避難小屋が頂上直下に立っている。遠くから見ると大変立派であるが、無人小屋なので中は荒れている。こんな所に泊まりたくはない。小河内岳は2800mもある立派な山だ。三千m級の南アルプスにあるので、話題にならないが、もっと評価をしてもいい山だ。

 朝のうちがんばったので、昼頃になるとどっと疲れがでてくる。大日影山の分岐をいつ通ったかわからないうちに、樹林帯の中の板屋岳についた。このあたりも稜線の西側は大きく崩れており、恐ろしい。これまでは休憩時間をいれてもコースガイドの3分の2程度の時間で進んでいたのに、この間はガイドブックと同じ時間がかかった。相当疲れていたのだろう。しかし高山裏小屋へのくだりにかかるとまたスピードが増した。

 2時20分、小屋についた。地図には避難小屋とかいてあるが、管理人のいる立派な小屋だ。小河内の無人の避難小屋とは大違いだ。水場は5分ほど下にくだる。水量はおおく、渇水期にも涸れない。
「ここでは食事も作ってくれるの」
と聞いたのが悪かったらしい。小屋番のおじさんは機嫌が悪くなり
「南アルプスに来るのに食料も寝具ももってないとは何事だ。帰ってくれ」
と言われた。小屋の入り口には「貸しシュラフ1000円」とかいてあるのだから、怒られる筋合いはないのだが、こちらには荷物がほとんどないという引け目があるので、ついつい「すみません、これからは気をつけますから、今晩は泊めて下さい」と卑屈な態度になってしまう。
 無愛想な小屋番だったが、実はなかなかいい人だった。
「きついこと言ったから100円まけとくよ」
 高山裏小屋で泊まった人は、本日ただ一人。翌日
「中岳の小屋までどのくらいかかりますか」
とお愛想を言ったら、
「1時間半だ」
「ガイドには3時間半と書いてあるんですが」
「そんなに時間かけたら、かえってくたびれる」
 このおやじは昨年まで、中岳の小屋まで毎日集金に出かけていたという。



■第4日目 7月26日

高山裏小屋 4:40
中岳小屋 6:40
荒川小屋 7:15
大聖寺平 7:45
赤石岳 9:20
百間洞小屋 11:00

 おやじの1時間半を破るべく、張り切って出発したが、途中の水場でのんびりしたため、2時間かかってしまった。前岳への登りはカール底をいく。これほど立派なカールはなかなかない。南アルプスでも荒川のカールが一番すばらしいようだ。後ろを振り返ると小河内岳が立派に立っている。モレーンの上に出るとあとはガラガラの岩屑地帯を登るだけ。長袖を着ているのにそれでも寒い。尾根に出ると西側は大崩壊地帯、岩がガラガラ音を立てて転がり落ちている。風が強いので崩れのなかに落ちそうで、怖い。

 中岳の小屋により、悪沢岳を往復しようかと考えたが、縦走路から外れているので今回はカット。荒川小屋にくだる。まだ7時ちょっとすぎ。小屋の前には水が流れている。昨年は渇水で、水が涸れたそうだ。この小屋は食事も作ってくれる。昨日の小屋では嫌みを言われたが、無理してここまで来ればよかった。なかなかいい小屋なのだが、来年は建て直すのだそうだ。

 小屋からはんの木の林を抜けると広々とした大聖寺平にでる。昭和38年に遭難した人の碑が立っている。昭和40年の3月、秋沢君がこの上の斜面から転がり落ちた。全身擦過傷だらけだったが命は助かった。しかしここから下山するのが大変だった。食料は2日分だけ残して、後は全部捨てた。重たい秋沢の体を支えて雪の積もった小渋川を30か所ほど渡渉して小渋湯についたときには、本当に助かったという気がした。それ以降ここにきたことはなかった。滑り落ちた斜面もコースも昨日のことのように思いだすことができた。
 赤石岳は3120mもある。日本で2番目に高い北岳よりわずか70m低いだけである。登りはきつい。山頂に窪地があり、そこに避難小屋がある。小河内岳とちがってなかなかいい避難小屋だ。頂上からは広大なガレ場をよこ切って百間平に向かう。目の前に聖岳が大きく見えている。できることなら聖平まで行こうという計画だったが、赤石の登りで雷鳥と戯れていたら予定より大幅に時間が過ぎてしまった。

 百間平(ひゃっけんだいら)の下りで顔をあげたら、大沢岳へのものすごい登りが目に入った。あの急斜面を登る気はしない。本当のことをいうと、斜面を正面から見ると実際より急に見えることはわかっていたのだが、知らないフルをして百間洞小屋に足を向けた。自分で自分をだますなんて不思議な一人芝居だ。
 さらに言い訳をすると、百間洞小屋はあまりにもすばらしい小屋だった。こんなきれいな小屋が南アルプスにあるとは知らなかった。一度宿泊経験しておこうという言い訳も考えて、11時だというのに宿泊を決意する。
 こんな山中で夕食はビーフシチューだ。感動。



■第5日目 7月27日

百間洞小屋 5:00
中盛丸山 6:10
兎岳 7:15
最低鞍部 7:40
聖岳 8:40
聖平小屋 9:55
上河内岳 12:30
茶臼小屋 13:40

 私と同じように、11時ごろに百間洞小屋に着いてしまい、午後はビールを飲んで昼寝したために罪の意識にさいなまれていた水野君と知り合いになった。彼は明日、聖平から便が島に下山するという。北岳からここまできたのに光岳(てかりだけ)にいかないのは寂しいよ。と言ってもう一日延ばし光岳まで一緒にいくことにした。しかし彼は荷が重いので先に出発することになった。

 私は朝飯をしっかり食べ、弁当も作ってもらい、朝のコーヒーなんぞを飲んで、1時間後に出発した。途中で追い抜くと思っていたがいっこうに姿は見えない。彼はなかなか速い。こちらは兎岳の登りでへばってしまった。昨日聖平を目指さなくてよかった。
 聖の登りは西側が崩れていて恐ろしい。やっとたどりつくと水野君が首をながくして待っていた。40分待ったというから、朝の時差はちっとも縮まっていなかった。まだ9時前なので、彼は一日延ばして茶臼小屋にいく決心がついたという。

 私は同行者ができたので、のんびりした気分になった。聖平小屋も新築したばかりで気分がよさそうだ。上河内岳はなかなかいい山だ。たしか25年前、ここの頂上から富士山をみながらキジうちをしたおぼえがある。頂上は縦走路から少し外れているが、登るだけの価値はある。船窪地形を見ながら登るうちに雲が出てきて、頂上では視界が100m程度になった。富士山どころかとなりの山も見えない。昨日もそうだったが、午後になると雲が出てきて雷がなる。今日は昨日より早く雨がきそうだ。すこしだけ急いで茶臼小屋に向かう。
 途中で天然記念物の亀甲型土壌というのを見るが、どれが何なのか不明。周氷河遺跡の一つなのだろうか。
 ダレた体には、小屋までは遠かった。1時40分到着。親切な小屋番さんだ。小屋は静岡で高校総体が行われたときに建て直したもので、まだあたらしい。寝具も貸してくれるが、毛布はまだ値札もついたままだ。昨日は今年一番のにぎわいで7人も泊まったとのことだった。
 予想通り雷と大雨。我々より後の人はびしょぬれ。速いことは安全につながる。雨の中、今年一番のにぎわい、宿泊は30人。乾いた寝具で快適な夜。ただしおばさん軍団のおしゃべりが聞こえなければ。



■第6日目 7月28日

茶臼小屋 4:40
茶臼岳 5:00
易老岳 6:30
光岳 8:20
易老岳 10:10
面平 11:35
易老渡 12:10
JR平岡駅 14:30
岡谷経由東京 21:00

 晴天続きだった山行も、そろそろ天気下り坂になってきた。朝から霧がかかって周りは見えない。茶臼岳も霧の中。足の疲労がたまっているので登りは極端におそくなる。水野君は若いので大きな荷物でスタスタと行ってしまう。追い付くのがやっとになる。
 悔しいけど、もうスピードを競う私の時代は過ぎたことを実感する。そろそろ蝶よ花、鳥よ風よ、という山登がふさわしい年齢になっているのだ。しかしやはり山の中を風のように走り抜けたい。

 茶臼岳からは森林帯をいく。いよいよ南アルプスらしい様相になる。私はガレ場より、森林の方が好きだ。水野君は山ヒルにおびえている。
「こんな湿気の多いところでは上からヒルが降ってきて血を吸うんですよ」
そんなにたくさんいるはずはないと私はたかをくくっている。

 易老岳は尾根の途中みたいなところだ。ここが易老渡への下り口だ。荷物をおいて、と言っても私はほとんど同じ重さだが、光岳を往復することにした。縦走というスタイルからは外れるが、光岳の先は、現在のところいい道がついていないのだからしかたがない。(本当は林道あるき10時間という道はあるのだが)

 今回の縦走で、今までに登っていない山は、この光(てかり)岳だけだ。その昔は光岳は南アルプスの最南端と言われ、登山する人はめったにいなかった。しかし深田久弥の日本百名山以来、人気がでて訪れる人も多くなった。光小屋も結構繁盛している。この小屋は50才以上の人には食事を出してくれる。今年51 才になる私にはその権利がある。


 易老岳から一旦大きく下って、光岳への登りにかかる。2500m級の山にしてはなかなか手ごたえのある登りだ。登り切ったところに広い草原があり、きれいな水が湧いている。この辺りで一日のんびりしていたくなるような草原だ。この辺りに深田久弥先生は魅力を感じたのではなかろうか。
草原の左手にあるイザルガ岳の方が見晴らしはよいというが、道は視界の利かない光岳頂上につながっている。
 頂上はまったく眺望もなくつまらん。南限の這い松も、今はさらに南に下がったという。地図をみると光岳の南にもよさそうな山はいくつもある。光岳をもって南アルプスが終わりというのはどうもおかしい。光岳が憧れの山であった時代は、私の時代が終わったのと同様、過ぎ去ったのではないだろうか。

 易老岳まで引き返す途中で、茶臼小屋を一緒に出た人たちとすれ違う。「もう行ってきたんですか。速いですね」と言われるが、あまりうれしくない。易老渡に向かって転がるごとくくだる。

 易老渡まではタクシーがくる。便が島小屋のおやじが5000円でJR飯田駅まで運んでくれるというが、評判は今一つ。小屋の周辺に無断駐車をすると5トンもある大石を車の前後において出られなくする。評判は悪くなるはずだ。
 しばらく林道を歩いて、途中からタクシー相乗りでJR飯田線の平岡駅へ。飯田、駒が根、諏訪経由で、その日のうちに東京へもどった。



服装
  短いタイツ・Tシャツ・帽子(つばの大きいもの)・長袖シャツ・靴下
  <着替え>短パン・Tシャツ・靴下・眼鏡
装備
  軽登山靴・デイパック・メタ1個こ・小コッフェル・歯ブラシ・懐中電灯
  ・ライター
食料
  おにぎり・カロリーメイト4個・羊羹2本・パックのお粥2個
  山小屋で弁当を作ってもらう(熊の平、百間洞小屋)
  カップラーメン(三伏小屋、高山裏小屋)



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