れんさい・地球探検シリーズ…3

地球探検シリーズでは、世界じゅうのさまざまな土地を探検している「地平線会議」の仲間たちの行動をしょうかいしていきます。



モルディブの密林にねむる遺跡
                              岡村 隆さん

今回は、旅行ジャーナリストの岡村隆さんに登場していただき、インド洋にうかぶモルディブ共和国でなぞの遺跡を探検したときのお話をうかがいます。岡村さんは、現在40才。学生のときに半年間モルディブで暮らした経験をもち、5年前に1か月にわたる冒険航海をしてきました。

 深い青色をしていた海面に、とつぜん白い輪がいくつもうかびはじめた。いや、うかんでいるのではない。海底にちらばる白い海中さんご礁が、数10メートルの水をとおして見えているのだ。モルディブの海は、どこまでもすきとおっている。
 1983年の9月、岡村さんは船と乗組員をやとい、ガン島という島をめざして航海をつづけていた。

「モルディブは、さんご礁の小さな島が1000以上も集まってできている国なんです。大きな島でも、一方の海岸に立つと、ヤシの木立をとおして反対側の波打ちぎわが見わたせるほどで、全部の島の面積を合わせても佐渡ヶ島の1/3しかありません」。

 白いさんごの砂ばかりの土地なので、農業はまったくできず、人びとはカツオの漁をして暮らしている。

「この航海でもよくカツオをつって食料にしたものです。カツオドリが何10羽も集まって大さわぎしていると、その下にはおびただしい数のカツオがうごめき、はねています。そこへ船を乗りつけて、勇ましい一本釣りでカツオをつりあげるわけですが、うまくいくとおよそ1秒に1ぴきの割合でカツオがかります」。

 岡村さんがやとったのは小さなエンジン付きの漁船だが、甲板にはヤシの葉でふいた小屋があり、もともとは三角形の帆をあげて走る帆船だった。こういう船では、ドラム缶のかまどでマキを燃やして食事をつくるので、船が火事にならないよう、いつも気をくばらなければならない。

「モルディブの人たちがよく食べるのは、カツオの肉を入れた炊きこみごはんです。塩とトウガラシ、カレー粉で味をつけ、最後にすっぱいライムの汁をかけて手づかみで食べるんですが、これがなかなかおいしくて、やみつきになってしまいます」。


●夢中になった『コンチキ号』

 岡村さんは、宮崎県の小林市で生まれ育った。家が農家だったので、田植えや稲刈り、麦ふみなど、家の仕事をよく手伝い、とくに牛の世話にかけては、だれにも負けなかったという。霧島山のふもとの豊かな自然のなかで、木登りをしたり、川で魚をとったりして遊んでいた。

「本が大好きな少年だったんです。『宝島』や『トム・ソーヤー』などに夢中になりましたが、ヤシの代わりにシュロの木で小屋をつくってみたり、いかだを作って川をくだったりと、本で読んだ内容がすぐに実行できるめぐまれた環境でした。冒険小説の主人公になったつもりで野山をかけめぐって遊びましたね」。

 そんな岡村さんがひときわ強い印象を受けたのが、中学2年のときに読んだヘイエルダールの『コンチキ号探検記』だった。自分の学説を証明するために、古代のいかだを復元して、南米から南太平洋まで7000キロの冒険航海をした記録である。

「いきなり自分が太平洋のまんなかにいるような気がして、興奮してしまいました。山がちの土地で暮らしていたので、よけい海にあこがれる気持ちが強かったんでしょう」。


●あこがれのモルディブへ

 高校では、すっかり文学に夢中になり、図書館にかよいつめたが、高校3年になったとき、ある受験雑誌で、法政大学の探検部がモルディブという国に探検隊を送ろうと計画している、という記事を読んだ。

「おかげで、それまでねむっていた海へのあこがれに火がついてしまったようです。結局、この記事がどうしてもわすれられず、法政大学を受験して、探検部に入部しました」。

 そのころモルディブは鎖国をしていて、外国人の入国を許さなかったので、探検はなかなか実現しなかった。しかし大統領に直接手紙を書いたり、モルディブに近いスリランカまで出かけて、3か月ものあいだ毎日交渉をつづけたおかげで、ついに入国の許可がおりる。岡村さんをふくめた3人の探検隊は、さっそく首都のあるマーレ島へわたった。

「海と空の青、ヤシと熱帯樹の緑、そして砂浜と波と帆船の白。来る日も来る日も、熱帯の太陽の下でこの3つの色がひたすらまぶしく輝いていて、まるで夢のようでした」。

 3人の探検部員は、イスラム教のもとでつつしみ深く生きる人びとの暮らしぶりや、島の伝統などをたんねんに調べてまわったが、それもわずか1か月しかつづかなかった。

「初めての外国で、見知らぬ人たちとふれあい、心をかよわせ、ともに暮らす。もう、それだけでじゅうぶんじゃないかと思えてきたんです。いくら学問的に調べても、島の人たちのほんとうの心の中はわからない。そう考えたとたん、調査を放りだしてしまいました」。

 それからあとは、島の人たちのあたたかい好意にひたりきって、海で泳いだり、つりをしたり、帆船で島めぐりに出かけたりと、気ままにすごした。そしてこの暮らしがすっかり気に入ってしまった岡村さんは、他の2人が帰国したあとも1人で残って、6か月にわたってある漁師の家に世話になり、生活を共にする。

「最後には、自分たちと同じイスラム教徒になってこのままここに住みついてしまえとか、親しくなった島の娘と結婚したらどうかなどと、みんながすすめてくれました。だけど仏教徒である自分がうわべだけイスラム教徒になるのは、彼らも自分も裏切ることになる。それは絶対に許されないと思ったんです。それにまだ20才の若さで、人生を決めてしまいたくありませんでした」。

 資金が底をついたのを機会に、逃げるようにして島を離れた。


●スリランカの遺跡探し

「また島にもどれば、あの別れをもう一度体験しなければなりませんから、うかつにはモルディブに近づきたくない気持ちでした。それに調査を途中でやめてしまったことが、帰国して探検部の主将になってみると、残念でなりませんでしたね」。 土地の人と交わることをわざとさけて、探検として成果をあげることに熱中したい。そんな気持ちから、1973年と75年の2度にわたって、岡村さんはスリランカをおとずれ、紀元前2〜3世紀の仏教寺院の遺跡を探して、象やヘビ、ワニなどの野生動物の危険がいっぱいのジャングルを歩きまわった。道のないジャングルを切りひらき、苦しいキャンプ生活をつづけながら見つけだした遺跡の数は、100にのぼる。
 その後、岡村さんは出版社に就職してサラリーマンとなり、旅や探検からすっかり遠ざかってしまった。


●“太陽神殿”発見のニュース

 1982年の12月、岡村さんは新聞を読んで、わが目を疑った。ヘイエルダールが、モルディブの無人島でなぞのピラミッド型の遺跡を発見したというニュースが、大きく報道されていたからである。出土した石片などから、この遺跡は古代インドで栄えたインダス文明の影響を受けた 太陽神殿 なのだという。

「記事を読んだとたん、『それは違う!』と心の中でさけんでいました。じつはモルディブには、スリランカと同じように仏教が伝わった時期があって、50年前にベルというイギリス人がいくつか仏教遺跡を発掘しているんです。だから仏教にまったく知識のないヘイエルダールが、仏教寺院特有の仏舎利塔を“太陽神殿”とかんちがいしたのではないか、とすぐに思いました」。

 モルディブと仏教遺跡の両方を深く知っている人間は、自分しかいない。かつて自分に海へのあこがれを植えつけくれたヘイエルダールだが、まちがいは正さなければならない。 そんな思いから、1983年の9月に、モルディブへと旅だった。


●なぞの遺跡

 14年ぶりに訪れたマーレ島は高いビルが建ちならび、かつては島に五台もなかった自動車が百台以上も走りまわっていた。世話になった漁師の家をたずねてみると、長身の少女が出てきたが、なんと当時は2才の赤ん坊だった末娘だ。だれもが飛びついてきて、感激の再会をする。
 それから、遺跡があるガン島へと出発した。船乗りから“魔の海峡”とおそれられる難所も無事に越え、ガン島へ上陸したのは、出航して6日目のことだ。うっそうとしげるジャングルをかきわけて進んでいくと、とつぜん目の前がぱっと開けて、とつぜん遺跡がすがたを現した。

「23メートル四方の土台の上に14メートルの高さまでがれきが山のように積みかさなっている大きな遺跡で、最初は、なんだこれは仏舎利塔じゃないかと思ったんです」。

 ところが注意深く調べていくと、四方に階段がある。スリランカの仏舎利塔には、正面にしか階段がない。あの遺跡はインドのヒンズー教のものではないかと主張する人がいたことも思いだして、すっかり混乱した。

「これは、自分が知らないなぞの遺跡なんだと気づいて、言葉もなく立ちつくしてしまいました」。

 気をとりなおして帰るしたくをしていると、ふいにきみょうな形の石が目に入った。もしかしたら仏舎利塔の頂上に置く傘蓋かもしれないと思ってあわてて掘りだしてみたが、これもスリランカの傘蓋とはぜんぜん似ていない、ふしぎな石だった。
 満たされない思いのまま1か月におよんだ旅を終えた岡村さんは、帰国してすぐ、写真やスケッチを持って、古代南アジア史を専門に研究している大学の先生を訪れた。

「おどろいたことに、その先生は写真をみるなり、これは仏舎利塔にまちがいないと断定するんです。とくに最後に発掘したきみょうな石が、やはり傘蓋にまちがいないことがわかり、あの遺跡はやはり古代の仏教寺院であることがはっきりしました。しかしなぞが解けた感激より、子どものころにあこがれたヘイエルダールのまちがいを証明してしまったことがなんだかさびしくて、ちょっとやりきれない気持ちでしたね」。

 この遺跡探検の航海のあと、岡村さんはサラリーマンをやめて、旅について文章を書く仕事を始めるようになる。14年ぶりに再会したモルディブの人たちが、旅のすばらしさを、改めて思い出させてくれたのだ。

〈『こどもの光』1989年3月号〉



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