れんさい・地球探検シリーズ…6

地球探検シリーズでは、世界じゅうのさまざまな土地を探検している「地平線会議」の仲間たちの行動をしょうかいしていきます。



アジア各地に装身具をたずねて
                              向後 紀代美さん

地球探検シリーズの6回めは、大学の先生をしながらアジア各地のアクセサリーを研究している、向後紀代美さんに登場していただきます。紀代美さんは、学生時代にネパールへ調査に行ったのがきっかけで、先月号で紹介した向後元彦さんと出会い、結婚。そのごは2人の娘さんと一家4人で、家族ぐるみの旅をつづけています。

 カタカタと手回しミシンで服をぬっている仕立屋、炭火のふいごで指輪をつくっている銀細工師、ぎょうざやうどんに似たチベット料理を食べさせる料理店……。1975年の夏、紀代美さんはラダック地方の中心地、レーの町を歩いていた。

「ラダックはインドの西北部にあるのですが、風土や文化も、今は中国の一部になっているチベットとそっくりなんです。住民もほとんどがチベット系で、熱心な仏教徒が多く、すばらしい仏像や壁画をもつ寺院がたくさんあります」。

 レーの裏通りには、小さな店がごちゃごちゃと集まったバザール(市場)があり、首かざりや指輪、うで輪などを、道ばたに広げた布の上に並べて売っている商人が何人もいる。

「なにかおもしろいものはないかなと見ているうちに、思わず『あった!』とさけんでしまいました。青いトルコ石や赤いサンゴをつらねた首かざりのなかに、インドの町でチベット人が見せてくれたふしぎな『目玉石』があったんです」。

 目玉石とは、チベット系の人たちがおまもりとして首から下げている小さな細長い石で、黒っぽい地の上に、白く目玉のようなもようがえがかれている。

「チベットでは、大気中にわざわいをひきおこす悪霊の目があり、これに対して聖なる目で身を守るという民間信仰があるんです。道のわきにある岩や橋のらんかん、お寺のかべなどにも大きな目玉がえがかれていて、ぎょっとさせられますが、目玉石も、身につけていると病気やわざわいから守ってくれるという、聖なる目をもった石なんですね」。

 このようにアクセサリーには、その民族がいだいている宗教や自然に対する考え方、あこがれなどの意味がこめられていることも多い。

「たとえばラダックの人びとは、青いトルコ石をとても好みます。女の人たちがかぶるペラックというぼうしには、直径3センチもあるトルコ石が百個以上もびっしりとぬいつけてあるんです。ラダックは、赤茶けた岩山にぐるりと囲まれたかわいた土地ですが、トルコ石のみずみずしい青さには、乏しい水や木々の緑に対する人びとの強いあこがれの気持ちがこめてられているのでしょうね」。


●ヘディンとの出会い

 紀代美さんは神奈川県の川崎市で生まれ育ったが、幼稚園のときから小学校2年まで愛知県に疎開したあと、東京の中野区に移り住んだ。戦争直後で、東京はほとんど焼野原だったという。

「体が弱く、あまり活発なほうではなかったので、お人形遊びのような、女の子らしい遊びばかりしていたようです。そのせいか、とにかく本が好きで、せっせと図書館へかよっては、子ども向けの世界文学全集などを読みふけっていました」。

 草や花も好きで、よく押し花をつくったり、スケッチをしたりしていた。また中学からは美術クラブに入り、油絵をやっていたこともある。中学・高校と、自由なふんいきの学校だったので、毎日たのしくすごしていたが、高校に入って受験がせまると、親しい友人もたがいにライバルとなる灰色の日々がおとずれた。

「毎日がゆううつでしかたがなかったそんなある日、なにげなく図書館でヘディンの『タクラマカン砂漠横断』を手にしたんです。砂漠で道に迷い、水がなくなって、ついにラクダのおしっこまで飲んでしまう。中央アジアという土地は、そこまで命がけで旅をしたくなるほどすばらしいところなのかとひたすら感動してしまい、心の底からあこがれました」。

 そのごは、中央アジアのなかでもとくにチベットとネパールに関心をもち、本を読みあさり、新聞もせっせと切りぬいた。そして、チベットやネパールに行きたい一心で、地理学科のあるお茶水女子大に進学する。


●あこがれのネパール

 紀代美さんが初めてあこがれのネパール行きを実現させたのは、大学を卒業して東大の大学院に進んだ、1964年8月のことである。

「そんなところへ行ったら嫁のもらい手がなくなるなどと、最初のうち両親は大反対したんです。しかしわたしの熱意の前にはついになっとくしてくれ、『もう嫁入り支度金はありませんよ』といいながら、遠征費用も出してくれました」。

 このときは、4人の女性とともに半年間ネパールに滞在し、各地の伝統工芸の工場をたずねて経済状態を調べたり、村に住み込んで女性たちの暮らしぶりを調査したりした。

「電気がなく、トイレも村に1つあるだけという不便なところでしたが、みんなとても親切で、たのしくすごしました。とくに隊員が女性ばかりなので、女の人たちとは自然に打ちとけて、台所なんかにもどんどん入れてもらい、男の人にわからないような家庭生活のようすも、くわしく知ることができましたね」。

 のんびりしたネパールの人と風土がすっかり気に入り、そのまま年を越して1965年の2月に帰国した。


●ロンドンで長女を出産

 帰国してから9か月もたたないうちに、紀代美さんは結婚した。相手は、ネパールで1年半にわたって山歩きをしてきた向後元彦さん。ネパールと冒険が大好きということで、気持ちがぴったりあった。2人で話すときは、ほかの人にわからないようにネパール語を使ったりもした。

「そんなところに行くと嫁のもらい手がなくなるといわれたのに、ネパールに行ったおかげで、結婚相手が見つかったわけです」。

 結婚してから2年ほどは、大学院で研究をつづけながらも、南極大陸の最高峰を初登頂しようという計画に2人でのめりこんだが、アメリカ隊に先を越されてしまった。そのごは、元彦さんがくわだてた東京農業大学の調査隊に加わって、ネパールからパキスタン、西アジア各国を9か月歩き、そのまま1968年の1月、ロンドンへとたどりつく。

「ロンドンは、有名な探検家を数多く生みだしてきた街ですし、有名なネパール研究者が何人もいるんです。だから2人とも、日本を出る前から、最低1年間ぐらいは住んでみたいなと思っていました」。

 日本語学校で教えたり、新聞社でアルバイトをして生活費をかせぎながら、文化の香りが高いロンドン生活をたのしんだが、そのうち赤ちゃんができたことがわかった。

「地球上なら、どこに住んでも同じだと思っていましたから、子どもを産むために日本に帰国するなどとはまったく考えませんでした」。

 11月には無事長女の江美ちゃんが生まれたが、病院でシンプソン夫人が書いた『わが家はテント』という本を読んで、強く影響を受ける。

「シンプソン夫人は、女性で初めてグリーンランドを横断した人なんですが、夫といっしょに北極圏の探検に出かけるたびに、小さな赤ちゃんを連れていくんですね。都会のバスのなかより病原菌は少ないはずだし、現地の子どもたちは元気に育っているじゃないか、ということで。この本に勇気づけられて、わたしも家族ぐるみの旅を実行しようと決心し、日本に帰るときも、まだ目のあかない江美をだいてスイスの山を旅行したり、寄り道をして帰国しました」。


●家族ぐるみの旅へ

 1970年の12月、東京で生まれた美陽ちゃんを加えて、向後一家はトラック諸島やポナペ島などの、太平洋の島々をおとずれた。

「熱帯にはおそろしい病気がいっぱいあるとかいって、周囲の人たちはみんな大反対したんです。でも、いざ行ってみると、まっ青な海と白い砂浜に、チビさん2人は大喜び。さっそく島の子どもたちのなかにまじって砂遊びをしているんです。日本にいるときよりずっとのびのびとすごして、出発前の心配がほんとうにおかしく思えました」。

 子どもを連れていると、どこでも家庭のなかにすんなりと入りこめて、土地の人とすぐに親しくなれる。

「子どもの世界では、はだの色や国籍の違いなど関係ありません。2人の娘も、同じくらいの年ごろの子どもがいるとすぐに近づいていって、仲よく遊んでいました。差別やへんけんなんかまったくないんですね」。

 わずか3週間ちょっとだったが、初めての家族ぐるみの旅は、すばらしい体験だった。そして、そのごは小スンダ列島やオーストラリア、ラダック、インド、ネパールなどへ、夏や冬の休みを利用して出かけるようになる。元彦さんの仕事で行った韓国やクウェートでは、数年間にわたって生活した。

「江美はもう20才、美陽も18才ですが、どこの国の人とも分けへだてなくつきあえるし、自分から積極的に生活をたのしむという姿勢が身についてきたようです。旅が子どもたちに与えた教育的な影響は、はかりしれないほど大きいですね」。


●アクセサリーを見つめて

 目玉石を作る技術や、どんな地域に分布しているかを調べていくうちに、紀代美さんはアクセサリーを研究テーマにするようになっていく。「ただの石ころに、月給の3倍ものお金をはらう人びとのすがたを見て、アクセサリーには、その社会の文化やものの考え方が強く映しだされていることがわかってきたんです」。 日々の暮らしと結びついた研究をしていきたいとかねてから思っていたこともあり、そのごはイエメンやチベット、中国奥地などにアクセサリーをたずねて調査旅行をかさねた。そして現在では、大学で学生を教えながら、研究をつづけている。

「アクセサリーを見ていると、遠く離れた土地でも、よく似た感じのものがよくあるんです。これがべつべつに生まれた技術なのか、それともはるばる伝えられたものなのか、そんなことも研究の重要なテーマになります。2つの文明の関係が、アクセサリーの研究をとおして明らかになっていくこともあるなんて、とてもロマンチックだと思いませんか」。

〈『こどもの光』1989年6月号〉



to Home to Member
Jump to Home
Top of this Section