れんさい・地球探検シリーズ…2

地球探検シリーズでは、世界じゅうのさまざまな土地を探検している「地平線会議」の仲間たちの行動をしょうかいしていきます。



オートバイでサハラをかける
                              賀曽利隆さん

地球探検シリーズの第2回目は、冒険ライダーの賀曽利隆さんのお話です。現在41歳になる賀曽利さんは、アフリカをはじめ、世界の6大陸をオートバイやヒッチハイクでかけめぐっている人で、これまでに旅した距離を合計すると、地球を12周以上も回っていることになります。



 砂、砂、砂。どこを向いても、地平線の果てまで砂の海がつづいている。ここはアフリカのサハラ砂漠。東西5000キロ、南北1500キロにもおよぶ、世界最大の砂漠だ。サハラとは、アラビア語で荒れた土地を意味するサーラという言葉からきているといわれ、その名のとおり、草木の生えない、岩や砂だらけの大地が広がっている。賀曽利さんは去年の今ごろ、この不毛のサハラを越えようと、砂漠のかわいた熱風を切りさいてオートバイを走らせていた。

「砂漠地帯を走るときに注意しなければならないのは、油断するとすぐに道をはずれてしまうことですね。とくに、はげしい砂嵐にみまわれると、道路がすっかり砂にうもれてしまって、いつのまにか道から遠く離れたところを走っていることがよくあるんです」。

 水のない砂漠で迷ってしまうと、それはすぐに死につながっていく。

「オートバイが故障でもしたら命とりになりますから、どんなに自分がつかれていても毎日整備が欠かせません。だからしばらく旅をつづけると、オートバイが血のかよった生き物のようにかんじられて、自分の体の一部のように思えてきます」。

 爆音をひびかせて無人の砂漠を1日じゅう走りとおし、夕方になってエンジンを止めたとたん、すべての音が消え去り、サハラはしーんと静まりかえる。あまりの静けさに、押しつぶされそうになるという。

「ぬかるみや砂の深いところでは、オートバイはかんたんに転んでしまうし、木や岩にぶつかったりして大変な事故にあう危険はいつもあります。だけど、自分のもっている力をすべて注ぎこんで、そういう危険をのりこえていくことに、ものすごく大きな充実感があるんです。地平線をめがけてアクセル全開でつっぱしっていく快感を1度あじわってしまったら、もうオートバイなしの旅は考えられませんね」。


●オートバイとの出会い

 賀曽利さんは、東京の練馬区で少年時代をすごした。

「当時はまだ雑木林がずいぶん残っていて、ターザンごっこをしたり、池でいかだ遊びをしたり、毎日夕方おそくまで遊びまくっていたものです。とにかく元気な子どもで、いつも日に焼けて真っ黒けでした」。

 スポーツが大好きで、小学校時代は野球、中学ではサッカーに熱中した。サッカーでは、東京都大会の決勝までいったこともある。そのいっぽうで、中央アジアのシルクロードに強いあこがれをもっていた。

「小学校3年生の国語の教科書に、ヘディンの『タクラマカン砂漠横断』がのっていたんです。広大な砂漠で道に迷い、水をもとめてさまようヘディンにすっかり感動して、図書館にある探検記をかたっぱしから読みました。大きくなったら探検家になりたいと夢みていたんです」。

 賀曽利さんがもう一つあこがれていたのが、おじさんの家にあったオートバイだった。

「小学校4年生のときに荷台に乗せてもらって、初めてオートバイで走りました。見なれた東京の町並みが飛ぶようにすぎていくスピード感に、天地がひっくりかえるような驚きをかんじましたね」。

 さっそく運転をおぼえて、自分でオートバイを乗りまわすようになる。荒川の土手を一人で走っていて、無免許運転で警官につかまったのは、小学校5年生のときだ。

「それ以来、正式に免許がとれる16歳になるのが、待ちどおしくてなりませんでした。だから、16歳の誕生日になったとたん、学校を休んで免許をとりにいき、すぐにおこづかいで中古のオートバイを手にいれたんです。うれしくてうれしくて、天にも昇る気持ちでした」。


●「アフリカはもっと広いぞ」

 受験がちかづいた高校3年生の夏休み、賀曽利さんは友だちと4人で千葉県の外房海岸へキャンプにでかけた。列車が千葉市街をぬけると、広々とした水田地帯が見えてきた。

「とつぜん、友だちの1人、前野君が『広いなあ!』とさけんだんです。ずっと机にかじりついた毎日をすごしていたので、4人ともひさしぶりにのびのびした気持ちになったんですね。口々に『広いっていいなあ』などといいあっているうちに、また前野君が『アフリカはもっと広いぞ』といきなりいいだしたんです」。

 アフリカ−−その言葉を聞いたとたん、賀曽利さんは胸がぎゅっとしめつけられるような気がしたという。太陽の照りつける砂漠、どこまでもつづく大草原、昼でも暗い密林……映画や写真などで見たアフリカの風景がつぎつぎと頭に浮かんできて、どうしてもアフリカに行ってみたくなってしまった。その気持ちは、ほかの3人も同じだったらしい。

「それで、2学期が始まってすぐ、喫茶店に集まって具体的に計画をねったんです。4人ともオートバイが好きでしたから、アフリカを南から北へオートバイで縦断する、という計画がたちまちできあがりました」。

 受験をひかえた灰色の日々がとつぜんバラ色に変わり、毎日アフリカのことばかり考えてすごしていた。


●初めての旅立ち

 成績は良かったのに、受験には失敗してしまった。しかし浪人するのはやめて、賀曽利さんはアフリカ行きの実現のために全力をかたむけることにした。毎朝3時に起きて牛乳配達のアルバイトをし、さらに昼間は印刷会社で仕事をするという苦しい生活を2年間つづけた。そして、ついに1968年の4月、前野君とともに横浜から船に乗って、アフリカのモザンビークへと旅立つ。

「2人でアフリカの大地を実際に走りはじめたときは、まるで夢をみているような気がしました。でも自然のきびしいところをオートバイで走るのは大変なことで、毎日が死にものぐるいだったんです」。

 どろどろのぬかるみや深い砂になやまされ、強い日差しや大雨、砂嵐をくぐりぬけながら、若さにまかせてひたすら走った。マラリヤにやられて高熱をだしたこともある。お金があまりなく、ガソリン代や食費は1日100円以内におさえるようにしたため、いつもおなかがぺこぺこだったという。そんな2人をささえてくれたのが、行く先々で出会う、アフリカの人たちだった。

「どこへ行っても、日本人がオートバイでやってきたことがめずらしくて、大歓迎してくれるんです。村じゅうの人が集まってきて、どこからきたのかとか、家族は何人いるのかとか、いろいろ質問してくる。それにカタコトの現地語でこたえているうちに、まあ食事をしていけ、泊まっていけということになるわけです。自分たちの食べる分をけずってでも見知らぬ旅人を暖かくもてなしてくれた貧しいアフリカの人たちのことを考えると、今でもほんとうに胸が痛くなってしまいます」。

 食事や宿泊だけでなく、泥にはまりこんだオートバイを引っぱりだすのを手伝ってくれたり、橋が流された川をオートバイをかついでわたってくれたこともあるという。


●サハラから世界へ

 広いアフリカ大陸のあちこちで感動的な出会いと別れをくりかえしながら、賀曽利さんは20ヵ月にわたる旅を終えて無事帰国した。

「だけど心のなかには、ぽっかり穴があいていました。この最初の旅では、オートバイがもうガタガタになってしまい、サハラを越えることがどうしてもできなかったから」。

 そこで、準備に1年半をついやして、今度はサハラ縦断を第一の目的にして、2度目の旅にでかけた。たった1人で西アジアをぬけ、アラビア半島を横断してアフリカにわたり、そしてついに、100キロ以上にもわたってガソリンと水が補給できないきびしい区間を走りぬけて、日本人として初めてオートバイでサハラを越えることに成功する。

「誰もが『ほんとうにこのオートバイで砂漠を越えてきたのか!』と、目をまるくして驚いたようです」。

 その後の賀曽利さんは、オートバイやヒッチハイクで世界じゅうをかけめぐった。ヨーロッパ周遊、カナダ横断、アメリカ49州走破、オーストラリア一周、奥さんと赤ん坊といっしょのサハラ越え、オートバイによるキリマンジャロ登山、パリ→ダカール1万キロラリー出場、南米大陸一周など。
 日本国内でも、小さな50ccのオートバイで日本一周をしたり、700以上の峠道を越えたりしているので、これまでの足どりを全部合計すると、48万6500キロ、地球を12周以上したことになる。
 さらに賀曽利さんがすごいのは、その土地をただ走りぬけるだけでなく、人びとの暮らし方をしっかりと見てきている点だ。現在はある研究所に所属して、アフリカで出会った雑穀・粉食文化や焼畑農業の調査や研究にもはげみ、食物民族学の研究者としても知られている。


●なぜサハラへ行くのか

 ヒッチハイクをふくめて13回もサハラを越えている賀曽利さんは、サハラの魅力について、こう語る。

「サハラでは、自然も人間も極限状態にあります。すべてがきちっとしていて、あいまいさはいっさい許されない世界です。だから、そこを旅することも中途半端な気持ちではできず、ものすごい緊張感が必要なんです。サハラに行くと、自分の感受性がぎりぎりまでみがかれて、するどくなっていくのをかんじますが、このとき、ほかの土地では得ることのできない、大きな充実感がわきあがってくる。それが、サハラに何度もでかけていく理由ですね」。

〈『こどもの光』1989年2月号〉



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