99年8月の地平線報告会レポート


●地平線通信238より

報告会レポート・238
旅の写真術!!
伊藤幸司・松本栄一・賀曽利隆
・河田真智子・桃井和馬
1999.8.27(金) アジア会館

●「わざわざ地方からいらっしゃることになっても、ぜったいに後悔しないはず」という丸山純さんの書き込みを地平線HARAPPAで読み、「これは私に向けて言っているのではないか」と直感的に思いこんで、今年の1月以来2度目のアジア会館に出かけました。

●『旅の写真術』というテーマは、司会の丸山さんがじつに15年前ぐらいから考えていたものとのこと。しかも今回の5人の報告者のうち桃井和馬さん以外の4人は始めからメンバーとして考えていたというから、丸山さんの熱の入れようもわかります。写真との出会い、カメラとカメラバッグの紹介などを手始めに、5人の旅人から旅と写真の魅力をぞんぶんに語ってもらった至福の3時間でした。

●『カメラマン手帳』や数多くの写真集を編集してきた伊藤幸司さんは、写真のことになると朝まで話が止まらないほどの写真好き(丸山さんも初対面でその洗礼をうけたそうです)。高校生のときにコンテストで入選したのがきっかけで本格的に写真を撮り始めた伊藤さんは、その後カメラマンになることを"挫折"(本人談)して編集者になりました。その後も写真はずっと撮り続けていて、今はオフピーク(ピークをあえて外した)の写真を撮っていると言います。写真を撮ることについて、「好きなものだけを撮る」「失敗作もそうでない作品も10秒見つめて考えること」と話していたのが印象に残りました。

●「ぐるーぷ・あいらんだあ」を主宰する河田真智子さんは、もう20年以上も島旅を続けています。ずっとカメラマンになりたいという夢を抱いていた河田さんは、1992年に「カメラマンになりたい宣言」をします。その後、島旅の写真とともに、娘の夏帆ちゃんの成長を撮り続けています。ご存じのように夏帆ちゃんは重い障害を持って生まれました。夏帆ちゃんが仮死状態で生まれたときに分娩台から起きあがって撮った写真、突発的におきる夏帆ちゃんの発作を撮った連続写真は、冷静な視線と深い愛情が共存する写真で、母親でありカメラマンでもある河田さんだからこそ撮れた写真だと思いました。

●チベット・インド文化圏の写真集を数多く出版されている松本栄一さんは、じつは本格的に写真を習ったことはないそうです。「伊藤さんのように挫折しきれなかったので、いまだに写真を撮り続けているのです」と淡々と話されました。若い頃は広角レンズを使い全景を撮っていたが、最近は望遠で対象の一部をアップにして撮ることが多いと言います。年齢や経験を重ねることで写真の撮り方がどのように変わってきたのでしょうか。最新の写真集『死を待つ家』は娘さんと一緒に行ったインドで撮った作品で、到着早々カメラ機材をすべて盗まれてしまい、娘さんの「EOS kiss」で撮影をしたという裏話を披露してくれました。松本さんもそうですが、ニコン派の桃井さん以外はキャノンのEOS1(EOS3)をメインカメラ、EOS kissをサブに使うことが多いそうです(賀曽利さんはEOS kissのみ)。皆さん、EOS kissをべた褒めでした。

●月曜日にチベットから帰ってきたばかりの強運ライダー、賀曽利隆さん。チベットでは、路面の窪みに気がつかず20mもの空中浮揚を経験したそうです。顔面から地面に落ちたもののヘルメットのバイザーがクッションになり、九死に一生を得たとか。意識を取り戻して最初にしたことが、なんと写真を撮ること(愛機EOS kissは無事だった)。落下地点から撮った手前にバイクを入れて飛距離がわかる写真(スライド)や、跳躍地点を前景に入れた賀曽利スマイルの写真は、大家・松本栄一さんでも絶対に撮れない迫力があり、会場は笑いの渦に包まれました。写真でのライバル・三輪主彦さんに勝つために、彼よりも必ず多く写真を撮ってきた(フィルムを使ってきた)、興味のあるものはすべて撮る(しかも撮ったコマはすべて覚えている)という話を聞いて、その話の奥に写真を撮る真理のようなものがあるように思いました。

●某ビールのCMでも知られるフォトジャーナリストの桃井和馬さんは、はじめから報道写真を撮ることをめざしたそうです。20歳の頃に伊藤さんと出会い、賀曽利さんに写真を褒められたことが本格的に写真をやるきっかけになったといい、それが間違いのもとだったと笑います。「写真はそれを撮った人のすべてを写しだすもの」という桃井さんは、これからも"正しいジャーナリスト"の視点から世界の紛争地や辺境の姿を写し続けてくれることでしょう。桃井さんがソマリアで撮った少女の写真は、撮る者と撮られる者の心が瞬間的につながった奇跡的な一枚で、今回の報告会で最も印象に残った写真でした。

●会場が狭かったこともあって椅子席はすぐに埋まり、遅れてきた人は後ろに立ったり床に座り込むほどの盛況ぶりでした。初めて報告会に来た人もずっと聞きにきている人も、みんな5人の話に聞き入っていました。私の近くにいた若い人は、回覧されてきた本や写真集を食い入るように見つめていました。また会場では、中西純一さんと新井由巳さんがビデオと写真の撮影をしてくれました。

●5人のお話を聴いて、写真は単なる記録ではなく、撮る者の心、撮られる者との関係を写しだす表現手段だということをあらためて認識しました。これまで漫然と写真を撮っていた自分を振り返り、これからはもう少し丁寧に写真を撮りたいという気持ちになりました。いま使っているカメラはkiss以前の普及機・EOS1000ですが、なんと報告会の翌々日に落として壊してしまいました。これはEOS kissを買えという啓示でしょうか。[飯野昭司]


報告者と司会者から一言

■賀曽利隆(バイクジャーナリスト)
 いやぁ、ほんと、20周年にふさわしい、すごくいい報告会だったね。やっぱり五者五様というか、前に並んだ5人の生きざままでが、くっきりと出ていたでしょ。このなかで誰一人欠けても地平線会議らしくなかったんじゃないかと思わせたほど、個性的な5つのタイプがそろって、面白かった。伊藤さんの緻密な方法論、松本さんの深い味わいのある言葉、河田さんの写真にかける情熱、どの話もとても印象的だったし、桃井君が初めて会った頃のまんまのきらきらした目をしていたのが、とにかく嬉しかったよ。出させてもらって、ほんとよかった。会場に来ていた若い人たちも異様なほど盛り上がってくれて、写真のもつ力というものを、まざまざと感じさせられたね。(談)

■桃井和馬(カメラマン)
 ひさしぶりに心が動く写真を見させていただきました。河田真智子さんが娘さんを出産した時、分娩台の上から河田さん自身が撮影したモノクロの写真です。この一枚だけでも報告会に出たかいがあったというもの。男には撮れない写真。当事者でなくては撮れない写真。不安や期待や希望が、すべて凝縮された形で、あの一枚には封印されていました。

■伊藤幸司(編集者)
 司会の丸山さんが開口一番「これは15年前の企画なんです」という宣言。15年以上ごぶさたの私にはいたく挑戦的に聞こえて、すっかり昔の気分に引き戻されました。「話をさせると朝まで」という調子がかなり蘇えってしまって、その後、上高地に向かう夜行バスのなかでも興奮が残って、あまり眠れませんでした。ありがとうございました。

■河田真知子(ぐるーぷ・あいらんだー代表)
 楽しかった! ですね。写真の話。プロになかなか聞けないことを、どの方も快く何でも話してくれて、とっても勉強になりました。でもでも、もっといろいろ聞きたかった…フィルムは何を使っているのか、厳しい自然の中での撮影でカメラをどう扱っているのか、重いカメラを運ぶには?
 会場の方たちも、きっと聞きたいことがいっぱいあったはず。丸山さんがパキスタンの旅から帰ったら二次会の続きをやりましょう! わが家の1階の夏帆のスペースは引き戸を開けて部屋をつなげるとパーティ会場にピッタリ。続きをやりたい。地平線のみなさん遊びに来てネ。(詳細は後日ご案内)

■丸山純(司会)
 予定していた内容の半分も語っていただけなかったのに、それでも、写真にかける5人の熱き思いがびゅんびゅん会場を飛び交って、ただひたすら圧倒されてしまいました。写真が下手なのは、技術や感性なんかの問題じゃなく、やっぱり写真にかける意気込みの違いなんですね。あれから1週間以上たったいまでも、それぞれの報告者の言葉が頭に響き、見せてもらった写真が鮮やかによみがえります。9月6日からまたパキスタンに出かけますが、とても大きなプレゼントをもらった思いです。5人の報告者のみなさん、そして会場の使用を特別に1時間延長してくださったアジア会館のみなさん、ほんとうにありがとうございました。


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