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関野吉晴 |
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◆「忙しいことをステータスにする人は嫌いです。なぜなら、忙しいことは、その能力以上のことをしているから。」と話す関野さんの顔には、そんな大それたことをしていると言う気負いは感じられなかった。旅も日常の内とでも言うように通り過ぎてきた景色やふれあってきた人々のことを淡々と話していく様子には、いろいろすごいものを見てきてしまった人にありがちのたいていのことには驚かない何か超越した風格が感じられた。
◆関野さんは、忙しさをどう捕らえているのだろう。時間という概念がたぶんこのような旅をしていく中で変わってくるのだろうか。なにも車や飛行機で能率よくいけばいいのに、何で人力なの。何でパタゴニアからアフリカへ?逆にたどる意味はなに?ひとつひとつ疑問が浮かんでは話を聞いて解ったような気がして消える。
◆何故か、とくに町中でなくめったにお目にかかれない少数民族の中にあえて入って交流し、時に友情を深めていく旅。わかるようなわかんないような。関野さんのサインの入った写真集を友達に見せた。「こういう所には住みたくないですねえ。」と一言。極寒の中に住んでいるシベリアの人々そこまでしてなぜその土地にすんでいるのだろうか。だいたいどうやって冬を越すの?そう思っていたら、いろいろ仕掛けがあってなかなか面白い。
◆たいへんな適応能力だなあと感心する。そして、熱帯雨林も、たいへんな所みたいだけど、けっこう自然の恵みが豊富なのに驚かされた。では、そこに住む人たちの世界観はというと、シベリアの人々も大変なところにすんでいるけれど、通常の世界観を持ち、熱帯雨林の川に住む人々は独特の世界観を持つと言う話はおもしろいが、比較するには少し無理があるように思えた。最終狩猟民いわれる彼らは本当は幸せなのだろうか。それとも、いつも忙しい我々が不幸なのか。わからなくなってきた。日の出とともに働き、日没と共に休むというゆったりした時間を取り戻したいとか、ゆったりした時間と少しずつの歩みは、たぶん人類の進化とともに我々が捨ててきた物かなと考えながら聞いていた。
関野さんは、人類が400万年かかった旅を、ここ20世紀の終わりから、21世紀にかけてわずか数年でやるという。無謀だなと思ってしまうが。フジテレビもついてるしなんとかなるのだろうと他人事に傍観してしまいそうになる。だけど、やっぱり、いいなあそんなことしてみたいと思ったりもする。
◆関野さんの話は、やはり、環境問題を抜きにはできない。旅をすればするほど、人々はエコロジストになるのだろうか。自然とどう調和し共存するか、または、折り合いを付けるか。何かもともと自然の中で生きていく人々から学ばねばならないことがたくさんある。そんなことを教えてくれたグレートジャーニーだったような気がする。[松本 敦子]
●地平線HARAPPAのログより
01555/01555 飯野 RE^3:今月の地平線報告会
( 1) 99/01/31 10:20 01552へのコメント
●29日の報告会ではお世話になりました>丸山さん、新井さん(『アサヒグラフ』ありがとうございました)、武田さん、尾田さん(お話できませんでしたが……)。アジア会館へは、六本木で『まひるのほし』を観たあと歩いて行きましたが、思ったより近くて5時半過ぎに着きました。会場にはまだ誰もいなくて、ロビーで長野画伯が来月の報告者の方にインタビューをしていました。開会時間が近づくにつれてしだいに人が増え、6時半頃には椅子は満席になりました(最終的には120人を超えたということです)。
●関野さんのお話を聴くのは初めてなので少し緊張していたのですが^_^;、穏やかで淡々とした語り口にひきこまれました。スライドを観て、『グレートジャーニー』が私の想像を遙かに超えた困難な旅であることをあらためて認識しました。関野さんはその大変さを強調するわけでなく、どちらかというとさらりと話すので、逆にその困難さが伝わってくるに感じました。また、旅と東京での生活の落差について関野さんは、「旅をしている時は東京での生活が夢のようで、東京にいる時はむこうの生活が夢のようだ」と話されたのが印象に残りました。
(報告会終了後、関野さんから写真集にサインをもらう)
●二次会では、関野さんの隣にすわることができて少し話をしました。また、山形県出身の難波さん・高世さんともお会いできて地平線山形県人会^_^;として盛り上がりました。本当に楽しく過ごさせていただきました。東京はずっと晴天でしたが、昨夜帰宅した時はちょっと吹雪いていました。ほんのちょっと国内を移動しただけなのに天気も風景もあまりに違いすぎるので、前の夜のことはまるで“夢のよう”に思えました。とはいえ、地球の裏側へ行くわけではないので、これからも機会があれば報告会へ行きたいと思います。
(地平線山形三人衆:難波さん、飯野さん、高世さん)
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