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河野兵市 |
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◆20世紀末の日本から、また一つ最大の地球行が成し遂げられた。河野兵市さん、日本人初の単独徒歩北極点到達、その大きな冒険は河野さんを支えた多くの人の表情がうかがえるような、深く親しみを持たせてくれる、そんな河野節で語られた。
◆「焦げつく青春」をキャッチフレーズに、地球をあまねく体験するという河野さんの旅は情熱がいつもたぎっている。「いったいどげな世界があるんやろかな」という好奇心が旅への情熱を燃やしている。1990年のサハラ砂漠リヤカー徒歩縦断行のさなか、「次は寒い所へ行きたい」…目標は北極。
◆砂漠の真ん中で夢見た「北極点から日本まで歩いて帰る」−−河野さんの旅は、広い深い河みたいなイメージを持って流れている。
◆「自分のお金だったら出発して1、2週間でやめてしまうだろう。」ふるさと・愛媛でぶつけた北極行への情熱はたくさんの人の夢と共有されて、地元草の根支援カンパが広がっていった。
◆やる気も根性もすべて凍らす乱氷、リード、ブリザード。様々な局面で神という存在を意識した。力の限りの集中力をもって祈る。信仰は持たずとも、ニ大宗教の神様から七福神も拝んで、そして大自然に祈った。いくらもがいても大自然にはかなわない。
◆到達までの1週間、最悪の条件の下、流氷のエスカレーターを逆走するような北極点への道のりは、河野さんをギブアップ寸前まで追い詰める。そういう極限の状況で子供たちからの純粋な応援メッセージは本当に大きな意味を持った。「最後まであきらめないで頑張ってください。」
◆「素直に応援し、夢を託す純粋さに打ち勝つことができなかった。みんなが自分に夢を託してくれている以上、自分からやめてはいけない。」この部分はいつも飛ばすんだといって、胸いっぱいの思いを語ってくれた。河野さんを地球のてっぺんまで押し上げたのは、そういう本当に大きな力だった。ネバー・ギブアップが応援してくれる人たちへの、そして大自然への感謝のかたちだった。そして、北極とことんネバー・ギブアップの神様は北緯89度59分955の北極点に青空をひらいて河野さんを迎えてくれた。
◆汚れの一点もないところを汚してはならない、汚す気になどなれない、北極は何もないことに価値があるということ−−河野さんは極限のさなかで体験したことや思ったことを熱い情熱をもって冷静に正確に、それにユーモアも一杯こめて伝えてくれた。それをしっかり受けとめるということはすく大切で必要なことなんだと思う。遠くに目標をおいて近くを見ながら歩く。夢へと踏み出す一歩が冒険なんだ。この言葉が頭に大きく響いた。
◆河野さんは「北極からふるさとに歩いて帰る計画」を次の目標にじっくりと捉え、夢へと踏み出すきっかけの手助けをして近くの日本各地を歩いている。「はやく後続が出てきてくれれば助かるんだが」と笑う河野さん。でも、まだまだ北極行を伝える旅は続きそうだ。[横田明子]
※このページの写真撮影・提供:本庄健男さん
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