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大西暢夫(30) |
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◆地元岐阜県出身でカメラマンの大西さん、オフロードバイクにまたがり誰もいないはずの徳山村に行ってみたら、そこには村に舞い戻ってどっこい生活しているおじいおばあがいたそうな。見るからに人なつこそうな大西さん、すっかりおじいおばあと仲良しになって、写真撮ることは二の次になっちゃって、徳山村にせっせと通っては山の暮らしに夢中になったそうな。
◆スライドをまじえながらおじいおばあの話をする大西さんは本当に楽しそう。まるで恋人の話でもするようだ。一緒に山仕事をする話、山のごちそうをたらふく喰う話、生活の知恵に関心する話。
◆楽しそうで、うらやましくて、会場で聞いている私たちからも思わず笑いがこぼれる。それにしても、なんて元気な人たちだろう! 80歳を超えている人とは思えない。五合飯にたくさんの山菜のおかず、またあるときはものすごく大きいぼた餅を大西さんと競い合ってペロリとたいらげ、けわしい沢をがんがん登るばあさん。橋がない川に自分で索道を作って、ぴゃーっと川を渡ってさっそうと家に帰るじじばば夫婦。いやいやすごい。これは人間国宝級の集団ではないでしょーか。
◆だけど同時にむなしい現実も映し出される。廃校になった校舎。ひと気のない道。ここはやがてダムのそこに沈むのだ。じじばばのパラダイスが沈んでしまうのだ。
◆学校も親も教えてくれないようなこと、大西さんにとって今まで考えてもみなかったようなこと。おじいおばあのふとした言葉やしぐさが大西さんを感動させ、何回も徳山村に通わせるのかもしれない。
◆道を歩いていたらおばあが突然おじぎした。なんだろうと思って聞いたら、「ここには前に神様の祠があった。今はダムのため別の所に移されてしまって、ここに祠はないんだが、わたしには今でもここに神様がいるような気がする。だから意識せずとも自然と頭がさがってしまうんだよ」
◆山を下りて新しい土地に暮らすようになったおばあの言葉。「山の暮らしだったらいくら歩いてもぜんぜん苦じゃなかった。だって山には一服出来るところがそこら中にあるから。でも都会はそういうところがない。休んでいると若い人が心配する。だからこっちも一生懸命歩かにゃならん。本当に都会は不便じゃ」
◆一緒に山に木の実を取りに行った時のこと。今までダムの話題なんかぜんぜんしなかったおばあがふと漏らした。「動物の分は残してあげることだよ。ここはまだ動物が来ていないようだから、残してあげなきゃね。人間は欲張ったらいかんよ。昔は水がないときも神様がちゃんとなんとかしてくれていた。だのに人間はダムを造って水を管理するという。神様のやることに人間が手を出してしまった。」
◆ここに暮らすおじいおばあは、ダムに反対で居座っているとか、そういうんじゃない。ここで暮らしたいからここにいるんだ。だって、ここはおじいおばあの居場所なんだもの。自分の生きた証を残すんだって、村が沈んだあとのぎりぎり水が来ないところに、桜の苗木を植えるじじばば夫婦。あるがままを受け入れる強さにじんとくる。
◆大西さんは言った。ダムが必要か必要でないか、データ的なことは専門家にまかせるしかない。でも自分はこの山の暮らしが好きなんだ、このじじばばが好きなんだ、と。大西さんの書いた本のタイトルは、「僕の村の宝物」。徳山村でおじいおばあと過ごしたいろんな出来事は、きっと大西さんにとって、お金じゃ買えないかけがえのない宝物なのだろう。そして、それはきっと、おじいおばあにとっても。[サイゴン]
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