97年6月の地平線報告会レポート




6月の報告会から
『ナージャの村』
――輝かしい「生」へのまなざし
本橋成一
1997.06.27(金)/アジア会館

■チェルノブイリの原発事故から11年。今だに放射能汚染地区は隔離された死の村だ。もしここに入る許可が得られたら、そこに頑として住み続ける住民(サマシャールと呼ばれる)に、多分誰もがこう尋ねるだろう。何故、ここに住み続けるんですか?怖くないんですか?知らないんですか?ここは危険な死の土地なんですよ---。すでに何年かこの地で写真を撮り終えていた本橋さんも、ご多分にもれずこの種の質問をしたところ、畑を耕していた老人はこれに即座には答えず、黙々とじゃがいもを植え続けたという。仕事を終え、家に招き入れてくれた老人は、壊れかけたアコーディオンを聴かせてくれ、ポツリとこう言ったそうだ。「人間が汚してしまった大地なんだよ、ここから逃げ出してどうしようというんだ。」

■ビデオを見せてもらいながら、しきりにいくつもの映像が甦ってきた。三里塚の四角く切り取られた先祖代々の畑地に、最後まで踏ん張って草取りをする『草取り草紙』のおばあさん。犠牲者たちの祈りと焦りと家族愛に満ちた日々を追った土本典昭の水俣シリーズ。あるいは、こんなにも豊かなふるさとを何故去らなければならないのか、その生活や文化の視点からダム問題を鋭く問い返した『奥三面』等々---。それぞれに永々と受け継がれてきたその土地の暮らし、自然に根ざした暮らしというものがある。他の土地では生きていけない、寂しすぎるのだ。不屈の農民魂といおうか。法律だの権利だのの問題ではない。ただ豚やにわとりと一緒に暮したいだけだ。そこには自らの生を選び取った自由がある。ある意味でここはユートピアなのかもしれない。汚染されているとはいえ、作物の味は別段変わりがなく、モスクワなどに比べたら断然豊かだそうだ。おまけに税金もない。

■本橋さんはたぶん、「丸ごと撮りたい」という衝動にかられたに違いない。壊れかけたアコーディオンの心に染みわたる音も、唯一の友人である山羊を愛撫するおばあさんの手つきも、豊かな緑の大地に吹きわたる風も、すべてをとらえたいと思ってしまったのだろう。そして、個性豊かな6家族の面々の肖像が映像という新しい形になった。彼らの生き方から、私たちがいったいどういう時代に生きているのか、ずしりと見えてくるものがあるに違いない。強力なスタッフを得て、日本が世界に誇ってよいドキュメンタリーの輝かしい足跡に、新たな一頁が加えられることになるだろう。モンドリアン風ロゴがホームから見えるBOX東中野にて、この秋に公開予定。絶対見逃せない一本だ。[金田裕子(「杉並記録映画をみる会」スタッフ)]




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