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羊と米の交際術/花田麿公さん
1997.02.28/アジア会館
日本とモンゴルが国交を正常化したのが1972年のことで、今年25周年。今回の報告者、花田麿公(まろひと)さんはそれより以前の1965年から外務省の対モンゴル外交官トップバッターとして、様々な面からモンゴルという国や人と付き合ってきている。
花田さんに言わせれば外交の初めはそれこそ「冒険」。あまり情報の無い国に乗り込んで、一から外交を始めようというのだから、外交官といえど冒険のエピソードは豊富だ。馬乳酒が原因でアメーバ赤痢に感染、現地の医者も初めは信用できず二週間も苦しんだ揚げ句、結局現地の女医に診てもらい事無きを得たとか。冒険外交は最初から苦難の連続である。
国交回復の話が一気に盛り上がったのは最初のモンゴル訪問のとき、花田さんが日本に持ち帰った日本人墓地の石がきっかけだった。ウランバートル郊外にある日本人抑留者の墓前で、いつか必ず家族を連れてきますと心に誓ったという。そして石を分けてもらった遺族の方たちからぜひ墓参団をという気運が高まり、厚生省も墓参団派遣を決定。戦中戦後の日本人抑留者問題や日本政府の賠償問題などについてモンゴル政府と活発に議論を行い、ついに1972年、大草原の国との外交関係を樹立。花田さんはまさに日本とモンゴルの国交幕開け役だったといえる。
通算6年半にも及ぶウランバートルでの生活で常に花田さんを楽しませてくれたのは、変化がはげしくてそして美しいモンゴルの四季。その四季が乗り移ったようなモンゴルの人々のおおらかな性格とユーモアに、いつも感嘆させられているという。
外交官といえば何か堅いイメージがするが、終始にこやかにマイペースで語っている花田さんを見ていると、堅さのかけらも感じさせない。それもモンゴルという国の風土の影響なのだろうか。
「外交と言ってもしょせんは人と人との付き合い。手探りで、自分の手で、自分の足で」というのが持論だそうで、簡単に海外へ行ける時代にあってのこの一言は、優しい口調の中でもぴんと張り詰めて、この上ない教訓を与えられたような気がしてならなかった。[松井直彦]
●NIFTY-Serve「地平線HARAPPA」に書き込まれた感想
●●昨日の地平線報告会は、花田麿公さんによるモンゴルのお話でした。ちょうど出ようとしたところで電話が入り、いろいろと連絡をしていたりして7時半ごろになってしまいましたが、無理して行ってよかった。ひさしぶりにスライドやビデオなしの、話だけの報告でしたが、ひじょうに印象的な会だったと思います。
●参加者も60人ぐらいと、けっこう多くて、先月の賀曽利効果のおかげで、地平線全体に元気が出てきているのかもしれません。
●●途中からだったので、花田さんがモンゴルに関わりをもつようになったきっかけなど、最初の肝心なところを聞き逃してしまいましたが、大学でも教えていらっしゃるとかで、よどみなく話が流れていきます。スライドがない不満などぜんぜん感じられず、かえってイメージが広がりました。
●モンゴルの現代史に関わり続けてきた直接的な体験もおもしろかったけど、やっぱり日常のなかの小さなエピソードが、光っていました。ひと晩に何度も急激な気圧の変化があるのでだれもが一睡もできない夜があるとか、静電気がひどくて毛布を持ち上げると稲光がばしばし飛ぶとか、あの風土ならではの興味深い話がいくらでも出てくるんですね。
●ユーモア感覚にあふれ、客に対してサービス精神がおうせいなモンゴル人気質についても、言葉が自在に操れる人ならではの裏付けがあって、なるほどとうなずかされました。私なんかがパキスタンで感じていることを、花田さんは的確に言葉として表現してくれます。
●●最後の質問コーナーなどでは、モンゴル人の参加者も交えて、モンゴルにとっては日本が“第一の敵”だった時期があることが話題になりました。江本さんが「草原の国ということでブームになりかけているけど、このことを忘れてはならない」と警鐘を発していましたが、ノモンハン事件が重くのしかかっているようです。
●これについては、前半ですでに話題になっていたらしく、モンゴルとの国交樹立の際などにも表面化したし、いまだに日本に対する抵抗感が残っているとのこと。学校でもそう教えていたようです。江本さんをとおしてモンゴルにすごく親しみを感じていたし、モンゴル文字の復活に日本が協力しているなどというニュースでけっこう親日的な国だと思っていただけに、びっくりしました。
●パキスタンに行っていると、こういう日本の過去が出てくることがないので、私なんぞはずいぶん楽をしているんだと、つくづくと思いました。
●●妻の義理の伯父が外交官だったので、なんとなくそういうイメージをもっていたのに、花田さんはぜんぜん雰囲気のちがう、むしろ地平線的な人でした(^^;。なによりも、「現場」と「人」に興味がある、という感じです。
●それにもしても、この報告会、ビデオに残せなかったのは残念ですねぇ。じつは録音だけでもと思ってテレコを用意していたのですが、出遅れてしまったため、そして『DAS』も重かったので、出がけに置いてきちゃいました。くそっ、あの電話さえてかったら……。
●●最後に、報告会の模様の写真をホームページで使う許可をお願いしたところ、快くOKしてくださいましたし、花田さんご自身もニフティとインターネットのメールアドレスをお持ちで、モンゴルのホームページ(皆既日食の情報などもあるとか)を覗いているそうです。
●霞ヶ関にこういうユニークな方が増えてくれば、日本もずいぶん変わってきますよね。でも、まだまだそういう人には居心地が悪いのかな>花岡君。
●●『DAS』は、すでにお金を払い込んでくださった吉岡さんが1冊、いま履歴書を送りまくっているという日大探検部OBの松井君が1冊出世払いで買ってくれました。それから、私が行けない日のために、尾田さんに1冊、持ち帰ってもらいました。やっぱり、報告会での販売は、このあたりが限界のようです。
←質問に、解説に大活躍の江本さん。髪型がいつもと違う。
→花田さん持参のモンゴル語の本を手にする尾田さん(右)と、仕事を途中で抜け出してきた花岡君。
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