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群龍の峰々〜中村保 1996.9.27(金)/アジア会館 |
スクリーンに次々に雲南、四川などの中国奥地―リス族、チベット族などの住む村々を取り巻くようにしてそびえる高峰が映し出される。梅里雪山、玉龍雪山、折多山、ミニヤコンカ、四海山、四姑娘山・・・。
一橋大山岳部時代、北穂高岳滝谷に初登攀記録を残した中村保さんの旅の眼線がわかる美しいスライド群だった。1990年3月以来、11度に及んだ「横断山脈」への旅は、もっぱら休暇をフルに使い、四輪駆動車を駆っての行動だった。中村さんのほかは、運転手、通訳の二人だけ。
日本にいる時は、もっぱらこの地域を探検した先人たちの英文記録に読みふけっている中村さんは、通訳に「ガイド役は要らない。私の言ったとおりに動いてほしい」と、毎回念を押したという。このエリアを知るのは自分、「案内される」旅ではその目的を果たせない、と考えたのだろう。また、それだけの蓄積を自分に課したわけだ。
無論、金はかかる。現地での費用は人件費、ガソリン代、宿泊代などで、大体「一日2万円ぐらい」だったそうだ。香港勤務の地の利を活かして55才から始めた中村さんの旅は 今春、労作「ヒマラヤの東」(山と渓谷社刊)にまとめられた。詳しいことはこの本を読んでほしい。
報告会で「旅の途中、怒ってはいけない、と自分に言い聞かせましたが、それでも何度か怒ってしまった」と本音を吐露したあたり、中村さんのような目的意識のはっきりした旅の、現地でのコミュニケーションの難しさが伺われた。自分にとっては何物にも代えがたい体験であっても、他人にとってはとるに足らないものであることは十分あり得る。そういうちょっとした意識の差が貴重なチャンスを失わせることも、旅では普通に起きることだ。そんな時、旅人は理不尽な怒りに襲われるのだろう。しかし、「欧米人に較べて日本人は怒りっぽい」と言われると、考え込んでしまう。確かにそういう人は多いが、もしかしたら、それは世代によって違うのかもしれない。
報告会では、「飛び入り出演」で、中村さんの友人、盛田武士さんが今年5月に現地で実体験した「雲南・最奥地に見たキリスト教会」という貴重なスライド報告をしてくれた。チベット人たちが仏教ではなく、キリスト教会で祈りを捧げる姿は衝撃的だった。虚を衝かれた、という感じがした。
61才になった中村さんは、報告会の四日後、梅里雪山の馬での一周の旅に出た。(ホライゾン=江本嘉伸)
●NIFTY-Serve「地平線HARAPPA」に書き込まれた感想
(略)●●昨日は、疲れと熱のせいでボーッとしてなにもできず、新井君が『DAS』を引き取りに来てくれたあともまたうとうとして、あわてて報告会に出かけました。
●駅に着いたらもうふらふらで、このまま帰ろうかと思ったほどだったけど、でも、行ってよかった。中村さんの美しい山の写真も、すごく旅情をかきたてられましたし、最後に登場された森田さん(この人のフルネーム、わかりますか?)の少数民族の写真もおもしろかった。もう一歩踏み込んでほしいというのは、やはり、ないものねだりでしょうね。仕事をしながらだったら、ここまでやるだけでも、どれほどたいへんなことか。
●●ヒンズークシュ・カラコルム連絡会の平岡さん、オペル冒険大賞の菊地さんにもお会いできたし、とくに高下さんがいらっしゃってたので、びっくりしました。われわれがああやって神戸に行くのもけっこうたいへんだったのに、ここんとこ、北海道を皮切りに、中国、東京、タイ、東京と、すごい勢いで飛び回っていますよね。
●ホームページのほうの打ち合わせがあったようで、山上さんたちはアジア会館に残っていましたが、私たちはいつもの居酒屋へ流れました。元『岩と雪』編集長の池田さん、山溪編集長の神長さん、元観文研の関係者の古橋さん、そして松本栄一さん、江本さん、三輪さん、武田夫妻、私たちと、計10人だけ。ほかの人たちは帰ってしまったようです。最初、一人、若い女性がいたのですが、この連中とじゃ話が合わないかと、すぐに帰ってしまいました。うーん、地平線の高齢化をずっしりと感じた二次会でした(^^;。
●●最後に『DAS』の紹介をしましたが、うまくいきませんでした。せっかく35冊ぐらい持っていったのに、売れたのも10冊強だったようで、もうだいたい、地平線の関係者には売り尽くしたのでしょう。(略)
8400 [96/09/29 01:16] TAB00165
武田:RE#8395丸山さん
>最後に登場された森田さん(この人のフルネーム、わかりますか?)
◆盛田武士さんです。中村さんの山の写真もよかったのですが、私としては、盛田さんの写真のほうがよかったです。今回はスライド1枚20秒ずつしか時間がなかったので駆け足になってしまいましたが、盛田さんにもきちんと報告会で話をしてもらってもいいくらいの内容があったと思います。平均年齢がすごく高くて、いつもと少し違う雰囲気に包まれた報告会でした。
◆2次会の場で来月の地平線通信のフロントを山渓の神長さんに書いてもらうことが決まりました。山上さん、高下さん、尾田さん2次会に来てもらえなくて残念でした。また来月楽しみにしています。
>最初、一人、若い女性がいたのですが、
◆大集会の時に受付を手伝ってくれた北川さんです。店まで来たのに悪いことをしました。たぶん2次会のメンバーの中で唯一の20歳代だったのでしょう。平均年齢は40代後半だったのではないでしょうか。
8401 [96/09/29 19:27] PEG00430
丸山:私も同感でした
●●途中からの参加になってしまったので、よくわかんないのですが、中村さんのスライドのうち私が見せてもらったのは、ほとんどが雪山の写真でした。人物なんかが写っているのは、ほとんどなかったように記憶しています。
●私なぞは、昔そのまた昔にあこがれた、緑の草原の真ん中にぽこっと雪の連山の塊があるというような風景がたくさん見られて、すごく満足だったけど、山登りに関心のない人にとっては、どれも同じに見えて退屈だったかもしれません。
●●おととい、中村さんの本『ヒマラヤの東』(山と溪谷社)を買い求め、サインをしてもらったのですが、まだざっと眺めただけですけど、やっぱり彼の関心は山と谷なんですね。過去の探検家の足跡をたどって旅をしていくということにいちばんの目的があるみたいで、そこに住んでいる人については、ほとんど踏み込んでいません。だからこそ、会社勤めをしながらあそこまで動きまわれたのでしょう。
●その点、盛田さんのほうは(森田さんじゃなかったんですね^_^;)、東チベット文化研究会でしたっけ、そんな名前の組織をつくっているほどの人ですから、人間臭い話が聞けて、おもしろかったと思います。
●●武田君はずっとスライドプロジェクターにかかりっきりだったので、お二人の報告者の写真をしっかり全部見ていたわけですよね。同じ感想を持ったということで、ちょっと安心しました。
何だか金曜の報告会は人が多くてちょっと二次会も、という感じではなかったのと、こっちも高下さんが来ていたので内輪でもりあがってしまい、いきませんでした。江本さんからも誘われたのですが、これまた申し訳ありませんでした。
何故だか、私の所に報告会用の歴史あるスライド映写機があります。次回には私が持参します。次回はどなたに託せば良いのでしょうか?(^^;)
そうそう、高下さんが羽田から直行したのですが、開始時間に遅れてしまってすみません。やはり週末の空港周辺は混んでいますね。(^^;)それにしても中畑さん、丸山さん、長野さん、武田さん、江本さんが驚きながらも声をかけてくれた事を喜んでいました。(^^;)もう帰宅した頃だと思います。
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