96年2月の地平線報告会レポート



Todaka Speech宇宙を感じる瞬間/戸高雅史
1996.04.23/アジア会館

 戸高さんが初めて海外遠征に行ったのは、23歳のときである。1985年にヒマラヤのアンナプルナII峰に挑戦したものの、テントごと雪崩で流されてしまった。この経験で「もう登山をやめたい」と考えるが、もう一度チャレンジすることを決意する。

 そして、25歳のときにアラスカのマッキンリーに一人で出かけ、日本人で4人目の単独登頂を果たす。最初の3日間は不安を感じていたが、4日目から気分が軽くなり、20日かけて頂上にたどり着くことができた。続いて翌年にヨーロッパのマッターホルンへ出かけると、しだいに単独の登山に限界を感じるようになる。
 89年には川崎市教員登山隊の一員として、ブロードピークに遠征する。頂上に2度アタックしたが、雪の深さに阻まれて撤退。8000mを越える山の難しさを痛感する。翌年のナンガパルバットの遠征が決まると、富士山麓の工場に住み込みで働きながら、富士山で毎週トレーニングを重ねることにした。

 自分のベストコンディションで挑んだナンガパルバットでは、見事に無酸素で頂上に立つことができた。無酸素登頂は日本人初である。しかし、頂上間近の岩の壁で仲間が滑落して亡くなってしまう。
 初めて8000mの頂上に立ったという思いと同時に、頂上にこだわらなければ、もう少し自分に余裕があれば、二人で戻ることができたのではないかということが、強く心に残った。「自分に自信ができたことと、人の魂について考えさせられたのが、ナンガパルバットの遠征で得たことでした」と戸高さんは語る。

 その後、91年のブロードピーク、92年のガッシャブルムI峰、93年のガッシャブルムII峰と遠征を重ね、94年には世界第2峰のK2に挑戦することになる。8500mを越す山に無酸素で登るということは、人間の限界に近いことであった。
 けっきょく、チームによる登山スタイルの違いでコンディションが合わず、深い積雪に阻まれ、8400mで撤退することになる。このときは、肋骨を折り、左足が凍傷になるなど、体力の限界までやってしまったという。この経験から、今までのがんがん登るスタイルを見直し、自分と周囲のリズムを重視する方向に意識が向いてくる。

 翌年には、自分が今まで感じてきたことを表現しようと、再度ブロードピークに遠征することにした。自分の理想の登山スタイルを考えたとき、従来のノーマルルートからの登頂ではなく、北峰から主峰まで縦走する計画が頭に浮かんだ。ブロードピークは3つの峰で一つの山という思いがあった。
 6500mのベースキャンプに到着すると、10日間かけてそこの標高に体を慣らし、次の5日間で7400mまで2回往復する。無酸素で登頂するには、このように高度順応を確実にしなくてはならない。

 ブロードピークを北峰から登ってしまうと、ノーマルルートのある主峰にたどり着くまで、下山ルートがほとんどなくなる。北峰に登る斜面の傾斜は60度近くあるので、ここを戻ることもできない。となると、縦走をやり遂げるにはスピードが重要になる。ザイルやハーケンなどの荷物もぎりぎりまで削らなければいけない。
 そして、北峰の壁に取りついてから一週間。天候にも恵まれて、無事にベースキャンプに戻ることができた。
 「振り返ってみると、この一週間というのは、ブロードピークという山に、ほんとうに溶け込むことができたような不思議な時間だったと思います。自然や宇宙のリズムと自分たちのリズムが一つになったような、自分が思い描いていた登山ができたような気がしています」

 時間の流れを感じないでただ登っていたブロードピークの体験から、戸高さんは「生命の瞬間」を意識するようになった。人間がシンプルになることを突き詰めていくと、周囲の世界と一つになっていくのではないか。その思いを確認するために、戸高さんは5月13日にK2に向けて旅立った。

 人間の限界を越えた孤高の山で戸高さんが何を感じてくるのか、次の報告を楽しみに待ちたい。(新井 由己)




●NIFTY-Serve「地平線HARAPPA」に書き込まれた感想




7300 [96/04/24 15:33] MHF01041
山上:報告会から

昨日は丸山さんを裏切り、さっさと帰ってしまったよんきちです。(^^;)

今回は現役クライマーの方という私からみれば超人の方の話を聴く事ができました。クライマーの方って、どんな喋りかたをするんだろう、とふと思ったりしましたが、流石にご自分で多くの経験をされている人とあって、重く、深い話をテンポよく聴けたのが少し意外だったのですが、なるほど、と思う部分も後から感じれます。

最初ナンガ−パルバット遠征の時の話から始まり、穏やかな出だしかと思いきや、頂上直前で同僚の滑落死。クライマーの感情というのは、極限状態の時いったいどんな状態なんだろう、と以前から素朴な疑問だった事が、この時の戸高さんの話でうすぼんやりと見えて来たような気がしました。神がかりような精神状態がある事は信じる事ができます。

話のテンポも早めでしたが、スライドの数から、時間のたつのも忘れてあっという間に大きな2つめの話、ブロードピークに移っていました。そして休憩。

戸高夫妻スライドの映像は、緑溢れる谷の風景や住民の生活臭が匂ってきそうな映像、次に荒涼としたティンパーラインの先、そして氷河が横たわる氷の世界と移り、アイスクライミングの世界に入って行きました。気も狂わんばかりの斜度と、映像でも伝わって来る酸素の薄さにノンフィクションの厳しさと美しさをひしひしと感じ、この世のものとは思えない美しい氷と見下ろす地球にゾクゾクする報告会だったと感じます。

そんな中、奥様(由美さん?文字が怪しいです(^^;))の存在が強く感じました。小柄で美しい奥様の中に、厳しいクライミングの世界に生きる雅史さんを支える力を感じる事ができました。お二方の絆の強さに羨ましく感じる程、そして同時にエキスペディションに生きるお二人の現実的な厳しさは並々ならぬものがあるのではと思います。その環境を楽しもうとされている所に、やはりこの世界に身を投げている人達独特の、輝きのようなものを感じます。

来月K2単独に出る戸高さんを、日本で応援したいと思います。そして、また報告を聴いてみたいです。(^^)年末ネパール計画を(登る訳ではないですが)実現させたいと思う今日この頃です。(予約は取れるのだろーか(^^;))

           冬季富士山登山を初心者対象に行っていると聴き、
                    参加してみたくなったよんきち

Mr.Yamagami and Mr.GotoPS. 後藤さん、はじめまして。(^^)長期休暇の取得のコツなど今度伝授して頂ければと思います。(^^;)これからもよろしくお願いします。先に帰ってしまってすみませんでした。

【写真】せっかくの連休を前に『地平線データブック・DAS』のための入力用データを受け取って複雑な表情の山上・尾田・後藤各氏



7311 [96/04/26 14:21] PEG00430
丸山:これまでいちばん感動したひとつ

》先週末に入った仕事がどーし
》ても終わらず、23日午後6時まで(^^;ずれこんでしまいました。3日間徹夜だっ
》たので、さすがに上京(1時間以上かかる)する元気はなく(#7303・長田さん)

●●それは残念でしたね、長田さん。いや、参加できなかった方には申し訳ないけれど、すごい報告会でした。個人的には、これまでの198回で、もっとも感動したもののひとつ(順位はつけられないから、ベスト5に入ると言っておこう)だと断言できます。
●山上さんが翌日一気に書いてくれていますが、そうそう。ほんとに、深く感動させられました。あんな「重く、深い話をテンポよく」(#7300・山上さん)話せる人って、ほかにはいないんじゃないかなぁ。
●あとでお聞きすると、戸高さんは高校の先生をやっていた時期があるので、人前で(登山の素人の前で)話をするのはけっこう馴れているんだそうです。しかし、それにしても、希有な才能の持ち主ですね。

●●それも、ただ話がうまい、というだけではないんです。じつに深い。“行動する哲学者”というと平凡ですねぇ。なんていうのか、極限の行動を積み重ねているうちに、人間の精神としての至高の領域に足を踏み入れてしまったっていうのかなぁ。そういう状態に、彼は意図的に入ろうとしているし、またそうなった時点の自分というのを、着実につかまえて、的確に言葉で表現することができるというか。
●私は、二次会の居酒屋で私は戸高さんの正面に座れたので、ついつい、同じパキスタンにかよっているよしみということもあって(^^;、さらにまたいろんな話をきくことができました。今日はもう体調がめろめろなんで、またあらためて書かせていただきます。

オペル冒険大賞スタッフ【写真】報告者がひさしぶりにクライマーということで、オペル冒険大賞事務局の菊地さん(右)も新婚早々なのに来てくれた。左は、この夏カラコルムに菊地さんが出かけているあいだに事務局の留守をあずかる宮下さん。



7352 [96/05/03 15:12] PEG00430
丸山:極上の体験だった4月の報告会…1

●●戸高雅史(まさふみ)さんに登場していただいた4月の報告会は、これまで私が参加したなかでも、もっとも印象的なものだったと思います。
●ひとつには、話の舞台が私にとっておなじみのパキスタンだったこと。それと、死と隣り合わせなのに、そして実際の死も登場するのに、それがじつに淡々と語られたことが大きな要因だったのでしょう。ただ、それ以上に、戸高さんの生き方そのものに惹かれました。

●●いまは、こういうクライマーが増えているのかもしれませんが、そして、こういう考え方をしないと高所でのビッグウォールのクライミングそのものができなくなっているのかもしれませんが、これまで私が国内や現地で接してきたヒマラヤ遠征隊とは、まったく異なる世界です。正直言って、自分の無知を恥じるとともに、新鮮なショックを受けました。
●その日は、翌朝の母の手術の打ち合わせで病院にいて遅くなってしまい、最初の部分を聞き逃してしまったのが残念です。

●●戸高さんのどこがユニークなのか、山の世界での評価はわかりませんが、私にとっては、「感覚」というものをあそこまで重視しているということが、大きな驚きでした。地平線通信での長野君の紹介文にもありましたが、山や自然との対話というか、調和を通して、「なにかを感じること」を最優先しているんです。
●そのためにはまず、装備を極限まで切り詰めること。ハーケンも最小限の数しか持たないし、ザイルもぎりぎりまで細くする。寝袋も薄い。そして、酸素やフィックスロープなどをなるべく使わない自然なスタイルで、しかも人数も絞り込んで(できれば単独で)登る。そうやって、できるだけシンプルな登山を実現し、自分を後戻りできないぎりぎりの状況に追い込むことで、山と自分との1対1の関係を築き、そうやって見えてきた相手と自分の力量を秤にかけながら、前へ、上へと進んでいく。

戸高夫妻●●余計なものを極力排すことで、感性がぎりぎりまで砥ぎ澄まされ、行けそうな可能性もヤバそうな危険も冷静に見分けることができる。見分けられるというより、感じられるんだそうです。
●だから、頂上アタックをかけるタイミングも自然に感じとれるし、そもそも、その山に来よう、登ろうと思うことじたいが、そういう、インスピレーションをいちばんの拠り所にしているとか。つまり、山(を含む宇宙全体)と自分(内宇宙)の波長がシンクロするということが、戸高さんの登山のコンセプトなんですね。自分がイメージしたとおりの登山ができるかどうか、そこがポイントになるわけです。

●●だから、もしその判断が狂ってそこで死んでも、それは、なんらかの理由でそういうベストな状態にまで到達できなかった自分のせいで、やむをえないとあきらめられるだろうというようなことも、さりげなく語っていました。
●さまざまなしがらみのなかで登山行為を完遂しなければならない、これまでの登山隊とは、なんと異なる発想でしょうか。

●●俗な言い方だけど、ひじょうに哲学的というか、8000メートル峰の高みという、人間が本来生存できない極限の自然のふところに入り込むことで、彼は人間の魂の本質を常に意識できているように思えてなりませんでした。
●ふりかえってみると、私の旅は、肉体的には比較しようもないほど低レベルなのはもちろん、感性という面でも、なにも感じていないに等しいようなものだと、つくづくと感じます。いや、むしろ肉体的に楽な分、精神のほうも手抜きになってしまっているのでしょう。

●●ただ、話を聞いているうちに、これはヤバイんじゃないかという気がしてきたのも事実です。これは半分もう神々の領域に入り込んでいるようなもので、このまま行くと、後がないというか、人間としての行為の限界をきわめてしまうのではないかという心配が湧いてきました。
●ところが、ホッとしたのは、優美(ゆうみ)さんとの結婚をきっかけに、それまでのギラギラしたがむしゃらな登り方が、ずいぶんと変わってきたのだそうです。彼自身の言葉は思い出せませんが、たぶん、それまで自分と山の二方向だけをみつめがちだったのに、全方位的にトータルな宇宙を意識しようとつとめるようになったということでしょう。ベースキャンプマネージャーとして常に下から見守り、サポートしてくれる優美さんの存在が、そういう大きなパラダイムシフトをもたらしてくれたようです。

●●つまり、そうなると山と自分との1対1の勝負ではなく、ひとつ高いところからの判断ができるようになってくるわけで、進むか引くかの微妙な状況判断を強いられる場合も、あるいは今後の登山のスタイルを考えるうえでも、これまでとはまた別の考えに到達する可能性も出てくるんですね。これを聞いて、ほんとにホッとさせられました。
●もともと野外生活インストラクターだった優美さんの経験を生かして、戸高夫妻は「FOS」(Feel Of Soul)という野外学校を主催しています。自分の個人的な満足にとどめないで、より広く社会的に体験を伝えていきたいという意志は、どこか高野孝子さんに通じるところもある新しい考え方だなと、強く感じました。



7353 [96/05/03 15:12] PEG00430
丸山:極上の体験だった4月の報告会…2

二次会風景●●報告会のあと、二次会の席で私はちょうど戸高さんの真向かいに座ったため、同じパキスタンがよいをつづけている者同士というよしみもあって(^^;、いろいろと話をうかがうことができました。
●まず聞いてみたのは、報告会の場でも江本さんがちょっと話を引き出していましたが、なぜパキスタンの、カラコルムの山にばかり登りに行くのかということです。答えはやはり、あの無機的な、剥き出しの自然に惹かれるから。そして、登山を終えて植物のない高所から降りてくると、その荒涼たる風景のなかにも、たしかに生命の営みがあって、うれしくなる。そこがたまらないんだそうです。

●●さらに、ああいう風土に住む人たちと接することに、不思議な魅力を感じるとのこと。たとえば何度も話のなかに登場したコックさんは、ずっと戸高さんの遠征に付き合ってくれている、もう完全に仲間なんだそうです。
●スカルドゥから数時間ジープで行ったところの村に住んでいて、冬のあいだは雪に閉ざされ家にごろごろし、夏になると登山隊やトレッキングパーティのガイドをするそうですが、彼の存在も、戸高さんの登山を大きく支えているみたいですね。
●彼がいるから、またカラコルムに行こうと考える、という面もあるようです。

●●つづいて聞いてみたのは、いつから、どういうきっかけで、こういう極限のクライミングをするようになったのかということ。
●驚いたことに、戸高さんはもともと、フォーク少年だったんだそうです(^^;。多くのグループや歌手を輩出した福岡(博多?)に住んでいたので、高校時代は、歌とギターで一旗上げてやろうと思っていたとか。運動もしていなかったそうです。

●●それが、大学(よく聞かなかったけど、九州の教育大学?)に入り、寮に住むことになって隣室に挨拶に行ったら、その人に探検部に入れと強引に誘われたのだとか。そして、とりあえず顔だけは出さなくては失礼だからと部室に行ったところ、そこにいた人たちの雰囲気が妙に気に入って、入部。つまり、もともとは、探検部出身なんですね。最初のうちは、おもにケイビングをやっていたそうです。
●ところが探検部として経験を積んだ先輩があまりいなくて、なかなか思うようなことができない。岩登りも、本を開いてザイルの結び方から自己流で勉強したのだとか。そして、しだいに「探検としての登山」を志向するようになり、屋久島をテーマに選んで活動をしていたそうです。

戸高さんと江本さん●●それが、卒業後、社会人山岳会に入って、一転して本格的なアルパインスタイルを追求するようになります。その背景にあったのが、当時愛読していた加藤文太郎(『単独行』で有名な登山家)と、植村直己さんの『青春を山に賭けて』。
●単独で行くこと、そして肉体の極限をきわめて、より困難なルートから登ることに生きがいを見出すようになり、そのまま自然にヒマラヤやカラコルムでのクライミングにつながっていくことになるわけです。アルピニストとしては、けっこう遅いスタートだったんですね。

●●もうひとつ、報告会で出なかった話としてどうしても聞いてみたかったのは、毎年のように遠征に出かける資金を、どうやって調達しているのかということです。企業、とくにマスコミや登山用品メーカーなどからお金をもらう、なかばプロ化した人とか、あるいはバルトロ氷河で各登山隊のベースキャンプを渡り歩いて食糧などを少しずつ分けてもらう、乞食・たかり屋的なやり方をする人もいます。
●でも、戸高さんの場合は、ほとんど自前なんだそうです。山岳ガイドとしての収入がメインで、山上さんが書いていた登山学校も少しは貢献しているとか。おかげで、月のうち、自宅にいるのは5日ぐらいとのこと。

●●いま戸高夫妻は湯河原に住んでいますが、それも、富士山が近いからという理由からです。いくら町を走ってもだめで、大事なのは体力ではなくて山を登る感覚であり、実際に山に登ることがいちばんのトレーニングになるそうです。富士の近くに住んでいるからこそ、忙しいなかでも登山学校を運営することができる。冬の富士は氷雪技術のための絶好のトレーニングの場であるとともに、やはり、感覚を重視する戸高さんにとっては、霊峰富士というのは、特別の場なのでしょう。
●山に登るのに役立つことなら、少しでもいいことをしようと、ここ数年、酒も飲んでいないそうで、二次会でも烏龍茶だけをちびりちびりと飲んでいた姿も、印象に残っています。

●●戸高さんは、5月半ばからいよいよK2に出かけます。当然、単独&無酸素でやるわけですが、このK2に登ろうと思ったのは、昨年夏のブロードピーク遠征のときに、K2の姿が心にありありと浮かんできたからなんだそうです。
●で、そのあとは、という意地悪な質問をしてみたんですが、今度のK2は自分のなかでひとつの区切りとなりそうな予感がするので、次はまったく別のスタイルで山をやってみたい。具体的には、これまで国境の南側から眺めるだけだったチベット高原の登山や、チベット側からのチョモランマ登山などのイメージが浮かんできているとのことです。
●K2の成功を、心から祈りたいと思います。

二次会の最後



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