96年2月の地平線報告会レポート



チャリンコ族はかくて丘を越えたのだ/熊沢正子

1996.02.27/アジア会館



●地平線通信197より

●先月の報告会から〜自分を探す旅〜熊沢正子
 1996.02.27/アジア会館

 1985年から87年にかけて日本一周をした熊沢さんは、サイクリストではなく「チャリンコ族」と名乗っている。それは、自転車で走ることが目的ではなく、自転車とともに旅をするという意味なのかもしれない。
 “放浪”を経験した旅人の社会復帰は難しい。熊沢さんも例外ではなく、日本一周を終えたときに描いた夢を実現できないもどかしさを感じながら、淡々とした社会生活を送っていた。
 そんなある日、10日間の休暇を取って韓国へサイクリングに出かける。すると、見るものすべてが新鮮で、初めての異国に心がときめくのに気づいた。同時に、順調に進んでいた仕事に不安を感じて日本一周を始めた数年前を思い出し、「今度、今までのことをチャラにするなら外国に行こう」と決めたのである。

 外国へ行くなら沖縄の石垣島から行きたい。石垣島は日本一周のときに長期滞在をした思い出の場所だ。そこからまた旅を続けたいという思いもあった。そして92 年7月、日本一周のときに知り合ったヒデこと飯田英文さんといっしょに台湾に渡った。
 台湾では、1台のバイクに5人も乗っていることや、右も左もめちゃくちゃな交通ルールに驚く。その一方で、石垣ではなくなってしまったような風景に懐かしさを感じていた。子どものころに見た田舎の光景に似ていたこともあって、台湾を身近に感じながら3週間の滞在となった。

 台湾からイギリスに飛ぶと、季節は夏から秋に変わったようだった。アジアとヨーロッパの距離の違いを肌で感じながら、予想に反して畑が多く、空が広いことに気づく。
 熊沢さんにとってイギリスは、憧れの地である。幼年時代に読みふけったイギリスの作家・アーサー=ランサムの物語の舞台なのだ。その物語が始まる湖水地方のウィンダミア駅に立ったのは、物語と出会ってから二十余年を経ていた。
 スコットランドを走ってからフランスに行き、スペインへ南下していくにつれて、少しずつ風景が輝いてきた。スペインから南フランスに戻るころには、ハーブのにおいが風に含まれるようになっていた。

 そして、台湾を出てから約一年。今度はローマから韓国のソウルへ移動する。
 「本当は世界一周をしたかったけど、そんな時間もお金もない。だったら、遠くと近くをつなげてみれば、何か見えるかもしれない」
 ヨーロッパとアジアの気候を肌で感じ、街並みや人込みを比較してみる。雑多な街並みは日本と共通しているものがあり、山並みもヨーロッパとはぜんぜん違うものだった。

 大阪に帰国した二人は、1か月半をかけて、信州を経由して東京に戻ってきた。そのときに、外国人の目で日本を見ることができたという。そして、以前は自転車を押して登った信州の柳沢峠を、今度は楽に越えることができた。
 帰国後すっきりした気分になった熊沢さんは、信州で1年生活をしたのち、再び東京に戻ってくる。田舎と都会。夢と現実。「チャラにしたい」と出かけたあの旅。いろんな思いを整理するのに2年かかり、やっとの思いで『チャリンコ族は丘を越える』(山と渓谷社)を書き上げた。

 「書くことは旅の一部」と言う熊沢さんにとって、旅は自分自身を知ることである。自分を見失った日常から距離を置き、旅のなかで自分を取り戻していく。それは、自分が今どこにいるのか、それを確認する作業でもある。(新井 由己)




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