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世界と結んだ国際隊北極海横断/高野孝子
1995.11.24/アジア会館
地平線通信194より
「高野孝子さんの国際隊北極海横断」
腹に思わず力のはいる報告だった。 グググググッ、ギギギギギギーッ・・。何とも言いようのない不気味な音がビデオ画面から響く。氷がきしみ、割れる音だ。次第に幅を広げてゆくリード(開水面)を3台の犬ぞりが辛うじて飛び越える。リードがなければないで、来る日も来る日も、氷の壁を崩し、犬そりを通すための道作りの労働が続くだけだ。無論、写真やビデオに撮られた場面は、幾分でも余裕のある時に限られる。どんな困難でもあっさりした口調でしか表現しない豪快な高野さんが「いろんなことをやってきたけれど、正直今回は想像を上回る激しい旅でした」と言うほどに、北極海横断1500キロの行程はしんどさの連続だったようだ。
一行は、ウィル・スティガー隊長はじめ米、ロシアなど4か国の5人(うち高野さんと米人のジュリーの2女性も)。ロシアのセーベルナヤ・ゼムリャ島沖を1995年3月7日に出発したが氷の状態が悪すぎたためにいったん引き返し、北緯85度付近までヘリで移動してから再スタートした。極点到達が4月22日。1978年に相次いでやはり犬ぞりで極点に達した日大隊チームや単独行の植村直己さんは、極点からは飛行機でピックアップされたが、高野さんらはさらに対岸のカナダに向かって横断の旅を続けなければならなかった。途中、犬ぞりをカヌーに換えて行動を続けるが、重いカヌーを引きずって氷上を進むのが今度は大仕事となった。
高野さんらが自分に課したもう一つの仕事は、コンピューター・ネットワークを通じて世界各国の小学校と通信することだった。子供たちを指導する熱心な教師たちの支援もあって、直接北極の現場が日本はじめ各国の子供たちとつながった時は「感激だったけど、ああこのテントが事務所になっちゃった、とちょっぴり複雑でした」と正直に語る。地平線報告会も193回になるが、行動者自身の口から直接聞く迫力は、到底こういう文章では表現できない。報告会に来ない人は、もちろん皆忙しく、いろいろ理由はあるのだが、うんと損をしている、と思う。
(E)
●地平線HARAPPAに書き込まれた感想
地平線HARAPPA#6538
538 [95/11/26 03:14] PEG00430 丸山:すごい報告でした
●●ひとことだけm(_ _)m。昨日の高野さんの報告会、ガツンときましたねぇ。すごかった。遅れて行ったので、彼女自身のことは聞けませんでしたが、犬ゾリによる北極海横断の模様も感動したし、なによりも、彼女の生き方がすごいと思いました。
●自分の世界にかかえこんでいないで、インターネットと衛星電話を使って、行動しながらそれを同じ中継してしまう。マイナス40度?のなかで懸命に電子メールにレスしている様は、胸を打たれました。
●●私は、ここのところ、各国のNGOが押し寄せるなか、ひっそりとカラーシャを見守るというスタンスでやってきたし、どっちみち誤解を受けそうだからと、そのことを自分の胸にしまいこんできましたが、高野さんのどこまでもオープンなやり方には、思わず目からウロコが落ちる思いでした。
●常日頃から言っている「情報の共有」を、私自身がちっともやってなかったんだなぁという気持ちです(^^;。今回の旅は、このあたりをちらちらと考えることをメインテーマとすることになるでしょう。
●●それにしても、高野さんの体力には圧倒される思いでした。すごい。あれだけの力があふれているから、なんでもできるんですね。話がすごくうまいこともあったけど、とにかく聞いてて、元気が出てくる報告会でした。
●そのうち、ここにも来てくれるかもしれません。
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