■今回登場してくれたのは、先日ひょんなことから地平線会議代表世話人の江本さんと約40年ぶりに再会したという、英語通訳者のささきようこさんとインド研究家の浅野哲哉さん。ささきさんは、東京外国語大学山岳部での新人時代にOBの江本さんから谷川岳での新歓合宿で訓練を受けた経験がある。浅野さんは、もともと法政大学探検部員として読売新聞の江本さんを訪ねたことから交流が始まり、結果的に地平線会議の誕生にも関わった方である。江本さんは、長い時間軸の中でもたらされた不思議な縁に「長いこと生きているとこんな面白いこともある」とおっしゃっていたが、今回のテーマとなる、映画「ラーマーヤナ」によってつながった日本人とインド人の絆の強さ、深さにも同様に人と人の縁の不思議なつながりを感じる。高い評価を受けながらも時代に翻弄された作品の足跡、そして作品をめぐって出会ったさまざまな人々のストーリーから色濃くインドの空気を感じることができた。
◆「ラーマーヤナ」は、ドキュメンタリー監督の酒向雄豪(さこうゆうごう)さんが企画し1992年に完成した日印合作長編アニメーション映画だ。ストーリーは3000年前の古代インドの神話がもとになった大叙事詩を2時間のアニメーションにまとめた壮大なスケールの作品である。あらすじは、最愛の姫を悪魔に誘拐された王子が猿の神様ハヌマーンの助けを得て姫を助けに行き悪魔と戦うというもので、インド版「桃太郎伝説」のような話だといえばわかりやすいだろうか。日本人なら誰でも馴染みがある、宮崎駿作品のような絵作りのテイストが印象的だ。
◆浅野哲哉さんが「インドに行ったことがある人はいますか?」と聞くと、客席の大半の人から手が挙がる。さすがは地平線会議の参加者だ。
◆インド研究家である浅野さん自身は地平線会議発足の2年前、大学2年生の時に初めてインドへ行った。半年かけてインドを回り、そこでの食事や文化を写真や文章、絵で記録。その後も毎年のようにインドを訪れ、そこで出会った物事を書籍『インドを食べる』『インド絵解きガイド』として発表した。インド人はカメラを向けると構えてしまうが、絵を描くと喜んでくれて自然な姿を記録できるのだという。そうして旅で出会った物事を通して表現活動を突き詰めているうちに、毎月金曜の夜に開催されていた地平線会議からは足が遠ざかってしまっていた。
◆一方、英語通訳者のささきようこさんは、東京外語大のヒンディー語専攻出身。もともとインドに強い興味があったわけではなく、「アジア系言語は人気がなくて入りやすそうだったから」とのこと。語学習得に打ち込めず退学を考えたこともあったが、インド人の先生が魅力的だったこともあり「一度インドに行ってから決めよう」と1982年、大学2年のときに2か月間インドへ行く。現地では、ペンフレンドの結婚式に参加してインド人の生活や文化に直接触れる経験をし、インド人ならではの宗教観や死生観、循環社会のあり方などに大いに衝撃を受ける。
◆この体験をきっかけにもっと世界を見たいと思いアジア各地を旅するようになり、就職先も旅行会社を選んだ。この会社が縁で地平線会議を知り、地平線会議の存在が身近だったが、当時は報告会に参加したことはなく、地平線通信も読んでいない。ましてこのネットワークの真ん中に山岳部の先輩、江本さんがいるとはまったく思いもつかなかったという。旅行会社の仕事は楽ではない。激務の末、退社、静養を兼ねてカナダに1年間留学。その後英語通訳者として働くことになる。
◆今回のキーパーソンである酒向雄豪さんについてここで触れておきたい。1928年生まれの酒向さんは幼い頃に両親を亡くし、孤児として仏門に入り禅寺で修行した経験を持つ。NHK報道部を経てインドを放浪し、幼少期から憧れていたインドをテーマに数々のテレビドキュメンタリーを作ってきた。なかでも「ラーマーヤナ」を史実として発掘調査をしていた考古学者を取材したテレビ番組が、インドの宗教団体の誤解を招き、外交問題になることを危惧した外務省の命を受け、酒向さんはインドに飛び、宗教団体の誤解を解く。このことがきっかけで「ラーマーヤナ」のアニメ化を構想、提案を申し入れるも聖なる神を漫画にするなど考えられないと大反対を受ける。アニメーションとは何かの説得に当時の名作「風の谷のナウシカ」(1984年)を見せて正式に宗教団体からアニメ化の許可を得た。インドの協力を得て始動したプロジェクトには、国民的スターや文学界の巨匠など誰もが知っている超一流のアーティストたちが集結した。
◆ささきさんはカナダから帰国後、インドの友人の旅行会社を手伝っていたときにラーマーヤナ企画を携えた酒向氏が来社。手紙の翻訳を引き受けたことがきっかけで、通訳・翻訳・コーディネーターとして「ラーマーヤナ」製作に関わることになった。それがまさか、今日に至るまで30年もの付き合いになる話だとは当然ながら思わなかったという。
◆日本側も宮崎駿監督作品でも活躍している優秀なアニメーターたちが集められた。総勢450名、資金は8億円、9年もの歳月をかけて数々の困難を乗り越えながらも1992年に映画は完成し、1993年1月にデリー国際映画祭で初公開され、インドのマスコミは大絶賛。世界各地の映画祭でも高い評価を受けた。
◆いよいよ公開という時にインドのアヨーディヤーでラーマ神生誕の地にあるイスラム教モスク、バーブリマスジットが破壊される事件が発生し各地で集団暴力が多発。日本でも1995年にオウム真理教による地下鉄サリン事件が発生。よって日印ともに「ラーマーヤナ」の公開が封印された。ようやく1997年になって、モーニングショーではあるもののインドでは劇場公開され、テレビ放送やDVDが販売されるようになった。日本でも渋谷パンテオンでの映画祭や横浜で上映された。2000年にはアメリカのサンタ・クラリタ国際映画祭で最優秀アニメーション映画賞を受賞。2002年には、米アカデミー賞で新設されたばかりのアニメーション部門にノミネートされた。
◆浅野哲哉さんと酒向さんの出会いは1999年に遡る。バックパッカーを卒業した浅野さんは奥さんとともにインドの五つ星ホテルに宿泊していた。そのホテルのテレビで、偶然目にした素晴らしいアニメーション映画に目を奪われた。インド映画でありながら、日本のアニメらしい個性が漂うその作品のことが気になっていると、酒向さんから直接電話があった。「今度インド料理屋をやるから、君の『インドを食べる』の話を聞かせてくれ」とのことだった。そこから浅野さんはたびたび、南青山にある酒向さんのご自宅に招かれ、みゆき夫人も交えて交流を深めてきたという。
◆しかし、2005年10月31日、みゆき夫人が癌で他界。諸事情により酒向さんは奥様の遺骨の一部をガンジス河に散骨。儀式をリシケシで2006年4月24日に行った。そしてそのきっかり6年後の2012年の4月24日に酒向雄豪さんが他界した。酒向氏の誕生日は2月4日。不思議と「2」と「4」という数字に強い縁がある。
◆酒向さんの遺品に35ミリの初号プリントがあった。そのフィルムの状態の確認を横浜のフィルム上映館「シネマノヴェチェント」に依頼した。作品を試写した館主が、こんなに素晴らしい作品があったとは、ぜひやりましょう、ということになり、浅野さんとささきさんは「ラーマーヤナ上映委員会」を立ち上げ、上映に向けて奔走することになる。
◆2018年全28席の横浜の小さな映画館「シネマノヴェチェント」で、1か月限定で上映が行われた。それが話題を呼び結果的に1年間のロングラン上映、2020年1月には東京外国語大学でも上映会が行われ500席が満席になるほどの大盛況となる。それを受けコロナ禍の最中の2020年にデジタルリマスター化された。
◆最後に、「ラーマーヤナ」が繋いだ人の絆の深さを表すエピソードを紹介したい。「ラーマーヤナ」の日本の制作チームはアニメ化にあたり一つの課題に直面していた。男性のインドの衣服の動きがまったくわからなかったのだ。そこに訪ねてきた超一流のシタール奏者に、酒向さんはモデルを依頼したのだった。シタール奏者は伝統的な衣装で演奏するからだ。彼にあらゆるポーズを取ってもらい、日本人アニメーターたちは、それを絵に落とし込んだ。その彼とは世界的に有名なシタール奏者ラヴィ・シャンカルの愛弟子チャンドラカント氏である。この交流で強い絆で結ばれた酒向さんとチャンドラカント氏だが、二人の付き合いは、それだけにとどまらなかった。
◆それから17年後の2008年、酒向さんは脳梗塞で失語症になってしまう。その酒向さんを皆で支援しようと申し出たのがチャンドラカント氏だったのだ。ささきさんは彼に「助けなさい、さもなければ悪徳者だ。私も手伝うから」と言われ、否応なく酒向さんのサポートに巻き込まれることになった。
◆奥さんに先立たれた酒向さんは一人暮らし。しかも失語症なので病院に行くにも付き添いが不可欠だ。都心の自宅でチャンドラカント氏と彼のチーム5〜6名によって、独居老人の介護サポートが整えられた。アーユルヴェーダというインド伝統医学の家系に生まれた彼は独自の音楽療法を編み出していた。酒向さんに音楽療法を無償で30回行い、失語症はなんと90%回復したのである。
◆高齢者の孤独死が取り沙汰される昨今の日本だが、人と人のつながりを大切にし助け合うというインド人の文化、そして酒向さんとチャンドラカント氏にある強い絆がなせる技だ。
◆期せずして30年もの間引き延ばされた「ラーマーヤナ」だが、そこに巻き込まれた数多くの人々が映画という縁でつながった。江本さんとささきさんと浅野さんが地平線会議という場で40年ぶりの再会の機会を持ったことも含め、そんな不思議な縁が、インドの大叙事詩をテーマにした一本の映画によってもたらされたのだ。
◆インドでの公開は残念ながら延期となってしまったが、酒向さんに縁のある数字である「2」と「4」が含まれた2024年のうちに何か動きがあることを期待している。そして筆者は、日本の映画館での上映、何よりもまず地平線キネマ倶楽部でこの不思議な運命を持つ映画が披露されることを願っている。[貴家蓉子]
■昨年から突然、地平線会議の渦がやってきてなんと報告までさせていただくことになった。
◆そもそもの発端は一枚のハガキだ。昨年私は最愛の従妹を膵臓癌で亡くした。彼女は横浜生まれの保育士だったが旅好きで国内外を旅した後、北海道の美瑛に移住。大自然に囲まれて絵はがき作品が生まれた。武蔵小金井のギャラリー「ブロッケン」の佐野さんから遺作展をやってあげたら?と勧められ「コトノハ雲の音色」松下由美子作品展を開催することになった。
◆その案内ハガキに宛名書きをしているところに、「部数が余ったので私が知る若い世代に送ります、江本」と添え書きの地平線通信が届いた。噂に聞いていた通信を初めて読んだ。驚くべき内容がぎっしり。宛名書きをしていた勢いで江本さんに礼状を書き案内ハガキも同封した。そしてまさかの江本さんが会場に現れた。なんとお住まいも近かったとのこと。これがすべての始まりだった。
◆40年ぶりにギャラリーでいろいろな話をした。実は不思議なご縁がもうひとつ。私の母は教員だったが、若いころ、新人の美術の先生が母の中学校にやってきた。数十年後、母が再び教壇に立ったとき、女性の江本先生がいた。そこで美術の先生の奥様だと知り、私の両親と江本夫妻は親しくなり、父が赴任していたインドネシアに共に旅行をした。
◆その後、この美術の江本先生が、先輩江本さんのお兄様だったという事実が判明! ずっと知らないでいたことだ。人は気付かずどこかで何かのご縁で繋がっている。旅と人と出会いが大好きだった松下由美子が雲の上から私と地平線会議とラーマーヤナをつなげてくれた。他界しても人は異なる形で存在し私たちの人生と常に関わっていることを感じている。
追伸:母は江本さんと聞いて古いアルバムから新人江本先生の写真を出してきた。江本さん渡せてよかったです。[ささきようこ]
イラスト ねこ
■「あなた方は大学を卒業してからも『探検ごっこ』をやっていくのですか?」。1978年12月、法政大学で開催された全国学生探検報告会のシンポジウムで、大先輩の宮本千晴氏が発した「呪縛」のような言の葉を引きずりながら、僕は「インド探検」を続けてきた。その翌年に産声をあげた地平線会議の江本氏から半世紀近くの時を経て「お呼び」がかかった、というか、江本氏が所属していた東京外国語大学山岳部の後輩である佐々木陽子さん(以下「Y」)を介しての不思議なご縁である。
◆「Y」とのお付き合いは1999年以降に遡る。92年に完成した日印共作長編アニメーション映画『ラーマーヤナ/ラーマ王子伝説』の生みの親である鬼才、酒向雄豪氏の通訳・コーディネーターとして89年頃から関わってきた彼女が、なんと江本氏の後輩だったなんて! つい数ヶ月前まで知らなかった事実だ。
◆奇しくも地平線通信に「ラーマーヤナの渦」と題された長野亮之介画伯の至極の紹介文に記された「渦」に僕が巻き込まれたのは、2018年から1年間、日本一小さなフィルム上映館、横浜シネマノヴェチェントでの復活上映活動からだ。ほぼ毎月、本作に関わりがあるゲストを招いてトークショーをやることになり、すでに他界されていた酒向氏の遺品(写真やVHS映像)や「Y」が記していた膨大な資料等々を整理・昇華し「動画化」する作業が始まった。
◆1982年に端を発した本作のメイキング秘話には、まさに『ラーマーヤナ綺談』と呼ぶに相応しい秘められた日印交流の歴史が散りばめられていた。これらを伝えるためのエピソード動画(英語版もあり)を作成するにあたって、「Y」と交わした膨大なSNSチャットや電話交換の日々。なによりも、彼女の語りには人並み外れた正確無比の記憶力に裏打ちされた瑞々しい再現能力があった。すべてが許された「ノープロブレム」の世界……。生前、酒向みゆき夫人の美味しい手料理を頂きながら、インドや本作を熱く語った酒向氏の姿が生々と蘇り、脳梗塞で倒れた酒向氏の介護に何も協力できなかった悔いも含め、改めて「恩返し」ができる喜びを噛み締めることができた。
◆そして今回、いままで常に「裏方」に徹していた彼女が、江本氏の計らいによってついに表舞台に躍り出た。「Y」の豊かな経験と深い洞察から紡ぎ出された真理を秘めた「インド観」の数々が披露されたのだ。酒向氏と同じ辰年の江本氏。82年に「Y」が初めてカルカッタで出会った「怪しいおじさま」こと酒向氏の面影を、ふっと彷彿とさせる江本氏に改めて感謝を申し上げたい。また、しなやかに司会進行いただいた丸山氏、的確な映写環境を整えて下さった落合氏、そして二次会に参加して新たな「渦」の出会いで盛り上がった諸氏方々にお礼申し上げる次第である。
◆いまだに「探検ごっこ」の域を出ない僕の「インド探検」は「ラーマーヤナ」という強靭な柱を得た。2024年2月4日という酒向雄豪いわくつきの期日に、ムンバイの日本山妙法寺で催された酒向夫妻の顕彰法要会にも参列できた。実に四半世紀ぶりにインドからお呼びがかかったのである。[法政大学探検部OB・ラーマーヤナ上映実行委員会 浅野哲哉]
[追記]来年1月19日(日)に本作の旗館、横浜シネマノヴェチェントにて特別イベントがあります。
13:30 〜開場
14:00 〜『ラーマーヤナ/ラーマ王子伝説』通常上映
16:15 〜休憩
16:25 〜浅野哲哉のトークショー
18:00頃 終演
※終演後、近所のインド料理ラスミにてゲストを囲んでの懇親会(要別途会費)あり
|
|