■林に分け入り尻を出してしゃがみこんだ関野吉晴さんが、ほおづえをつきながらじっと待つ。やがて立ち上がると、「出ませ〜ん」「ダメでした……」とはにかみながら戻ってくる。上映中の映画「うんこと死体の復権」は、そんな場面から始まる。数々のドキュメンタリー映画で被写体となった関野さんが、初めて記録者側である監督に挑んだ作品だ。その内容は「不潔だ、気持ち悪いと嫌われ、疎まれているものに、信じがたいほど関心を抱いたおじさんたちが主役」のドキュメンタリー。
◆なぜこの映画を撮ったのか。報告会の冒頭で語られたのは、50年にわたって通い続けるアマゾンのマチゲンガ族との付き合いだ。関野さんは彼らの家の中の写真を見せながら説明する。「柱、屋根、弓矢、ひょうたん、ベッド……、素材の分からないものがない。必要なものはすべて自然から取ってきて、自分で作る暮らしをしている」。翻って、私たちの中に自然の素材で自分で作ったものを持っている者はどれだけいるのか。「僕はありません。それだけ私たちは自然から離れてしまった」
◆もう一つは排出される物の方だ。彼らはヤシのほうきでゴミを集めて森に捨て、野で排せつし、死体は土葬または魚葬にする。ゴミもうんこも死体も全部森に返して、それが土になって植物や菌類のエサになり、小動物が食べ、肉食動物や人間が食べ、うんこをしてまた土に戻る。「つまり野生生物と同じように循環の中にいる。それに対して私たちはどうか。都市生活をしているとそれができない。片利共生で、自然に寄生している」
◆では、私たちが自然に帰せるものとはいったい何か。……ということで、ご存じ糞土師の伊沢正名さんが登場。伊沢さんは3人いる映画の主役の一人でもあり、報告会の前半いっぱいを使って、二人の対談が熱く深く展開された。
◆映画の中で、二人は埋めた野ぐそを後日、掘り返す調査をしている。伊沢さんがこの調査を初めてしたのは15年前。自身初の野ぐそ本「くう・ねる・のぐそ」の出版にあたり、本当に分解するのか写真で記録する目的だったという。「それまではバクテリアが一方向に分解を進めていくものと思っていたが、全然違った。においも変わっていくし、いろんな生き物や菌類が集まってきて、最後には芽生えがあり、キノコが生える」
◆さらに、江戸時代の百姓に倣い、団粒土になった頃に味見をしてみて驚いた。一口、口に含んだ感想は「ほとんど無味無臭」。ところが口の中で転がすようにしてさらに味わうと「唾液にとろけてねっとりまろやか。はき出すのも惜しく、『こんなにうまいのか!』と植物の根っこの気持ちが分かった」。15年前の調査では土に変わるまで1か月かかったが、今回は半月ですっかり分解されてしまうという驚くべき展開にも直面し、「頻繁にうんこをするから林が元気になって、計算が狂っちゃった」と伊沢さんはうれしそうに報告する。
◆調査に使ったのは茨城県の自宅の近くの通称「プープランド」だ。ここは伊沢さんが「野ぐそをするため」ではなく、「野ぐそをさせるため」に購入した土地だという。野ぐそを広めたい—。だが、土地には所有権があり無断で入れば不法侵入だととがめられることがある。人前で尻を出せば軽犯罪法違反に問われる可能性もある。そうした、ちまちました批判を、伊沢さんは壮大な野望で蹴っ飛ばす。「最後には軽犯罪法をぶっ潰してやろうと考えている」。東京・桜田門の警視庁の前で野ぐそをして捕まる。そして「野ぐそ闘争を裁判に持っていく」。
◆「で、いつやります?」すかさず関野さんが尋ねるも、その前に大事な仕事があると伊沢さんは打ち明ける。それというのは、プープランドの一角を墓地に認定してもらうこと。「私の意向は山に入ってのたれ死に、動物に食ってもらい、菌に分解してもらい、土に還る」。だが、林に死体が転がっていれば、それは変死体だ。死体は墓地に埋めてもらう必要がある、ならば林を墓地に認定してもらいたい。簡潔明瞭。自分が土に還る準備を整え、「桜田門外の便」に挑む。それが伊沢さんの「最後の闘い」だという。
◆「持続可能な社会を作るのは循環。次の世界を作るポイントはうんこにあるんです」。胸に堂々と「UNCO」とプリントされたオリジナルTシャツを着た伊沢さん。Ultimate Natural Cycle Productsの略だと後で教えてくれた。ぐるぐると渦巻いたUNCOの「O」の字を見詰めるうち、頭の中もぐるぐると渦巻いてくる。そうだ、うんここそ、自然循環する究極の産物……なのかも?
◆後半は、映画のもう二人の主役に絡んだ話だ。二人目に登場するのは、保全生態学者の高槻成紀さん。関野さんと高槻さんの出会いには、武蔵野の台地を流れる用水路「玉川上水」が関係している。20、30代に南米に通い、その後グレートジャーニーの長い旅に出た関野さん。外国で日本について聞かれるうち、「日本のことが答えられない。もっと足元を見ないといけない」と思ったそう。
◆旅を終えた関野さんは、週2〜3日、墨田区にある豚皮のなめし工場で働くようになり、一方で週2〜3日は講義のため武蔵野美術大学に通う生活に。通勤の道として歩いていた玉川上水のことを調べたいと考えた時、知人に紹介されたのが高槻さんだった。
◆「高槻さんと歩くと、鳥、虫、蛇など生き物がたくさんいることが分かって見方ががらっと変わった」。レッドデータブック(絶滅の恐れのある野生生物の種のリスト)に載っているような動物でなく、「普通に生きている生き物を大切にしたいという高槻さんの発想が好き」。映画ではタヌキに焦点を当て、そのふんを突きに来る鳥や虫、ふんから芽を出す植物など、生き物のつながりを調べた。そして今、玉川上水と交差する36m幅の都道の新設計画に対し、生物多様性の調査を求める署名運動も展開している。
◆最後の一人は、絵本作家の館野鴻さん。デビュー作「しでむし」で、死体食いの虫、ヨツボシモンシデムシの生活史を、精緻で美しいタッチで描いた作家だ。絵本の冒頭に出てくるのは、シデムシのエサとなる赤鼠の死体。「虫から見たら光り輝くごちそう。これから饗宴が始まる」。ヨツボシに魅せられた関野さんは、ぜひ映画に使いたいと、マウスの死体を使ったわなを仕掛けることを館野さんに持ちかける。
◆仕掛けてみるとヨツボシだけでなく、いろいろな虫がやって来ることが分かった。死体を食べに来るセンチコガネなどの虫はもちろん、ウジを食べるエンマムシなどの虫、さらに死体を食べる虫のうんこを食べる虫まで。64種もの虫が確認できた。
◆虫たちの間には、死体を巡る攻防や譲り合いもあった。死体をセンチコガネに取られぬよう、自ら土に掘った穴に死体を引きずり込んだヨツボシ。その傍らでは、スズメバチとアリがカマキリの死体を巡って争う。9月末までクロシデムシ全盛だった死体を巡る勢力図は、10月に入った途端にヨツボシにとって代わられた。「時期で分けている。そういう風に譲り合いをしている」。虫の世界を語る関野さんの口調に熱がこもる。
◆「ウジ虫は最高のヒーロー。そこら中がうんこや死体だらけになるのを防いでくれるから」とも関野さんは言う。ハエもウジも人間からは害虫と言われるが、森にとっては益虫なのではないか。館野さんとは「害虫や害獣って何なんだ」という話になるそう。「一番の害獣は人間だよね。自然を必要としていない唯一の生き物が人間だから」
◆人間は自然との関係を考え直すべきかもしれない。その時、私たちは何をするべきか。答えは「ほどほど」ではないかと言う。「肥大化した欲望がいけない。代理店や広告にあおられた『もっともっと』が」。虫たちのように、ただ今を生き、次世代につないでいく。無駄に奪わず、ほどほどの欲望を持って、ただそこに居る。そんな存在になれるものならと思わず願う。
◆今、関野さんは旧石器時代の暮らしの再現に挑んでいる。動機の一つは、アマゾンの人たちに対抗し、「ナイフも無しに徒手空拳で森の中で生きられるか試してみたかった」から。もう一つは、「鉄の無い時代に生きてみたい」という思いだ。グレートジャーニーを始めた時、旧石器時代の人に思いを馳せられるのではないかと思っていたが、鉄器を使わない人は現代にいなかった。「IT時代でもAI時代でもなく、ずっと鉄器時代。鉄の無い時代に生きるためには時をさかのぼるしかない。タイムトラベル装置がないから自分で環境を作る」。奥多摩で始めた試みは、新潟県、北海道へと場所を移して続いている。
◆最後に関野さんの提言。「『もっともっと』はやめましょう。人間中心主義はやめましょう」。映画のタイトルには「復権」と付けたが、「虫たちは復権なんて願っていません。ただ彼らの生と子孫作りに必死になっているだけです」。私たちがすべきは彼らの生を邪魔しないことであり、そのために人間のことも他の動物のことも考えるべき—。そう話を締めた関野さんに、はにかんだ笑顔が残った。「なんか正しいことばかり言っているので、恥ずかしくなるね」[菊地由美子]
■かつて、よく地平線報告会で話をしていましたが、今回は10年ぶりの報告会なので、少し緊張しました。初監督のドキュメンタリー映画『うんこと死体の復権』が公開中ということで、江本嘉伸さんに声をかけられました。前半は、伊沢正名さんに登壇していただき、対談という形式にしてもらい助かりました。後半は写真や動画の扱いがうまくいかず、わかりにくかったと思います。終了後、何人かの方から質問を受けました。報告会では質問コーナーがなかったので、質問と回答という形で話を進めていきます。
◆私が冗談で話したのをプロデューサーの大島新がそれにしましょうと反応して決まった。最初にタイトルありきの映画作りが始まった。インパクトはとても強いが誰のための何の復権なのかわからないだろう。たとえば、現在国内の法律では川の鮭を捕獲してはいけない。ところが北海道のアイヌは昔から川鮭を捕ってきた。このような先住権は諸外国では認められている。やっと先住民であることは認められたのに、先住権は認められていないのだ。アイヌは先住権を認めるよう国に求めている。このように、本来は持っていた権利をいったん奪われ、それを回復するのが復権だ。
◆うんこと死体の権利とは何か? うんこと死体は、アマゾン先住民など世界の伝統社会では、森羅万象の循環の輪の中に戻っていき、最終的には土になり、植物の栄養になり、それが動物の栄養になり、それが野糞をして死体が埋められと繰り返していく。ところが現代社会ではうんこや死体は縁起の悪いもの、隠したいものとして扱われる。その認識を変えることが必要だろう。
◆一方で、うんこや死体を食べるムシたちにとっては、復権とはなんだろう。確かに私たち人間はそれらを嫌い、鼻つまみ者として見て、扱う。しかし、彼らは人間の評価など気にしているだろうか? いや、まったく気にしていないだろう。彼らは自分たちの生を全うし、子孫を残すために精一杯活動しているだけだろう。
◆彼らが人間に求めたいことがあるとしたら、何だろう? 「この地球は人間だけのものではない。人間は自分たちのことばかり考えている自己中心主義に陥っている。たまには他の生き物のことも考えてほしい。今、多くのどうぶつ、トリ、ムシ、サカナが人間の行いによって滅びようとしている。SDGs(持続可能な開発目標)は17の目標で構成されていて、重要なものばかりだが、欠けているものも多い。物質的に裕福な人たちは、経済発展や自然開発ありきで、現状をあまり変えたくないことが透けてみえる。肥大した欲望で地球やそこに生きるものたちを圧迫しているのに、もっと物質的に豊かになりたいと貪欲さを失わない。いいかげんにしてくれよ」などと思っているのではないだろうか?
◆1. アマゾンの先住民はナイフ一本持たせて森の中に放り出しても、自然から必要なものを取ってきて、衣食住をすべて賄ってしまう。わたしも彼らと長く一緒に暮らしてきたので、ナイフ一本あれば他に何もなくても、自然から素材を自分でとってきて、衣食住を賄ってサバイバルできる。現在進めている旅は、ナイフももたず、徒手空拳で日本の森に入っていき、サバイバルできないかという試みだ。
◆2. アフリカを出てシベリア、アラスカ経由で南米最南端までの遠征グレートジャーニーは、マンモスハンターたちつまり旧石器時代人の旅だった。私は南米発の逆ルートで移動したが、自分の脚力と腕力それとウマ、イヌ、ラクダ、トナカイの力を借りて、太古の人たちと同じように近代的動力は使わずに移動した。
◆旧石器時代の人たちがどんな思いで旅をしたのか? 森の中あるいは河岸などで焚き火にあたりながら皆で何を話したり、考えていたのか。私は彼らに思いを馳せようと思ったので、彼らに近い条件、近代的動力を使わずに旅した。パタゴニア、アマゾン、アンデスなどの先住民の村や、南米を出てからもできるだけプリミティブな暮らしをしている村々を訪ねながら移動した。
◆ニューギニアには、50年前までは鉄を知らない、石器だけで暮らしをしている人がいたが、現在は鉄の斧、ナイフを使っている。一度鉄を使うともう石器には戻れないのだ。80億に膨れ上がった人間で、プラスチック、ガラスやアルミニウム、金銀銅を必要としない人は10億人以上いる。しかし赤ん坊は間接的だが、鉄を必要としない人は皆無に近い。
◆石器時代の次に青銅時代を経て、鉄器時代になったが、現在も地球レベルで見れば、鉄器時代と言っていい。石器時代人に思いを馳せるには、タイムトラベルで石器時代に戻って、彼らと同じように徒手空拳で森に入って行くのが一番いいと思った。
◆3. また旧石器時代はとてもプリミティブでシンプルな暮らしをしていた。南アメリカの最南端からアフリカまで、10年近くにおよぶグレートジャーニーを終えて、ゴールに着いた直後、友人の坂野皓から、「長旅を経て、どんな気づきがあったか」と問われた。私は「一番大切なことはあたりまえのことなんですね」と答えた。「必要最低限の食べ物」、「汚れていない水・空気・土地」、「家族と、共に生きる仲間たち」、「どのように生きるかを人から強制されない権利」など、本来はあたりまえのことだが、人はそれらを失ったときに初めて大切さに気がつく。
◆山で水筒が空になり、水辺に着いて飲んだときの水の旨さ。病気になって初めて気がつく健康のありがたみも同じだ。旧石器時代の暮らしをするということは、余計なものを剥ぎ取って生きていくことになる。本当に大切なものは何かを再考する契機になる予感がする。久島弘さんは「貧乏ぐらし」を現代で挑戦しているが、私は時代を遡ってチャレンジしてみたい。
◆ ◆ ◆ ◆
◆今回、「旧石器時代へのタイムトラベル〜素手で日本の森に入って生きていけるか」という旅を続けるため、クラウドファンディングを始めました。旅そのものは、1年8か月前から始めています。今まで、奥多摩、新潟県山熊田、北海道二風谷で石器を作り、木や竹を切り、紐を綯い、家を作り、森の中で捕れるものだけを食べて生きていく活動をしてきました。今までも動画撮影をしてきましたが、活動費は私の日雇い医師、講演、原稿書きなどでまかなってきました。
◆これから、映画制作も本格的に行いたいと思っています。活動地域も新潟、北海道、沖縄と遠方になり、交通費もかさばり、皆さんに応援をお願いしようと思いました。そのために、ネツゲン制作のドキュメンタリー映画『うんこと死体の復権』と同じように、motion galleryでクラウドファンディングを始めます。興味を持っていただけたら是非仲間になって、応援をお願い致します。また、シェア、拡散をお願い致します(motion gallery https://motion-gallery.net/projects/sekino-sekki)。[関野吉晴]
■今回の関野吉晴さんの報告会でも死の話題が出たため、本通信537号に書いた「しあわせな死」について、少し話を進めてみます。以前「地球永住計画」で関野さんと対談した中で、サルには後悔や不安はないと関野さんから伺いました。彼らは今を生きることに精一杯で、過去や未来を思わないからだそうです。その際に私は、何も後悔せず死の恐怖もない自分はサル並の人間です、と返したことを覚えています。とはいえ、私は過去も未来もしっかり認識していますが、たとえどんな失敗をしてもその経験から多くを学んできたし、死んでも土に還ればウンコと同様に、他の生き物に喰われて新たな命に蘇る自然界の命の循環を、野糞跡掘り返し調査で確認しているのです。
◆この命の循環思想は数年前にほぼ出来上がっていたのですが、決定打は昨年の地平線報告会500回記念集会の日です。昼におにぎりを食べた際に、最後に1本だけ残っていた貴重な前歯が欠けてしまいました。それまでの歯の欠損は2本だけだったのが、2022年正月からの2年間で次々に11本も欠けて、まともに食べることができなくなってしまったのです。しかしできるだけ自然のままに生きたいと願う私は、喰えなくなれば死ぬしかない野生動物のように、歯の治療などせずにこのまま死に向かえばいいと腹をくくったのです。そのときに降って湧いた想いが、「困った、どうしよう」ではなく、13年以上続いた連続野糞記録が途切れたときにホッとしたのと同じように、「遂にしあわせな死を実践に移す時がきた!」という喜びでした。
◆元気なときはあれもこれもとついつい欲張ってしまい、なかなか的が絞り切れません。しかしいつか必ずやってくる死にきちんと向き合えば、無駄に時間を過ごすことなどできず、今すぐやるべきことが自ずと明確になります。じつは2015年に舌癌になったときも死を実感したのですが、そのときは「正しい野糞のしかた」と尻拭き葉っぱをまとめた「お尻で見る葉っぱ図鑑」を書き残すことが、どうしてもやり遂げたいことでした。何の因果かこのときも地平線報告会が絡んでいて、それが東日本大震災とフクシマ原発事故現場を巡る432回報告会「ぼっかされだ里に花の咲ぐ」でした。ここで偶然大西夏奈子さんに出会い、彼女の協力を得て、念願だった『葉っぱのぐそをはじめよう』の出版に漕ぎ着けたのです。
◆そして今回の歯っ欠けでは、直後の二次会で高世仁さんに出会えた縁で偉大な「新コスモロジー」を知り、数日後には青森県立美術館でのリアルウンコ写真展が突如決まり、その流れで鴻池朋子さんの奇抜なアート作品がプープランドの林の中に展示されました。この地平線会議に関しては、1月は「今月の窓」に原稿を書き、2月には2月には報告者となり、先月の関野さんの報告会にもいきなり引っ張り出されるなど、これほど濃く関わったのは初めてのことです。さらに一時は劇場公開は無理だと言われた『ウンコと死体の復権』の上映が始まると、予想をはるかに超える好評を得て、何と講談の世界にまで拡散して行く。そして私の遺書代わりともいえる最後の糞土師本「うんこになって考える」の出版は、子どもに死の話は相応しくないとか、野糞は刑法に触れるなどの理由で多くの出版社に散々拒否され続けてきたのが、先日遂に朗報が届きました。これらすべてが死に向き合おうと腹をくくってから、1年足らずの間に起こった出来事なのです。
◆さて、私の理想とする死に様はもちろん、すべてを自然に還すための「野垂れ死に」です。私の死骸は獣や虫たちに喰われ、菌に分解されて土に還り、植物に生まれ変わり、また動物の姿になって連綿と命が続きます。しかし交通事故などで街中で死んだり、たとえ野垂れ死んでも朽ち果てる前に発見されれば不審死体として回収され、焼かれて自然には還れません。やはり法に則った上で、かつてのように墓地に土葬されるのが確実な方法で、半世紀に亘る野糞で育て上げたプープランドの林の一画に墓地が認定されれば万全です。ところが新たな墓地の認定は、お寺など宗教法人でないと基本的に認められません。その権限は自治体にあり、一度市役所に行ってその相談をしたのですが、個人での墓地申請は極めて困難でした。この難関を突破する新たな闘いは避けられません。死ぬのも本当に大変です。
◆余談ですが、この報告会に着ていったUNCOのTシャツがちょっと話題になりました。それは長野県中川村の「運古知新プロジェクト」で作られたもので、このプロジェクトに関わった関野さんも持っているはずですが、なぜかそれを着ている関野さんを見たことがありません。まだ関野さんはウンコへの恥じらいを捨てきれないのでしょうか。それはまぁいいとして、この際思い切って、糞土師ならではのウンコTシャツを作ることにしました。UNCOとNOGSOのTシャツをみんなが着て、人と自然が共生する糞土思想を世界中に広めることが、持続可能な循環社会を実現する力になると確信しています。
◆このTシャツのデザインはもちろん長野亮之介さんにお願いして、すでにウンコTシャツプロジェクトは動き始めています。おたのしみに![伊沢正名 糞土師]
イラスト ねこ
■先日は、最近2歳になったばかりの息子と一緒に地平線報告会に参加しました。関野吉晴さんともなればファン層も幅広いようで、私たち以外の子連れも何組かいました。小さい子供がじっとしていられないのはどこも同じらしく、他の子もうちの子と同じようにワサワサ動いていたので、まあいいかと、ちょっと安心しました(笑)。
◆関野さんは最近、ドキュメンタリー映画『うんこと死体の復権』を公開されたということで、おそらく伊沢さんもいらっしゃるのではとひそかに期待もしていました。前々から伊沢さんの野糞の活動にも興味があったので、おふたりのお話を聞くことができてよかったです。
◆グレートジャーニーにしろ野糞にしろ、なかなかまねができない卓越した……見方によってはクレイジーな活動に身を捧げるおふたりの話を、実際に会場で2時間以上もの時間をかけて聞いてみることで、自分の中で生まれてくる変化がありました。それこそ普段の私たちが日常生活で意識も及んでいないけど本当は大切なことに、話を聞くという受動的な行為を通してしっかり浸り、考えを巡らせることができた時間でした。
◆排泄も死も、清潔な現代生活からすれば“不浄”なものとして扱われがちです。野糞について考えていると私がよく思い出すのは、谷崎潤一郎が『陰翳礼讃』で述べた「厠の美」です。谷崎曰く、日本の厠は母家から離れたひっそりとした場所に設けられており、うすぐらい光線の中でうずくまり自然を感じながら精神を休める場所であるとのことです。多くの現代人が、LED電球に明るく照らされた狭い個室に入り、真っ白な洋式便器で用を足すとき、そんな豊かさを感じるでしょうか。
◆現代人の日常生活は、生きることの本質からあまりにも遠ざかっているように感じています。自分が何を食べて生きていて、排泄すればその糞がどうなっていくのか、そんなことを考えないでいる方が楽に回っていくように思えるほどです。水洗トイレは便利で清潔だし、家の中でウジ虫を見れば、益虫だと言われてもやっぱり背筋が凍ります。だけど、知らなくても済んでしまうそれらのことを無視して過ごせば、無意識で私たちの人間としての根底が揺らいでいき、そしてそれは確実に、物質的な意味でも何十年も先の未来に影響していくことになるはずです。
◆今年の夏は、家族で海やキャンプなど、自然豊かな場所にたくさん遊びに行きました。昼はじりじり灼けるような太陽の下で海水浴をし、夜は自分で起こした火を使って料理をし、焚き火を眺めて過ごす時間は、うまく形容できませんが、内側からパワーがみなぎる実感をくれるものでした。便利で娯楽にも事欠かない現代ですが、私たちを心の底から満たしてくれるものは、おそらく何千年も何万年も前から変わらないのでしょうか。
◆さまざまな情報が溢れ、何が正しいのかわからなくなってくる世界に、ますます重要さを増しているのが、人間としての感覚を失わないことだと思います。報告会で関野さんと伊沢さんが話してくれたことは、現代を生きる私たちに肉薄した問題だと思いました。[貴家蓉子]
■10か月ぶりに報告会へ参加して、久しぶりにたっぷり刺激を受けました。翌々日には東中野へ関野さんの映画を観に行ってきました。関野さんと伊沢さんのお話、そして映画から、私は自分自身も自然を構成する一部分であるということに気づかされました。
◆山でテント泊をしたとき、夜中に獣の鳴き声が聞こえる中、遠くに小さく町の明かりが見えて、「人間の世界から出てきてしまった」と恐怖を感じたことがあります。人工物に囲まれ、人工的に処理される社会で生きることに慣れてしまった私は、自然から隔離されかけているのでしょう。しかし、昆虫も菌類も私たち人間も、本来は共通した生命の循環の輪の中にいるということを教えてもらいました。自然的存在であるはずの人間が、自然を脅かす存在になってしまった今、地球に対する姿勢をあらためる時期にきていると思います。これまでの反省から、人間の私利私欲にとらわれない社会実現のために、私たち若い世代が行動しなければなりません。
◆その中で私は、来年度から北海道の大学院に進学し、「南極の祭」というテーマで極域の自然環境と人間社会について研究します。地球環境問題の解決や自然環境の保護・保全に取り組めるようになることを目指して勉学に励んでいこうと思います。南極の祭りといえばご存知の方も多いと思いますが南極大陸の世界中の観測基地が冬至の日に一斉に行う「ミッドウィンター祭」のことです。太陽が失われる極地の厳しい冬を乗り越えるために生まれた、極地探検時代から現代まで続いている歴史ある祭りです。
◆緯度が高い北欧でもこれに似た儀式が行われていて、それがクリスマスの原点であること、この祭が探検家たちの健康の維持に心理学的にも栄養学的にも重要だったこと、などがわかりました。この研究が面白いと思い、ここまでわかったことを卒業論文として提出し、修士論文でも続けていきたいと考えています。修士論文では「ミッドウィンター祭」の枠を超えて、極地の人々の暮らしや文化、精神構造などについても明らかにしたいと考えています。
◆さて、北海道といえばですが、法政大学澤柿ゼミは、8月23日から前半・後半に分かれて、各3泊4日のゼミ合宿を行いました。今回の舞台は南十勝でした。今年6月、日高山脈襟裳国定公園が「十勝」という名を入れて国立公園に指定されました。私たちはこのテーマを社会学的に紐解き、秋には研究発表を行う予定です。
◆私が参加した前半組は、「六花亭」の包装紙をデザインした山岳画家・坂本直行の入植跡、太平洋戦争末期に造られたトーチカ群(ロシア語で「点・地点」を意味するコンクリートを固めた小型の防衛用陣地)、海岸浸食が進む砂浜などを見て回り、日高山脈の国立公園化を記念する講演会にも出席しました。
◆原生的な自然が残された日高山脈は、その姿を描いた直行さんをはじめ多くの登山家や住民から愛され、尊ばれてきたことがわかりました。一方、私たちが目にしたトーチカや海岸浸食は、戦争の現実とダム開発の弊害を意味します。それは十勝という地が人間によって開拓され、利用されていったしるしでもあります。
◆新たに生まれた日本最大の国立公園も、保護するのか、利用するのか、その矛盾をどう乗り越えるのか、という問題は、人間を自然や生き物との循環の中に置いて考えることが大切だと思いました。[法政大学4年 杉田友華]
■8月31日の地平線報告会は、関野吉晴さん。今チャレンジしている石器時代の暮らしについて、を副菜に、メインは、初監督映画作品『うんこと死体の復権』公開のお話だった。報告会翌日、早速映画の上映館へ。運良く関野さんの舞台挨拶つき回のチケットがとれた。そこでは、前日の地平線会議での報告とはまた違った側面での話が展開され、この映画の宣伝にまつわる苦労話が話題になった。私も映画を見終わった直後なだけに、納得。なんせ扱っているものが、うんこと死体。モノがモノだけに、いくらテーマが良くても上映を断る館も多い、というのはもっともな話だと思った。
◆実は私は、とある取材で昨年の春、すでにこの映画の話を関野さんから聞いていた。なので、今回この映画を実際に鑑賞後、真っ先に思ったのは、そこに込められたメッセージもさることながら、この映画をどうやって世の中に広く届けられるか、だった。いくら映画のテーマがすばらしくても、その手前で見る側の嫌悪感が際立ってしまっては、先方の懐まで届けられない。だからこそこういう映画を、地球を股にかけてきたレジェンド探検家の関野さんが監督することには、とても大きな意義があると思った。とかくレジェンドのやることは、かっこよくて人目を惹きつける魔力がある。
◆ちょっとネタバレになるが、映画の中で、うんこのかっこよさにこだわる関野さんがいた。レジェンドたるもの、うんこもかっこよくなくてはならない。りっぱなうんこを排出できて、ドヤ顔で人様に披露する関野さんがいる一方で、なさけないうんこしか出せなくて、なさけない顔をしながらソレをそそくさと隠してしまう関野さんがいた。どちらの関野さんの中にも、沸々と煮えたぎるレジェンド魂。レジェンド自ら排出するうんこのかっこよさへの責任と覚悟が、うんこや死体という、世の嫌われモノに向けられる嫌悪の壁を突き崩し、それらの復権への道を拓くのかもしれない。そんなことを思ったのでした。[中井多歌子]
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