2024年3月の地平線報告会レポート


●地平線通信540より
先月の報告会から

クジラの海へ里帰り

高沢進吾

2024年3月30日 榎町地域センター

■今回の報告者はアラスカ北西部・ポイントホープに通い続ける高沢進吾さん。「ポイントホープの人たちとの生活があまりにも面白く、学ぶことも多くて結果的に30年も通うことになっています」と語る。報告会では通い続ける動機の一つ、クジラ、アゴヒゲアザラシ、ハクガンなどの猟や、町での生活をたっぷりと話していただいた。

◆ポイントホープはアラスカ州北西部の海岸沿いから飛び出した岬に位置している。人口は800人ほどの小さい町だが海に突き出た地形を生かしてクジラ猟が盛んにおこなわれてきた。高沢さんのアラスカ行きの最初のきっかけは中学時代に読んだ植村直己の冒険記だ。これを読んで北極圏のエスキモーの生活に憧れるようになったと語る。植村直己は北極圏の旅の途中、立ち寄った町でクジラ猟に参加する、その町こそがポイントホープだった。高沢さんは社会人になり、お金がたまったのをきっかけにこの町と深く関わっていくことになる。

◆1993年8月、何のあてもなく訪れたホワイトホープの海岸にテントを張って過ごし、町や海岸を散策した。「目に入るものすべてが珍しかった」と高沢さん。しかし町から丸見えの平原に張られた奇妙なテントはすぐに噂になり、好奇心にかられた子どもたちが大量にやってくる。そのうち「いじめられてるやつがいる」と子どもから聞いて駆けつけてきた大人から家に招かれることに。その後もポイントホープに通ううちに親交を深め、遂にはクジラ猟にも参加するようになった。転職した今でも毎年3か月の休暇を取り、猟期に町を訪れているのだとか。コロナ禍の2020年は出国ができなかったが翌年には厳しい制約を乗り越えてポイントホープ通いを続けていたそうだ。

◆ちなみにエスキモーは彼ら自身のことも「エスキモー」と呼ぶ。ポイントホープはイヌピアックという種族でそちらで呼ぶこともあるが差別用語ではない。一方で彼らの言葉は先住民の同一化政策で失われつつあるが一部の単語は残っている。

◆クジラ猟でターゲットにしているのはヒゲクジラの一種、ホッキョククジラであり冬は氷のない南の海域で暮らすが春、4月上旬から5月中旬にかけて海氷が割れたところに餌を求めてやってくる。体長は15mほどに達し、とにかくでかい。これが町の沿岸を平然と泳いでいる。動画を見ると怪獣物の映画みたいで非現実感がすごい。

◆クジラ猟のため、乱氷帯を整地したトレールの先、海氷の末端部に拠点を設営し、テント生活。町からは温かい食べ物を持ってきてくれる。キャンプにはホッキョクグマも来たがこの時期はクマに構っている暇はなくクジラに集中する。ポイントホープでは十数組のクジラ組があり、キャプテンの下、男たちがボートで狩りに出かける。近年では開氷面が広がったこともあって伝統的なウミアック(アゴヒゲアザラシの皮を使ったカヌー)はほぼ使われなくなったそうだ。

◆以前はシャッター音さえ気にしていたそうだが現在ではエンジン音を轟かせながらクジラを追いかけている。クジラに追いつくとダーティングガン(銛)を目標に打ち込む。銛の先端には弾体(ボム)が搭載され体内で爆発する仕組みだ。これは100年以上前から使われているらしい。複数の組がダーティングガンを打ち込み、息絶えたところを岸まで曳航する。

◆アラスカにおける捕鯨数は厳密に管理されており、ポイントホープには1シーズンに10頭ほどが割り当てられている。また、肉を市場に流通させることはできない。大半のアメリカ人は自国でクジラやアザラシ猟が行われていることも知らないのではないか、と高沢さん。

◆続いて解体作業に移る。まずは分け前をマーキングしておく。取り分は銛を打ち込んだ順番に決まる。部位は細かく分類されており、特に尾びれは重要な部位でキャプテンの取り分。次に氷上に支点となる穴をあけて滑車とロープを使い引き上げるのだが、この作業が一苦労で30〜40人で5時間くらいかかることもあるとか(クジラは1フィート当たり1トンにおよぶそうだ)。

◆解体はさらに大変で3日3晩におよび、白夜のため夜も作業は続けられる。ナイフは脂ですぐに切れなくなり10分に一回研ぐ。ナイフを持ったまま血まみれで寝ていたこともあった。少々グロテスクだが日本のスーパーに売られている肉からは想像もできない、貴重な命のやり取りの現場を垣間見ることができる。猟の関係者に均等に(階級は関係ない)分配したところで終了。細かく切ってニンジンや玉ねぎと一緒に炒めたり、皮の部分(マクタック)を茹でたりして食べる。ちなみに彼らは生食はせず、加熱するか、永久凍土で凍らせてから食べるそうだ。

◆クジラ猟が終わると今度はハクガンという鳥の猟。流木のブラインドに隠れて見事に撃ち落としていく。少々グロテスクだが骨を砕いて脳みそまでいただく。脂が多く、うどんに入れると味がものすごく濃くておいしいそうだ。高沢さんは去年は40羽ぐらい捕り、1日に3〜4羽のペースで捌けるとか。

◆町では猟がひと段落した6月中旬、クジラ祭り(カグロック)を行っている。クジラがとれたことに感謝し、町の人に様々な料理がふるまわれる。クジラの尾びれ「アヴァラック」は組のキャプテンからかかわりのあった人々に直接手渡される。ちなみにエスキモーの人々にとって名前は非常に特別なものらしく、同名の人を「アチャック」、配偶者と同名の人を「ウーマ」と呼んで大事にしている。

◆肉は最終的に会場にいる人全員に配られる。町では酒は禁止されているが炭酸飲料は大好きなので太っている人が多い。「アクトック」というカリブーとアザラシの脂肪を使ったエスキモーアイスクリームもふるまわれ、世界一脂っこい食べ物とのこと。酒はなくともなかなかジャンキーなお祭りだ。他にもクジラやセイウチの内臓の皮を張った太鼓を使ったエスキモーダンスや、アゴヒゲアザラシの皮を使った人力トランポリンに興じる姿を覗き見ることができた。

◆話はアゴヒゲアザラシ猟にうつる。体長2mほどになる大型のアザラシで、猟は5月下旬から6月中旬にかけて行われる。まずは海から頭を出したところを鉄砲玉でとらえ、銛を打ち込んでとどめを刺す。クジラより小さい分、余計に生々しい。船上で若者が銃を放ち、スマホで町に連絡を取っている姿がとても不思議な光景に感じられる。曳航し、小型の扇状のナイフ(ウル)を使って器用にさばく。皮はかつてウミアックに使うため丁寧に剥いでいた。

◆夏にはウミガラスの卵拾いもやっている。長いくちばしに白い腹、短い羽根はまさにペンギンだが北極にペンギンはいない。海沿いの崖に卵を産むのでロープで下降し回収する。ロープはガレージセールで買ってきたものを垂らして2〜3人で支えているだけなので引き上げには結構てこずるそうだ。最近では高沢さんが縄梯子を自作したとか。こういうものを自分で作れてしまうのは本当にすごい。卵はゆで卵にもするが、高沢さんは日本人らしく卵かけごはんだ。

◆高沢さんはすっかり町の人からも頼られる存在のようで、ダーティングガンの火薬の充填を任されたり、ハクガンの皮の剥ぎ方を指導したり。わざわざ電話がかかってきて「物置に置いてたはずのあれ、どこにあったっけ?」と聞かれることも。長く通っていると、かつてトイレの世話をしていた子どもが成長してすっかりたくましくなっていたり、月日の流れを感じさせる場面もあるそうだ。

◆月日が流れれば、人も死ぬ。毎年町を訪れると訃報に接することもある。町から大きな病院までは遠く手遅れになってしまう人も多いらしい。お墓の周りにはクジラのあごの骨が立ててある。町の人はこの骨を人生の大切なものとしてとらえているそうで、クジラ祭りの会場にはこの骨が飾られている。かつてはこれを骨組みにした家に住んでいたそうだが今は西洋式の家に、石油式の暖房を効かせて暮らしている。固い凍土を掘って土葬するのも一苦労だ。それでも寂しいし悲しいからひたすら掘り続ける。この30年で、お墓の数はどんどん増えていった。

◆ポイントホープは実に小さい、陸路もない閉鎖的な町という印象を受ける。事件や自殺を見聞きすることもあるそうで、去年の滞在中には銃乱射事件があったとのこと。それでもその家族まで憎んだりすることはなく、刑期を終えた人も普通に生活できるそうだ。人口が少ないため、事件や自殺の発生比率としては高くなってしまう。酒やドラッグの問題も抱えている。町を出てホームレスになる人もいる。

◆飛行機から撮影された、物寂しい村の姿。アメリカ大陸の最果てで陸路もないこの町、極地に住む人々の現実を思い知らされた気がする。極地やへき地にあこがれることはあるがそれは良い面に惹かれてのことだ。長期にわたって町に通い続けてきた高沢さんの生の報告はポイントホープもいい面ばかりではなく、理想郷ではない、都会とは違った問題があると語りかけてきてくれたような気がする。高沢さんのポイントホープ通いのモチベーションは学ぶことが多いから、とのこと。場所や環境を求めるだけではなく、自分の成長や経験を通して、人生を充実させていくことこそが大事なのかもしれない。[竹内祥太

イラスト-1

イラスト ねこ


報告者のひとこと

「氷の上にいること」こそこの上ない幸せ

■「30年も同じ町に通っているなんてまさに地平線会議向きの話だからぜひお願いしたい」と江本さんに言われ、9年ぶり2回目の報告会。初めてポイントホープへ行ってから30年。猟に参加するようになって20年以上。毎年やっていることはほぼ同じ。しかし自分が彼の地で何をやっているのかは謎に違いない。その様子を写真で紹介してみよう。

◆見せたい写真は山ほどある。ただし、ほとんどの写真は解説がないと意味不明だろう。枚数を増やすと時間内に終わらなさそうだ。動画もある。時系列で写真を抽出。これで2時間くらいか? すべての写真に解説を書き、時間確認をしようと写真を見ながら書いた文章を読み始める。読むたびに言いたいことが増え、時間の確認ができないまま、解説はどんどん増えていく。写真枚数、動画の時間から、こんなもんだろう、足りなくなったら最後の雑感を削ればいい、時間が余ったらエスキモーダンスの動画もある。

◆今回、報告をするにあたっては、昨年グリーンランドで行方不明になった山崎哲秀氏のことは外せない。最初の10分ほど彼の話をする。妙な緊張感に原稿を読むだけで精一杯。客席をみる余裕はなく、そして言葉が詰まる。先が思いやられる。しかし本編は、いつもやっていることを説明すればいいので、言葉に詰まることはなくなり、緊張も解けていった。

◆ポイントホープに通い続ける理由。昔は何かそれっぽいカッコいい理由を探していたが、そんなものはいつまでたっても見つからない。ふと我に帰れば「面白いから」「楽しいから」通い続けている、ということに気がついた。毎年、友人たちが帰郷を温かく迎えてくれる。技術、知識、自然の様子など、毎年のように何かしら新しいことを知ることができる。自分にとって、こんな面白いことは他にない。一つ言い忘れていたが、「氷の上にいること」それは自分にとって、この上ない幸せな時間なのだ。これも毎年ポイントホープへ行く理由の一つでもある。

◆キャンプへ向かう乱氷帯の中のトレイル。顔に当たる痺れるほどの寒風さえも心地良くてにやけてしまう。氷点下20度の薄暗い深夜の氷の上も、氷上のクジラを徹夜で解体し、血まみれで疲れ切っていても、そのどれもが幸せな時間だ。これまでこの生活を続けられたのは、日本でもアラスカでも、すべて人との出会いのおかげだった。今まで出会ったすべての人たちに感謝したい。そしてこれからもよろしく。今年も間もなく出発です。行ってきます。

・・・ 追記 哲ちゃんのこと ・・・

■2023年12月最初の土曜日、山崎哲秀氏が行方不明になったというメールを受け取った。慎重な彼が行方不明になるはずはあるまい、何か読み間違えているに違いない。何度もメールを読み返すが、その事実は変わらない。

◆数時間後、何を書いていいのかわからないまま、自分が混乱した状態にあることを伝えるメールを彼の奥さん宛に送った。まもなく奥さんから返信があった。短いながらも達観したような奥さんの文章を見て、それが事実であることを認めざるを得なかった。

◆12月中旬の週末。頭の中がモヤモヤしたまま、いつもの(エスキモー)ロール練習のために、仲間とカヤックを漕ぎに出かけた。カヤックを漕ぎ出し、体を倒してロールを行う。頭が水の中に入った瞬間「もしかしたら彼が最後に聞いた音はクジラやアザラシの声だったのでは?」という思いが浮かぶ。自分が水中にいた時間は1秒にも満たない。カヤックを引き起こしたあとも考え続ける。「もし水中でそんな音が流れていても、パニック状態だったら何も聞こえなかったのでは?」。その日は水の上にいることが何となく怖くなってきて、早々にカヤックを降りた。

◆『つなぐ 地平線500!』に「生きる極意は死なないこと」という文章を寄せた直後ということもあり、落ち込む日々が続く。ある日、こんな考えが浮かんできた。「彼は海の食物連鎖に組み込まれた」。現代の日本人は、滅多なことでは明確な食物連鎖の一部になることは不可能だ。なんと羨ましいことだろう。いや、羨ましいなんて思っちゃいけない、彼には家族がいる。

◆自分にとってバイクとは、知らない道をのんびりと走ることのできる、とても楽しい乗り物だ。しかし12月以降、通勤で短時間乗るのさえ怖くなっていた。いくら慎重に運転したところで、車が突っ込んできたらそれまで。ヘルメットを被ると「死なない方法」を考え始めている。ヘルメット内蔵のスピーカーからは、同じ歌が繰り返し流れている。

◆年が明けてしばらくそんな状態が続いていた。1月終わり頃の土曜日の朝、目的地だけ決めて地図を見ずに走り始めた。相変わらず「死なない方法」を考え続けているが、スピーカーからは色々な歌が聞こえてくるようになった。少しは心が落ち着いてきたのかもしれない。

◆仲間を失うことほど辛いことはない。だから自分もいなくなってはいけない。哲ちゃん、自分はしばらく死なないからな。その時が来たらまた会おう。それまでは家族と仲間のことを見守っていてほしい。[高沢進吾

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