■前回の「つなぐ 地平線500!」を終え、節目となる時期を迎えた地平線報告会。そこに続く501回目の報告会に登壇してくださったのは、ジャーナリストの高世仁さん。高世さんは、『中村哲という希望』という書籍(佐高信さんとの共著)を出版したばかりだ。今回の報告会は、10月に現地入りしたウクライナのレポートのみならず、中村哲さんの思想にも触れながら、今の日本人の価値観や本来あるべき姿というスケールの大きな話へとつながっていく。会場に持ってきてくださった書籍20冊は、あっという間に完売してしまった。参加者全員に多くのことを考えさせる、2023年を締めくくるのにふさわしい報告会となった。
◆高世さんは、2023年10月にウクライナ入りして取材を行った。その取材の成果は、BS11の番組『報道ライブ インサイドOUT』で放送され、ネットメディア『デイリー新潮』『JBプレス』でもウクライナ取材記事を連載中だ。高世さんとともに現地で取材したのは、ジャーナリストの遠藤正雄さん。彼は、なんとベトナム戦争の取材経験まである、百戦錬磨のベテランだ。2022年のアフガニスタン取材でも、二人はタッグを組んで取材している。
◆ウクライナ戦争が勃発してから、はや2年近くが経った。国際的な関心は薄れつつあるが、極東の日本に住む私たちにとっても、他人事では済まされないのだと高世さんはいう。日本は、表向きでは戦争をしている国家に武器の提供を禁じているのだが、ウクライナに武器を提供したアメリカに、日本は補充用の武器を輸出している。私たちの税金で賄われている日本の防衛費を使って、間接的に戦争に加担しているということを、日本人としてきちんと知る必要がある。そのために、海外メディアの報道に頼るのではなく、日本人ジャーナリストが日本人の視点で現地に行くことに意義があるのだ。
◆今回のウクライナ戦争は開戦後2年だが、実はそれ以前からウクライナは戦争状態にあるという事実をご存知だろうか。この戦争の背景について、高世さんが報告会冒頭で解説してくれた。1991年の独立以来、ウクライナ政府は汚職のまん延や経済停滞といった数多くの問題を抱えており、2014年2月には不満が高まった市民が蜂起し反政府デモ(ユーロマイダン革命)が発生。それをきっかけにロシアの介入と武力衝突に発展して以降、停戦協定と協定違反の衝突が繰り返されている状態が続いていた。そして最終的に、2022年2月24日にロシアがウクライナに侵攻を開始。ウクライナ人からすれば、2014年のユーロマイダン革命以降、10年もの間、断続的に戦争をしていることになるのだという。
◆今回、高世さんと遠藤さんは、ウクライナ側に従軍して取材した。現地に入ってまず驚いたのは、前線の最も危険な場所でも、市民は日常生活を続けているということだという。朝の通勤ラッシュもあるし、夜は劇場でオペラが上映され、レストランやカフェも営業している。長期化している戦争に耐えるため、ウクライナ政府も経済を回そうとしているのだ。むしろ、戦時下でありながらも、今を緊急事態として過ごすのではなく日常生活を続けるということに、ロシアへの強い抵抗姿勢を感じると、高世さんは語る。
◆そして、ウクライナはロシアに対して圧倒的に不利な条件下で戦わざるを得ないという、この戦争の構造についても高世さんは言及した。ロシアが制空権を持ち、武器の質や量、兵士の数もロシア軍の方が上であるにも関わらず、ウクライナは、ロシアからの攻撃に対してロシア本土への反撃が許されず、専守防衛することしかできないのだ。攻撃を受けている土地は全てウクライナ国内であるため、工場も戦災を受けて国内でまともな生産活動ができない状態が続く。一方のロシアは軍需生産をどんどん進めることができている。ロシアの軍事作戦を止めるための敵基地攻撃も許されず、より飛距離のある高性能な武器の使用も許されない。アメリカやEUも、せいぜい防衛戦に耐えるような武器しか渡さないのだ。いわば手足を縛られたような状態で戦争をしているため、アメリカが援助を打ち切るとなると、ウクライナはかなりの苦境に立たされることになるだろう。
◆ゼレンスキー大統領に対する支持も決して高くなく、政府支持率は39パーセントという、戦争中の国家としては異様な低さだ。公約として掲げた汚職退治に今一つ成果をあげられていないと、国民の評価は厳しい。市民も政府を信頼しておらず、兵士たちを支える物資もボランティアによって提供されているという事態を、高世さんは現地で目の当たりにした。ウクライナは、外国からの軍事援助とボランティアによってなんとか支えられているのだ。
◆ウクライナ戦争を、日本人はどう見ているのか。侵攻開始直後の2022年3月に、テレビ朝日の『モーニングショー』で、レギュラーコメンテーターの玉川徹さんが「ウクライナは、すぐに停戦すべきだ。命を守ることよりも大事なものはない」と発言。2023年10月には『通販生活』が、表紙でウクライナ戦争を猫の喧嘩に例えて停戦を求めるメッセージを出したことが話題を呼んだ。《プーチンの侵略に断じて屈しないウクライナの人びと。(中略)人間のケンカは「守れ」が「殺し合い」になってしまうのか。ボクたちのケンカはせいぜい怪我くらいで停戦するけど。見習ってください。停戦してください》。しかし、本当に、“命よりも大事なものはない”のだろうか。高世さんは、中国の属国になることに激しく抵抗した香港、軍事政権に抵抗したミャンマーなど、命よりも大切なものを守るために身を投げ打って主張し、抵抗を続けた人々を見てきた。そんな中で、今の日本人が持っている価値観に、違和感を感じるようになってきたと語る。
◆今の日本はどんな国になっているのかを考えるにあたり、高世さんは「世界価値観調査」などのデータから、いくつかの興味深い調査結果を紹介してくれた。私たちは、自分が普段考え行動していることを当たり前だと感じているが、他の文化圏や民族と比較してみて初めて、日本が今どんな事態に陥っているかが見えてくるのだ。
◆「国のために戦えますか?」という問いに対して、日本はダントツのビリ。これこそ平和国家日本のあるべき姿だ、との見方があるが、続いて紹介する「愛国心はありますか?」という質問に対しても、日本人は最下位という結果に。これは、日本人が平和について特別な信念があるというよりも、国のことなんてどうでもよく、自分には関係ないという考え方が読み取れる。さらに他にも、「ここ一か月人に優しくしたか、慈善活動や寄付をしたか」「政府は貧しい人の面倒を見るべきか」「自分の人生は自分で思い通りになると思うか」という問いに「はい」と答えた人の割合も、軒並み最下位レベルで、これは金融危機や情勢不安に陥った国と同水準だ。豊かで平和なはずの先進国としてはとてもあり得ないような結果となった。
◆国なんてどうでもいい、困っている人や貧しい人を助けない、助ける必要がない……そんな考え方が大多数という、これらの日本人の倫理観の崩壊の原因は、「コスモロジー」が失われたことにある、と高世さんは語る。「コスモロジー」とは、この世界がどうなっていて、その中で自分がどういう位置を占めていて、何をしなければいけないかという、大きな枠組みのことだ。
◆かつて、この質問に答えていたのが宗教だった。どんな宗教でも、なぜ生まれてきて、死んだらどうなるのかという質問に対する答えを、きちんと持っている。今では宗教とは縁遠い日本人にも、かつては伝統的に持っていたコスモロジーがあった。神道や仏教、儒教、先祖崇拝が一緒くたになった「神仏習合」という宗教現象で、これが近代化によって崩れていったのである。
◆高世さんが報告会で触れた、渡辺京二の『逝きし世の面影』という書籍には、明治維新前の日本を訪問した、外国人による記録が残っている。同書内では、日本人はみんな優しくて、いつも笑っていて歌いながら仕事をしているパラダイスのような国だと外国人が褒め称えている。当時の日本人はすぐ休憩をして、時間にもルーズだったという。その後、近代化が進むようになって、鋳型に当てはめたような人間が出来上がることになってしまったのだ。
◆今まで信じてきたコスモロジーが崩壊したことによって、自己肯定感や自信も失われていき、根本的な人生観までも侵食されているのが、今の日本人の姿だと高世さんは指摘する。絶対的なものが信じられないという、哲学的にいうとニヒリズムの状態から生まれるものはエゴイズムで、道徳の基準が崩壊しても快・不快だけは残るため、エゴイズムは快楽主義と結びついていく。
◆先ほど話に触れた「命よりも大事なものはないので戦争はやめるべき」という意見に象徴されるように、絶対的な価値観を失った多くの日本人にとって人生の目的は「自分が幸せになること」になってしまった。そして、親も子どもに対して「あなたの人生は、あなただけのものなんだから、好きに生きていいんだよ」と教える人が多いように見受けられる。しかし、自分の人生は、本当に自分だけのものなのだろうか。当たり前じゃないかというのが今の日本人の価値観だが、世界的に見ればそれは決して当たり前ではないのだ。
◆今回の報告会はウクライナ戦争の話に始まり、日本人のコスモロジーの崩壊という話題にまで及んだ。今の日本人の価値観では、“世界”を理解できないのではないか、ということを高世さんは危惧している。反政府デモや武力闘争で亡くなる人のことを「命を粗末にする馬鹿者」と捉えて考えるのであれば、彼らをはじめとする世界の人々と深い共感を持ち連帯することはできないだろう。今の日本人の多くが考える「命が一番大事だ」という意見は、「自分が死にたくない」という意味に過ぎない。今のウクライナ人が戦っているのは、これから生まれてくる子どもたち全員の命という意味での“大きな命”を守るためであり、民族としての譲りがたいアイデンティティを懸けて戦っているのだ。自分の命だけが大切なのだという考えを持っているのであれば、そこから世界の人々との対話が生まれなくなってしまう。
◆画家ポール・ゴーギャンは、彼の最も有名な作品「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」を描いた後に、自殺未遂を図った。生まれてきて死ぬことの意味がわからない、絶対的に信じられるものがないという、コスモロジーが崩壊した状態では、本来、人間は生きていくことはできないはずなのだ。ここまで日本人の倫理的な崩壊が進む中で、どうするべきかという問いに対して、私たちは根本的な人生観を転換するところから考えなければならないと高世さんは提言する。
◆私たちに残された選択肢は、前の時代に戻るか、新しいコスモロジーを作るか、の2つしかないという。まず1つ目の、前の時代に戻るということは、できないし、やってはいけないことだ。イスラム圏で原理主義が再び力を持ち始めていることも、その潮流に位置付けられる。だから、新しいコスモロジーを作ることにしか道は残されていない。そのためには、“現代科学の最新の地点とどの宗教にも共通する一番大事な部分を融合する”ということが必要になると高世さんは語る。
◆高世さんが提案するコスモロジーは、中村哲さんが持っていた価値観と通じるものがあるという。中村さん自身はキリスト教徒だが、実は「神」という言葉をあまり使わず、それに相当する概念を表すために「天」という言葉を使っていた。「天」というのは自然や宇宙などというような、汎神論的な概念だ。中村さんの思想が、近代化によって失われた、日本人が取り戻すべきコスモロジーを作り上げる上でのヒントになると高世さんは考えている。
◆日本は少子高齢化問題だけでなく、コスモロジーの崩壊に関しても、世界を先駆けて経験している。コスモロジーの崩壊は、人類が初めて直面する大きな課題で、先陣を切った日本の動向を、世界中が観察しているのだ。それは地平線会議的にいえば、人類最大の挑戦であり探検であり、冒険ともいえるかもしれない。その課題を解決することができれば、人類全体への大きな貢献となるだろう。
◆今回の報告会では、現代日本社会に漂う言葉にならない“違和感”や“閉塞感”を、高世さんによって解説・言語化してもらえたような気がした。高世仁さんは、テレビ番組制作会社「ジン・ネット」を経営していたジャーナリストだ。筆者は、実はジン・ネットに入社して2か月で倒産を経験した、最後の新入社員である。現場を離れた今でも高世さんが活躍されている姿を見ることができ、とても嬉しかった。前回の「つなぐ 地平線500!」では赤ちゃん連れでおそるおそる参加したにも関わらず、地平線会議のみなさまが温かく迎えてくださり、本当に感謝が尽きない。そんなご縁で江本さんが声をかけてくださり、今回はレポートを書かせていただくことになった。余談だが、早稲田大学探検部(下川知恵と同期)に所属していた学生時代に筆者が一人暮らししていたのも、報告会会場付近の新宿区榎町。そんな懐かしい思いにも浸ることができた報告会であった。[貴家(さすが)蓉子]
イラスト 長野亮之介
■ウクライナを取材して驚いたのは、汚職だらけの政府への不信感と、その政府をあてにせずに国民一人ひとりが自ら戦争を支えようとする熱意だった。マックスという青年は大学を休学し、危険な前線近くまで出かけて、兵士と住民に食糧や薬品を届けるボランティア活動をしていた。いつ死んでも不思議でない状況で活動を続けるわけを聞くと「私の同胞とこれから生まれてくる子どもたちのため」と答えた。
◆帰国後、ウクライナの人びとの戦いを語ると、「ここが日本でよかった」という感想が返ってくる。戦争の当事者が“私”でないことに安堵するのである。「なぜウクライナが戦うのかわからない」との声もよく聞く。日本人は、命をかけて同胞のために尽くすウクライナ人に共感できなくなっているようだ。
◆今多くの日本人は「いちばん大事なのは自分だ」「人生の目的は、自分が幸せになることにある」と考えている。私たちはこれがあたりまえだと思っているが、日本人の利己的で刹那的な人生観、他者への冷酷さは世界で突出している。残念だが、これは数々の国際調査が示す厳然たる事実である。自己肯定感が低く、心を病んだり自死する子どもが多い原因も、大元はここにある。
◆日本から笑顔が消えていることをカンボジアに住む友人が教えてくれた。友人は東京でカンボジアシルクの手織りを実演するため、織りの名手の高齢の女性を来日させた。山手線で移動中に女性が友人に尋ねた。「なんで、みんな怒ってるの?」と。電車の中でむっつり押し黙っている人々が、彼女には怒りの表情に見えたのだ。
◆しかし日本人は昔からこうだったのではない。幕末に来日した英国人ジャーナリスト、ブラックは、日本人のホスピタリティに感激している。「彼らの無邪気、率直な親切、むきだしだが不快ではない好奇心、自分で楽しんだり、人を楽しませようとする愉快な意志は、われわれを気持ちよくした。(略)通りがかりに休もうとする外国人はほとんど例外なく歓待され、『おはよう』という気持ちのよい挨拶を受けた。この挨拶は道で会う人、野良で働く人、あるいは村民からたえず受けるものだった」
◆別の英国人(明治初期、日本で教師をつとめた)ディクソンは、東京の街頭の人々の上機嫌さを西洋と比較してこう記した。「西洋の都会の群衆によく見かける心労にひしがれた顔つきなど全く見られない。頭をまるめた老婆からきゃっきゃっと笑っている赤児にいたるまで、彼ら群衆はにこやかに満ち足りている」。私たちのご先祖は、かくも親切で陽気で愛想のよい人々だったのだ。
◆私は昨年末、『中村哲という希望』(佐高信氏との共著)を上梓した。アフガニスタンで凶弾に倒れた中村哲医師のメッセージを、いま日本人があらためて学ぶべきだとの思いからである。中村さんは自分のことしか考えない日本の風潮を嘆いていた。「『自分の身は針でつつかれても飛び上がるが、他人の体は槍で突いても平気』という人々が急増している」
◆日本ではそこかしこに“やさしさ”があふれている。「お肌にやさしい」、「地球にやさしい」、「体にも環境にもやさしい」……。中村さんには昨今の“やさしさ”はまがいものに見える。「『やさしさ』は社会的な風潮となった。残酷な表現を子供の世界から奪い取り、童話の筋まで書きかえる。差別をなくすと称して、人を罵倒する言葉を禁止する。チャンバラは廃れ、ケンカも少なくなった。大人の世界では、差別語摘発が始まり、自然保護、動物愛護が叫ばれた」
◆今の日本で“精神性”と“道徳”が崩壊していることを中村さんは憂いている。「極端な戦後教育の転換は、全て古いものを封建的という烙印を押して一掃し、日本人から精神性を奪い取った。温故知新というが、日本は古い道徳に代わる何ものも準備せず、やたら古い権威の分析をしたり、仮面をはぐのみであった。そのつけは今来ている」
◆では、私たちはどう生きるべきなのか。「己が何のために生きているかと問うことは徒労である。人は人のために働いて支え合い、人のために死ぬ」。“私”の幸せのために生きるという私たちとは反対に、人のために生きるのが人の道だというのだ。「目をこらして何が虚構で、何が事実かを見つめ、世の流れに惑わされぬことである。人の欲望は限りなく、どこにでも不満と不幸を見いだす。しかし、私たちは自分で生きているのではなく、恵みによって生かされているのだ」
◆私たちは自分で生きているのではなく、恵みによって生かされている……。私たちは、人間の力を過信して自然への畏怖を忘れ、自分のエゴをむき出しにして、“私”を支えてくれる無数のご縁に気付かない。大いなるものの“恵み”によって生かされていることに私たちがあらためて気づくとき、失われた“精神性”や“道徳”を再建し、人と人、人と自然との関係を本来あるべき姿に正すことができるのではないだろうか。その先に、あの150年前の微笑みが日本に戻ってくると信じている。[高世仁]
■昨年11月に開催500回を迎えた地平線会議に、501回目の今回初めて参加させていただきました。初めは自分がその中に入っていけるか不安だったのですが、江本さんを始め先輩方に温かく迎えていただき、様々な分野で活躍されている皆様の生のお話を直接伺うことができ、自分の知見を広げられたほんとうに貴重な時間となりました。
◆私は2023年の4月から、大阪で山岳雑誌『岳人』の編集をしています。今回、『岳人2月号』(1月15日に発売されたばかりです)の特集「日本人とヒマラヤ」で、かつて田部井淳子さんがエベレストに登頂した際、同行されていた江本さんに原稿をお願いしました。江本さん自身がテントの中で雪崩につぶされそうになったこと、シェルパの皆さんが女性隊を成功させようと頑張ったことなど「あのできごとの裏や登頂の後にはそんなことがあったのか」と驚くような視点からの原稿となりました。そして起こったことを無駄なく正確に伝える力がいかに大事かメディアの新人として勉強になりました。
◆そして江本さんが長くお仲間と続けている「地平線会議」のことが気になり、原稿が仕上がったお礼のお電話で恐る恐る参加したいとお願いすると快諾していただいたのが、今回大阪から馳せ参じた経緯です。501回目の報告会は2022年から続くウクライナ戦争の現場に行かれた高世仁さんから伺う会でした。しかし、話題はウクライナの現状に始まり、生きることを優先して停戦を主張するコメンテーターの引用が挟まってから日本人のアイデンティティに関する問題へ深まっていきました。
◆実は私は4歳から小学校1年生まで父の仕事の都合でトルコに住んでいたことがあります。学校はほぼすべてヨーロッパやアフリカ系の児童でアジア人は3人だけ。日本人は私1人でした。周囲と見た目も話す言語も大きく異なり、コミュニケーションを取るのに非常に苦労したので「自分とは誰なのか」について漠然とした不安を抱えていました。
◆日本に戻ると今度は「外国にいた得体の知れないよそ者」になり、より自分という人間はいったい何なのか考えるようになりました。その幼少期の経験から学習院大学時代は哲学科で東洋哲学を学び、ここ数年もアイデンティティについて考えていた私に、高世仁さんの報告会は改めて自分について問い直したくなる学びの多い場でした。
◆二次会まで参加させていただき、地平線会議の先輩方にお目にかかることができて、とても楽しい半日でした。江本さんに原稿をお願いしたことから地平線会議に参加できたことも何かのご縁で、ありがたいことと思っております。大阪在住で、毎月末は締め切り前ということもあって毎回の報告会への参加は難しいのですが、今後お見知りおきいただけますと幸いです。ありがとうございました。[佐久間智子]
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