★今回は3人の方に自由に報告会レポートを書いてもらった。
■今振り返ってみるとなんとも不思議な報告会だった、と思う。大西さんが見せてくれたいくつものモンゴルの写真は紛れもなく今のモンゴルとそこで暮らす普通の人々を映していた。大草原こそイメージ通りであったが自分の中でのモンゴルの風景、つまり草原と遊牧民生活は決してメインの要素ではなく、スマホでFacebookを使いこなし、ヒップホップやコンサートに興じる姿は何ら先進国の若者と変わりがない。先入観はその国に興味を持つきっかけにはなるが何らその国を知れているというわけではないようだ。
◆モンゴルといえばチンギス・ハーン、チンギス・ハーンは遊牧民、遊牧民といえば途方もなく広がる大草原、これが自分の中で持っていたモンゴルのイメージの大半だった。それもあってヒップホップに興じる姿やビルが立ち並ぶウランバートル、雇用の悪化、政治家の汚職など、モンゴルの実際の姿は強烈な教示となった。現地の遊牧民の割合は総人口の1割に満たないという。国を知ること、民族を知ることってなんだろうと問いかけられた気がした。
◆この国はかつてODAの影響もあって日本の存在は大きかったようで、ニュースなどでは日本の話題が結構出るとのこと。一方で我々がモンゴルに触れるのは相撲でモンゴル出身の力士が活躍したときぐらいでこういう非対称な関係になるのが不思議でならなかった。だからこそモンゴルの情報を発信していきたいと大西さんは語る。ノモンハン事件の舞台ともなったモンゴル、草原にはロシア兵の姿が。モンゴルでは戦争として記憶されているようで今でもロシアと記念式典を行っている。あくまで事件として記憶する日本。国と国の関係性の面からはこういう認識のズレからすれ違いが生じていくのかもしれない。地政学的に中国とロシアの影響力が強い一方で日本の影はどんどん薄くなっているそうだ……。
◆一方で大西さんは個人と個人の付き合いを大事にしている。総人口の0.1%、3000人のモンゴル人と知り合うことが目標という大西さん、途方もない目標に聞こえたが現時点で1000人と知り合いというから実現する日は遠くなさそう。彼女の原動力となっているのは花田麿公元在モンゴル大使の言葉だ。「外交は人と人との付き合い」。国と国を変えるのは一つの政策決定よりももっともっと小さなつながりが積み重なって動くもののほうが大きいのかもしれない……。そしてそのレベルで動いている大西さんのような活動に畏敬の念を覚えた。
◆あえて今回の報告会のトピック的なものを挙げるならシャーマンの話だろう。自分は何となく程度にしか知らなかったが現地では副業でやる人も多いという。この辺はなんでも自分でやろうとするモンゴル人的な気質があるのかも。協調性を叩き込まれる日本とは異なりモンゴルでは「人の下につくな」と言われて育つらしい。なんともうらやましい限り。
◆この後も次から次へと写真を見せ、エピソードを語る大西さん。町の様子、シャーマンの煌びやかな衣装、芸術家たち、草原で相撲に興じる家族……。思いついたことをつらつらとしゃべっているような感じだが不思議と聴き入ってしまう。遊牧民、草原、相撲といった特定の切り口を持たず、普通の人々とたくさん仲良くなる彼女のスタイルだからこそ見えてくるものがあるに違いない。
◆今回の大西さんの報告会、特に起承転結の流れがあったわけではない。特別焦点を絞るトピックがあるわけでもない。確かに感じるのは彼女の築いてきた人とのつながりだ。1000人と知り合っただけあって次から次へと知り合ったモンゴル人のエピソードが出てくる。幽霊の話が印象的だった。モンゴル人的には日本は霊が多い場所で白衣に長髪の女性の霊が頻繁に現れ困っているという。「誰か解決策を教えてください!」と本気で心配する大西さん。モンゴル人たちと本当に密な関係を作り上げてきたことが伺い知れた。彼女のそんな魅力が不思議と2時間も聴衆の耳を釘付けにしたに違いない。
◆やはり報告会で生の声を聴けることは素晴らしいと改めて感じる。興奮冷めやらぬまま会場を後にすると秋風が心地よい。少しいつもと違うにおいがした気がする。大西さんが持ち込んだ、モンゴルの空気かもしれない。[竹内祥太]
イラスト ねこ
■地平線通信の大西夏奈子さんの紹介記事でまず、「モンゴル人はラテン系!」という言葉が目に飛び込んできた。少なからずモンゴル人とかかわってきた私もそのとおりだと思う。モンゴル人のそんなノリが好きだ。私はいっときの訪問者としてモンゴルとかかわっているだけだが、中まで入り込んでなおラテン系のモンゴル人が好きだと言える大西さんは柔軟な人だと思う。さて、報告会のタイトルは、「スマホとシャーマン」だ。スマホとはすなわち情報だが、ラテン系のノリとスマホとシャーマン? さっぱり想像がつかない。わくわくしながら大西さんのモンゴルワールドへいざなわれよう。
◆モンゴルはロシアと中国に挟まれ、さらに韓国、北朝鮮とも近い。日本も近いはずなのに、私たちはモンゴルのほとんどのことを知らない。モンゴル人の顔は日本人とよく似ている。だが性格はぜんぜん違う。洗濯物の干し方ひとつとってもモンゴル人は自由だ。日本人のように決まった場所に決まったやり方でということはしない。使える場所でそこに合った方法で干すのだ。モンゴル人の性格をいい方から並べると、独創的、創意工夫が上手、細かいことは気にしない、無理やり、適当、場当たり的……となる。
◆モンゴルはチベット仏教を信仰している。チベット仏教の化身ラマの名跡であるジェプツンダンパ10世がモンゴルで転生したとダライ・ラマによって認められ、8歳になった今年、初めてお披露目された。もともとは裕福な鉱山会社の創業者一族に生まれた双子の兄弟の1人であった。
◆チベット仏教と同時にシャーマニズムも共存している。そもそもシャーマンはシベリアあたりが発祥といわれているらしい。ここからは神秘的なシャーマンの話だ。今年初めて、世界のシャーマンが集って情報交換をする「シャーマンフェスティバル」がナライハ近くの草原で行われた。モンゴル、南モンゴル(内モンゴル)、ブリヤート共和国、トゥバ共和国、フランス、カナダのネイティブなどいろいろなところからシャーマンが集まった。各国それぞれ独自の衣装があって、フランスのワイルドないでたちの男性シャーマンや韓国のきらびやかな衣装の女性シャーマンもいた。モンゴルのシャーマンの衣装も独特だ。とがった目と口や耳もついた帽子で、頭頂部からは大小の鳥の羽がワサワサ生えている。
◆装備としては、裾の長い上衣、太鼓、帽子、靴が基本セットだそうだ。モンゴルのシャーマンが降ろすのは多くが先祖の霊で、帽子についた顔をめがけてシャーマンの体に入ってきて語るというスタイルだ。目の前にいる悩み相談をする人に先祖が昔の言葉で答える。横に現代語の通訳者がつく。シャーマンは太鼓をたたき、韻を踏んで歌う。韻と太鼓のリズムとが相まってトランス状態になる。フェスでは世界中から来たシャーマンが、儀礼の方法や踊りを実演して見せあっていた。
◆日本にいるモンゴル人から大西さんが頻繁に受ける相談が、日本には霊が多すぎてよく眠れないというものだ。モンゴルでは霊を見たことがない人もなぜか日本で霊を見る。安い部屋に数名で暮らしている技能実習生は特に見るらしい。モンゴルでは馬糞を燃やした煙で霊を追い払うので、日本に発つ若者に親が馬糞を持たせることがある。もちろん空港の検疫で没収される。日本の馬糞で試してみれば、との声が会場から出た。モンゴルの馬糞には馬が食んだ天然のハーブが豊富に含まれているので、燃やすと香ばしい香りがする。日本の馬糞でそれが実現できるかどうか……試してみる価値はあるかもしれない。
◆モンゴル人いわく、日本に霊がたくさんいる理由のひとつは、数万人規模で一度に人が亡くなる災害があるからだという。テレビで見た津波が衝撃的だったのだろう。日本人でも忘れられないトラウマになっているのだから、海のないモンゴルからすればなおさらだ。また、霊は水が嫌いだから、海に囲まれた日本では行き場をなくした霊が溜まってしまっているらしい。それに引き換えモンゴルの霊は四方八方に逃げられるので溜まらないのだ。
◆日本ではヒップホップというと一部の人が好むジャンルだが、モンゴルでは国民を上げて大人気だ。今年、モンゴルのラップ界のスター、BIG GEE(ビッグジー)と日本のラッパー、AK-69のコラボが横綱照ノ富士の計らいで実現した。照ノ富士はラップが大好きだ。私もハワリンバヤル(練馬区で行われるモンゴルの春まつり)でまだ入幕を果たして間もないころの照ノ富士が舞台上のラッパーに合わせて熱唱しているのを目撃したことがある。今年5月のハワリンバヤルの夜、東京の銀座、渋谷、六本木、新宿の各所でモンゴルヒップホップのライブイベントが同時に開催された。大きなイベントに便乗するのではなく、自分で旗揚げして開催したいのがモンゴル人らしい。このイベントでは豊昇龍や霧馬山(現霧島)もステージに上がっていた。
◆私は大相撲が大好きで毎場所テレビの前で声援を送っている。角界においてモンゴル人力士の存在は大きい。1992年に旭鷲山、旭天鵬をはじめとする最初のモンゴル人力士6名が来日した。当時モンゴルでは、相撲界で一番偉くなれば大統領の千倍の給料がもらえるといわれていた。実際に大きな経済格差があったためそれは本当のことだった。以来長らくモンゴル人力士が活躍する時代が続いているが、相撲の強豪校、鳥取城北高校ではモンゴル人コーチの指導のもと、今も次世代の関取候補ががんばっている。
◆大西さんと相撲との出会いはこうだ。あるとき四谷の居酒屋に携帯を忘れて帰ってしまった。次の日に取りに行ったついでに一杯飲んでいると、隣に座った人がわんぱく相撲の実行委員を紹介してくれた。次の日にその人に会ったら、3日後のわんぱく相撲全国大会に招待してくれた。そのときにモンゴル人チームの通訳をすることになり、6年生代表として来日していた遊牧民の少年ソソルフー君に惹かれた。その子はその後、鳥取西中学校に留学することになったのだが、バヤンホンゴル県という田舎の草原で育った子がいきなり厳しい日本の相撲部に入って大丈夫かと心配し、取材に行ったことがきっかけで、合同練習をしていた鳥取城北高校と出会った。横綱照ノ富士や逸ノ城、近くは北青鵬も在籍した強豪校だ。
◆ラテン系のノリ、スマホ、シャーマンを軸として語られた報告会ではあったが、そこには収まりきらない盛りだくさんな話題があちこちに飛び回り、質問も活発に投げられ、時間を忘れて聞き入った大西さんのモンゴルワールドだった。報告会の最後には、今はシリア難民を中心に取材を続けているフォトグラファーの小松由佳さんの2人の息子さん、サーメル君とサラーム君からバラの花束が贈られた。大西さんから少年たちにも絵本のプレゼントがあった。モンゴル人絵本作家ボロルマーさんの、遊牧民を描いた作品だ。2人のお父さんはシリアの遊牧民だったので、ぜひ読んでほしいということだ。[瀧本千穂子]
■大西夏奈子は地平線会議の宝だ。安易に「宝」という言葉を使いたくないけれど、実際、そう思うのだ。地平線報告会に参加し始めたころに夏奈子さんの姿を見て、「地平線会議って、こんな普通っぽい、きれいな女性も参加している会なんだ」と安心し、地平線会議との距離が縮まった人は少なくないと思う。
◆けれども、夏奈子さんの魅力は、美しさや愛らしさだけでなく、もっと多層的というか多面的というか、マーブル模様の粘土のように流動的で奥深い。好奇心が強くて、フットワークが軽い。心が広く、人への気遣いがあって、友人知人のネットワークは多方面にわたる。自分のやりたいことをコツコツと時間をかけて進めていく。そして、発想が自由で、ときに突飛なことを言ってまわりを驚かせる。そんな人はなかなかいない。夏奈子さんがいない地平線会議はさみしいし、精彩を欠くと思う。
◆今回の報告会で驚き、思わず笑ってしまったのは「ひいおじいちゃんに、私はのっとられている!」発言だ。自身とモンゴルとのかかわりを紹介する流れでだったと思う。数日前にヤフーオークションで入手したという年季の入った冊子がスクリーンに映し出された。それは出版社を営んでいた夏奈子さんの曾祖父の著書ということで、タイトルは『爆發の北支を現地に見る』。中国北部の現地に赴いて「北支問題」を探求した硬派なノンフィクションのようだ。その本を紹介しながら、夏奈子さんは出版の仕事に携わりつつ、モンゴルへ通う自身について「ひいおじいちゃんに、のっとられている」と言い放ったのだ。
◆夏奈子さんは2017年2月にも地平線会議で報告している。そのときには、長い間、なぜ自分がモンゴル語科に進んだのか謎だったが、日本語教師をしている母親に、子どものころから「将来モンゴルで日本語を教えたいな」とささやかれ、刷り込まれていたことを最近になって知ったと話していた。その母方の曾祖父にあたるのが『爆發の北支を現地に見る』の著者・岡野龍一氏とのことだ。
◆今回の報告会では気になる話がいろいろあったが、私が特に気になったのは、夏奈子さんがつながっている人の数だ。モンゴル人らしき人を見かけたら、こんにちはと話しかけて友達になるようにしていることは前回の報告会でも聞いていたが、その数が今や1000人に達しているとは。そして、国内外問わずSNSでつながり、活発に情報交換しているモンゴルの人たちと、夏奈子さんもFacebookでつながっているという。後で聞いた話では、Facebookでつながっているモンゴル人は約2000人。そのほか、友達承認をしていないけれど、彼女のことをフォローしているモンゴル人が1000人ほどいるとのことで、全部で3000人!
◆さらに、日本人については数えたことがないけれど、1000人くらいかと。Facebookに馴染めないだけでなく、普段のつながりでも150人を超えるとキャパオーバーとなる自分にとって、夏奈子さんの交友関係の広さは驚異的だ。それにしても、地平線会議の集まりなどで彼女がスマートフォンをまめにチェックしているような姿を見かけたことはなく、それでいながら、こちらから連絡をとると、すぐに返事をくれる。いったいどうなっているの? いつ寝ているの? 時間の密度が全然違う気がする。
◆モンゴルに行って現地の人と交流したり、現地の様子を見聞きするのはもちろん、日本でもモンゴルの人と深くかかわっている夏奈子さん。相撲の道に進んだ少年のことを気にかけて鳥取城北高校まで様子を見に行ったり、日本での生活での困りごとや悩みを聞いてサポートしたり。モンゴルの人にとって、夏奈子さんの存在はどれほど心強いことだろう。
◆そして私たちは、夏奈子さんを通して、今のモンゴルの現状や、リアルな暮らし、日本との関係などを知ることができる。元モンゴル大使・花田麿公さんの「外交は国と国のことだけれど、人と人のことでもある」という言葉を胸に、個人同士の付き合いなら自分にもできると、モンゴルの人たちと交友の輪を広げ、信頼関係を築き続けている夏奈子さん。モンゴル関係の仕事を円滑に進めるため、9月に会社を設立したとも聞いた。
◆国立国会図書館デジタルコレクションによれば、『爆發の北支を現地に見る』の発行は昭和12年。著者である岡野龍一氏の肩書きは、衆議院議員だ。普通選挙運動に尽力された方らしい。なるほど〜。ひいおじいさんにのっとられているとしたら、夏奈ちゃん、ゆくゆくは政治家か! ご先祖様が憑依して語り始めるシャーマンのように、夏奈ちゃんが民衆のために語り、動き始める日がくるかもしれない。いずれにしても、大西夏奈子さんが、地平線会議だけでなく、モンゴルと日本にとっても宝であり、懸け橋となる重要人物であることは確かだろう。[日野和子]
■私がやりたいことは、日本人のモンゴルに対する興味が(今よりもっと)膨らむようにすることと、モンゴルでの日本の存在感を(今よりもっと……願わくば、かつてのように!)大きくすることです。人は自分の目の前にワクワクする情報があって、もしちょっとでも興味がわいたら、それだけで精神的な距離は近づく気がします。中には物理的な距離を縮めようと行動する人もいるかもしれません。同じ北東アジアに属して、今のところまだ表現の自由がある国同士、日本とモンゴルがさらに仲良く支え合っていけたら素敵です。
◆今後は日本でモンゴル映画祭を開催したり、日本の絵本文化をモンゴルに紹介したり(モンゴルでは絵本の地位がかなり低いです)、日本でモンゴルのヒップホップ・イベントをやったり、都会のど真ん中にゲルを建てたり……と、実現させたいことが色々あります。先のことを案じずやってみる、上手くいかなかったらそのとき考えればいい、というモンゴルイズムで歩みたいです。
◆モンゴル人から影響を受けたことは多々ありますが、その一つが精霊や先祖の霊の存在を想うこと。もし自分が縄文時代に生まれていたら、あるいはそういう文化が根強く残る地方で育っていたら、目に見えない存在を身近に感じ、畏れ、大切にできていたかもしれません。実はこのことが現代社会においてけっこう重要事なのではないかと思っています。人間より大きなものの存在をそばに感じながら生きられたら、人間が簡単に奢れなくなり、戦争が減るかも……というのは考えが甘すぎるでしょうか?
◆現実世界に戻って、在日モンゴル人のコミュニティとつきあいながら思うのは、(モンゴル人に限らず)技能実習生などの外国人労働者や移民に関する問題がこれからどんどん目立って出てくるだろうということ。解決の鍵は、お互いの民族性を知ることと、コミュニケーションをとることだと感じます。報告会では皆さんが出してくださったたくさんの質問に救われ、自分にはない視点に驚かされました。貴重な金曜日の夜、どうもありがとうございました![大西夏奈子]
■幼少期から10代までは、本ばかりを読んでいる子どもでした。いわゆる本の虫というヤツです。テレビを見るよりも本を開き、文字の向こうから立ち上がる未知の世界を想像しながら多くの時を過ごしました。
◆たしか高校生のころだったかと思いますが、椎名誠さんの『草の海』という本を読みました。モンゴルが舞台のルポルタージュです。内容はもう覚えていませんが「ごんごんと雲が流れていく」という一節が非常に印象的で、今でもその表現に触れたときの高揚感を鮮やかに覚えています。いつか私もその風景を見たいと強く思いました。夢が叶ったのは大学2年生のとき。どこまでも続いていくような深い青の空、そこに浮かぶ雲はたしかに「ごんごんと流れて」いたのでした。
◆10月の報告会で夏奈ちゃんのモンゴルの話を聞き、当時のことを懐かしく思い出しました。時間や距離を超えて、あのときと同じ空が目の前に現れるような、そんなひと時でした。[木田沙都紀]
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