◆久しぶりに会場は榎町地域センターにカムバック! 530回目を迎える記念すべき今回のテーマはズバリ……「ツチノコ」でしょう!(ちびまる子ちゃん『まぼろしのツチノコの巻』が神回再放送していました)ということで、登場したのは映画作家の今井友樹さん。前回の野鳥のカスミ網猟を追った処女作『鳥の道を越えて』に纏わる報告会(2018年9月28日)に次いで、同じ故郷を舞台にあの “ツチノコ伝説”に挑みます! さぁみんなでツチノコ探しにいってみよ〜!
◆その前に今井さんが今日までに手がけた作品の中からここでいくつかご紹介。2018年に公開した『夜明け前』は100年前、治療法が無く座敷牢に閉じ込められていた精神障害者を救おうとした呉秀三氏のドキュメント。依頼を受けた際、「差別の反対は何ですか?」と問われた今井さん。「平等」と答えると返ってきた「差別の反対は(世間の)無関心だ。それに向けて作ってほしい」との言葉に、自身も無関心の代表と思い引き受けた。
◆このテーマを扱うために学ぶべきことがとても多かったと話す。当時精神病の原因は狐憑きや脳の病気など諸説あり、良くなるために狐祓いをしたり、猿の頭の黒焼きをも取り入れていた時代。沖縄の山原に残された「私宅監置」の取材に訪れた今井さんは、現地の方の沖縄の歴史、精神病者の歴史のお話を前に、撮影者としての浅はかさを痛感する。コンクリートに覆われたその中は薄暗くギリギリ立てるかどうかの高さ。明かり取りの窓からは母屋が見え、言葉にできないショックだったという。
◆94歳のおばあちゃんがミツマタを蒸して皮を剥がし出刃でこそぐ。こそぐことを“へぐる”と言う。高知の和紙原料作りの記録。取材当時、なかなか食べていけない現実のなか「何のために記録するか?」を自問自答していた今井さん。「百姓は儲からない」。たとえ世間の平均収入の半分でも、千年の歴史を継ぐ人々から“豊かさ”を受け取った。途絶えてしまうかもしれない暮らしの記録。「この人達じゃなくて自分達の明日をへぐるんだ」。そんな想いからこの作品を『明日をへぐる』と命名し2020年に完成させた。
◆時は1989年、ツチノコ騒動が勃発。最初の発見者が地元広報に掲載されたことを皮切りに、岐阜県東白川村では発見者が続出し(23名は全国最多)「槌の子探そう会」が発足。1970年代に地元で「ツチヘビ」と呼ばれていたその生き物には、生けどり100万円、死体50万円、写真20万円、皮2万円の懸賞金がかけられて、第一回「東白川村槌の子捕獲大作戦」には県外からも多くの人が押し寄せてきた。
◆当時小学生だった今井少年は、サスマタを手に童心に帰り、本気になってツチノコを探したり、みんなを笑顔でもてなす大人達の姿に「こういう大人になりたいな」と憧れを抱くのだった……(ちなみにこのイベントは今でも毎年数千人規模で続いていて、最近はツチノコだけでなく山菜もターゲットになっている)。
◆やがてついには親戚のおじいちゃんも発見者としてメディアの取材を受けることに。「兄さまは嘘をつくような人じゃない」とおばあちゃん。「ツチノコは絶対にいる!」そう信じて止まない小学5年生の登山行事でのことだった。目撃例の多かったその山を下山中、友達と斜面の石を剥がして遊んでいたらその裏側にペットボトルくらいの黒くて艶々したそいつを見た!!! そのときの衝撃。「生きているか!?」 木の棒で突っついたら、ムクッと動いて自分の足元に「コロコロ転がってくる!」。
◆あまりに怖くて咄嗟に走って逃げた。当時「見たら人に言っちゃいけない。災いが起きる」とも聞かされていたので、そのまま下山してしまったのだそう。やっぱり見ていたんですね、今井さん!(ちなみにこの山の麓にはツチノコの眠るお墓と『ツチノコ神社』が鎮座していて、毎年祭礼が行われている)
◆今回の作品に9年かかっているのは「取材が心底楽しかったから」。目撃者の村人から研究者、日本全国を捜す人などあらゆる人達(延べ30名以上)に取材を敢行した。と、ここで思いもよらない発言が。今井さん、なんとこれまで自分が見たツチノコのことをすっかり忘れていて、とある目撃談の取材中にその記憶が蘇ってきたと言うではありませんか。何故そんな大切な記憶を無くしていたの!?
◆高校時代、下宿先で出身地を説明する際「ツチノコの……」と言わないと伝わらず、次第にその名を言うほどに小馬鹿にされているような感覚が自分でも嫌になり冷めていったと振り返る。当時当たり前のように「いる」と思っていたのに、「いない」と思うようになっていた。しかし今回取材してみると、身を乗り出して聴くくらい話が面白く、聴いている今井さんの想像力を掻き立ててくれたのだった。
◆これを聞くともしかして自分も……? いや誰もが“今井さんのツチノコ”に替わる“何か”を失ってきているような気がしてならない……。ビール瓶のようなフォルムでお馴染みのツチノコ。実は遡ること江戸時代には既に同様の姿の絵が「野槌」との記述で残されている。全国様々な場所で発見されていて、それぞれの方言での呼び名と分布を記した地図も紹介。テンコロ、カメノコ、バチヘビ、サメ……、実に多くのバリエーションにびっくり。
◆地元「ツチヘビ」の「ツチ」は藁細工に用いていた木槌(ワラヅチ)の形に似ていたことに由来している。みんなが頭に描くツチノコの共通イメージはこれまでの漫画や小説を通して徐々に浸透してきたわけだが、村で募集をかけたところ、年配の実際に見た人達から表情豊かないろんな形の絵が届いたのだそう。一方子供達は揃ってゆるキャラみたいな絵を描く。なんだかツチノコ危うし!という感じがしてくる。
◆『ツチノコ資料館』は平成元年に地方創生1億円の交付税によって建てられた。その内3000万円はふるさとおこしに成功している地域への視察費との名目で、彼らの本音を酒を介してじっくり聞き出すために宿代酒代に使われた逸話が面白い。ツチノコブームの最中メディア掲載されてきた発見記事はどれも「ツチノコっぽい!」のだが、検証の結果はヤマカガシやアオジタトカゲ……結局尻尾は掴めずじまい。
◆懸賞金目当てで集まった大量の写真にはインチキ偽装写真がとても多かったエピソードもほっこり微笑ましい。誤認説の多かったヤマカガシは昔より生息数が減っていると聞く。今井さんの撮影した映像を見ていると「ヒキガエルを丸呑みしているヘビだな」と冷静に認識できるが、これがもし山中の茂みで出会ったとしたら……、こちらがツチノコパニックにならないという自信がない。
◆また地元ではお茶畑でのツチノコ目撃例が多く、近くの石垣の合間からお茶が自生していることと、多くの目撃者情報が土地改良(石垣の取り壊し)の時期と合致していることから「ツチノコの住処は石垣説」が現在有力とのこと。いやはや今井さんはツチノコに関することならば、ありとあらゆる情報を集めている。
◆最後にお待ちかね、目撃者の方々への取材風景の映像が流れる。今井さんの言う通り、ツチノコの話となるとみんな目を輝かせている。自分が本当に見た話だから、それはもう具体的に身振り手振りで、その時の興奮と共に本物のトーンでそのまま伝わってきて、今井さんの相槌にも力が入る。ツチノコに纏わる話は本当に恐れられていて世間話にはあまり出てこないと話す人も。それでも喋る方も聴く方も本当に楽しそう! 目には見えない豊かで純粋な好奇心に包まれているこの空間。今井さんにとって至福なひと時なんだなぁ〜と深く実感。また今井さんは取材の先々で大先輩達から「夢とロマンじゃ!」と何度も聞いたのだそう。果たしていま自分は「夢とロマン」を持っているか? 僕にはその言葉が今井さんの心に火を灯したように見えた。
◆ツチノコはいる? いない? 取材のなかで今井さんは「戦後科学が万能な風潮に傾いていったために理解できないものは全部切り捨ててきたような感覚があって、昔の社会の方が「ツチノコはいるかもしれんぞ」という“理解される豊かさ”があったのでは?」と話す。「いる」「いない」ではなくて、それを超えた先輩達の喋っている“山の世界の想像力”のほうが大事なように思えていて、そういったものを僕らは取り戻していかなくちゃいけないんじゃないか。
◆もう一つはそれらを通して故郷を見つめ直すこと。同級生は村にしがみついて暮らしている。「故郷じゃなければ今すぐにでも街に出て働いた方が稼ぎもいいし、暮らしも豊かになる」と帰省の度に聞いている。「そういったなかで何ができるか?ということをこの映画を通して描きたい」と力強く語ってくれた。
◆今井さんのガイドする「ツチノコてんこ盛りフルコース」は実に贅沢な時間だった。その中でもやはり生の証言が一番迫力があって勝るものなしである。あれを目の前で聴けるなら、少なからず「ツチノコはいるんだ!」と動物的直感で信じることができるのではあるまいか。そんなツチノコの気配を山の世界からしかと届けてくれた今井さんに感謝したい。
◆そして今回僕達に直接自身のツチノコ目撃談を話してくれたことも。信じてくれる受け皿があってこそ話せることだと思うし、その受け皿がなくなってしまえば時には信念すらも失ってしまうかもしれないことにまで想いを馳せることができた。今を生きる僕達はその“理解し合える豊かさ”という想像力をこの世界のなかでどのように見つけ、広げて、育んでゆくことができるだろう。それぞれの土地に暮らす日本人全体で共有したいと思った。
◆ツチノコの作品作りを通して、まるで“自分に還る道”を旅しているようだった今井さん。テーマを追い求め、幾度も故郷に通うなかで見えてきた故郷から広がる山の世界。取り戻した大切な記憶。それらを皆と共有するために必死に編集して記録に残す。その情熱に心底感嘆した。これから先の今井さんの旅が楽しみなんですが、まだ今作の膨大な編集作業が残っているというので、先ずはそちらを全力で応援します! 『おらが村のツチノコ騒動記』乞うご期待!!![車谷建太]
■貴重な機会をいただきありがとうございました。ツチノコで2時間半はあっという間でした。ツチノコの取材はこれまでにないくらい楽しい取材でした。あっという間の9年間でした。今回の報告会の最後で江本さんから「ツチノコの話は山の話だ」とご指摘いただきましたが、まさにその通りだと納得しました。
◆ツチノコの一次資料って何なのかわからないけど、ツチノコの目撃者から話を聞く奥ゆかしさはもちろん、目撃した人から聞いたという伝聞や言い伝えも面白い。コロコロころがってきたり、見ても人には言ってはいけない等々、日本各地の目撃情報がこんなにも共通しているのは何故だろう? 謎は尽きません。
◆人間世界の範疇を超えた怪しげなるものが山の世界にはまだまだあって、その世界で育まれた人間の想像力。そのあたりを映画で表現できれば良いなと思いました。そしてツチノコを探す人たちが口をそろえて言う「夢とロマン」。これは今の現代人には必要なサプリメントだと思っています。
◆報告会では目撃談やロマンを語る人たちの映像をお見せしましたが、各地の年配者の語りは訛りが強すぎて、初めて耳にする人にとっては聞き取りにくい。今回は字幕の必要性を痛感しました。幸い今作は国の補助金を使ってバリアフリー映画制作をすることが決まっています(目の見えない、見えにくい人には音声ガイドナレーション版を、耳が聞こえない、聞こえにくい人には日本語字幕版を選択することができます)。だから通常版にも一部は字幕をつけようと決めました。そういう意味でも、映画の完成前に報告会でお話しする機会をいただけたことは非常にありがたかったです。
◆前回の「オキのサキと飛べ」から実に5年ぶりの報告。今回も思ったのですが、経験豊かな方達を前にして話すのはやはり緊張しますね。でもその緊張はどこへやら、いつのまにかリラックスしてしまうのです。地平線のメンバーはみなさんアットホーム、懐の深さを実感しました。それこそツチノコの話もOK。僕自身のツチノコ目撃体験もOK。普段話しにくいデリケートな内容もOK。地平線報告会はまさにバリアフリーな空間でした。
◆相変わらず拙い僕の話は5年前と変わっていませんが、参加者の熱い視線も変わっていませんでした。新作ドキュメンタリー映画『おらが村のツチノコ物語』は今夏完成し、早くて年明け、遅くとも来春には劇場公開を目指しています。7月28日までクラウドファンディングも募集しています。お楽しみに![今井友樹]
*クラウドファンディング
https://motion-gallery.net/projects/TSUCHINOKO-FILM
■地平線会議の存在は私が20代のころから知っていました。1985年に江本氏と共に黄河の源流を目指す探検隊に参加させてもらったから。まだ私は25才、江本さんは44才でバリバリな頃。数か月に渡る源流行は我が人生に多大な影響を与え、現在に至っています。
◆地平線報告会「幻の蛇を追って」に参加した。今井友樹監督の次回作「おらが村のツチノコ騒動記」に私がカメラマンとして参加しているから。2019年には各地へ撮影に出掛けていた。あれから4年。未だ完成はしてない。監督はもう9年やっていると言っていたが。
◆今井監督は、民族文化映像研究所(民映研)の出身者。所長の姫田忠義を師事し学んでいた。縁は巡り、民映研の代表理事を私が継承した。今井監督は民映研の理事でもある。姫田所長亡き後、民映研が映像制作をすることは終了している。しかしながら、姫田所長が示した映像制作の道を弟子・今井友樹が歩むのはありがたい。「常にね、我々は何をし得るのか、何を記録するのか。それが記録者ですよ」との姫田所長からの薫陶を大切に記録映画を撮る今井監督の存在は大切なわけです。
◆「つちのこ」という存在は実に民俗的存在。自然科学分野だけでは手に負えない。文学的発想では宙に浮く。地に足を付けてつちのこを語るには、民俗学の視点は重要になります。同時に対象と向き合う方法論を姫田忠義方式で学んだ今井監督の手腕が生きる。生きるはず。まだ完成していませんからわりませんけど。[小原信之 最近は「箒有寛」のペンネームで]
1985年の「黄河源流探検隊」の記録によると当時小原信之隊員は「サンヤン(山羊)」と中国隊員から呼ばれていた。当時から顎髭とゆったりした口調で仙人の風格があったから。源流隊の概要は11ページを参照。
■3年ぶりに再開した4月の地平線報告会に初めて参加してから、毎回報告を拝聴しております。今月の報告者である今井友樹さんが、取材した人全員から聞いたという言葉、「夢とロマン」。スマホ片手に育ち、想像もせず手元に「答え」を求めてきた私には、馴染みのない言葉でした。果たして、私は今「夢とロマン」を抱いて何かに取り組んでいるだろうか。そう考えていた矢先、ツチノコを追いかける東白川村の人々が、私には地平線会議のメンバーと重なって見えました。世界を舞台に活躍する皆さんが、わくわくした表情で報告会に集まってくる。その様子は、「『夢とロマン』を追う子どものような大人たち」だと思いました。
◆そんな地平線会議のメンバーである澤柿先生のゼミに入った私は、「社会学部生」という立場から南極大陸を見つめ、地球の未来を観測する人々が直面する問題を研究します。誰もが憧れる未開の地にも、注目されにくい人々の苦悩があったのです。陰にある問題にあえて踏み込み、解明に向けて全力で取り組むことは、もしかすると今の私にとっての「夢とロマン」なのかもしれません。地平線会議の皆さんに少しでも近づけるよう、想像する面白さを味わいつつ研究を進めていきたいです。[杉田友華]
■今回の報告会では記録映像監督の今井友樹さんから「ツチノコ」についてのお話をお聞きしました。私にとって「ツチノコ」とは幼い頃本で存在を知り、この世にはいない架空の生き物であるという認識だったため、大人になって詳しくお話を聞くことができてとてもよい経験でした。多くの人々が今井さんの故郷である東白川村でツチノコを探す活動に参加するという全国的なブームが巻き起こっていたことに衝撃を受けました。私は今井さんのお話の中でも登場したアオジタトカゲやマムシがカエルを捕食した際にツチノコに見えるという見間違いが目撃談に繋がったと考えましたが、目撃した方の映像を見て、やはり特徴が少しずつ違うと感じツチノコは実在したのではないかと思うようになりました。そして開発が進む中で、ツチノコが生活できる環境がなくなり、個体数が激減したと考えることができます。これは私が報告会を聴いて考えた憶測ですが、今日でもツチノコが実在しているのなら、一目見てみたいと思いました。[福司和夏乃]
■今回はツチノコの話がメインでしたが、ツチノコが「槌の子」という字だったとは知りませんでした。また、ツチノコの伝説が広まるきっかけが東白川村の広報誌だったことも知りませんでした。ツチノコという幻の生き物の名前自体は知っていましたが、その詳細な情報は知りませんでしたし、実際にツチノコを見たという目撃者が多くいるということも知りませんでした。大勢の人が実際に見たといっているので、ツチノコは本当にいたのではないかとも思います。
◆ほかの幻の生き物、例えばカッパは岩手県の遠野市が有名ということは、時々新聞やネットの記事になっていたので知っていましたが、報告会の中で今井さんが話されていたように、ツチノコについてはタブー視され表に出てこなかったため、あまり見聞きしたことがなかったのではないかと思います。
◆コロナ禍で日本各地の伝統や伝承が中止や延期され、途絶えつつある中で、そうした「絵にならないもの」を映像として残そうとしていく今井友樹さんの作品は、将来貴重な映像として注目を集めることになると思います。私自身も、伝統の消失という問題について考えさせられる貴重な機会となりました。今後の報告会でもこういった貴重なお話が聞けることを楽しみにしています。[重松歩武]
■ツチノコについては名前を聞いたことがある程度でした。今回の今井監督のお話を聞いてツチノコを追う夢やロマンについて多くのことを学びました。最初にもおっしゃっていた「ツチノコを信じる信じないの問題ではない、その先にある想像力こそが大事」とおっしゃっていたことはかなり印象的でした。
◆ツチノコというと妖怪や未確認生物として見られることが多く、現実味がない生き物のように聞こえます。しかし、ツチノコ発祥の地とされている岐阜県東白川村への取材の映像では村人は本気でツチノコを目撃したときのことを語っていました。その姿はとても生き生きとしているようでした。子供のころコンクリートやアスファルトに囲まれて育った私の世代にはない想像力です。
◆また、今井監督はこの映画には裏テーマが存在すると語っていました。それは「ツチノコを通して忘れ去られようとしている昔ながらの村の暮らしを思い出す」ということです。ツチノコのお話を聞いているうちに村の暮らしに少し興味が湧き、自分の祖父母も村に住んでいたのかなとか考えてみるようになりました。もしかしたらツチノコは、村での暮らしを忘れないように姿を見せ、村の魅力を教えてくれているのかもしれません。[小峰好貴]
つちのこイラスト:ねこ
■ツチノコと言えば、いまも「科学朝日」の記事を思い出す。読んだのは、40年以上も前。なので中身の大半は忘れてしまったが、出だしの、「家でテレビを眺めていたら、突然画面に奇妙なヘビの絵が現れ、次の瞬間、妻に向かって『オレはツチノコを食ったぞ!』と叫んでいた」(←うろ覚え)に続き、「戦争中、ニューギニアのジャングルで、太くて短いヘビが下駄の歯に挟まった」「そいつを焼いて食ったらウマかった」などの仰天体験が語られていた。
◆誰が書いたか、いつの号だったのかはわからない。調べるのも大変だろうと諦めていたけれど、便利な時代になったものだ。試しにネット検索してみたら、呆気なく手掛かりが見つかった。梅原千治(せんじ)さんという東京医大のお医者さんが、1973年の12月号に書いていた。残念ながら、近所の図書館にバックナンバーがなく、再読は叶わなかったが。
◆掲載から6年後の1980年。タイ北部のラフ族の集落でホームステイしていたときも、その記事を思い出した。ニューギニアのジャングルにツチノコがいたのなら、この辺りにもいるんじゃないか? そこで記憶を頼りに絵を描き、世話になっていたセラニ・オパさんに見せた。彼はしばらくノートを眺めていたが、「ここにはいない」とあっさり否定。ワイルドトイレット的には朗報だけど、やっぱりガッカリした。
◆気を取り直し、セラニ・オパさんの父親にも訊いてもらうことに。一族の長でもある父は、集落内外の人々に信頼されている。山を幾つも越えてやって来る相談者の悩みに耳を傾け、助言を与えると、誰もが納得して帰ってゆくという。外見こそ小柄で目立たない寡黙な老人だったが、そばに居るだけで、よそ者の私にも深い人間性が伝わってきた。それに、若い頃はラングーンでホテル勤めしていた息子とは違い、長年のジャングル暮しだから、動植物の知識も比較にならない筈だ。
◆狙いは的中。彼は絵を一目見るなり、「昔はいた。でも、ずっと前にいなくなった」と答えた。そして、「山奥には、まだいるだろう」とも。私もセラニ・オパさんもビックリした。ラフ語では「パピ・マー」と呼ぶらしいが、「毒があり、噛まれたら死ぬ」「怖い目で人を睨む」「とても凶暴で、ジャンプして襲ってくる」「斜面を転がって逃げる」といった特徴は、ウワサに聞く日本のツチノコそっくりだ。
◆「肉は美味い」も、梅原先生の証言通り。ただ、そのときのノートが行方不明で、いまとなっては、それ以上のことはわからない。今回の報告会で「中国大陸にもいるのでは?」説が出たけれど、その場合の一番の棲息地は、やはり雲南を中心とした照葉樹林帯ではないか。あの体験から、そんな気がしている。
◆タイから戻って数年後、「そうだ、梅原先生に報告しよう」と閃いた。そこで科学朝日の編集部に連絡先を問い合わせたら、返ってきたのは、「先生は亡くなられています」の残念な報せ。ご存命中にお伝えできれば、きっと喜ばれたに違いない。それだけが悔やまれた。[K.ヒロベイ]
■ツチノコはいるのか? 僕はいないと思う。理由は、これほど時間をかけても捕獲できないばかりか死体すら発見されないから。話を聞く前に自分なりの結論が固まってしまい、一度その偏見にとらわれるとすべてが色眼鏡から逃れられない。だが今井さんの話を聞き、映像を見ているうちに気持ちは「いるか、いないか」から「信じるか、信じないか」に傾いてきた。そうなると、信じる方が断然楽しいと思える。
◆実際、目撃者が謎の生き物について語るとき、表情は生き生きとしている。古老が、もはや恥ずかしくて使えない言葉、「夢」や「ロマン」を口にする。そうなるともう「いる、いない」とは別の話で、否定しようという気になれない。古老とは逆に、本気で信じて本気で探す村役場の役人も出てくる。指揮をとっている人物は妻と親がツチノコの目撃者。本人は見ていない、という点が気になる。この人は家族の名誉のために本気で探しているのかもしれない。
◆映画に登場する目撃者の体験談が真に迫っているのは、人は理解不能なものを見てしまったときにどんな反応を示すのかを如実に表しているからだ。人はその瞬間に硬直する。そして本能的に逃げる。正体を確認する余裕などない。
◆自分に引き寄せて記憶を探る。タンザニアの平原。道とはいえない道。何かの気配を感じてバイクを止める。気配の方を見る。複数の電信柱のようなものが猛スピードで迫ってくる。正体はキリンなのだが、キリンが突っ込んでくる、というビジョンが自分の中にない。理解できないから判断もできず動けない。僕は逃げることすらできなかった。
◆それにしても、なぜこれほど目撃例が多く、地域も広く、姿形も似ているのか? 目撃例は江戸時代まで遡る。話し手の今井さんが一番若い目撃者。つまり絶滅した生き物という可能性もある。そんなものいるはずがない、と自信満々に言える人の根拠は何か? 自分が世の多数派の側にいる安心感から、なんとなく言っているだけではないのか? ただ単に無知なだけではないのか?
◆これも思い当たることがある。エクアドルアマゾンでガイドしてくれたハリンが両手を広げ、ここにはこのサイズの亀がいると言った。ゾウガメじゃあるまいし、淡水にそんな生き物がいるはずがない。即座に否定したら、息子が庭の水たまりから巨大な亀を引きずりだした。確かにハリンのいう通り、甲羅の大きさだけでも1メートルを軽く越えていた。自分の知識や常識、想像力を超えたものは世の中には無数に存在する。理解できないから「いない」というのは傲慢であり、無知なのだと思う。[坪井伸吾]
■中学高校の先輩である延江由美子さんから地平線会議を紹介されたのが3年前。江本さんとは同じ大学の同じロシア語専攻という偶然に、勝手に運命を感じていたものの(笑)、当時はコロナで報告会はお休みだったので、今回念願の地平線報告会に初参加できました。
◆今井友樹さんのお話しと映像は、ツチノコだけにとどまらず、カスミ網猟から座敷牢まで、面白すぎて何度もトークをとめて質問したい気持ちを抑えていました。以前は生まれ故郷に興味のなかった今井さんが、ツチノコを取材していくうちに、故郷や村の人達の魅力に引き込まれていくのはまだいいとして、今井さんの心が、ツチノコからツチノコを語る人々へ、さらに彼らの暮らす風土へと大きく広がっていき、ついに「心の豊かさ」という、もはやツチノコはどこかに行ってしまうほどの深い悟りの境地に達していて、映画完成前に出家してしまうのでは?と心配しました(笑)。
◆今はまだ謎のツチノコが、いつか発見されてしまい、大勢の見物客にさらされ、人間との接触が増えてあっけなく絶滅しませんように!と無駄に心配している自分のスケールの小ささに苦笑です。とはいえ、最後に登場した中国人の方の故郷にもツチノコにそっくりな生き物がいるという報告を聞いたときは、これは絶対いるでしょ!と確信しました。
◆さらに、個人的に印象的だったのがカスミ網猟のお話しです。20代のころ、ケニアに3週間滞在して、渡り鳥調査のボランティアに参加したのですが、それがきっかけで鳥好きになり、その後、軽い気持ちで入会した日本野鳥の会から送られてくる『野鳥』というマニアックな雑誌に今井さんの『鳥の道を越えて』が紹介されていたのを思い出しました。
◆ケニアでは、Tsavo National Park内のロッジ周辺の斜面に何枚もカスミ網が設置されていて、深夜から早朝にかけてヨーロッパからアフリカに渡ってくる野鳥が網にたくさん絡まっているのを、私達ボランティアが1羽ずつ丁寧にほどいてフィールドステーションに持っていき、種類ごとに個体数、体重測定、足に標識をつけるリンギングなどを手伝いました。その時に、鳥類学者の方が「このカスミ網は日本製だよ。日本製が一番切れないし丈夫なんだ」と説明してくれました。カスミ網はもちろん、野鳥の捕獲自体がとっくに禁止されている日本で作られているなんて!と驚いたのを覚えています。
◆かつては、食べるため生きるために使っていたカスミ網の技術が、今は世界の野鳥の保護調査に役立っているのです。伝統が消えていくのは寂しいことですが、知恵や技術は姿形は変わっても、私達の暮らしにしっかりと生き続けている気がします。
◆現在、中野のシェアカフェ una camera liveraの世話人をしており、そこで2020年から民族文化映像研究所の作品の上映会を不定期に開催しています。現在、今井さんの作品の上映会も開催したい!と妄想中。記録映像は人類の財産です。タイムマシンが発明されるまでは。[田中澄子]
■2018年11月、カスミ網猟を見に行った。今井友樹さんの前回の報告会に参加してから2か月後のことだ。スライドで紹介された福井県のカスミ網の猟場「織田山ステーション」が自宅から1時間ほどの距離にあるとわかり、妻と子供を連れて訪れた。ここは、地元の人たちによってカスミ網猟が行われていた場所で、現在は環境省の委託をうけた(財)山階鳥類研究所が、渡り鳥の標識調査を行う施設となっている。
◆期待に胸を膨らませ進んだ猟場までの道のりは、クルマで進み続けるのが不安になるくらい、細くうねうねした急登が続く山道だった。山道を登り終え、山の中腹に出ると、突如、30軒ほどの立派な集落が見えてきた。そして、集落を越えたすぐ先の山中の、大人の背丈ほどの高さに切り揃えられたやぶの中に、カスミ網が支柱に沿って帯状に張ってあった。黒色をした細い網は夕方であれば人間の目でも見えないと思うほど、周囲の景色に溶け込んでいた。
◆日中ということもあってか残念ながらカスミ網にかかった鳥は見つけられなかったが、周囲の山々からは鳥の鳴き声が聞こえ、生き物の濃い気配が感じられた。ここに来るまでの道のりから、カスミ網猟は下界から隔絶された山の中でひっそりと行われる猟であり、そしてここには「鳥の道」があるのだと確かに感じることができた訪問だった。
◆私には小さな後悔がある。おばあちゃん子だったにも関わらず、わらじをあっという間に作る祖母から、その技術をまったく教わろうとしなかったことだ。流れるような動作で、藁を縄へと変え、いとも簡単にわらじを作る年老いた祖母の姿は子供心にも印象に残っている。大地に根を張ったような強さを感じた。それでも当時の私は、わらじなんて過去の遺物としてしか考えられなかった。祖母の世代からしか学べないような生きる知恵というか力のようなものをもっと学ぶべきだったと今にして思う。
◆今井さんに興味を惹かれたのは、そんな私自身の後悔に対して真っ正面から取り組み、消えゆく市井の人々の生活を映像に残す仕事をされているからだ。ご自身のおじいちゃん、おばあちゃん、そしてその周囲の人たちから話をしっかりと聞き、その背景までを丁寧に映像に反映させる。あと数年遅かったら、この人たちはこの世界にいなかった。今、この記録を残せてよかった。そんなことが感じられる映像だ。最後に。今回の報告会は、出張先の東京から当日中に自宅へとどうしても戻らなければならなかった。そのため報告会が始まって1時間後の19時半には途中退席した。後ろ髪を引かれる思いだった。いつかまたじっくりと話を聞ける機会があればと思う。今回の報告会のレポートが楽しみだ。[福井県 塚本昌晃]
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