■小雪さんは、地平線報告会にも何度も登場されているサバイバル登山家、服部文祥さんの奥様だ。3児の母であり、イラストレーターであり、今年5月に出版された「はっとりさんちの狩猟な毎日」の著者である。以前狩猟をしていたこともある私にはとても興味をそそられる内容だった。はじめてお会いする小雪さんは、少女の面影を残したような、可愛らしくて素敵な女性だった。文祥さんが射止めたというのも納得だ。
◆「今日は服部文祥は来ませんので、気楽にお話してください」という司会の長野さんのフリに応えるように、文祥さんとの馴初めや、家族から見た冒険家の横顔など、写真やイラストを交えて「日常の冒険」についてお話していただいた。最初に流れたのはBSプレミアムの「グルメ百名山」。文祥さんに連れられて、小雪さんと長女の秋(しゅう)ちゃん、犬のなつが新潟の早出川を舞台に、5日間の「サバイバル登山」に同行するという企画。サバイバル登山では、お米と調味料以外の全ての食材を「現地調達」することで、その山を本当の意味で登ったことになるという。
◆6月、まだ雪の残る雪渓や、崖のように急な沢を登っていく。イワナを釣っては文祥さんが慣れた手つきで次々と捌き、あっという間に刺身や燻製に。採れたてのコシアブラはごま油と醤油で炒めて丼に。「頼もしすぎて出る幕がないのがさみしい」と小雪さん。久しぶりの山行はかなりハードで、野宿同然の夜には寒くてブルブル震え、帰って来てから高熱を出して倒れた。ここまでは「非日常」、ここからは「日常」の話へと移る。
◆秋田県大館市生まれ、小2までを東京・吉祥寺で過ごし、その後は埼玉県所沢市に引っ越した。幼稚園の時は大人しく、泥団子を作るのが趣味。小学校時代はクソがつくほどまじめだけどどこか抜けていて、好きな先生を喜ばせたいと思って学級委員になったこともあった。中学からは吹奏楽部でアルトサックスを始め、埼玉代表に選ばれるほど部活一色に。
◆転機が訪れたのは中3の時。友人から借りたカセットテープに入っていた佐野元春の「ガラスのジェネレーション」を聞いた時だった。「世の中にこういうものがあったのか!」と世界がひっくり返るほどの衝撃を受け、そこから音楽や芸術に目覚めていく。自分の想いを表現することに対する憧れ、他人とは違う道に行きたいという考えから「アーティストになりたい」と思い、わざわざ電車で1時間半かかる女子美付属高校へ。そこで油絵に没頭していく。
◆祖父も画家で、小3の時にはじめて油絵の具に触れた。15歳の時に描いた「心の窓」という絵は、「見かけは問題なくても心の中は複雑で、いつもどこかで孤独を感じている」当時の鬱屈した心情をよく表している。今でも残っている作品の中で一番好きなのは高校生の時に描いた、母が読書をしている絵。人物を描くこと、とりわけ「その人らしさ」が現れるような、何かをしているところを描くのが好き。その後大学に進学し、都会暮らしの疲れや絵を描くことに行き詰まりを感じた時、「アルプスの少女ハイジ」の世界や自然への憧れを思い出す。
◆そんな時に登山家・今井通子さんの新聞記事が目に留まる。「枝別れした沢を遡っていけば、源頭に出る。山に行けばこの世界の仕組みがわかる。それが自然に入っていくことの魅力だと思う」とあった。恵まれた環境の中で、どこか物足りなさを感じていたから「これだ!」と思い、迷わずワンゲル部の扉を叩いた。アジトのような地下の部室には、女子美らしいオシャレで個性的な先輩、存在感溢れるコーチ、山の道具や本が鎮座していた。それから4年間は、絵筆をピッケルに持ち替え、山ばかり行っていた。
◆大学時代の終わりに「岳人」の企画した座談会で、村田(旧姓)文祥さんと出会う。第一印象は「暑苦しい人」。オーラもそうだが、暑い日なのに革ジャンを着ていて、自意識過剰だと引いてしまった。向こうは一目惚れだったようだが、こっちは怖くてとてもお付き合いする勇気はなく、距離を置いていた。卒業後は中学校の美術教員になった。教員時代、村田くんと一緒に丹沢の蛭ヶ岳に山登りに行くことになった。
◆しかし間違えて違うホームに座っていたために、電車もバスも乗り遅れてしまい、仕方なくタクシーで行った。山を登り、体も冷えていたところに温かいミルクティーとおにぎりを食べさせてくれた。人に食べさせることが上手。「この人ちょっといい人かもしれない」と思ってしまった。この人は嘘がないんだろうな。人となりが分かり、リスペクトした。本の話ができる唯一の友達でもあった。
◆教員生活では「世の中の厳しさ」に直面する。美術を教える以外にも、生徒指導や保護者とのやりとりに心身ともにすり減らし、ワンゲルでついた自信も折れ、体重も38kgまで落ちてしまった。そんな折にK2から生還した村田くんと再会した。人生相談をしたところ「答えは簡単だよ。俺と一緒になれば必ず楽しい人生が待っている」と言われて妙に納得させられてしまった。今までとは全く違う、ずっと憧れていた生活への期待もあった。
◆結婚して驚いたのは、長男が生まれた直後に、「じゃあ俺は山に行くから」と放り出されたこと。わたしは180度生活が変わったのに彼は今までどおり。ひとりで何もかもやるのは、心身ともに大変でゆとりがなかった。文祥さんの処女作「サバイバル登山家」をはじめて読んだ時、彼がどんな想いで冒険に出ているのかがわかって、涙なしでは読めなかった。家族じゃない第三者の視点で読みたかったと思うと同時に、「この人は普通の人と違うからやっぱり応援するしかない」とも思った。自分の気持ちもぶつけたいけど、彼のことも理解したい。二つの感情にいつも板挟みになる。
◆日高全山縦走の時には26日間音信不通に。4歳の長男と2歳の次男を抱え、不安でいっぱいだった時に、「お父ちゃん死んじゃったんじゃないの?」「クマに食べられたかもね」と明るく言う長男にある意味救われた。次男を感情任せにきつく叱ってしまった後、涙目の次男に「お母ちゃん、怒りすぎてごめんなさいは?」と言われた時は、「見抜かれた」と驚いた。子供は、小さくても立派な「人」で、いろんなことを教えてくれる。
◆自然に近い暮らしがしたいと思っていたが、結婚してはじめて住んだ平屋では虫、カビ、夏暑くて冬寒いという洗礼を受ける。でも子供が生まれてからは一緒に虫を観察したり、図鑑を読んだりしていくうちに虫と仲良しになり、世界が大きく広がった。身近な自然から季節を感じることも増えた。現在住んでいる家は、横浜・大倉山の斜面に建つ築45年の廃墟のようなボロ家で、土地の値段だけで購入できた。あちこち傷んでいたので床や障子を張り替え、壁に漆喰を塗って改修を進めた。
◆今回小雪さんが本を出版したのは、文祥さんがメディアに出るようになり、「家族は心配じゃないの?」「小雪さんはエライ!」とあがる声に対して「そうじゃない」と言いたかったから。冒険家が好き勝手することに対する、家族の複雑な感情や舞台裏を書いてみたいと思った。ベースは日記。書きためた日記は10年で20-30冊にもなった。思春期の頃の日記は全て燃やしてしまったが、子育てが始まってからの日記はどうしても捨てられなかった。
◆当時は大変で、文祥さんにぶつけられない恨みを日記に書き留めていたが、今になって読み返すと「いい時代を過ごしてきたんだなあ」「彼も頑張っていたんだな」と許すことができて、自分にとっても救いになった。文を書くだけでなく、新聞の切り抜きや気に入った短歌を貼ったりした、パッチワーク的な日記を作っていた。「文字」がいつも支えてくれた。
◆イラストの仕事は月に1回「岳人」に載る、ワンカット7000円のみ。でもその収入をもらうことが子育て時代の支えになっていた。絵を描いている時だけは主婦でも母親でもなく、自分自身でいられた。「サバイバル登山」を読んだ時からなんとなくその予感はあったが、やはり狩猟を始めることになった。ある日急に牡鹿の頭を持って帰って来た文祥さん。幼い秋ちゃんに脳みそを食べさせているのを見た時は「勘弁してよ」と思ったが、実際食べてみたらおいしかった。そんな環境で育ったので子供達も野生のものを食べるのには慣れている。狩猟は敷居が高いようだが家族がいたので割とすんなりはじめられた。
◆鹿の皮に残った肉や脳みそはニワトリや犬の餌にする。娘の秋ちゃんが学校をずる休みした時「お前な、休むなら鹿の頭叩いておけ!」と言われ、泣きながら鹿の頭骨を叩いていたこともある。肉の解体はやればやるほど上達する。近所の人たちも一緒にやることも。
◆お肉を切り分けるのは楽しくわくわくする作業。インドカレーが好きで、色々なスパイスを入れて鹿カレーを作ることも。こうして最後に美味しく食べることで、狩りに対するマイナスのイメージはなくなり、ありがたいことだなあと思う。鹿の頭や蹄がついたままの骨がウッドデッキに並ぶので、近所の小学生たちからは「あの家やばくね?」と噂になり「骨の家」と呼ばれている。
◆ある日、文祥さんが岡山の川でヌートリアをたくさんとってきた。ヌートリアなんて食べたくなかったが、持って帰ってきたので仕方なく料理した。食べてみたら意外とおいしい。スーパーに売っている肉は牛・豚・鳥だけど、肉って意外と幅が広いんだなと気づいた。お弁当に入れてみたら子供達にも好評。先入観を捨てるのは楽しい。もしかして一番のハードルは自分の先入観だったのかもしれない。
◆常に新しいことを考えたり企んだりする文祥さんが、今度は「ニワトリを飼う」と言い出した。はじめはヤギを飼う予定だったが、住宅地では難しいのでニワトリになった。子供達は大喜び。でも周りが盛り上がるとそこにブレーキをかけるように「臭いや鳴き声が近所迷惑にならないの? もう一度よく考えたら?」とマイナスのことばかり言ってしまう。それでいつも喧嘩になるのだが、実は内心楽しみにしていた。
◆ロードアイランドレッドという採卵用の品種をネットで買い、自転車で取りに行く。背負子に入れて連れ帰ってきたヒヨコたちはふわふわで本当にかわいい。ヒヨコは6羽来た。よく食べよく動く。餌は米ぬかと生ゴミ。4か月経って本当に卵を産んだ時は、「自分たちの出したゴミが卵になった!」と驚いた。野菜くずや残飯、土や虫、草がニワトリの身体を通って卵になり、自分の体に入る。卵を食べることは、ニワトリがどんな風に生きてきたかをそのまま自分の身体に入れているのも同然。
◆2011年の震災で放射能の問題が出て、野草や筍など今まで楽しみにしていたものが食べられなくなってしまった。今までスーパーで食べ物を買っていたが、こうした暮らしをはじめて、畑で育ったものやニワトリが産んだものは、大地の状態と密接に関わっている、土と自分の体がつながっていると感じた。ニワトリを通して自分が生きているカラクリが少し分かった。
◆ニワトリは見ていても面白い。おしりをフリフリして歩き、顔は野生的で恐竜みたい。足もゴツゴツしているが、裏は柔らかくてぷにぷに。「FIELDER」という雑誌に連載することになり、絵を描くために観察を始めた。6羽の中にもそれぞれ個性があり、上下関係もはっきりしている。パープルはとても賢くて地位も高い。プープは後から来たのでいじめられている。しばらくして雄鶏のキングがやってきた。雄鶏がいなくても無精卵は採れるし、声がうるさいので近所迷惑になると思って反対したが、文祥さんは有精卵を孵したくて、雄鶏をもらってきた。
◆結果的にキングの存在は素晴らしいものだった。絵的にも引き締まるし、野生の雄叫びには心揺さぶられるものがあった。はじめは怖かったが、娘が可愛がるので慣れてきた。文祥さんのことはライバル扱いして攻撃。だがいつもあっさり負けて、いじけて3日ぐらい鳴かなくなる。そんなところもかわいい。有精卵が産まれたので今度は人工孵化器で卵を孵すと、ぴったり21日で生まれた。ここでまた、「卵は本当に命だった!」と実感する。今まで命をパカっと割ってお椀の中でかき混ぜていた。自分の力で殻を割って出て来るが、中には生まれてこられないもの、生まれたけど立てないものもいて、ニワトリのたくましさと命の儚さを感じた。
◆こうしてニワトリを描くことでイラストレーターとしての仕事をすることができ、絵を描く楽しさを取り戻した。絵を描く時、最初は見ずに描く→確認→また描く、という工程で行うが、見るたびに知らないことに気づく。喜びの反面、知りたくなかったことも知ってしまう。ヒヨコは4か月ぐらいで若鶏になるが、普段スーパーで飼う「若鶏」はケージ飼いで身動きが取れないように無理やり太らされ、まだピヨピヨ鳴いている生後50日前後で出荷されている。「若鶏」といういいイメージで売り出され、今まで美味しいと思って食べていたが、自分たちが食べているものはなんだったのかを改めて考えるようになる。
◆野生肉を食べることや、ニワトリを飼うことはもともと趣味ではじめたことだが、「食べること」は「生きること」。つまり何を食べ、どうやって生きるのかということで、それにはいろんな葛藤が伴う。はじめて猟に同行した時、それまでは「がんばって獲ってきてね!」とウキウキして見送っていたが、実際に猟場に行ってみたら、のどかに暮らしていた鹿が、何も悪いことをしていないのに突然鉄砲で撃たれて平和な生活を奪われてしまった。自分が楽しみにしていたことが実は鹿の「死」だった、ということが分かり、どうしたらいいのかわからなかった。
◆その辺りのことはまだ自分の中で答えは出せておらず、本の中でもグレーゾーンのままになっている。「狩猟をしている人は仕留めた肉を食べる権利があるかもしれないが、わたしは殺すことはできない。誰かが殺してくれたお肉をスーパーで『ラクだから』と現金と引き換えに買って食べている」ということも考えるようになった。日本の家畜の現状がどうなっているのか、自分から知りたいと思って本を読んでいる。
◆とは言え「(肉は)野生肉だけでいきたい」という文祥さんに対して、「それは無理だろう」と思う。成長期の子供達にいろいろ食べさせてあげたい。たまに食べる分には刺激になるし、いい経験だが日常的に継続するのはなかなか難しい。今のところは野生肉があるうちはなるべく買わないようにしている。ただし、服部家のニワトリは類い稀に見る「一生を全うするニワトリ」で、その姿を子供たち(自分の子供だけでなく)に見せたい。学校でニワトリを飼わなくなってしまったのが残念。
◆生活の中に「死」が入り込んでくることを、現代の日本では見せないようにしている。本当のことをなるべく早いうちに経験しておいた方がいい。子供はとても柔軟な感性を持っている。父親が獲物を持って帰ってきても我が家の子供達は全然怖がらなかったし、解体もすんなりできた。逆に大人の方がかまえてしまう。ニワトリを孵した時、オスは淘汰しないといけないが、卵から可愛がって一生懸命育ててきたニワトリが段々とオスらしくなってくると「いやだなあ」と思う。
◆コケコッコーの練習をはじめる頃にシメなければいけない。子供達は平気だったが、その日は息が吸えないぐらい辛かった。オスもそれを察知して逃げ回るが、あっという間に文祥さんの手で殺されてしまった。家族みんなで羽をむしり、解体する。自分たちの飼っていたニワトリだから死んでもかわいい。最後まで歩いていた脚、いい餌をあげていたからか宝石のようにキラキラして見える内臓を見て嬉しくなった。鍋や焼き鳥にしてありがたく食べた。
◆卵から孵した子達は食べたが、初代の子達は半分ペットになってしまったのでさすがにシメられない。キングは現在9歳。そろそろ世代交代。次は烏骨鶏か? 鹿を食べた時も自然の味でおいしくて感動した。山のドングリや木の皮を食べているから山の味、幸せに生きていた味がする。それを体に入れると元気になる。死ぬ過程も目の前で見ているから気が引き締まり、しっかり生きないと、と力が湧いてくる。
◆はじめは狩猟も乗り気ではなかったがこれはなかなかできない経験だと思うようになった。「殺すこと」や「死」が生活に入ってくることは辛いけど、人生や生活が豊かになることでもある。そんな機会をもつことができたことは文祥さんに感謝している。実は遅れて会場に来ていたその文祥さんからも最後に一言。
◆「狩猟をはじめた当初は鹿が全く獲れず、飼った方が効率がいいのではとヤギを飼うことを検討したが、鹿が獲れるようになってからは骨や雑肉が邪魔になり、ニワトリを飼い始めた。雑肉が卵に変わるということ、実際に肉を食べさせると卵の味が変わることから、「食べ物の元は何か」を意識するようになった。配合飼料や鹿を狩猟・解体する手間賃も考えると、1個あたり30〜50円かかっているが、スーパーでは10円程度。一体何を食べさせているのだろうと思う。子供達も手がかからなくなり、自分も体力が伸びなくなってきたので、登山や探検的なことよりも、次のステージ(年寄めいたこと)を考えるようになってきた。今回小雪がこうやって話したのもそのターニングポイントなのかもしれない」と語った。
◆小雪さんのイラストレーターとしての観察力やユーモアが光る、楽しい報告会だった。二次会に向かう道のりで小雪さんとお話し、「本を読んだ時も思ったんですけど、あれだけのことをされて、よく出て行かなかったですね」と思わず言ったら、「逃げ出すのは簡単だけど、子供もいるし覚悟を決めるしかなかった。それにああ見えて彼結構優しいんですよ」と笑う小雪さんに、底知れない愛を感じた。文祥さんに振り回されながらも、最終的にはそれを受け入れ、楽しむ姿勢が素晴らしい。ニワトリを飼って卵を孵した時の感動や、命を奪うときの葛藤や罪悪感など、共感する部分が非常に多かった。
◆その一方で、「野生肉だけでいきたい」と言った文祥さんの気持ちもよくわかる。実は私もはじめて野生動物を食べたのは鹿の脳みそ(しかも生)で、すごく美味しかったのを覚えている。あの味が忘れられなくて狩猟を始めたと言っても過言ではない。家畜がどのように育てられているかや、野生動物がこれだけ増えていて、「駆除」されている現実、そして何よりも野生肉のおいしさを知った以上は、できるだけスーパーのお肉は買いたくないと思うようになった。今回小雪さんが持参してくれたお手製のヌートリアの唐揚げもとても美味で、今までタヌキ、アナグマ、ハクビシンなど四つ足動物はいろいろ食べてきたが、その中でもクセがなく食べやすかった。今はしばらくそうした生活から遠ざかってしまっているが、また近い将来、自然に根ざした暮らしを営みたいと思っている。(青木麻耶)
■地平線当日。いよいよだと朝からソワソワして行ったり来たり。そういえば今日の報告会に持っていくヌートリアの唐揚げを作るんだった。ヌートリアとは、西日本を中心に生息しているカピバラのような姿をしたネズミの仲間だ。
◆前脚2本を解凍し、赤身を骨から削るように外して、塩、酒少し、醤油で下味をつける。しばらく置いてから片栗粉をまぶして、フライパンの5ミリくらいの油で揚げ焼き。肉の端くれをベランダで飼っているミシピッピアカミミガメのブッタ(服部家に食べられる運命にある)に投げてやると、カメはすぐにパクつき、飲み込んでしまった。
◆「話の流れで文祥のことが自然に出てくるのはいいですが、あくまでも報告会の主役は小雪さんですよ」これは準備の取材の時に江本さんと長野さんに言われたことだ。私が特にそういう傾向が強いだけの話かもしれないが、家に長い時間いる者の欠点として、家族や雑事に振り回されて自分のことを見失いがちになるうえに(正確にはそこに逃げ込んでしまう)自己肯定感が低い。今回、江本さん達が、文祥の嫁サンではなくひとりの人間として私に向き合ってくれたことがとても嬉しかった。本の出版するにあたっては不安しかなく、まさかこうした出会いが生まれるとは夢にも思わなかった。
◆報告会には大学生くらいの若い人の姿も多かった。江本さんと同い年の両親や、地元の友人も足を運んでくれた。初めに、2年前にNHKで放映された番組(ディレクター:山田和也さん)の一部を流して、家族でのサバイバル山行の様子を紹介した。結婚後、子供が生まれてからは身動きが取れなくなり、休日くらいは家族で出かけたかったが、夫は年間120日ほど山に入っておりあきらめるしかなかった。学生時代に山登りに明け暮れて遊びきった感覚があったこと、何も知らないでボーッと生きてきたことが幸いして、地面と子供に密着して生きる日々は楽しかった。実際、子供の存在は時には嵐であり、時には美しい光であり、大自然そのものと接しているようだった。
◆「文祥さんを支えている奥さんは偉い」とよく言われるが、現実はそうではなく、むしろ逆という面もある。子供が3人いると経済的な問題は大きい。家族で生きるために都会で働く役目を夫が長年引き受けていたこと、納豆とネギをいつも買っておく以外は何も私に望まない、というおおらかさ、そういう点において、綱渡り的だったけれど、服部家の平和はどうにか保たれてきた。
◆夫が狩猟を始めるようになると、殺しの生々しさがダイレクトに生活に入り込んできて戸惑ったが、家族や友人と動物に感謝して美味しく食べることで意識は変わっていった。小学生だった娘は、国語の時間に「食べものは、生きものです」という作文を書いた。
◆現在、自宅の庭でニワトリを飼っている。文祥が強引にヒヨコを持ち込んだのが始まりだったが、世話はをするのは私と子供達。ニワトリもまた、野生の世界と人間界の境目にいるような存在だ。異種の仲間を迎えると、世界には様々な種類の生き物がいて、人間もその中の一種に過ぎないと感じるようになる。
◆『いのちへの礼儀』(生田武志著)によると、日本は畜産後進国であるらしい。工業化された環境でヒヨコがどんどん生まれ、年間約一億羽オスのヒナが廃棄されているという現実、卵を産むために狭いケージから一生出ることなくエサを食べさせられる鶏。私も大量生産、大量消費の社会の一部に組み込まれて生きているが、見えないところで起きていることを想像することはできる。残りの人生は、肉は買わないで魚のおかずを作る、など自由な選択をしていきたい。
◆地平線会議では自分でも信じられないほど本音をたくさん話すことができた。聞いてくださる方達がいたからこそ、引き出されたものだと思う。みなさんありがとうございました。(服部小雪 下のイラストも)
都会の片隅に立つ大きな木があった。
金曜日の夕べ、旅鳥たちが羽を休めに集まり、誰かの話に耳を傾ける。
ウロの中には、昔から賢者フクロウが住んでいた。
(ふしぎなことに、木にはギョウザの実が成るのだった)
21世紀の日本が生んだ「行動する思想家」服部文祥氏から『獲物山II』をいただいた。添えられた手紙に、近日発売のこの本の紹介があった。『獲物山II』の最終章「登山家不在の家族の風景」は、服部氏が死後の世界に思いを馳せた「詩」である。死後の世界、とは自分が死後行くかもしれない「あの世」ではなく、自分の死後も淡々と続いていく「この世」のことである。管見によれば、そこに思いを馳せることのできる人種(今では絶滅危惧されない種と呼ばれている)の事を詩人と言う。この章に小雪さんの写真があり、知的な美人だったので、即アマゾンで注文した。
この本で一番驚いたのは、服部氏が日高全山ソロサバイバルを敢行した時、既に4歳の祥太郎君と2歳の玄次郎君がいたこと(私は勝手に当時独身かと勘違いしていた)。読み返すと確かに山で出会った学生に携帯電話を借りて電話する場面があった。それまで二週間音信不通で、台風が北海道直撃。それからさらに二週間音信不通…。サバイバル登山家の妻とは過酷なものだ。『サバイバル登山家』が出版されて、それを読む場面、「おそるおそるページをめくった。山行記を読んでいくと面白くてぐいぐい引き込まれたが、やっぱりギリギリのことに挑戦していたことがわかり、胃が痛くなった。(中略)読み進めるうちに言葉を失った。この人は、命がけでやってきたのだ。山登りと文字表現で生きていく決意が本の中から立ち上がってきて、俗世間で満足を得ている自分との、永遠に埋まることのない溝を感じた」に、打たれた。この瞬間が、小雪さんにとってひとつの転機になったのではなかろうか。私がこの名著に出会ったのが、広島県山岳連盟の講演会にお呼びする契機ともなった。
次に驚いたのは、「『モア』を食べる」。「秋の一番の仲良しはモアだった。学校から帰るとモアを抱っこしてどこかへ行き、親に言えないテストの点数など、秘密の話をしていたようだ。モアの背中のやわらかい羽毛で涙をぬぐっていることもあった。(中略)彼女は飼っている生き物が死ぬことには慣れているためか、静かに涙を流していた。私たちはモアを解体し、身体に野菜を詰めて、薪ストーブで丸焼きにした。かわいがっていた生き物を食べるのは初めてのことだったが、パリッと焼き上がった肉は味が濃くおいしかった。」これを読んで、関野吉晴氏のグレート・ジャーニーDVDで、ヤノマミ族が亡くなった人の骨粉をバナナ・スープに混ぜて号泣しながら飲むシーンを思い出した(このシーンでは、必ずもらい泣きしてしまう)。今回も、哀しみが、直下(じきげ)に伝わってくる。服部氏が、『狩猟サバイバル』の第六章で扉に掲げている西洋のことわざ、You are what you ate. (あなたはあなたが食べたものにほかならない)は、私はこれまで、身体はそうだが、精神は違う。精神は読書も含め、体験したことでできている、と思ってきた。しかし、服部家のように「ズルしないで」世界と向き合うなら、身体も精神も食べたものでできるのではないか? そもそも、身体と精神を分けて考えること自体が間違っているのではないか?と、考えさせられた。
過酷な探検記、例えば角幡唯介氏の『アグルーカの行方』の中での、相棒の荻田氏との軽妙なやり取りを読むと、ユーモアも生き延びるための重要な装備の一部だという気がする。小雪さんも、ユーモラスな絵で自分自身すらも笑い飛ばしながら、かく(書く、描く)ことによって、「サバイバル登山家の妻」という過酷な生をしたたかに「サバイバル」していかれるであろう。家族とともに…。(豊田和司 広島県山岳連盟理事長 詩人)
■服部小雪さんの報告会、お疲れさまでした。参加させていただきありがとうございました。二次会でも、ご本人と色々お話ができてとても良い時間でした。実は服部ご夫妻とお話ができるとは夢にも思っておりませんでした。なぜなら私にとってはとても気になる、でもあくまでも「本の向こう側の方達」だったからです。
◆飛騨から15年前に移り住み、関東周辺で山登りをはじめた頃から雑誌などを読み始めるにあたり、夫が文祥さんの登山家としての考え方やオリジナリティーに共感して、2006年の「サバイバル登山家」から、ほとんどの本は購入し、『岳人』のコラムなども読んでいました。『アーバン・サバイバル入門』では小雪さんのイラストで、どんな処にの住んでいるかも詳しく描かれているし、度々雑誌には息子さんや娘さんと山に登っている記事もあり、我が家ではよく話題に上るのが服部家の話です。そしてもちろん、小雪さんの本もすぐに買ってきて、これは私も大変面白く読ませていただきました。
◆本の中での小雪さんの心情は、夫や家族に翻弄されつつも赤裸々に描かれており、おおいに共感できる面もあり、子育ての事、家族の事、そして文祥氏の違った面ものぞく事ができて、人間は奥深いものだと改めて感じました。勝手なイメージでとても逞しい方なのかと思っていましたが、小雪さんの細やかな心情に安心した感もあります。今回の報告会は話がさらにふくらんで面白く、時間もあっという間でした。小雪さんの観察力、分析力にも感心いたしました。現在の食肉事情なども勉強されているとの事でまた色々教えていただきたいです。
◆文祥氏の「父親像」というのも興味深かったです。子供相手に遊んであげるのではなく、本気で好きな事やりたい事をやっている父親は、子供自身も自分の好きな事を見つけられるのかと、また子供扱いしないという信念をもって接する姿勢が、素晴らしいと思いました。小雪さんにはまだまだ続く5人家族の食事やプラス動物たちの世話も、私の想像を絶する家事と労働だと思いますが、心から応援しております。(モリサチコ 尺八奏者)
■先月の通信でお知らせした後、通信費(1年2,000円です)を払ってくださったのは、以下の方々です。数年分まとめて払ってくださった方もいます。通信費振り込みの際、通信についての感想など付記してくれると嬉しいです。
高橋千鶴子/三澤輝江子(10,000円 毎月通信を楽しみにしています。知らない世界、新しい世界、文章を通して旅をしています)/永田真知子/小高みどり(10,000円)/鰐淵渉/天野賢一/吉岡嶺二(2,800円 ワールドカップ、オリンピックと続き、ヨットハーバーから締め出されました。2020年夏は水平線から遠ざかって過ごします)/豊田和司(御無沙汰しております。服部小雪さんのヌートリアの唐揚げ食べたかったです)
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