■会場に入り、最初に目に入ったのは白黒のグラフィックだった。プロジェクター越しにスクリーンに投影されている。南極を背景に、太陽と龍、そして男のシルエット。細身で足が長く、陸上選手のように締まった体型が極地用の分厚いウエア越しでも分かる。ストックが雪に刺さり、スキー板が丁寧に並んで置かれている。足は埋まっていない。なるほど、確かに南極に積雪のイメージはないかもしれない。今日の報告者は阿部雅龍さん。「Reaching South pole via Japanese First Attempt Route」ということで、ロンネ棚氷から極点までの900km日本人初ルートへと挑戦したらしい。会場には旅のお供を務めたロボット犬のアイボも同行している。赤い蝶ネクタイがキュートで、会場の雰囲気を和ませた。
◆18時半ぴったりに、ほとんど満席の会場で報告は開始した。阿部雅龍さんは秋田県の出身で、それは日本人初の南極探検家として知られる白瀬矗(のぶ)(1861〜1946)さんの出身地でもある。自己紹介は、そんな話からスタートした。白瀬矗が挑んだ当時の南極点と今の南極点の違い、それもまた彼のテーマだという。出身は秋田大学で、専攻は機械工学。しかし卒業後の経歴からは、まったくそれを匂わせない。カナダやグリーンランドでの遠征数回、そして今回の南極遠征。「私の肩書は冒険家ではなく、夢を追う男なんです」と、阿部さんは言う。Googleで「夢を追う男」と検索すると、一番に彼のホームページが表示されるということだ。インパクトたっぷりの自己紹介で、「一体どんな物語があるのか?」と一気に会場を惹きつけた。
◆一拍置くと、なぜ?の部分はひとまずお預けで、今回の計画の舞台、南極へと話は移った。「北極は海だけれど、南極は大陸で、大地の上に雪があるんです」と阿部さん。分かりやすい言葉遣いで、雰囲気はまるで地学の先生だ。北極点は海に浮かぶ氷の上だけれど、南極点は2800mもの厚い氷の上にある。そうした環境の違いで、南極には動物はいない。当然、シロクマもいない。また、1998年発効の「環境保護に関する南極条約議定書」により南極に元々ない「種」を持ち込んではならないため、犬ゾリを使うことは出来ない。今回の計画で、阿部さんは100kgの荷物を人ゾリで運んだという。
◆南極には、滑降風、または「カタバ風」という南極大陸特有の強風が存在する。世界一の強風地帯と呼ばれ、観測史上最大の風速100m毎秒もしくは時速360kmを記録したこともあるという。南極大陸を覆う氷床は内陸部が厚く周辺が薄いため、内陸から海岸へ、上から下へと冷たく重い空気が滑り降りてくるというのだ。「南極は世界最大の滑り台なんです」と阿部さんは表現した。
◆そんな南極で、今回彼が挑戦したのはラインホルト・メスナーが90年代初頭にペアで踏破したルート。歩けば日本人初になるという。ルート選択の理由は2つ。一つは、“白瀬ルート”の前哨戦として。もう一つは、彼がスポンサーや個人からの支援を得て活動をする上で、ゴールが分かりやすいことが大事だと思うからだ。彼はこのルートに「単独」「徒歩」「無補給」のスタイルで挑む。こちらは「美しいから」という理由で。メスナーの時代とは装備だけでなく環境も大きく変化し、今、極地では単独行が主流となっているという。
◆彼の選んだメスナールートの他、南極点へと向かうルートにはアムンゼンやスコットの辿ったルートなど、いくつもバリエーションが存在する。アイゼンが必要な難しいルート、4WDが走れるルート、流行りのルート。距離も難易度も、様々なのだ。南極への出発地点には、南米からALE(Antarctic Logistics & Expeditions)社が買い上げた軍用機で向かう。皇帝ペンギンツアーは300万円、南極点ツアーは800万円だ。そう、実は南極点は今や観光客も来られる場所になっている。極点はプラトーに位置し、雪原にあるので小型の飛行機ならば着陸出来るのだ。ただ、「状況は変わったけれど自然の厳しさは変わりません」と阿部さんは念を押した。
◆ALE社のメインのベースキャンプとなるユニオン・グレーシャー・キャンプはチリ最南端から約3,000km、南極点までは約1,000kmの地点にある。ここまでは観光客も一緒のため、豪華な食事にお酒も出るという。阿部さんが注目したのは、ベースキャンプのテントについた名前だ。それぞれのテントには、南極史に名を残す偉大な探検家たちの名前がついている。そして、その中の一つには、白瀬矗の名前もあったという。
◆あまたの冒険の舞台となった南極。環境の大きく変わりつつある南極。さて、しかし今ここへ挑もうとする阿部雅龍とは一体何者か? 報告会はここから、彼の物語へと進んでいく。知り合いの映画監督と一緒に製作中だという短編映画が、特別に報告会の場で試写された。これから映画賞などに応募していく予定の作品だという。タイトルは「The Rebirth of a Hero - Story of Masa」だ。映像は、人力車を引く阿部さんの姿を映して始まった。彼は夢を追う男として活動する傍ら、人力車の車夫をやっている。
◆ドキュメンタリー調の映像の中で、段々と阿部さんの心の内が明らかになった。「なぜ人力車を引くの?」「冒険のための足腰を鍛えるため、日本を知るため」「なぜ冒険をするの?」「強くなるため、白瀬中尉のルートを完成させるため」
◆ここで改めて、阿部さんの真のゴールが説明された。“白瀬ルート”の走破である。日本人初の南極探検家である白瀬矗率いる隊は、アムンゼンが史上初の南極点到達をした翌年1912年に南極へ上陸した。
◆しかし、様々な理由で極点到達は断念。南極横断山脈超えを含むそのルートは今も未踏である。阿部さんの目標は、白瀬隊が通過したこのルートを極点へとつなぐこと、その延長線を走破することなのだ。「白瀬さんの途切れた物語をつなぐ」それが阿部さんにとって「英雄の再誕」であり「冒険」だという。南極での遠征から人力車まで、5年に渡る努力は全て“白瀬ルート”のための積み重ねだったのだ。
◆日々目標へ向かう阿部さんだが、楽しむ気持ちも忘れてはいない。映像には、2017年の挑戦の様子が映し出された。「100年前の探検家白瀬中尉の足跡をのばしての南極点単独徒歩到達。 その実現に誓いを立てる為に日本全国の神社一宮68箇所を参拝しながら6000kmを人力車を引いて歩く」人力車ジャパントラバースというプロジェクトだ。日本を駆け回る阿部さんを追いながら、カメラは彼の過去へと迫っていく。「強さとは?」「立ち向かうこと、問題にぶつかったときに逃げずにまっすぐ向き合うこと」「立ち向かいたいのは何?」「自分自身、自分に負けないように頑張る」
◆阿部さんの生い立ちは、決して平たんなものではなかったという。片親で、いじめられっ子。物心つく前に交通事故で亡くなった父のことは、写真で見る姿しか知らないという。そんな環境の中、好きになったのが仮面ライダーや白瀬中尉。誰もが無理と思ったこと、それを覆すような人に憧れたという。
◆今の彼は、少しずつそんな憧れの姿へと近づいているように見える。何を隠そう、阿部さんは正義のヒーローと何度も共演している。秋田県にかほ市にはご当地ヒーロー、スノーファイターNOBUがいる。アクションショーでは悪者たちに必殺「雪原キック」を繰り出す、子供たちの憧れだ。そして、同じく秋田県にかほ市の夢を追う男は、人力車ジャパントラバースのラスト、地元住民の拍手と花束に迎えられながらスノーファイターと熱い握手を交わした。正義のヒーロー、地元の英雄。今ではお父さんの写真そっくりになった阿部さんは、人力車と共にどんどん前へ進んでいる。
◆しかし、「夢」を追う道は険しい道だ。「ファンドレイジングの勉強をしてから冒険家になったほうがいいかも」と阿部さんは語る。どれだけ大きな夢を描いても、お金がなければ実行できない。資金を獲得する能力がなければ、大規模な遠征は出来ない。夢を見るのと同じくらい、現実も見なければいけない。阿部さんの暮らしは、同年代のサラリーマンの暮らしに比べれば質素なものだ。
◆独身で、今は彼女もいないという。少し生々しいですけれど、とカメラに見せた預金通帳は、南極での遠征費用を引いたあとはほとんど残っていない。奨学金も、返済中だという。そんな阿部さんについて聞かれた母親の発した言葉は力強い。「色々大変でしょうと周りには言われるけれど、無事に帰ってくれれば十分。何かあったら、引き取りに行きます」
◆ファンドレイジングが成功しても、他にも問題は山積みだ。十分なトレーニングを行った上で、ALEに実力を認めてもらうのは旅の必須条件である。短編映画はいよいよ終盤を迎え、極地冒険家エリック・ラーセンの元でレクチャーを受ける阿部さんに密着した。南極ガイドとしても仕事を行うエリックのもとには、南極での挑戦を志す人達が世界中から集まっていた。彼に認められなければ、ALEからの許可も取れず遠征を実施することも出来ない。
◆レクチャーへの参加者の中で、単独行に挑戦する予定だったのはMasaこと阿部さん一人であった。世界記録を狙った極地での冒険を行い、エベレストや南極での記録を打ち出しているエリックは、阿部さんを若い頃の自分に例えて、その挑戦心を称賛した。短編映画の締めは、エリックによるモノローグだった。それは阿部さんへのメッセージであるとともに、彼自身のプロフェッショナリズムについての言葉だったように思う。以下に、いくつか心に残ったフレーズを書き起こす。
◆「どんな個性を冒険で表現できるかが、いまの冒険になる。冒険の対象は我々の意識と体で、冒険はまだまだ人を惹き付ける。」「成功に必要なのはゴールを設定し、困難に立ち向かうこと。誰もが指を指して無理だと言うだろう。川を逆流するようなもので、その覚悟が必要だ。川の流れに乗った人生の方が良い。でも、ゴールを達成するには流れに逆らうしかない」
◆100年前の夢をつなぐために南極へ向かう阿部さん。彼が人を惹き付けるのは、彼もまた川の流れに立ち向かう一人だからだろうか。盛り沢山の内容だった短編映像が終わると、少し小話を挟んでから休憩時間となった。南極のそれとは随分異なるコズミックセンターのトイレに駆け込み、戻ってくるとすぐに後半。いよいよ今回の南極点単独徒歩行の話である。
◆まずは許可申請について。映像にもあったとおり、南極はALEの独占状態で、彼らへの根回しなくして単独での遠征は不可能だという。ALEからの許可をもらうため、彼らが信頼するガイドと関係を構築する必要があるのだ。加えて、過去の遠征や日頃のトレーニング、健康状態についての報告も必要だという。とても厳格なシステムだが、許可さえ取れれば遠征中のサポートは万全である。
◆続いて食料について。南極での遠征では、通常一日平均6000kcal程度摂取するという。最初は4200kcal程度摂り、徐々に増やしていき最後には6500kcalを日に摂取する。毎日バター1パック食べるのが当たり前だそうだ。外国人冒険家の中には、オリーブオイルをプラティパスに入れて毎日コップ一杯飲む人もいるらしい。買い出しは、南米でも行う。南極冒険家にはお馴染みだという冒険仕様のチョコも自作する。1kgのチョコにキャノーラ油ボトル半分。南極の寒さでもガチガチに固まらず、高カロリーだ。
◆一番盛り上がったのはトイレ事情についてだった。南極では環境保全のため糞便は持ち帰りが原則。常設トイレがあるベースキャンプでも、小便と大便は別々にしなければならないなどルールが複雑だ。「クレバスよりトイレの方がリスキー」と語る阿部さんには、妙な説得力があった。現地を知り、そこで長い時間を過ごしたからこそ分かる辛さだろう。風と寒さを避けるためにテントの中で用を足すと「寝袋がまみれてしまう」こともあったと苦笑いをしていた。
◆その他にも、南極での冒険に向けた阿部さんのストイックさは凄まじいものだ。「動きやすい体」を目指し、日々の健康管理には抜かりがない。体重や脂肪、筋肉の量を記録し、挑戦の内容に合わせて調整を怠らないという。また、装備の軽量化も徹底している。歯ブラシの柄に穴を開けて軽量化、全身剃毛して軽量化。一見馬鹿らしく思えるが「1gをどこまで気にするかが問題なんです」と語った。ロボット犬のアイボについては、ご愛嬌だ。
◆長期にわたる準備を経て、やっと南極点への単独徒歩行スタート地点へ立ったのは昨年11月23日。スキーを履いたツインオッターという飛行機で、メスナールートの開始点へと降りた。4人組の外国人遠征隊とのシェア便だったが、着陸後すぐに歩き出したという。単独行がルールだから、周りに人が居ては意味がないのだ。メスナールートには踏み跡もないし、4WDが横切ることも、上空を飛行機が通ることもない。自分との勝負。阿部さんは今回の旅を振り返って「体力的にはハードだったけど命のリスクは今までで一番低かった」と、何度か繰り返した。元々“白瀬ルート”挑戦への前哨戦としての位置づけ、旅は「楽勝のはずだった」のだ。
◆一番のトラブルは、異例のドカ雪と強風。阿部さんいわく、南極の降水量は砂漠並みで、通常雪は降らないのだが、今回は不運が重なったという。連日ホワイトアウトで、最大一週間も太陽なし。左ほっぺに当たるカタバ風を感じてのナビゲーション。時速800m、膝まで埋まる雪でソリが進まない。「真面目に生きているのに」「僕じゃなくでも良いじゃないか」と。全国の神様に会いに行ったのに、自然は無情だったのだ。
◆結局、道中に行程の遅れで食料不足となる恐れから計画を変更。12月23日に補給を受け、引き続き南極点に向けての歩みを進めたという。ツインオッターの燃油補給ポイントが食料備蓄庫となっており、10日分の食料を追加したのだ。残念ながら無補給は断念したものの、その後気候は回復。緯度86度から87度地点のクレバス帯も問題なく進み、予定よりも16日多い55日間かけてメスナールートの踏破を果たした。やっとたどり着いた南極点には、1959年南極条約に署名した12か国の旗がなびいた。その中には、戦後まもなかった日本の旗も含まれている。阿部さんはそのことに、日本人としての誇りを感じたという、
◆今回の遠征でかかった合計費用は1500万円程度。提供品を入れなければ約1100万円。夢と現実のバランスにもがきながら挑戦を続ける阿部さんは、自分のことを「母子家庭の肉体労働者だ」と言い、夢を追うためには応援してくれる人が必要だと語った。その姿勢は「自分のやりたいことのために、なに金をもらっているんだ」と批判されることもあるという。しかし、夢に届くまで貯蓄をしていたのでは肉体のピークの時期を逃してしまう。ジレンマを抱え、悩む中、海外探検家たちは応援を得ることに対しての考えは全く異なるという。例えば阿部さんがレクチャーを受けた極地冒険家のエリックは「スポンサーが付いていない方が悪い、社会の役に立っていないなら誰のためにやっているの?」と言うのだという。
◆英雄の再誕へと向けた“白瀬ルート”への挑戦は、今回よりも格段にスケールの大きな挑戦となる。体力的にも、精神的にも、金銭的にも、うんとキツいものになるだろう。南極点への単独歩行を追え「やっと挑戦権を得た」阿部さんは、逆流の中を、沢山の人に支えられて、夢に向かって走っている。(井上一星 早稲田大探検部)
地平線で話すのは2回目だ。1回目は2015年の10月。グリーンランドの遠征に出る前だ。南極から帰国して約2か月経った。自分がまだ南極にいるような感覚が消えない。いや、感覚を消したくないのだ。僕はまだ南極にいたい。今回のルートでの南極点徒歩到達では死のリスクはほぼ感じなかったが、例年にない異常な積雪に苦しめられ体力的にハードだった。55日間の徒歩期間のうち54日間歩き、南極点に着いた時は消耗しきっていた。
南極点に立ったときは感動がなかったが、南極条約原初加盟国12カ国の国旗が並ぶ南極点で日本の国旗が翩翻(へんぽん)するのを見た時は、自分が日本人である事を心から誇りに思った。沈まぬ太陽に照らされて世界の果てで日の丸が輝く。強く心に焼き付いている。
南極点の事が今でも消化できていない、したくない。インプットされたものがアウトプットされる時は自分の行為を一歩引いて俯瞰的に見れるようになった瞬間からだ。つまりは主観から客観に移る瞬間だ。消化してしまうと自分の中から南極への情熱が消えてしまいそうで怖いのだ。いつもは1つの遠征が終わるとすっぱりと次の事を考える。こんな思いに駆られるのは南極だけだ。南極ほどに自分を惹き付ける場所はない。南極点に立ってもなおロマンに満ちた場所なのだ。
極点到達した後に考えていたのは“しらせルートでの南極点到達”の実現だ。一度、到達できたことで本当のスタート地点に立てたような気がしていた。極点から1キロの所に民間キャンプがある。1つの遠征が終わったばかりなのに、極点キャンプで次の夢を語る僕。同じ様に厳しい条件で南極点に到達した外国人冒険家たちは、「もうオレたちは疲労困憊で次の事なんてしばらく考えたくないのに、よく次の事を考えるよ」と呆れ顔だ。
南極点から南極半島の付け根辺りにあるベースキャンプにはプロペラ機で戻る。遠ざかる南極点を見ながら、気付けば泣いていた。子供の頃から憧れ続けた世界の果て。そこから立ち去るのが寂しくて仕方ない。絶対にまた還ってくる。しらせルートを現実させて。遠ざかる南極点。どこまでも拡がる白銀の南極プラトーに誓う。
ベースキャンプに戻っても僕の“冒険”は終わらない。キャンプのスタッフたちをつかまえては、「必ずここに還ってきて夢を実現したい。だから協力してくれ」と話して回った。悪そうな言葉を使えばネマワシだ。キャンプには氷雪や天気の専門家、パイロット、民間キャンプ経営陣もいる。新規でルートを開拓するとなれば彼らの協力が不可欠だ。言い換えるならば、彼ら全員を僕に惚れさせなければならない。
次の南極遠征は決して1人で出来る規模感ではない。こなしてしまえる優秀で特別な人もいるだろうが、僕の才覚では無理だ。そんなこと自分が1番良く分かっている。僕は凡人だ。調子に乗って自分の実力を買い被るほど愚かではないつもりだ。凡人でもやり方次第で天才にだって出来ない事が出来ると信じている。
現実的な話をするとしらせルートの実現は困難を極める。未知未踏のルートを踏進して南極横断山脈を重いソリを引いて越える。南極横断山脈ではデビルズボールルーム(悪魔の舞踏場)と呼ばれるクレバス帯を通らなければならない。そしてスタート地点の大和雪原に立つ為の飛行機チャーターに1億かかる。一度南極点に立ったのだから経験は積んだ。遠征に関しては、相当に難儀するだろうが成功確率は高いと踏んでいる。問題は資金獲得だ。戦略は皆無。アテがある訳ではない。
考えてみれば今までの人生の全てがそうだった。難しいとかお金がかかるというのは結果論でしかない。何をしたいかが大事だ。やりたいことが幼い頃に憧れた白瀬中尉の夢を完結させる、白瀬隊南極探検旗と日の丸を大和雪原で再び翩翻することだ。それがたまたま難しくてお金がかかるだけ。やりたいことがあるなら到達できる方法を考えればいい。出来るか出来ないかは2の次。剛直に突き進む事がやりたいのだ。36歳になった。今が体力のピークだと感じている。どんな事でも出来る自信と気力がある。40過ぎたら体力的にできなくなるだろう。人生は攻める時は思い切り攻めないと死ぬ時に後悔する。笑って死ねない。
地平線で話すのはいつも異常に緊張する。通常の講演会で話さないこともバンカラに話す。違う環境は自己の成長につながる。地平線はやはり特別なのだろう。4年前に地平線で話してから僕はどれほど成長できただろう。
今年の11月にはしらせルートの挑戦の為に南極に行きたい。それに向けて日々情熱を滾らせて動いている。今月4月末から人力車を引いて東北一周に2か月間行く。本当は東京にいて企業周りでもしたほうがいいのだろうが、現場に出たい気持ちを抑えられない。足を止めるな、走り続けろ。その先に僕が本当に目指してきた南極点がある。絶対に行くんだ、しらせルートで南極点。(阿部雅龍)
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