■「チベットの磁力・魅力・魔力」この果てしないタイトルを網羅して語ることのできる稀有な存在、星泉さんは東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所(AA研)の先生である。進行役の落合さんの紹介によると星さんのお父上・星達雄氏は多田等観(20世紀初頭ラサに滞在。ダライ・ラマ13世の寵愛をうけた僧侶)との親交が深く、お母上は著名なチベット語学者・星実千代さん。何だか、硬い真面目なイメージだけれども、柔らかな外見のその口からは「変態!」「ヤバい!」といった言葉がポンポン飛び出す。「面白いと思ったら、すぐ人に伝えたいんです!」と仰るとおり、チベットの文学や映画の面白さ、『チベット牧畜文化辞典』ができるまでをたっぷり語っていただいた。
◆スクリーンに映し出されたタイトルに添えられたイラスト(1300年前に活躍したチベットの大臣ガル・トンツェン)はAA研が手がけた冊子『セルニャ』や『チベット牧畜文化辞典』のイラストでもおなじみの漫画家・蔵西さん作。イケメン大臣にうっとりしていると、星さんが自己紹介としてチベットの原体験から話し始めた。
◆チベット語研究者であるお母さんは星さんが小さい頃、毎晩、チベットの民話を話してくれたそうだ。おばけの話や手がものすご〜く長い魔女の話。そんな話が大好きだった星さん。当時チベット人が星家に集まり大宴会。大声で楽しそうに笑うチベット人たち。お坊さんに遊んでもらったりと、チベット的なものに囲まれていた。ある日、書斎に飾られた美しい女性の写真に気づき、「あの人は誰?」とお母さんに尋ねると「お姫様よ。お母さんのお友だちなの」と言われ、「私のお母さんはお姫様とお友だちなのだわ!!」と嬉しい気持ちいっぱいの夢見る少女だった。
◆高校時代にはお父さんがカトマンズに赴任したので長い休みはカトマンズで過ごし、そこでもまたチベット的なものに囲まれることになる。大学3年の春休みに友人とインド旅行を計画、お母さんの友人を訪ねるようにいわれ訪ねてみたら、なんとあの「お姫様」だった。彼女は実際にはお姫様ではなくインド国営ラジオ局のアナウンサーだった。彼女の実家でチベットのお正月を過ごし、その翌年はお母さんの名代で伝統的な結婚式に参加。その素晴らしさに感動したのが運の尽きで、親と同業なんて絶対に嫌だ!と思っていたのに……と語る星さん。サラブレットは至極当然チベット世界への道に進んだのだった。
◆大学院時代の長い休みには、その家に滞在してメモを片手に人の後をくっついてまわり、「今、こう言った! この時の状況は?」と言葉の採集に励んだそうだ。言葉が生み出されてくる背景(この人がこう言ったのは何故?)を解き明かすことは刺激的で面白いんです。でもその裏にはチベット人の心の奥底を探りたいという思いがあったのかもしれません。星さんのグループが訳す小説の登場人物が活き活きと描かれているのはこういうことだったのか!と腑に落ちたような気がした。
◆チベット人は自分のことを話す時と第三者のことを話す時とで文末表現を区別する。単純に自分と他人で区別するわけではなくその時のシチュエーションや感情にもよるのだが、星さん流にいうと「内ウチ」と「外ソト」の表現になる。「ぼくは僧侶だ。触るな!」と「外ソト」の表現で言う子どものお坊さん、来日時に3回しか行ってないのに「このデパート、最高!」と「内ウチ」の表現でいう女子。極めつけは「このおじいちゃん(あかちゃんの時に)私のおっぱいを吸ってたのよ。」が「内ウチ」の表現だった! 「チベット語の研究をしているのだけれども、それを何で使うのかという物語に興味があるのです。ちょっと変態かもしれません」と笑う星さんは出会うべくしてチベット文学に出会ってしまった。
人がトンドゥプジャという作家がいいよと紹介してくれて『霜にうたれた花』という作品を一緒に読み始めた。2000年にやってきた留学生もトンドゥプジャが大好きで、彼の「青春の滝」という詩を朗々とよみあげ、そのことに衝撃をうけた。そして、2003年の産休中に読んだ『テースル家秘録』。「ああ! やっぱり文学って面白い!」と思ったけれども、この感動をシェアできる人がいないことに気づいた。そこで『テースル家秘録』を読む会を作り仲間を募った。面白いことを人に伝えたい!と最初に言っていたその通りの人である。
◆2006年にトンドゥプジャを読みたいと思った4人が集まり、それが冊子『セルニャ』を作っているチベット文学研究会になっていく。2008年に『火鍋子』(中国文学紹介雑誌)で翻訳作品の連載を開始し、2012年に作品集『ここにも激しく躍動する生きた心臓がある』として出版。2011年は星先生にとって特別な年で「ペマ・ツェテンの乱」と名付けているそうだが、このペマ・ツェテンという作家であり、映画監督でもある人物が星さんに大きな影響をもたらしていく。
◆2010年秋の東京フィルメックスでの最優秀作品賞は彼が監督した『オールド・ドッグ』。この作品の翻訳監修を担当したことが縁で、「オレの映画、他にもあるけど上映してもいいよ」と言われ、急遽上映会を開催。その時にもらった小説が案外面白い!と思っていたら、翌年「日本語に翻訳してよ!」とメールが。出版が決まり、来日イベントも決まっていった。ここから先は異常な私です……と笑う星さん。
◆どうせなら、映画祭もやろう! 字幕を付ける、フィルムをデジタル化するなど諸々、大学を拝み倒して「ペマ・ツェテン映画祭」は大成功。このとき、映画といえばパンフレットがあるよね!で『セルニャ』第1号。現在までに第5号まで発行されていて、チベットの文学、映画、牧畜などいろいろ紹介している。
◆チベット文学研究会は『雪を待つ』(ラシャムジャ)『ハバ犬を育てる話』(タクプンジャ)『黒狐の谷』(ツェラン・トンドゥプ)等をアグレッシブに翻訳出版しつづけていて、日本での出版がチベットでもニュースで流れ、喜ばれているようだ。
◆チベットはもともと口承文芸が発達していて、歌や語り、宗教歌、民話、英雄叙事詩などを楽しむ文化が長くつづいていたが、インドから文字文化が入ってきて特に13世紀頃から翻訳を通して自分たちの文学に昇華させていった。口承文学と書写文学が相互に影響して発達してきたが、宗教の影響が強いことも特徴としてきた。でも、1949年に中華人民共和国が建国され東から人民解放軍がやってきて、1959年3月にラサで蜂起があり、ダライ・ラマ14世がインドに亡命。
◆そして1966年〜76年の文化大革命で仏教も口承文学も禁止されてしまった。でも、そんな状況下でも活版印刷されたチベット語の小さな本を懐に隠してそっと読むことが流行っていた。また、強要された漢語教育により、漢語に翻訳された外国文学も読めるようになり、後に作家になるような若者がこんな形で文学に触れていたのだ。
◆1980年代はチベット文学ルネッサンスといわれる時代らしい。「東の雄」のトンドゥプジャ、「西の雄」のランドゥン・ペンジョル。今では彼らの影響を受けた作家たちが多勢活躍している。女性の作家や邦訳もあるザシダワのように中国語で書く作家も多い。また、グローバルに英語で書く作家もいるという。星さんは今は、ツェワン・イシェ・ベンパという作家にハマっているそうだ。英語の著作らしいが日本語訳も出るといいなあ……。ジャムヤン・ノルブという文筆家もそうだが、外国に出て勉強した人が様々な言語で書いているのがチベット文学の現状だそうだ。
◆文学の背景の紹介の最後にトンドゥプジャの「ああ、青海湖よ」という詩をよんでくれた。「湖面は凍り 鳥たちは悲しむ 氷に閉じ込められてしまったが それでも金の魚たちはその下で動きまわる」金の魚というのはセルニャのことです。「金魚坂」というお店で読書会をしていたので、冊子名を『セルニャ』にしたけれども、金の魚への敬意も込められています。言葉の後ろに隠されたストーリーに思いを馳せる星さんは、ちょっと恥ずかしそうにそう言った。
■映画や文学の翻訳作業をしていると、調べても調べてもわからない事柄があることに気づいた。牧畜民や農民の話、半農半牧の人の話、わからないことは辞書にも載っていないのです。何故かというと……チベットは何事も仏教中心。フツーの暮らしなんかは辞書に載らない。じゃあ、翻訳の時にどうするかというと、著者本人にきくしかない! 必然的にものすごくたくさんの質問をすることになる。英米文学などは沢山の種類の辞書があるから、著者に質問することはほとんどないらしいけれどもチベット語はそうはいかない。それなら、自分たちでもっと近づいてみよう! と、またもや変態的追求心が湧いてしまった。研究職に就いているものとしては辞書を作るということが近づき方のひとつだと思った。そして、いよいよ辞書を作るプロジェクトがスタート。
◆自然保護区に指定された三江源ともいわれる長江、黄河、メコンの源流域はチベット人の居住域。下流域での災害や水不足の原因が水源域での牧畜だという仮説によって、2000年代に三江源移民政策が実施され、20万人以上の人々が牧畜をやめて街の集中居住区に移住させられた。映された居住区の写真は同じ形の建物が整然と並んでいて、それまでの牧畜生活を想像することは難しい。草原とも家畜とも切り離されてしまい、元牧畜民が長い間培ってきた豊かな文化基盤が揺らいでしまうことになった。
◆生活とともに培われてきた文化が失われていくような変化が急激に起こって、現地の人々も危機感を持っている。チベット語を守ろう! といった大きな活動をすると政府から目をつけられて規制されてしまうので、彼ら自身で語彙集や写真にチベット語を添えた小さな辞書などを作ってはいた。そんな状況下で、彼らの文化をもっとクリアに知りたいと思う外国人にできることは何だろう。
◆そうだ! 文化の記録のお手伝いをしよう。それをもとに辞書を作ったら、そこからまた、彼らなりのものをつくりだすんじゃないかと思った。きっかけは「もっと知りたい!」だけれども、現地の人も必要としているなら外国人と一緒になって進めてもいいんじゃないかということでとスタートをきった。
◆三江源の中にあって、7割の人が移住させられた牧畜地域の一つであるツェコ県メシュル鎮(青海省の西寧から南下した辺り)の牧畜民のお宅で調査させてもらうことになった。当時、日本で勉強していたチベット人留学生の故郷だ。緑の美しい草原の写真が映された。西アジアの遊牧民の調査をしている人によると、ここは緑が多すぎるのだそうだ。遊牧民は緑を求めて移動するが、ここは緑も水も豊富だから遊牧ではなく移牧。今は、夏と冬に一回ずつの移動する。高度だけでなく風などの影響も考慮した場所に移動するのだそうだ。高度は3500m弱
◆街の中心から車で1時間+徒歩30分のこの牧畜民の家で調査は始まった。言語学、宗教学、文化人類学、宗教人類学、帯広畜産大のミルクの研究者など、気鋭の専門家のチームで、聞き取り・質問・メモ・録音・録画等、全員で分担協力しあって、言葉の採集と調査が行われた。調べることは山ほどあり、教えてくれる人もいる。ある密教行者は薬草に詳しく自作の押し花辞典を持っているので、あれもこれもききたくなってしまうが薬草辞典を作る目的ではないことに気づく。人を巻き込んで調べることがおもしろくてついヒートアップしてしまう。
◆家畜の頭数や管理の仕方をインタビューしたり、燃料にする糞の加工も体験してみると、初めてわかったことがあった。嬉しそうに素手で糞を掴む調査メンバー。チベット語に「出掛けの糞」という言葉がある。糞集め(女性の仕事)は朝、家畜が草原に出て行った後にするのだが、寒い地域なので、柔らかくて暖かい糞は、もう本当に嬉しい糞さまと感じる。「出掛けの糞」という言葉は切実な言葉なのだということが、実際に体験してみて初めてわかったことだ。乳搾りも女性の仕事でメンバーの男性がトライしても全く搾れない。でも、牧畜民には男性が乳搾りをしているというだけで、おかしくてしょうがないようだ。
◆調査してみると、ヤクの名称がものすごく細かく分類されていることがわかった。実は「ヤク」というのは去勢したオスで荷役としての家畜のことだ。種オス、種オスを去勢したもの、出産したメス、妊娠中のメス、乳がでなくなったメス、高齢のものなど状態によって様々な呼称がある。子どもは総称はノル(宝の意)だが、これもまた年齢と性別で分かれた呼称がある。毛色、角や尾の有無や形、また「よく逃げる奴」「頑固」「大食い」「ぼっち」「邪魔する奴」等、性格でもわけられている。まるで、クラスメートにつけるニックネームのようだが広い草原で自分のヤクを判別するために進化したらしい。
◆最初は判別できなかった星さんも言葉があるとわかるようになってきたという。同じに見えていたヤクたちが言葉の力によって一頭一頭違って見えてくるのだ。これらは全て牧畜文化辞典に反映したそうだ。「ちょっとヤバい辞典ですね」と星さんは淡々と語る。ヤバくてすごいぞ! 牧畜文化辞典!
◆さて、つぎに調査した膨大な言葉を辞典という形にしていく作業がはじまる。まず調査した事柄をデータベース化していく。画像を軽くして、ファイル名、いつ、だれが、どこでといったタグ付けをして分類。「葉の形に成形した糞」といった単語も画像とともに両方の単語のページにおさめられるような丁寧なタグ付けもしたそうだ。このようにして4年間で集めた単語は3980。中国語、英語の表記も付けて紹介したい単語は3500近く。今年の3月にパイロット版として世に出したが、パイロット版としたのは、この辞典はこれからも育てていく辞典だから。
◆チベット人の若者へのiPhone普及率は高く、若い人の最先端の文化と牧畜文化を結びつけたらどうなるんだろう!おもしろい!とオンライン版とiPhone、iPad用のアプリも作成。チベット語、日本語、中国語、英語で検索可能。日本語ではカテゴリー検索もできる。例えば、バターの項ではバターの写真や解説、作り方も知ることができる。また、音声ボタンで単語の発音も聞くことができるという優れものだ。チベット人も絶賛していて、やはり、仏教重視で自分たちの身の回りの文化が失われる危機意識を彼ら自身が持っているのだろうと思った。もう少し準備が整ったらチベット本土でも公開できるそうだ。
■このプロジェクトの当初から、辞典では表現できない事柄があることは解っていた。背景にその暮らしがあった人には理解できても、そうでない人には難しい。移住したり他の国にいったり、そういうチベットの子どもたちにも理解できるように映像も作りたいと考えていた。そこで、チベット文化に造詣の深いチベット人の映画監督、カシャムジャさんに依頼して『チベット牧畜民の一日』というさまざまな手仕事を紹介するドキュメンタリーを作った。
◆「乳搾り」「バター作り」といった手仕事の手元を映すことを意識したものです。街暮らしをしている人が将来、牧畜生活に戻ることもあり得る。手仕事も実際には機械化されていくだろうけれども、それでも残したい。チベット人というのは何もないところでも生きていける力が優れていると思う。何もないところから何かを生み出す彼ら牧畜民の発想や柔軟さに敬服している。もしかしたら、何にもなくなっちゃった時代に戻ることだってないとはいえないですものね。星さんは無常の中を軽やかにスキップしているかのように見えた。
報告会で少しだけ紹介された、ソンタルジャ監督の新作『阿拉姜色』が6月25日に閉幕した上海国際映画祭で審査員大賞と最優秀脚本賞を受賞。脚本は作家のザシダワとソンタルジャ。日本でもぜひ公開してほしい!(田中明美 ゾモ普及協会デザイン担当)
■森の中に分け入っていくのが好きだ。わけも分からずうろつきまわっているちょっと不安な時間がいい。森の中を歩きまわり、目で見て、触り、匂いをかぎ、何を見ても疑問がわき、森をよく知る人と言葉を交わす。頭はずっと興奮している。不安と背中合わせの喜び。探索するという行為に特有の感覚かもしれない。
目下、私が探索中なのはチベット牧畜民の言葉の森だ。チベット語を長く研究してきたつもりだが、私が知っていたのはごく狭い範囲。牧畜民については、長い間ぼんやりとしたイメージしか持っていなかった。チベット研究者としてどうかとは思うが、興味のないことには冷淡な性格なので仕方がない。
そんな私にスイッチが入ったのは、物語好きが高じてチベット文学の森に分け入ってしばらくしてからのことだった。チベットには面白い物語がたくさんある。特に現代文学が気に入って、仲間と翻訳も始めたのだが、肝心なところでぼやけるということが多々あった。風景や日常の描写がすっと理解できない。特にわからなかったのが牧畜民の暮らしだった。私の中では長らく、「ろくに知らないまま翻訳するなんて不安」というぼんやりとした思いが渦巻いていた。翻訳に取り組んでいくうちに、その思いが少しずつ怒りのようなものに変わっていった。
「普通の単語が辞書に載っていない!」「辞書に載っている単語も説明がわからなすぎる!」イライラが高まるのは、次のステージに移行するエネルギーの充填が完了した証拠だ。準備は万端。森に分け入っていこう。牧畜民の暮らしという森に。
私の探索はこんな風にしてはじまった。仲間を募って「森」に赴いてみると、そこは私が読んだわずかな小説から知り得たことよりも遥かに広く、木々が鬱蒼と生い茂る知恵の森だった。彼らが家畜とともに暮らす中で長い時間をかけて培ってきた牧畜民の生業にまつわる知識体系は、土地神様や仏教の信仰と絡み合うように共存し、ひとつの世界をなしている。森に踏み込まなければそれを肌身で実感することもなかっただろう。今は彼らの言葉の森を辞書の上で再現すべく努力を続けている。
この探索を始めたことで、様々な方とご縁がつながったのは予想外の収穫だった。地平線報告会に招いてくださった江本さん、熱心に耳を傾けてくださったみなさん、ありがとうございました! 現地の人と作った映像作品『チベット牧畜民の一日』は、いつかご覧に入れたいと思っています。(星泉)
■私たちは、チベットという地域、言語、文化について予習して6月の報告会に臨みました。予習では、チベットには長い歴史があり、独自の文化が深く根付いていて、世界への影響力も大きいと知りました。星さんの「チベットの磁力・魅力・魔力」を拝聴して、よりチベットへの理解が深まりました。「言葉があると現実がよりクリアに見えてくる」と星さんがおっしゃった言葉が印象に残ったもの、「チベット牧畜文化辞典」の開発の経緯について興味を持ったもの、チベット映画や文学に興味を持ったもの、「チベット問題」や「文化大革命」という社会的あるいは近代史的な背景が厳然と存在することに刺激を受けたものなど、様々に認識を新たにしたゼミ生が多くいました。以下に、主だった感想を切り取ってまとめてみました。
◆現地取材での会話を引き合いに出しながらチベット語についてお話しいただきました。「言葉には必ず背景がある」と考え、さらに「文末表現」をどのように使い分けているか注意深く観察するため、言葉を放った時の情景と同時に文末表現をメモに獅オて、現地の様々な人に密着取材を行なっていました。この分析の方法は言語学者ならではと感じました。観察している間は、「心の底で何を考えているのか?」を探っており、どのような状況で発していたかを記憶していたそうで、その結果「外」と「内」の言い方があると気づけたという、その注意深さに感心し、どうしてそこまで熱心に取材ができるのだろうと疑問でした。
◆しかし「言葉があると現実がクリアに見える」と聞いて、物事や環境を言葉にすることによって状況把握ができたり、人々の認知の統一ができるたりする「言葉の持つ力」というものに惹かれ、チベット語研究の面白さに気づきました。チベット文学についてのお話では、中国政府の言語統制との関連について注目しながら報告を聞きました。
◆予習では、教育水準の向上が目的とは言いいつつも、チベット自治区で中国語を普及させることで「中国化」をさらに進め、チベット語を無用な状態にすることでチベット文化を抑圧している中国政府の政策を知りました。長い中国支配の下で、チベット語を教える教師が減ってチベット語を学ぶ機会すら減っているのです。
◆実際に話を聞いて、文化や言葉が急速に失われていることが印象に残りました。私たち日本人が日本語を守ろうなんて考えることはまずないにも関わらず、世界では母語を守ろうとしている地域が当たり前のようにあるという現実に、深く考えさせられるものがありました。
◆「チベット牧畜文化辞典」が興味深かったです。チベットの牧畜文化が衰退していく中でチベット人の間に危機感があると知り、少しでもチベットの文化を後世に残すために模索した結果、チベット放牧文化辞典のアプリを作ったことは画期的です。チベットの牧畜文化が衰退していく中で、スマホ世代の若者にはとても使いやすいツールです。現地の子どもたちにチベットの文化を残すために必要なコンテンツだと思います。
◆さまざまな分野を得意とする研究者でチームを組んで事典を構築していく。このことは私たち社会学部が目指すべき課題でもあると強く感じました。ヤクを見分けるためにヤクの特徴からそれぞれに名前をつけて区別しているとおしゃっていました。チベット人はこのように遊牧に関しても多くの知識を持っていて、生きるための技術は日本人より優れているのではないかと思いました。日本では、自ら食材を山や川に調達しに行く必要もなければ、料理ができなくてもコンビニやスーパーでお惣菜を買ってくるだけで、お金さえあれば食に困ることはありません。しかし、日本人が山の中で一週間生活することになったら、ほとんどの人は食料を調達することができず、生き抜くことは不可能だと思います。
◆さらに、文化大革命後にチベット文学が発展していったと聞き、規制されて公に物事を行うことができない状況になると市民は影で行動するという流れを改めて知ることができました。また、チベット文学の発展の歴史についても興味深かったです。チベット文学は口承文学で民謡や宗教歌として残っていたものの、書写文学として形を成していなかったものが、皮肉なことに中国文化が入り込んでくることで文字が発展してチベット文学は書写文学となり、広く読まれるようになったことを知りました。
◆正直なところ、多くのゼミ生達は、今回の地平線報告会を聞くまで、チベットについてほとんど知りませんでした。異国の地のことを知るには、自分から関心を持たないといけないということを実感しましたし、少しでもチベットについて知ることが出来てとても良い機会になったと思います。(法政大学社会学部・澤柿ゼミ)
|
|