2018年5月の地平線報告会レポート


●地平線通信470より
先月の報告会から

風来坊のビジョン・クエスト

青木麻耶

 +松本裕和
2018年5月18日 新宿区スポーツセンター

■毎号通信の報告者に取材してイラスト入りで紹介している長野亮之介さんだが、実はタイトルもつけているのだそうだ。内面までも写しとるイラストには毎号感心させられていたが、今回はタイトルにも唸った。「風来坊のビジョン・クエスト」。ビジョン・クエストとは、ネイティブアメリカンが自分の使命を知るために行う成人の儀式で、人里離れた場所森や荒野、砂漠などで一定の期間過ごし、人生の真の意味や目的について啓示を受けるのだという。

◆実は私は青木麻耶さん、愛称「まやたろ」さんをブログやお話し会で知っていて、その旅がただのチャリンコ旅ではないことに感銘を受けていた。その土地の人々の暮らしに触れながら、まやたろさんは、自然とともに生きる人間の知恵や伝統のすばらしさを体感し、そのなかで彼女自身の生き方を見出してきた。何を見て、何に惹かれ、日本に帰ってどんな生き方を選んだのか……そこがメインの話になるに違いないが、そのことをたった一言でタイトルにするなんて、すごいな、さすがだなぁ〜と感心したのだった。

◆まやたろさんは、1986年横浜生まれの寅年しし座、動物占いはオオカミで、「メッチャ肉食獣です」という。5〜8歳でアメリカ在住。京都大学では農学部森林科学科で、ボルネオの熱帯林で木の根っこから出る有機酸について研究。食への興味から畑サークルに入る。自然が好きで登山やネパールトレッキングもしてきた。大学時代、愛用のママチャリ、キャサリンに乗ってこれが最強と思っていた。

◆友人2人と琵琶湖一周をした時に、はるか前方に米粒大になったクロスバイクとマウンテンバイクの友人を追いかけながら初めて「ママチャリ最強じゃないかもしれない……」と思った。そして12万円で新しい相棒の自転車ジミーをGETする。ジミーで北海道へ一人旅したり、学生最後の夏休みに友人を誘ってヨーロッパを1か月自転車旅したり。いつでも停まれる自転車は、出会いが多く人の暮らしが見える。まやたろさんは、自転車旅に魅了された。

◆[これからどうしよう? その1]一方大学最後の夏休みを終えて、まわりに流されるように特にやりたいことも見つからずに就職する。銀座にある大手企業に入社。3万人の社員の1人になる。経理部に配属されパソコンの前に1日中座る日々と通勤満員電車のストレスで体調を崩す。ずいぶん土を踏んでいないことに気付き、漠然とだが、いつか田舎暮らしがしたいなぁ〜と考えていたことを思い出す。「いつかじゃなくて、それは今なんじゃないか」。

◆そこで1年半ですっぱり会社を辞め、田舎に移住してしまった。環境問題に関心をもっていたまやたろさんは山梨県のNPO法人都留環境フォーラムに就職。5人のスタッフの1人として、環境に配慮した農業、馬耕やエネルギー作りの発信などをする。「肉食獣です」というだけあって、肉が食べられるまでの過程に興味があり、狩猟免許(くくり罠)もとって狩猟を学ぶ。毛皮や革も無駄にしたくないと鞣(なめ)し方を勉強する過程で、アメリカ先住民の脳漿鞣し(のうしょうなめし)動物の脳みそだけで鞣す方法を知り興奮したという。

◆ここで、まやたろさんは農業や狩猟など、自然のなかで必要なものを自分の力で得る技術を学んでいる。これがその後、今につながる貴重な準備になっていたのだろう。山梨での生活は、興味深く充実していたのだが、いろいろあって2年半後にNPOを退職する。29歳になっていた。

◆[これからどうしよう? その2]まわりはどんどん結婚して家庭を築いていく中で、自分は彼氏も仕事もなくて2回目のこれからどうしよう?に直面する。逆に何にも縛られていない今こそ旅に出る時だと思う。幼少期にアメリカに住んでいたこともあり、旧友に会い、先住民のコミュニティや興味のあるところをマークすると南北アメリカ縦断が見えてきた。

◆資金面や治安の問題と飽きっぽい性格から行きたいところを優先した結果、カナダ・バンクーバーから西海岸をロサンゼルスまで走り、そこから南米ペルー・クスコに飛び、ボリビア、チリ、アルゼンチン最南端のフエゴ島・ウシュワイアまで走り、キューバ、メキシコに飛び、昨年5月帰国した。2016年5月18日出発352日約11,000kmの旅であった。うち、自転車で走ったのは180日。それと同じ位の日数を興味のあるコミュニティなどを訪ね、暮らしと文化に触れる旅でもあった。

まやたろさん、旅の印象に残ったベスト5を紹介
★5位 ○○を拾う──
  カナダ・ソルトスプリング島+米国オレゴン州 

 ○○に入るのは何でしょう、とまやたろさんが謎かけ。2回事件があったそうな。[Part1]バンクーバーからフェリーで3,4時間行った島で持続可能な暮らしをしているパーマカルチャーコミュニティを訪ね1週間滞在した。一人の女性が鹿を車ではねてしまい困っていた。誰かさばける人いないかなぁという場面に出くわす。すかさずまやたろさん「I’m a hunter!」。鹿料理を振る舞い喜ばれたという。[Part2]アメリカ・オレゴン州で峠道で倒れている鹿に遭遇する。触ってみるとまだ温かい。(これはフレッシュだ……いける!)と思い、キャンプサイトに後足1本を持って帰り調理して腹をすかした仲間のサイクリストに喜ばれた。都留で習得した技術が役立ち嬉しかったという。というわけで、○○に入る答は鹿でした。

★4位 ペルーの美しい染めと織り

 南米のペルーに飛んで、服装がガラッと変わる。クスコから30kmの町チンチューロで祭りをやっていた。皆が鮮やかな色彩の美しい民族衣装を着ていて感動した。その色のすべてがその土地で手に入る自然の天然の色だということを知り驚いた。染のデモンストレーションをしているところに行く。紫色は紫トウモロコシ。藻で黄色、タラ豆は銅で媒染すると青にという具合だ。サフターナという芋の根をすりおろして水で泡立てて洗剤にして羊の汚れ毛を入れると真っ白になる。石鹸より汚れが落ちる。サボテンにカビのような白いものが付いているのはコチニール(カイガラムシ)である。これは赤の染料になる。塩を入れるとオレンジ色に。更に火山灰土を入れると黒になる。レモン汁を入れるとピンク色になる。また、腰機(こしばた)をじっと見てたらやってみるか?と言われ後日訪ねていく。1日かけてチロリアンテープのような細い紐が少し織れた。実際に自分で作ってみると一枚の布を紡いで染色して織ることにどれだけの手間がかかっているかわかり値切れなくなったと……。

★3位 ボリビア・ラパスで初心者でも登れる6,000m級の山に挑戦。

 もともと標高が4800mある高地で、既に立っているだけでもしんどい場所である。チャリダーの先輩が薦めてくれたツアーで登る山はワイナポトシ6,088m。アイゼンをつけてピッケルで氷壁に挑みながら叫んだ「初心者向けじゃないだろう〜!!」。今まで生きていた中で一番しんどいと思ったが、その一番しんどいはすぐに塗り替えられるのだった……。

★2位 忘れられないXmasイヴ 
  チリ・アウストラル街道

 パタゴニアの世界一美しい林道1,200kmはチャリダーに人気で世界中の自転車旅人に会えた。毎日キャンプサイトでは焚火をしたり、釣りをしたりして過ごしながら1か月以上かけて走った。仲間意識が生まれ世界一過酷な国境越えも旅仲間で協力できた。Xmasイヴの日、不思議な体験をした。自分は道路上に横たわっており、誰か覗き込んでいる。その時は、それが仲間であることも、自分が自転車旅をしていることも覚えていなかった。どうやら、転倒して頭を打ったらしい。この時に助けてくれたのも仲間だった。通りがかった車に町の病院まで運んでもらい、さらにCT検査をするために救急車で220km先の病院まで搬送された。コロンビア人のチャリンコ仲間がずっと付き添い、病院での手続きを含め通訳して助けてくれた。遠い街での忘れられないXmasイヴになった。

★1位 涙の宝石の道
  ボリビア・アタカマ砂漠

 砂漠の中に緑や赤の湖があるから宝石の道と呼ばれているが砂と岩の道が250km続く。高いところは標高5,000m、ただ息をしているだけでもシンドイ。吹きさらしの大地、想像以上の過酷さに旅に出て初めて帰りたいと思った。帰りたいと思っている自分が許せなくて泣きながら自転車を押して砂地を歩いた。ネットもつながらず、ただひたすら今までの自分と向き合う日々。

◆ツアーのジープが見かねて水や食料を恵んでくれることもあった。風除けがないからテントを張るのも苦労する。砂漠の中のホテルの横にテントを張らせてもらったら、夜中に従業員ベッドが空いてるからと中に入れてくれ、シャワーまで浴びることが出来た。翌朝朝食バイキングも食べていいと言われ嬉しかった。久しぶりのまともな食事だった。この砂漠で実は第4位のアウストラル街道での転倒の前に右半身を強打する転倒をして、このままここで死ぬのではないかという目に会っている。反対を押し切ってきた親の顔が脳裏に浮かぶ。運良く助けてくれた旅人の夫婦がいた。更に温泉が砂漠の中にあったので、湯につかると少し回復し前に進めた。この道の最後にラグーナベルデという緑色の湖がある。ここまで9日かかったがこの湖が見えた時はもう終わりだとうれし泣きした。生きていることをただただ有難いと思った。

※この旅のことは自費出版で夏を目指して執筆中。今回は話しきれなかったパーマカルチャーコニュニティ滞在記やキューバやメキシコについても書きますとのこと。詳細はまやたろさんのブログでご確認下さい。

 http://mayataro.hatenablog.com/archive

◆1年間の旅で様々な国の人に出会った。そこで気付いたのは、どこの国の人も自分の国のことを熱く語るのに対して、自分は日本のことを良く知らないということ。また、日本で手仕事やものづくり、伝統文化を引き継ぐ人、持続可能な生き方をしている人に会いたいと思った。北米南米旅と同じく、大事なのはルートではなく興味ある場所に行くことであるから、経済的にお金のかからない自転車をメインにするが、電車を使ったり、友達の車に乗せてもらったりもした。

【2017年8月〜11月 31都道府県約4,000km 日本再発見の旅】である

◆新潟と山形の県境にあるマタギの里、山熊田(やまくまだ)にシナ織を訪ねる。シナの木の皮を繊維にして織るシナ布は軽くて水にも熱にも強く丈夫だが、大変な手間と労力が必要で継承が難しかったが、若い人が村に移住して見直されている。

◆日本の藍染の本場徳島へ。本藍染の「すくも」(藍の葉を発酵させた染料)を作っているのは今や徳島で5軒しかないうちの1軒を訪ねる。

◆山梨の都留市で徳島の「すくも」を入手し本藍染を木灰自然発酵建てしている佐藤文子さんを訪ねる。囲炉裏のある暮らしで木灰がある生活だからこその深い藍色である。このような本藍染をしているところは全国で1%程で希少である。ちなみにまやたろさんがこの日着ていたシャツは佐藤さんのところで染めた本藍染で深い美しい藍色であった。

◆兵庫の姫路の市川沿いにあった白鞣(しろなめ)しの最後の1軒を訪ねる。塩と菜種油だけで鞣した乳白色の柔らかい肌触りの良い上質な革に感動する。

◆北海道に行った時に、エゾシカを食べたいなと念じていたら、また倒れていたエゾシカに出会う。本当は警察に連絡しないといけないが、そうすると処分されてしまうので、おいしく食べて供養した。

◆7年目の東北被災地を走る。釜石の友人はボランティア団体を運営して頑張っている。昔は釜石を出たくてたまらなかったが面白い人が集まり、地元釜石の復興について考えるようになったことにより気持ちが変わった。

◆気仙沼で出会ったばかりの人の家に泊めてもらうことになった。震災があったから恩返ししたい気持ちがあるのよと言われた。長い旅に出ていると恩を受けるばかりで心苦しくなることがある。そのことを打ち明けたら、あなたが来てくれて私たちの知らない国の話をしてくれるだけで恩返しになってるのよと言われ救われた思いがした。

◆山口県の平郡島で5人しかいない小学校で世界旅の話をしたら、皆持っていたテントに興味津々で……一緒に組み立てる。5人全員でテントに入った。

◆関門海峡の海底トンネルの出口で日本1周チャリダーをコレクションしている川崎さんに出会う。宿と食事をご馳走になる。おかげで初めてゲストハウスに泊まる。旅人に写真を見せたら売ればいいと言われ、小倉の商店街の路上販売の初体験をする。

日本の旅を終えてこれからどうしよう? と考えた時

 「最後に大分のイベントで出会った竹細工の人が気になってヒッチハイクで戻りました。いろいろあって先月から一緒に暮らすことになりました。エへへへ」って?! まぁ、いいか……というわけで、4月から大分県由布市でなるべくお金に頼らない持続可能な暮らしを共に始めたパートナーの松本裕和さん(以下愛称のまっぽんさん)が登場し、マイクを握る。

◆出身は静岡県焼津市出身で今41歳だが、若い頃から3年周期位に仕事を変わってきた。「僕なりのビジョン・クエストのアンサーが竹細工だった」。大分県別府には失業保険をもらいながら竹工芸を2年間学べる夢のような職業訓練校があり5年前に移住した。だから竹細工は今までで最長の5年になる。今は自営でやっていて、屋号は「+竹(PLUS CHIKU)」。プラスチックに代わり暮らしの中に竹を取り戻したいと始めた僕のコンセプトにぴったりなこの屋号を麻耶ちゃんが考えてくれた。

◆もともと竹は人が地下茎を掘って必要な所に人が植えなければ増えないから人里にしかない。今、竹を使わなくなり全国で放置竹林が問題になっているのはもったいないことだと思う。そこに素材があるのにも関わらず、限りある資源の石油製品を使い捨てのように使う矛盾。全国にある放置竹林を僕一人ではどうしようも出来ないので、竹細工の技術を各地に普及させるためにワークショップを開催してる。竹割包丁(両刃の小型の鉈)と鋸さえあればどこでも仕事ができる。

◆麻耶ちゃんはワークショップの良い生徒で才能があり覚えが良く、一度覚えた技を応用して腰かごを作ってしまった。こういう人を増やしたいと(竹の鍋敷き1,500円、蕎麦ざる5,000円が会場を回る)。新しい製品のスツール椅子は5万円ですが制作には材料取りに2日、加工して編むのに2日間要する。竹細工に適したものは3、4年目の竹で新しくても柔らかすぎるし古くても硬すぎる、節の長さもそれぞれ違うから適したものを探すのは難しい。使い捨てではなく、使い込むほどに味わいが出てくる。昔の職人のように30年もつ美しいモノづくりを目指している。

◆まだまだ話し足りない様子に「竹について語り出すと止まらない熱いところが素敵だなぁと思ってます」とまやたろさん。時折、二人の互いに見つめ合う視線が眩しい。目指している生き方や価値観が近くて一緒に暮らし始めた二人。4年前にまっぽんさんは古家付きの150坪の土地を150万で購入。雨漏りする屋根をふき替え、何とか住めるように修繕はしていたという。まやたろさんが4月半ばに来たときは家の中のことは後回しにして、まずは毎日ボーボーだった庭の畑の草取りと種まき、苗の植え付けをした。お金に頼らない暮らしを目指す二人にとっては、この畑こそが貯金であり未来への投資だからだ。

◆同じ意味でまっぽんさんにとっては竹の研究のためにいろいろな竹を植える囲いを作るために深くて長い土を掘り、丁寧にセメントで塗り固めることが大事だった。しかし、まだ雨漏りで腐った床は抜けている。トイレは傾いているし、台所は整っておらず、ロケットストーブで煮炊きし、風呂もない。竹が大事なのは理解しているつもりなのに、はやく生活環境も整えてほしい……。この1か月は葛藤が渦巻き、泣きながら歩いた「ボリビア・アタカマ砂漠」を3つ位抜けたように大変だったと、まやたろさんは言う。しかし、ぶつかり合いながらも二人はこの地に着実に根を下ろしているようだ。

◆鶏、チャボ、烏骨鶏などを飼い、日本ミツバチの養蜂も始めたという。庭にはびわ、柿、茶、桑、桜、イチョウ、よもぎ、どくだみ、山椒、せり、みつば、スギナ、クマザサ等たくさんの植物が生えている。こうした植物をせっせととっては酵素ジュースやお茶を作ったり、草木染をしたりもしていると後で聞いた。10年後の二人の暮らしがどうなっているのか、楽しみである。

◆最後に江本さんから、「法政大学の澤柿先生の教え子が、殆ど初めての地平線報告会体験で来ている。おそらくこれから大学を出て迷いながら進む10歳下の学生にアドバイスできるとしたら」と。以下まやたろさんの答えである。

 

■学生時代はやはり悩んだ。いわゆる良い大学入って良い会社入ってにとらわれていた部分も確かにあった。しかし、どの体験も無駄なものは一つもなかった。就職して辞めたことも、経験したからこそ合わないことがわかったし、いつかやろうと思っていた田舎暮らしにも逆に踏み出せた。都留での2年半で、農業・狩猟スキルだけでなく、スタッフの人数が少ないから広報から運営、報告書作り、会計までやらせてもらった経験は得難いものだった。

◆何がどこで生きてくるかはわからないからその時自分がやりたいと思ったことをやれば良いと思う。実は南北アメリカの旅に出た時に「旅に逃げた」という思いがあった。砂漠まで逃げたのにまた同じ壁が立ちはだかった。こんなに遠くまで逃げてきたのに結局、自分から逃げられないんだって気付き辛くてボロボロ泣いた。帰国してからわかったことだが、逃げて逃げてどうせまた同じ壁にぶつかるなら、逃げられるときは逃げていいんだと思う。乗り越えられるときに乗り越えればいい。

◆そしてまた今「砂漠」が目の前に……と笑いながら言う。試練と言うのは何度でもやって来るけど時が満ちた時に乗り越えられる。さて、この答えを大学生の諸君、そして今日集まった地平線仲間の皆さんはどう聞いただろうか?最後に司会の長野さんが「旅っていうのは多かれ少なかれビジョン・クエストでそれを一生やっている人もいるわけです」とさらっと早口で言った。その通りだよなと皆が思ったに違いない。まやたろさんの素直で芯の通った話にそれぞれの世代が持ち帰ったものは多かったはずである。まだ旅は続くのだった。(高世泉


報告者のひとこと

ひと漕ぎひと漕ぎ、焦らず……

■地平線報告会のために上京し、各地での竹しごと巡業を経てようやく大分に帰って来た。3週間放置した庭の畑は一面青々と茂り、草取りや苗の植え付けに追われてあっという間に1日が過ぎていく。レタスやパクチーは全盛期で、ビワ、ナス、トマトなども実りはじめ、これから夏に向けて庭でとれたものが食卓に並ぶのが楽しみだ。

 「風来坊のビジョン・クエスト」という素敵なタイトルをつけていただいた今回の報告会。かくいうわたしはプレッシャーに押しつぶされそうだった。そもそもわたしがはじめて地平線報告会に足を運んだのが今年の2月。報告会の内容もさることながら、二次会では他の参加者や名だたる過去の報告者から武勇伝を聞き、ひとりひとりのキャラの濃さやぶっ飛んだ内容にただただ圧倒されるばかりだった。40年という歴史ある地平線の舞台に、わたしのような新参者が立っていいのだろうか。さらに、前月の報告者である下川知恵さんが地平線史に遺るすばらしい発表をしたという噂を方々で耳にし、わたしのプレッシャーはさらに大きくなった。

 わたしは一体何を求められていて、何を話したらいいのだろうか。

 帰国してから1年の間、これまでも何度かお話し会や大学などで講演する機会はあったが、地平線の緊張感はその比ではなかった。反省点を挙げればキリはないが、嬉しいお言葉もいただき、こうした酸いも甘いもひっくるめて「通過儀礼」なのだと思った。新参者のわたしに声を掛け、このような貴重な機会を与えて下さった江本さん、素晴らしいイラストとタイトルでわたしのとりとめのない話をまとめてくださった長野さんには心底感謝している。

 自転車旅はとてもわかりやすい。一漕ぎ一漕ぎ自分の力でしか進めない分、その成果は見えやすく達成感もある。風に吹き飛ばされ、砂にはばまれ、自分の弱さを知る。屋根や壁があること、ご飯が食べられること、見ず知らずの人たちに幾度となく助けられ、今もこうして生きていられること。そうしたあたりまえの幸せにたくさん気づかせてもらった。伝統文化やものづくりに憧れ、自然に寄り添った生き方を求めていることも旅を通して再確認できた。

 そんな旅をきっかけに、「竹細工」という伝統的なものづくりに携わることになったのはある意味自然な流れのようにも思う。豊かな自然の中で野良仕事やものづくりに携われるなんて、まさに自分が思い描いていた理想的な暮らし。しかしそれが日常になると、旅での気づきはどこへやら、ついつい相手に求めすぎて、不満をぶつけてしまう。自由に生きてきた今までとは違って、誰かと生きていくということは綺麗ごとだけではすまされなくて、妥協や痛みを伴うこともあるけれど、だからこそ喜びも分かち合えるのだろう。

 いつも支えてくれる人たちへの感謝の気持ちと謙虚さを忘れずに、旅で得たビジョンに向かって、一漕ぎ一漕ぎ、焦らずじっくりと進んでいきたい。(青木麻耶


日本的モノ、伝統的なコト

 「自由に生きたい」若い時に誰もが思う事だと思う。そんな思いも年を取るごとに資本主義的な経済至上主義に流される中で忘れていき、多くの人が不自由ながんじがらめの生活を送っているのではないだろうか?

 僕のビジョン・クエストはどうしたら自由に生きられるか?ということだった。25歳ではじめてピースボートに乗り、それまで目を向けてこなかった社会問題や環境問題について知るきっかけとなった。そしてグローバルな生き方よりも、ローカルに生きる方が他者への依存が少なく自由であり、環境への負荷も少なく未来へ続く持続的な生き方だと気付いた。

 そんな考えから日本的モノ、伝統的なコトに関心が移っていった。

 石油製品が普及する前の日本では、身近にある天然資源だけで生活用品が作られ、壊れてゴミとなっても有害物を出すことなく土に還っていた。一方、現在の経済至上主義の消費社会では、人々が毎日ゴミを出しながら暮らしている。再生可能なゴミから埋め立てるしかないゴミ、はたまた何百年も冷却し続けなければならない核のゴミまで。

 このままではいずれ人類はゴミに埋め尽くされて地球で生きることができなくなってしまうのではないか?ゴミを出さない暮らしとは?

 そのヒントを宮本常一氏の著書や民族文化映像研究所の映像作品を通して一昔前の人々の暮らしに見た。そして電気やガスに頼らずとも作業ができ、竹という半永久的な天然資源を使い、萬のモノが作れる「竹細工」という仕事に出会ったことで、僕のビジョン・クエストに対する答えがようやく見つかったのだ。(plus竹 松本裕和


ゼミ生が青木麻耶さん報告会で考えたこと

 私たちは、法政大学社会学部の澤柿ゼミに所属する2・3年生です。自然地理学という理系寄りのこのゼミは、社会学部のゼミの中でもやや異質な存在で、日頃の教室での討論だけでなく、週末に野外巡検で出かけたり、夏休みには白馬村や十勝平野などで合宿をしたりもしてきました。

 この3月から、ゼミの一環で地平線会議の報告会に参加させていただいています。世界を舞台に活動を続けている行動者の生の体験を聞いて刺激を受けたり、報告会に参加する人々と関係を築いたりしながら、その世界にのめり込んでいきたい、という意図があります。これは、本ゼミを「探検と冒険ゼミ」と名付けた澤柿先生の思いから出たものでもあります。

 5月の報告会で青木さんの報告を拝聴し、ゼミ生がそれぞれ感じたことを話し合ううちに、<文化の交流・素敵な偶然・人との出会い>という3つのキーワードが浮上してきました。地平線通信に我々の感想を載せていただくにあたり、このキーワードにそって原稿をまとめてみました。(沼田・笠井・阿部・石井

 報告の中で、様々な世界の文化に触れていく様子が語られました。その核心のひとつに「文化の交流」という視点があることに気づきました。例えば、自然にあるものだけで染める南米の織物です。その技術の高さは、メディアを通じて聞き知ったりお土産として手に取ったりするだけでは知り得ないようなものでしたが、それ以上に、青木さんが染色のおばさんに1日中かぶりついていたという、おおせいな好奇心に感心しました。日本の藍染文化も、あらためて調べてみると大変面白いものでした。現在、徳島県には藍師が5人しかおらず、藍染工房も2軒のみだそうです。藍染はかつて「ジャパン・ブルー」と呼ばれるほど日本を代表するものであることも再認識しました。

 青木さんが暮らしている大分の竹細工にも興味をそそられました。現地の素材を生かした椅子、鍋敷き、そばざるなどの竹細工などはとても鮮やかで、その制作技術を瞬く間に習得してしまう青木さんの器用さは驚きしかありません。また、竹の粉末や繊維とプラスチックとを組み合わせた「プラス竹(チック)」という素材も開発されていたことを知り、そのネーミングの絶妙さとともに、竹の新たな可能性に感心しました。(島村・亀岡・須田

 相当辛かったであろうエピソードですら楽しそうに紹介される青木さんの話しぶりに、全てのことが楽しい思い出として残るのだと気付かされました。ゼミでお互いの感想を交わす中で、あるゼミ生が、青木さんの比ではとてもないけれど少し似たような経験をしたことを話してくれました。実家までの70 kmの道のりを自転車で走りきったというものです。パンクしたりサドルがお尻に合わなくて痛い思いをしたりして辛い行程だったそうですが、実家に着いた時にはそれまでの道のりが楽しいものだったと感じることができたそうです。このような体験があると、レベルは違うとはいえ、過酷な体験談により深く共感できると言います。

 また、日本で培った狩猟技術が旅の中で活かされたという話は、偶発的なことにもかかわらず、なにか必然性があったかのようにも思われます。きっとそれは、ふと訪れたことではなく、今までに経験したことが積み重なって青木さんの興味を引き出し、その興味を無視することなく行動に移したからこそやってきたことなのでしょう。『経験が経験を繋いで導いてくれている』という連鎖は、「素敵な偶然」ともいえるものだと思います。(大森・田中・飯野・島崎

 何度か自転車事故に遭い、意識を失って死にかけた話は強烈でした。そのときに助けてくれたのは、ともに助け合いながら国境を越えた仲間だったということが特に印象的です。国籍は違っても、自転車という共通の旅の形態を通して生死を左右するほどの深い関わりを持てるのは素晴らしい。私たちも、世界の人々ともっと分かり合い親交を深められるような、共通に取り組める何かにハマってみたいと思いました。

 世界の様々な人たちと触れ合い、親切な人たちに出会い、そして多くのことを教えてもらうことに対して、「もらってばかりで何も返せていないのが苦しい」と仰っていたのが心に残りました。ゼミ生の一人は、自分も周りの人たちにお返ししたいと思いつつ、何をしてよいのかわからないまま今に至っている、と思ったそうです。特に、青木さんが東北でお世話になった人たちの「震災で考え方が変わった」という話を聞いて、自分も震災復興に関わる活動をしたいという意思が一層強くなったと言います。(安藤・長島・竹中)

 最後に、今回の報告会は、日本にいるだけでは気づいたり味わったりできないことが世界にはたくさんあると気づかされ、面白いことにたくさん出会いたいと思うようになった素敵な講演でした。まずは、日頃の野外巡検などに受動的に参加するだけではなく、自ら計画し能動的に行動できるようになることが、今の私たちにとっては必要なことだと思います。地平線会議で報告されるような第一級のレベルにすぐに到達できるわけではありませんが、まずは身近でできることから始めて、立ちはだかるハードルに挑戦したり、自分にとっての未知の地域に出向いたりしながら、それぞれのストーリーを描けるようになりたいと思います。

 青木さんに感謝するとともに、次回以降の報告会に参加するのも待ち遠しく思っています。


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