2017年7月の地平線報告会レポート


●地平線通信460より
先月の報告会から

極夜の彷徨

角幡唯介

2017年7月28日 新宿区スポーツセンター

■2016年から2017年にかけての冬、探検家・角幡唯介さんはグリーンランドの極夜の中を相棒のグリーンランド犬、ウヤミリック(現地語で「首輪」の意味)と共に80日間旅をした。極夜というのは極圏独特の現象で、毎年冬、北緯66.5度の以北では一日中太陽の昇らない時期が続く。誰もが避ける光のない季節。その真っ只中に角幡さんは挑戦した。

◆旅は先住民の住む最北の村シオラパルクから始まる。北緯77度。赤いヘリのプロペラの奏でる轟音の中、11月10日、白い大地に降り立った。極夜ははじまっているが、まだ完全な暗闇は訪れていない。旅の相棒であるグリーンランド犬ウヤミリックが彼の到着を待っていた。ウヤミリックを選んだ決め手は、その顔付きだった。これまで3年近く一緒に旅をしているというウヤミリックは堂々とした体躯だけれども、優しい表情をしている。そして、何よりも金色の美しい毛並みをしていた。

◆旅の計画は、極夜の中1月に最初のデポがあるアウンナットに到着後、北のイナーフィッシャックを経由して、そこから約1,000キロ先の北極海を目指すものだ。前年は7か月グリーンランドに滞在し、本番に備えてデポをそれぞれの地点に運んでいる。しばらくしてシオラパルクの海が凍りはじめ、12月になれば出発できそうな状態になってきた。ただし、まだ薄い状態の定着氷はうねりが入ると壊れてしまい、その先に行くことはできなくなる。そんな中、大きなブリザードが近付いてくることがインターネットの情報からわかった。

◆出発が遅れると旅の途中で氷が壊れてしまう可能性がある。風とうねりが治まってきた12月6日、氷河の麓で嵐をやり過ごすことを決め、月の出ていない極夜の中に一歩を踏み出した。闇の中に消えて行く彼らの前方を照らす赤色灯の灯りと灰色の氷、そして、それを踏みしめる音。それらがコーマック・マッカーシーの小説「ザ・ロード」の世界を想起させる。

◆「ザ・ロード」は核戦争のような厄災に見舞われた世界を歩く親子の物語だ。世界はほぼ死滅し、空は分厚い灰色の雲に覆われ、太陽の光は差し込まない。そんな世界の中で絶望に飲み込まれず、親子はただひたすら南に向けて歩き続ける。僕はそんな親子と氷の上を歩く一人と犬をいつの間にか重ねていた。

◆「シオラパルクを出てから2日目のことですが、テントの中で寝ていたら、ブーンという音が聞こえてきたんです。なんだろう思っていると、今度はブオーという今にも殴りかかってくるような音が聞こえてきました。すると今度はボンボンボンと風がテントを叩きはじめました。それが次第に連続となって、いろんな方向からテントを揺さぶりました。たぶん、氷床から吹き降ろす風なのでしょう。でも、寝袋から出る気はしませんでした。ただテントが潰されるのではないかと、それだけは怖かったです」

◆やがて今度は鞭がしなるような音が辺りに響きはじめた。氷が割れはじめているのではという疑念を持ちながらも、テントから出ずに様子を窺う。しばらくして、そんな音の響く中スライム状のものがテントを押しはじめているのに気付く。どうやら氷が割れて、波しぶきがテントにかかり、それが凍りはじめているようだった。その海水からできたスライム状の氷が今にもテントを押しつぶそうとしていた。慌ててテントの外に出ると既にウヤミリックは氷漬けのような状態になっていた。

◆やがて嵐は止んだ。テントに戻り、身体を休める。しかし、その間に橇の所にあった六分儀が風で飛ばされてなくなっていた。それは極夜の旅で自分の進む方角を知るための大切な道具だ。その事実に呆然とするが、六分儀のないまま旅を続行することを決める。地図とコンパスと自分の感覚で進むのだ。

◆シオラパルクを出発してから3日目。月の光の中、氷河の登攀が始まった。2度目のブリザードは氷河を登っているときにやってきた。それははじめ谷からエクトプラズム(注)のようにやってきたという。それが地吹雪の合図だ。気付けば1キロ先は地吹雪で覆われている。そよ風が、あっという間に強風に変わっていく。テントは地吹雪であっと言う間に雪で埋まる。テントの外に出ると既にテントの周りは1メートルほど雪が積もっていた。

◆必死で除雪作業をはじめる。テントだけでなく、今度はウヤミリックが雪に埋まっている。埋まっているウヤミリックをリードから放してやると一目散にその場から逃げ出したという。「しまった」と思ったが、3分後、大声でその名を呼んだ彼の下にウヤミリックは帰ってきた。そんなウヤミリックの身体を彼は優しく撫でてあげたという。

◆その後、1週間ほどの時間をかけ、最大の難所を突破。次に目指すアウンナットまではできれば月の出ている間に到着したい。外気は-30℃。そんな中を月と星を頼りに旅を続ける。必然夜間に行動することになるのだが、それは月の南中時刻に合わせるためだ。しかし、月の現れる時刻は日に日にずれていく。やがて少しずつ彼の中の時間の感覚が狂っていく。そんな身体の状態と極夜の氷床を旅する緊張もあって、行動中ほとんど眠れなかったそうだ。

◆氷床では、これまでの経験からツンドラに降りる場所について目星がついており、そこを目指して歩みを進める。予想では早くて3日、遅くても6日くらいの行程だ。しかし、6日目になっても目指す場所に辿り着くことはなかった。辺りは靄がかかり、自分が氷床の際に向けて下っているのかどうかも分からない。「コンパスが狂っているのだろうか?それとも自分の感覚がおかしくなっているのだろうか? 北に向かっていたはずなのに、いつの間にか南に向かっているのか? 自分の感覚が当てにならず、進んでいても、進んでいないような感覚でした。理由は分かりません。そして、自分自身も含めていろんなことが信じられなくなりました」

◆最終的には頭上の北極星を頼りに自分の位置を確認し、そして、北へと歩き続けた。北極星の光は淡い。しかし、変わらずいつもそこにある。その事実がときに安心感を与えてくれた。やがて「下り」がはじまるのだが、途中で橇がこけ、その拍子に行動食やカメラ、弾丸などが入った容器が斜面を滑り降りていった。身体が自然とそちらに走り出すが、振り返ってみて、あれは危険な行為だったと気付く。「クレバスに落ちてしまう可能性もありました」。その荷物は斜面の中腹に止まっていた。そこには砂利がちらばっていてツンドラがはじまっていたことがわかった。無事氷床を抜けたのだ。結局、4日程の行程に10日くらいかかってしまった。

◆ツンドラでは、あまりにも辺りが暗すぎて自分がどこにいるのか正確に分からない。感覚で記憶を掘り起こしながら、進む。やがてこれまで何度も訪れたアウンナットに続く谷に自分がいることに気付いた。暗闇の中でも目が慣れてくると、うっすらと山の稜線が見える。それは記憶にある山の稜線だ。記憶が蘇り、自分の位置を確信した。「あっ、ここだと分かりました」。

◆それは極限の状態の中、研ぎ澄まされた感覚がもたらしたものなのだろうか。谷を降りていくと、見慣れたアウンナットの地形が彼の目の前に広がってきた。ようやくアウンナットに辿り着いた彼の前方に白い小屋が亡霊のように浮かび上がる。しかし、そこにはデポはなかった。白熊に襲われたのだ。そのデポが既にないことは、事前に犬橇でその辺りをパトロールしていた人達から聞いていたのがせめてもだった。

◆「イナーフィッシャックにもデポがあって、ひとまずそこまで行こうと思いました。そこから最終目的の北極海までは約1,000キロ。そこで3週間も過ごせば、明るくなってきます。もう迷うこともありません。1月下旬まではイナーフィッシャックでごろごろしていよう。当時はそんなことを考えていました」。アウンナットで時を過ごす間に衛星電話で日本の家族に電話をした。「もう大丈夫だと伝えました。一番危険だと思われた氷河を越え、ブリザードが吹き荒れる氷床を抜け、アウンナットにも到着できたので。でも、実際は全然違いました」

◆しばらくしてアウンナットを後にし、予定通りの日数でイナーフィッシャックに辿り着く。しかし、イナーフィッシャックに辿り着いて見たのは、白熊に食い荒らされたデポの残骸だけだった。ぐちゃぐちゃになった小屋の中。そこには1か月分の燃料と食料があるはずだった。どうやら天井から白熊が入り込んだらしい。ショックを受けながらも、イナーフィッシャックにもうひとつデポがあることを思い出す。それはイギリスの遠征隊が船で運んで残していったものだった。

◆「でも、正直、やばいんじゃないかと思いました。これまで自分がやろうとしていたことが何もできていないんですよね。この悪い流れからすると、もしかして……と」。翌日事前に場所を確認していたイギリス隊のデポを見に行った。しかし、その場所には何も見当たらなかった。イギリス隊のデポはプラスチックの樽に入っていたのだが、その樽さえ見当たらない。しばらくして、彼はガソリンの容器を見つける。そこにはくっきりと白熊の爪の痕が残っていた。そして、散乱しているデポを発見する。

◆「やばい」。ナーフィッシャックに辿り着く前に兎を2羽仕留めたもののウヤミリックの食料が尽きようとしていた。イギリス隊のデポが無くなっていることを知ったのは、1月13日。まだ1か月分くらいの食料は残っている。たぶん、村に帰れるかどうかギリギリのラインだ。最悪自分は死なないだろう。イギリス隊のデポには80キロのドッグフードが含まれていた。それを当てにしていた。「ウヤミリックが死んだら、この先の旅を続ける気力を保てない」

◆ウヤミリックの分も含めた少なくとも村に帰れるだけの食料を、そして、可能であれば北に向かうことができる食料を手に入れるために狩りをする決意をする。まずジャコウウシに狙いを定める。はじめジャコウウシがたくさんいるセプテンバー湖に向かおうとするが、これから月は満月となり、そして、欠けていく。そんな中で月の出ている内にイナーフィッシャックから距離のあるセプテンバー湖には辿り着けないと判断し、一路ダラス湾に向かう。

◆ダラス湾には兎の足跡がたくさんあったという。しかし、1羽の兎も獲ることはおろか、見かけることもできなかった。そんな中、単独行動をしているジャコウウシを見つける。ウヤミリックが反応しないのを訝しながらも200メートルほど近付くが、それは更に先にある巨大な岩だったという。結局その場での狩りはあきらめ、どんどん内陸に入って行く。まるで月の光に導かれるように。

◆足跡は確かにある。でも、ジャコウウシはそこにはいない。まるで夕食時の食卓に自分が足を踏み入れた途端、料理だけを残して忽然と人だけが消えてしまったように。そんな光景が彼の眼前に繰り広げられていた。やがて次第に月に怒りを覚えるようになってくる。「月の光が明るいと獲物が獲れるという自信が湧くんですよね。しかも周りは動物の足跡だらけなんです。でも、何もいない。まるで月に騙されているような気がしました」

◆獲物の獲れない焦燥感からか、狩りに出ている間にウヤミリックが自分の分の食料を食べてしまうのではないかと1時間もテントを離れると不安に襲われてしまうようになる。ウヤミリックも飢えているのだ。残りのドッグフードを少しずつ与えていたのだが、日に日にウヤミリックは痩せ細っていった。極夜行を開始した頃は「ウヤミリックがいなければ旅は出来ない」ととても大事にしていた。しかし、そんな極限の状態は彼を変える。「自分が死なないように、最悪の場合はウヤミリックの肉を食べて生き延びよう」と思うようになった。

◆その後、内陸部から撤収し、再びダラス湾を目指すのだが、途中から月が暗くなっていったため、昼間に行動をするようになる。その頃になると昼の11時くらいから空が白く明るくなり、姿は見えずともその光の向こうに太陽の存在が感じられたという。「ただ太陽がそこにあることが嬉しかったです。今回の旅で初めて希望を感じた瞬間でした」

◆1月18日、ダラス湾に戻って2日目、目の前にふたつの青い光が現れた。銃を構え、その青い光に向けて撃ったのだが、弾は当たらなかった。驚いたその青い光はその場から走り出したが、やがて立ち止まった。青い光の主は狼だった。彼は狼に近付き、再び銃を構え、撃つのだが、弾は空しく空を切るだけだった。狼を仕留め損ね、落胆しているとウヤミリックが雪の下からジャコウウシの頭蓋骨を見つけた。夢中で貪りつくウヤミリック。ほとんど食べるところはない。それでも空腹を満たすためにウヤミリックは、その骨をかみ砕き、咀嚼し、そして、飲み込む。

◆「アウンナットの小屋までは連れて行こうと思いました。白熊が怖いからです。そんな飢えて、痩せ細ったウヤミリックを可哀そうだと思いながらも、俺の食べる肉はこれだけしかないのかと思う自分もいました」。ウヤミリックがのたれ死んでしまったら食べようと考えていたが、イナーフィッシャックに再び訪れたときにイギリス隊のデポがあった場所で白熊がまだ掘り起こしていないところを発見する。その場所を掘り返すとガソリンの入った容器と共に黒いビニール袋が残っていた。その中には20キロ分のドッグフードが一袋入っていた。

◆「うぉー!!お前を殺さなくて済んだぞ!!」そう叫び、彼はその場で残っていた3キロほどのドッグフードをウヤミリックに与えた。そして、アウンナットに到着した1月27日、急に周りが明るくなり、ヘッドランプがなくても行動できるようになる。その瞬間、彼は極夜が終ったという想いに包まれたという。「いざ明るくなって見ると寂しかったですね。戦争が終わった後の日本国民もこんな感じだったのかもしれません。不条理な状況や力が急になくなって、その代わりに喪失感が襲ってきました。自分が今までやっていたことはなんだったのだろうという想いに飲み込まれました」

◆闇が駆逐される。明るくなると動物が獲れる。まずは食料としての狐が1頭。しかし、それ以上の獲物はアウンナットにいる間は獲れなかった。「もうシオラパルクに戻るしかない」その想いを胸に再び歩きはじめる。しかし、2月の氷床の気象は厳しい。アウンナットの小屋を出ると、後ろを狼の夫婦がつけていた。その内の1頭を即座に撃ち殺す。それは白い体毛に覆われた美しい雌の狼だった。氷床に至るツンドラでは更に兎を3羽仕留めたが、氷床越えは天候もわるく、容易に前に進むことはできない。風が強く、天候の変化も全く読めない。次第に不足してくる食料の中、停滞を余儀なくされる。テントの外では相変わらず、すさまじい風が吹いている。

◆「明日覚悟を決めて出ないと帰れない」。風が止んだ隙を利用して、一気に進み、最初に登った氷河の辺りにまで辿り着いた。そこから村までは2日の距離だ。しかし、氷河を降りていくこと自体が難しい。少なくとも晴れないと降りられない。息もできないブリザードの中、お茶だけを飲んで耐え忍ぶ。そして、2月20日。滝のような風がやってきて、テントの表面を叩きはじめた。風速は秒速15メートルくらいだろうか。既に狼も食べ切っていた。

◆翌2月21日、シオラパルク到着を目前に控えた極夜の旅78日目の朝、テントに日の光が差し込んでいることに気付く。外は少しブリザードが治まってきているようだ。テントの入り口を開け、外に足を踏み出す。するとそこには黄金色の太陽が優しくその光を降り注いでいた。「そのときに見る太陽を想像して、どんな風に感じるかを自分なりに考えてはいたけれど、それは自分の予想を遥かに凌駕していました」

◆黄金色に燃える太陽に対面した彼の声は震えていた。投影された映像に映らない彼はきっと泣いているのだろう。頬を伝いながら、その場で凍り付いていく涙を僕は想像した。しかし、それもつかの間、その後すさまじいブリザードがやってきた。翌日に風が止み、村に降りる氷河に辿り着いた。そして、極夜の旅80日目、シオラパルクに到着した。

◆「迎えに来てくれたのは、3人だけでした」そう言いながら、角幡さんは苦笑いをした。そうして、予定を大幅に超え、約3時間に亘った報告会は幕を閉じる。報告会の後、僕は2次会の「北京」で彼にビールを注ぎながら、こんな質問をした。「今回はもともと計画していた北極海までの旅はできませんでしたが、その計画を完遂するためにもう一度極夜の旅をしますか?」。彼はきっぱりと「もう極夜の旅は満足しました」と真摯な眼差しで答えてくれた。

◆来年2月には今回の旅のことを記した書籍が出版予定だという。その本には彼の極夜の中での葛藤がより詳細に記されているに違いない。彼が極夜を欲した理由も。そして、78日目に再び目にした黄金色に燃える太陽への想いも。僕はその本の完成を今から心待ちにしている。(光菅修

(注)エクトプラズムとは、霊の姿を物質化、視覚化させたりする際に関与するとされる半物質、または、ある種のエネルギー状態のものの意。

報告者のひとこと

このシステム化した世界の外側にどうやって飛び出すか

今回で地平線会議での報告は4回目になります。1回目(2003年)と2回目(2010年)はツアンポー単独探検について、3回目(2011年)は荻田君と行ったカナダ北極圏1600キロ徒歩行、そして今回が極夜の探検についてです。

 最近は講演の依頼が増えてきたし、地平線4回目ともなるとさすがに場慣れしてきて、今回終わったときは、これまでの講演・トークショー関係で一番面白く話せたんじゃないだろうかという手応えがありました。実際、江本さんはじめ、何人かから非常に面白かったという感想をいただき、かなり嬉しかったです。

◆それに、この極夜探検については地平線以外の場でも大小含めてかれこれ4回ほど報告しましたが、いずれも好評でした。人前で報告するたびに好評度が高まるため、今、ぼくの中では、この極夜探検の話はめちゃくちゃ面白いんじゃないだろうか、もしかしたら来年2月に刊行予定の単行本もバカ売れするんじゃないだろうか、ピューリッツァー賞にノミネートされるんじゃないだろうか、という期待感が膨らんでいます。

◆はっきり言って出発前の評判は散々なものでした。極夜の暗闇を探検しますと言っても、大方の反応は「え? 何それ?」というもの。最近、山登りを趣味にしているという噂のV6岡田准一さんのラジオ番組に呼ばれたときも、キョトンとして、え、意味わかんないんですけどみたいな反応だったし(そうは言わなかったけど顔にそう書いていた)、出発前の講演会で「これまではツアンポーとかフランクリン隊とかわかりやすいテーマで探検してきたのに、極夜というのは理解できません」と言われたこともありました(まあ、ツアンポーやアグルーカの時も出発前は意味わからないとよく言われたんですが……)。

◆正直、周囲の理解が得られないことに自信を失い、どうせこんなことやっても誰にも分かってもらえないだろうなぁと思っていました。それでも五年間、極夜にこだわったのは、時間をかけすぎて引くに引けなくなったということもありますが、この旅が探検の新しい局面を切り拓く行為になるんじゃないかと自分で期待していたからです。

◆今のぼくの関心は、どうやったら脱システム的な旅ができるかということにしかありません。脱システムというのは読んで字のごとくシステムを脱することです。GPS、衛星電話等、テクノロジーの発達で現代システムは無限に膨張して、空間的な領域に関するかぎり、システムはほぼグローバルに全地球上を包囲してしまったかの感があります。ヒマラヤに行っても、北極点に行っても、どこに行ってもシステムが完備されているので、地理的にどこかに到達することを目指しても、そのシステムの網の目から逃れることは不可能です。その結果、近年、探検・冒険の世界では急速にスポーツ化が進んでいます。

◆たとえばヒマラヤ登山や極点旅行のツアー化や、アドベンチャーレースの隆盛等にそうした変化が表れているといえるでしょう。システムに覆われるということは、その内部が管理されて秩序化されるということです。情報インフラや衛星通信技術で覆われることで、全地球上が座標軸上にプロットされてデジタルに管理可能な世界となったわけです。

◆本来、システムの外側の世界は混沌とした未知の領域で、冒険とはそのシステムの外側に向かう行動であり、探検とはそこで何かを探る行為でした。それが全地球上がシステムの管理下におかれたため、混沌とした未知の領域が消滅してしまいました。地球上が競技場のような整った舞台として理解できるようになったため、昔、冒険として理解されていた行為はすべてスポーツに置き換わっているわけです。

◆ぼくの目的は、このシステム化した世界の外側にどうやって飛び出すかというものでした。世界がグローバルに競技場化した以上、地理的な観点にこだわっていては脱システムは難しい。逆にいえば、探検界、冒険界の人間がいまだに地理的観点以外のテーマを見つけられず、どこどこに到達するとか、どこどこを踏破するということにばかりこだわるから、冒険は〈日本人初〉とか〈世界最年少〉といったあまり意味があるとは思えない記録でしか価値を提示できないスポーツに変質してしまった。ぼくが極夜探検を目指したのは、まずはこの地理的な価値観から脱却して、地理的秘境にかわる新しい未知の世界を提示すること、つまりスポーツ化した世界に反旗を翻して、新しい探検の像を具体的に表現することでした。

◆報告会を聞かれた方ならわかると思いますが、極夜世界は予想以上に未知と混沌に支配された世界でした。78日目に昇った太陽を見たときは、自分でも予期せぬ感動に襲われ、混乱しました。あの一瞬に今回の極夜探検のすべてが象徴されたと考えています。制限時間をオーバーして3時間語りましたが、話せなかったことはまだまだあります。それだけ濃密な旅でした。

◆脱システムするという観点から言えば、百点満点ではなかったですが(たとえば家族との関係から衛星電話を持ち込まざるをえなかった点。家族こそ脱システムするのが一番難しいシステムなんだと痛感しました)、新しい世界を開拓できたという点では満足しています。まあ、あんなすごい太陽を見ることができたのだから、その意味でも極夜というテーマはこれで終わりでしょう。もう一回行ってもあれ以上の太陽が見られるとは思えません。今はまた別の脱システムの方法を新たに開拓することで頭がいっぱいです。(角幡唯介


「暗中模索の体験、探検」“コーハイ”からひとこと

■ノンフィクション作家で、探検家の角幡唯介さん。また、私にとっては憧れの「センパイ」でもある。ご存知の方も多いかもしれないが、角幡さんは早稲田大学探検部に在籍していた。とあれば、私のような現役部員にとって角幡さんは「センパイ」にあたり、眩しい存在で、いわばヒーローにあたるのだ。かくして、現役の探検部員達はこぞって地平線会議での報告会に集ったわけだが、今回は私が代表して筆を走らせている。

◆今回のお話は、“極夜の彷徨”ということで、グリーンランド北部における、「暗闇の探検」の報告であった。太陽が昇らない、その天文現象を「探検」する。その切り口はとても斬新で、刺激的に思えた。角幡さんの計画を知って以来、発表を楽しみにしていたのだが、今回の映像を交えた報告は想像を超える迫力であった。最新技術の集積たるソニーのデジタル一眼レフカメラ。肉眼よりも暗所に強い、その35mmセンサーを通してもなお、極夜の暗闇は永遠に広がっていくように見えた。ノイズの乗った映像は、足元のみがヘッドライトの光に照らされており、撮影者の足並みとともに揺れた。その場に居なかった人間にも、充分に臨場感が伝わってきた。

◆「コンパスを信じられなくなる」「自分を信じられなくなる」「進んでいるはずなのに、進んでいない」。 映像とともに落ち着いた口調で述べる角幡さんの言葉には、重みがあった。私たちは、彼にとっての80日間をわずか2時間半に凝縮して聴いている。本当は、何度となく悩み、苛立ち、頭を抱えたのだろう。「最後に信じられたのは北極星だけ」。数歩歩いては立ち止まり、暗闇の中、北極星を眺める角幡さんを想像する。しかし、どれだけその姿を頭に描けど、極夜の二ヶ月強を、その体験を真に理解することは叶わない。だからこそ、角幡さんの挑戦には意味があった訳だし、「探検」であったのだろう。

◆高野秀行さんとの対談本『地図のない場所で眠りたい』で、角幡さんは「探検」を「自分たちが属している社会やコミュニティの知識や常識の外側に行くこと」と語った。今回の報告は、まさにそう言ったものを秘めていたように思う。ブリザードの中七時間にも渡ったという除雪作業、シロクマに喰われてしまったデポの食料、疑心暗鬼になりながらの狩り。どれも強烈なお話ばかりで、聞いているこちらまで冷や汗が出た。

◆「月に騙された」。最も極限状態に近かったという、獲物を探していた約10日間の説明の中で、角幡さんはこんな言葉を繰り返し使っていた。それは、発狂寸前とも言える彼の状況を表すには、あまりにも幻想的で神秘的な表現に思えた。しかし、どうしてだろうか、西洋で「月」は昔から「狂気」の象徴であるという。ラテン語で月のことを「ルナ」と呼ぶが、これを語源とする英語の「ルナシィ」はまさにその意味である。「月に騙された」というのは、精神が限界に近づき、自分自身に芽生えた狂気に操られる、そんな彼自身の状況を説明していたのではないだろうか。

◆しかし、角幡さんのお話を聞いていて何よりも驚嘆させられるのは、こうした予期せぬ事態への対応である。時にナーバスに陥ることはあれど、すぐに冷静さを取り戻し、論理的な思考で策を講じる。経験と知識に基づいた立体的な思考は、状況に応じて複数の選択肢の中から最適なものを選ぶのだ。生死の危険が伴う活動では、「撤退するか、継続するか」という大きな決断が常に存在する。だが、その決断のためには、その他多くの要素でもって判断をせねばならない。

◆一回目のブリザードでは、暗闇でのナビゲーションの要である六分儀を無くしたが継続を決意した。地図・コンパスと自分の感覚を信じたのだ。二回目のブリザードでは、煩わしく感じながらも必死の思いで除雪を行った。そうしなければ、テントごと埋まっていたかもしれない。デポした食料がシロクマに食われていたことを知った時には、狩りを決意した。そして、獲物が見つからなければ場所を変え、方法を変え、腐肉をも漁った。

◆最後には共にソリを引いた犬を食べることすら、考えたという。やせ細った犬を見下ろし、その姿を可哀想だと感じながらも、これが自分に残された食料か、とその僅かに残った肉を確認する。生と死の境では、常に判断を更新しなければならない。残忍だと、薄情だと言っている暇はないのだ。

◆幸いにも、その後角幡さんはイギリス隊が残したドッグフードを発見し、少し明るくなった世界を南へと撤退する。その時の気持ちを「自分の自由を束縛したものを失ったような、喪失感のような感情」と説明していたのが印象に残る。「自分がやってきたことは何だったのか」、それは、やり終わった後に急な虚無感とともに思い及ぶことなのかもしれない。ただ、帰り道に彼が見た「初めての太陽」、そしてその感動は、極夜の探検を通してしか得られないだろう。

◆さて、「センパイ」が活躍する中、私達現役の早稲田大学探検部員はというと、今夏6人の隊でカムチャツカに向かう予定である。この通信が出る頃にはもう、現地で行動を開始しているはずだ。偉大なる「センパイ」の報告の後には、少し見劣りしてしまうかもしれない。だが、少しでも追いつけるように、もがくつもりだ。コリャーク山脈における最高峰の外国人隊初登頂と、人類未踏峰の登頂を目的とした計画は、40日間に渡る。詳しくは、ホームページ(http://wasedatanken.com/kamchatka/)をご覧頂きたい。地平線通信の許す限り、現地からの報告も発信したいと考えている。

◆皆様におかれましては、私達「コウハイ」の探検を見守り、応援して頂ければ、と願っています。(早稲田大学探検部三年 カムチャツカ遠征隊 隊長 井上一星


to Home to Hokokukai
Jump to Home
Top of this Section